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2021-08-10

滋賀の兄妹の事件についてなんとなく想像したことを書く

自分も母も児相職員歴あるので、滋賀事件について色々妄想話をした

今出てきてる情報の中でなんとなくこんな感じだったのかなとか、不思議に思った部分について書く

自治体ごとで大分違うので、ほんと妄想だけど

兄は小学生の頃には施設で、妹とは10歳差がある。ということは、兄が保護施設措置されてからまれたか、妹が生まれたから母の育児が立ち行かなくなったか

どちらにしても、兄と妹の縁は薄いし、どちらにしてもポジティブ気持ちは薄いだろうなあと想像する。

経済的理由措置って話なので、身体虐待ではない。ネグレクトかな。お金遣いがあんまり上手じゃなかったのだろうってことと、今回のきょうだい仲についてあんまり把握してなかった感じからも、母は精神疾患知的ちょっといか、養育能力が低いタイプだったんじゃないだろうか。

多分、児相指導にも従ってて、今回の措置解除後の自宅の訪問とかの頻度見ても、児相に対する拒否とかなさそう。抵抗する人は、帰ってから家庭訪問できないとかある。無理やりするけど。

兄は17歳で、無職ってことは高校は退学になったのかな。施設って基本的学校行ってないといられないので、退学が家に帰ることになった理由なんかな。障害者グループホームとかもそうだけど、職員配置とかが、基本的利用者日中活動してることが前提で組まれているので・・・最近不登校児も多いので、色々工夫してるみたいですが、学校に行ってないことは基本施設には居られないと思うので。

それで、妹も小学生になったから、一緒に家に帰るかってなったのかな。進学のタイミングは家に帰る子が多いです。途中で帰ることになると、転校しなきゃいけなくなっちゃうからね。

上でも想像したとおり、母は児相指導に従うタイプ身体的な虐待をしたわけではないと思えば、ある程度意思の疎通が図れて、学校という最低限の見守り機関が出来れば、家に帰るという選択肢は大いにあり得るかなという感じもします。

お母さんが十分じゃないところは、兄が補ってくれるかなという期待もあったんじゃないかな。想像以上に兄の負担が多くなっちゃったのが、今回の見立て違いだったんだと思いますが。

ずっと施設にいるという考えは児相あんまりなくて、『本当に帰れないのか』ということは逐次検討します。国は、家で育てられるのが一番だよって言ってるしね。施設ってそんないいところでもないし・・・施設施設でいろんな問題が起こるし、本当に自由は少ないし、なにか失敗すればあっという間に追い出されるので・・・集団生活地獄だと思う。

ということで、このタイミングでの同時措置解除は正直なくはない展開だと思いつつも、高校に居られなかった兄についての精神的なアセスメントとと、母の養育力不足についてのアセスメントが足りなかったせいで起こった事件なんだろうなあと思いました。

せめて、兄妹交流は頻繁にやったよね・・・?というところ。あと、兄妹それぞれの児相通所はどうだったのかな。子供から生活状況聞くために、うちではやるんだけど。

ニュースに出ている父とかパートナーとか居るんだか居ないんだかっていうところは正直児相あるあるの話なので、いたりいなかったり都合よく出入りしてるんじゃないんですかね。

2021-03-30

ほんの最近まで守られるべき個人情報なんて無いも同然だったな

2000年新卒就活して2001年からピチピチの社畜になった世代だけど、内々定後にその会社から公安みたいなマネされたのは忘れられない。

俺が内定したのは結構デカくて知名度めちゃくちゃ高い会社だった。

大学4年の秋頃に懇親会みたいなのに内定者みんな1回呼ばれて、人事だったか結構偉いオジサンとみんな個別に面会させられたんだけど、何もかも調べつくされてて驚愕した。

「君が実は二部学生なのは知ってるんだよ」

甲子園出た幼馴染の仲良しがいるんだってね」

結婚を考えてる彼女がいるのも知ってる」

高校から中型バイク乗ってたんだってね」

こちらが面接の時にも履歴書でも明かしていない事実特に感情も出さずに淡々と突きつけられて本当に驚いた記憶がある。あまりに不気味だった。

多分会社が誰か使って近所の人や高校担任かに俺のこと聞いて回ったんだと思う。

今考えたらどうかしてる会社多かった。

東大だらけボンボンだらけの一流企業だって内定者の家庭訪問やるの普通だったもん。

2020-12-17

35人学級は教育サービス向上でなく教員負担軽減策として捉えるべき

35人学級やったーさらに色々な教育サービス要求しようって感じになると、教員の成り手はますます少なくなると思う。

逆に、今回実現したのは、35人学級じゃないと仕事が回らないほど教員に求められる教育サービスが増えたためなのだ理解すべきだ。

から教育が次に手を付けるべきなのは更なるサービスの向上でなく、サービス見直しだ。その一例に部活動が挙げられるだろう。

先日も「動物園」という名称公立中学校教育環境が悪い件が話題になっていたが、私が指摘するまでもなく、その理由部活動にあると思う。

1日当たり2~3時間部活動指導に当たれば、そういう生徒の指導にまで手が回らないのは当然だ。土日に家庭訪問することさえできない。

からといって、部活動時間後に生徒指導までさせるなんて酷だ。先生方にこれ以上残業を強いてはならない。

そもそも教員側に部活動指導強制する法的根拠はない。体裁上は、部活動指導教員自発的意志によるものなのだ

から先生方がそのことを主張してその時間生徒指導なり教材研究なりに回せれば一番いいのだが、同調圧力的なもので難しいだろう。

から、生徒側から変えたらいいと思う。

まり学習指導要領上、部活動は生徒の自発的活動である規定されているだから部活動の実質強制加入から禁止したらいいと思う。

加入者が減れば、教員法的根拠を主張しなくても必然的に、部活動に当たる教員が減る。そのリソース生徒指導にも回せるようになるだろう。

それよりまずは、先生自身余暇を十分に取ってほしいと思うが。生徒指導大事だが、先生自身が元気でないと学校が成り立たない。

とにかく、時間はかかるかもしれないが、そういう教員というリソース適正化が、生徒指導を含めた教育環境の充実に繋がっていくと思う。

国家公務員働き方改革の流れに合わせて、その周辺も改善されることを切に願う。何よりも、公教育を受ける未来の子どもたちのために。

2020-11-23

学校教育精神科医

一対一で勉強を教えているんだったらなんとでもできるけど、集団の秩序を維持しながらこれを行うのは難しい。教える中味と進度が決められている中でこれを行うのは難しい。

ある種の児童精神科医は、集団の振る舞いを無視しているが如き言説が多いような気がする。その辺りを人権を最大限守りながら、職人技で切り盛りするのが熟練した教員教員仕事精神科医仕事なんかよりも遥かに難しい。

精神科医患者が通院しなくなればそれで終わり。教員家庭訪問もするし、外部機関との連携もする。はっきり言って、教員のほうが高度なセラピーを行っていると思う。

虐待的な教員は話にならない。でも、虐待的な精神科医もいる。精神科医に傷つけられている人はいっぱいいる。教員と違ってニュースにならないだけだ。

2020-10-31

自覚がない発達障害の親を病院に行かせる方法

父親がおそらく重度の発達障害なのだが、自覚がなく困っている

たから見てるとおそらくソーシャルスキルは軽く池沼入ってるレベル

発達を自覚して病院に通い専門家指導を受けてほしいのだが、いかんせん本人にその気がない

もう60歳をすぎて今更自分池沼でしたなんて認めることもできないだろうし、

かといって自分は年々目に見つくようになるポンコツぶりに面倒見る気が減退する一方だ

父は発達障害なんて概念すら存在しない時代日本の片隅のど田舎で生まれ育ち、

壊滅的なソーシャルスキル社会の日陰、会社では万年窓際として過ごしながらも、

高度経済成長と、残っていたお見合い制度に助けられてまあまあ普通人生を送れてしまったが、

会話が成り立たない度合いは壊滅的だ

横断歩道は青信号確認して渡りましょう。警察署は次の交差点を左に曲がったところです。

この程度の情報交換であれば理解可能なのだが、それ以上に複雑かつ情緒時間概念が登場してくると脳がパニックを起こすようだ

例えば、夕飯の席で仕事の話が出たとする。

父は今会社でどんな仕事をしているのか?と聞くと、

自分会社事業は何をやっていて、それが社会的にどういう機能を持っているのか?なんて話を延々と続ける

そうではない。一日中デスクに座っているのだとか、営業でどこそこの街に行っているのだ、とか、普段昼飯は何を食べているのだ。とか、

そういうあなた個人が何を考えて何を見て何をしているのかを話題にしているのだが、それが理解できないようなのだ

何か抽象概念意味機能しか意識することができず、生きている自分個人感覚感情を感じていないのか、もしくはアウトプットできないようで、

ひたすら電車時刻表を暗記しているサヴァン症候群の子ものようだ

"自分が"社会会社の中で何を求められて何をすべきなのか、という視点が一切ないので会社でも入社から定年までずっと役立たずの窓際だったようだ。

さらに厄介な事に、外では非常に憶病で大人しい人間だが、家の中では粗暴な内弁慶なので、

脳みそパニックを起こすとキレて怒鳴り散らすため、もう正直あんまり関わりたくないが、

自分としては今からでも少しづ自分障害自覚して、ソーシャルスキルを身につけていって欲しいのだが、

いくらこっちが行ったところで自分の足で病院に行くことはないだろう

専門家家庭訪問をしてくれるようなサービスはないだろうか?なんなら強制的病院連行してもらっても自分としては一向に構わないとすら思っている。

2020-09-27

最近ちょっと話題になったアル中について

俺は福祉関連の仕事なんだけど、週が明けたらアル中で緊急搬送された奴のゴミ屋敷掃除しなきゃならなくてマジ憂鬱

ちょっとだけ見たけど、ゴミ屋敷で物が多くてやゴミ散乱は覚悟してたけど、

生ごみ放置ハエゴキブリ発生、糞尿放置悪臭発生、多頭飼育崩壊での悪臭、糞尿猫毛山積みオプションまでついてた。

アル中なったのはアラサーニート。っていうか引きこもり

記録を読むともともと、ゴミ屋敷ではあって親はもともと精神疾患現在は一人は自殺、一人は精神病院

一回児相に入られたりしてまー家庭環境は良くなかったんだよね。

で、何回か近くに住む親族相談に来た記録が残ってる。

「あれにはまともに子供を育てられないし、子供が育つ環境じゃないか施設に入れろ」

 ⇒別に親は子供を殴ったりしてるわけじゃないし、御飯お金は与えててコンビニとかで菓子パン買ったりして飢えてるわけじゃないから緊急性はないか施設までは無理。

金もないのに猫を拾ってきて買いだした。避妊手術をしてないようでこっちが話をしても聞かない。避妊手術をするように説得してくれ。あのままじゃ多頭崩壊する。」

 ⇒いや軽く手術したほうがいいですよ~程度は話はできるけど、本人がするって決めて行動するもんでこっちは何もできねーよ。

最近胡散臭いやつと付き合って、金をたかられたり騙し取られたりしてるようだ。付き合いをやめるように言ったが聞かない。縁を切るように言ってくれ」

 ⇒いや民事不介入っすw 本人が任意で金を渡してるじゃどうしようもないっすwww

就職収入を得るためにまずは運転免許の取得や働くためのことを話してるが聞く耳をもたない。」

 ⇒大変っすねwでももう18歳すぎて、子供じゃないんでウチラの管轄外っすw

とまあ、要するに親戚も元々、ニートの親とも関係が悪いうえに、話が通じないし、話あえる関係じゃないし、

ニートも話しかけても返事をしたりしなかったりで聞いてるのか聞いてないのか分かんない状態だったり、連絡を無視したりする

(ニート発達障害かなんかあるんじゃないかってもっぱらの噂にはなってたらしい。まあこっちが軽く話して本人や親が何もしようとしなきゃこっちは何もできませーん)

話が通じないし、話を聞かないから何とかしてほしいって話も何回かされたけど、

いや行政関係ねーしw 民事不介入だしw 

ってかあんたらが話通じないようにこっちが話しかけても話通じてないし、話聞いてんだかなんだか分かんねー状態から。同じだ。同じ。

いやさ、田舎で近所や周りからいろいろ言われるのは分かるけど、こっちに言われてもってことよく言ってきた。

で、ここ数年は諦めたのか何もなく静かだったんだけど、

来ましたよ。

ご近所からの苦情が行政に。悪臭と猫で。

で、しょうがねーから家庭訪問したら上記ゴミ屋敷でほぼ立てずに床にウンコこすり付けながらゴミと酒瓶の間をうめきながら這いずり回ってるニートでした…。

あれは見た瞬間、地獄から這いずり出した悪魔モンスターみたいに感じたよ。

しょうがねーから親族に連絡したら、いやー前はなんとかしてあげたいとは思ってマシタガ、私ももう年で…。

入院先の連絡先ぐらいにはなれますが、それ以上のことは…。とかほざくの。

そうなるとこっちで、病院まで繋いで、大量の猫の保護とかの手続きして、退院後のこと病院協議して、

一応、こっちとしては週明けにも近所からの苦情や退院後の生活のために家の片付け掃除して、

断酒会とか勧めたけど、車の免許いから足がないとかほざいてて、まあ多分行かなくて、

そのうち金が尽きて、生活保護になって、つーか、もうすでに結構預金残高少ないみたいで、

で、多分、こいつはまた再飲酒してスリップして、ゴミ屋敷にして…。

これをこいつがアルコール依存症平均寿命の50近くまであと30年間行政が続けるのか…。

いや俺、あと数年で異動するからカンケーなくなるけどさ。

マジふざけんなよー。あー。鬱。

でさ、ムカつくのが近所に住む以前、うるさかった親戚。

相談してた当時ならなにかお手伝いできたかもしれませんが、今はもう年で…じゃねーよっ!

まあそれもムカつくんだけどさ、なんか近所の人に聞いたらたまに酒を届けてたっていうじゃねーかよ!

しかも今は、「やっと行政に繋がってくれて…。いやもうこれで公務員就職したようなもんだから」とかって言ってたとか耳に挟んでさ。

公務員就職じゃねーよ!

つかこのままだと自分の子供にまでご近所からニートへの苦情が行くから、このニートわざとアル中にして苦情が行政に行くようにしたんじゃねーのかよ!

あー、鬱鬱鬱鬱!!!

さっさとこの部署、異動になんねーかな!

2020-09-13

傘を失くしすぎる

この前セブンイレブンで購入した高級傘(1100円)を二ヶ月も経たんうちに紛失した!と思って落ち込んでたんだがよく考えたら近所のスーパーに忘れてたな、と思って、雨模様の日に安いビニール傘持ってそのスーパーまで行ってさ、無事発見、安堵、そんで傘置きの同じグリッドに高級傘とビニール傘を同居させてさ、帰りに二本ともひっつかんでミッションコンプリートや!と思ったはずなんだけど、今見ると二本とも家にないのはなぜか?二本とも置いてきたからだ、どうして置いてきたのか?俺が致命的に鳥頭バカで愚かで無能クズゴミカスから

いやいや、俺はそんなにクズではないですよ、悪いのは傘のほうだ、というか、俺と傘の相性が悪いんです

考えてみると昔っからそうだ、小学校6年で使った傘は12本?15本?田舎のガキだから出かける先は学校だけしかないんで傘をなくすことはなかった(翌日に回収できるから)んだけど、そのかわり年に二本は壊す勢いでバンバン壊してた

杖みたいについて歩いてたら骨組みが崩壊した、側溝にうっかり突き込んで取り出せなくなった、風にあおられて回復不可能な形で裏返った……とにかくまあ壊しまくっていた

中学チャリ通学だったから傘を壊す機会は減ったんだが、その代わりなのかなんなのか少し傘を手にすると瞬間的に壊れる、なかば異能めいた力を持ってたんだよな

家庭訪問に来た先生を外で迎えるために折り畳み傘を持って外に出て、手持ち無沙汰でちょっと傘の持ち手のストラップを持って振り回したら、持ち手が壊れて本体がヤブに飛んでいった

友達から傘を借りてちょっと近くの案内所で道を訪ね、友達のところに戻ろうと思ったらいつのまにか持ち手が強力な力を加えたみたいにひしゃげてた時はマジで理由が分からなすぎて恐怖を覚えたな、5分そこらで気付かないうちに傘がひしゃげることあるか?

そして都会に出てきて傘を持ち歩くようになったら、今度は壊れない代わりになくなりつづけるとき

1週間に3本傘を買ったことすらある

あんまり

傘に呪われてるのか?俺

つか、壊れると傘と俺の双方にダメージがあるから痛み分けの感じがあるんだが、なくすと逃げられた感じがして不快なんですよね

破壊するべきなのか?傘をなくすと直感した段階で、逃げられる前に破壊すればいいのか

いやいやそんなバカな、だいたいなくすとわかってるんならなくさないんだよな

傘はバカ 無能が考えた最低の道具

原始時代レガシー ゴミ

産業の敗北 人類史の恥

2020-08-24

保護犬を引き取ることを諦めたという愚痴

先日、とあるエントリーを読んだ。

保護猫を引き取ろうとした話」https://anond.hatelabo.jp/20200823143701

あ、分かるなと思った。私の場合は猫ではなくて犬だったけど。

提示される条件の数々に「飼うのに向かないのではないか」と思ったところまで一緒だった。

この機会に私も保護犬探しで感じた愚痴を吐き出していきたい。

何年も検討を重ねてようやく犬を飼う環境が整ったので保護犬を迎えると決めた。

子犬も勿論可愛いけど、ある程度の性格や体格が分かっている成犬なら自分ライフスタイルとも合っているし、それならば家族がいない保護から迎えようと思ったのだ。

そう思ってかれこれ一年近く、里親サイトを巡ったり譲渡会に顔を出したりと保護団体とやり取りをしているんだけど、今や心がぽっきり折れてしまった。

問い合わせの段階で住所氏名電話番号は勿論、年収家族構成や家の間取り、果ては結婚の子作りの予定までありとあらゆる個人情報を書かせるくせに、

賃貸からの応募は不可」とか「留守時間が多いから不可」だとか、事前の譲渡条件には書いてないもの後出しにして、個人情報だけを抜かれて一方的に切られること多数。自分らは苗字ひとつすら明かさないくせに。

たまに条件がゆるい一般譲渡主を見つけて連絡を取ってみても、大抵団体所属しているボランティアだったりして、だましうち的に高圧的な面接が始まってしまうんざりする。

団体所属している自分と仲間と犬以外の全てが敵で、里親希望者は全員人格破綻した虐待者予備軍みたいな極端な認識をしている変な人たちに一方的審査されて、無礼言動の数々に耐えなくてはいけないのが本当に苦痛

里親募集犬のページに医療費請求があるものの、健康状態に「元気です♪」としか書いていないから、詳しい健康状態を知りたくて検査内容を聞いただけなのに「疑うんですか!?心外です!あなたみたいな心無い人は犬を飼う資格がない!」などと罵られるし。

「お譲りするのは犬の飼育権だけで、我々がふさわしくないと判断したらいつでも団体に返してもらいます!」というケースに当たった時はさすがに笑った。

そうやって引き取った犬を、ある日突然奪われることを恐れずにうちの子として可愛がれるっていう人がどれだけいるんだろう。

少なくとも私は、だったらあなた達がその条件で保護犬を生涯幸せにしてやってくださいよとしか思えなかった。犬は本当に可愛かったけどこの時は丁重に辞退した。

人質ならぬ犬質を取られておかしな人たちが自分と犬との生活干渉してくるなんて目に見えてる地雷をわざわざ踏みたくなかった

それらをクリアしたとしても、フードやリード団体指定メーカー以外不可だとか、指定した方法以外での飼い方をするなだとか、家庭訪問を断るなだとか。

犬の体質や性格指定せざるを得ないというのなら分かるけれど、当然そんなこともなく全犬に同じ指定がされているか不思議

犬を引き渡す時も、必ず家の中まで送り届けた挙句部屋の検分が必須条件だったりして、いやもうそんなの怖すぎだろうとしか思えない。

飼育環境確認って言うけど、賃貸場合ペット可物件であることを証明する書類を事前に提出させられるんだから玄関前での引き渡しと撮影日時・簡単な本人証明を添えた飼育環境写真なり動画なりを提示するだけで充分事足りると思うけど。

何が悲しくて素性の分からない過激人間個人情報を握られた挙句、家の中にまで上げなくちゃならんのだと思う。

いい加減懲りたので信頼できる団体を探すべく、いくつもの団体や預かりボランティアブログSNSを覗いてみるとこれがまた酷いのなんの。

やむを得ない事情で手放したであろう元の飼い主や生態販売に携わるペットショップを驚くほど汚い言葉で罵ったり、条件が合わず里親を辞退した人を、本人が見たらそうと分かるだろうなって形で晒したり。

そういうケースをいくつも見てしまって、こんな過激な人たちと関わって個人情報晒すのはやっぱりどう考えても危険だよなと確信した。

もちろん全ての団体おかしいとは言わない。過去虐待をしたりだとか、適切な飼い方をしない飼い主がいたからこれほどまでに厳しい条件になったのだろうと理解もできる。

でも、だからと言って善意里親に対して一方的要求したり無礼過激な態度が許されるわけではないよなと思う。

犬の命に関わることだから過激にならざるを得ない、という意見を以前どこかで目にしたことがあるけど、命に関わるからこそ犬の為にも互いに礼をもって信頼関係築かなくちゃいけないんじゃないのって思う。

とにかく、自分には保護犬を迎えることは不可能だろうということが分かったので今度ペットショップに行くことに決めた。

恐らく今後一生、保護団体と関わることはないと思う。

2020-06-16

ホストクラブについて②

明日テレワークなので深夜帯だが続きを書く。

わかりにくかったようなので用語説明から

「昼職」・・・会社員公務員など。水商売風俗(夜職)ではない職業に就いている人のこと。

「tax」・・・消費税ではない。サービス料のこと。店によって異なる。通っていた店舗は35%なので例として載せた。

「鬼出勤」・・・風俗嬢が出勤日数や出勤時間を増やしてお金を稼ぐこと。専用掲示板SNSで使われている。

「掛けを漏らす」・・・文章のまま。飲食である売掛金を払えないこと。

本来ホストクラブというもの金持ちの社交場であり、暇と金を持て余した有閑マダムが行くところなんだろう。

それが今はその日暮らしの女性たちがあくせく働いて現実逃避する場所になっている。

前の日記にも書いたけど、ホストの「固める」という行為に「売掛」システムは大きく影響していると思う。

用語として「掛け縛り」というものがある。

典型的パターンとしては

①客に手持ちの現金がなくても代金を「掛け」として使わせる(もちろん同意の上で)

②客は入金日までに鬼出勤して現金を用意する

③入金日に掛けだけ払いに行ったつもりの客が、卓に通され、指名ホストヘルプホストにあれよあれよと乗せられ、再び莫大な掛けを作って鬼出勤する

・・・という負のスパイラル

なお、鬼出勤の間はお店に行く暇もないわけだが、ホストは小まめに連絡をしてご機嫌を取り、家庭訪問してみたり、同棲ほとんど家にいないのに)をしてみたりして、金蔓を繋ぎとめる。らしい。

また、この「掛け縛り」を心地よいと感じるお姫様もいるようなので、この世の常識通用しない。

ホストは毎月の売り上げで順位を付けられる。「ナンバー」というやつだ。彼らは「ナンバー」をすごく気にする。

(ちなみに、メディアに『歌舞伎町ナンバーホスト』という肩書を背負って出てくるホストがいた場合、それは歌舞伎町の全体でナンバー1ということではない。歌舞伎町の何百もある店舗である年のたった1ヶ月でもナンバー1に輝けば、以降そいつは「ナンバー1ホスト」と名乗れる。)

ナンバーは毎月の締め日までの売り上げで確定する。締め日は末日もしくは末日の前営業日グループ店舗によって異なる。

で、常軌を逸した売掛を何故お客はしてしまうのか、という点なんですが。

そこには盛大な「育て」期間がある。「育て」て「固め」られる。

出会って最初の3ヶ月くらいは、それはもう褒め殺され、プレゼントを贈られ、好きだと言われてその気にさせられ、お店にこなくていいよ(お前は客じゃないよ)と言われたり、「彼にとって自分特別なのかも」という魔法をかけられる。

まあ阿呆ですわ。

そういう点も含めて娯楽として楽しめればいいんでしょうけど、ガチ恋なっちゃう人も一定数いるわけで。

「本営」なんかは本当に悩むと思います彼氏彼女という設定なのに線引きが曖昧すぎるから

「早くホストを上がって、一緒になりたい。二人の将来のために。だから今は支えてほしい!」とかなんとか言われちゃって。

今はマッチングアプリ出会って育ててからお店に呼ぶパターンもあるそうですよ。

あと、ホス狂いには、違う店舗でそれぞれ指名しているホスト複数いたりして、本担とかサブ担っていうのもあるみたい。

「本担の店がコロナ営業してないから、サブ担のところ行っちゃお~♪」っていうノリ。

そういうやつらがコロナまき散らしてます

ホストお金稼がないと生活できないか営業しますし、実際お店で2メートル離れて接客なんて無理無理。移し合い。

そんな感じで、新型コロナウイルス世間が大騒ぎしているなか、三密しちゃうお客様は多数存在しており、クラスター化するのも必然

どうせ店が休みでも客をつなぎ留めなければいけないから、自粛中と言ってても店外で会ったりするわけで。

普通の人が我慢できることを、彼ら・彼女らは我慢できない。理性がない。

理性があったら数百万も売掛しません。

最後に、私は「客」ではありますが「嬢」ではありませんし、「売掛」もしていないし「飛ぶ」こともない。今は通っていない。職や家族を失いたくないので。

以上!!!!!!!!!!!!!!!

2020-04-30

現役の高校教員だけど、今年9月の入学(始業)は無理です

ちょうどいい機会!今やらないでいつやる!みたいな人が多くてうんざり。いい加減にしてほしい。これは学校だけの問題じゃない。早生まれや学年の定義や、そういうことでもない。

教育業界は何十年も、4~3月のスケジュールで動いてきた。お金も人の動きも、それに関係する全国の民間企業も、全てがこのスケジュールに応じて動いてる。公立高校も実質無償化になって久しいけど、それも全て、4~3月の中の国の予算組みで動く。人の動きや転勤も全てそう。各種調査統計も、5月1日を基準日として行われ、それを基礎数字に全てが動く。

民間会社もそう。仮に9月入学になったら、近いところで、学習塾業界に激震が走る。そこの決算や人の動きも全て変わる。新卒採用にも影響が出る。例えば、教科書を作る会社。それを販売する会社。机や椅子といった教育機器備品会社制服を作る会社。進路情報サポートする会社。その全てが、4月入学やそれぞれ適した時期にに最高の形で供給できるよう、工場の稼働や人的な問題など、調整している。地方だと、春先の年一回に全てを賭けた老舗の制服取扱店や教科書販売店も少なくない。

9月入学にするというのは、文部科学省が決めて、各県に通達して、予算や人の問題クリアすればOKという話じゃない。教育業界に関わる日本中民間企業も、大きな変化を迫られてしまう。事業の大幅な組み換えや、見直し必要になる。ただ単に半年ズラすとか、そういう簡単な話ではない。欧米と合わせて9月に!というのもナンセンスな話で、半年ズレによる受験機会増などの恩恵も沢山あった。

かに、9月入学メリットは分かる。受験シーズンと厳しい冬を切り離せるのも魅力的。でも、絶対的時間が足りない。今年の9月は無理。そもそも、9月にコロナが終息しているかも分からないのに、どうやって9月入学に向けて動けというのか。全国の教育業界に関わる全ての企業組織が一斉に段取りを始めれば、緊急事態宣言どころじゃなくなるのは目に見えている。

少なくとも、今年は無理なのだ2023年に9月入学を始めるからから数年かけて準備していきましょうなら、まだ分かる。でも今年はあと4ヶ月しかない。それも、コロナが終息しているか不透明な4ヶ月先。ただでさえ、現場教職員たちは、生徒の学習をなんとか継続しようと、今必死になって取り組んでいる。地方だと家にWi-Fiがない家庭も多い。もちろん、ろくに家庭訪問もできない。休校要請非人道的スケジュールで降りてくる中、どうにかできないものかと、試行錯誤しながら必死にくらいついている。そんな現場に、9月入学に向けて学校行事他全てを見直して準備していく余裕は、はっきり言って無い。無いです。

今大切なのは子供たちの学習機会をどう確保するかということ。ネットを使った環境を、いかに整備するのか。郵送でのやり取りと抱き合わせでもいい。そこに文部科学省なり県なりが経費や補償を投じて、統一フォーマットスキームを形作ってくれれば、現場はいくらか楽になる。頑張るための方向性が見える。どうなるかも分からない9月入学に振り回されるより、直接的に、目の前の子供たちのためにやれることをやりたい。

から安易に9月入学がちょうどいいなんて、そんなことを言わないでくれ。煽らないでくれ。4ヶ月でやれることでは到底ない。そして、現場はもう、耐えきれない。

2020-04-05

家に家族全員いたらその場で1万円!ってやれば外出自粛する。

暇そうなポリスメンを使って突然家庭訪問して全員いたら1万円。

一人暮らしで一人だけなら5000円。

ランダム訪問

家にいるだけでお金貰えるかもと思ったら家にいるでしょ。

ギャンブル要素もあって、来るかな来るかなー?って楽しめるし、いいじゃん。

2019-05-26

恋愛工学の人たちは男から見ても怖い

宗教とかマルチで完全に頭イッちゃってる人たちと同じカテゴリなんだよな。めげずに家庭訪問するエホバ商人極右街宣車アムウェイ、このあたりに恋愛工学が並ぶ。

2019-04-16

anond:20190416213841

ずるいといってもあんたも平凡な家庭ではあるでしょ

ガチャを恨むなら↓こんな家に生まれから恨むべき

梶川美由紀仮名)は、軽度の知的障害を持って生まれた。IQは60台。背が低く、ふわーとした雰囲気で、何も考えずに相槌だけを打っている女性だ。

両親の意向小学校中学校普通学級で学んだが、中学時代いじめにあったため、卒業後は特別支援学校高等部入学した。その後、障害者を多く受け入れているクリーニング店で働きはじめた。

由紀が13歳年上の谷亮(仮名)と知り合ったのは、その職場でのことだった。亮は自閉症わずらっていた。2人は家が近所だったことと、趣味ゲームが同じだったことで、お互いの家を出入りするようになり、やがて恋に落ちた。

結婚が決まったのは、出会ってから5年目のことだ。美由紀妊娠したのである。当初は両家の親が話し合って、中絶することも考えたが、本人たちがどうしても生んで結婚をしたいと言い張ったので、認めることにしたのだ。

まれたのは、女の子だった。2人は子供が1歳になってからアパートを借りて暮らしはじめる。だが、すぐに壁にぶつかった。美由紀離乳食づくりやおむつ替えを毎日続けて行うことができないのだ。

夫の亮もそうだった。彼は極度の潔癖症だったこともあって、よだれを垂らしたり、お漏らしをしたりする赤ん坊を触ることができない。

そこで美由紀の両親が毎日アパートに来て、赤ん坊の世話をすることになった。離乳食をつくり、お風呂に入れ、オムツを変える。熱を出した時は駆けつけて病院へ連れて行った。育児のすべてを両親が代わりに行ったのである

こうした生活は長くは続かなかった。娘が2歳になって間もなく、美由紀父親脳梗塞で倒れてしまったのだ。半身が麻痺して1人でトイレすら行けなくなった。母親は夫の介護と、孫の世話を同時にすることになる。

この状態が、母親の心をすり減らした。間もなく母親うつ病わずらい、2年後に自宅で自殺をしてしまった。

母親を失った美由紀は、保育園に通う娘の育児を1人でしなければならなくなった。

生活は立ち行かなくなった。美由紀は懸命に育児をしているつもりでも、保育園の送り迎えを忘れてしまったり、ご飯を何日も食べさせなかったりしてしまったのだ。本人も無自覚なところで、育児放棄が起きてしまったのである

夫の亮にも大きな負担がかかった。美由紀子育てをできないことから、亮が代わりにしなければならないことが増え、情緒不安定になっていったのだ。亮は娘を害虫のように嫌うようになり、時折パニックを起こして暴れたり、美由紀や娘に手を上げるようになったりした。

家庭の状態にいち早く気がついたのが、保育園だった。娘が通園しなくなったばかりか、連絡も取れないようになり、市に通報したのである職員家庭訪問に訪れた時、娘はやせ細り、全身が垢だらけになって、しゃべることさえできなかった。美由紀DVによって全治2週間の怪我を負っていた。

その後、勤め先の上司などが間に入って2人は離婚することになった。亮に子育ては無理だという判断もあったのだろう。美由紀は娘を連れて母子生活支援施設に入居することになった。

母子生活支援施設にいる間、職員が家庭の世話をしてくれた。美由紀も支えてもらうことで少しずつ精神の安定を取りもどしてきた。

そんな中で、美由紀は新たな恋をする。ビデオレンタル店で、精神疾患を抱えた男性と知り合ったのである男性無職。親が所有するアパート一人暮らしをしており、美由紀は娘を職員に預けてそこへ通い詰めるようになった。

ある日、職員が美由紀お腹が大きくなりはじめているのに気がついた。病院へ連れて行ったところ、妊娠が発覚した。どうするのかと問われ、美由紀は答えた。

「産む。彼と結婚する」

何を言っても意志を曲げることはなかった。そして、施設には黙って、精神疾患を抱えた男性と何も言わずに籍を入れてしまったのである

夫婦となった2人が望む限り、結婚を妨げることはできない。だが、母子生活支援施設には夫婦で入ることは許されていない。母子のみでの入居が条件なのだ。とりあえず、施設の側は美由紀がお産を終えるまでは面倒を見ることにした。

数ヵ月後、美由紀は第2子となる女の子出産した。ここで想定しなかったことが起こる。第2子の赤ん坊ダウン症であることがわかったのだ。

知的障害を持った母親が、精神疾患を抱える無職男性結婚して2児、しかも1人はダウン症の子を育てるのは難しい。

職員たちは何度も美由紀への説得を試み、ダウン症の第2子を乳児院へ預けさせることにした。

ある知的障害もつ女性が抱える、恋と育児にまつわる様々な問題

育てられない母親たち④

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52673

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-19

いじめ被害者大人になるまでの話

もし良かったら読んでください。

私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。

髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。

背中ニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)

小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。

今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識攻撃性もなく、学校先生家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まい5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。

家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜冷凍食品ばかりだし誕生日ほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテスト定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲーム必要ものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。

母の少女趣味で、4歳からバレエピアノ習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。

そんな子供だったから、小学3年生のとき給食牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。

私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識シフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。

いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。

運悪く、担任先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児クラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。

たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分下駄箱に他の男児上履きが突っ込んであった。

これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履き適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。

そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「何してるんだぁ!」と担任一喝すると、クラス中の注目が集まった。

みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。

担任に話を聞いてもらい、事態理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。

私は他のクラスメイトとは自分感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。

自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。

友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。

成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導いただき都道府県公立トップ高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分いじめなかった。とても驚いた。廊下男子にぶつかったとき気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。

中学生ぐらいからは、部活友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通友達や仲間ができた。

しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分高校からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。

流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。

頭の中の時間感覚おかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。

結局ほとんど絵も学問勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生身分となった。

浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。

高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。

それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市地方公務員として働いている。

陰険上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれ毎日が過ごしやすい。

20歳からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正マメにかけるようになり、あれほど男子不細工キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。

過去のことは忘れないと思う。

というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。

幸せ子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。

今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。1020年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分人生を大切にすべきだった。

そういうことは、大人になってから学んだ。

2018-12-06

anond:20181206224348

家庭訪問先生が食ったとか食われたとかないんかな?ふ

2018-11-20

anond:20181120162251

絶対評価採用校か

それはお気持ちと言って良い

まぁ評価基準が決まってるし、どうしたら評価が上がるかってのは家庭訪問とかで言及されてるはずなんだけどね

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-07-09

anond:20180708204542

小学3年生のときの話。

飼育委員だった僕は、放課後も少し残って学校で飼っている動物たちに餌をあげていた。

餌をやり終えて、家に帰るために荷物を取りに自分クラスに戻ったら、ドアのガラス割れていた。

そのままほっといて帰ろうかとも思ったけれど、一応先生には伝えておかないと駄目かなと思って、担任先生に伝えた。

そうしたら、僕がガラスを割ったことにされた。

何回も割ってないと言っても聞いてくれず、正直に言いなさいと怒られた。

反省文を書きなさいと言われたけれど、僕は割っていないから何も書けなかった。

今思うと教師から反抗的な態度に見えたのだろう。僕は何も知らないから何も書けなかっただけなのに。

何週間かしてから家庭訪問に来たときにも、ガラスを割ったのに正直に言わないと話をされた。

とにかく悔しかったけど、何を言っても駄目だったから、学校に行きたくなかった。

2018-06-28

NHK家庭訪問を止めさせたい

10年ほど千葉暮らしていたときNHKなんて引っ越してきた時に1回来たか来てないかぐらいの記憶だったのに、大阪市は一応大都市からか代行業者にとっては絶好の狩り場らしく平日は19時頃、土曜日曜は昼前と夜20時頃、真面目に家庭訪問してくれるので驚く以上に迷惑しかない。

インターホンが鳴る度にカメラ宅配業者の制服ではないことを確認して無視しているが、映らないように隠れる担当者もいたりする。当然無視するが。


一度、NHKと気付かず(尼のデリバリープロバイダと間違えた)インターホン越しに会話したのだが、奴らは驚くほどに日本語が通じない。

NHKです、ちょっとお話を」

「(深夜アニメ配信で見るので)テレビ持ってません」

「ではパソコンはお持ちですか?」

PC自作なのでテレビチューナー付けてません」

携帯電話は」

アップル信者なのでiPhoneですワンセグ映りません」

「ではお部屋確認させてもよろしいですか?」

「いま(二次元の)嫁が寝ているので」

「後日でも」

「(オタク部屋なので)他人に見せたくありません」

彼らの契約条件、即ち受信機器を一切持っていないことを説明しているのに何故疑われなければならないのか。

(友人がいないので)他人を一度たりとも上げたことのない部屋に何故赤の他人を入れてやらねばならないのか。

たとえ一度部屋を見せたとしても、テレビなんて買おうと思えばどこでも買えるのだ。

彼らの論理に基づけば、家庭訪問を止める理由にはならない。

一体NHKは何と戦ってるんだ。

2018-06-06

小学校男子いじめられて引きこもって、中学は自宅にいながら、家庭訪問教師家庭教師でなんとか卒業して、高校女子校で、大学女子大で、職場事務女性ばかりの職場なので、男性への耐性が全くない、こわい

つらい

はいえ、もうアラサーになるしどうしよう

それとなく親にいろいろ言われ始めていた

2018-05-11

家庭訪問って何のためにあるの?

わざわざ仕事中抜けして対応したんだけど、10分も家におらず、先生からの話も特にトピックはなし(「活発に発言が多くて助かってます」的な話くらい)。

こちから相談したいことも特になく、なんか微妙空気で終わったんだけど...。

家庭訪問って何のためにあるんだろうね。

家の様子を見ることでどういう子どもなのかの理解を深めるとかそういうのはあるんだろうけど。

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