はてなキーワード: 齟齬とは
あのさ。記事の前置きがどうであれ、
いやあのさ。
前置きを「どうであれ」の一言で無視されたり都合よく改造されたりすると話が成り立ちませんよ。
書いてある内容9か条ってのは全て「女からの抗議・アクションに対して男はどうリプライすべきか」ていう内容でしょ。
男側からアクションする時にはどうするべきかって内容は1つもないでしょ。
だからこれは喧嘩の作法じゃなくてクレームをつけてきた相手に対する対処の方法なんだよ。
クレーム内容が正当だったらわりかし真っ当な謝罪の作法だよ。
「記事が前提とする目的やシチュエーションと全く違う場面でなら真っ当だよ」
というのは擁護にもお話にもなってません。
「なんだこりゃ!精度ぐにゃぐにゃ、これじゃただの棍棒だよ!」
「いや、棍棒として使うなら真っ当な棍棒です」
おかしいのは「女からクレームをつけられた場合に男がとるべき手段」を「喧嘩に対して男がとるべき手段」と表現しているところだけど、
なんでそういう齟齬が生じてるかっていったら女側から見たら正当なクレームであっても男側からは「ただの難癖、普通の喧嘩」と見なしてる場合が多いからでしょ。
「女性ライターが書いた『何も考えず女に譲歩しろ』という記事について、
全部男が悪いんだー」
この記事は男に対して訴えてるという体裁になってるから、その「男から見た表現」にあわせて「喧嘩」って表現を使ってるだけ。そこから皮肉になってる。
(日本語でおkすぎて意味が掴めず要約できない)
タイトルが「女からのクレームに対して謝罪する際に男がやってはいけない9か条」だったら、女の言うことは全て難癖扱いな男性はそもそもこんな記事読もうともしないだろうけど、タイトルを「喧嘩」とすることで「こんなめんどくさいことせずにぶん殴って言うこと聞かせればいいじゃん」というような男性を炙り出すのにも成功してると思う。
「記事の内容がおかしいのも全部女を敵視する男が悪いに違いなくて
この記事はそこを巧妙についた高度な策略に違いなくて
女を敵視する男が燻りだされているぅっ!(あぶりだしだとレモンの汁とかで書くお手紙になっちゃいます)」
…異性に対して強烈な敵意を抱いてるのも
そのせいで人の話をまともに理解できなくなっているのも
あのさ。記事の前置きがどうであれ、書いてある内容9か条ってのは全て「女からの抗議・アクションに対して男はどうリプライすべきか」ていう内容でしょ。
男側からアクションする時にはどうするべきかって内容は1つもないでしょ。
だからこれは喧嘩の作法じゃなくてクレームをつけてきた相手に対する対処の方法なんだよ。
クレーム内容が正当だったらわりかし真っ当な謝罪の作法だよ。
おかしいのは「女からクレームをつけられた場合に男がとるべき手段」を「喧嘩に対して男がとるべき手段」と表現しているところだけど、なんでそういう齟齬が生じてるかっていったら女側から見たら正当なクレームであっても男側からは「ただの難癖、普通の喧嘩」と見なしてる場合が多いからでしょ。
この記事は男に対して訴えてるという体裁になってるから、その「男から見た表現」にあわせて「喧嘩」って表現を使ってるだけ。そこから皮肉になってる。
タイトルが「女からのクレームに対して謝罪する際に男がやってはいけない9か条」だったら、女の言うことは全て難癖扱いな男性はそもそもこんな記事読もうともしないだろうけど、タイトルを「喧嘩」とすることで「こんなめんどくさいことせずにぶん殴って言うこと聞かせればいいじゃん」というような男性を炙り出すのにも成功してると思う。
エビオス嬢の記事にせよ、所詮釈迦の掌の上なのに「女って愚かだな」ってドヤ顔してる人たちがブコメやtwitterで大量に見物できて面白いなあと思ってるよ。そんな釣り方するなんて性格悪いな!とも思うけど。
各論ねぇ。
あの文面で、「影響力の定義」に関して根っこの部分を話したかったとか、どんだけ。
「接したときに生じる問題」が「軽くやり過ごせる」ものかどうかも論じないのに、やり過ごせってか。
これってものすごく狭い問題、「子供⇔大人」「内輪⇔公」などの異文化衝突を前提としているだけに見えるんだが?
影響範囲と、そこから想定される被害を、ケースバイケースで判断するしかないんだ。
「なにが」問題で、「それは指摘すべきものかどうか」、個々人が決めるしかない。
DHMO問題の場合、被害の想定はそれほどおかしくなかったが、影響範囲の想定に失敗しただけ。
そのため、かえって被害を拡大させちまった。(東京の水は危険発言など)
そうした齟齬が発生すれば、客観的におかしいと感じた人が、今回のように勝手に反論してくれる。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news/20110307-OYT1T00698.htm?from=main1
を読んで思ったんだけど。
菅工作員も小沢工作員も岡田工作員も前原工作員も仙石工作員も蓮舫工作員もルーピィ鳩山も
その他ミンス党の工作員たちは、国のため、国民のためにしっかり働いている。
国や国民が「日本国」「日本国民」という齟齬があるから、辛かったり、悲鳴を上げたりになる。
自分の党にとって「大事な国や民は誰か」が明確だったらぶれずにやっていけるはずだ。
が分からない。
戦後、家族が小型化した段階で、価値観特に伝統的なものについて自然に崩壊するのは確定的で、
その加速の一因として、日本のフェミニズムが女性に新しい価値観を提唱したことはあるけど、所詮それは一部でしょ。
どう取り戻すかではなく、新しい価値観をどう導くかは自分も重要だと思うけれど、
しかし社会全体で考えるといったところで、何もかも流動的で何を地盤に考えるのかさっぱりわからない。
地盤がないから価値観が出来ず、不安定だから旧価値観に形式的に回帰するんじゃなかろうか。
そして、旧価値観の前提(http://anond.hatelabo.jp/20110131112524がいう少しの特権と多くの義務責任)がないまま形式だけ取り入れるから齟齬が生まれるのでは。
書いててすげぇフェミっぽくなった
とりあえず、旭日旗についてはこう。
・韓国人は日本国旗を振っている日本人には不快感を持っていない。
・一方、日本では旭日旗を海上自衛隊が隊旗として使用しているなど、戦後も旭日旗の使用を特に問題とも思ってこなかった
・ドイツは別にナチのものでもなんでもなかったハーケンクロイツをナチの象徴として戦後禁止した
つまり、旭日旗観に齟齬が生じているわけで、とりあえず、日本人はこう思っている韓国人はこう思っているという対話が必要だろう。
決着がつくまでは、対外試合では、旭日旗は掲げなくていいんじゃないか。別に、旭日旗がなくたって日本代表の応援はできるんだし。
ただし、日本側が旭日旗をどう思っているかについてきちんと整理して、発信する必要はある。
だって、1月1日には天皇に振ってるんだし。かっこいいとは思うけどね。
後、猿とかは正直、馬鹿にされたとも思わないので何か書く気にもなれない。
人間は猿から進化してきたのだし、猿真似とか言いがかり言われても俺らは守破離の精神でやってるだけだし。
僕が高校を卒業したのはもう何年も前のことで、いい加減高校時代の友人と連絡を取る機会もほぼなくなり、それぞれが自分の人生を一人で歩んでいる2011年。とっくに就職し、結婚し家庭を築いているかつてのクラスメート達とは違い、恥ずかしながら僕はまだ文献や論文に囲まれた生活を送っている。
深夜、PCに向かって作業していると何故かいつも決まって思い出すのが、高校時代にクラスメートだったY君のことである。彼は今どうしているのだろうか。
僕の通っていた高校の文化祭ではクラスで出し物を企画したりすることはなかったが、毎年クラス対抗の校内合唱コンクールがあり、進学校なのに意外とクラス全員がかなり真剣に取り組んでいた。音楽系のクラブに所属していた僕はいつも合唱の責任者や指揮者を任されていて、高校三年生の時に僕が指揮者をやるのに対してピアノ伴奏をしてくれたのがY君だった。
正直Y君とはそれほど仲が良いわけではなかったし、かといって悪くもなかった。仲というものがそもそもなかった。それ以前にY君自体がかなり謎の多い子で、元々大人しい性格が災いしてかクラスでもY君と仲の良い子はいなかった。ただ分かっていることは幼い頃からピアノを本格的に習っていてかなり上手だったということだけだった。
何の曲をやったかははっきりと覚えていないが確か高田三郎の『水のいのち』より「雨」だったような気がする。この曲はアカペラではなく伴奏があるので、ピアノが弾ける生徒がいないといけない。ということで僕は、どうやらY君はピアノが上手いらしいという情報のみを頼りにして、Y君に伴奏をお願いした。
その時のY君の微笑みは今でも忘れることは出来ない。「なんで自分が…」「僕じゃなくても他に弾く人いるんじゃないの?」ということを、決して口には出さないが目で訴えつつ波立てずごまかすように苦笑い…というのが容易に見て取れた。本来なら考えておいてほしいと選択を任せてその場は一歩退くものなのだろうが、当時の僕はまだ人と接する方法を知らず、Y君の人の良さに浸け込み、無理やり拝み倒してOKを頂いた。今思うとつくづくウザい奴である。そういう訳でY君は(おそらく嫌々ながら)伴奏を引き受けてくれた。
練習は(僕とY君の間で多少のコミュニケーションの齟齬はあったにせよ)順調に進み、合唱コンクールは無事に終了、僕らのクラスは3位を取ることができた。まぁこのへんはなんともなく終わったから割愛する。
問題はそこからまた少しばかり時が経ち、卒業した後のパーティの席だった。
卒業パーティで僕らは学校の愛唱歌(校歌ではない)を歌うことになった。これが変わった歌で、構成が合唱部分→独唱部分→合唱部分となっていて、この独唱部分を、我が高校に昔から在籍する外国人の教員さんが歌うのが通例になっていた。そしてこのパーティでも例外ではなかった。そしてこの愛唱歌での指揮&伴奏が僕とY君に命じられたのだった。公式の場だから適当に4拍子振っておけばいいので指揮は問題ないが、伴奏はそうも行かない。やはり練習する必要があり、本来なら楽譜が必要なのだが何故かピアノ伴奏の楽譜が存在しないらしく、Y君は受験前後のバタバタしていた時期だというのに自分で伴奏編曲して練習してきてくれたのだった。
そして本番。愛唱歌を歌い、一つ目の合唱部分は無事に終わった。だが次の独唱部分で事件が起こった。
肝心の外国人の教員さんは結構なお年だからか、完全にその独唱部分を、僕の指揮もY君の伴奏もガン無視の自分のテンポで(しかも若干の調子っ外れで)歌い出したのだ。指揮はまぁ適当に振ってるのか振ってないのかでごまかせるが伴奏は完全にストップ。ちらりとピアノの前にいるY君の顔を見ると、どうしようどうしようとパニックに陥っていて次の合唱部分も弾けるか危ういくらいに焦っていた。そんな僕とY君のパニックなんか露も知らず外国人の教員さんは朗々と気持よく独唱部分を歌い続ける。
そして第二の合唱部分は伴奏がなかった。でも生徒はみんな散々イベントのたびに歌わされた愛唱歌なので別に伴奏なんてなくても歌えたのだった。
この地獄のような愛唱歌斉唱が終わった直後、僕は一礼するとすぐにY君の元に駆けつけて声をかけた。
「大丈夫?まぁあの人完全にお年だったから予想できない事故だったし…一番の合唱のところはすごくきれいな伴奏だったよ、ありがとう」
なんかそんな感じのことを彼に言った。実際泣きそうになりながらごめんなさいと呟くY君を慰めるために何を言ったのか正確には覚えていない。ただY君の伴奏は練習では完璧だったし、忙しい中伴奏編曲までやってくれたY君には感謝さえ覚えていた。
そして卒業パーティは僕とY君の心に深い傷跡を残して終わった。
数日後担任の先生から手紙が来た。そこにはY君とご両親が僕に非常に感謝していたこと、初めてピアノをやっててよかったと心から思えたと言っていたこと、そして良ければ手紙を下さいとY君の住所が添えられていた。
だが僕はいつか手紙を書こうと思っていたにも関わらず結局送らずじまい、そのまま引越しのドタバタで恩師から頂いた手紙も紛失してしまった。
以上が僕とY君の思い出である。
今でも自分は薄情な人間だなとこの事を思い出すたびに実感する。
ただY君にもし逢うことが出来たら一言言いたいのだ、「僕は君の友達です」と。何年もの間、君のことを忘れられなかったよと。会って、あの忌まわしい卒業パーティのことを笑って話し合える日はいつか来るのだろうか…
こーゆー風に言われると、いっつも何とかする手はないかと思うんだけど思いつかない。
自分の増田が自分のものである証明は簡単なんだけど、他人の増田に手は出せないからなぁ。
最近、何か書いて賛同とか同意のコメントがつくと即座に「自演」と指摘するトラバがつくことがある。
自分のものだけじゃなく、他の人のものでも度々見かけるんだよなこれ。
いい加減、これに対して抵抗する方法作ってください>はてなのひと。
匿名性は良いものなんだけど、テキストAとテキストBが別人の手によるものだと証明するツールみたいなものがあると
すごいいいなぁ。まぁ、利用者の分際でこんなこと言うのもなんなんだけど。
あと、自分のテキストがあっちこっちで引用されてコンテンツ化してるのって、あれどうなんだろうか。
いや、俺は単純に嬉しいんだけど権利関係的に。基本、増田に書き込んだ状態であれば、トラバを飛ばす形で反論できるし
生じた誤解や齟齬に関して抵抗する余地があるんだけど、どこかのサイトに提示されて
そこにコメントがつく形で色々言われたりしてると、気にすることでもないんだろうけどそれでもちょっとなーと思うことがある。
結局、最終的な文責は書いた人間にかかってくるわけで。その辺り、今後なんかガイドラインとか出来てくるのかな。
まー、ずっとあやふやなままでいくんだろうなぁとも思うけど。
結局、その辺りは承知の上で書いてるし、WEBサービスを無料で提供してくれてるはてなさんには感謝してるんだけど。
こんだけコピペブログやらなんやらが氾濫してるとその辺りちょっとどーなんだろう、と思う。まぁいいんだけど。
東方ファン「わかりやすく言うと『矛盾を逐一詳細に叩かれる北斗の拳』。『北斗の拳』の部分は『グラップラー刃牙』や『男塾』に置き換えてもいい。設定の齟齬を吹き飛ばす面白さがあれば矛盾はネタにはなれ、マジ叩きの対象にはならない。儚月抄には矛盾を吹き飛ばすパワーが足りなかった。だから叩かれた」
北斗ファン「矛盾を吹き飛ばすほど面白い作品なんてそう無いけど、粘着質に叩かれる作品はあまり見当たらない気がするんだが?」
東方ファン「そういう作品は叩かれる以前に打ち切りになったり、見向きもされないわけ。東方儚月抄は『人気になってから漫画になった』から多くのファンに注視された。」
あんたは自分のことを「性欲が薄い」と思っているようだが、「性欲」というよりは「女に承認してもらいたい欲」がパンパンに詰まってるんじゃね?
自分のダメっぷりをアピールして卑屈になって同情してもらおうとしている。それは、女からの「そんなことないよ」「あなたは良い人よ」という言葉を望んでいるから。そして、そういう言葉をかけられても、更に自分のダメさをアピールすることによって、延々と女に気を使わせようとする。
女に自分のママになることを期待して「俺をあやしてくれ!」と求めていて、女が自分の望むようにあやしてくれなかったら、言葉の端々に「あなたは他人(俺)に対する気遣いができない人だね」という意味を含ませてやんわり攻撃。それに女があきれて「構ってちゃん乙。お前には付き合ってらんねぇ」とキッパリ拒絶したら、本性丸出しで思いっきり攻撃wwwDV男の特徴出しまくりwww
よくいるよね、こういうヤツ。結局、自称草食系・自称人畜無害のDV男メンタリティの持ち主じゃねーかwww
どうせリアルでもネットでも卑屈な構ってちゃんなんだろ。だから女から呆れられてdisられるんだよ。
あと、会話においては言葉の定義より文脈で理解することのほうが重要ですよ。
概念というのはあいまいなもので、言葉で完全に記述できるものではありません。だから、概念を正確に記述する事を相手に求めてはいけません。そして「言葉の定義」とは、そのあいまいなものを指す名前を勝手につけて不完全な言葉で説明することです。あなたはその不完全な説明を読み、相手の持っているあいまいなものが何であるかを推測しなくてはなりません。それこそが相手の意見を理解するということです。
このことから、言葉の定義が正確であるかどうかというのは問題ではないことがわかるでしょう。大事なのは相手の持っている概念を推測することであって、正しい言葉をあてはめることではありません。概念は無限にあるのに対して言葉は有限個しかないのですから、概念を正しく言葉に置き換えるのは不可能なのです。
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/ar01s09.html#id868880
本題は
じゃあ万人にとって都合のいい仮説というものがあるのだろうか。
なんですが。
あるというのであれば、増田がその仮説を提示して、あらゆる条件で成り立つことを示せばいい。
そうでないならば、一定の条件でしか成り立たない仮説がまばらにちらばっており、あるところでは重なり合っているがために、論争が起こることを許容する、という立場をとることになる。となれば、「発言者にとってのみ都合のいい仮説」というありがちな批判は「当然の前提」であり、批判にはならないんですし、「でもなぜかそれが見抜かれにくいんですよね。どういうわけだかわからないですが・・・。」なんてことは論理的にいたって当たり前のことでしかなく(いわば隠れた前提)、オレ様が初めて気がついたんですと言っているようでは、周回遅れのただのアホでしかないわけです。まさか増田氏はそのようなことはないでしょう。
非常に賢い方なのでおわかりだとは思いますが、許容するなんてものは存在しえず、はじめから勝負は付いているわけですが。
http://anond.hatelabo.jp/20100812004830
と似ているのですが、その仮説が特定の条件下で成立していることが示された場合(かなり強引になるでしょうが、できないことはないでしょう)、増田はその仮説を自ら受け入れ従うつもありがあるのか、それともやっぱり違うと拒否して受け入れないのか、それを先に決めておいたほうがいいでしょう。
前提がおかしいんだ、という立場に立つのであれば、徹頭徹尾前提に関する批判をすればいいのですが(現実との齟齬に着眼するなら、そいうことを示せばいいでしょう。)、増田を見ていると元々受け入れるつもりがないので、手近な前提を批判して自分を慰めているようにしか見えない。
ちなみにさらに飛躍させれば、ベーシックインカムが全世界的に普及すれば永遠に子どものままでいることもおかしなことではなくなる。
そもそも大人という概念があまりに古臭く、社会変革の過渡期にある現代においては齟齬をきたしていると考えることだって出来る。
仕事をしなきゃならないのは生きるためであり、その概念があまりにも普及しすぎたがために、仕事をしていない人間は人間ではないというところまできてしまったが、今やっとそれが崩れようとしている。
大人というのが「仕事をして責任を果たしている存在」を意味するならば、BI普及で大人にならない選択肢も可能となるだろう。
大体大人とは何か?人間は子どもから大人になっているのではなくただ単に体が大きくなり性交渉をして子どもを産み育てることが出来る年齢に達しそれが過ぎれば老いて死ぬ、それだけだ。
むしろ、大人とは子どもを産み育て次世代に残すことの出来る存在を意味しているのか?(あるいは意味していた)だとすれば、結婚せずに生涯独身でいることをスタイルとして採用している人間は皆大人ではなく子どもってことになるよな?でもそれを非難する人間はあまりいないように思える。
精神科に行くか、ひとつひとつ証拠を集めて、原爆や公害の時みたいに集団訴訟するかなんだよね。
前者の方が、考えなくていいし楽だし、やり方によっては障害者年金さえ貰えるし、現時点ではメリットも多い気もする。
精神科に通ってて、訴訟できる状況になればしゃしゃり出てくるのがいちばんオイシイだろう。
でも・・・誰もさきがけにならなければ、そういう訴訟に持っていける土壌さえできない。
活動が軌道に乗って、人が自動的に集まってくるようになるまでが、一番しんどい。
会社の設立だってそうなのだろうけど。
そして、大きな組織になるにつれ、中に「ノイズ」も入り込んでくる。それに程々に迎合しつつ、のまれないようにしなきゃいけない。
立ち位置を確保できるように、ある程度「力」(≒金、声の大きさ)のある人たちに根回しも必要。
それには、活動が彼らにとって何らかのメリットとなる形でないといけない。
真実を告発していく、という点と、パトロンさんたちのデメリットに齟齬が出てきたときに、どこまで譲れるか。
そんな矢面に立ちたくない、と生きていてある時。
世の中が作り変えられていったあとに、ある種の人たちにとってとても住みにくい世界が出来上がってしまうとする。
矢面に立たずにきたのだから。
出来上がってしまってからでは、遅い。
仕組みが出来上がってしまう前に叩かないと、その仕組みに負けてしまう。
なんかもう、私ですら気づくってことは、手遅れかもしれないと思う。
詰んだというか。
でも、力がありながら、立ち向かおうとしてくれている人を見ると、心強い。
国境を越えて、こんなことがあるまで知らなかったような大きな組織の人たちが動いているのを見ると、現代の戦争は何も目に見える武器を使ったものだけではないのだと思い知らされる。
でもま
一部の人たちを見てると、この人たちならされて仕方ないんでは。
とかたまに思う。
まさかその人たちの前では言えないけど。
え、社会通念上よくないとされていることを「正しい」と主張してるだけでそれは「必死になってる」と思うんだけどなあ。
本人が自分の行動が社会通念上問題があるということを認識してないわけじゃなくて、社会通念と自分の価値観に齟齬があるのは認識してるわけなんだから。
「社会通念的には女性を対等な人間として扱わなきゃいけないことになってるけど、自分はそんな社会通念ガン無視してるぜ!俺は建前なんかに縛られないアウトローなマッチョな男なんだぜ」という必死なアピールなわけでしょ。
でも「社会通念を無視できる自分」な割にはそこで自分が正しいとする根拠として「他の男も本音ではそう思ってるはずだから」というのを持ってくるところが失笑ものなわけで。
別にそこに男はみんなそう思ってる云々書いて無理矢理一般化する必要ないじゃん。
「俺は社会通念が間違ってると思う(or自分は間違ってるって分かってるけど俺は俺の道を行く)」だけでいいはずでしょ。
そのしょっぱさがますます「……自分の責任で発言することすらできなくて他人もそう思っているという言葉で責任回避しようとする姑息さが更に必死だなあ」と思う。