はてなキーワード: 一枚岩とは
いま話題になっているニュースの一つに「3600年前に滅んだ町の遺跡が、聖書に書かれているソドムとゴモラのモデルになったのではないか」というものがある。
これの真偽はさておき、聖書と考古学を結びつけて、考古学的に聖書の内容を考えようという学問に「聖書考古学」というものがある。
聖書考古学のテーマとして、ノアの方舟やエデンの園、バベルの塔の実在性などが挙げられる。
日本ではこの聖書考古学に関する情報は驚くほど少なく、マイナーだ。
というのも、日本において聖書考古学を研究している大学はとても少ない。本格的に研究しているのは一部のキリスト教系大学だけなのだ。
日本人として聖書考古学(とその問題点)を直感的に理解するのはとてもむずかしい。なぜならばキリスト教系の価値観の土台と歴史があって、やっと感覚的に理解できることだからだ。
さて、例えばアダムとイブの起源やノアの方舟の実在性などと言った話題は、われわれ日本人からすればなんだかすごくワクワクするものだ。
本当かどうかはわからないが、大昔に似たようなことがあって聖書に書かれて……という経緯があったならわかりやすいし、ファンタジーが現実と繋がった感覚がしてとても感じが良い。
しかし、アメリカやヨーロッパといったキリスト教が深く根付いた(そして克服してきた)国家からすれば、聖書と現実が地続きであるというぼんやりとした感覚は、日本より実際的な問題となっている。
というのも、あちらでは数百年前までは「聖書は単なる神話であり、現実ではない」という主張をするだけで異端と認定され、ガチで殺されたり、社会的に抹殺されることが普通にあり得たからだ。
今日では、流石に聖書がまるまる真実だと信じている層は少なくなってきてはいるが、その余波は残っている。
例えば聖書では、神は自分の姿に似せて人間を作ったとされている。それなので、人間が徐々に進化して今の形となったという進化論は、今でもあちらでは反発が強い。
ということで、宗教と科学の分離というものは、日本ではあまり逼迫的な問題ではないが、あちらではより実際的な問題なのだ。実際にキリスト教が科学を圧迫してきた時代があることは、言うまでもない。
聖書考古学はその性質上、研究に従事する研究者のほとんどはキリスト教徒となっている。
そこで思うのは、「聖書考古学は科学的なのだろうか?」という疑問だ。聖書は歴史的に正しい事実だ、という前提で聖書を証明するために研究を行うのは科学的態度とはいえない。
実際のところ、聖書考古学はこういった懸念から、主流の考古学からは「宗教的な動機から生まれる擬似科学」としてみなされることが少なくなかった。
そこでアメリカやイスラエルを巻き込んだかなりデカいドタバタ騒動(これはメチャクチャ長くなるので書くのはやめる)があった後、やはり宗教的な前提を持ち込むのはやめて、より科学的なアプローチで取り組もう、となったのが現在の聖書考古学となる。
だがやはり、キリスト教も一枚岩ではない。より原理主義的な団体もたくさんある。そういったところが、「聖書を正しいと証明するために、科学的な態度を装って」聖書考古学を利用するというケースは今でも多々見られるのだ。
もちろん、冒頭の研究については調べていないのでよくわからないが、「聖書」と「考古学」という単語が繋がって出てきた場合、少し立ち止まって考えてみてほしい。
政策を小出しにする立憲民主党の戦略を批判する人が多いけど、自分は支持者の欲目もあるけど割と好意的なほう。つまり、最初から体系的な政策を打ち出すことで何を恐れているのかというと、以下のことだろう。
→ (1)たとえば「子育て支援」で児童手当の増額を目玉政策として打ち出す。
→ (2)ところが、政権与党も「子育て支援」で児童手当の増額を掲げ、争点を潰しにかかる。
→ (3)慌てて争点を変えるが、当然ながら「主義主張がブレまくり」と有権者の目に映って立憲民主党は見放される。
そもそも自民党はイデオロギーが一枚岩ではなく、岸田や野田のように「反自由主義」や「ダイバーシティ」など従来の野党の政策論の近い意見を持った人間が自民党内には数多くいるので、争点を拙速に決めると容易に争点潰しにあってしまう。そうならないためには、以下のような戦略をとる必要がある。
→ (1)まず、モリカケ問題の究明など、絶対に政権与党が受け入れないであろう政策だけを最初に掲げ、様子を見る。
→ (2)次第に政権与党から、個別具体的な政策メニューが提示されるようになる。
→ (3)それを慎重に観察しながら、政権与党が最後まで拒否あるいは無視している政策が何かを見極めて、それを争点にして選挙を闘う。
ただ多くの人に伝わりにくいという難点は確かにある。あと争点として「消費減税」だけは絶対にダメだと思う。与党が厳しい歳出削減策と一体で掲げるならともかく、今の野党がそれを掲げても「政治的な実現性の低い、甘言で有権者を馬鹿にした政策」としか受け止められない。
某国産メーカーの車を使っているけれど、自分が自動車学校で習っていたころの教習者よりはピラーが減ったと思うよ。
いや、ピラーのカタチが変わったというべきだろうね。
前はでっかい一枚岩の部品だったけれど、今はピラーが小さいピラー二つになっていて、見えにくいところが減っていると思う。
ほかの増田も言う通り強度を考えたらなくせない部品なんだろうけれど、その辺はちょっとずつ進歩していると思う。
ただ、自動運転によりピラーじゃなくて運転手が消えるのが先なんじゃないかとも思う。
サポカー技術が進歩した、5年後、10年後の未来では死角からの接近はきっと人間が何とかするものではなく、車が何とかするものになってるよ。
ダメだこりゃ…岸田文雄氏が森友再調査拒否でどっちらけ 安倍前首相への忖度は否定
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8070083dd48d212e6b21e8600dc2d561606c12b
河野ー緊縮
岸田ー積極財政、ただし根が緊縮だから、消費税で叩き落とす未来が見える
高市ー積極財政、ただし根が緊縮だから、消費税で叩き落とす未来が見える。なおかつ、ネトウヨや人権無視案件多数。
まあ、消去法で岸田になるよな。経済を良くしてくれることを求めるから政策だけみたら岸田>高市>河野だ。
立憲民主も補正30兆円と積極財政に打ち出した。馬渕あたりは法人税、累進所得税を戻せと言ってるが、消費税増税を叫ぶ議員も多い。
なおかつ、公約を発表して、補正30兆円は評価できる。積極財政が求められてるから取ってつけたような感じだし、どうでも良いテーマが来ちゃってるから食いつかれてるけど、積極財政派として選挙に打って出ることは評価したい。
自民も立憲民主党も一枚岩じゃない。とにかく、次の選挙は緊縮財政派と消費税増税派を落とす選挙にしてほしいな。その次に、財政出動で何を使うか、今後の税制をどうするかの争いにしてほしい。
久しぶりにアニメが見たくなったのでオリジナルで短めのものを探し、宇宙よりも遠い場所と迷って現代舞台じゃないこちらを選択。
総評としては、ビジュアルもアニメーションもすごくいい。ただし雰囲気は良いがところどころ肌に合わないところがある残念作。続編が映画で作られてるそうだが、たぶん触れないと思う……。
19世紀末。アルビオン国は強大な軍事力である王立航空軍・通称「空中艦隊」により世界の勢力図を一変させ、アルビオンから産出される新時代の動力源であり、特定範囲を無重力化することのできる「ケイバーライト」を独占することにより、ローマ帝国の再来と謳われる覇権国家を樹立していた。
しかし、議会共和派である「アイアンサイド党」が主導する革命の結果「王国」と「共和国」に分裂し、アルビオン王国とアルビオン共和国の両勢力により東西を隔てる「ロンドンの壁」で分割され、以来10年、各国のスパイが暗躍する「影の戦争」の最前線となった首都ロンドン。その王国領域にある名門校クイーンズ・メイフェア校に通う「博物倶楽部」の5人の少女には、王国に潜伏する共和国側のスパイ組織「コントロール」に所属するスパイという裏の顔があった。
共和国とて一枚岩ではなく、政府は穏健共和派だが、軍の一部で強硬な革命推進派が策動する中、5人は各々の能力や立場を活かし、時には悩み傷つきながらもスパイとしてロンドンを駆け巡る。
Wikiより。
OPはあまり気に入る部分はなし。ひとつ挙げるとちせ殿の横顔がイイ!曲は唸るような?歌い方がそんなに合っている風には思えなかった。
ED曲は結構好きで、一聴してリンゴ日和っぽいなと思った。今調べたらアマゾンレビューでも似たようなこと書かれてて、吉良さんを思い出し少し悲しく。映像はモンハン3rdみたいな紙質感で好き。
EDのような球体を歩く感じの演出が好きなのだが脳内がヨシヒコに完全に乗っ取られていつも山田孝之がちらついてきて非常にウザい。ヨシピコ見たくなるから出てくんな。閑話休題。
特に印象はなし。梶浦由記氏?へー。まどかも劇半はマミさんのテーマ以外グッと来なかったしBGMの相性は自分と悪いやも。
スタッフもストーリーも調べずに見始めたので女の子かわいいなー程度に見ていたら2話ぐらいで黒星紅白?と思い出し3話でちせのマロ眉を眺めて確信した。
氏は好きなのでラッキーと思いつつも、氏がキャラデザ?原案か。した作品のアニメはあまり評判が良くない印象があるので一抹の不安を覚えた。
シゴフミはまあまあ好きだったよ。
キャラとは直接関係ないですが王族や上流階級設定ならドレスは毎回変えてほしかったかな。いいデザインだったのでもっと見たかったという意味で同じドレスで出たときはすこし残念。現実でどうだったかは知らんけど。
非常に良かった。キャラクターの顔見せや世界のビジュアルなどの雰囲気も良好。期待が持てる1話だった。
特に主人公が発砲したシーン。天邪鬼なので撃たないんだろうなと思いつつ撃てよ撃てよ撃てよ~と願っているので撃ったときはヤッター!となりました。
この感動は鉄血のオルフェンズ以来で、すごく期待してしまった。まあオルフェンズはほぼ右肩下がりでそれに倣わないことも願いましたけど。
割とかっきり直線のストーリーがある、オムニバス系でないアニメ作品だとハルヒ以来かな?ハルヒは原作読了済みだったので新鮮に楽しめたと思う。
主人公。
わかりやすい嘘つき、低感情と個人的好きな要素が多くて好きだったキャラ。声も一番好きかな。引退したけど。
能力は万能と無重力化によるアクションだけど、超人的動きはちせが(特に理由なく)できるので被ってる気がしないでもない。非常に高い跳躍や高高度降下や運搬が見せ場か。
できればもっと動きの嘘を利かせてスパイダーマン的ワイヤーアクションがあれば映えたかも。
無重力化装置が回光通信機としても使えるのは良いアイテムギミックでした。
チームリーダーの20歳。能力は「お色気」。後述すると思うが「お色気」要素はいらなかったと思う。年長者としてのお姉さん役、組織との連絡役とキャラを引き立てられる要素はしっかりあるのでそっちに割り切ったほうがよかった。
おそらく一番感情移入しやすいキャラに作られているので素直に好感度が高い。ギャルゲー化して無目的にプレイすると自分ならドロシールートに入るはず。
プリンセス命で巻き込まれなんかスパイの一員になっていた人。能力は「声だけコナン君」。ダイアルを回すだけで即座に声を似せられるのはインチキくさいがコナン君で慣れすぎて受け入れている自分が居た。
立ち位置がよく飲み込めなかったけどあまり葛藤など描く暇もなく素人がスパイ活動してる。
4話で二手に分かれる場面、5人なので必然2・3になるのだが残ったベアトが悩んだ末「プリンセスが居ない二人組み」のほうに参加してしまう。ベアトが参加できてないアンジェとドロシーの会話でなんとなく「その他3人」に入れられた流れだけど2話や3話からもわかる強い過保護のプリンセス第一主義者なら無理にでもプリンセス側について行くかなと強く解釈違いを感じた。時系列シャッフルなのでちせ参加後から見て強い信頼感ができている時期ともとれるし、一応迷う動きも描いたしとも受け取れる。
3話の和解後は楽しそうにやってるが彼女がスパイになる彼女なりのメリットがなにかひとつ提示されていればなおよかった。
プリンセス。能力は「プリンセス」。優越的地位を濫用してフリーパスしていく。アンジェとのバックボーンは良かったがいかんせん人当たりが良すぎて影が薄い。学校や仲間内でももう少し諧謔的にプリンセスを使い引っ張っていく強引さを見せれば7、9話でキャラが立ったかなと。
強固な思想はあるものの実現への行動を描く暇がなく、そういうのは劇場版でやっていくのだと思う。
なんだかんだで2話と8話好き。
個人的問題児。わたくしファンタジーにおける東の島国やKATANAが非常にアレルギーなのですが真正面にぶっこんできたキャラ。
こういう日本人キャラを日本人が作ること自体が少し寒気を覚えるのですが逆に他国人をこんな風に描くのも時代的に難しいかなぁ。
異なるカルチャー同士の交流は好きなのですがそこに漬物や相撲や土下座などを入れられると…9話は良さ1/3苦手さ1/3、この作品の悪さ1/3で出来ております。
彼女の一番の問題点は話し方。「~じゃ」や「~しておる」と古風な話し方だが、当然舞台はロンドン。英語でコミュニケーションしているはずじゃ。
舞台が外国や異世界のものを日本語で見るときは、特に説明がなければ翻訳・吹き替えを見ていると解釈しているのですが、そうすると彼女(に限らず日本人)の正解は「カタコトの英語」を翻訳した「カタコトの日本語」になるのかなぁ、と。外交官は免除でいいけど。作中、日本人同士でしゃべるときとそれ以外に差異がないのが気になる。それだけだとギリギリのギリギリ受け入れられるラインなのですが、主人公が学生として振舞うときに田舎物設定として「だべ」口調でしゃべるのですよ……普通に考えると「英語の地方訛り」で田舎物を演出していて、それを翻訳して「だべ」口調になってると見るのですが、じゃあちせの「~じゃ」口調などはどう考えればいいのやら……
滞在は最終的に4ヶ月以上。しかし初期から話し方は変わっていない。辞書を引くシーンもある。と非常に解釈に悩みました。超人的体術と日本語の固有表現も堪能に訳せられる超人的語学力を併せ持っている超人説は採りません。
詳しくないのでどうよかったかは書けないのですけどね。ロンドンの街中もよかったし学校や草原と空のような明るい絵もきれいだった。街は1話の霧たっぷりなのも良いけれど日中や雪中など変化に富んでるし下層市民も焦点になるので下町感もあってよかった。話数があれば偽装としての博物倶楽部の活動で学校の中と5人の楽しそうなショットがあればよかったな。
アクションも最近のアニメで悪いと感じるほどの質は出会いにくいので比較するものでもないでしょうけどよかったんじゃないでしょうか。1話と5話は文句なしに見入りますしメリハリというかタメが効いたような動きだったような気がします。あとはぼんやりですが車の加速がとんでもなくすごかったような記憶があります。
今作の感想のひとつとして傑作百合アニメと評しているものがあります。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054890392693
これを見て逆に私は、この作品は「百合も恋愛もない良いアニメ」だと思いましたな。男性とのロマンスはなく、仲間内でも過剰な身体的接触すらない。それらが苦手な自分はストレスフリーで見れていたことがわかったわけで。アンジェとプリンセスの関係性は非常に感情を揺さぶるものでありましたが、これを百合と称されてしまうとうん?となる。自分の百合アンテナは低いですし「尊い」という言葉自体にはなんとなくそうだねと言えそうなものの同性愛とまでは絶対いかないよな?と。百合も広くなりけりで友愛も含められるとむにゃむにゃ…マリみては百合かむにゃむにゃ…とかくメインキャラ内でドストレートな性愛はないです。自分センスで百合作品判定ではなし。百合として見れるは何でも見れる!どう見えるかだ!捕まってあれこれしてやるぜゲヘヘ未遂もなし!たしか!ハニトラは除く!ごめん軽い女衒未遂はあった!
最初の数話は国の分裂と
"各国のスパイが暗躍する「影の戦争」の最前線となった首都ロンドン"
が繰り返し説明されるのでスパイが入り乱れる話かと思ったのだが、主に描かれるのは主人公たち共和国スパイと敵役のノルマンディー公のスパイ・公安の王国側とあとほぼちせしか居ないが日本ぐらいしか登場しない。終始アルビオン国で完結していて肩透かしを食らった感は否めない。12話でこれ以上の複雑さは望めないか。
シナリオもだいたい王国側の暗躍を検知して先回り…といったもので、もちろん知らないものは知れないのでしかたないがほぼしかける側であまり緊張感がない。逆に2話終盤は緊張感があってよかった。
共和国スパイの司令部「コントロール」。その描写がにんともかんとも。電信室と併設の狭い部屋に大人が4・5人テーブルを囲んで詰まってる。机上に紙はあるがその数は少なく、ないことも多い。壁には何の物もない。
全員がほぼ手ぶらに近しい状態で話し合い意思決定してるのだが…みんな頭の中にすべて入っている超人なんか?移転や隠滅の容易性のために質素なんか?彼らは意思決定機関として描かれているが、「高度な意思決定」がされているようには見えない。これがスパイのリアルな描写なのかもしれない。私はリアルな描写も好きだ。でもここはもっとケレン味を効かせてほしかった。ほかの部分でははったりたっぷりなのだから。
舞台は19世紀末ごろから無重力を引き起こす「ケイバーライト」を契機に異なる歴史を歩んだ地球のロンドン。スチームパンクに類するSF要素を含んだ作品である。
である、のだが。ぶっちゃけSF要素はほぼ無い。(前面に押し出されてはいない)
肝心のケイバーライトを使い覇権を取った「空中艦隊」はほぼ作中に絡まない。出ても大きな飛行機以上の役割は無い。では国内がケイバーライトを活用して発展しているかといわれればそのような描写もない。ところどころで蒸気が噴出する機械仕掛けがあるがビジュアルや目くらまし以上の意味もない。ケイバーライトを使っているかも不明。1話でケイバーライト障害が軽く触れられたがその後はなし。扱いも公害病程度か。そもそも王国側ではケイバーライト装置の小型化が実現できておらず、公式HPではもう少し詳しく書かれているが作中でわかる範囲では携帯用まで小型化できている、そのことを知っているのは共和国内のスパイ組織内のごく一部、即ち使うのはほぼ主人公のみである。
その主人公の装置を使った常人をはるかに超えるアクションも常人以上の動きを理由無く生身でこなす仲間が隙間を埋めてしまっている。携帯用小型ケイバーライト装置も物語のカギというわけではなくて…TVシリーズの範疇では別にSF要素を入れることなく分断が起きた19世紀末でも成立しそうで、主人公にはほかの得能を持たせてみてもよかったんじゃないかなとも感じた。
大体痴漢について話すと「私もずっと被害にあってました!!厳罰求む!!!!」という被害者側の訴えと「冤罪が~~~」という男性側からのカウンターが一方的に押し付けあう形になってしまう。正直この押し付け合いには心底うんざりしている(そもそも両者の意見共に他者とのコミュニケーションを目的としていないのだが)。そこで違う視点、すなわち「痴漢という現象が理解されにくいのは何故か」という部分を性差の視点から考えてみたい。これは上の意見の押し付け合いが「実は性が違うことによる共感できなさ」が根底にあると個人的に感じているからだ。
とはいえ私自身、女という性を持ち、痴漢にも少なからず会ってきた(今でもたまに会う)。なので100%客観的に記述し考察することは不可能であるので意見等々は積極的に受け付ける。論理だてて物を書くのが苦手なので、思いついたことをそのままの順で書き連ねていく。また、ここでいう痴漢は「電車内でのもの」をひとまず指す。
そもそも痴漢という現象をご存じだろうか。ここまで読んだ人であれば「知らない」とは答えないだろう。しかし、この現象の理解度合いに「その人にとって痴漢が身近かどうか」はかなり大きく影響していそうだ。私を初め「ある程度混雑する公共交通機関を頻繁に使う」という経験がある女性の場合、少なくとも一度は「痴漢らしき行為」にあったことがある人が多いと思う。一方で男性の場合、たまに「自分も痴漢(痴女)に会った」という人がいるが、ごく少数であろう。多くの場合「知識としては知っている」という感じだと思う。たとえて言うならば、私は「コンビニでは万引きという犯罪が起こっている」ということは知識として知っているが、バイト経験もないし実際にやったこともないので「知識として知っている」状態に過ぎない。
そうなると痴漢に対する態度に性差が出るのは仕方がないような気がする。万引きを例に出すと私自身「万引きされた店の店長さん大変だなぁ」と思うが、コンビニの店長がそれに対して「絶対に許さない!!!!!厳罰にしろ!!!!!」などと言っていたら「いや、そこまでの犯罪ですかね・・・」とか「万引きよりこの店長が怖い」などと思いそうである。やはり「実際に被害にあっている者」と「知識として知っている者」の間にはかなり大きな壁があるように思う。痴漢に関してもSNSなどで検索してみると、痴漢経験のある男の人の多くが「痴漢に会う女性の気持ちや怖さが分かった」という感想を言っていたりする。
また、「実際にどういった痴漢行為が行われているのか」という部分の認識の違いも重要だと思う。多くの痴漢行為の場合、肉体的な意味では正直そこまで大きな被害を受けない(精神的な部分は後述)。例えば電車内でお尻を触られたり、なんとなく股間が押し付けられる、といった痴漢被害を受けるという部分に認識の差はないだろう。そうなると男性側が「いや、それで厳罰とか。。」と思うのは当然だし「それくらいちょっと振り払って抵抗すればいいじゃん」と言いたくなるのも自然だろう。しかし、女性の多くは「痴漢とはもっと酷い被害を受けるもの」という認識が根底にあるような気がする。自分の話で恐縮だが、私は下着の中に手を入れられ性器に指を入れられたり、精液を服に付けられたり、手を引っ張られ男性の股間を触らせられ射精された(もちろん服越しだが)ことがある。そして意外と、この手の酷い痴漢経験を持っている者は少なくない(念のため言っておくが、多くもない。頻繁にこんなことが電車内で起きているほど日本はヤバくない)。しかしそういう経験があると、軽微な痴漢(語弊があるが)よりもそうした深刻な方を基準に痴漢を捉えるようになるし、自身があっていなかったとしても「自分もそういう被害を受ける可能性がある」と考え感情的になるのも自然だと思う。しかし客観的に考えると、そうした酷い被害は頻繁に起きていない。そこに「リアル感を持つ者」と「知識として知っている者」で態度が異なる理由の大元があるような気がする。
性欲の性差も重要なテーマだと思っているので取り上げる。私は女性なのでそれこそ知識としてしか知らないのだが(そんなこと無いわ、という方がいたら突っ込んでほしい)男性は「たまたま触れてしまった異性」に興奮するようだ。一方女性の場合、そうしたことはあまりない。下世話な例で恐縮だが男性にとって「女性の胸や足が当たったら勃起する」が女性にとって「男性の筋肉や股間が当たっても濡れない」のである(たまに「イケメンなら良いんだろ」と言われるが、そんなことはない。いわゆるイケメンに痴漢されたこともあるが、いつも以上に怖かった記憶がある)。この辺は子孫の残し方に関する進化的な解釈が妥当だと個人的には思うが、この違いを受け入れられず「これだから男は」となる女性は結構多い。また男性側も上記のような「イケメンなら~」のように、どこか「男性的な性欲」を中心に女性の性欲を理解しようとしてしまいがちである(「上手い痴漢だと濡れるんだろ」などもそうだ)。両者は全く別物であるということを知っておくだけで、痴漢の話題に関するコミュニケーションは促進されると思う。
実はこのことを考えていたのがこの日記を書くきっかけとなった。数日前、とある増田が「痴漢を受けて辛いのは肉体的な被害ではなく「自分が弱者だと認識させられること」である」という旨の日記を書いていた。これはまさに言いえて妙だと思った。上にも書いたが、基本的な痴漢被害において肉体的な被害は軽微である。しかし精神的な被害は実は結構大きい。
これまた私の例で恐縮だが、少し細かめに痴漢とその後の思考に関する記述をしてみる。例えばお尻を触られ、すぐに振り払い、それで痴漢が終了した場合を考える。肉体的な被害はかなり少ない(数秒触られただけ)が、それでも数日は引きずる。その感触は消えないし「被害を受けた自分」についてぐるぐると考えてしまう。隙があったのかな、とか、次もまたあったらどうしよう、とか。なんとなくどんよりした気持ちが続くのだ。この程度の痴漢でこれなのだから、例えば「股間を押し付けられ続ける」という抵抗自体が難しい場合や「振り払ってもやめない」のような抵抗自体無意味な場合はもっと傷つくことになる。
こうした被害の連なりの中で徐々に「自分が無力なこと」を頭に叩き込まれていくのである。勿論多くの人の前で声を出すのが難しいということもあるが、私の場合「何をやっても私じゃ辞めさせられないから耐えよう」と思うようになってしまった。小さな経験によって人の思考はダメージを受けるものなのかもしれない。この辺の機微も「知識として知っている」者には理解が難しいと思うし、被害を受けた側としても一枚岩で「こういう考えになるんです!」と言えるようなものでもないので、どうしてもスルーされがちになってしまう部分だと思う。でもとても重要な問題である。
少し長くなってしまったし、書いて一時間ほど経ってしまったのでここでひとまず辞めておく。「なぜ男性側は冤罪について主張しがちなのか」と「なぜ女性側はことさら感情的に被害を訴えるのか」という一番書きたかった2つを書けなかったのが心残りだが、色々思い出して疲れてしまった。議論は大歓迎なのでぜひ。