はてなキーワード: イケメン無罪とは
今朝のワイドショーは、どの番組もカヌー・スプリント競技の鈴木康大選手の薬物妨害問題を取り扱っている。カヌー競技の詳しい説明や、騒動の渦中となっている鈴木選手のことについて詳しく報じていて、色々勉強になった。鈴木選手の顔写真や映像が何度も流れていたが、私個人的には非常に好印象で爽やかなイケメンだと思う。こんな悪人には見えないイケメンが、ライバル選手の飲み物に薬物を混入して自滅させたというのは、本当なのだろうか?と何度も考えてしまった。
そこで私は我に返ったわけだ。これは男が常々女に対していつも批判している「イケメン無罪」と同じ考え方ではないかと。同じ男でも、鈴木選手のようなイケメンを見てしまうと「この人は悪人には見えない」と思ってしまうものなのか。
テレ朝の羽鳥さんの番組をずっと見ていたが、右側に座っているコメンテーター陣の中の一人の女性が、「オリンピックの選考という重圧の中で、魔が差してしまったのではないか」と鈴木選手を擁護するような言い回しのコメントをしていた。その女性は、いつもは鋭く権力批判をしているではないか、とツッコミを入れるところであるが、私は妙に納得してしまったのだ。
男は女に対しては「美人無罪」が当たり前に発動するのと同じように、同性に対しても「イケメン無罪」は起こり得るものなのだね。鈴木選手と正反対の位置にいるのが横綱白鵬だ。私も羽鳥さんの番組で大相撲の話題になると、「黒幕は白鵬だろ。こいつが日馬富士をそそのかして殴らせたんだろ」と常に白鵬を心の中で批判し続けてきたわけで、その意味では白鵬も可哀想だったかな。それとも、白鵬のあのふてぶてしい態度や表情はわざと作っているのだろうか。
他人からの好意に鈍感というよりは、牽制といったほうが正確だとおもう。ニュアンス的に。
一言で言い表せないような、玉虫色で、微妙な位置にある感情なので、自分の表現力ではそれを言い表すには足りてないとは思う。
今までの人生で自尊感情が育ってこなかった、成功体験が乏しかったため、ちょっとした「どうせ俺なんて」がデフォになっている。
自尊、謙遜、卑下、謙虚、職務能力の自己評価、犯罪に対し過剰に警戒する社会、非モテとして迫害されてきた高校大学、そういうった社会的・個人的・人生経験的なミクロとマクロが入り混じった結果、そうなっている。
(いや職務能力自体はそれなりに高いと自他共に評価されてるんですけどね(イキリ))
それらが入り混じった結果、「中の下」くらいの自意識になっている。
仮に自分が誰かに好意を抱かれたとしても、それを正確に把握することはできないだろう。この犯罪に対する高度警戒社会だ。犯罪者になりたくない。冤罪をふっかけてきているのかも知れない。自分自身にも犯罪に対する警戒はある。
恋愛市場から降りる人たちの理由に「犯罪に巻き込まれたくない」「犯罪者にされたくないし、犯罪を犯してしまいたくない」といったのも、潜在的に大きいんじゃないかと思っている。
イケメン無罪だよね。北原みのり「五郎丸はいいのよ!」とか、女性たち「あたしの夫(彼氏)の壁ドンはいいのよ!」とか言うんなら、男性たちはみな五郎丸や彼氏(夫)になろうと努力するので、男社会が終わらない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/315767065/comment/masudamaster
それはズルいよ。だったら、男はみんなその「たった一人のパートナー」になろうと(抜け駆けしようと)頑張るから、結局はモラルハザードが終わらない。 → http://b.hatena.ne.jp/entry/315767065/comment/masudamaster id:white_cake
http://b.hatena.ne.jp/entry/322980436/comment/masudamaster
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http://blogos.com/article/210432/
https://twitter.com/search/live?q=MERY+再開
https://mobile.twitter.com/search/live?q=MERY+復活
evilな事業、サービスであっても、多数の女に支持されれば生き残れるという事例が出来てしまいそうだ。
女は「イケメン無罪」の事例にあるように、好き嫌いでしか物事を判断しない人種であり、好きになれば相手が何をやっていても構わない、という性質の生き物である。これをDeNAは見ぬいていたから、次々と女向けビジネスを立ち上げているのだ。
女に気に入られたら無敵になるのだから
④テキスト形式は陰キャの脳みそになじむから(実際ツべやニコは陽キャばっかり)
まとめサイトとかでも、「女はカス」「イケメン無罪」「リア充爆発しろ」、「〇〇駅のマンホールに殺虫剤撒いた結果wwwwwwwww」
どー考えても、陰キャ目線だと思う。
2000年代は陰キャがネットやってたから、それもそうかなって感じだけど。
いまだに、「二次元最強」、「AV女優がアイドル超えてる」、「AKBで手越が~」、「クリスマス中止」と、陰キャ目線だ。
陽キャネタって何があるかな。錦織ネタとかでも、結局、陰キャ目線での話が主になる。
あれかな、陽キャの発言って、別に面白くなりにくいから書き込みされないのかな。
ツべのはじめしゃちょーみたいな、陽キャに本当はあこがれてるけど、そういうのできないからネットに書き込みってパターンなんかな。
陽キャって、「面白いから人気ある」んでしょ?なのに、全然ネットじゃ面白さが伝わってこないんだよ。
陽キャの面白さって何?
リアルでは、皆で酒飲むだとか、女とやれるとか、そういう具体的なメリット出てくるのに、ネットじゃマッタクでないな。
なぜだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20160316231324
女性と男性、労働と結婚と出産などの、ここ100年くらいの状況って総括するとどうなるんだろ?
よくまとまってる記事とかブログとか本ってない? なるべく私怨が少ないやつで。
この辺の問題を論じるとき、参加者は背景の共有ができているのだろうか。できてないと話ズレるとおもう。
要点キーワード列挙するとこんな感じ
男女、歴史的経緯、政治の無策、教育、自分で考える能力のなさ(政治の無関心)、権力構造、時代に適応して価値観を変えたり次世代に引き継ぐことができない権力層
■昔
選択の自由がない単純化されたシステムだった。キツいが、役割を果たせば成立しているシステムであった。でも役割がキツすぎたのか反発が起きていく。
男性が労働して家族を養っていた。つまりそれだけの給料をもらえていた。ただ、家庭と職場の両面で社会的重責が課せられた。その反動か家庭内では暴力的だった。
女性は労働しづらかった。だから一人で生活が不可能なので、旦那を見つけて専業主婦するしか選択肢がなかった。たとえ暴力旦那でも。
男女がお見合いで利害の一致によってくっついて家庭になるので必然的に子供もできた。
このとき男性側のメリットって何なのだろうか?メリットというよりは社会的圧力だろうか。
あまり能力がなくても就職できさえすれば年功序列によって救われた。
女性は生きていけないので、旦那がイケメンかどうかとか言ってられない、なりふり構ってられない状況であった。だからブサメン男性も救われていた。
■現代
男性の給料が減り、家族を養うどころか自分一人を生かすのも危うくなった。男性一人の収入で家族を養えるのはごく限られた一部になった。
女性は能力と意志さえあれば働けるようになり、一人で生活が可能になった。とはいえ給料は男性と同じかそれ未満。給料的に置かれてる状況は同じ。金が無い。
このことから、子供を作る場合は共働きでないと収入面で辛くなった。それでも働いているので時間がなかったりしてかなり厳しい状況なので子供を作れなくなった。DINKSという。
仕事も育児もなんでもこなすスーパーウーマンなんかはごく一部である。共働きとはいえベビーシッターを雇えるような状況でもない。
親子間での殺人事件、ネグレクト、子供の騒音問題、ベビーカー問題、子供への犯罪、養育費の高騰、核家族化による育児サポートのなさ、大学まで行かせても低い就職率、ブラック企業、日本の将来性など、子供の未来にも暗い影があることも出産を抑制している。
それに子供以前に、結婚をしなく・できなくなった。女性は自活できるので、結婚への圧力は減り、恋愛は自由競争化しお見合いが減った。なので市場価値の高いものを志向するようになった。昔の男性のような家族を養える高収入、アイドルブーム、二次元の発達による美形、などを志向する風潮。
また、労働の能力や意思がない女性は、昔の時代の女性が受けた暴力の反動を根拠とするアジテートからか、都合の良いATM旦那や家事育児旦那を求めたり、痴漢冤罪や恋愛弱者男性の迫害といった、婚前・婚後を問わない男性への社会的暴力を開始した。昔の男性の罪など知らない現代の男性にとってはこれを不服とし、「イケメン無罪」「※ただしイケメンに限る」「メンヘラ」「(イケメンには良い顔をする)クソビッチ」などの揶揄・批判用語を作り出して応戦した。泥沼化している。
※昔の男性の罪は、現代の男性が負うべきなのだろうか。罪というかみんな別々の辛さだったんだけど。その批判なら男性でなく明治政府に対してすべきでは?
男性に対する結婚への社会的圧力も減ったので、男性側も結婚を選択しないで済むようにはなった。というか市場価値不足によってしたくてもできないのも大きい。女性の社会的暴力に辟易してしまう成分もあるし、二次元の発達、性風俗に従事する女性の美形レベルの向上もある。旦那がガンになったら捨てられたりする。熟年離婚。セーフティネット、互助機能が家族から失われている。「病める時も健やかなる時も〜」という宣誓は何だったのか。昔のところに書いたように、イヤイヤでも仕方なく結婚したケースも多いから仕方ないのか。
「労働の意思や能力があり、自活できる女性はDVから救われ自由を手に入れた」わけだが、「労働の意思または能力がないので高収入旦那ATMを必要とする女性」はあまり救われてない感じである。ATM旦那を見つけたとしても、そんな妻をもった旦那のほうはイヤイヤ結婚生活であり苦痛である。鉄道模型を捨てられたりするし。
恋愛市場価値の高い男性は引く手数多であり、未婚率が男性が高く女性が低いのは、そういった男性が再婚をするからである。
恋愛市場価値の高い男性と、低い男性との間でも溝ができた。「恋愛のアドバイスだって?じゃあさ、まず女の子と食事いくとするじゃん?」といった、前提レベルが違いすぎる分かり合えない溝を産んだ。
労働の能力や意思の無い(低い)男性は、強い社会的圧力にさらされている。
昔は年功序列によって無能も救済された。だが、徐々に能力主義になっていくにつれ無能は淘汰され、そもそも入社できなくなっていく。しかし昔の無能は年功序列によって上層部になっていくので、能力主義による淘汰を免れた。いまでは上層部の中・高齢者は無能と有能が混在し、中堅以下の中年や若年には無能が存在できなくなった。そういう組織構成になった。医療の進歩で寿命が延び、高齢化社会になったのもある。
それでもニートは200万人くらいいるらしい。「働いたら負け」の名言も産んだ。デイトレードと新小岩も産んだ。
※ニートはなぜか上限が35歳までで、そこまでしか統計を取っていないようだが、あまり年齢上限の意味はないと思う。
昔から現代を通じて「男性への労働圧力」はなんら改善されていないし、反発もされていないのだが、ニート200万人が無言の反発ともいえる。
昔の男女の役割固定の価値観は、現代の役割や生き方の自由化しようとしていることと相性が悪い。男だって働きたくない、男だって家事育児したい、女だって働きたい、女だって産みたくない。昔の価値観どおりにいくのはごく限られた一部であり、多くの現代人の足かせになり、もはや適さない。誰も得せず不幸にするだけ。
現代人は昔の人に教育をされたわけなので、昔の価値観が教育されている。それがもはや現代人を幸せにしない価値観なのにも関わらず。だから価値観を再構成する必要がある。そこに気づくことのできない、"優等生"現代人が、その意味も理解しないまま社会的圧力の次世代の担い手となり、自分自身をも苦しめている。昔の人の誰得価値観を守るために。20代-30代の労働における自己肯定感の低さと自殺率の高さたるや。棄民された氷河期世代も含まれる。
結婚・出産への社会的圧力は減ってはいるが、無くなったわけではなく、むしろ昨今の年金問題と少子化問題が深刻化するにつれて圧力が復活しているようにも見える。政治的失策を国民に責任転嫁する形で。
先述の「昔側の男性」に属する為政者による発言にもそういった圧力が増えた。産む機械発言とか。それが、男性へは収入(労働)への圧力、女性へは収入(労働)と出産への圧力となっていて、男女間でのさらなる火種となっている。というかすでに炎上しているところに油を注いでいる。
テロがなくならない本当の理由は、世界を変えるためには選挙に行くよりもテロをしたほうが効率的だからである。
しかしながら、テロなどしたってそうそう世界は変わるわけはなく、選挙に行くより少しマシという程度なわけだが、これは厳然とした事実だ。
私の印象だと、選挙制度というものは民意を抽出する手段として不十分だ。
選挙とは、民意を抽出する手段の一つにすぎないはずなのに、選挙であることに拘り過ぎてる。
そんな時に、国民全員にアンケートをするなんて、無謀だと思わないか?
10000人もアンケートを取れば十分だと思う。
それで、街角でとっつかまえて即答してもらう。
投票所に来てもらうとなると、強烈にそのサービスに好意的な人と、強烈にそのサービスを嫌う人ばかり投票所にくることになる。
比例代表は○○党にお願いします。って別の党の候補者が言ってるだろ。特に連立を組んでるJ党とK党なんかは。
そういう戦略性も含めて、選挙が公平っていう考え方もあると思うけど、手段と目的を間違えてる感がありゃしないか?
例えば、選挙権をランダムに10000人に与えて、選挙権が与えられた人間はかならず投票所に来なければいけない。来なかったら逮捕。
ランダムに選ぶってところが、システムの開発にお金はかかるだろうけど、それだって今よりはお金も安くあがるだろう。
街頭で支持政党をアンケートして、その割合で議席を振り分けたほうがよっぽど民意だろ。
そりゃ、街に出てるリア充と出ないひきこもりで支持政党が極端に違うってこともありえるから、街頭調査という方法が正しいかは検証の余地はあるだろうけど。
あるいは、間接民主制なんかやめて、A法案に賛成か反対かをメールで国民全員に送りつけて返信してもらえばいい。
あ、でもそうするとワタミみたいな会社だと社員全員会議室に集められて、上司の監督の元で投票させられちゃうだろうな。ダメだこりゃ。
あくまで選挙によるということを重要視する価値観は、古代ギリシャのなかでしか通用しない。
イケメン無罪とか、バイセクシャルが普通とか、そういう価値観までひっくるめた、文脈のなかでは、選挙で選ぶことが善なのだろうけど、現代においては、イケメンだって犯罪を犯せば償わなければいけないし、バイセクシャルは少数派だ。
選挙が絶対という考えだけが残っているけど、上記の通り、民意を抽出する手段としては不完全であることこの上ない。
相撲で白黒つける政治や、亀の甲羅を焼いてひび割れの具合で政治するよりは少しマシであるが、その程度でしかない。
バーッカじゃねーの?
相撲で決着っていいよな。
若いほうが強いだろうし。
山本耕史のアタック方法がストーカーみたいだ、なのに許されるのはイケメンだからだーウワーン!みたいなのをよく聞くけど、堀北真希にとって山本耕史はイケメンなのか?という話がしたい。
先に言っておくが私は山本耕史ファンである。別の人目当てで観た舞台に出ていた山本耕史に、ひと目で心奪われてから彼の出る舞台はたいてい見ている。それまでの私だって山本耕史のことは知っていた。当然、顔だって知っていた。だが、彼のファンになったのは彼の舞台上での動き、しぐさ、華やかさ、みたいなものが素晴らしかったからだ。これはドラマではあまり分からなかった。つまり「仕事ぶり」である。
一方、山本耕史の顔はというと…確かにベビーフェイスでブサイクではないが、俳優として圧倒的にイケメンではない顔という印象である。いや、私の周囲に限れば圧倒的イケメンであるが、堀北真希である。彼女のまわりには山本耕史以上の水も滴るイケメンが掃いて捨てるほどいるはずだ。
山本耕史が俳優として堀北真希ほどの位置にいるかと問われるとやはり疑問があるし、頭髪はギリギリだし、何より彼は38歳なのだ(否定したがる人が多いけどたいていの26歳女子にとって38歳の男は産廃だからね)。
それに山本耕史は数々の浮名を流してもいる。本気で言い寄ってきているかどうかの確証なんてとてももてなかったのではないか。
では山本耕史の何が堀北真希の心を動かしたのだろうか、と考えると、やはり「舞台上の仕事ぶり」に落ち着くのだ。舞台での共演がなければ、堀北真希は連絡を無視し続けたのではないだろうか。
つまり堀北真希は、(堀北真希視点で見ると)条件もそれほどよくない、すごく年上の俳優を、みなさんの大好きな「中身を見て判断」したのではないだろうか。
風俗行ったら、風俗嬢が「イケメンなんて興味ないよー、えー?へいせいじゃんぷー?まったく興味な~い。え~?二宮君は~~~~う~ん。相場君は~~~ってか!イケメンとかじゃなくて嵐は性格いいっぽいじゃん!」
と言う感じで。ふ~んって思ったわけで。
さんざん女は「イケメン興味ない、男は中身!」って言うのが多いからじゃあジャニオタってのはどういう感じなん?って思って調べてみたらさあwwwwwwwwwwwwww
「ジャニーズで性格よさそうなのは~~~」 「性格悪い子はジャニーズでもダメだね~~~」 「スキャンダル報道されてる時点でプロ意識無いって思う!ファンに申し訳ないならやってても隠すべき!」
みたいな?
「スキャンダルっていうけど別に共演くらいで叩くのは異常だし~~」 「本当に頑張ってる子に失礼!」 「私なら見る眼なかったってガッカリする(←wwwwwwwwwwwww見る眼wwwwwww)」
みたいな?
いやいやいやいやwwwwwwwジャニオタですら『私性格重視ですけど?』って思ってるんだなwwwwwwwwwwwジャニオタであることに矛盾してるだろwwwwwwwwwwww
「嵐は見た目は超絶イケメンじゃないけど!性格よさそうだから好き!」←wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
やっぱり「ブサメンは公害、イケメン無罪」 「イケメンにされたことは嬉しく感じて、ブサメンにされると気持ち悪いと思う→イケメン君やさしい!→私性格で選んでる!」ってパターンかよwwwwww
擁護できねえぞこれwwwwwwwww
痴漢や強姦の被害を受けた女性でも、加害者がイケメンであれば許すしブサイクなら即通報するものだ。
それが、日常的に行われている性的なスキンシップであったり恋人同士や夫婦間の営みの最中であってもだ。
気持ちが良ければそれで不問だし、気持ちが悪ければ訴える。ごく自然の行動だ。
さて、日本の世の中では不倫は悪しきものとしているが、実際はどうだ?
ある元アイドルの不倫報道では浮気相手の男がイケメンだったため周囲の反応は意外に良かった。
一方、大鶴義丹やそのまんま東の不倫はどうだったかというと、女性陣から総スカンを喰らっていた。
この事からも分かるように、日本社会では理不尽といっていいほどイケメンが優遇されブサメンが不遇な扱いなのだ。
よって、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが証明されただろう。
採用基準に顔判定というのがある。
履歴書やエントリーシートに顔写真を貼らせるのは、為人を見るためでも今後の選考用だからでもない。
その人が美形であるかどうかを見るためだ。
例えば、受付嬢の募集で必ずと言っていいほど美人が採用されているが、顔採用を行っているためだ。
それは会社の顔を決めるためであり、篩に掛けられるのは顔かたちが整った人間であることが前提だ。
学歴なんてものは、社会生活に全くといっていいほど役に立たない。
世の中には学歴採用を謳っている会社はごまんとあるが、その内情は顔採用のついででしかない。
日本社会では、まずイケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが前提だ。
例えば、会社説明会や他社へのプレゼンで顔の整った人間と、そうでない不細工な人間ならどちらが説得力があってその会社が素晴らしいと感じられるか、である。
内容が多少稚拙でも、イケメンであれば許されブサメンであれば許されない風潮はあながち間違いではない。
マスメディアは、道端の人間で近くの不細工よりも遠くの美形の意見を尊重する。
それは、そういう人の意見の方が視聴者に正しい先入観を与えられると考えての行動だからだ。
逆にそうしないマスメディアがあれば、それこそ物事を正しく公平に周囲に左右されず客観的に捉えられていると言えるが、
そうでない事が多いのはまずメディア自身がそれを恣意的に行うためである。
彼らは、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪という前提があって初めてジャーナリズムをかざすことができるのだということを理解している。
こうして、彼らの印象操作が巡り巡って日本社会の循環を担い、結果的にイメージ戦略が出来上がるという仕組みを手伝っているのだ。
小さいのに露出度の高い格好してたら、そりゃ襲ってくれと言ってるようなもんじゃん
正直犯人は許されないけど、被害者にも同情はできない。だって襲われるような恰好してて襲う奴が悪いって発想だもん
ナンパも互いの同意がなければ半ば売春買春のそれと同じなわけで同意があっても最近は逮捕者出てるでしょ。
金さえせしめれば男の人生は終了でいいっていうような女の子が最近増えてるのも分かる。
ましてジャニタレに物凄い執着する小中学校の女の子からすれば理想は当然高い。AKB48とかいう売春集団もプリクラ流出とかで見かけるけどアレ皆DQN系のジャニタレみたいな子ばっかじゃん。今のトレンドを象徴してるでしょう。そうなるとジャニタレ未満のフツメンはブサメン同様通報されるのかな?
面白いよね、最近小中学生に対する需要(ロリコン)が増加していくけど一方で逮捕者も増えてるじゃん。
しかも逮捕されるのは実名で下手したら住所もバレて村八分じゃん。そこまで危険を冒す奴も阿呆だけど、そういうのを相手にして商売してるJSJCはホント末恐ろしや。
警察も警察で検挙数・率で昇給が決まるから女の子が売春しようが見て見ぬ振りをし続けるところは面白いね。そりゃ犯罪増加するわ。
つまり一連の事件っていうのは、小中学校の女の子が売春婦の格好して阿呆なおっさん捕まえて金貰ったら通報して警察に逮捕される構図なわけ。要するに警察もグルってことだよね。
男だが、満員電車で痴漢と思われる様な行為を一回だけした事ある。
高1の時。身長が低いので、ちょうど自分の股間が前の女性のおしりに当たってしまう。
今なら体勢を変えるのだが、その時は高1である。
今思うと、前にいた女性は間違いなく嫌な思いをしただろうと、痴漢だと思っただろう。
それを思い出すたびに、相手の気持ちを考えるたびに、マジで死にたくなる。
今でも自分の性欲に罪悪感がある原因の内の一つになっている。
イケメン無罪とかの考えの根底には、そういう罪が許される可能性みたいな最後の希望というか、許される場合もあるという免罪符のような機能があるような気がする。