はてなキーワード: 分散とは
再エネみたいな安定しない低品質の発電は、今回のような場合は邪魔でしかない。
まがりなりにも北海道でも再エネが増えていたのは苫東みたいな火力が必死でその不安定さを補うようバックアップしていてくれたから。
むしろ、泊のすぐ近くで地震が起きて、泊が止まったら似たようなことにならないかということが気になる。
巨大な発電所一箇所で全体の受給を賄ってかたら、そこが突然止まったらどうなるかという話にも見える。
正直全体がつかめてないが、例えば少し前はもう少し拠点ごとに分散させていたが、低コスト化のために、一箇所でかいの設置して全体をまとめて発電するようにした。
というのなら、
一箇所でかいのに集約することが問題な気がするし、そうすると、仮に泊が動いてたとして、泊に集約させて、泊のすぐ近くで地震が起きたら同じことになってた気がする。
コストは巨大で効率的なものにまとめて発電させたほうがコストが下がるからな。
一箇所に頼りきりだったのが問題な気がする。
ん?どう考えても水蒸気でタービンを回さないような分散型の再エネは安定した供給が不可能で、周波数を合わせるのに高い損失を支払う必要があるんだけれど、その辺をまったく考えてないのかな?
つまり、再エネをメインへ据えるには現在の原発以上の供給力が必要で、当然ながら周波数変動しまくるので送電網は現在より強固になる必要がある。
まぁ誰にでも分かりやすいように言えば「分散型の再エネは水蒸気でタービンを回す方式よりも停電しやすい」んだよな。
その辺を考えて再エネのこと考えないと馬鹿らしくて仕方ない。
このだだっ広い北海道でなんでこんな事が起きるんだ。発電所なんていくらでも分散できる。大きな街だってそれなりに分散してる。
社会基盤を担う企業としてのBCPはどうなってるんだ。問題は結果よりもこのそもそもの背景だよ。
もしこれが災害リスクへの対策検討不足だったら老害経営層はすぐクビにすべきだ。クソみたいに心配症気取ってないで、新規の発電所のために退職金を返納して少しでも還元してほしい。
検討した結果、コストとか様々な理由でリスクを飲んでいたのだとしたら飲んだリスクの対価は払う必要があって、辞職するんだよね?誰がリスク取ることを認めたの?誰が被害受けるの?誰がお金払うの?
北電は、苫東厚真発電所(165万キロワット)だけに頼り過ぎていたわけでしょ。
今の電力網が分散化に向いていない。数年でできるレベルじゃない。
なので、長期的に分散化に向けて動く必要があるわけ。これはもう巨大な火力や原発のプラントを前提とした構造になっているので、短期ではどうにもならない
いまもし法律が許す範囲ですぐに原発が動かせるなら、災害の混乱をさけるために動かしてもいいと思う。次の定期点検くらいまでね。
その後、北電ないし日本全土のエネルギー戦略をどうするのか、という視点では、原発は結局脆弱すぎるものだし、災害が多すぎる日本にはやっぱり分散化が向いてるので、政府はそういう方向でエネルギー戦略を考えてもらいたいな、という意図
まず、北海道電力の泊原発は207万kWのPWRが1基。一番でかい火力の苫東厚真発電所が165万kW。今回は苫東厚真発電所が大ダメージを受けた。
んで、泊原発は震度2が感知されている。もちろんこの程度で緊急停止はしないが
「外部電源喪失」をしているということは、つまり発電していても送電ができないので全く意味がない。
(泊の立地。端っこにあり一応大きな送電網は2系統繋がってはいる) https://web.archive.org/web/20180816083741/http://www.hepco.co.jp/corporate/company/img/map_zoom.gif
泊原発は苫東厚真発電所よりもはるかに出力がでかいので、これが寸断されると電源周波数は当然一気にイカレる。
そもそも、でかい出力のプラントを少数組んで電力網を構築するモノリシックな構成だと今回の災害の時にどうしてもSPoFになって被害がでかくなってしまう。
発電量が少量でも、プラントと送電網を地理的に分散すれば何の問題も起きなかった。
風力や太陽光は地震には弱そうだが、なにせコストが下がり続けているので、地理的な分散が容易だ。
再エネで分散化するには出力の平滑化が課題なので、これからの時代、災害に強いエネルギー戦略としては再エネ(風力、太陽光、地熱、潮力)+蓄電(フライホイールやリチウムイオン電池)+揚水などが適するだろう。燃料電池としてはMCFC、SOFCが良い。過渡期のつなぎとしては、火力の助けを借りることになるだろう。
まだ技術は成熟していないが、原発、もんじゅにかけてきたコストをこちらに投入しておけばなにか知見が得られていたかもしれない。廃炉にかけるコストも何の"生産性"もなく無意味な技術だ。
というわけで、原発がたとえ稼働していたとしても、巨大だが少数しか作れないプラントは災害に弱すぎる。今回の地震で、それが改めて浮き彫りになったといえる。
さすがにはちまの900ブクマ越えはびっくりしたよね。一気に目が覚めたよ。
はてな民というのはなんだかんだ言って最低でも旧帝一工神筑早慶上智ICU国立医学部くらいの感じの集団だと思っていたんですよ。バカだバカだと言っても、低脳先生のように最低でも九州大学あたりを卒業しているような。
でもスマホの普及があり、すべての伏線となるサードブロガー(?)の発生、そして互助会アフィブロガー流入と席巻と撤退、この辺りでもはやまともな人はほとんど出て行ったような気がしていました。
しかし、ここにきてはてなダイアリー終了宣言。完全に完璧にひとつの時代が終わったということなんですよ。小難しい長文を読める人間がいなくなってしまった、あるいは小難しい長文の需要がなくなった(とはてなが見なした)ということです。はてなにおいても中途半端な自称理系ばかり増えて人文知というものが必要とされなくなりましたが、これは日本全体の雰囲気に連動しているようにも見えます。
人文知や教養を必要としなくなった中途半端な自称理系の選択したものがラノベ的なるものです。なぜ中途半端な自称理系がラノベに惹かれるかというと、構造がわかりやすく分析しやすいからです。そこには構造と論理しかないです。そして、こうしたラノベ的なるものというのは何もラノベだけではありません。
代表されるのがはちまや痛いニュースなどの有害まとめサイトです。対立煽りというのはラノベ的な感性にヒットします。わかりやすいからです。実際、ラノベオタクたちはラノベ天狗による悪質なtogetterまとめをブクマし続け(なんならラノベ天狗を称賛し)ています。アイロニカルな視線でそのまとめを見るのではなく、ラノベ天狗に同調して「そうだそうだ」といった感じなのもとても嘆かわしいです。物事を矮小化して型にはめてレッテルを張る、あるいは文脈から切り離して誇張してみせる、そういったわかりやすいエンタメが世間には溢れていますが、まさにはてなもそういったエンタメに支配されているように見えます。
この前、増田で話題になったB'z稲葉の話も似たような部分があります。わかりやすいちょっといい話に仕立ててあるわけです。そういうものに多くの人が釣られています。ベストセラーになる小説なども同じようなものでしょう。感情を煽って、雑にレッテルを張る、そしてそれがレッテルを貼っただけのハリボテだということをなるべく認識させないようにする、そのような本で溢れています。なぜなら需要があるからです。わかりやすいものしかわからない人たちがたくさんいるからです。インテリはてな民の皆様にはそんなものに心動かされないで冷静に観察していただきたかったです。しかしもうそんなことができる人間ははてなにもほとんど残っていないわけです。
痛いニュースやラノベ天狗のまとめというのは、「ここにひどいやつらがいるぞ! みんなで叩け!」というものです。これはとてもわかりやすいです。みんなで叩けばひとりひとりの責任もそれだけ分散されますので、より気軽に叩きに参加できるようになります。絶対安全地帯でノーリスクで一方的に攻撃、リンチして、「俺たちは賢い」「俺たちは正義である」とそんな幼稚な感情、全能感ばかりが肥大していきます。彼らは挫折感や屈辱を味わうことはありません。なぜなら彼らは自分にとってわかりやすいものにしか飛びつかないからです。それが頭の悪い人向けに編集された偏向まとめサイトやtogetterであり、ラノベ的なるエンタメ商品なのです。
そして今朝のできごと。
はちまが900ブクマ越え。このままだと1000に届いてしまうかもしれません。悪質デマサイトを多くの人が受け入れているわけです、自称インテリたちが集うはてなでも。
ラノベ、ビジネス書、スゴ本、こういったわかりやすいものに飛びつくのをやめて、専門書を正確に精密に読解するという訓練をするべきです。わかりやすいものに飛びついていては知力が鍛えられません。
「難解であれば高尚であり素晴らしいというのは間違いだ」というのはある程度は真実ですが、難解であることが悪いのではありません。難解なものを理解しない人は「難解なものは悪いもの」「わかりやすいものこそ素晴らしい」という思想になりがちです。しかし難解にしか語り得ない領域というのがあるのです。それは「意味」というより「文体」によって享受できる詩的な体験ともいうべきものです。そしてその領域に触れ、体験したことがあるかないかというのが知的であるかどうかのひとつの分かれ目なのです。
難解であることをほめ讃えよと言いたいのではありません。難解なものによって自分の知力を鍛え、見る目を養おうと言いたいのです。わかりやすいものに飛びついて、わかりやすい構造を理解し、わかりやすい意味を理解し、理解という快楽によって全能感が肥大していく、そんなことはもうやめようと言いたいのです。
はてなは今危機を迎えています。はちまが900ブクマを超えてしまったことの意味をそれぞれが考えてみるべきではないでしょうか。
タップルで釣ったやつらを同じ時間に同じ場所に呼び出した
1枚目、2枚目が出会い厨なんだけど1箇所に集めたかったのに離れたとこから確認してやろうとかそんな奴らが多くて分散してしまってあまり多く見えない
普段の同時刻は3枚目 pic.twitter.com/doeuqKmbrT— ひな (@Hi7CV2) 2018年8月31日
いまや日本の若者の大半がネットに接続してSNSのアカウントを持っている時代。つまり、SNSをしている若者が必ずあなたの近くにはあるわけだ。だから犯罪のツールにネットがあるというのは、その意味では当然だ。
もちろんそれが非行と直接関係しているわけではない。全国に張り巡らされたインターネット網とIT、それに伴う社会の膨大化によって、今までの日本の地域社会の流動化と不安定化が進み、非行を誘発しているのだ。かつ若者の高知能・所得のばらつき・欧米化により、市民が日常的に目の届かない地域で非行が拡大し、それにより初動が遅れる。
おそらく、暴走族の活動範囲も、昔であれば地方の幹線道路沿いに限られていたのが、都会のインナーシティや住宅街などにまで分散しているはずである。田舎だけを見回ればすむ時代ではなくなった。しかも暴走族そのもののゲリラ化が進んでいるために警察の対処がますます困難になる。こうした理由から、近年都市部を中心に暴走族が異常発生しているのであろう。
さらに、IT技術の高度化により、物的証拠などによる捜査が困難になっているという。特殊詐欺なんて昔から多いじゃないかと思うかも知れないが、インターネットを用いた詐欺事件の続発という状況は、この5年ほどに起きた現象だ。2017年に社会問題になったランサムウィルスも、手口が巧妙で何の手がかりにもならない。日本中の人間が、アメリカやヨーロッパなどと同じ環境に生きるようになったので、事件の手口がつかみにくくなったのである。
かつ、日本社会のテクノロジー化は、日本国内のコミュニケーションとコミュニティを消滅させた、あるいは衰弱させた。振込みでも銀行のATMを使わなくなるようになり、スマホやワンタイムパスワードの機械が重要になった。書店の仕事量は減り、定額で本読み放題という価値観が広がった。そうなると、メディアのビジネスも益々やりにくくなる。まして読書やメディアチェックすらパソコンやスマホで済ませる人がほとんどすべてになれば、新聞やテレビの収益も減る。休日の移動で満員電車を使わなくなれば、鉄道会社の収益が減る。都会の税収が減って益々不景気になるのだ。
YouTubeで立て続けに犯罪が多発したというのは、どういうことなのか?犯人の顔を知っている人が隣近所にもいなかったのか?まったく不思議だ。コミュニティが衰弱しているのは地方だけの問題ではなく日本全体の問題であると考えなければ理解できないであろう。
こうした日本全土の極端なファスト社会化の大きなメルクマールがアマゾンだ。ネット化が進めばアマゾンが台頭するし、アマゾンが便利になればますます個人化が進む。テクノロジー化による個人化が進んで、コミュニティが崩壊し、流動化した地域社会は犯罪を抑制する機能が低下している。あらぬところから道路や鉄道に乗って、どんな犯罪者が来るかも知れない。犯罪者も腹が減るから、たまには仮想通貨支払いで食事をするであろう。しかし周りに知る人はいない。そして駐車場で、たくさんあるアカウント情報のなかから気に入ったアカウントを盗めばよい。
最近のネットやテレビのニュースを見るとゲリラ化したヤンキーによる事件が毎日のように発生している。後から出てきたニュースもどれの関連ニュースなのかわからない。業務妨害事件といってもどの事件なのか、毎日のように起きているから分からない。しかもほとんどの事件が貧困層やマイルドヤンキーがうようよいるような地方ではなく、景気のいい大都市部で起きている。
ゲリラ暴走族が発生した道路を見ても、都心かと思えるような立派な地区も多い。だから地域的には申し分ない所なのに何故醜悪な事件が多発するのだろう。特に暴走族事案が目立つのは何故だろう。子供が荒廃しているとか家庭が荒廃しているとかは前から言われていたことだが、それ以外にも国民のコミュニティーが崩壊していることも原因の一つだろう。
もちろんネット社会が悪いわけではない。経済の合理化や近代化は時代の流れで避けて通る事が出来ない。ネットが便利なところは活性化するしネットそのものが雇用も創出する。外出せずに食品から生活用品まで全て買い揃える事が出来る。自宅から車で買いものに出かけて大量に物を買って車に積んで帰ってくるような生活が車無しでできる。まったくアメリカの田舎のような生活が日本社会に定着した。
私の若いころには便利なネット環境や高度なネット文化はない。用事のときは必ず外出していた。ところが現在ではネットが一人一台の時代が来て、買いものはネットショップで買いものするのが普通になっている。貧乏人がクレジットカードを持っていないのは過去の話だ。クレジットカードの審査はより甘くなり、手数料の無料かも進んでいる。
その結果、東京の都心で小銭やお札をお店で目にする機会は少なくなった。持っているのは地方からの観光客か未成年者ぐらいだ。だから日本でも現金を持ち歩く事がなく生活できる。もちろん地方都市は今でも現金が手放せないが、大都市部のチェーン店や富裕層が訪れる地域ではカードの普及が進んでいる。
このようにテクノロジー化した社会ではたとえば事件が起きても犯人の捜査もままならず、犯人もあらゆる手口を使って広範囲に移動するから警察も適応できない。今までは免許を持たずに生活していた階層が免許を取るようになった。オートバイを乗り回す高校生は現実になり、それに対する不満も生まれない。近所づきあいも薄くなったから事件の芽があっても近所も気がつかない。
このような環境が学生たちにも悪い影響を与えて、学生の非行の増加にもつながっているのだろう。戦後のアメリカで起きた青少年犯罪の多発が日本でも起きているのだ。一見歴史ある町並みの地域で青少年犯罪が発生するのはなぜか。そのような環境では家庭も個人も孤立してしまうからだろう。
小説や漫画やテレビドラマのような社会が現実に出現している。SNSを用いたゲリラ暴走族もアメリカ型少年犯罪の象徴だ。日本もテクノロジー社会がやってきたからそのようなライフスタイルが実現した。つまり日本も欧米のような犯罪多発社会になってもしかたがないのだろうか。チーマーやマフィアや極○も衰退し大人が子供を狙う犯罪も激減した。多くの人が未知の人間と寄せ合って生活している。日本にあったコミュニティーは崩壊した。
日本では欧米のような社会が理想であると教え込まれてきた。だからこそ誰もがネットに接続しそれで買いものや昔ではATMでしていたことをする。しかしその理想が実現したとたん青少年の非行化と犯罪が昔のように多発するようになった。凶悪な詐欺事件も増えた。日本はこれでいいのだろうか。コミュニティーを再建するにも社会そのものの流動化で無理だろう。
わかんないよ。わっかんないよ!
ブロックチェーンのことは一つもわかんないよ!ブロックチェーンは何がいいのかわかんないよ!
わかんない!私にはわかんないの!
Proof-of-Workって何がカッコイイの?計算なんていやだよ!無駄なだけだよ!これのどこがカッコイイの?
Proof-of-Stakeもどこがいいのかわかんない!
ASIC耐性って何なの?ASIC耐性があると何がいいの!?マイニングがカッコイイの?
そもそもマイニングって何!?51%攻撃がない?だから何なの!?
トラストレスって何?信用がなければいいの!?信用が不要と必要だと何で不要がいいの!?
何で信用がない方がいいの?信用がないからダメなんじゃないの!?
非中央集権だと何でカッコイイの?自分の力で制御できる感じが堪らないって、何それただのわがままな人じゃん!
ICOで調達してると何が凄いの?そんなのただのスキャムだよ!
隠したりしないでオープンソースで全力で開発する人の方がカッコいいよ!
どうしてユーティリティトークンとかセキュリティトークンとか色々つくるの?
いっぱいトークンがあったってわかりにくいだけじゃん!
SHA-256って書いてシャーニゴロって読まないでよ!
BFTって書いてビザンチン・フォールト・トレランス性って言わないでよ!
楕円曲線暗号とかシャミアの秘密分散法とかSchnorr署名とか、ちょっと調べたくらいでそういう話ししないでよ!
教えるならちゃんと教えてよ!ホワイトペーパーに出てくる暗号の説明されても楽しくないよ…!
PlasmaもRaidenもShardingもSidechainも意味不明だよ!
なんでEthereumがスケーリングするのかぜんっぜんわかんない!
他の用語も謎なんだよ!
AtomicSwapとかSolidityとかViperとかCasperとかTwo-way Pegとか・・名前が良いだろってどういうこと?雰囲気で感じろとか言われても無理だよ!
インセンティブ設計とかコンセンサスアルゴリズムとか、ちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ!
知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ!自分の言葉で語ってよ!
お願いだから私が分かること話してよ。ブロックチェーンって何なの?ブロックチェーンってどういうことなの?
わかんないわかんないわかんないわかんない!わかんなーい!
https://mainichi.jp/articles/20180816/k00/00m/040/170000c
のブコメを読むと、総踊り中止の理由が分かってない人が割といた。記事中には
と経緯が書かれているのだが、どうやら全体像が分かってないと意味が取れないっぽい。
そこで収益改善策として市長(じゃないかもしれなけど)が言い出したのが、
『集客力がある(はずの)有名連を4つの有料演舞場に分散すればまんべんなくチケットが売れる(はず)』
というアイデア。このアイデアに妥当性があったかは拙者、阿波踊りには疎いのでさっぱり分からぬでござる。
ので、対立は終息して来年以降の開催の方向で妥協するんじゃないでしょうか。
http://www.topics.or.jp/articles/-/87040