はてなキーワード: 大きなお世話とは
伊東純也の件でのサッカーファンの荒ぶり方が心配になるんだけど、そんなこと言っても大きなお世話だって言われるだろうからここで吐き出す。
伊東のファンが、冤罪だと信じてる、そんなことする訳ないとか言うのは当然というか気持ちが分かるので良いんだけど、告発している女性の容姿を貶したり(奥さんが美人なのであんな女うんぬん)しているの後で誹謗中傷で訴えられたら負けると思うよ。開示請求されて何十万請求みたいなことになるのが怖くないんだろうか。
伊東側の弁護士が取材を受けてる伊東寄りの記事でも、女性二人をホテルに泊めたことは認めてるし、ジャージに着替えることを許して寝ている姿を動画に撮ってる。ほぼほぼ不倫は認めててあとは性的同意があったかどうかの争いになってるよね。
まあ泊めただけで性行為はしてませんって主張するのかもしれないけど、自分の配偶者がホテルに異性を泊めたって知った奥さんの立場からすると耐えがたい苦痛だと思うんだけど。
あとスポンサー批判も止めた方が良いのでは?不倫が濃厚な時点で激しくイメージダウンなので何やってるんだってスポンサーが怒ってしかるべきな話だと思うんだよね。
ペルー戦後にそんなことしてる余裕はないとか、純也は陰キャだからとか、奥さんが美人だからとか擁護してたけどほぼほぼ否定された気がするんだけど。
伊東純也が無実だったらファンが何も言わなくても無実だ。けど告発している女性たちが正しかった場合は無理筋擁護している人たちは誹謗中傷で訴えられる可能性があるわけで、百害あって一理なしなんだから俺は伊東を信じてるとかに留めて女性を批判しない方が良いと思うんだけどなあ。
タイトルからコイツ変なこと書くんだろと察されている方もいるかと存じますが、BEAT AX DAY1昼公演に行ってきたのですが、めちゃくちゃ良かったです!!!どのグループも素晴らしく、各々がNo.1であったことは紛れもない事実であることを強く強調させてください!(頭痛が痛いみたいだね)本当に良かった、その上で二つどうしても言わずにはいられず、ネットの波に流させて頂ければと思います。
改めて、アーティストの皆さん素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました。
では、参ります。
一つ目、オタクの皆さん、自分の推し以外にあまりにも冷たくねえ〜〜〜?!
エルサもびっくりするよ?!オラフにとって全く危険もなく安心暮らせる環境出来上がってたよ?!
今回、自分の好きなグループと姉の好きなグループ(ジャンル違い)が同じイベントに出演するというめちゃくちゃ稀有な状態が生まれ、合同コンサートに行くのが初めて参戦したゆえ歴戦の皆さんからはこんなものだよ〜!とおっしゃられるのかもしれませんが、皆自軍の時とそうじゃない時の高低差激しすぎない?!?!怖くない?!もう怖くて合コン行けないが?!
チケットの販売状況を鑑みるにこのグループのオタクが多いんだろうな〜〜とは察している+あまり名指しをするのは良くないことは分かっているのでやんわり伏せますが、目の前のベステェおばさんたち!!!後方座席だった私は全部見えてたぞ〜〜〜!!!(ギリ伏せられてなくてすみません)自軍以外のグループの時、微動だにしてねえの見えてたぞ〜〜〜!!!
※今回は運良くアリーナの席をご用意いただくことができたので上の方の皆さまは声をあげたりを振られているかもしれません、ライブ中の私はどうしても視野が狭いがちなのでご了承ください。
トップバッターの今年デビューしたばかりのボーイズグループ(バンドもダンスもできるすごい)、会場があったまりきってない+私も含め初見の方が多かったということはあるかもしれないが、百億万歩譲ってせめてペンラは振ろうよ、、、?
(前に共演して交流のあるエンテェームの時はまだギリ乗ってたっぽい?が)
あんな最高パフォしてんのにおい、、まさか、、女だから興味ねえのか?!?!あのダンスと歌声を聞いて声すら出ないのはエッ?メデューサにやられた?としか思えずマジで?と普通に引いてしまいました、
思い出せ?君たちの推しだってデビューして1年目は沢山のフェスに出まくって顔を広めていたじゃあないか、(彼らのパフォーマンスが素晴らしいということは大大大前提として)その時暖かく迎えてもらったじゃろ?(「フェスに参加された方、自担を暖かく迎え入れてくれありがとう♡」とか投稿しただろ?投稿しなくてもせめて思いはしただろ?)だから!!!!!それを返すんだよ!!!!!!
まじでちゃんちゃら、、、ハッ!チンチャおかしいぜ!!(使い方が合っているかは知らん、でもエンテェームの人たち最高だった)
MCで「人生色々あるけど、あなたの好きなアーティストはあなたがいるからこんな素敵な舞台に立ててます、だからずっと愛し続けてください、そしてもしまた別に機会で僕たちと巡り会える時が来たらあなたのために歌います(記憶力なくてニュアンス)」ってあなたの推しがいうてましたが!?!?聞いてる?!?!
ファンはアーティストの鏡という言葉がありまりますが、皆さん見られてますよ〜〜〜自分の推しに恥じないように行動しましょうね☆
そして二つ目、公開収録するならもっとちゃんと企画練ってこいよ!!!
今回出演されていた1グループの冠番組がシーズン2に入るかつ、このBEAT AXで公開収録というめちゃクソ楽しい空間のはずなのに、なんだ?!大丈夫か?!傍目で、オ・オ・ヤ・ケ・ド、よろしく状態でしたけども?!
※ここから先は来年1月より公開の番組の内容にも関わるため、読まれる方は自衛をお願いいたします※
企画内容としては
・出演されていたアーティストの方が曲中で言ってバズっていた言葉を他のグループのメンバーにもやってもらう
の2つだったのですが、どちらも、、、
ゆるい!ゆるすぎる!本当に大きなお世話だけど撮れ高心配すぎ!!!!本当にテレビか?!
アーティストに軌道修正と笑いポイント作らさすな?(お姉さんと赤ちゃんありがとう)
ねえ〜〜〜ちゃんと準備した?いつこの企画考えた?マズイ、このままだと理詰め外資系コンサル上司になってしまう、、、それくらいの危機感を覚えた、推しがバッチバッチにヤケドしてるところなんて誰も見たかないぞ???
そして、これは本が悪いのかもしれない、、、でもMCさんのアーティストたちに投げかける質問が下手すぎるだろ!!!!(そりゃ呼び捨てにされるわ!!!!)
明らかに共演が少ないだろうに「お互いの印象は?」の質問はむずすぎるて!!!もっと考えて???クローズドクエスチョンにしろ???
めちゃくちゃ困ってたやないか!!!最初はいいけど察して途中から答えやすい質問にしろよ!!!!
(皆「音楽番組で共演して挨拶程度」が枕詞に使ってて勝手に気まずくなったよ、)
はい!ババっと書きましたが、やっぱり出演されたアーティストのパフォーマンスは素晴らしかった〜〜〜!(これは本当に)どちらかというと普段はアイドルのうりゃほい系オタクなので、いざ会場に着いたら浮くかもしれん、、、と思っていたけどバッチバチに楽しめました!(このうりゃほいの血潮のおかげでどのグループのコーレスや振りをその場で覚えて出来た、、、我ながら誇り)
最近、中東イスラム研究者の池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号は重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。
だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系の博士号はレジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから。90年代以前の人文系の研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。
その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間の最後の世代なのだと思う。
その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。
人文系の博士号の取得について認識の齟齬が生じる原因は大きく二つだ。
現在では人文系の博士号の運用は理系の運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。
90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語「単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。
調べるとどうやら人文系で博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学が学位のように通用していたということである。
ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本の博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。
[科学技術指標2021・html版 | 科学技術・学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)
実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipediaの記事に詳しい。
[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)
「1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」
少なくとも90年代以前では、人文系の研究者がキャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系の博士号はキャリアの晩年に差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。
この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。
[23.博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、
平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系で23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。
いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。
博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。
このことで企業側の受け入れ姿勢を批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本の博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学に責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。
現在、特に人文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。
ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。
私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別の研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後は博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。
まして、仄聞するに、池内氏は学会の因習、悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単に学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。
池内氏の中東、イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織の設立・運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。
現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説や発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。
当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。
ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。
もちろんレディコミを中心にブスを据えた漫画も多数あることは前提。
そうは言っても男性向けは成人向けになると竿役はほとんどキモメンか醜悪なおっさんとして描かれる。
なので「男性が見たくて」男性向け成人向けを嗜む女性はほとんど考えれないのだ。わざわざ男性向けからイケメンに描かれてる竿役が出る作品を探すのはあまりに非効率だからだ。
他方女性向けは少女漫画からティーンズラブ、成人向け一次創作まで一貫して女性もなかなかか普通に現実にいたらアイドルか高嶺の花になれるぐらい可愛く描かれる傾向が高い。
よって「可愛いヒロイン目当て」に女性向けなりがるまになり漁る男性は一定数いる。ヒロインが可愛いから乙女ゲーやる男がいる奴がいるなんて話も昔は流行っただろう。
個人的にはTL漫画の方がヒロインの顔(画風)が好みであり個人的に実用的なことが多く、むしろ男性成人向けの方が描かれてる性癖や世界観がえぐくて生理的に無理なものも多く「ああいうのは男性向けとか以前に誰得なの?」と思うことさえある。大きなお世話だが。ちなみに今期のアニメでいうならお嬢と番犬くんのヒロインがどストライクにルックスが可愛いと思う人間が私だ。
一般論では男性向けと女性向けでは作品の描かれ方の視点が違い、各々ターゲット読者はその視点を感じ取りそれぞれ自分の性と一致するターゲット向けのジャンルを好むように自然になってしまうというメカニズムがあるそうだが、私なんぞは視点の違いを感じ取れるほど繊細な感性を持ってない。
視点の違いが抜けるか抜けないかに影響するほど繊細じゃないのだ。
脱線失礼。疑似恋愛を目的とするジャンルでターゲットの異性を魅力的に描くのは当然だが、なぜ同性をどう描くかのついてはこのような男女差が見られるのだろうか?
・ボランティア行って怪我したり、体調崩したら自己管理できないやつはボランティアすんなって叩かれる。
・良かれと思ってやったことが裏目に出たら、無能は余計な事するなと叩かれる。
・相談されたので無い知恵絞ってアドバイスしてみたら、アドバイス罪と叩かれる。
・怪我した子供の手当をしていたら泣き出して、子供の親に不審者として通報される。
・倒れていたお年寄りに心臓マッサージや人工呼吸を行ったら、そのせいで死んだと遺族に訴えられる。
本当かどうか知らんけど、こういう話がネットで定期的に出てくるよね。
こういう話題が定期的に蔓延するせいで、日本って人助けやボランティアやるハードルがやたら高くなってない?
東日本大震災の時のボランティア行くなら自前で水や食料に医薬品、寝床の確保まで全部準備しないと現地に迷惑がかかるって話が未だに尾を引いてる感もある。
体力に自身がない人、経済的余裕が無い人はボランティアなんてやっちゃダメって風潮あると思う。
ボランティアに限らずちょっとでも相手の迷惑になったら、迷惑になる可能性があるならそれは人助けじゃないって考える人かなり多いと思うんだよね。
「余計な事するくらいなら金を出せ」
人助けしようとしたけど上手くいかなかった人にこういう言葉が投げつけられて、ボコボコに叩かれる社会で他人に親切にしようって考える人ってそうそう居ないと思うんよ。
まあ他人の干渉が嫌で嫌でたまらなくて都会に出てきた人は、今みたいな風潮を喜ぶべきなのかもしれない。
親切とか人助けって受ける側からすれば、他人からの干渉以外のなにものでもないからな。
赤の他人に自分に都合の良い干渉だけして欲しいってのは、流石に自分勝手過ぎる。
フェミニズムというのは女性優生思想だからフェミニストの立場にたてば正しい
リベラルは女性とトランスジェンダーどちらが上級会員か決めれば良いだけ
某タレントがまだ『父親』としてコラムを書いて世の父親に正論を投げつけていた頃、丁度我が家は妻が妊娠中で、自分はイヤイヤ期の長男を抱えてほぼワンオペで仕事と家事を回していた。あの頃の夫婦仲は最悪で、僕は仕事、家事、育児を自分なりに限界まで回しているのに感謝されるどころか細かい文句をつけてくる妻にイライラとしていたし、妻も自分がつわりがきついなかで働いているのに思いどおりに動いてくれない僕にイライラしていたのだと思う。(後に、あの頃はお互いに凄く頑張っていたし申し訳なかったと謝罪しあって今は仲がいい)
そのような中で某タレントの投げかける『感謝されたいという気持ちは甘え、パパとしての心構えが足りない』という正論は多少以上に限界に近かった僕を追い詰めたし、実家サポートありで子供一人育てるだけのイージーモード育児でわかったようなことを言うなとも思った。一方で自分自身が父親として育児をするにあたっての不便さを世の中に対して感じていたのもあり、父親の育児に対する世の中の考えを変えるにはこういった少し過激な情報発信も必要なのかもしれないとも思ったし、同じ育児に奮闘する父親としての親近感も覚えていた。
それだけに、その後の彼(彼女)の振る舞いや報道については残念の一言だった。もちろん彼女が性自認のあいまいさ故にかえって父親としての自覚を強く持とうとしたのかもしれないとか、色々と思ったところはある。しかしお前、あれだけ色々言っておいて、ときに呪いにもなる言葉を世の父親に投げかけておいてお前は自分だけ降りるのかよというのが偽らざる自分の思いだった。だからといってSNSで彼女を中傷したことはなく、なんなら不特定多数の目に触れる場で名前を出したのはこれが初めてだ。しかし僕は正論をあびせるだけあびせて彼女になってしまった彼を心の底から憎んでいたし、友人との雑談で嫌いな芸能人に挙げたこともあるし、時折SNSで彼女が目に入ってくると嫌な気持ちになった。
いま、最後となるだろう彼女の近況に関するニュースを見て、正直なんとも言えない複雑な気持ちになっている。もう二度と彼女の近況が流れてきて嫌な思いをすることはないだろうし、父親だった頃のコラムを「あの時は自分も辛くて厳しい意見を投げかけてしまった」などと振り返ることもない。
考えてみると、他の家庭の育児に対してどうこう言う事自体が本質的に大きなお世話ではないだろうかと思う。コストをかけようと思えばいくらでもかけられる『育児』という仕事に対して、各家庭で様々な制約のもとに育児にコストを割いている。その中であるべき父親像、母親像を定める行いは余剰コストの少ない家庭を追い詰めるだろうし、ともすると一昔前の良妻賢母教育に近い思想にもなりかねない。
私の現時点での定義としては、宗教とは、人生において行動の選択を迫られたときにその指針となる命令又は禁止規範となる道徳をいう。多くの場合「こうすれば死んだ後で天国・極楽へ行ける」「こうすれば地獄へ堕ちる」というように、行動いかんによって死後の魂の扱いが左右されるという教えがセットになっているが、現世における救済や恵みを受けるという教えの場合もある。
この定義に従えば、儒教も宗教である。マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で分析したように、「商売で儲かることは神の教えに従った正しい行いをしていることの証である」といった信仰のあり方も宗教であることに鑑みると、「運気が向上する習慣」といった自己啓発の類も宗教である。この定義に従う限りでは、何らかの宗教を持っている日本人はわりと多い。
なお、この定義からすると「お国のために戦って死ねば英霊になれる」という教えが宗教に含まれるかどうかは微妙で、私は否定的に考える。なぜならば「どう生きるか」でなく「どう死ぬか」の行動指針であるため、「善き生き方」を示す道徳になっていないから。どちらかというと政治キャンペーンの一種に分類すべきように思う。ただ、この点は「道徳とは何か」の定義を決めないと結論を出せなそうなので保留にする。
死者は霊魂となって現世の人々に影響を及ぼすとか現世の人々の祈りが死者の霊魂を癒すという観念は、死んだら死後の世界に行くという宗教的観念と矛盾している。この二つの観念は別々のもので、宗教が生まれる前から、原始的な信心として前者が存在していたと思われる。
「死んだらどうなるのか」という不安に対しては様々な「答え」が出されており、天国や地獄で永遠に暮らすのだとか、別の生き物に生まれ変わるのだとか、現世と交流できる状態にあって時折姿を現したり人に憑依したりするのだとか、恨みや後悔を残して死ぬと地縛霊や怪異になるとか言われている。
交流したり観測したりできる存在としての霊魂の存在を信じることは、何に寄与しているんだろうか。例えばいじめられて死んだ生徒の霊が語られる際に、いじめはいけないという教訓ではなく「あのトイレには近づくな」という戒めの方が強く意識されることからすると、道徳には繋がっていない。もっとも、死者の霊を軽んじる行動を取ると祟られたり罰が当たるとされるため、死者に対する礼節という行動規範にはなっている。死んでも生者と関われるので孤独じゃないとか、死者を敬うことで自分も死んだ後で丁重に扱われるだろうとかの安心感を得られるのかもしれない。
苦しい時に頼みの綱となる「神様」は、普段はまったく信仰どころか意識すらされておらず、名前もなければどんな姿をしているのかのイメージも持たない漠然とした概念である。その「神様」に祈りを捧げることで天国に行けるわけでもないし、祈ったにもかかわらず救済が与えられなかった場合には悪態の対象にすらなる。
「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」やテーブルゲームにおける「ダイスの女神」もこの一種で、普通は人生の命運をかけるほどの扱いはされない。ただ、行動規範をもたず「幸運のお守り」に人生を賭ける人もおり金儲けのターゲットにされがちである。
「死後の世界」を司る行動規範としての神もいるかもしれないし、「戦に勝ちたい時に祈る神」「商売繁盛のために祀る神」として救済を求める神様の類かもしれないし、「こういうことするとこういう目に遭うよ」といった教訓的な寓話や超常的で不思議な御伽話の登場人物なのかもしれない。
上記のように、私の定義では「宗教」とは行動規範を示す道徳である。道徳は「どうあるべきか」「何が正しいか」を含むものであり、従って政治や法制度のあり方にも関わる。法や政治と道徳はイコールではないにせよ、深く関連している。そのため、特定の宗教の良しとする行動規範に従って法律を作り政治を行うと、他の行動規範をもつ宗教を信じる人々と衝突する。「人であるがゆえの権利」を前提とする法制度や政治は誰にも平等でなければならないことからすると、特定の宗教に立脚した政治を行うわけにはいかない。
「こう生きるべき」みたいに国家が口出しすること自体が大きなお世話と考えるのが「人権」主体の政治だともいえる。
やってみればわかるが、人権を行動規範にすることはできない。人権は人生の様々な場面で衝突するものだから、こちらを立てればあちらが立たず、その折り合いをどうつけるかが求められる。したがって人権を大事にしようと決めたところで行動指針が決まるわけではない。例えば表現の自由とプライバシー権のように。
政治を考える際に考慮すべきものではあるが、個人の人生の指針にはなり得ないので、人権は宗教ではない。
私の友人にはキリスト教や仏教の敬虔な信者であったり聖職者であったりする人たちが少なくない。また、スピリチュアルなものを信じる人もいるし、神様へのお勤めで心身をすり減らしてしまっている人もいる。信仰はとても古くから存在し、必要とする人間が多かったのに、なぜ必要なのか自分にはわからないのでずっと考えている。難しい。
申し訳ないが私は彼女の動画をまともに観たことがない。着物初心者向けの自装動画と名古屋帯の結び方動画、着物のたたみ方の動画を飛ばし飛ばし見た程度だ。
この人の着付けはド下手クソだ。
ちょっとね、と笑える程度ならいいのだが、着物インフルエンサー(笑)と言い、雑誌やYouTubeや企業コラボで着付けを教えている人にしては、拙い。
趣味の範囲で着物を着て楽しんでいる私から見ても、かなり拙い、というか無駄が多い。
私が見た範囲で具体的に言うと、
・胸紐をしてからおはしょりの中の始末をする。しかも三角に折り上げずに、ぐしゃぐしゃに上げる。
・帯をしめるときに、クリップで止めたり、すでに巻いている帯に挟めば十分なものをわざわざ仮紐を使って止めている。
というのがあった。
着物に関わりが無い人にはよくわからないかもしれないが、これらは無駄が多いし、最終的に時間がかかる。しかも所作にスマートさが無い。
いわゆる初心者向けの動画だから、初心者でも着れる方法という考えなのかも知れないが、それにしても汚い。
こういう時、「着物だって服なんだから好きな着方でいいじゃない!着付けが汚いからって大きなお世話だ!」という人が出てくるだろうが、彼女の着物は正統派に着ると考えた時にあまりに不細工だ。(おそらく彼女の着方的に和洋ミックスをしたい人よりも正統派な着方がしたい視聴者が多いだろう)
しかし、彼女がどんなにみっともない着付けをしようが私には関係がない。関係がないのはわかっているが、どうしても言いたかった。
「お前は初心者の気持ちがわかってない!すなおさんの動画のどこが悪いんだ!」と思う人もいるだろう。けれど私から見た彼女はスマートで素敵な着物を着た方では全く無いというだけの話なので気にしないで欲しい。
………やっぱりあの畳み方は下手くそもいいところだよなぁ。