はてなキーワード: 二つ目とは
三つあります。一つ目は理工系を卒業した後の就職先や仕事内容のイメージが男性的であること。
二つ目は能力差別の問題です。日本の社会には、女性は数学ができないという間違った認識、いわゆる「数学ステレオタイプ」が強く存在しています。しかし、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査「PISA」によると、日本の15歳の数学の成績は男女ともにトップレベルです。数学の成績は性別によって決まる能力ではなく個人差であると考えられています。
三つ目は、数学ステレオタイプの背景にある社会的なジェンダー差別意識です。多くの人は、理系の勉強ができる人は頭がいい人、と受け止めているようです。一方で日本の社会には、優秀で論理的に議論する人は女性らしくないという古い社会風土があるようです。私たちの研究ではこうした効果が数学の男性イメージに結びついていることを明らかにしました。
私たちは進路を自由に選んだと思いがちですが、実はこうした社会風土によって、選べる選択肢が知らず知らずのうちに狭まっている面があるのです。理工系分野で学ぶ女性を増やすには、社会風土そのものを変える必要があります。
自分はもう死のう。
さっき長く親しんできたSNSのアカウントも削除して、人間関係を消去した。
そのあと自分でしたのもおかしいけれど、亡くなった年長の友人にLINEしたことだった。自分のスマホに残っているそのアカウントに《そっちはどんな感じですか》とか《そっちでも遊んでください》とかLINEしてる。バカみたいだけど意外とこれが落ち着く。
でも意気地の無い人間だから、どこかで自分のことを誰にしっていてほしいという気持ちがあります。その誰かは知らない人でも十分だ。というか、知らない人の方がいい。
なので、これまでの想い出語りをしたいと思う。自慢話とか愚痴かもしれないけれど、まあ、死ぬときぐらい好きに書かせてほしい。
ひとつは仕事がある程度までできたこと。就職はできなかったけれど、フリーとしてそこそこ仕事はできたんじゃ無いかと思う。
30歳のときに初めて自分の本が出せた。全ての本は国会図書館とに残されると聞いていたので、これでようやく自分の証しができた、と思った。
子どものころから身体が弱く、1年間通じてまともに学校に通えなかった。勉強もスポーツもできなかった。ずっと家に居てすることもなく、ただ本を読んでいるだけの少年だった(ネットもゲームもない時代です)
そこの読書量が、あとあと効いたのだと思う。喘息はしんどかったけれど、神様はちゃんと居場所を用意してくれるんやなと思った。
ただこれは体験してみて自分の感情に驚いたのだが、本が出たとき寂しかった。風呂無しの小さなアパートで頑張ってきて、その頑張りを見ていてくれた女性がいなかった。私は人生の伴走者がほしかったのだ。苦労して苦労して、なにかを達成したときドラマなら「ゃったー」と拳を突き上げるのだろうけれど、現実には寂しさと安堵しかない。
40歳を過ぎて結婚できたことは、本当に嬉しかった。テーブルに並べられた彼女が作った晩ご飯を初めて見たとき、やっと自分も人並みの人生が送れるのかと涙が出た。
ただ私は人への想像力か欠けていて、彼女にいろいろ迷惑をかけてしまった。浮気とか借金ではなく、経済力です。だぶん彼女は私に過大な幻影をみたのだと思う。自分の名前で何冊も本を出したり、書いた記事が雑誌に署名入りで載っているから、業界以外の人は「すごい」と思うのだろう。ただ私は彼女か期待するほどの書き手ではない。私もずるいところがあって、彼女の期待をあえて否定しなかった。
どっかの料理研究家が男の全奢りに文句を言ってて、その件で料理研究家の意見に賛同してる人々が多くて正直言って驚いてしまった。
女性に奢ることは別に女性を蔑視してるわけでも、男が女性にそういう役務を担わされているわけでもなくて、単純にマナーの一環として残っているものだと思っていた。
一つ目は、現代はまだまだ男が上位を占めている男尊女卑の社会だということ。女性は差別されているし、男は少なからずその構造を利用したり、その構造に加担している。だから、男が女性に奢ることくらいは当然だと思う。
二つ目は、テーブルマナーとしての一環。食事は箸のほうが使いやすいからと言って、外側から食器を使うのは馬鹿だと言い出すやつがいたら笑われるだろう。
でも、男女論になると急に男側に有利な意見だけに賛同が集まる。女性に奢るのは男としてのマナーの一環だろう。それは合理ではなく、完成されたルールであり、ジェントルの一つであって、男女問題とは切り離されて考えるべき。
そもそも、この件で料理研究家を応援してる連中って、女性と食事に行く機会なんてない男たちだろう。単純に奢りの結果だけを見て、女性のほうが人生が有利だなどと考えてる弱者男性の集団じゃないか。
実際にはテーブル上でこれらの諍いが起こっているのを見たことがない。本人たちが納得の上行っていることに、外野から文句を言いたいだけの連中が集まっているだけのようにしか見えない。
一応言っておくと、俺は男。だから、これからも何も言わずに女性の食事は全額こちらが持つ。もちろん、女性側が拒否したいならその意思は優先する。俺は奢りたいと思っているわけじゃない。女性にいい顔をしたいわけでもない。
ちょっと前まで日本には授乳に関して二つの価値観があったように思う。
一つは授乳は隠れてやるものであり人に見せてはいけないものという考え。実家や義実家に帰って親戚が集まっていて子供がおっぱい欲しいとなった時、隅っこで隠れてコソコソやったり別の部屋でやったり。これは母親本人の羞恥心とは別に、人前でやるなという考えがあった。みんながいるところでやってると、部屋から出てやれというおっさんがいた。
二つ目は、授乳は隠すものではない、むしろみんなの前でやるもの、コソコソやるなという考え。恥ずかしいからと別の部屋に行こうとしたら、隠すものじゃないここでやれというおっさんがいた。まあこっちは単におっさんの助平心が多分にあったと思うが、一つ目の考えへのアンチテーゼ的なニュアンスもあったはず。
ここ10年くらいで、本人が気にするしないとは別に授乳は人前でやるものではないという考えが急速に広まったように思う。どちらかというと女性がこれをいうようになった。少子化の影響なんだろうね。
1つが、他人より優れた人間になることに強いコンプレックスがあるとか周りに甘やかされて天狗になってるパターン
本人は別に頭が良くないこともよくある
これは見下しているというよりはコミュニケーションエラーというべき
三つ目が、知能が高いパターン
IQが100に近い人間にとっては、自分と同じくらいの人間が世の中の80%で、自分より賢い人が50%、自分より賢くない人が50%、ほとんどの人と意思疎通ができると感じる
IQが100以上の外れ値になっていくと、自分と同じくらいの人間が世の中の5%、世の中の90%の人間が自分より賢くない世界、とかになっていく
この人たちは、自分と同じくらい賢い人間に会えると、やっと会えたと喜んでいる
見下すというより諦念に近い
https://anond.hatelabo.jp/20230925133441
めっちゃわかる。
現在進行形で個別指導塾のバイトやってるけど、どうにも学力が伸びない生徒ってのがやっぱり居る(というかうちの校舎はそういう生徒ばっか)
生徒のやる気も原因の一つなんだけど、「考える方法」のコツが分からないことが、学力が伸びない最大の原因だと感じる。
一つ例として挙げられるのが、途中式や図を書く(描く)こと。勉強に限らず何かを覚えたり考えたりする時って書く(描く)ことが重要なんだけど、学力が平均に満たない生徒はこの点が本当に抜けている。
ノートには答だけしか書かず、分からない問題は腕組んでひたすら悩んでしまうような生徒が多い。とにかく間違っててもいいから、何でもいいから図や式を書こう!と指導するんだけど、謎に頑固な生徒は絶対やってくれない。中3にもなって「ヤダ」とか言い出す生徒に対してはどう指導すれば良いのか分からず頭を抱えてしまう。
しかしながら、大半の生徒は素直にやってくれるんだけど、元増田と同じく上手く定着しない。
授業では演習量が足りないので宿題を出す。うちの塾では大半の生徒が宿題をやってくれるのだが、授業で教えたことを実践せず、とりあえずやっただけな状態になることが多い。
本来ならば宿題もガッツリ添削してやり直しさせたいのだが、それも主に二つの理由で難しい。
一つ目は授業時間が短く、そこまで面倒を見きれないこと。しかしこれは私が上手く授業を回せば何とか解決できる問題なので、言い訳であることを認めよう。
重大なのは二つ目で、他の先生がちゃんと指導しないこと。私もだがメインの先生は学生のバイトである。しかし大半の学生バイトはそこまでやる気がなく、指導が適当でぬるい場合がほとんどである。
これも元増田と同じく、毎回同じ生徒を担当できる訳ではない。なので次に担当する先生へ引き継ぎを書く。しかし、「途中式や図を書かせてください」と引き継ぎしても守ってくれないし、口答で伝えても「分かりました」と言うだけで実践してくれない。やり方を教えても、生徒はもちろん先生も覚えてくれないのである。
また、生徒に嫌われるなどストレスも抱えたくないので、学生バイトの先生は生徒に対する態度が甘く、生徒が抱える問題が放置されがちになる。
唯一の社員である校舎長もその辺の問題は把握しており何とかしようとしているものの、保護者対応など各種事務処理が山積みでブラック労働が常態化しており、そこまで手が回らない。
一応、本部の方針によりバイト講師の研修が定期的にあるのだが、「夏期講習のねらい」などのように抽象的な内容ばかりで、「途中式をかかせる」「ゴネる生徒にはこう対応しろ」などといった具体的かつ実践的な内容は皆無。
中小企業のくせに組織としての柔軟性は大企業並みにガチガチらしく、このあいだ校舎長が本部の上司に問い合わせをしたら、「別の人間に聞け」のたらい回しに三周くらい遇ったと嘆いていた。バイトの私ですら感じる本部の無能さに校舎長が不憫でならない。
しかしそんなグダグダ塾の門を叩く保護者は後を絶たない。それは元増田が指摘している通り、保護者もとりあえず子供を塾に放り込んでおけば良い、くらいにしか考えてないからである。子供の成績(結果)を考察した上で、指導方法やカリキュラムを細かく注文してくる保護者など皆無である。
近江商人の経営哲学のひとつとして「三方よし」が広く知られている。グダグダな教室(売り手)と、グダグダな保護者(買い手)により、グダグダな生徒を社会に排出し続ける「三方よし」ならぬ「三方グダグダ」なシステムが、隙間産業的学習塾の実態である。
最後に。「めっちゃわかる」と元増田に共感してしまったのだが、共感できないところもあった。
元増田はまるっきりダメな生徒ばかりだと言っているが、私はそうは思わない。いっくら勉強が苦手で成績が悲惨な生徒でも、ちょっとくらいは成長できる。今まで解けなかった簡単な方程式が解けるようになるとか、ほんとうにささいな進歩も含めれば、まるっきり成長がない生徒はいない。
しかし、こういったささいな進歩や成長は、中三受験生で中一の内容ができるようになった!といったレベルであり、受験戦争の中では焼け石に水なのである。
偏差値45前後の高校やFラン大学は廃止して、ドイツの教育制度のように、職業訓練校で実学を身に付けさせた方が本人の為なのではないか、と最近は考えるようになった。
格闘ゲームに限らずほとんどの対戦ゲームでは、勝つことが唯一のカタルシスではない
負ける→原因を探す→原因を突き止める→改善する→対戦する
これは格闘ゲームに限らず、囲碁将棋、麻雀やボードゲームやマリオカートのようなレースゲームでもそうだろう
格闘ゲームの場合、コンボなどを練習した結果、自キャラを思った通りに動かせるようになるというカタルシスも大きい
むしろ自分の納得する勝負さえできれば、負けても満足する(楽しい)という人が大半で
勝ち負けにこだわる人は見えている以上に少ないと思う
というかそういう人は逆にどんな対戦ゲームも楽しめないと思う
チーム戦にしようが運要素を絡めようがCPU対戦があろうが
結局のところ勝ち続けるようになるまでに負けることは防げないからだ
確かにチーターなど一部にはいるが、大多数が対戦すること自体を楽しんでいる
勝ちによるカタルシスを得られないから格闘ゲームが衰退するというのは間違っていて
一つはほぼ30年前にスト2が一世を風靡したときが人気もピークで格ゲー人口が最も多かったからでそこから減少しているから
二つ目はその30年前にゲーム性は完成していて要は今でも30年前のゲームを今のグラで楽しんでいるにすぎない古いゲームだからだ
昨日は何回か起きて何回か夢を見たけどほとんど忘れた
覚えてるのは一つ目は遊園地の夢
外人が多い遊園地で夜になり半袖短パンではすごく寒くなってきて周りはみんなトレーナーとか着てて、屋内遊戯施設があったのでここなら少し暖かいかな?と思って入ったらストリップ劇場だった
まぁでも寒くはないのでここで一晩過ごすか、という夢
二つ目はその時見た夢が映画のあらすじになってて7割くらいほとんど同じじゃん!と驚いた夢
夢の中ではストーリーを覚えてたけどもう全部思い出せない
三つ目は真っ白な豆腐のような建物やトンネルの中を車で移動する夢
そういうシーンだけ覚えてる
目が覚めたら忘れないように何度も反復して覚えるようにしてるけど最近はどうにも思い出せない時が多いな
まず創業のジャニー喜多川が、自分のところの商品に手をつけてたのが犯罪だよね
ケーキが大好きでケーキ屋さんになったところで、商品のケーキを食べたら自分で食べた分も売り上げに計上しないと脱税になるよね
男娼業もやってたなら届け出をしておけばよかった話かもしれない
とにかく
①目的外のことを
②隠して行っていて
③実際に被害や損害が出てた
これについては、本人を責めればいい話だよね
次に、そのジャニー喜多川の商品がバカ売れなのでメディアはこぞって使ってたんだよね
視聴を稼ぐために使うには卸してもらわないといけないので、商品に手をつけてたことを知ってても黙ってたんだよね
メディアは知りませんでしたですまないところでも見かけてましたって証言もしてるんだからほう助だよね
たしかに一つ目の「本人の問題」が大きな原因で「本人がそれを行わなければ被害は発生しなかった」のだけど
それを行うことができる環境を知りながら放置してただけじゃなくて「本人がそれをしやすいように」という流れ
つまり売れるためにはという条件を前提に追加する手助けをメディアがしてたことになるよね
セクハラしてるから使わないとか、スクープするとか、訴えるとか、やめたほうがいいと言ったりせずに
黙って見過ごすだけではなくて、そのあと起用して売るってことは第一の問題をより大きくするためにかかわってるよね
だから第一の問題と同じくらいの大きさの問題としてほう助になるんじゃないかな
ここで一旦、現在の問題についてになるんだけど、ジャニー喜多川はもういないので今後被害は発生しないよね
現状、その被害者を叩くことで故人を弔う形になってるけど、まあそういう風習なんでしょとしか言えないけど
実際今後は被害者増えないよね
でも、メディアはなんにも変わらずそのままの状態で存続してるよね
ジャニー喜多川以外で、性別も男女どちらかについて、出演の都合をしたり露出度をあげることで人気があがって
人気があがるから露出度があがるという調整の権利をもってる人が、あつかってる商品にしたいことをするために
メディアを使っているとしたら、今現在も進行形で被害をうけてる人がいるかもしれないってことだよね
でも、個人を叩くために現在いる被害者を干すことで弔ってくことでそれをかくしてはないのかな
被害者は「被害をうけました」って声を上げて犯罪を阻止する義務を行ったから共犯とみて叩いていいのかな
いじめられる側が報告義務を怠ることでいじめを助長してるとみるのがただしいという指針なのかな
問題の話にもどって、三つ目にその被害者から仕事を奪う事が問題の解決とか浄化につながるのかな
被害者は被害をうけましたって訴え出ないと、退職に追い込まれたりしたとしても内部告発しないと共犯みたいな扱いかな
第一に本人、第二に環境やほう助の協力者、第三に被害者本人のどれに問題があるのかって考えたらさ
第二のほう助が、一番利益も得ていて、一番阻止できる位置にあったのに、自分の都合のためだけに黙って、自分のうりあげのために黙ってたというのが問題が大きいと思うんだよね
そして一番問題になってない、そしらぬ顔で加害者の異常性と被害者の無責任性だけ叩いて、それでまた儲けてるみたいな
ジャニー喜多川傘下で加害者側の現存の人間もいるだろうし、それ以外の事務所や立場の人間で同じことをしている人間がいないわけではないんじゃないかな
ジャニー喜多川以外に性加害をしている人間なんていないとして、性だけじゃなくていろんな問題行為をしてる、たとえば大御所古参の歌舞伎役者が横暴だとかいう話とかなかったとしても
それでもメディアがジャニー喜多川について、その人ただ一人が地球上でゆいいつ以上な行動をとる人だったとして、その行為を許したのは本人なのか天なのか世界なのか
はたまた不動産の所有者だったのか密室の管理者だった人か火元責任者だったのか、親族なのかファンなのか広告主だったのかっていったら
やっぱり知っててなおかつ金儲けにつかったメディアがほう助しなければそんなことは防げたのかもしれない、問題を拡大したものメディアだったんじゃないかって思うんだよね
僕個人としてはメディアが、ただザルみたいに情報を伝えるだけの機能をすることが大事みたいな話をするんだったら
隠したり記者の感想を盛り込んだり、売れるものだけ偏って売るみたいなこと自体が問題なんじゃないかって思うしその結果の一つがこれなだけで
まだまだいっぱいあるんじゃないのかなって、それも小出しに売っては寝返って、だれかの責任を追求しましょうって煽って、それをまた売っていくこと自体が問題だと思った
被害者の顔をみると思い出すみたいな意味で使用を控えていくスポンサーが増えていくのは負のスパイラル感あるとおもうけどそれで浄化して立て直せるならいいかなとおもうけど
メディアはそこらに焚きつけてまたそしらぬ顔でただ立ち直れもしない被害者を燃料にして儲けていくだけってするのはよくないんじゃないかなって気持ちになってる
例のブログにめちゃくちゃ腹立ったので勢いで書く。
まず腐女子はこういう揉めそうなことで作品タイトルやカプ名を出さない。
あのブログの内容、「ABが好きだったけどACの方が凄い関係だったからABに萌えられなくなった」としても十分通じる。
それなのになぜわざわざカプ名を出したのか?
いつも使ってるブログに書くならまだわかる。しかし筆者はこの記事しか書いていない。匿名書き捨てのノリ。おそらく腐女子の間では眉を顰められる内容であることをわかっている。あるいはそもそも本来の立場とは違う人格を作っている。
三つ目。よりによってはてブロを選ぶ。
カプ名を明かしたのは、『二次創作界隈に慣れていない若い腐女子だから』で説明がつくかもしれない。でもそういう人がわざわざ新規にはてブロを開設して記事書くか?
ツイッターとかで「AB思ってたんと違ったわー」って呟いて終わりだよ(なお表記がめんどくさいのでこの記事ではXのことをツイッターと呼びます)。
あるいは伏せったーとかを使うこともあるかも。
少なくともカプの話をするときに選ばれない。
じゃあなんではてブロにしたのか? 一般に拡散させたかったからでしょ?
四つ目(追記) AB界隈が萌えてるエピを書かないのにAC界隈で萌えてるエピを書いている。
自明のことだから書かなかったんだけど、今気づいた。外野の人たち、例のブログの「AB要素は原作になくそれどころかACだった」を真に受けてるんだね。
あのね、ABはちゃんとカプにできるぐらいの関係性はあります(もちろんこれは=カプであるという意味ではない)。
・基本的にうざったがられるAのノリをBは楽しそうに受け止めるし、性格に難があって慕われないAのことを素直に慕っている。
・Aはわざわざ遠方まで行って頼れる人物にBのことを頼んでいる。
・Bが死んでいるとされていた間Aが地下室に二か月匿い、その間にBがAに鍋を振る舞うこともあった。
ほかにも沢山あるけど、AB好きならこの三つは萌えてる人が多い。二次創作にもよく出てくる。
でも元記事に書いてあったABの話はへそのごまを吸った?のみ。そんなの見たことないぞ。まぁもしかしたらどこかにはあるのかもしれないがあっても一作品でしょ。当然原作には出てこない。「AB二次はAを変態化させる」って思わせようとしてない?
二次創作が原作と違うことはよくあるけど、ABへの認識が薄すぎてこの人本当にAB読んでたのか?という疑念がわく。
以上の事から、私はあの記事は「AB好きだったのに原作読んだらACだったのでがっかりした人」を装っているACの人が書いたものだと推測する。
いやだってめっちゃ覚えがあるんだよACAの人いつもそういうこと言ってるから。
「原作読んだらACAにしかならない」「ABやADの人って二次創作しか読んでないでしょ?」「ABは自己投影」
あの記事はACAの人にとって都合がよすぎる。案の定記事に対する反応で「原作はACAだから当然」という得意げなツイートが多数見られた。
しかも極めつけはこれ。
ツイッターで何百回となく見たわ「ACAが公式でごめんね」「他カプの人って悲しくならないのかな?」「ACA嫉妬されちゃう」
みんな自カプが一番だから他カプのことなんか見てないの! A攻めカプはほかにもあるけど、その人たちは普通に自カプ内で萌えてるから普段まったく意識に上らないしなんとも思いません。たまたま見かけたらそっとブロックして離れます。相互不可侵。そういうものでしょ。
ACAだけだよ、こんなに他カプ下げつつ自カプ公式主張するの。
これだけ規模が大きいジャンルだからどのカプにも変な人数人はいるけど、ACAのヤバい人の数は群を抜いてる。
公式タグつけてACAプレゼンするし、本誌感想タグつけてACA妄想書くし(まったくCが出てこず関係ない回でも!)、公式で明確に恋人であるカプのイメソンを「これはACAのことを歌ってる」って言いだすし(あまりにこれを言う人が多かったためサジェストが『イメソンタイトル ACA』になった)。
何が怖いってこういうツイートが万バズするんだよ。普通の腐女子は公式と混同するようなツイを見たら「あ、ヤバい人だ……」って近づかないんだけど、ACAの人は自カプ公式と思い込んでるから公式タグつけたりキャラフルネームで妄想書くことに何の違和感もなく、それはもう拡散される。
ACAが恋愛関係じゃないってことにするならクイアベイティングだとか主張してる人までいた(クイアベイティングとは、同性愛をほのめかして世間の注目を集める手法。つまり原作はACAが同性愛関係にあることを匂わせており、もし本当は恋愛関係じゃないなら読者を騙して釣ったのだという意味)。
しっかりして! 公式は親友としか言ってませんよ! 二人はキスもハグもしてないし好きだとすら言ってません! CはAの強さに追いつけないことを思い知ったあと離反しテロリストになったけど、Aは追いすがらず十年放置だし再会したときもあっさりしたやりとりに終始しました! もちろん二人特有の絆はあってそれにエモを見出すのは勝手だけど恋愛関係だと断言するのはさすがに妄言です!
個人的な気持ちを言うと、お互い相手より大事なものがあって道を違えたって時点でカプにしようがない。
私も本当はこんな野暮なことは言いたくないけど、もうずっとACAにマウント取られてるので疲れてしまったのだ。
ACAが成立しない理由もABが成立する理由ももっと語れるよ。でもそれやり始めたらきりがないでしょ。腐女子大戦争だよ。だから他カプにマウントとるのをやめてくれ。
いいですか、公式で恋愛関係を明言されていないカプは等しく幻想です。
「でもこんなのどう考えても特別な二人じゃん」それはみんな思ってます。
あなたがその二人を特別かつ恋愛に発展する関係だと感じたのは、あなたの主観です。
自他の区別をつけてください。
自カプ内だけで楽しく盛り上がってください。
以上!
【追記】
はてなブログのことをはてブって言うものだと思ってたけど(なんか誰かがそう書いてたのをみかけたような)、ブックマークと紛らわしいからはてブロに直します。
>>拡散させたいなら捨てアカではてブロに書くよりは増田やツイッターに書いた方がマシだし実際長期間放置されてたので、少なくとも真剣にバズを狙った記事では無いと思っている。
でも少なくともあの記事は書かれた当時も今もACAの人がツイッターで引用してABへのマウントに使ってたんだよ。
今回はACAの人が引用→苦言を呈されて消す→腐女子じゃない人が引用してバズる、の流れ。
そのツイートへの反応見たら、ABや腐女子が馬鹿にされてるのがわかる。
腐女子が普通カプ名出してお気持ちしないのはこうなることが予測できるからだよ。
外野にとっては「原作読まないで二次創作とかおもしれーw」「〇〇って作品は腐女子がいっぱいついてるのか」「これだから腐女子キモい」だし、腐女子界隈でも「原作読まない人がABにはまるんだ……」「AB好きな人が諦めるなんてACAって凄いカプなんだな」になる。
当たり前だけどABだって原作好きで読み込んでて解釈煮詰めてる人が大半だよ。でも「原作の要素を膨らませてカプになる可能性を描く」ことと、「原作の二人はカプだって言う」ことは全然違うことだってわかってるから、違う解釈の他カプを貶めたりしない。
ACAの人が自カプを上げるために名指しで攻撃してくるのは今に始まったことじゃなくて、何年も我慢してたけど本当にやりきれなくなっちゃったから書いた。
ABの人は大人だからちょっとぼかして愚痴るぐらいで済ませてて良かったね。数はABの方が多いのわかってる? ACAが一番多いかと思った~ってジャンル外の人が言うのは、あなたがたが「ACAは公式カプだから検索避けなんかしなくていい」って謎の思考で作品名もキャラ名もそのままに腐妄想書くからだよ?
本当に自カプ燃料が十分で自カプだけで満足できるなら、他カプマウントもイメソン奪略もしなくて大丈夫だよね?
自カプに自信持って。そしてもう関わってこないで。
自分の精神病がある程度良くなったと実感した日、ちょっとしたゲーマー社会人コミュニティに所属した。
色々な努力をして、丁寧な礼節、マナー、常識を覚えて、やっていけるのではないかと思っていた。
無理だ。
幼少期から虐待を受け、中学高校共にいじめに遭ってきた俺は二つ目の人格を作った。
一つは、同級生の機嫌を取る為に、面白さに長けた、マナーも倫理もない人格
もう一つは親の機嫌を取る為に、マナーと倫理を備えた面白味のない人格
新しくコミュニティに所属すると、出てくるのは後者の性格であり、この人格でいると冷や汗や脂汗が止まらない。
身体を汗が伝う。えらく疲れる。
その後、一人になると、前者の性格に切り替わる。
二つの人格の間で許容基準が大きく異なる。前者では一緒に遊んだ人が楽しんでいないと罪悪感を感じるし、後者ではマナーや常識を守れていないと罪悪感を感じる。
人格が切り替わるごとに、前やったことに対して罪悪感が募る。自分を許せなくなる。
そのたびに酒を飲む。もう何も考えたくない。
寝れば夢を見る。夢の中でだけ、俺は幸せでいられると思う。
社会復帰は当分無理そうだ。
この先も無理かもしれない。
ミスが見つかった。ちょっとだけ修正しました。仕事に行くのでまた夜にでも修正するかも。
表題の文言については特に憲法など公法の分野においてよく言及されるが、これについては異なった見解が見られる
これはホーフェルドなどにみられる広義の権利と義務の対応に関する理解であって、一方の権利に対しては他方の義務が対応しているというものだ
二つ目はある主体が一般的な義務を果たさなければ一般的な権利を有しないというものである
これについては一つ目の立場から間違った理解であると批判されている
その理由としては人権は実定法ではなく生来の権利として有しているというものである
しかし同じ文言から異なる二つの解釈を導くことは可能であり、また前述の理由は正当な理由にならないのではないとも思う
例えば売買の買主は引渡請求ができる権利を有し、一方で売主は引渡を行う義務を負う
これは二者間に生ずる関係から導かれるものであり、主体は2つ必要である
そして上記のような関係を一般化することで権利義務関係について一般的な言明をしている
それによって国家と国民との関係についても権利と義務の対応が説明される
すると二つ目の見解は権利と義務の主体は同一であり、そのような主体における権利と義務の関係を述べていると言えるため、
両者の想定してる主体が異なっており、権利義務の内容も異なるのではないだろうか
確かに一つ目の見解からはある主体についての権利と義務は無数に考えらえることから二つ目の見解のような一般的な関係はないとの批判が考えらえる
しかしこと公法に関しては権利と義務の束については主体が同一とも考えられるのではないだろうか
例えばある人が特定の公法上の権利を国家に対して有する場合、主体は個人と国家であり二者間の関係となる
一方である人が国家に対して一般的な権利の束を有する場合には国家はある人を国民として権利を認めていることになる
このとき国家とは法人ではあるものの究極的には個人の結合体としての存在である
すると国家に対して権利を有する者は国家の一部として、自らを含めた国家の構成員に対して義務を有していることになる
ある個人は権利を有する主体であり、なおかつ国家の構成員としての義務を負う主体でもあるのである
この場合には同一の主体に権利と義務の対応関係が内在するのであり、一方のみでは成立しなくなる
上記の考えは人権については生来の権利であるとする自然法的な考えと異なり、憲法制定権者による内容画定であり、法的な理解として適切であると言える
近年、日本における生涯未婚率は上昇しており、男性の生涯未婚率は2022年で28.3%となったそうだ。これは50歳時点で婚姻歴のない人の割合を示したものなので、現在の20代が50歳になる頃にはこの数値が更に上昇していることが予想される。
さて、私は23歳で、今年度末で大学を卒業する大学生の男である。結婚について考え始める事はまだ早計だとは思うが、今まで女性との交際経験はないほか、性格面でも容姿面でもいわゆる「非モテ」に分類されるような人間である事、他にも、食べ物の偏食が激しい、就職後も実家暮らしの予定であり一人暮らしの人と比較して自立した生活力が低いなど、総合的に考えて結婚に向かない要素が多く、約3割の人が生涯未婚となる社会において自分が7割の結婚できる側の人間だとは到底思えない。
そのため、生涯独身で生きていく覚悟をする必要があると考えたが、それに対して漠然とした不安もある。そこで今回は、その不安を言語化してまとめるため、この記事を執筆した。
生涯独身で生きていくにあたって、大きく分けて3つの不安がある事に気づいた。
まず一つ目は、年齢を重ねてから後悔する可能性があるという事である。
結婚には「適齢期」があり、歳を取ると結婚する事は難しくなる。そのため、若い間は独身である事を気にしていなくても、一般に結婚が難しくなるとされる30代後半以降になってから、「若い頃に結婚しておけばよかった」と感じ、後悔してしまう可能性がある。
生涯未婚で過ごした場合、仮に自分が結婚していたら幸福になっていたかどうかというのは全く分からない。そのため、隣の芝は青く見えるという言葉のように、結婚している人が羨ましくなったり、結婚しなかった事を後悔する可能性が高いと危惧している。
結婚した場合、新婚旅行や結婚式、子育てといったライフイベントを経験する事になるが、結婚しない場合にはそういったイベントがなく、非常に平坦な人生となる事が想定される。もちろんその方がラクという見方もできるのだが、少々つまらない人生となってしまう事は否めない。
もちろん一人で趣味を楽しんで過ごすということもできるが、趣味には飽きがくるだろう。
また、人間は、年齢を重ねるにつれて、自分が楽しむよりも他者を楽しませる事に充足を感じるようになるように思う。そのため、家族を持って、配偶者や子どもを楽しませるような人生を送った方が、充実した人生になる事が予想される。
私には母方の祖母と父方の祖母がいるが、いずれも子に非常に頼っており、高齢者が家族の支援無しに生きていくのは非常に難しいのではないかと感じている。
高齢者が家族の勧め等無しで自ら老人ホーム等に入居するというのはあまり想像ができない。かといって、一人で暮らしていれば、加齢による生活力の低下でいずれは限界が来るし、突然倒れても誰にも気づかれないといった危険性もある。
あいにく、私には兄弟どころか従兄弟もおらず、老後に頼れる親戚が存在しないため、生涯独身で過ごした場合の老後に対する不安が大きい。
私はこの記事を執筆する事で、生涯独身に対して漠然と不安に思っている事を言語化する事ができ、少しスッキリした反面、これらの不安と付き合っていかなければいけない今後の人生に対して憂鬱に感じてしまった。
あー、まずはこの様な晴れの日にご招待いただきましてありがとうございます。
ご両家ならびにご親族の皆様におかれましても、心よりお祝い申し上げます。
これからお二人が夫婦として歩んでいくにあたっては、幸せはもちろん、困難なことも待ち受けているでしょう。
諸先輩方を前に誠に僭越ではございますが、私も人生の先輩として、お二人にアドバイスをさせてください。
まず一つ目は、父親の金玉袋。理由は簡単ですね。これが無ければ生まれては来れません。
しかし生まれてしまえば、こんなに無駄にぶら下げてるものはない。
一生にせいぜい数回使う機会があるだけで、後は役立たずに成り下がってしまう。
思い返してみてください。子供時代、青春時代、付き合ってから。
二人ともその間に大事だと思ったもの、熱中したものはたくさんあるはずです。
その中で今も使い続けているものがあれば結構。ですが、一方でいろんな理由で捨ててきたものもあるでしょう。
今この瞬間から見れば、それらは無駄なものばかりかもしれません。
ですが、そういったものに熱中して、経験してきたからこそ、今のあなたがあるんです。
色んなものに触れて、出会ってきた過去のこと、たまには振り返って、大事にしてあげてください。
私も結婚してから随分と長いこと経ちましたけれど、その中でもやっぱりね、
これをちゃんと掴んでおくことが夫婦円満の秘訣というか、一番の近道だと思うんです。
男ってのはね、普段は芯があって頼りになるけれど、それでもどうしても。
そう言った時にギュッ!と押さえつけてあげる。これが大事なんですよ。
もちろん普段から話し合いだったり、支え合って生きていくことが多いでしょうけど、
彼も変なところで優しいからね、肝心なところでしっかり手綱を握ってやってください。
最後に三つ目。これが一番大事かもしれません。子供の金玉袋です。
……女の子が生まれた場合は関係ないだろう、って思った方。会場にいらっしゃるでしょう。
まずはそこの説明からしましょうか。金玉という言葉、実は中国語にも同じ単語があります。
意味は日本語と違っていてですね。「金」と「玉」に分ければ分かりやすいかな。そう、「宝」という意味なんです。
日本でも昔から言うでしょう、「子は宝」と。ではそれを守るための「袋」は?……もうお分かりですね。両親です。
御二人もそのうち、親になる時が来るでしょう。次世代の育成は、人として生物として、重要な役割です。
もっとも、口では簡単に言えますが、これが中々に難しい。何せ正解なんてものはありませんからね。
ひねくれてしまうこともあるかもしれません。途中で衝突して、飛び出してしまうなんてこともあるかもしれません。
しかし、弛まず、根気よく付き合って、見守る。それこそが親として、保護者として精一杯出来ること、なんだと思います。
二人とも、是非とも立派な「子供の金玉袋」になれる様、頑張ってください。
えー、長くなりましたが、この三つの金玉袋を胸に、今後とも幸福な家庭を築いて下さい。
楽しいときはもちろん、困難があったときにも、この言葉をふっと思い出していただけると幸いです。
常に二人の会話を大切にし、共に支えあって乗り越えていける。そんな金玉の様な夫婦になって下さい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/113148
この記事とブコメ読むと、短い期間にホッテントリに上がった似た状況の人の話のその差やそれへの反応のあからさまな違いになんか暗澹たる気分になってくる
このケースは確かにそうかもだし実際嫌な人だけれどさ……
明らかおかしいふるまいをしてる人に対してでも、自身の社会性や自己評価が底ついてるなんてもんじゃない同じ状況にある人はついそのおかしい人の側に自己を同一視しがちで、まともな世間一般よりこの人の方に自分は近しいのだと思いつめがちでその人に向けられた言葉を自分が言われてるような気になったりするからこれみてやっぱり自分ももうだめだ……って思いつめたりする人がいませんように
情報の少ない元増田だからアドバイスが素直に溢れてたけど、もし少しでも二つ目の記事のような人だという要素があれば似たような言葉で溢れてたのかな、お前には絶対無理だって、だからお前は/これからもお前は無理だよって言葉で
https://twitter.com/24newseveryday/status/1681173954784837639
いやどう考えてもこのNews Everydayとかいうバズ狙いの悪質サイトが一番悪いし、このタイトルのせいで5兆円も税金を投入されると勘違いされてたのはかわいそうすぎる。(まだ勘違いしている人もいそう)
ただうまいことやればここまでの誤解の広がりと混乱は防げたよね?誤解された内容が何万RTとかされなかったよね?ということで、増田なりに今回の騒動を考える。
Twitterを眺めていると「Jリーグ側がそんな案件断れよ」という意見をちらほら見たが、これに関しては断ることはできなかったと思う。
一つ目の理由は、Jリーグが公益社団法人であること。公益社団法人だからってなんでも従わなきゃいけないわけはないし、別に子ども家庭庁が審査してるわけでもないんだけど、実際毎年国に「今年も税金免除させてください」って報告書出してる身で、国から「公益」のための協力依頼が来たら、まあ断れないよね。
二つ目の理由(こっちがメイン)は、利害が一致しまくってしまうこと。今回の「こどもまんなかサポーター」みたいなのって」要するに「こちらが提示する要件に従えば『お国からの認定』が受けられますよ」ということであり、企業等が賛同するときっていうのは地位を上げたいとき、宣伝材料を増やしたいときなわけです。(「理念に共感して」が100%の理由であることは、まずない)で、現状Jリーグはあまり余裕がない、というのも2019年まではなんやかんや増えていた動員数が、コロナが明けた今年思うように回復していない。リーグ30年記念みたいな大事な試合でただ券を配る(大きい会場とはいえ、記念試合は本来「稼ぎ場」であるべきはずなのに)。こども家庭庁的には「Jリーグみたいな大きいとこにやってもらって、本来のターゲット層にアピールしよう」という考えだったのだろうけど、実際はJリーグがこういう企画のターゲット層ど真ん中だったというわけ。
30年目のJリーグがもうちょっと人気あればそもそもこの企画自体なかったのだろうけど、じゃあ人気のためのどうすればよかったのかはJリーグ史に詳しいわけではないしここで考えてもしょうがないから省略。とりあえず今のJリーグにこの企画が来た時点で断ることはなかったということだけ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b8e455ea6cba1fdf6ab1e1efe9be40eec674962
>> 小倉将信こども政策担当相は12日、東京・丸の内のサッカーJリーグのオフィスを視察し、子育て支援に向けてJリーグとの連携を強化する方針を確認した。 <<
いや「連携」は「相互に関わりあう」イメージが強すぎて、国が金出してなんかやってもらうんだろうなって思っちゃうよ!増田も小倉Twitter見るまでそう解釈してたよ!
この制度はあくまで「国が示した思想・活動に団体が共感したら、サポーターとして名乗りを上げてもらって各自で活動を行うもの」なんだから(審査とかもない)、ホームページに載せている記述を見せる、以外の国からのアプローチって本来はないはず。それをわざわざ視察してツーショットとってってしてたら、なんか特別なことすんだろうなって思っちゃうよね。
視察をするにしても、「Jリーグさんは今こういう活動をしてらっしゃって、今日はこれからこういう活動をしたいんだという話が聞けて、この団体はこどもまんなかサポーターを名乗るのにふさわしい団体ですね、頑張ってほしいです」みたいな、そういうコメントをすればよかった。しかし実際にしたコメントは、
>> Jリーグに協力してもらうことで、(支援の)輪がほかのプロスポーツやさまざまな団体、企業に広がっていくことを期待したい <<
いや「協力」て。一応Jリーグ側は自分のホームページに「趣旨に共感・賛同し」たからサポーター宣言しますって書いてるんだから、そういうことにしておけば余計な勘ぐりをされずにすんだのに、「協力してもらう」は完全にこども家庭庁からなにか働きかけてることがまるわかりなのよ。じゃあ金も出すのかなって思っちゃうよ。
Jリーグ側が反論できないのはわかる。「いや補助金もらえてないっすよ」とかいえない。小倉Twitter反論はまあ遅いが、大臣だし忙しいのであればしょうがないところはある。
ただ、まるで「5兆円の税金がリーグに流れてる」ともとらえられるTweetがバズりはじめた当初、びっくりするくらい反論が少なかった(もちろんなかったわけではないが)のが気になる。リーグにもファン層は確実に存在しており、普通であれば「リーグを悪く言われたくない」タイプのファンがこういうシチュエーションで当該Tweetにかみつきまくる光景がありそうなのが、思うほど見られなかったのだ。ただただ賛同するリプや引用ばかりがつき、疑問を持たれることもなく拡散されていった。
原因のひとつは主に拡散されていた界隈にそういったリーグファンがいなかったことであろうが、主な理由としては「ファン側」も『これは税金投入されている可能性がある』と思って強く反論できなかったのではないかと思う。この件に限らずJリーグを税金に絡めて批判する流れはずっとあり、良し悪しはともかくJリーグ関連で税金が使われているのは確かだった。今回も「5兆円は大嘘にしても税金自体は入るだろう」と予測して反論に出られなかった人は多くいたと思われる。そしてそれは、ひいき目に見たとしても税金を使わないことが確実にはよみとれない広報方法の問題だったと思われる。まあでもファンが多ければそこら辺を無視して反論しまくる層も増えてただろうし、やっぱり30年目のJリーグが人気ないのが原因では?
いろいろ書いたけど、リーグ側は不幸が重なったと思うしかなく、こども家庭庁、というか小倉はコメントおよび広報について再考したほうがよい。
そして今のところリーグに補助金がでる予定はないらしいので、もし勘違いしたままだった人がいたらそれだけでも覚えて帰ってあげてください。
鬱病で半年前まで休職していて高望みはできないのですが、自己の好奇心を満たすためや自己実現(事業を通じて世の中を良くしたい)のために何れ大企業で働くだけでなく、キャリアを広げるか、キャリアチェンジをするか考えています。
ひとつは留学です。社内の仕組みでの1年留学と、退職しての学位をとるための留学があります。どちらも同じ部署からそれらの経験をした事例があって、研究やデザインスクールの学位習得などされていました。
社内に残れば仕事の幅は広がる、または専門性は高まるし(出世とはあまり関係なさそうですが、自己満足です。)、退職した場合も有名な学位を取れれば日本での転職は困らないようです。
私の場合英語力がネックではあります。一度三ヶ月ヨーロッパに留学したことはありますが、コミュニケーションにかなり苦労しました。
二つ目に日本で社会人博士課程、もしくは別の分野での修士課程で専門性を極めることです。修士は多くの場合授業を日中にあるのが難しく、博士課程は単純に負荷が非常に高いです。今年も某大学にアプライしようかと考えましたが、研究テーマを考えきれず辞めました。
一つ目、二つ目は取り組む分野やテーマが重要ですね。私はITのソフトウェアエンジニアですが、VRなどスマホやPC以外の機器を使うことが多く、またUXデザインや機械学習についても知見があるため、何を伸ばしたいかで大きく選択肢が変わります。ちなみにまだ迷っています。
また経営に関しても興味があり、国内で勉強するなら夜や土日中心の経営学修士もよいのではと少し考えました。(元カノが行っていました)
三つ目は、ビジョンを持つ、賢い人の近くで働くことです。主にスタートアップへの転職になります。既存の私のスキルセットでは難しいものはありますが、それを望んでいます。イノベーションなどの経営学に関する本を読む中で興味が高まっています。私の知人が何人もスタートアップの社長をやっていることもあり、私も彼らと同じ土俵で戦いたいなと思っています。
業務負荷はとても高いだろうとは感じていますが、それ以上に好奇心や達成欲が勝っています。
四つめに自ら起業といいたいところですが、まだ何も考えていないのでとりあえず挙げておくだけにします。
鬱病で半年前まで休職していて高望みはできないのですが、自己の好奇心を満たすためや自己実現(事業を通じて世の中を良くしたい)のために何れ大企業で働くだけでなく、キャリアを広げるか、キャリアチェンジをするか考えています。
ひとつは留学です。社内の仕組みでの1年留学と、退職しての学位をとるための留学があります。どちらも同じ部署からそれらの経験をした事例があって、研究やデザインスクールの学位習得などされていました。
社内に残れば仕事の幅は広がる、または専門性は高まるし(出世とはあまり関係なさそうですが、自己満足です。)、退職した場合も有名な学位を取れれば日本での転職は困らないようです。
私の場合英語力がネックではあります。一度三ヶ月ヨーロッパに留学したことはありますが、コミュニケーションにかなり苦労しました。
二つ目に日本で社会人博士課程、もしくは別の分野での修士課程で専門性を極めることです。修士は多くの場合授業を日中にあるのが難しく、博士課程は単純に負荷が非常に高いです。今年も某大学にアプライしようかと考えましたが、研究テーマを考えきれず辞めました。
一つ目、二つ目は取り組む分野やテーマが重要ですね。私はITのソフトウェアエンジニアですが、VRなどスマホやPC以外の機器を使うことが多く、またUXデザインや機械学習についても知見があるため、何を伸ばしたいかで大きく選択肢が変わります。ちなみにまだ迷っています。
また経営に関しても興味があり、国内で勉強するなら夜や土日中心の経営学修士もよいのではと少し考えました。(元カノが行っていました)
三つ目は、ビジョンを持つ、賢い人の近くで働くことです。主にスタートアップへの転職になります。既存の私のスキルセットでは難しいものはありますが、それを望んでいます。イノベーションなどの経営学に関する本を読む中で興味が高まっています。私の知人が何人もスタートアップの社長をやっていることもあり、私も彼らと同じ土俵で戦いたいなと思っています。
業務負荷はとても高いだろうとは感じていますが、それ以上に好奇心や達成欲が勝っています。
四つめに自ら起業といいたいところですが、まだ何も考えていないのでとりあえず挙げておくだけにします。