はてなキーワード: 卒論とは
人生において最初でおそらく最大の挫折。それがこんなことになるとは思いもしなかった。
辞める前に今までの記録を残しておこうと思う。
私は元々好奇心が旺盛であり、なんでも「面白そう!楽しそう!」で物事を決める人間であった。
高校も「この学校面白そう!全寮制だって!」の一心で家から離れ、3年間寮生活を送った。
また、大学の学部を選ぶときも「高校の化学めっちゃ楽しかったし、化学科に行こう!」の気持ちだけで1浪して都内の化学科に通った。
友人たちは、いわゆる楽単と呼ばれる楽に単位が取れる科目の情報を集め、楽に卒業までの単位を集めていた。
しかし私は、興味のある科目は全て取り3年生になってもほぼフルコマという大学生活を送っていた。
大学4年生になる春を迎えた瞬間、世界に疫病が蔓延する。そう、新型コロナウィルスである。
このまま大学生活を送っても、まともな研究ができなさそうだなと思った自分は1年間休学をした。
休学している間はアルバイト漬けの1年であった。
平日の昼間に週6で入れる若者である私は重宝され、1年間楽しいアルバイト生活を送った。
楽しすぎて103万円の壁を余裕で超えてしまったのもこの頃である。
そして、2度目の4年生を迎える2ヶ月前、就職か大学院進学かの選択を迎えた。
元来、研究をしたいテーマが決まっていた私は大学院進学しか考えていなかった。
家の近くの某国立大学の先生がそのテーマを研究していたので、そこを目指して院試の勉強を始めた。
無事合格し、卒論も書き終え、希望に胸を膨らませてその大学院に入った。
やりたいと伝えていた研究テーマは別の人に渡され、私は別の1年目のテーマを任されることになった。
その研究も教授の思いつきで方針が変わる、後出しジャンケンで取ったデータを捨てられる、パワハラ、アカハラは日常茶飯事であった。
人格否定もあったかな、個室でよく詰められました。過去の自分の選択も否定されました。今思うと教授の人格が破綻していたのかな。
それが4ヶ月ぐらい続くとその人の顔すら見たくなくなりました。相談もできなくなりました。
結果が出ない→叱られると思って相談ができない→進め方がわからなくなる→結果が出ない
の悪循環。
この頃から、家ではよく笑うようになりました。研究室の辛さを忘れるように。
その後、家でよく笑う自分と研究室で陰鬱になる自分、どっちが本当の自分がわからなくなりました。
9月の半ばに「このままじゃ2年での卒業は難しい。」と言われて心が折れました。
元々1浪1休なのにこれ以上遅れられないと思いながら生きていた矢先、この一言は自分の心に大きな穴を開けました。
同級生は就職や結婚といった人生のイベントを徐々に始めている。
持っててよかった、教員免許。
「大学院は出来る人がもっとできるようになればいい、無能は去るべきだ。」と言った教授、ありがとうございました。お言葉に甘えて去ろうと思います。
ブラック研究室なんて、潰れろ。
高校からプログラミングを勉強しており、この春情報系を学べる大学へと進学した。
理想は現状不足しているネットワーク周りやサーバー周りの知識をつける事だったが、現実はそう甘くはなかった。
後期唯一のプログラミングの授業は教授に「ここまで出来るなら来ても時間の無駄だから出席しなくても単位あげるよ」と言われてしまった。
2つほどある情報学の授業はどちらも齢一桁の頃には知っていたようなコンピュータの基礎の話だった。
残りの単位はどこで使うかわからない物理や、人工知能でも作るなら役に立つであろう数学の必修で埋め尽くされている。
「大学一年はそんなもの。3,4年になればもっと面白い勉強をできる。」と皆口を揃えて言う。
「論文」というフォーマットに落とし込む為の勉強は必要だが、実際の物自体は今でも作れるなと思ってしまった。
シラバスからネットワーク周りの講義を探したが、3年の前期に週2コマ。後期に週6コマの授業があるだけだった。弊学は1コマ60分なので実際の講義時間はそれぞれ120分と360分だ。それ以外は突拍子もなく人工知能の講義が少しあって、あとはもう完全に会得しているプログラミング実習と十年前には知っているコンピュータの話と物理と数学と何故か電子回路の授業がある。これで全てだ。
大学選びを完全に失敗した。嫌いな母親から離れたい一心で、実家を出たい一心で関東で情報を学べる大学を選んだが、正直勉強の内容はサイバー大学だかの方がよほど有意義に思える。大学のWebサイトではもっと高度な事が出来るように書かれていたが、そんな事は無かった。考えてみれば大学入学時点でIT企業でインターンをしている程度に出来る人間なんてそうそう居ないか。
マジでこれだがそもそもブクマカはなぜ増田で書かんのか?なんだよな
別にはてブでやっているみたいに100文字書いて去ればいいじゃないか
こういうコンテンツのただノリみたいなのどう考えてもまともなユーザー残らないぞ
ブクマカにアーリーアダプターがまだいた時代からブクマ集めているのはろくでもない
10年間のブックマーク数ランキングトップ100(はてブサービス開始2005〜2015)
https://hatenanews.com/articles/201507/23596 ↓ちな中身
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3位 niconico(ニコニコ) 8470 usersがブックマーク
4位 急がばまわれ式・堅実で一番効率的な英語の勉強法 8899 usersがブックマーク
5位 20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ | The Wisdom of Crowds - JP 7739 usersがブックマーク
6位 はてなブックマーク
7位 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録
ちなみに増田がサービス開始した翌年(2007年)のはてブのホットエントリー
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20071103
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20101103
なんだかよくわからない基準でよくわからない名前の賞を授与されていた。
渡す側が一番楽しそうだ。気持ち良さそうなオナニーだ、よかったな楽しくて。
私は誰かに『選ばれる側』に回るのが嫌いだ。ひいては『誰かを選ぶイベント』も大嫌いだ。
理由は当然「いつも自分は選ばれなかったから」だ。つまり私怨だ。
就活では何十社も受けて何十社も落ちた。最も景気が良いと言われていた時期にだ。
実のところ、誰かに「自分を」選ばれるような仕組みでなければ得意だという自負もある。
成果物を作ることには自信がある。卒論はゼミで一番よくできていると言われたし、数千人に一人レベルのコンテストで受賞したこともある。
だから厳密には「人間を審査して選ぶというイベントが嫌い」なのだろう。単に自分が苦手なことを嫌っているだけ。
だが、実際それが嫌いな人は少なくないのではないだろうか。
なぜなら「選ばれる側」は常に少数なのだから。大多数は「自分が選ばれないとわかっていて選ばれない」という結果を突き付けられるだけだからだ。
『就活が好き』だなんて変人は、就活でいくらでも望む内定を取れた上澄み1%未満だけだろう。
成果物系の選考も嫌いな人だっているはずだ。むしろそちらにも共感する。当然、無様に落ちた経験だって何度もあるからだ。
「人が人を選ぶ」という行為は傲慢で、おこがましい。それがシステム上必要だとわかっていてもだ。
それならまだしも、「人が人を裁く」という行為の方が理解できる。罪に対する罰。それは、そうあるべきだ。自分が対象となるとしても、納得できる。
だが……「人に選ばれる(選ばれない)」という行為は、罪も犯していないのに罰を受けるような気分になる。
なぜ選ばれなければならない? ふざけるな。
まぁ、それが嫌なら「選ばれない」立場になるために起業でもしろという回答にはなるのだろう。それは正論だし、自分でもそう思いはする。
ただ、今ここで書きたいのは正論でもなければ対策でもない。『選ばれる側』という状況がとにかく嫌いだと叫びたいだけだ。
その点において、数値式のテストは好きだ。
機械的な基準が明瞭で、それに従えば絶対に受かるか落ちるかに二分される。正当で迷いがなく、疑う余地もないし、何をすれば結果がどうなるかもすぐにわかる。
人間などという曖昧なものに意図的に選別をされるぐらいなら、数字によって結果が出る方が遥かにマシだ。
自分より能力が高かろうが、低かろうが、同じくらいだろうが、人間なんてものは曖昧で適当だ。
認識は不完全で、やり方は千差万別で、条件と与える情報次第でいくらでも結果が覆ることをよく知っている。別に、それはいい。人間の長所も短所も、それ自体はいい。
だがそれに選ばれたくはない。審査機構として、人間はあまりに不十分すぎる。
選ばれる側に回るのが嫌いだ。
ただそれだけの話。
当事者漫画に関するエントリで、理解ある彼くんを得るまでの流れが知りたいと書いてあったので、理解のある夫くんエピも含めて半生を振り返る。
ADHD診断済だがASDの性質もあるので恐らく両方併発している。
特に言語や知能の遅れはなかったが低学年の時遊びに行ったお家で、勝手に引き出しを開けたりして後からその子の親からうちの親に苦言を呈された。
小2→もう少し時と場も考えていこうね
小5→集中して人の話を聞けるようになろう
と書かれているので、騒がしい落ち着きのない子供だったようだ。
空気の読めない発言で、朝一緒に行っていた友達からはぶられる。
空気の読めない発言で、クラスの同じグループの子からはぶられる。
一瞬不登校になりかけるが、家が厳しく、頑張って登校するも昼休みはトイレで2chをして過ごす。
車を追い抜こうとしたら自転車のハンドルがドアミラーとぶつかり弁償沙汰になるかと思いひやひやするが、ディーラーの無償修理のおかげで何とか助かる。
就活で業界を絞り込みすぎて大苦戦、かつ面接が苦手すぎて100社くらいお祈りされる。
また、就活と同時に卒論の研究と運転免許の取得を進めるのが辛すぎて不眠になる。
免許は謎のこだわりでMTで取ったが、修了検定で後ろ見るの忘れて3分で失格になり教習所でがち泣きする。
4回生の時、バイト先のフリーターに告白して付き合う。付き合うまでに手作りのお菓子あげたり2人で水族館行ったりしたのだが、告白すると「気があると思わなかった」とびっくりされる。
新卒の会社で、ミスを連発したりお世辞が言えなくて、先輩(妙齢社歴の長い女性)に
「親の顔が見てみたい」
「〇〇大出ててこんなことも出来ないの?!」
ジーンズの後ろポケットに入れていた携帯を無くしてしまい、フリーターの彼氏との翌週の旅行をキャンセルする。
お互い実家暮らしだったので中間地点でデートするが、家を出るまでの時間が逆算できず、頻繁にデートに遅刻する。
酒が好きなのでデートは大体ラブホ行ってダイニングバーで飲む流れ。
先輩(妙齢社歴の長い女性)から内線がかかってくるたび手が震えるようになり1度目の転職。
2社目では、偉い人に言われた指示をうっかり忘れたり、電話対応でクレーマーにうまく対応できなかったりした。
同居を始めるが、夕飯を作るのが手際が悪く自分にとってストレスになる。
また、2LDKの一部屋が片付けられず物置になったり、畳の部屋の掃除を怠って、部屋の端が埃まみれになったりする。
ようやくこの辺りで自分の異常性に気づきADHDの診断を受ける。
現在に至る。
理解のある夫いわく、
・極度の偏食
・昇進意欲が全くない
あたりを増田が気に留めていなかったことから、増田のやらかしも「お互い様」と思って容認できていたそう。
今も、掃除が大の苦手で特にトイレ掃除などはnヶ月に1回しかやらないが、夫はそもそも不潔なものに触ることができない性質で、生まれてから一度もトイレ掃除したことがなく、代わりに増田がやるだけで恩の字らしい。
その他、仕事で疲弊すると夕食を作れないなどの症状も、一緒にスーパー行ってお惣菜や冷凍食品を買おうと言ってくれ助かっている。
こんな感じかな。
増田が発達障害で困ったのは主に就活や仕事においてで、恋愛ではそんなに(?)困らなかった。
【追記】
みんなが言ってるのはここの部分をしっかり書けってことなんやで・・・
こいつが後の夫であるってことでええんよな?
ごめん、なんかずれてたね……。
しっかりって言っても何を書くべきか迷うけれど……
付き合う前にしたアプローチは
・ミイラ展に誘う
・水族館に誘う
くらいかなぁ。
でも特に脈ありっぽい感じはなかったので意を決して告白したよ!
付き合っている間は、増田の下宿に彼氏が泊まりにきて(下手だけど)手料理振る舞ったり、名古屋旅行行ったり台湾旅行行ったり。
社会人になってからはLINEのやり取りがメインでデートは基本飲みに行く感じ。
そういえば恋愛で困ったこと無いって書いたけど、大学3回生くらいまでは穴モテ?で無警戒に男の人を家にあげて襲われたりとか家にあがって襲われたりとかはした!ちゃんと拒否したけど。
こっちに全く気がなくても向こうはヤる気のときを見極めねばならないことを学んだ。
インフレ対策としても消費税を上げるというのは需要の抑制につながるので、効果があるかもしれない。
インフレ時は、ばら撒きよりも緊縮だな。経済や株式は崩壊するかもしれないが、そんなものはどうでもいいし。
こういうアイデアをシミュレーションで実験できると楽しそう。今度生まれ変わって東大とかに合格できたら、増田のアイデアを卒論にしてみるよ。
ちなみに増田がサービス開始した翌年(2007年)のはてブのホットエントリー
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20070412
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20100412
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20170412
10年間のブックマーク数ランキングトップ100(はてブサービス開始2005〜2015)
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7位 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録
https://anond.hatelabo.jp/20210703145653 を書いた者です。
去年苦しんでいたB3の実験は単位が出なかったけれど進級はできて、B4になった今年の前期に再履修して単位は確保できました。
ほっと胸をなでおろしたのも束の間、今度は卒研に苦しんでいます。
4年になって卒業も見えてきたし、「卒論は参加賞」と聞いたこともあって油断していたけれど、そんな甘いもんじゃなかった。
指導教員にテーマを与えられて、関連論文を読んだりプログラムを作ったりして、はじめのうちは敷かれたレールの上を走っていくような感じだった。
それでも少しずつ苦しくなって、現在は一人暮らしの部屋に引きこもっている。
研究室には行けてないしオンラインのミーティングも怖くて出席できていない。
何が苦しいのか、と考えると答えるのは難しいけれど、がんばって言語化してみたいと思う。
しいていうならタスク割りが苦手なのかもしれない。
短期的な目標から今やるべきことを逆算して、少しずつ進捗を生んだり壁にぶち当たったりして…というのが極端に苦手。
今手を付けてるのはこれで、これがうまくいかないからじゃあこっちをやればいいのか、みたいなことができない。
こんな簡単なことで躓いているのに聞いたら馬鹿にされないだろうか、というようないらぬ心配をしてしまう。
指導教員や研究室の先輩も悪い人ではなさそうだし、内心馬鹿にしていても表に出すようなことはしないはず。
そうわかっているつもりでも質問のメールを送るのをためらってしまう。
結局私のプライドが高すぎて実力に見合っていないだけということだろう。
育ちがよくてお勉強ができて自己肯定感が高く冗談でも他人の悪口を言わないようないい人ばかりなんだけど、私のような片田舎から出てきた人間にとっては「いい人」すぎてなんだか心苦しい。
高学歴の世界に来てしまったんだなあ、と同時に私は相容れない世界なのかもしれないなあ、という気持ちが頭から離れない。
研究の進捗を生めていないことに対してはもちろん、現実から逃げてしまったという事実にも絶望している。
苦しい。
入学直後に授業に出れなくなった時の気持ちはこんな感じだった気がする。
あれから立ち直って「もうこんな目には合わないだろう」と高を括るっていたけど、そんなことはなかった。
なんとか卒業したい、と直近の2,3年は思っていたけれどもうダメかもしれない。
そう考えてしまうくらいには追い詰められている。
今置かれている状況は研究室の人には迷惑ばっかりかけてるし、私も私の周りの人も誰もが嫌な思いをしていてよくないとは思っている。
思っているけど逃げて自分を守ることで精いっぱいだ。
本当に苦しい。
そして迷惑ばっかりでごめんなさい。
なんとかこの宙ぶらりんな状況を脱したい。
卒研をするならするとか、しないで中退するとか、休学や留年を挟んでいったん落ち着くとか、策はいろいろ浮かんできた。
早いうちに相談するなりして身の振り方を決めたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb93d1a82d7bf4b2e2dfdfe97e4df2147f736f10
飛び級で大学生になった物理のスーパー天才学生が、今は物理も何も関係ないトレーラー運転手になっているというお話。
大学時代はバイトは授業の補助でコンビニや居酒屋で一切働いたことはなく、サークルもゆるーいお遊びだけ。
よっぽど電車が大遅延しない限りは授業に毎回出て、ほぼほぼ90点オーバーを叩き出し、大学から表彰もされるぐらいには勉強に打ち込んだ。(肝心の卒論は個人的には中度半端なものだったが…)
そういう生活を送っていた自分にとっては「大学の勉強なんて役に立たないよねぇwww」と言われているようでしんどい。
JTCのおエラい社会人様からの「大学の勉強を頑張るより、社会経験ッ(^^)レッツ飲みにケーション!タバコミュニケーション!」と言われているようにも感じた。
でも、そもそも、「研究に投資できる程なぁ!日本は裕福じゃねぇんだよ!!」というようなメッセージも感じてしまった。
確かに、大多数の人間にとって、大学の勉強を使って、って人はほとんどいない。自分はSEだったので使っているといえば使っているが。
接点Tで有名な予備校講師・荻野先生も「数学は役に立たない。俺が言うんだから間違いない。」ときっぱり言い切っている。
「設計では微積や物理の考え方を使っているが、俺の友達で新宿のビルを設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」
これすごい衝撃だったなぁ…いやそらそういう人もいるよと言われればそうだけどさ。
「あなたが数学をあきらめることによって就職できなくなるこれだけの業種!!」みたいな表がバズったけど、それもぶった切ってるもんなぁ。内容理解してないでソフトにぶち込んでるだけだってよ。
大学の統計の授業で平均、分散、標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelにデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。
荻野先生、「これからは国語の成績が書いてある通知表の左ではなく、あなたの人間性について書かれた通知表の右が重要になる。勉強ではなく仕事という種目で勝負することになる」とも言ってたな。
https://jinjibu.jp/keyword/detl/713/
このG型大学、L型大学の話もきつかったなぁ。実学主義すぎて嫌だった。教授もツイッターで苦言言ってた。
でもさぁ、記事に書いてあるマイケルポーターやら、文学史の研究やらでみんなのおなかすぐ膨れるかというと…膨れないでしょ。
現実として、やっぱ無理でしょ。
やっぱいま日本は目先のお金を稼がないといけない状況なんだろうな。極端に言えば、明日食べる食料がない状況なのかもしれない。そんな中、いつ花咲くかわからないことしてもってなるよな。
「そんな状況だとぉ!?家の家具全部金箔で金ピカにしてるようなバカ金持ちから金ぶんどれよぉ!!国会議員の給料減らして研究費にあてりゃいいだろぉ!!」つまり所得再分配的な考え方になるんだけど、はたして、自分はお金をもらう立場なのか…?待遇が悪いとされている研究者、お金をもらう立場なのか…?実は払う側なんじゃないのか…?というか、もらってもせいぜい数万円…?ってなるのが怖いんよね。
まぁ、向いてなかったんだと思う。
僕の入っていた研究室は、研究室内で二つのグループがあった。研究室全体としては画像処理がメインだったんだけど、2次元画像解析をメインとするグループと3次元解析をメインにするグループに分かれてた。
それぞれのグループには教授がついていて、一つの研究室に二人の教授がいるっていう珍しい形式だった。
僕は三次元解析グループに属し、光学系を組んでそこから色々するって感じなことをやってた。
研究室内では年に2回、進捗報告会を行なっていた。
当時学部4年生だった僕は、卒論のこともあるので、ある程度研究報告できるくらいには結果を出していたし、それなりの考察ができていると思っていた。
報告会がスタートした。
途中噛んだ部分はあったものの、ほぼ30分時間通りに発表が終了した。次は質疑応答である。
僕「今回提案した実験系ではまだ可能ではありません。ですが、実験系の改良や、新たなアプローチによる計算手法が生まれたら可能になると考えます。」
助教授は納得行っていなかった。
助「もし、観測できる実験系と、新しいアプローチがあったとしたら、〇〇の観測は可能ですか?」
僕「それが用意されているのであれば、可能だと考えています。」
発表会場がざわつく音が聞こえた。
僕の受け答えが可笑しいのだろうか。周りの人は質問の意図が理解できているのか不安だった。
教「出来るわけないやろ。〇〇なんて小さすぎるでしょ。そんな小さいもの、どんな実験系用意したって出来ないやろ。 そんなことも分からないんか。 もうこんな恥ずかしい発表と問答はやめてくれ。」
発表会場は一気にシーンとなった。
僕は「すみませんでした」と声を絞り出した。
正直、泣きそうだった。
そのあと質問はなく、席についた。
同じグループの指導教員からも、直上の先輩からも、誰からのフォローもなく、アドバイスもなく、気づいたら発表会場には僕しか残っていなかった。
そうか、恥ずかしい発表だったんだな、聞くに耐えなかったんだろうな。
僕はつくづく、研究に向いてないんだなぁと感じた。