はてなキーワード: ビジネスとは
ビジネスの始めはスモールスタートが基本だと思うんだよ。始めから大金を使って成功する例って少ない気がする。1つ知ってるのは、伝説のライブ、ウッドストック。それ以外はあんまり知らない。
https://note.com/carlos_yabuki/n/nf9a90f3fb7ba
これ、作家側がテレビ朝日の担当者の何を失礼と考えたのかが明確でないと感じた。
「こちらには何の返信もなく、こともあろうに実質ビジネスパートナーの様な人物にギャランティを明記した上での依頼メールを飛ばしていたのです。それが出来るんだったら、最初から私にもそう書いて依頼して欲しいものです。」
と書いている。
これを読むと、「テレ朝はこちらには条件提示をしていない」「にもかかわらず自分のビジネスパートナーのような人物にはギャランティを提示している」「だったら私にも最初から条件提示した上で仕事依頼しろ」という点に不満を持ったようだ。
「テレビ朝日側から取材依頼があった時にギャランティの話がなかったこと」が問題ということだ。
「その上で、改めて条件を提示していただいた上で仕事を依頼された」
と作家は書いている。やはり条件提示(ギャランティの提示)の部分に問題があったとの認識のようだ。
「あと、ここにちゃんと書いてあるつもりですが、僕が何故怒ったかといえば、「条件提示がなかった(ノーギャラだった)から」ではありません。」
と書いている。ここで話がわからなくなった。
先ほど指摘したようにこの作家はテレビ朝日から仕事依頼を受ける際、条件提示がなかったことに怒ったと書いていた。しかし、末尾では問題点は条件提示ではないという。
本人は「ちゃんと書いてあるつもり」というが、私が見る限り文章内に矛盾があり、結局この作家が何に怒ったのかは明確でないと感じた。
この辺りどう読み解けば良いのか諸賢の意見をうかがいたい。
「消齢化」とは、「年代や年齢による価値観や好みの違いが、年々小さくなっている」ことを表す言葉。
世代間での価値観や好みって昔は割と大きかったと思うんだけど、最近はどんどん似たようなものになっている。
これはみんなも生活してて実感あると思う。
以下参考サイト
●30年データで突き止めた新ワード「消齢化」 消えゆく年代の壁
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00401/00037/
(元データ:https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/102642/)
●年齢層の壁を越えて歌える曲が増加傾向にJOYSOUNDの11年間のカラオケ歌唱データを分析!年齢層の価値観の違いが年々小さくなる「消齢化」を共同研究
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002060.000004747.html
●ヒットのクスリ+9 20代~60代 みんな同じ服 世代別マーケティングはもう古い?「消齢化」現象とは【日経プラス9】(2023年5月12日)※動画
まあ、博報堂が言い出した言葉みたいなんだけど、合ってると思うよ。
服も20代から60代までユニクロばかり着てるし、アニメもワンピースとかスラムダンクが全世代にヒットする時代。
だからビジネス的にも1つの世代を狙うんじゃなくて、複数の世代が共通に好むものを売った方がいい。
https://diamond.jp/articles/-/320992
どこまで本当かどうか知らないけど、PayPalのビジネスアカウントが未だにMFA非対応なのはこのゴタゴタに起因するのか?
それとも単に技術的にチープなだけか?
国威発揚の時代性について調べてて気づいたけどYouTuberだとどこの国にも大抵「愛国心くすぐり外国人」みたいのがいるんだよな。
「〇〇国に来て人生が変わった」「自国とくらべてここが素晴らしい」「〇〇国の料理は世界一」みたいな。
本人は純粋にそう思ってるのは事実なんだろうけど、どんな国にも同じようなのがいるってのと、
古い投稿から順にみていくと人気が出てきてマネタイズが成功してくるとエッセイマンガ職人みたいにことあるごとに投稿したりして徐々にビジネス感がしてきたり(笑)
外国から来た人の目線でその国を褒めたたえることで「我が国は国際的に認められているんだ」という自尊心みたいのをくすぐるみたいな。客観視をハックしてる感。
国対国ではないけど、企業対企業でうまくオープンソースを使った例なら、Android があると思ってる。
当時スマホといったら iPhone が圧倒的で、そこに後から入って対抗するなんて無茶な話だったけど、Google は Android をオープンソース(と無料だけどGoogleコントロール下のアプリストア)を提供して誰でもどの企業でも使えるようにした。
そうすることで多くの企業が「タダでスマホのOSが使えるなんて最高だ」ということで、Android で大量のスマホを作ってくれたわけだ。
中国メーカーとかは安く作るノウハウがあるから、iPhone を持てない人々を含め世界中に売ってくれたし、ハイエンドモデルだってSamsungとかが出して売ってくれたからハイエンドで iPhone 対抗だってそれなりに出来てる。
でも実際最終的な利益を取ったのはGoogleで、アプリストアからの売上の30%を取れるようにしたり、スマホに広告を配信できるようになったのでGoogleのネット広告ビジネスにもプラスになった。
ちなみにGoogleはAndroidという名称を商標登録していて、Googleのアプリストアを入れるとかいろんな条件を課すことでAndroidと名乗る許可を出してる。
GoogleからしたらAndroidが普及すればするほど得なんだよ。
だからスマホメーカーにAndroid採用してもらうために、無料でAndroidを使えるようにするどころか、金を渡すことまでしてる。
まあ、そんなわけで二番手になったプレーヤーが逆転やトップと同じレベルを目指すためにオープンソースを活用するのは結構有効。
PFN みたいなすごい奴らを集めた会社が、自前のサービス提供せずに受託ビジネスで満足してるあたり、だから日本はダメなんだと思っちゃうわな。
そもそも「サービス」とかいうしょっぱいweb系企業の発想しか出てこないところがダメなんだと思うわ。
「サービス」なんぞでまともに稼いでる会社なんて日本どころか世界中探してもほとんど無いだろ。Googleですら稼いでるのは「サービス」じゃなくて広告。
サービスサービス言ってるweb屋に比べたら車作るとか荒唐無稽なこと言ってるTuringとかの方が遥かにまともだと思うわ。
まず、今までの時点で日本が AI でトップは取れてなかったし、トップに肩を並べることもなかった。
でも今は ChatGPT 相当の関連技術がかなりの勢いでオープンソースになっていて、Google もこの勢いだと最後に勝つのは Google でもなく Open AI でもなく、オープンソースだと言っている。
https://gigazine.net/news/20230508-google-document-llm-arms-race/
つまり逆に言えば、今からがんばればオープンソースの LLM(大規模言語モデル。ChatGPT みたいなやつの一般名称な。)にキャッチアップして、世界トップレベルの技術を手に入れられる。
技術で他者に勝ちはしないけど、少なくとも世界トップと同等レベルになれる。
あとはそのオープンソースの中でどうやって優劣が決まるかと言うと、国の規制とオープンソースのビジネス活用(タダで利用するだけでなく、自分達で開発コードをどんどん公開していくことで、世界のトレンドを自分達に有利な方に変える影響力を持てるかが重要)をどれだけ理解してるか、で決まる。
だから、今は日本にとって大きなチャンスだし、同時に、少なくとも他国に出遅れてはいけないんだよ。
ChatGPT みたいな知能を大量に使えるなら、ケンブリッジ・アナリティカ問題のような人々の投票行動を変える行為がより簡単になってくる。
1980年代、我々アウシタンは巨大資本による商業汚染と戦った。
我々は虐げられた民
彼らは「法的に問題ないじゃん、そもそも正当なIP持ってるのは我々」
その通り、奴らはビジネス、コンプラ遵守、著作権を正しく取得し正統なコンテンツとして利益を得る。
我々は彼らのお情けで二次創作を黙認頂いてる身。
彼らは正しい
そんな歴史の当事者である我々アウシタンが「立花vs川上対談」をどう観たと思う?
拍手喝采どころではない。
立花孝志は隠れアウシタンに違いない、本人に自覚がなかろうが名誉アウシタンとして認定する
NHK党は瓦解寸前
どーすんの
ともかく、321対談は面白いので是非見てもらいたい。
京大卒エリート大資本が高卒チンピラにフルボッコ論破されて発狂する様子だけでも笑える
テーブル一つも準備できない
ちょっとしたことですぐ終わるだのなんだの言う人はバカだと思ってるが
まだ2年は顕在化しないだろうけど
もちろん原因はイーロン・マスクなんだけど
イーロン・マスクはあくまでトリガーであり、元々問題はTwitterに合ったんだと思う
よくも長い間攻めた、がもう無理そうなので売ったんだろう
今後は回収期でありどんどんつまらなくなっていく(ただし利益は出る)
このゾンビ状態がいつまで続くかっていう時期に入っていくと思う
でもそれも高校生まで、となるとTwitterを使うか他を使うかという選択が入ってくる
動画サービスはSNSとしては貧弱だ、インスタも今はクローズドで使われているがTwitterほどの汎用的オープンSNSとして使うには弱い
行き場がない
じゃあ起業家はチャンスか、といえばそうでもない
次が出てこない
こっからが読めない
__
せっかくだから具体的なことを書く
買収前、Twitterはひたすら規模拡大に勤しんでいた、売上を伸ばし従業員数を増やし、赤字を垂れ流してた
参考 https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/twitter_financial_results
つまり上場してるにも関わらず、上場前のベンチャー状態だったわけ
今だと出前館みたいな感じ
んでこっからどうするんだという状況で現れたのがイーロン・マスクとかいうバカ
なんかまるでTwitterを乗っ取ったような見られ方をしてるが、よくよく見たら単なるバイアウトだろ
彼がTwitterを買ってから従業員をひたすら解雇したり有料化を進めてるのは黒字化のためであって
経営者としてはすごく真っ当なことしてる
元々コストかかるようなビジネスじゃないんだから、規模は変わろうが潰れることはない、潰したら無能も無能
話題にしてるのは、世間でのTwitterというポジションを保てるかどうかと言う話
若者の各サービスの利用率見ると、Twitterはガチで安泰だったんだ
参考: https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/twitter_financial_results
ただ、上場やバイアウトなどと言うタイミングでは色んな面で変化がある、コスト・人材・リソース・思想とか
だから伸びるか、維持できるか、落ちるかが決まるわけ
特にバイアウトは変化が大きい、5年くらいの成長途上のサービスなら変わらないだろうし、リクルートみたいに今更上場するのかみたいな会社でも変わらない
ただTwitterのように、17年もやって散々あがいた挙げ句、初期メンバーが「もう無理だー」となって逃げ出して挙げ句競合サービス作るみたいな状況だと
こういうバイアウト後の変化で見るべきところは、サービスのコアとなる部分を変えてしまわないか、維持できるかだと思う
せっかく世間に受けてる部分できてるのを壊れちゃったら、他社参入の隙を作る(去年までは隙なんてまったくなかった)
それで最近の変更、特に「休眠アカウントが消える」を見て「ダメそうだな=コアに手を入れそうだな」と思ったってだけの話
ただこういう地殻変動は起きないし、特にネットワーク効果が効きすぎるSNSでは、たとえサービスがクソになっても当分動かない
それにSNSというジャンルは大体やり尽くされているし進化も終わってる認識なので、果たして他社参入の余地があろうが変化はいつどうやって起こるのかが読めない
ていうか読めるなら億万長者になれる
特のテキストにおけるSNSは、どんどん単文化・軽量化していった進化の流れがあって、Twitterが臨界点だったと思う
ここから先ってなくない?新生サービスがどうTwitterの領域を取るんだろう?想像ができない
パターンとしては
・ある日あたらしいやり方がでてきて、大移動が起きる
・皆がTwitterに文句言いながら使い続けるゾンビ状態になる(ニコニコとか2chがそうだった)
・動画サービスやクローズドSNSなどの別ジャンルが、間接的にTwitterを削っていく
くらい?
ちなみに「Twitterに似た、少し改善したSNS」では絶対に取れないと思う
それって2ch民が「おーぷん2ちゃんねるとかしたらばに移動しようぜ」って言って結局出来なかったやつでしょ?不可能なんだよ
だからMastodonも無理だし、Blueskyも、よっぽどのことがない限り無理
ただ、「そういうのに移動したい層がいる」っていうのは一個のフラグだよ、そういうのが何回か起きると突然サービスがオワコン化する
現状、噂レベルだけど若者(10代)はクローズドSNSでワイワイやってるらしい、特にインスタで
まあ変な黒歴史を公開するリスクもないしその方が良いんだろうけど、気になるのはZ世代α世代が大人になってもそれが続くのか?という点
だから読めない
ていうかアクティブユーザー数は伸びてるんだから普通にコストカットするだけで良いのに
余計なことばっかしてるよなイーロン・マスク
参考 https://service.aainc.co.jp/product/echoes/voices/0014
繰り返すけどTwitterは潰れないし無くならない、mixiもニコニコも5chも潰れてないだろ
ただ2,3年後若者が使ってるのかはわからない、お前らみたいな運営にとってはうざいアーリーアダプターどもが使ってるかもわからない
結婚して子供を産むのが正しいの、生まないのが正しいのでケンカしてる光景はインターネットでザラだ。
そんなもの正しいと思ってる人には正しいし、そうでない人にはそうでないだけの話で。意味があると思ってる人にはあるし、無いと思ってる人には無いだけ。
当然の話で、人が生きるのも、社会に参加するのも、生物が種を残すのも、理詰めで言えば何の意味もない。存在の話ではなく当為のそれなんだから。
大人の義務や責任?どこから湧いた?生産性?何の為の?社会の維持?何の為に?人権思想?何の為に?生きるため?なぜ?
子供を作る事に限らず、人の営みはリンゴが上から下に落ちていくのと本質的には何も変わらない。
現実的な議論としては、人権思想が公理であり土台となっていて、そこで一旦は打ち切られる訳だけど。それにこれはあくまで「お気持ち」や「主観」から離れた場合の理屈だ。
まあ人権という公理から導き出される規範も一義的なものではなくて、それぞれの解釈が対等だからまた言い合いになるんだけど。
その対等な言い争いは民主主義と呼ばれて割と尊重される。しかし人権を認めるのであれば、人に結婚出産をするな、しろと強要できる道理はどこにもない。
そもそも社会を生き長らえさせる意義を感じていない人間に対して、子供を持つ事がいかに社会の持続に必要かを説いても無駄。
人生に先立った苦しみなどなく、行い次第で如何様にも幸せになれる。と信じている人間に対して、辛く苦しいだけの生を生み出す残酷さを熱弁するのも然り。
前提が揃っていない段階で話をしてもボタンの掛け違いになっている。
共通認識を揃え、対等な異なる意見を持ち寄って考えを深める事はあっても、最終的にどちらに転ぶかは自分の納得の問題だ。
全ては無意味、と言うとすぐ冷笑と抜かす人間がいる。無意味を開き直り、さらに他人を巻き込もうとすればそうかもしれない。
しかし規範において、理詰めで言えば無意味である事実は変わらない。
それを歪めるのは不誠実な物の考え方ではなかろうか。いくら生活の為にはある程度の忘却や思考停止が必要と言ったって。
ともかく、無意味とはいっても自分の中で実感や確信に基づいて意義を見出す事は可能だし、多くの人がそうしてきて、今もそうしてる。
そもそも意味などを問う以前に、まず生きる事そのものが価値のある、というよりあまりにも当たり前のものだと思っている人も少なくないんだろう。
むしろその方が多いかもしれない。もっともそれにしたって、意識的であれ無意識であれ生を肯定する規範、信仰、納得を持っている訳だけど。
世界に元々用意された意義なくて、そこに「正解」を用意したらそれは宗教だ。
別に宗教が悪いとは1ミリも思わないけれど、それを押し付けるのがいかにグロテスクかは歴史を見れば明らかで。
他者の生き方に口出しをしてかくあるべしというのは、自分の選択に腹の底から納得できていないじゃなかろうか。これは理屈の話と言うよりは邪推だけれど。
一度きりの人生、自分の選択が、価値観が「間違い」だなんて思いたくはない。そんな疑問が浮かびもしないほどの実感と納得がある生き方をしたいもんだ。
でもそう強い人ばかりでもない。自分の選択に自信がないが、自分の中に納得の源泉がない。だから外部にそれを求める。他人に肯定してもらいたい。
同じ意見を持つ人間と集まって、互いに肯定し合う。あるいは単純化した二項対立の上、自分の対岸にいる者を「間違い」だと断罪し、そして自分は正しいんだと思う。
そうした正当化が健全か不健全かは知る由も無い。が、考えの異なる者同士、互いに説教や罵倒を受ける道理は無い。
視野狭窄、知識が足りていないように見える人間に対して「こういう見方もあるよ」と助言する事はあるかもしれない。教育とは、学びとはそういうものだ。
しかしそれが強く押しつけがましく攻撃的で否定的、あるいは過剰に肯定的なものですらも、そこには自分と同じでない他人への苛立ちがあるのかもしれない。
社会の利害調整を問うなら互いに言い分もあるだろうけれど、生き方の問題に口を出すのはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。
その点、受け売りの胡散臭い政治思想とアイデンティティや価値観が悪魔合体している人は非常に厄介という事になる。
まあ上から目線で説教する道理もなかろうけど、なかった所で誹謗中傷やらにならない範疇で批判をするのも勝手だ。
よしんば中傷じみた人格攻撃でも、そんなもんネットに溢れてるし、それで捕まるのも稀だ。という事を踏まえて平気でやる人間がいるのも事実としてある。
悲しいね。
等しく無意味な人生に価値を見出せるのは自分だけだ。上手い飯を食うでも、芸術を愛でるでも、ギャンブルに狂うでも、何だっていい。
愛に囲まれ他者から存在を肯定してもらうのも、神様を信じてみるのもいい。それは一見外部の他者が価値を与えてくれるように見える。
しかし結局それによって得た納得が湧き出るのは自分の心の中だ。
「敵」を罵り「仲間」と慰め合って拵えた後ろ向きの納得よりも、内から発される声に対して真摯に耳を傾け、それに従った方が良い、ような気がする。私は。
まあ私だってきっと自分の考えに腹の底から納得できていないから、こんなサイトに長々と文章を書いているのかもしれない。
勿論意味など最初から問わない、忘却するという選択肢だって大いにあり得る。今際の際に蓋していたものが頭を過るのが怖くて私は出来ないが。
人をブチ殺して回りたい、それが私の納得する生き甲斐だ。こう思うのだって非難される、というか過剰に誹られる謂れはない。
なんなら思うだけではなく、法だの人権だのがいくら殺人はダメと言った所で、別に実行する事は可能なのだ。現に殺人事件は一定的に発生している。
出来るからやって良いなどとは言っておらず、可能な事実があると言っているだけですからね。
当然我々が恩恵を受ける司法や人権思想のもと、社会によってしばかれるだけだが。バレなきゃしばかれないけど。
茨の道が待っていると知った上で尚もその納得、価値観を手放さないというのなら、私は敬意すら覚える。当然自分が殺されるのは御免で、それはまた別の話だが。
個人主義、民主主義社会の範疇における多様性とはそういう事なんだろう。
お気持ちがどうとか主観がどうとかいった言葉を使って何か言った気になってる人がいるけど、事実でなく規範を語るなら感情論で当然なんだよね。
絶対的な真理、善、正義を信じる本質主義者なんで、と言われたらそれまでだけど。
金持ちがネオリベにかぶれるのも貧乏人がその逆になるのも当然だろうし、いくら事実と論理を積んだ所で最終的には感情論。
勿論ノブレスオブリージュを語る金持ちも、支配者への忠義が大事だと思う貧乏人だっているかもしれない。
それもまた価値観や納得に基づいたものであって、どちらに転ぶか、必然性はない。
「ブーメラン」はロジカルを自負するインターネットマンの口癖だけど、言行不一致は理屈ではなく感情の問題だ。
殺人犯が「人殺しはダメ」と言ったらどの口が言うかって話だけど、言ってる事は間違ってない。
でもやっぱりコミュニケーションにおいて心象というものは無視できないので、お気持ちのない、ポジショントークでない意見など神様にしか言えない。
まあいくら社会性に則った無難な話をした所で、「こういうヤツ、バカですw」みたいな強い言葉を使った話にばかり注目が集まるのも悲しい事ですね。