はてなキーワード: ゼネラリストとは
もう既に語り尽くされた件だけれど、ニュースなどを観て改めて感じる。
いわゆる文化系の、学生時代には学業よりも部活動などで主体性の謎アピールして
大企業に採用されたような、ゼネラリスト。このような人たちが日本の中央省庁や
自治体、大企業を支配してしまったために、意思決定の権限を持つ者には現場感覚
が皆無となり、実作業の現場には本当のスペシャリストと、偽物のスペシャリスト
が同居するようになり、まるで封建社会のように、階層社会になってしまった。
やがて本当のスペシャリストは日本からは居なくなり、ゼネラリストが耳障りの良
い言葉だけを生産する偽物のスペシャリストを支配し続け、国として沈んで逝くの
だろう。
資生堂は、女性販売員が売り上げの生命線の多くを占めるから、反応や対応がビビッドだったんじゃないかな。
販売担当はある種プロフェッショナルだから、本来いわゆるホワイトワーカーのような縛られたワークスタイルやキャリアプランである必要もないしね。
落ち着けば双方色々あったけどそれなりの着地点を見つけられたね、って感じなんじゃないかと思っている。
そういうプロフェッショナルポジションじゃなくて、ゼネラリストポジションだったりすると、
資生堂のような「割り切り方」は労働者サイドも企業サイドも出来ないだろうし、
一方で、人手不足は相当深刻な状態なので、なし崩しに、ホワイトワーカーの働き方やキャリアプランの多様化がずるずるだらだらといつの間にか進むのが、
あと~10年で、バブル入社組が「あがり」になるし、雇用機会均等法第一世代も定年なんだよ。その辺でまた変化はあるだろうし。
ヒマなので、忘れられない恋人にメッセージとか送ってしまってホントばかみたいです。
30代子なし、かつ、出国するまでそれなりに働いていたひとは、本当にヒマさにびっくりすると思う。
もちろん、現地になじんでブイブイしてる人もいらっしゃるとは思いますが、なんだろう、自分が働いてきた分、結局働いててエライのは夫、と思うと、慎ましやかに暮らす発想にしかならないのですよ。その結果、昔の恋人に連絡したら世話ないですけど。(別に情熱的な内容じゃないから許して、っていう言い訳)
こちらへ来てから、夫との絆とか関係性は向上してると思う一方で、家事に全力をつぎ込んでもありあまる時間にちょっと引き始めているのも事実。長期的視点に立てば、1年程度で帰国してしまって何かしら仕事したほうが良いのでは?と思ったりもします。
クラウドソーシングも覗いたけれど、まあまあの会社で総合職としてゼネラリストとして働いてきた自分には縁遠さしかなかったしなー。
読書と音楽鑑賞だけじゃなかなか身が持たんです。通信制の講座とかも検討したけど、いまいちピンとこない。
そういう意味では、結局人生って壮大なヒマつぶしで、会社に属してればありがたいことに解決してねって課題を与えてもらってて(自分で探しに行ってるつもりになってたけどさ、今は、あー与えてくれてたんだなとしか思わんw)、それをバリバリ解決し(た気になっ)て、承認欲求満たしてもらって、カネまでもらえて、なんて素晴らしい仕組みなんだー!とか思います。社会学者とかフェミとかが、日本社会なんて男のおもちゃ、って言うのを、醒めた感じじゃなく、よーこんな仕組み考えたな!やるやん!という感じで手放しでほめたたえたい気分です。そらリタイアしたおっさんら、病むわ。
あと、こんな感じのことを考えている割に、まったく病める気配のない自分にもある意味腹が立ちます。繊細さを失いすぎ。若さとは心の若さである。繊細さは詩人の心である。
あー、さよなら青春。とりあえず、日本で会った夫の会社の先輩のヨメ(元帯同家族)みたいに、太ってデリカシーのないクソババアにはならないよう、多種多様な価値観を認められる人間でいられるよう、頑張ります。
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
実直(じっちょく)なんぞと、心得(こころえ)まして。
はてなブックマーク - 【悲報】ワイの職場、25年務めたパートのおばさんが辞めそうで現場大パニック【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】
ちょっと前の記事だけど読んだ。ここのブコメで挙がってる疑問や意見に勝手に答える。
ウチの職場と同じなら、たぶん正職員になるのに公務員試験と同等の筆記試験/小論文/面接が必要。
また、正職員になるとジョブローテーションの対象になる(後述)ので、必ずしも同じ仕事を続けられるとは限らないし、転勤もあるかもしれない。
もろもろのリスクを背負ってまで正職員になりたがるパートさんは少ない。上から打診はあったかもしれないけど。
まぁクソなのはその通りなんだけど、正職員はジョブローテーションのために、長くても2~3年で異動してしまうという事情がある。
あとは上部機関からの出向だったりで、とにかく一つの職場に居つかない。
そうすると10年選手20年選手のパートさんの方がよほど業務に詳しく、正職員がお伺いを立てる状況が発生する。
しかしゼネラリストを育てるためとは言え、短期間でじゃんじゃん異動させて意味があるのかね?
(補足すると、正職員さんたちは流石に優秀で、短期間で業務を理解して破綻なく回しているのは本当にすごいと思う。
ただ一方で前例主義と言うか、過去の案件を参照することがすごく多いので、そうすると必然的にパートさんが頼られるわけです。)
変われるよ、現に俺は変わった。主に法改正で。
ウチの職場ではすでに、無期雇用ではパート職員を採用していない。最長5年。
さらに、平成30年3月にはいわゆる「平成30年問題(※)」で大量の雇い止めが出る模様。
(※改正労働契約法(H25.4)で勤続5年以上の契約・パートを無期雇用に転換するというルールになったものの、無期にしたくない雇用主が施行から4年11か月のH30.3に契約満了にするんじゃねえかという問題。詳しくはおググりください。)
つまり、
ヤッタネ!!これで属人化から切り離された職場になれるね!!! 具体案?しらね。
かつて無期雇用で雇われた、あるいは頑張って無期雇用を勝ち取るベテランパートさんも一部は残るだろうけど、全体数から見ればごくわずかだろうし、20年選手なんかだと60歳定年が迫ってたりするんだなこれが。
ということでH30.4以降、さまざまな職場で「職場を回せるベテランパートさん」すらいなくなる事態が発生するかもしれません。
25人に1人の年収1000万以上の皆さんが日本の所得税の半分を負担しているって知ってます?
http://blogos.com/article/162698/
色々とデータを並べているが、読み解いて反論している人はほぼ居ない。大半の人がひっかかったのは次の部分だろう。
これ、自分で稼げている人間は全く同意なのだが、稼げない人には煽りになるよね。
なので、俺が年収1000万になる為のちょっとした話をしよう。
なり方は主に3つ
1 専門スキルを身につける。
例えば弁護士資格を取ったとしよう。それだけではイソ弁で終わる。
しかし、ここで下町ロケットで恵俊彰がやってた様な論文を読める特許関連の弁護士になれれば話は大きく変わる。
世の中の弁護士の9割以上は文系、そんな中で理系の知識が有るというのは大きなアドバンテージだ。年収1000万どころか億も余裕で狙える。
又は2国間の法律に詳しくても良い。日本の弁護士資格持ちで、中国やアメリカの特許や会社法をマスターしていれば生涯高収入が約束される。
上の例は少し極端だから、もう少しイージーな話をしよう。
例えば日本語、英語、中国語、ロシア語の内3つをマスターすれば、それだけで一生1000万を取り続ける事は可能だ。
やる事は星の数ほど有り、勤め人でも自営業でも生涯仕事に困らない。
スペシャリストになれる人間は、こんな記事読まなくても勝手に稼いでいる。
これを読んでいる平凡なパンピーは、ゼネラリストやマルチスキルを目指せ。1つで100点取るのではなく、関連分野で2~3個70点を取れ。
努力次第で「誰でも出来る」
2 自営業をやる
自営業で地味に稼ぐ。そして税金を出来るだけ払わない方法を取る。
農業でもいい。補助金をどうやって引っ張るかに詳しくなれば、コンサルの仕事は山ほどある。
いずれにせよ、税コストを最小にして手元に残る金と生活ベースで年収1000万クラスを目指せ。
出来ないと思うか?これも「努力次第で誰でも出来る」
まずは月に1万自力で稼げ。御用聞きでも便利屋でもゴミ拾いでも良い。誰でも出来る簡単な話だ。
3 アングラ
ちょっと前に流行った脱法ハーブ。アレで億稼いだヤツは多数居る。マヌケは捕まったが。
今も色々有るな。何とは言わんが。
どこでカネが動いているのか、法律の穴は何なのか、その辺りを10年も考え続ければ小遣いには困らなくなる。
仕事しながら考えとけ。体が動かなくなった時に役に立つ。
身柄を賭ける事になるが、中卒のヤクザや半グレでもやれるのだから、高校出ている賢い一般人なら「誰でも出来る」
ちなみに、誰でも出来ると書いてはいるが、あくまでミクロの話だ。
例えば俺の目の前に来た一人を年収1000万にするのはそう難しくは無い。やる気持って10年頑張れば誰でもなれる。
ちょっと聡ければ3年で十分だな。
しかしマクロでは年収1000万を超える人は1割居ない。そのあたり、勘違いして一生懸命グラフ出して反論しているバカが居るな。
基本的に世の中は信じられないほどのバカと真面目なバカが大半だからね。ここ読んでるヤツもどっちかだろ?
年収1000万は正しい努力を続ければ誰でもなれる。ただし、1億人全員が正しい努力をする事は無い。
まずはどっぷり浸かった常識を疑え。
未明の2時間半。一心不乱にコードに集中 ──中島聡流プログラミングの流儀 #OpenGL|CodeIQ MAGAZINE
──16歳でプログラミングに触れてから、現在までずっとコードを書いているわけでが、その持続力には驚きます。会社に入って数年もするとマネジメントをやるようになって、現場から離れてしまうプログラマも多いと思いますが。
これがまさに僕が一番問題視していることなんです。世界的に活躍しているIT企業、Google、Apple、Microsoft、Facebook……みんなアメリカの会社ですよね。なぜ日本はだめなのか。個々の能力では日本人が劣るところはない。勤勉な性格だし……。
根本の違いは、優秀な技術者がいつまでもプログラムを書いているかどうか、ということなんです。
特に理工系の修士号取得者。日本では大学を出て大手企業に入ると、そこではほとんどプログラムを書かない。仕様書は作り、ドキュメントも書くけど、実際のコードを書くのは子会社や外注やその下請けの人たち。僕はこういうのを「ゼネコンスタイル」と呼んでいます。
それに比べると、アメリカのソフトウェア企業は、バリバリの理系の修士号、博士号の人を採用して、その人たちを一生プログラマとして使い続ける。プログラマとして優秀であれば、ゼネラリストよりも高給を弾んでくれる。生涯プログラマでもリスペクトされる。 マネジメントはそれなりの専門職だから、それが得意な人に任せればいいという考え方。プログラマは一般に人の管理をするより、コードを書いていたほうが幸せだから。
ほんとこの文章を、大手SIerの糞馬鹿社員と、3年前に自分のいたチームの糞リーダーに読ませたい。
仕事を人に振ってばかりで楽していると無能になるぞ、と。周りに聞いてばかりいないで、たまには自分で調べて、考えて仕事しろ、と。
なんで皆管理側を目指すのかねぇ、、って上の記事のまま、使われる側だと評価されない、金くれないからだな。要は、日本は経営者とか幹部クラスが致命的にアホすぎるんだな。
多少書けるけど絶対に「プログラマです」とは名乗れないゼネラリストたちで構成されている会社。
そんな会社だと、プログラムでなるべく解決する(コードが業務プロセスを頑張っちゃう)ために頑張るよりも、
業務プロセス・開発プロセス全体で最適化するよう頑張った方が、
プログラムで頑張ろうとすると、
外注するのに設計しようにも結局学習コストがかかりすぎるとか、
外注が逃げるとか、
引き継ぎ先がいなくて死ぬとか、
そんな余計なことが多かった。
反復性・正確性が求められるものはプログラム化に適しているけれど、プログラムは解決の一手段だし、一分野にしか過ぎない。
ともすればプログラムのスペシャリストでないことに大きなコンプレックスを抱くけど、
生産物が割合ライトで公共性も低い(例えばエンタメ系スマホアプリ)だったら、
身の程わきまえて、他の業務パラメータも見て総合的に結果を最大化しようというシンプルな結論に至る。
オブジェクト指向の本を読むのも結構だけど、もっと大きな見地から比較して
ライトなフレームワークを選択して、ライトな開発プロセスでやる選択がもっと歓迎されていいと思う。
そして、アジャイルとかTDD/BDDとかももちろんいいんだけど、開発現場からのボトムアップ的な思想やツールでなく、
マネジメント視点や経営視点から自分たちがライト層として開発するなら、という発想がもっとあっていいと思う。
元プログラマが経営層になっての話は近年よく聞くけど、非プログラマが経営層でかつ開発もある程度やるよ、というスタイルもそれなりにあるのに。
こういう情報が出回りにくい理由は、そもそも人数が少ないか、文章に書く魅力/余裕がないか、文章化が難しいか、まだ分野的にこなれていないか、のどれか。
暇ができたらまとめたいなあ。。
その前に売上UP(白目)
お客さんと話してきた内容を人ごとのように聞いているのだが、
先日拾ったフルスタックエンジニアと何となく繋がったところがあったので
暇つぶしに書いとく。
DBの不備と拾いきれないぬるぽで正常系すら落ちまくるシステムへの不満と
画面の統一感がチグハグで分かりづらいという二点で、
そんなシステムをこの人数の規模(想定より遥かに多かったらしいw)でやられてたんですか?と
いう言葉までいただいてきた。
当然だよねーと思う。仕様書も統一されてなくて、画面のデザインガイドラインも一読しないまま
各工程で30%ずつ人員を入れ替えながら突き進んでしまったそうだから。
そのしわ寄せがプロジェクト後半になって鎮火のために投入された自分のようなところに来る訳で、
チームで古参と思われる人に画面仕様について片端から聞いても見事なたらい回し。
入力項目の不備について指摘したら、それjQueryのライブラリの仕様だから中に手を入れてまで直そうか
今の状況では微妙って回答を貰った後で、客先から同じ指摘→再テストの依頼が来たときはいらっとしたわ。
なんでこーんなことになってるんだろうって外野の目で見てると、分業しすぎたんだろうとは思う。
皆、JSPだったり、javascriptだったり、SQLだったり、どれか一つの言語しか出来ない感じで
フロントエンドすら、Ajaxとそれ以外(よくわかんないんだけどさ)で、二チームに別れてる感じ。
要するに、自分含めてスキルがしょぼいんだけど、そりゃ、画面のデザインもチグハグになるよねーっと思った。
フルスタックエンジニアのような、全てわかる器用貧乏で、でもチームリーダーとして仕切れるような人格者が
一人いれば、この状況はもっと違ってきたのかな、なんて。
フルスタックエンジニアがたくさんいれば、こんな分業制でわけわからない開発規模まで膨らんだプロジェクトの人数も
減らせたのかなぁ、なんて。
仕様の共通理解やそのためのツール(仕様書ね)に割くための工数もより少なくてすむわけで。
確かに、人数減らせばその分仕事も増加してブラック間違いなしなんだけど、
この状況を見ていたら、一つよりは二つ、二つよりは三つを持ったゼネラリスト的なスペシャリストがいらっしゃったら、
変われたのかもね。
※おことわり
少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。
単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。
ただ、自分の意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…
と、どこかで期待しているのも否定しない。
重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。
自身はすでに就職先の決定など、人生における比較的重要な選択を終え、
どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。
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俺は哲学者でも何でもないけれど、自分のキャリアを考えているうちに、
進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを
ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。
いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。
それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。
例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。
この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。
特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。
それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、
自分を納得させるためでもある。
自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。
そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。
迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。
一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。
いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、
少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。
「キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。
途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。
選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、
これは普段気づきにくいことだが、
…という話をするとどうしても抽象的になるが、
いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。
少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか…
改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、
間違っていなかったことを証明したかったという方が正確かもしれない。
自分が納得のいくための説明をするためには、
論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。
論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。
しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。
なぜ、生きるのか―。
千差万別の答えが得られそうだが、
俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。
さらに子や孫、あるいはその世代が
よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。
では、どう生きるか―。
これもまた、十人十色の答えがあるだろう。
俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。
そんな変化の多い時代、
子孫を繁栄させることができる。
少し横道に逸れるが、キリンの話を。
遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境に適応した。
これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物。
しかし、エサとなる草木にも限りがある。
そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。
キリンはその長い首を生かして、
他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。
これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。
繰り返しになるがとどのつまり、
文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。
すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、
すごく簡単な言葉に置き換えると、
時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。
その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。
…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人。
ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。
また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。
情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。
そんな中では、人としてのコミュニケーション能力が重要。
さて、これまで長ーく書き連ねたけど、
もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、
みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。
結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。
そこから導いたのが上のような考え。
もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。
そうするために、自分が出来ることはなんだろう?
これからも考えながら歩んでいこうと思う。
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※おわりに
それなりにやることやってきたのかな?と思う。
そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。
1つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、
自分はそれよりも広さを追求しようと思う。
・博士課程2年目は修士論文ではなく総合テスト・リポートで審査
ここはまあいいや。博士課程の人がこれでいいならいいんじゃないの。
修士論文って、自分の2年間のまとめ論文みたいなもんだと思ってたけど、なんか違うみたいだ。
でも、D2で見切りをつけて就職すると、最終学歴は修士じゃなく学部卒だよね。
だって修士論文も書いてないし、そもそも学位ないでしょ?院は中退も有効なんだっけ?
・博士課程では指導教員を特定せず複数研究室・複数指導員とする
ふつう、所属としては研究室1つでも、研究内容によっては他のとこへも出入りするよね。
ちょこちょこ入り浸ってれば席ができたりするよね。
指導教員だって、名目上は1人だけどその時々で教えてもらうよね。
それじゃだめなの?
ゼネラリストになるならないはまったくもって個人の自由であって、
大学院はそもそもスペシャリストの育成のためにあるんだと思うけど、違うのかな。
自分の研究の役に立つことなら専門外でも学ぶ、というのは別にゼネラリストでもなんでもないし。