はてなキーワード: 齟齬とは
http://anond.hatelabo.jp/20120803173843
中学校1年のときの英語教師が、増田の言うような授業スタイルで、一切日本語を喋ってくれなかった。
私のころは当然公立の小学校では英語教育などなく(ローマ字は教えられたから、アルファベットだけは書けたが)、
塾に通っていて英語を習っている子も、1年生の最初も最初"This is a pen."レベルだから、まだ少なかった。
授業方法は、まったく文法などを解説せず、教師にバシバシ訂正されながら教科書を音読させられたり、
テンプレートのやり取りを隣同士で行なったり、というのが主だった。
私たちはまったく文章が構成されるルールを知らないまま例文を暗記するだけでテストを受けていたが、平均点は高かった。
扱われている教材のテキストレベルはおそらく指導要領からは外れていなかったと思う。何せ中1だ。
それにしたって、あの1年間はなんだったのだろう。
翌年、英語担当教師が変わり、塾に通っていなかった、英語の勉強方法はそういうものだと思っていた愚かな私たちは、
一般的なスタイルの授業の前に撃沈した。
なにせ「be動詞」というものが何を指すかすら知らなかった(is、are、などは知っていたが、それらをbe動詞と呼ぶとは知らなかった)。
もちろん、それらがどういった条件で変化するのかもあやふやだった。
今考えると、恐ろしい。
こういう勉強法はせめて高校卒業時…いや、中学卒業時レベルでもいい、
とにかく、基本的な文型やifや関係代名詞やそういうの知ってからすべきだったのに。
あるいは日本語も話せないような幼児教育としてやるべきだったのに。
その後、塾に通い、学年相応の英語力はついたし、折りしもハリポタブーム()で初めて洋書を買って、
英語と米語の違いや各地方の訛り、綴り、韻、ジョークなど、「娯楽的英語」の楽しさから英語好きになって、
進路を決め、1年だけだが留学も出来た。
仕事は英語関係ないけど、洋ドラや映画やアメコミやナショジオは大好きだ。
遅れは取り戻せたが、あの1年がなければ、私にとっとと塾に駆け込むべきだと考える判断力があれば、
まあ、それはともかく、基本的な英語を覚えてなくても習ったことがある人が、
再学習として自習で英語を勉強するなら、英語は英語、という考え方をしたほうが良いとは思う。
日本語話者同士の日本語でのやり取りでさえ、齟齬が起きたり、気持ちが伝わらなかったりするのに、
デモや集会の人数で色々と齟齬が出るのはいつものことであるけども…。
例えばミュージシャンのライブであるとかマラソンの参加人数を数えるのは簡単だ。
参加者は”一斉”に”一定の定められた区画内”に集まるのだからそれを数えればいい。
というより数えるまでもなく、チケットやエントリーの数を集計すればいいだけの話だ。
動きは流動的で何処から何処までが参加者なのかもはっきりしないだろうし、
いつ来ていつ帰っていくのかもやはりはっきりしないだろう。
そういうわけで、ああいうデモの人数集計なんて端から無理であるように思える。
というわけで、警察発表の”1万7千人”は一体どうやって数えたんだろうか。
まさか、何処かに人員を配置して野鳥の会的な数え方をしたんだろうか。
1万7千、と千の位まで指定しているのだから、それなりにちゃんとした
変声期頃にはよくある話なのかは知らないが、まさに「声にならない」という表現がピッタリな出来事だった。
息は通る、口も開く、だけど声はならない。嗄れたり、掠れたりというわけでもなく、発声できないのだ。
当然コミュニケーションに齟齬を来したのは言うまでもないことで、友人からは当時ACのCMで流れていた「協力してください」という手話でからかわれたり、毎時間担当教師に紙で「声が出ないので板書以外は指名しないでください」と提出しなければならなかったりと、面倒だった。「そんなことは今までなかった」という教師も多く、まったく信じてもらえない人もいた。いたけれど、どうしようもなかった。手段を持ち合わせていなかった。顔真っ赤にして泣けばよかったのか?
家族からも病院を薦められたのだが、どうせ明日にでも治るだろうと大して会話せずに一日を終え、翌日になるとしっかり声が出た。不思議である。
おっす、匿名でしか何も言えない卑怯者マンだよ。家入さんの炎上が延長戦に入ったっぽいぞ。
元発言ははてな村村長(笑)がまとめているから、そっちを見れば?
家入一真(Kazuma Ieiri) @hbkr
ここであえて申したいのは、結局の所個々の意見の相違はあれど、インターネット界隈の方々は裏でみんな繋がってるという事であります。マッチポンプとまでは言いませんが、要するに一言で言うと「嘘を嘘と(ry」であり、盲信するのも情報の一面だけを見て批判するのも危険だって事を言いたい訳です。
今となっては「ああいう女性」((C)切込隊長)を最初にネットメディアで記事にしたのがnanapiの岡田有花だったというのはいかにもですなぁ。いやー、ホント、インターネット界隈の方々は裏でみんな繋がってるんですね! ワタシにはまったく関係ない話だけど。是非ずっと蚊帳の外でいたい
yuco @yuco
「ネット界隈の人間は裏で繋がっている」って、俺と隊長だって裏ではお友達だぜって言いたいのかな。studygiftの記述が不正確だったと批判されているときに「嘘を嘘と(ry」とかナメすぎ。最悪。
しの(負ーケティング) @raf00
studygiftと家入の「裏で全部つながってるんだぜ」発言、ヨシナガさんの坂口調教がぐぐたす前からだったという事実から、「ぐぐたすで育てて売り時になったタイミングでけんすうのnanapiに売り込みゆかたんが取材」と、あの記事までが完全に一繋がりになっていて、さてさて。
インターネットはみんな繋がっている発言は、何を意味しているかわからないけど、上のように取られかねないし、おもしろおかしいことのほうを採用するクズなインターネッターたちなら、上のようにとらえた方が面白いって判断したりするよね。
で、これ発言したのは5.26くらいなんですよね。なんか客先から「家入という奴なんなの?」と言われたのかどうかしらないけど、やっとのことで釈明。
私は繋がっていませんし、そんな”界隈”には繋がりたくないですね… RT @hbkr ここであえて申したいのは、結局の所個々の意見の相違はあれど、インターネット界隈の方々は裏でみんな繋がってるという事であります。マッチポンプとまでは言いませんが、要するに一言で言うと「嘘を嘘と(ry
繋がってませんよ。売り込まれた事実ははく、彼女には「G+はTwitterで見つけて自発的に始めた」と聞きました。記事との齟齬については @kensuuが事実確認中です。RT @raf00 studygiftと家入の「裏で全部つながってるんだぜ」発言、ヨシナガさんの坂口調教がぐぐた
この辺りは、まーーーーーーいいんだけど、けんすうがネチネチとリプライを飛ばしてる。
@yomoyomo 先ほどお伝えしたように、裏でつながって、それによって記事を書いたという事実はないのですが、ご自身がそう感じられて、憶測のみで「記事にしたのがnanapiの岡田有花だったというのはいかにもですなぁ」と書いたということでしょうか?
でもさ、yomoyomoさんにも憶測で「こういうことだったんだ~~」って言う権利はあるんじゃないの?全部裏を取って発言するのって苦しくないですか?でさ、それが不用意で実際に迷惑を被っているとするなら、発言を取り消してお詫びすることくらいしかないじゃないの?誤解しやすい表現だったら「誤解させるような表現で申し訳ないです」くらいなのでは?
けんすう / kensuu
@yomoyomo 了解いたしました。社名や記者個人名を書いた上で憶測と明記していない状態で書かれるとこちらとしては迷惑なのですが、そのあたりはどう考えて投稿されたのでしょうか?
なにこれ?どう考えているのでしょうか?って言われたら「自分の不適切な発言でご迷惑をかけたのならばすいません」くらいしかないと思うんだけど。
@yomoyomo いや、どうしてそういうことをされたのかがわからないのですね。プロのライターの方がなぜそうしたのか、それを知りたいという感じです。
発言の意図がわからない。普通だったら「申し訳ないですが、その発言でご迷惑を受けています。そのほど理解をよろしくお願いします」じゃないですか!プロのライターだってミスすることだってあると思いますが……けんすうって、会社でもこんな感じ?なんか言わせたいセリフとかあるのかな?「yomoyomoさんはこんなに信頼できない人なんだーーーー!」とか煽りたいのかな?そりゃ、下みたいな反応しか出来ないよ。なんか不気味だし、悪意感じるもん。
@kensuu 単純に好奇心による質問であれば、答えているときりがありませんのでご遠慮させてください。回答を通して当方から何らかのアクションを引き出すことが目的であれば、予めその落としどころを示していただけると助かります。
で、そのリプライがこちら。
@yomoyomo 好奇心というか、理解できないままで、気持ち悪いというところですね。なんかの悪意があるのか、適当に書いたのか。ライターさんでいらっしゃる以上、適当に憶測で書いたとも思えないので、どういう意図があるのかわからないと、ただただ不気味という感じです。
え~~?ここでけんすうさんが不気味とかいっちゃうの~~~~?これだけ執拗にReply飛ばしてくるほうが気持ち悪いんだけど……俺だったら不気味すぎてブロックしちゃう。(あ、匿名ダイアリーでこんなこと書いているのもキモイって言われたら、そのために書いているので目的達成です☆)
この発言は「プロのライターは憶測で物事を書くわけないよね」という裏のメッセージを読み取れちゃってなんだか。なんかヤクザの交渉術みたいだよね。相手の職業を逆手に取るという。ライターだって噂話するだろ!こういうわざとカマトトぶって、「不気味だよー><」と怯えるのは、マウント取りとしてうまいな、と。もし相手が何でもないライターだったら騙されていたかもしれない。それに対して、yomoyomoさんは下のように言ってる。
@kensuu これまでのやり取りの中で書いたように、思い込みに基づき正しくないことを書いたということであり(それについてはお詫びさせていただきました)、特に御社について含むところはありません。以上です。
ま、そりゃそうだよね。単に噂話レベルの思い込みで「この界隈はひどいな~」って言った感想でしかないわけだしね。
なんでけんすうがネチネチしているかというと、「家入さんが炎上した案件は思ったよりヤバい。お互いに繋がっていると疑われると、案件がコケてしまうくらいヤバい」ってことなのかな。「あそことつながりのある人達なんでしょ?」って見られるとダメージが大きいってことなのかなと。なので、これだけ否定しにかかっているし、不用意に「繋がり」があったと見られると信用に関わるってことじゃないかな。ダメージが無かったら、これほど否定することはないし、「繋がりっつーたって友達で、たまに飯食ったりくらいでしかないですけどね」とか「別に知り合いじゃないんだけど、噂が一人歩きしているな。誰が得するんだろう?」みたいに言えばいいと思うんだよね。
外部からみて、そんなにネチネチすることか?と思うんだけど、具体的にそういうデマで被害があるという話なら、よくわかる。なので、「繋がりが無かった」というのを無視して覚えておき、家入さんがまた炎上(これは確定)したら「けんすうや、岡田さんが家入さんの繋がりを否定したみたいに、炎上事件になるだけで関係を全く否定されるわけだから、世の中って非情なものだよね」の一言でも流すと面白そう。
虚構新聞の件が少し話題になっている。そして自分はこの件が色々な人が語っているよりもすごく重要な話を含んでいると思うのでこれは書いておきたい。
要するに今回の件は虚構新聞がいつものように虚構記事(ジョーク記事、風刺記事と言ってもいい)を書いた→Twitterで大量に信じて拡散する人が→騙された人達が怒って軽く炎上→虚構新聞作者謝罪(ポーズだけかもだが)
みたいな話になっている。それはもういい。すごく単純な話だ。なぜ橋下さんの記事でこれだけ炎上したのかとかまた別の論点を色々含んでいるけど、まあそれもとりあえず置きます。
自分が今回の件で改めて問題であると思ったのは、最近の風潮からもずっと思っていたのだけど
である。
もちろん大袈裟に聞こえるかもしれない。ところがこれは全く大袈裟な話ではない。
まず、今回の話で考えてみよう、今回の件でとりあつかった記事は大阪市長橋下知事のTwitterの義務教育化、である。確かに橋下知事はTwitterでの過激な投稿が知られていて、こういったギャグがでてくる文脈は理解できる。
で、なぜか全く橋下市長に関係もない、嘘が見抜けなかったからといって笑ってすませばいいような(大きな実害が認められないような)人達がこぞってクレームに押しかけたのである。橋下知事のサクラを使った炎上マーケティング的なヤラセならまだ理解できるが、なぜか今回の特別過激な話でもないのに割と大きく炎上した。これが例えば天皇批判とか軍国化、太平洋戦争とか非常にセンシティブな話題に触れていたりするのならまだ話はわかるが、たかだかTwitterがどうこうみたいな話である。そしてそれが仮に本当だったところでお前らがどうするというのだという話である。しかも当の橋下知事が今のところこの件にクレームしているわけではないだろう、私の確認している限り。(もちろん本人が怒るのはまだ分かる)
つまり私には「すごく小さいジョークで滅茶苦茶過剰に怒られている図」に見えるのである。
なんとなく言わんとすることがわかっていただけてきたかと思うのだが、最近のTwitterを始めとする、IDを紐付けたソーシャルメディアの普及によって、投稿されたコメントが基本的にはほぼ全て、記録を伴って総覧することができるようになった現状がある。要するにこれによる監視社会化によって軽いジョークでも非常に過大な暴力的な制裁が加えられることが多くなったと思っている。
大学生飲酒運転ツイート晒しあげ祭り、のようなものが恒常的に起こったり、その他にも諸々不適切な発言が叩かれ、炎上することが多くなった。なぜか無駄に住所や写真などのアイデンティティを晒されたり過剰な制裁を伴う形でほとんどネットリンチ的なことが行われることが多くなった(これも非常に問題だと思っているがこの件に関しても今回は割愛としたい)
これは日本の話で、諸外国においてはより酷いケースもあり、ジョークの発言で入国を拒否されたり、イスラム国家で宗教的問題のある発言をして死刑が宣告されている現状をご存知だろうか?この手の話での死刑などがどれほど信憑性、実効性があるかは知る限りでないが、とにかくそういった話が随所で出てきているのである。(※ここの文指摘等ありおかしい点がいくつかあったので修正しました。)
つまりは極端に言うならすごく厳しい先生に監視されていてジョークが言えない緊張した雰囲気の教室のような状態、とでも言えばわかりやすいだろうか。軽いジョークのつもりでも真に受けられて、ひどく恐ろしい制裁を食らうのだ。このような社会で誰がギャグなんて飛ばすつもりになれるだろう。つまりは世の中からテキストベースでの(記録できる)公開された、ジョークが量的にも、質的にも劣化・減少を始める恐れがあるのである。(現にTwitterなどでは鍵付きのアカウントが増えているではないか)
もっと恐ろしいのは冤罪的なものである。上の外国の入国拒否の例などはまさにそれで、「ホワイトハウス爆発させるうぃる~(笑)」みたいな発言をしたヨーロッパかどこかの旅行者がアメリカ入国の際にそれが通知されていたらしく、入国を拒否されたという話である。もちろん額面的にはこいつらばーか(笑)で済む話ではあるのだが、これ、文脈を辿っても明らかにジョークだとわかるのに、入国拒否されたのだ。形式的には冤罪の形となんら変わらない。疑わしきに留まればば罰されないはずが、疑わしきが罰されてしまっているのだ。(勿論テロの恐れなどの事情があるのはわかるが)
つまり適当なジョークを書くことができなくなってきているのだ。もちろん書くだけでなく、写真の見せ合いによるコミュニケーションが増えてきていたり、適当に発言したことも、聞いた側がネットに書き込む可能性など全く排除しきれないことを考えると、これはもうほとんどどこにも逃げ場などないことにならないだろうか。
死刑論議の際に必ず、死刑を廃止すべき論陣の最たる動機として上がるものの一つがこの冤罪の恐れなのである。もちろんそこまで大袈裟なものでなくても、ふと小さなジョークを言っただけで自分の思わない形で制裁を受けるような社会が到来しようとしている。いわゆるレイトマジョリティ的な人達がこれらのネットの世界にやってくるのはこれからだ。そうなればもっと誤解や齟齬など、問題の起こる機会は増えるだろう。そういった中でどういった明文化した、暗黙でのルール・合意を形成するのが和気藹々としたネットの風景を実現できるのだろうかと思う。
最近の2ちゃんねる規制など、ネットに対してルール作りが急ピッチで進み始めるのがこれからなのだと思っています、自分ができることはあくまで問題提起に留まりますが、ネットに通じ、またこれからの良きネットの世界をつくるみなさんと考えていきたい問題だと思っています。
長くなりましたが、最後まで読んで下さった方はありがとうございます。
【ネット】グーグル(Google)がSafariの設定を迂回してユーザーを追跡していたことが判明[12/02/18]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1329702515/
150 :名刺は切らしておりまして:2012/02/21(火) 14:30:52.40 ID:n1JQOz0k
152 :名刺は切らしておりまして:2012/02/21(火) 15:09:35.41 ID:6RIjr7mV
>>150
Safariの仕様だろうがIEの所為にしようが、結局Googleの不透明さに対してユーザーに選択肢が無い。
何故ならWebをGoogleが独占して強烈に囲い込んでるから。
そもそも新プライバシーポリシーの紐付け一体化における「ユーザーの同意」って実に卑怯なんだよ。
同意しないを選択すると、「Googleの全てのサービスが利用出来ない」という罠。
例えばこのサービスにおける個人情報は消したいと思ってみても、それ限定では消せない。全削除しか用意されてないから、結局Googleと決別しない限り、現実的には個人情報は一切消すことができない。
153 :名刺は切らしておりまして:2012/02/21(火) 15:12:06.62 ID:iVH+Dwit
>>150
リンク先は完全に方向が間違ってる。問題の本質はGoogleが自社のサイトで
説明していた内容とやっていることに齟齬があったという点だろ。
プログラムにバグがあるのなんて当たり前。避けようがない。もしGoogleの
広告内+1ボタンがSafariで上手く動かないなら、その旨を表明して、ユーザの
設定にかかわらずSafariの裏をかいてクッキー送りつけるよといえばいいだけ。
ブラウザの欠陥をつくなら、そう公表すればよい。
だまでやってたってことが問題なんだよ。ピント外れも甚だしい。
倫理に従って生きるのではなく、生き残った者が倫理という協調ゲームのしくみを有していただけだ。
プレイヤーが一人になるとゲームできなくなる(せねばならない)のではなく、結果的にゲームという概念が消滅するだけだ。
生き残った者=繁殖に成功した者であり,彼らが持っている協調の仕組みは,
・夫婦になることを是とする
・子どもを持つことを是とする
・子どもを育てることを是とする
ですよね.
みなさん堂々と繁殖しているんじゃないでしょうか.
子どもを作ることに罪悪感を持つことはむしろ反倫理的なのでは.
あなたが感じるいらだちは,理性的に考えられる倫理(おそらく自由とか個人の尊重)と,
現実に存在する倫理(生き残った者が有する協調ルール)との齟齬にあるのかな,と..
ベーシックインカムならぬベーシックエデュケーションを施して,
成人になればあとはご自由に市場経済の中で生きてくださいと自由意思を最大限尊重する,
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
自分はこんなにタブを開いているが読んでいるのだろうか、全て読む必要があるのだろうか、したいことはなんだったんだろうか。
はてブやツイッターを見ながらタブでどんどん開いていき、読むのがめんどくさくなったらブクマをはる。なんのための情報集めだったんだろうか。
有益な情報がたくさん見つけられて、興奮する瞬間もある。
『有益な情報』、特に『ライフハック』と呼ばれるものは”方法論”で、”こうすればうまくいく”とか”これはよんどくべき、やっておくべき”だとか。
そんなこんなで、情報を集めたあと、実際に自分の行動を選択する瞬間がやってくる。
現実に活かす時だ。この時を待っていた。
有益な情報の中から『選択』をする。全てをやる時間はないし、それぞれの情報には齟齬が生じる。そこで取捨選択が必要になってくる。
このときに無意識なうちに心がけてしまうのが、『一番公平で』、『一番万人に通用しそうな』、正しく一番『合理的な』方法や情報はどれであるか。
ここで変なのが、はなっから『自分』が存在しないということである。合理的というのはいかに自分を消すかということであり、万人に通用するような一般則をみいだすかである。自分という文脈を完全に無視している。ある意味自分を否定することから始まる。
もう一つおかしなことがある。選んでいる自分自身は『合理的』・『無私的』かもしれないが、その情報は論理の飛躍があるかもしれないし、誰かの主観が凝り固まったものかもしれない。
ここで言いたいのが、論理の飛躍や、主観の凝り固まりが情報の質を著しく損なうものであるかといえばそうでもない。
むしろ、強烈に面白いと思われる物、人、情報は往々にしてなんらかの論理の飛躍、論理では説明できないなにかを内包している。
面白いというのは価値である。絶対である。面白さ=品質である。
しかし、面白い情報を集めることに意味があるのだろうか。それらを厳選して、凝縮して、合理的に、無私的に。
集めている段階から自分を殺しているのだから、自分の血にも肉にもならないし、なったとしても魅力的ではない。つまり面白くない。
情報の質はそれぞれ高いかもしれないが、それが脈絡なく量となって降りかかって来る頃には無価値となる。
結局人が求めているのは成長と共感である。自分自身の成長を感じる、か、自分自身と照らし合わせる、の2択である。
その情報が嘘かホントか、合理的か非合理的か、が問題になる情報は少ないし、そもそもインターネットという媒体にはそぐわない。
嘘でもいい。自分にフィードバックがあれば。自分にフィードバックを求めるためには、インターネットの中に自分を置かなければならない。虚構の固まりの中に。
発しなければ、返ってこない。今受け取っているものはその他大勢に発せられた無価値なものである。孤独を催させ、自分を否定するだけのものである。
ライフログとしてのインターネット。情報を体験に変えるものと信じて。
いつも何気なく、インターネットを見ていたブラウザ、Internet Explorer。Safari。どれもただブラウズ=閲覧という意味を越えている。
もともとそうなのかもしれない。自分自身が入っていかなければならないのかもしれない。インターネット探検家として。
インターネット探検家。私自身、いつもそうありたいと思っています。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ありがとうございました。
C-PTSD者の作ったblogやサイトを見ていると、恋愛を重視してる人が多かったりする。そして、必ず理解してくれる人がいますとか言う。
実際、病的に親密な対人関係を求めていたところはある。残念なことに、その行動故に更に悪化したのだが。
女性は救われやすい印象。C-PTSD者はズブズブの依存関係に陥る。女性の場合はこの行動の延長線上で、「良い人」に出会えて救われやすいと思う。
男性の場合は強い。福祉関係などを仕事にして過去を晴らすかのように、社会と闘っている人が多い傾向があると思う。
診断名を僭称したいのなら「境界性パーソナリティ障害」が良いんじゃないですかね。
主に社会学者や政治議論好きが、ネット上で被害について語ってたりする。
見ているとわりと癒されたりする。
何故って、一見やさしいから。
「(政治的な)敵」を名指しして、奴らがあなた方の敵だった、奴らを消し去れば社会はよくなる。
と語ってるから。
誰もそんなことを言ってくれなかったから、政治のフィルタを通して語りかけてくる政治屋だけがやさしく見える。
やさしくしてくれて、ずっと恨んでいた敵を非難までしてくれたら飛び付いてしまうのもやむなし、である。
「個人的なことは政治的なこと」とか言ってたりする。でもこれは動員の言葉だ。
当事者は政治屋を必要としてないが、政治屋は当事者を必要としている。
具体的に言えば当事者が必要としているのは感情的に適切な関係であって、政治屋が必要としているのは政治的に用いれる道具だ。
この齟齬があるから、気の毒な当事者が政治に取り込まれていく。政治はパンとサーカスしか与えない。
詰んでるからどうでもいい。
もともとフェミは『家族』とか『家庭』という構造自体に反対している人間が多いってのもあるが。
WAN:Women's Action Network「労働」概念は変化したのか? 伊田久美子
私は70年代以降のフェミニズムは、以下の2点を明らかにしたと思っていた。
ひとつは、稼ぎのない妻の利害は「稼ぎ手」である夫と一致しているように思い込まされてきたが、
それは必ずしも一致しないこと、もうひとつは、「主婦」と「働く女」の利害は対立していると思い込まされてきたが、
実はけっこう一致している、ということである。
ミクロな権力関係を含んだ「家父長制」と、一心同体とみなされてきた家族の中の仕事を労働であると主張した「家事労働」という二大キー概念は、
ここまでは解る。個人的にも、ある時点まではフェミニズムは社会に有益な働きをしてきた、とも思ってる。
しかしこの日のシンポジウムを聞いていると、どうやら二つとも私の勘違いだったかのようである。
むしろ女の多様化とか女女格差という議論の展開によって、上記の課題の重要性は希薄になっているのだろうか。
たしかに70年代の「女」というアイデンティティは今の時代には既に齟齬があるだろうし、
この変化は機会を改めて考察したいテーマである。しかしあのとき開けた構造の認識は、
運動にとって貴重な相互理解を可能にしたであろう。
なぜなら女たちが手探りで模索したフェミニズム理論とは、異なる立場の者、知り合うこともない者との連帯を可能にするためのツールだからである。
http://wan.or.jp/reading/?p=5396
運動が拡大する前は、どうしても頭数がいる、そういう利害もあって
活動に参加する時間がある専業主婦層を大量に取り込んだって感じなんだろうか。
そして今は女性側の権利もほぼ満たされ、より雇用の拡大をポジティブアクションで実現しようとしている、
もとネタがトンチンカンなので、当然パロった方もトンチンカンになるな、と思っていたが、ものの見事にミソジニーにありがちなトンチンカンぶりを再現していて良かった。
と同時に、そーゆー人にありがちな思考をこうして並べられて思うのが、
「あぁ、ミソジニーって本質的には『女性的な気質を持って生まれてしまったことで、行き詰っている男性』なのかな」と。
だから『男性的な気質を持って生まれたことで、行き詰っている女性』が状況を打開するために行う『フェミニズム』という活動に反発するのかも。
『女性だって男性的に生きていいじゃないか』というフェミニズムは、良くも悪くも男性性を肯定している。
だから『女性的な気質を持って生まれてしまった男性』は、ただでさえ男性という性と自らの気質が齟齬をきたしている上から、さらに女性性を否定するフェミニズムに反発する。
で、困ったことに、積極的に物事を変えていく姿勢ってのは、「男性的」な気質のなす技なんだよな。
だからフェミニストは積極的に物事を改変していくし、実際に活動して社会を変えた実績も持つし、これからも変えていくだろう。
だから女みたいに、慎ましく、謙虚に、しかしそれでいて「陰口」を叩く、そういう形でしか動けない。
本当は女性的な生き方をしたいのに。誰かに愛されたり、拾い上げてもらうような生き方したいのに。愛されることで自分を肯定する生き方がしたいのに。
だから「お前ら本当は、女であることを武器にして社会でいい目見てるんだろ!!」
という風に思ってしまう。
逆に男性的な気質であるフェミニストは、そんな目線に腹を立てる。
誰かに媚を売ったり、拾い上げてもらったり、みたいなことは男性的な気質である彼女たちは出来ないし、やろうとも思わない。それをしろというのは侮辱とさえ思う。なのに、勝手にそれを羨ましがられている。と感じて腹を立てる。
平行線だが、もう少し距離を詰められればいいのにな。
恐ろしい職場もあったもんでさ。マジで「パソコンの大先生」とか揶揄られるのに毛が生えたレベルの技術しかないんだけど、それが評価されて採ってもらったんだよ。
でしょう?
パソコンの大先生であることを精一杯アピールして、運よく色々なことが噛み合ったから入れてもらえた。
もしパソコンの大先生であることをちゃんと説明しなかったら今のとこに入れなかったよ。
すごく大事だったわけだ、それが。
しかし障害はそれとは違うんだよ。嘘や誇張で誰も得しない。つうか本当は健常者でも嘘と誇張じゃ得しないんだけど。
元増田は障害の大枠についてはきちんと伝えたんでしょ。
で、具体的な話をされたと。
君のパソコンの大先生に対してだって、答えにくい個別具体例の質問とかはありうるよな。
それに対して悩んで詰まっててもしょうがない、「出来ますよ!(…たぶん)」とか答えるよな。
これで済む話だ。
そんなもんは嘘と断定するのすら難しい。
「その人が期待と違ったら業務が止まっちゃう!」なんてとこに配属はされないよ。
もしそんな配属をする経営者がいたら経営者が悪いんだから気にしなくていい。
障害者はパソコンの大先生より更にそのへんの融通の用意はある。
しいて言わないと根拠がない話なら言わなくていいよ。
別に芝とか付けて誤魔化さなくてもいい。
そして「でも親でも医者でもねーじゃん」というのがそっちのポカだ。
なんか自分の間違いや知識不足を「アレ」だとか、
その失地を取り戻すべく相手にも「ポカ」を作り出そうとするだとか、
元増田の面接には職安の障害者担当の人が立ち会ってくれたそうだけど
この人は元増田のサポートするために来てるんだ。中立の必要はないし中立じゃない。
何度も言うけど別に元増田と採用担当は、戦ってんじゃないからね。
健常者だって面接で泣くやつはいるよ。理解の齟齬で。でも誰も代弁しない。障害とか関係なく、代弁できるわけがねえ。
泣いてる本人にも答えが無いと思うようなこと、誰にも代弁なんか頼めやしない。
そう。
採用担当も酌量の用意を持って聞いてくれるし、立ち会ってサポートしてもらえる場合もある。
お前面接官側に立つつもりのくせに
その「面接官側に立つつもり」っていうのはどこから出てきたの?
このあたりは流さず具体的に書いて欲しい。
(書けないことに気付いたら自分の思考パターンを少し疑って欲しい。)
この話に「元増田側」「面接官側」なんていう対立する利害とかがあるのかな?
細かい病態について突っ込んだコメントするなんて、馬鹿げてると思うよ。
なんでそんなことをしたいのかさっぱりわからない。
ちゃんと聞いてみた。やっぱ説明してるんだよ面接では。
そして、「もっと細かく」と言われて詰まった、と。
そら詰まるよそんなもん。健常者でも詰まるかもよ。
健常者だって詰まる質問ぐらいされるよ。
それで泣き出して面接を頓挫させて、
帰ってきてからも対策も立てずに「orz」なんて自分を哀れむ作文してても
ネガティブになるだけだったり、採用担当を敵と勘違いする馬鹿げた思考に嵌ったり、
いいことは何にもないから、
たとえば「適当に言っとけ」という現実的なアドバイスをしてるの。
福祉は余剰の産物ってことですか。まあ否定はしない。歴史的に、マクロ的に。
ただし不貞腐れてんのはどっちかというとお前だというのは取り違えないでほしいなw
ただ企業や採用担当を憎んだり見下したりするような思考ばかりヒートさせてるのが君だよ。
君に異論を述べる人間まで「採用担当だな!?」とか言い出したり、シンプルで破滅的で人を憎む方向ばかりだ。
これもそうなんだけど、
「配慮」「温情」という言葉にそんな強烈にネガティブなイメージが湧くのは
君の思考にそういうパターンが出来上がってるだけで、
君以外の誰かや世間は君を助けられない。
君は何か今の生活や過去に嫌なことがあるのかもしれないけど
それと無関係な相手に恨みやストレスをぶつけようとする行動パターンは上手くいかないと学ぶべきだ。
いつも、怒りが返ってくるか相手にされないかどっちかだったろう。優しくしてはもらえないはずだ。
これが戦いだったとしたら、お前という糞無知で想像力の枯れ果てたアホと、俺という糞無知で想像力の枯れ果てたアホの戦いでしかない。
だから、戦いじゃないよね。
最初君は障害についてそれなりに詳しいから話に入ったのかと思っていたけど
俺より知識がないようだし、君も今それを認めてる感じだ。
ただそのかわりに「自分には想像力があるんだ」「身につまされたんだ」と豪語する。
そして俺と違い、元増田に対して何かアドバイスしようとしてるわけでもない。
じゃあ何をしたくて入ってきたのか?
君は、
自分の記憶や日ごろのフラストレーションを共鳴させてしまってるだけじゃないのか。
カケラも書かれていないことについて「お前はああ言ったこう言った」みたいに言い出すのも
おそらく君の脳に蓄積された辛い体験や恨みが吹き出ている。
身につまされた俺
他人の事情が「身につまされる」のは美点になりうるけども
君はそこから人を明るい方向に引っ張り上げて元気付けるようなエネルギーを持ってない。
発想のパターンが拗ねる方向・不貞腐れる方向ばかりに行ってる。
たとえば元増田にとって、君の思考パターンに同調するのは甘美で有毒な麻薬になる。
君は身につまされた相手と、せいぜい一緒に哀れみあって同調心中しちゃうようなタイプだ。
すべては君が君自身に起こった問題をまだ全然乗り越えてないせいだと思う。
それが何かは聞かないし勘繰らないけど。
だから健常者も説明するって。
個例でいいわけ?w そういや適性についてはほぼ何も説明しなかったなあ。
恐ろしい職場もあったもんでさ。マジで「パソコンの大先生」とか揶揄られるのに毛が生えたレベルの技術しかないんだけど、それが評価されて採ってもらったんだよ。
それはともかくとして、健常者の「説明」って要するにアピールでしょ?
就活本の類では一貫性を持たすために長所を言い換えて短所にしろとか書いてるらしいし、お前だってその手の嘘や誇張は否定しないんだよな?
しかし障害はそれとは違うんだよ。嘘や誇張で誰も得しない。つうか本当は健常者でも嘘と誇張じゃ得しないんだけど。
「これが苦手です」を可能な限り軽度に言い換えられたと仮定しても、後で叩かれるだろ?ってこと。
面接官は
「何が出来るか聞いたら泣き出したので何も聞かずに採りました。」
って報告をするの?
「業務範囲において割り振れる仕事が明確でなかったけれども意欲を買って」とか何とか言葉を濁すんじゃないの?
就活で嘘誇張がアリなら業務トラブルに言葉のあやくらい添えろよって感じ。
思ってるんだったらしのごの言わんで採りなさいよ、としか。
求め過ぎなんだよ細かいとこまで。
元増田でも立ち会いがあったらしいすねwそれはこっちの認識がアレだったな。
そして「でも親でも医者でもねーじゃん」というのがそっちのポカだ。
親はまずないでしょ。だって専門家でもないし、「割といけます」とか言ったって身内の欲目と思われかねない。
医者もたぶんないな。彼らは単純に忙しくて難しいだろう。
説明出来ないで泣いちゃったっていうから「代弁してもらえ」って言ってるの。
健常者だって面接で泣くやつはいるよ。理解の齟齬で。でも誰も代弁しない。障害とか関係なく、代弁できるわけがねえ。
泣いてる本人にも答えが無いと思うようなこと、誰にも代弁なんか頼めやしない。
誰が病名なんか聞いてるんだ?
お前面接官側に立つつもりのくせに病名からググるくらいのつもりもなかったのかよ…。
「だろう」「だけだ」じゃなくて元増田の話をちゃんと聞こう。
ちゃんと聞いてみた。やっぱ説明してるんだよ面接では。
そして、「もっと細かく」と言われて詰まった、と。
そら詰まるよそんなもん。健常者でも詰まるかもよ。
「具体的にどのような指示の出し方だとひっかかりますか?」ってことだろ。そんなん状況に直面しねえとわからんに決まってる。
はっきり言うけど障害者雇用は「特別な配慮・温情」だ。前述の通り。
それを「お情けで」みたいに不貞腐れた取り方するか、違う取り方するかは自由だ。
俺は違う取り方をしたいけど君はただ不貞腐れたいらしいな。
福祉は余剰の産物ってことですか。まあ否定はしない。歴史的に、マクロ的に。
ただし不貞腐れてんのはどっちかというとお前だというのは取り違えないでほしいなw
配慮とか温情とかって、「これ以上健常者の我々に何を負担させたいの?」的うんざり感が透けててアレだ。
「負担自体は最悪もういいから、具体的に最初から何が要るのか要求してほしんだけど」みたいな。
「それが一発でできたら話は早いんだよボケ」という部分を「一発でできるはずだ」で譲らない傲慢さが。
これが戦いだったとしたら、お前という糞無知で想像力の枯れ果てたアホと、俺という糞無知で想像力の枯れ果てたアホの戦いでしかない。
元増田の障害を把握してないお前と、ほんのちょっぴりわかるような気がする俺の戦い。
「知能の障害」というおっそろしく大雑把な認識から出発したお前と、もう少し身につまされた俺と。
本気で人事担当だと思うわけねーだろ?
ああ、言われてみれば、Bの一行目だけだとそう読めるッスね。
あれは「命上置はそもそも『子ども向け』のテーマではないので、子ども向けと大人向けで区別する必要がない」という論旨だったんだけど。
Aに反論して「大人向けにも入ってる」例と一緒に「子ども向けだけど入ってない」例を出してるでしょ。
例に使ったのが「想定視聴者と実際の視聴者に齟齬がある」プリキュアだったってのはまずかったけどw
Bへの反論になっていない。
Bの主旨はプリキュアが子ども向けかどうかということではない。
ただし、Bが論拠として挙げた「プリキュアは大人も子供も楽しんでいる」について異論が提出されていることは理解していただきたい。
事実として成人間で根強い人気があんだから、異論もへったくれもないんじゃね?
言葉遊びに過ぎない。
松本前復興相のバックグラウンドはネットによる知識で知っていましたし、彼のあの振る舞いが99.9%個人の資質が問題なだけだろうとも思っていました。
しかしながら、復興担当大臣が知事の所に来て瑣末な事を契機に因縁付けて恫喝するという社会常識を超えた事態が発生したことで、以下のような可能性を排除できないと考えたのです。
と。普通に考えれば有り得ません。しかし、京都でいうところの「ぶぶ漬け」のような、地域性に根差したごくごく特殊なコンテキストではアレが激励の一種に当たる可能性を排除しては、東北と九州の相互理解を行う上で、齟齬を抱いたままになってしまう。
異常事態を前にして、変に真面目に忖度を図ってしまったのです。
結論としましては、トラックバックやはてブコメントを見て、そうした地域特有のコミュニケーション論が存在しない事を確認できました。