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もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
先週北海道へ行ってきた。2泊3日。ので自慢させてほしい。
天気も雨が降らずかといって快晴というわけでもなかったが、18~22度くらいを行ったり来たりで薄い長そでシャツ+カーディガンでちょうどよかった。
るるぶを読み込む&フォロワーにおすすめを聞いた結果、「回転すしトリトン」か「回転寿司 根室花まる」が評判が良かった。「函太郎」は梅田にもあるらしいので今回は除外。熟考の末トリトンへ。
事前予約ができないので、12時に着いてから1時間ほど車内で待った。でも普通の回転寿司に並ぶくらいの時間だった気がする。
寿司はマジでうまい!ネタも分厚いし、シャリをハーフサイズに選べるのでうれしい。ネタも新鮮!
しいて言うなら脂がノリすぎてて後半で気持ち悪くなったくらい。炙りサーモンとか、炙りエンガワとか、炙り何とか系は気を付けたほうがいいかもね。
アナゴ一本寿司みたいなやつがマジでうまかった。ふわふわのとろとろで、横に付けられた柚子胡椒と合わせるとまたうまい。
飲み物は頼まず2人で4000強かな? あのレベルなら大阪じゃもっと金出してることを考えると大満足。
その後、札幌市内に入っているので、時間を有効活用しようと時計台見学。これはまあ、一生に一回で十分かな……。
すぐ近くの雪印パーラーの本店でパフェを食う。アイスもうまいけど生クリームがウメーんだこれが。
16時前になってきたので、定山渓の温泉宿へ向かう。夕ご飯~朝がビュッフェスタイル。刺身のゾーンやアヒージョにできるゾーンにあった海鮮、おつまみゾーンの多種多様なチーズ・ハムがうまい。おなかがいっぱいなのでおつまみメニューばかりを食べる。
起床。朝食ビュッフェの前に朝風呂に向かう。きれいだったし、天然温泉だった。あ、あとパナソニックのいいって言われてるあのドライヤーだった。
ほどほどにするように心がけて、この日は9時前には出発。
結構かかった気がする。まぁ道路は広いし混んでないしで普通にドライブとして楽しかったから気にならず。
その後富良野方面へと下るがラベンダーはまだ早かったな。夕張メロンとジャガバター、スープカレー、ラベンダーソフトを農場で食べた。
この時点で16時かな?19時半にジンギスカンの予約をしていたため、移動距離を考えて札幌の素泊まりホテルへと戻る。
ジンギスカンの美味しいといわれてるようなるるぶ掲載の店はカウンターが多くて小ぢんまりとしていて予約しづらかった。まぁその分めっちゃ美味しかった。
もやしと玉ねぎが食べ放題だったのでそっちでおなか一杯になっちゃったかも。
二人前7000円。2~3杯ずつ飲んでそれなのでまぁ満足。
最終日。
札幌の美術の森?に行った。ちょうどやっていたピクサー展がめちゃくちゃ面白かった。美術というより、数学も数学と科学との世界だった。子供がいっぱい見に来ていて、これは子供は退屈じゃない?大人のほうが楽しめるんじゃないかな?と思っていたが、体験できるプログラミング講座みたいなもので大人よりよっぽどすごいの作ってたから己の偏見に反省した。
楽しかったけどぶっちゃけ入館料も高いし、美術の森自体は正直そこまで他は見るもんないかなと思う。時間に余裕がなかったらいかなかったです。
その後すぐに小樽へ移動。
14時に小樽のガラス館にて、吹きガラス体験の予約を入れたため、駆け足で海鮮丼を食べる。ウニが地元とは別物レベルでうまい。
噴きガラスは楽しかったよー。3週間~4週間後に郵送されるらしい。楽しみ。
お土産に佐藤水産で海産物を買い、みそバターラーメン、きのとやの極上生クリームアイスを食べて帰着。アイスは色々食べたけどここのが一番うまかった気がする。
お疲れ様でした。
個人的に定山渓の宿が本当に良かった。トマムの星野リゾートを取るつもりが予約が埋まってて急遽探してもらった場所だったわけだけど、風呂はきれいだしアメニティは過不足なく行き届いてるし客室は広くてきれいだしウェルカムティーなどのソフトドリンクがよかった。
値段もそこまで無茶苦茶高いわけでもなく、これが関西にあれば毎年行ってたなぁというレベル。
最初は最終日の宿をここにしてゆっくりするつもりだったけれど、お土産とか買って荷物が増えると思うので札幌の市街地のホテルを後日にした方がいいですよと代理店に進められてホテルを逆にしたからこういう行程になった。
でもぶっちゃけお土産なんて全部新千歳空港で事足りたから、言うこと聞かずに最終日に温泉宿にしたらよかったなぁと話していた。
近所のファストフードがタッチパネル式で注文と会計を済ませる機械を導入してて、店内に二台、①・②とあるんだけど、両方とも人が操作中だったから①の方で後ろに並んでたんだ。
後から男性が一人来て、その人は②の方に並んだ。で、②の方が先に空いた。
そしたら、待ってた男性が俺に「使っていいよ」って具合に②の機械を指すジェスチャーをしたんだよ。たぶん、待ってた時間で言えば俺の方が長かったから、ってことなんだろう。
正直、すげえびっくりしてしまった。前にも駅の精算機で同じことがあって、そのときは若い女性に「先使っていいよ」ってやられたんだよな。
俺、そのときもかなりびっくりして、「あ、ども」とか言って使わせてもらったんだけど、今回のファストフードのときは「いや、大丈夫っす」ってことわった。びっくりしすぎてリアクションが安定しねえんだわ。
これ、譲ってくれた人らが優しいの?それとも、 MAXのときの妊婦に電車の席譲るレベルで当然の話?
マナー未満の優しさを社会で示すのが単純に恥ずかしい、みたいなことがあって、特に礼儀ってことでもないなら今後もやんねえけど、みんなやってるの?
えびさわ由紀【参議院東京都選挙区支部長】 @ebisawayuki
応援演説時に猪瀬さんの手が私に触っていると話題になっている案件。朝日新聞の記者が取材に来られたので「特に当たっていない」とお応えしました。その後、動画を見た人から肩には当たってるようだと指摘されましたが、まったく気にしてませんでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ebisawayuki/status/1537667334470770688
・それでも当事者ですらない人間が大騒ぎしてネットリンチを仕掛ける
AED問題を気にする人はこういうことを問題にしてるんだよね。法的責任なんか関係ないんだって無法な連中が現にたくさん居ることがはてブですら容易に証明できる。
救助してる様子を撮影しろとか主張してる奴がいたけど、その映像がネットにアップされ、無関係のお前らみたいなのが
「救助してるフリして胸触ってる!」とか言い出して同調したバカが叩き出してネットリンチが始まるわけ。
99.9%が肯定しても0.1%のキチガイが否定しだしたら数百人からネットリンチ受けるんだよ。
当然それは不慣れで焦って作業してるうちの1場面だったりするけど、そんな真実すら関係無い。
そんな話が女性が関わる問題になった途端にネットで腐るほど見かけるんだよね。
リンチに加担してる連中が「AED使用なんて問題無いよ。叩かないよ」とか言ってるの笑えるな。
お前らのそういう行動が原因じゃボケ
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。昼:おかし。夜:クルクル寿司。(たまご、納豆、オクラ、ネギトロ、いか、シン・イカ、えび、漬マグロ、カンパチ、シマアジ)
○調子
○シン・ウルトラマン
けれど、だからこそ、人の生死は理屈で決めちゃいけない、そう感じさせられた映画でした。
ザラブ、メフィラス、ゾーフィらリピア以外の外星人は地球人類を尊重しておらず宇宙規模や多次元規模のマクロな視点、カトクタイの滝君の言葉を借りると神の如き視点から地球人を攻撃をする理屈を付けていたのが、この作品を読み解くキーワドだと感じた。
ゾーフィはベータボックスにより兵器に転換できるから、人類を抹殺すべきだ。
メフィラスは自分が上位の存在になって独占したいから、人類にベータボックスを授けて兵器化を進めるべきだ。
リピアと同じく現生人類を好きだ、と語るメフィラスも、その気持ちにこそ嘘は見受けられないものの、やっていることは侵略行為であり、彼の好きなある程度マクロな人類は守られるが、ミクロな視点で見たとき傷つく弱い人たちが生まれるのは明白で、作中でも言及されていた通り。
この理屈付けの有無こそが、リピアとそれ以外の外星人たちを切り分ける大きな違いなのかなあ。
理屈が付けれないリピアに対する、そうでなかったザラブであり、メフィラスであり、ゾーフィである、そう感じた。
結局、理屈なんてどんなふうにも付けれて、例えばゾーフィの言う地球人類の兵器化の危惧だって、だからこそ光の国で手厚く保護する必要があると言う結論でもいい。
メフィラスの現生人類が好きだからこそ自分が管理するという考えも、今の人類が好きなら尚更余計な神の介入は避けた方が現状維持になる、という考えでもいいわけで。
とどのつまり、神の視点から見れば人類を抹殺する理屈も人類を守る理屈もどうとでもなるんですよ。
そういう神の如き視点を持つ外星人たちと比べると、リピアの理屈は心もとない。
人類が愚かで幼いことも認めているし、神永が子供を守った理由も理解できていない、メフィラスと違ってゾーフィに指摘されるまで人が好きになったこともわかっていない。
けれど、わかっていないからこそ、理屈が付かないからこそ、そこに生きている市井の人々の、普通の人々の多種多様な生き様を見守ることの尊さをリピアは知っていたのかな。
コーヒーも服も、一人では作れない群れないといけない弱い生き物である人を、ただ守る。
ゼットンが空に透ける最中でも当たり前の人生を送っていた普通の人々、あのカットが僕はすごい印象的だった。
そして、ゼットンを倒すために群れの力で導き出した計算式で二段変身じみた殴り方をするウルトラマン。
光の国のウルトラマン達は、地球人から見ると神の如き強さなんだけど、それでも1人の知恵じゃ足りないことがある、群れることでウルトラマン1人じゃできないことができるようになる。
リピアはそれを身をもって知って、自信が神ではないとタキくんに教える。
ウルトラマンが、これからも作中で名前の出てこない普通の人類を見守りながらも、一緒に暮らして見守り続けてほしい、そうはならなかったのが少し心苦しいのですけど……
それでも、マルチバース的には人類と共存するウルトラマンもいるだろうし、シン・ウルトラマンの世界もこれからも続いていくのだと思う。
なんかクタクタダラダラととるに足らないことを書いてしまったけど、
「痛みを知る(のは俺だけでいいから)一人であれ」的な自己犠牲スピリッツではなく
「痛みを知るただ一人(の神ではない普通の人)であれ」という、意味なんだなあとスタッフロールで聞きながら感じたことを言語化したつもりでした。
無いと言うには語弊があるかもしれない
好んで食べるのは豆腐、玉こんにゃく、ボイルえび、カクテキ、ヨーグルト、塩キャベツ、蒲焼さん太郎、えびせんべい。
好んで、というよりこのあたりしか買わないし食べない(一人暮らしなので好き勝手やってる)。
まあ面倒くさいけど食べないと死ぬし、食べなきゃいけないなら、まあこれならいいか・・・ってカゴに入れるくらいの。
菜食主義とかいうわけではなく、ローストビーフとか鶏ささみとかは食べられる。面倒だから外食でしか食べないけど。
ハンバーグは「こういうのならいける(玉ねぎはざくざくか、肉は固くないか、ソースはデミグラスではないかとか)」という許容範囲が狭い自覚があるので基本食べない。豆腐ハンバーグはおいしい。
魚は比較的好きかもしれない。面倒だから買わないだけで。面倒な思いをしてまで食べたいかと言われるとそこまでではないので、回転寿司以外で魚を食べることもない。
絶対に食べないのは揚げ物。面倒くささの極み。食べ物としても好きじゃないので外食であっても食べたくない。
子どものころから唐揚げとかコロッケ、カツといったお子さん大好きメニューが軒並み苦手だったので、歳のせいではない、と思う。まだ20代だし(震え)
揚げ物だけど天ぷらは食べられる。わさび塩につけて食うとうまいよね。まあでも好んで食べるかというとry
時流に乗るとカツ丼は絶対食べられる気がしない。見ただけで食欲減退する。親子丼も無理。
根本的に食べることがそんなに好きじゃないんだと思う。その上好き嫌いが多いので何食べたらいいのか分からん
早死にとか病気とか覚悟の上で、それでも嫌いなものを無理して食べる生活がイヤすぎる