ハーフだかミックスが人種差別を語っているようだが、だからどうしたという感想以外にない。
見た目から明らかに日本人ではないとわかる自分にしてみれば、人種差別は日常だ。
おかげさまで考える力がついたしものを疑う力がついたし心も強くなった。
結論から言えば、人種差別をする心理も、人種差別をされて被害だと感じる心理も甘えでしかない。
突然の雨に降られたとき、なんと感じるのかと同じだ。
天を恨むのか天気予報を恨むのか雨に降られた自分の運命を恨むのか、ただ、それが雨だと感じるだけなのか。
なまじ人間が絡むから相手に原因を求めやすいだけで、人種差別は個人をどうにかすれば済むような問題ではない。
遭わないことに期待するだけでなく、遭ってしまったときにどう対処するかの用意をしておけばよいだけの話だ。
自分の弱いところを認めたくないために、所属しているもので埋めて見ないふりをするのだ。
だから日本人賛美の番組は視聴率を稼ぐ。心の弱い人間が、血族の優秀な姿を見て自らに置き換えては弱さから目を背けているのだ。
そうして人対人から人種対人種に置き換えて、自らが優れていると思いこんでいるに過ぎない。
その証拠に、海外に言って大声でその国に対する差別を口にする人間をまず見ることがない。
いたとしても誰もが気の狂った人間だと扱うだろう。
それはただ、数の暴力に安心し、数の暴力に恐れているに過ぎないからだ。
差別に怯える人間達を集めて数で闘おうとすれば、それは相手とやっていることが同じだ。
自らが強くなることができれば、差別一つ一つに怯える必要はなくなる。
自分よりも弱い人間たちが、虚勢を張っているだけだとすぐ分かるはずだ。
それを人種のせいにせず、正面から向き合えることが出来たとき、マジョリティに甘えているだけでは見えてこない強さと出会うことができる。
その時初めて、自分の存在は人種を超え、確固たる個人として自立できるのだ。
自分は当然日本人ではない。しかし、祖国の人間かと言われればノーだ。
自分は今を生きる自分であり、人種や国籍は今現在の自分につけられているステータスでしかない。