はてなキーワード: 描写とは
「自分など生まれるべきではなかった」みたいな発言させてたのは
同じ身の上の自分を見てるみたいで寒気がした
名誉マーレ人って概念そのものがエルディアとマーレの両方から距離の空いた自らの民族的なアイデンティティを確立できない在日の立場をリアルに表現している
漫画原作のテレビドラマにおいて、メディアに合わせた原作の改変は必要不可欠である理由は多岐にわたります。異なるメディアはそれぞれ独自の特徴や表現手法を有しており、原作を忠実に再現するだけでは視聴者に響かない可能性があります。以下に、この主張の背後にあるいくつかの理由を探ります。
第一に、漫画とテレビドラマは視聴者に情報を伝える手段が異なります。漫画は静止画を通じて物語を進め、読者は自らのペースで進行を制御します。しかし、テレビドラマでは時間と映像が制約され、瞬時に情報を伝える必要があります。このため、漫画からドラマへの適応においては、ストーリーの要素や登場人物の性格を調整することが必要です。メディアに合わせたテンポや伝達方法の工夫が、視聴者により深く訴えかける手段となります。
また、漫画とテレビドラマでは視聴者との関わり方が異なります。漫画は一人で静かに読むことが一般的であり、読者は自身のペースで物語を消化します。しかし、テレビドラマは多くの人が同時に視聴する媒体であり、共感や感動を共有することが強調されます。原作の改変によって、視聴者とより深い共感を生む演出やストーリーの変更が可能となります。
さらに、漫画からテレビドラマへの移植においては、映像表現の力を活かすことが求められます。漫画では描写が限られている中、テレビドラマでは音楽、演技、映像など多様な要素が組み合わさり、より豊かな体験が可能です。このため、原作の改変を通じて視覚的な演出や音響効果を活かし、物語に奥行きや感情の深みを与えることが重要です。
原作の改変はまた、新たな視聴者を引き込む手段ともなります。漫画原作のテレビドラマは、原作ファンだけでなく、新たな視聴者にもアピールする必要があります。時には原作とは異なる展開やキャラクターの変更によって、予測不可能性や新鮮さを提供し、広範な層に愛される可能性が高まります。
最後に、制作上の制約も考慮すべき点です。特に長編漫画をドラマにする場合、全てを忠実に再現することは困難であり、短い時間内で的確に伝えるためには適宜の改変が必要です。これにより物語の要点がしっかりと描かれ、視聴者にとって理解しやすいものとなります。
総括すると、漫画原作のテレビドラマにおいては、メディアに合わせた原作の改変が不可欠です。異なる表現手法、視聴者との関わり方、映像表現の利用、新規視聴者へのアピール、制作上の制約といった要素を考慮し、オリジナリティを損なうことなく、より良いエンターテインメントを提供するためには、柔軟なアプローチが求められます。
アニメ業界では割と昔からこのネタはタブーで無くなってるので何度も描写されている。
忙しければ8話だけでも十分。主人公の妹が突然ラノベ書いてヒットしてアニメ化された時のエピソード。
展開自体はフィクション満載だが、実際にアニメ化される際の原作者の孤独感、無力感が見事に表現されてて秀逸。
脚本家の倉田英之は小説家として自作のアニメ化も経験しているためにここまで書けたのだと思う。
こちらは「第三飛行少女隊」という漫画のアニメ化に関するエピソード。
現在連載中の漫画をオリジナルを織り込んでアニメ化しようとしていろいろと苦闘してる。
以前の原作のアニメ化でひどい目にあった原作者との折衝がリアル。
わかりやすい悪役として担当編集の茶沢が出てくるが、彼のような人間は実際の現場にもよくいる。
彼を挟んだ地獄の伝言ゲームのせいで現場のヘイトは「わがままな原作者」に集まってしまう。
どちらもエンタメなので最後は超展開で主人公なりメインどころが活躍して問題を一刀両断に解決するが実際にはそうはいかない。
原作者を擁護してくれる優しい兄貴はいないし、最近の出版社は作者を護る意識の薄いところも多い。
伝言ゲームで事態を悪化させた奴は平気で逃げおおせて出版社やテレビ局や代理店に居座ってる。
原作者は本来法的にはとても強い立場なのだが、実際の映像化においては素人扱いでかつ孤独な立場になる。
サポートや折衝に特化した職務は事実上存在しない。一番身近な編集者も映像化には無力なことも多い。
出版社のライツ、マルチメディア事業部あたりがその役目を果たせればいいのだが、現実は伝言ゲームのヤバいプレイヤーの1員と化してる場合も多い。
https://middle-edge.jp/articles/H5pzT
”1981年日本公開。
一時期の流行語にもなった「キッチンセックス」なる言葉を生み出した作品。
ジャックニコルソンとジェシカラングの絡みがとにかく激しかったです。
でもこの映画は単なる愛憎劇ではなく、計画~実行~犯行後と殺人事件の一連の流れの中でのスリル、人物描写が実に見事で、主演の2人の熱演が光る見ごたえある作品になっています。”
https://www.eigarape.com/foreign-films/thriller/the-postman-always-rings-twice/
洋画レイプシーン:郵便配達は二度ベルを鳴らす/The Postman Always Rings Twice
”浮浪者のフランク・チェンバース(ジャック・ニコルソン)は道路ぞいのカフェ兼ガンリン・スタンドに足を踏み入れた。その店では店主とその妻コーラ(ジェシカ・ラング)が働いていた。コーラのの官能的な肢体は、明らかに彼女の今の生活とは不つりあいに見えた。店での下働きを引き受けることになったフランクは、数日後、パパダキスが出かけた隙に調理場にいたコーラを襲う。初めは抵抗していたコーラも、フランクの強引さに抑えられていた欲情が爆発し、自らキッチン・テーブルの上にあお向けになりフランクに身をまかせた・・・
どうですか、この名作っぷり。・・・有名な着衣のままのファックシーン、もうゾクゾクしますな。ちなみにニコルソンは郵便配達ではありませんぞ”
オカルト要素がなく人のエゴとか欲望とかが絡み合う素晴らしいストーリーが魅力のガンダムSEEDまでオカルトになってしまうとは、、、
20年待ってこんな酷いおバカ映画を観させられることになるとは…(褒めていない)。完全に蛇足。
確信犯的に笑わせに来ているところとか、痛くて失笑ものだった。設定がオカルト過ぎるし、ストーリー展開が雑過ぎる。アクション・メカ描写は質量ともにハイレベル。
言いたい事は山ほどあるし、ツッコミ所多いんだけど、SEEDってガンダムシリーズで一番オカルト要素無い作品だったのに、やっぱそういう感じなの?
ガンダムSEED映画の感想その7。ほぼネタバレなし。ニュータイプ概念の拡大解釈し過ぎで敵キャラがテレパスとか憑依霊みたいになってるし、後半はご都合主義を超越してユニコーンみたいなオカルトガンダムの世界に踏み込んでます。これはそろそろどうにかした方がいい。
https://twitter.com/rein_rainydoll/status/1750772629781565627
種自由の完全版が見たい(あのボリュームを2時間で詰め込もうってGO出したん誰私はもっとSEEDが見たい特に生々しい人間関係とよく分かんねえオカルトでは解決できない限界の世界観が好きなんです)
個人的には盛り上がる箇所は非常に盛り上がったという印象です。
令和の時代にSEEDが公開された事で最高に嬉しいですし、映像、曲、演出共に最高だったと思いますが最後のオカルトパワー全開の展開が残念に感じました。
本日1本目『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』鑑賞終了。
楽しかったけど……いや、なんだこれ。
あと最近のガンダムはどうにもオカルトに走る傾向があって、それは嫌いじゃないけど、今回のクライマックスはやり過ぎ。
流石に若干引いたぞ。
https://twitter.com/44nekozegawa44/status/1751079507044569120
ガンダムSEED映画、ユニコーンの呪いでオカルト化してるのが不愉快。ズゴックの中にあんなもん仕込んでるなんて、まさにオカルト(笑)
https://twitter.com/rein_rainydoll/status/1751191551001473402
ガンダムSEEDの映画はUCのようにオカルトっぽくなって世界観が崩れたように思えたのが残念だった😾
https://twitter.com/sakurav_198605/status/1751309629064392984
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:チキンラーメン。ポテチ。クッキー。夜:りんご。ヨーグルト。大根と玉ねぎとキノコとたまごのスープ。間食:なし。
○調
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ。
すっかりお馴染みになっている株式会社オレンジが定期的にリリースしている低価格のDL専売テキストアドベンチャーゲーム。
警視庁の取り調べ専門の部署に配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に仲間達との事件捜査を描く短編集形式のシナリオになっている。
シナリオライターがTHE鑑識官シリーズの方という売り文句なだけに、1話完結の短編集、主人公が若い女性、相棒のAIマスコットキャラがいるなど外枠の部分に共通点がある。
システムは株式会社オレンジ恒例のそれで、オーソドックスなADVの形式で容疑者との対峙、聞き込み、捜査などを行う。
(捜査箇所や移動場所を選ぶ際、カーソル移動の挙動がよくわからない点もここまで変わらないと愛おしくなってくるね)
取り調べ専門の部署という特異な設定があるにはあるものの、よくある推理系ADVの通り現場にも行くし、聞き込みもあるしで、ゲームのプレイ感としてはそこまで大きな違いは感じなかった。
登場人物達も良い意味でも悪い意味でも癖がない良い子ちゃんが揃っており、引っかかるポイントがなかった。
例えば、海外で飛び級で義務教育を終えているため16歳の若さで働いているミズキなんかは、いかにもな設定だが、彼女を掘り下げる具体的なエピソードは駄菓子の酢イカが好きなところぐらいで、かなり薄味。
芝犬の渾名がついているワンコ系青年の小柴レオとは、犬猿の仲ながら実は内心で通じ合っていそうな関係値も、それらしさがあるだけで深掘りはされていない。
短編集で5編入っているのだが、肝心の事件の方は最初の3編はかなり薄めの作り。
三つともかなり真っ直ぐな事件になっている上に、取り調べ専門の部署という縛りのせいで、フーダニットが謎の主題に置けないのが窮屈そう。
リニアで一直線の謎解きが続き、作中人物達があたかも最初から今回の事件のページ数を把握しているかのように、序盤のこれがミスリード、終盤のこれが本丸と区分けしていくような、非常にモドカシイ作りになっていた。
スチル絵が被害者や容疑者のそれしかなく、遊びの文章が無いのは、流石に硬派がすぎる。
というように、三つ目まではかなり褒めるポイントが少なく厳しい出来だったのだが、四編目と五編目は前後編になっていて文量が確保出来たからか、面白かった。
レギュラー登場人物それぞれに活躍の場面があり、事件も二転三転しつつ容疑者も多め、さらに内輪に犯人がいるかもしれない疑惑が盛り上がりを感じた。
取り調べ専門の部署という設定も、最終盤の展開を考えると腑に落ちる部分があり面白かった。
ミステリ的な薄味感とキャラクタ描写の少なさはは最後まで変わらなかったものの、取り調べ専門の捜査官が目指す場所を情緒たっぷりに描く最後の取り調べは面白かった。
全編このクオリティであればより良かったのだろうが、終わりよければ全て良しだ。
クリア後のおまけエピソードも数分で読み終わるものとはいえ、脱力ものの緩いコメディとして普通に楽しめた。
続編も作れると思うので末長く続いて欲しいし、できれば主人公にもカップリング相手が出てくるとそういう楽しみ方も出来てより良いと思った。
なお、三話でとある人物が夜中に同性の家に招待されジャグジーに入るシーンがある。
トリックの都合でジャグジーに入れたい気持ちはわかるものの、夜中に金を返すと言われて呼び出されたのにジャグジーに入る必要性がない上に、それなりに関係性が悪化している以上、どうやってジャグジーに誘導したのかの詳細が明らかになっていないのが気になって仕方ない。
増田みたいに屠殺に快楽を見出す人はどちらかというと少数派じゃないかな。
そこに需要があるなら視覚効果で屠殺演出に力を入れたゲームがあるはずなんだけど、世に出てるハンティングゲームの多くは動物を追いかけて仕留めるまでを楽しませる作りになってるよね。
弱った動物のモーション・破壊描写の実装コストとか、動物愛護的な理由もあるだろうけど。
次に感覚フィードバックの話だけど、これがまた大変なのよ。任天堂やソニーがちょっと質の良いモーターを組み込んで振動をグレードアップするのにだいぶ時間がかかったよね。
あれだけでも技術的に苦労してるし、気持ちのいい振動パターンを作るのも実はコスト高いのよ。
PS5のアダプティブトリガーには可能性を感じるけど、特定の指先レベルだとできることにすぐ限界が来る。他増田が言ってるみたいにゲームセンターの大型筐体に実装するくらいしかないんじゃないかな。
他の変わり種で言うと、温度はどう頑張ってもヒーターでじわっと暖かくなるから臨場感に欠ける。手が濡れた感触は、水でも血みどろ感が味わえるそうだけど、自分はコントローラ濡らしたくないなぁ。
まずは簡単にヒュッケバイン問題を振り返る。知ってる人は読み飛ばしてね。
ヒュッケバインとは、1995年に発売されたゲーム「第四次スーパーロボット大戦」に登場したゲームオリジナルのロボットを指す。
このデザインは誰がどう見てもガンダムのパクリである。選択式のカラーでは白・青・赤のガンダムカラーにすることも可能だった。
(ヒュッケバインに関して、初稿はバイザー型の独自的な頭部デザインだったが決定稿でガンダムフェイスになったのも有名。つまりデザイナーが寄せたのではなく、ゲームコンセプトに基づきそのデザインとなった)
その後、2000年に発売された「スーパーロボット大戦α」ではヒュッケバインMk-2、Mk-3が続けて登場する。
依然としてガンダムフェイスであり、さらにコアブロックシステム(コクピットが戦闘機になるやつのこと)も追加されて、ガンダム感はまだ色濃い。
ただ紫と黄を基調としたカラーリング、中二心揺さぶる重力兵器、ごつい追加装備、当時のガンダムに見られない謎のチャクラム系の武器など、独自のアイデンティティが確立したことも付け加えておく。
その後、2002年~05年の期間に発売された、スパロボのオリジナル機体を集めた「OGシリーズ」でもメインの扱いで登場し、ヒュッケバインはファンから根強い人気を得たことだと思われる。
「ガンダムのパクリだよな」という共通認識はありつつも、それを愛でるのような状況だったのではないだろうか。
問題は06年以降。以下のようなことが起きる。この一連の事件を主に「ヒュッケバイン問題」と言う。
・「OGシリーズ」がアニメ化するが、ヒュッケバインが一切姿を見せない(部分的な描写はある)
・コトブキヤからヒュッケバインシリーズのプラモデルが販売されるが、再生産なしと販売時に明示される(実際今に至るまで再販なし)
・「OGシリーズ」のゲーム新作で、ヒュッケバインMk1~MK3が並んで登場するが、イベントシーンで跡形もなく壊される。もちろんその後そのゲームで再登場なし。
・ヒュッケバインからガンダムフェイスなどのガンダム的要素を取り払った「エクスバイン」等のメカが代替的に各メディアに登場するようになる
このときのファンの反応は冷静で、「まぁガンダムのパクリだしなぁ……」みたいなものが主流だった印象だ。(作中の設定と合わせてバニシングしたと寧ろ楽しんでた)
ただ状況は変わり、17年に発売されたスパロボではヒュッケバインがデザイン変更なしでそのまま登場して、ファンを沸かせた。
これを皮切りに10年間封印されていたヒュッケバインの解禁が進み、スパロボにも度々姿を出すようになる。
最近ではバンダイ製のヒュッケバインMk-3のプラモデルも販売されたが即完売。今は転売価格だ。
大人の事情があっただろうと憶測はできても、真実はまだ語られていない。
とりあえず権利的な問題は解決されたと見なされていて、ファンも堂々とヒュッケバインを愛でられる状況に改善されたと言える。
ヒュッケバインはパクリデザイン、つまりガンダムの「偽」として登場したが、上述のように色々あって権利的に問題ない人気コンテツと化した。
もはやヒュッケバインは「真」となったと言っても差し支えはないだろう。
いや、かなり特殊な事情であるし、パルワールドの悪趣味性と相まってとは一概に比較できないのは重々承知なのだが、「デザインの剽窃は創作に悪影響を与えるので絶対に許してはいけない」などの言説は、ヒュッケバインの前例を鑑みるに疑義的だ。「偽」であるパルだって紆余曲折を経て「真」として受け入れられる可能性もあるだろう。支持するファンが多ければ多いほど、そうなる可能性はある。
寧ろ、ポケモン的なデザインを模倣することは絶対に許されないとするならば、それは事実上の無期限の特許化であり、そちらの方が創作において抑制的でよほど悪影響だろう。
でも、あれは少年誌の少年マンガだから。少年の夢が詰まってて当たり前。
少女マンガにはこんなやつおるかいってなうざいイケメンが出てくるけど、そこに男が文句言うのは野暮ってもんだろ。住み分けよ。
こまけーこたぁ気にすんな
作り手の世代はまだまだそういう時代の根暗ムッツリオタクの気質を持ってるからな
必ずラブシーンを入れたがるハリウッド映画や、必ず男女のねちっこい愛憎劇をいれて痴話喧嘩をさせたがるテレビドラマと同じ
お決まりのもんだと思えば良い
ただそれを見てる側の人間を、作り手と同じ趣味や常識を持つ者とみなす必要はない
どんな表現があったとしても、「作者がやってるだけ」だ
その作品がどれだけ売れてようと、創作ってのは結局「作者が思う世界観の表現」でしかない
それは作者の内面だけにあるもので、作者本人を表すものですらないかもしれないし、まして消費者の思想を決めつけられるもんでもない
「作品に触れてる」ことで作品を自分のステータスの一部にする、自分を飾るアクセサリーとして作品を見なす、そういう軟派な発想をしてさえいなければ
逆に、作品を自分のアクセサリーにしようとさえ思わなければ、気にする必要は無いと思うんだが?
違うか?
引き出しの中には、その時代やその文化的文脈に基づいた、今の自分から見て輝いて見えるものも汚く見えるものも入ってる
すべての作品にはそういう両面、いや多面性があるんだ
そのように認識すればいいんだよ