2011-12-28

C-PTSD怨嗟

必ず理解してくれる人がいますとか言う

C-PTSD者の作ったblogサイトを見ていると、恋愛を重視してる人が多かったりする。そして、必ず理解してくれる人がいますとか言う。

実際、病的に親密な対人関係を求めていたところはある。残念なことに、その行動故に更に悪化したのだが。

女性は救われやすい印象。C-PTSD者はズブズブの依存関係に陥る。女性場合はこの行動の延長線上で、「良い人」に出会えて救われやすいと思う。

男性場合は強い。福祉関係などを仕事にして過去を晴らすかのように、社会と闘っている人が多い傾向があると思う。

どうみてもジェンダー規範に呪われてる。

自称C-PTSDです

とか言って、ネットでわめきちらしている人を見かける。

診断名を僭称したいのなら「境界性パーソナリティ障害」が良いんじゃないですかね。

政治に取り込まれる

主に社会学者政治議論好きが、ネット上で被害について語ってたりする。

見ているとわりと癒されたりする。

何故って、一見やさしいから。

あなた方は社会的に是正されるべきだ。

「(政治的な)敵」を名指しして、奴らがあなた方の敵だった、奴らを消し去れば社会はよくなる。

と語ってるから

誰もそんなことを言ってくれなかったから、政治フィルタを通して語りかけてくる政治屋けがやさしく見える。

やさしくしてくれて、ずっと恨んでいた敵を非難までしてくれたら飛び付いてしまうのもやむなし、である

「個人的なことは政治的なこと」とか言ってたりする。でもこれは動員の言葉だ。

当事者政治屋を必要としてないが、政治屋当事者を必要としている。

具体的に言えば当事者が必要としているのは感情的に適切な関係であって、政治屋が必要としているのは政治的に用いれる道具だ。

この齟齬があるから、気の毒な当事者政治に取り込まれていく。政治パンとサーカスしか与えない。

政治議論を見て癒された気分になるのは地獄への道。

まあどうでもいい

詰んでるからどうでもいい。

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