はてなキーワード: ふつうとは
採用したやつが、
ふつうぶん殴るかクビにするだろ?
これが内閣総理大臣ならどうだ?
というか、誰かが勝手に決めた不幸の枠組みで右往左往するのやめなよ。
なんでそんなに自分から不幸な方向ばっかり向いて生きようとしてるの?生きてて楽しくないでしょ?
増田は自分が不幸だって思い込みすぎ。世の中もっと楽しいこといっぱいあるぜ?
増田が弱者男性になりたいって思ってんなら自分が弱者だって思い込んでおけばいいけど、不幸だ不幸だって嘆いてる人間が幸せになれるわけないだろ?
ふつうに生きてるだけで幸運な人なんてまず居ないし、みんな忘れたい過去も片手で足りないくらい持ってるだろ。
そんなことに囚われてないで、スーパーに行ったらお惣菜が20%引きだった。っていうくらいの小さな幸運に気づいて、幸運を積み重ねていった方が毎日楽しいぜ。
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
数年前に辞めた職場にいたおばさんが本当に嫌いで今でも突然思い出しては嫌な気持ちになるのでここに吐き出させてほしい。
普段は仕事中に怒られたり嫌味を言われてもすぐに忘れるタイプなんだけど、この人にされた事、言われたことは忘れられない。
たぶん自分にとって許せないのラインをガンガンに越えてきたんだと思う。
もし今こういう人が近くにいてキツい人はどうにかして離れることをお勧めする。
私は期間限定だと分かってたので耐えた。が、ふつうにキツかったしトラウマ化した。
おばさんは私の倍くらいの年齢だった。上司とかではない。おばさんの年齢は自分で自分の誕生日前後に騒いでたから知った。そういうところも嫌いだった。
おばさんて書いてるけど見た目はきれいにしてた。見た目より若い自負があるらしい。結婚はしてなくて、それ自体はどうでもいいんだけど職場の人の家庭をディスったり、あの人はアプリで結婚したとか奥さんの見た目が冴えないだとか言いふらしたりほんとに嫌いだなと思った。
基礎体温や生理周期、婦人科系病気歴、履いてる下着 社食で周りの人が聞こえる音量で話すの気持ち悪かった。
仲良くないどころか嫌いなのにプライベートを根掘り葉掘り聞いてくるところも嫌だった。彼氏の写真なんか見せる訳ないし名前すら教えたくなかった。8割くらい答えずごまかしてたらキレてきたけどなんで教えてもらえると思ってるんだろうか謎。
おばさんから、○○さん(複数人)は意地悪だから気をつけて というような忠告をよくもらってたけど、おばさんがそんなんだから、そんな態度されちゃうんだよ…
徒歩30分以内にある学校。
保育園 3以上
幼稚園 3以上
小学校 3以上
中学校 3以上
養護学校 1
共学中高一貫 1
共学高校 3
女子高 3
大学 4
春になるとここに通う女の子たちの露出度がいっきに上がる。休日平日にかかわらず朝から晩までホットパンツやミニスカートの女の子たちがわんさかで、歩いていても自転車に乗っていてもそこいらじゅうかっこいいふとももときれいな脚だらけ。ミニスカート、ゆるめのホットパンツで自転車に乗る彼女たちを正面から見たら、あたりまえのように鼠蹊部もパンティーもふつうに見えてしまう。そして彼女たちはつぎつぎにやってくる。しょうじき目のやり場に困る。目を伏せて歩く、ぜったい見ていないとわかるようそっぽを向いてガン無視する。すれ違いそうになると用もないのに道を曲がる、追いつきそうになると立ち止まる。はっきりいっていい迷惑なんだよな。みんなほんとにきれいだけどさ。
本当に何も中身がないというか、
年齢がいっているようだが、IT業界の実務経験があるわけじゃなし、
理工系の学歴があるわけでもなし、「これは」という専門があるわけでもない。
PCWatchの清水さんはネットワークに強く、他にもモニタの色調だけに特化したライターさん、
アメリカのIT動向に特化した人などもいて、それぞれためになることが多い。
スタパ斎藤さんなどもガジェットに強く、実際に購入して触っているから、記事に説得力があるのである。
内容は本当に「一般PCユーザーが気づくこと」を水増ししているだけw
しかもそれが20年近くいっこうに改善されないというのが稀有だと思う。
年齢的にも70近いようだし、もうこういう中身のない人は消えていくだけだろうなと思う。
意味のない空疎なモニュメントとして、最後の存在になると思う。(彼以外のライターはすべて読む価値があるのだから)
もちろん記事を書いているということはこういう批判を受けるのも覚悟の上だろうし、
実力がある若手にその枠をゆずるのが、彼にとって社会に唯一できる貢献だと思う。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/config/index.html
緊急事態延長でいまだに関東の対象が「東京都」だけなの意味不明すぎるんだけど、なんで関東圏ぜんぶ対象にしないの?
ふつうにGWの連休も都民は千葉に神奈川に遊びに行くだけなのに。それが5月中ずっと続くわけでしょ?感染拡大させたいようにしか見えないけど・・・
同じ悪夢を繰り返し見る。鬱で自殺した姉が生きている夢。夢の中の私は、はじめ「これは夢だ」と思う。だってお姉ちゃん死んだじゃんと。でも姉はニコニコ楽しそうにしている。買い物に行ったりおしゃべりをしたりとしばらくふつうに過ごして、やっぱり姉は生きてたんだ、と舞い上がる。そのうち私はこれを現実にしたくて必死に頑張る(夢だって意識があったりなかったりする)。夢の中だからルールが無茶苦茶なんだけど、隠れてる姉を探し出せば生き返るとか、アイテム?を集めれば生き返るとか。そして途中で目が覚める。あれ?さっきまでのは?としばらくぼうっとしてるけれど、そのうち現実を思い出す。姉はもう居ない。私が死なせてしまった。愕然とする。もう8年も前なのに、未だにこんな感じ。重い話で傷付けるだろうから人には相談できない。こんなのしんどいだけで誰も得しない。近頃は日中は思い出さなくなったけれど、こういう夢になって出てきちゃう。意味ないのに自分を責め続けてる。贖罪ぶってるけどやめられない。吐き出せる場所がここしか思いつかなくてここに書いた。ごめん。読んでくれた人。お姉ちゃん。
めんどくせーなオメー!!
どうなりたいの?
まさか、「動物嫌いにもっと市民権を与えろ」「動物嫌いでも万人から受け入れられる世の中になってほしい」って言ってんの?
あきらめるんだね。
食べ物にたとえたらお前はハンバーグが嫌いですって言ってるの。
パクチーが嫌いなら「ああそういう人もいるかもね」だけどハンバーグやカレーライスが嫌いだと変なやつ扱いされるだろ?
それを少数派差別だと思いたければ思っていればいいが、たいした社会的不利益をこうむっていない以上は受忍して生きるのがふつうなんだよ。
お返事が遅くなりました。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/38215/00391753/1-2_henikabu0407.pdf
この資料の左側の帯グラフと右側の表は、それぞれ1行ずつ対応しています。よって、「左記以外」というのは「左側に示した帯グラフからは除外された人々」という意味だとわたしは解釈しています。確かに、「左記」がフキダシを示すというのは、言われてみればありうる解釈かと思いますが、わたしにはまったく思いつきませんでした。
しかしその上で、「左記以外」のフキダシの中身が「下記以外の人」という二重否定になっていたことに、気付いていませんでした。ふつうに「下記の人」として読んでいました。
否定や二重否定となると論理脳が混乱してきますが、ひょっとして、大阪府の資料作成者も混乱しているのではないでしょうか。むしろそうであってほしい。
とりあえず、大阪の資料に対して、わたしもやや懐疑的になりました。
「どっちやねん」「インパクトのある問題でもない」という最終段落にも、まったく同意します。
ちなみに、「スクリーニング検査の分母も公開してください」という要望は大阪府に送信済みです。たぶんめちゃくちゃいそがしいだろうし、あまり期待していませんが・・・。
社員就業規則で1か月前に申し出るように求めていたり、引継ぎを完了して辞めるように求めていたりすることもあるだろうけれど、それを強要したら違法。
管理職としては社員が辞めたら少ない人数で業務を回すことになるので、引き留めの為にその情報の不均衡を利用することはあると思う。
「君の為に人事部に退職願は出さないでおいてやろう」とかやって妨害する奴もいる。
あと、引継ぎが...というなら、具体的に何を君がやっていて、どれをだれに引き継ぐかを文書化してみなよ。
引継ぎ計画をちゃんと立ててそれを提出してくれたらむげにNoとも言いずらいよ。
一応俺も管理職をやっていて、採用も退職の処理もしたことがある。
採用するときは正直、採用を決めたら、その時からすぐ働いてほしいくらいだ。人が必要だから採用をしているわけだからね。正直、かつかつでやっているなかにやっと許可が出た採用枠なんだ、最大限活用したいよ。
退職を申し出られたら、速攻で受理する。俺が前職で転職先が決まっているのにダラダラと慰留され、本当にうざかったから、それを反面教師にしてる。
その時にまず決めるのが関係各所にいつ退職を伝えるかだね。俺的には退職日から2週間以上前を目安にしている。余裕をもって引継ぐにはそれくらいいるからね。
そして、早いうちに今やっている業務の棚卸をしてもらい、誰に引き継ぐかを決める。