2018-09-10

人種差別は甘え

自分100%外国の血が流れている。

国籍日本だ。

ハーフだかミックス人種差別を語っているようだが、だからどうしたという感想以外にない。

見た目から明らかに日本人ではないとわかる自分にしてみれば、人種差別日常だ。

おかげさまで考える力がついたしものを疑う力がついたし心も強くなった。

結論から言えば、人種差別をする心理も、人種差別をされて被害だと感じる心理も甘えでしかない。

突然の雨に降られたとき、なんと感じるのかと同じだ。

天を恨むのか天気予報を恨むのか雨に降られた自分運命を恨むのか、ただ、それが雨だと感じるだけなのか。

なまじ人間が絡むから相手に原因を求めやすいだけで、人種差別個人をどうにかすれば済むような問題ではない。

遭わないことに期待するだけでなく、遭ってしまったときにどう対処するかの用意をしておけばよいだけの話だ。

はっきりというが、差別を繰り返す人間は心の弱い人間だ。

自分の弱いところを認めたくないために、所属しているもので埋めて見ないふりをするのだ。

から日本人賛美の番組視聴率を稼ぐ。心の弱い人間が、血族の優秀な姿を見て自らに置き換えては弱さから目を背けているのだ。

そうして人対人から人種人種に置き換えて、自らが優れていると思いこんでいるに過ぎない。

その証拠に、海外に言って大声でその国に対する差別を口にする人間をまず見ることがない。

いたとしても誰もが気の狂った人間だと扱うだろう。

それはただ、数の暴力安心し、数の暴力に恐れているに過ぎないからだ。

差別に怯える人間達よ。自らが強くなれ。

差別に怯える人間達を集めて数で闘おうとすれば、それは相手とやっていることが同じだ。

自らが強くなることができれば、差別一つ一つに怯える必要はなくなる。

自分よりも弱い人間たちが、虚勢を張っているだけだとすぐ分かるはずだ。

そうなればもはや相手には哀れみしか残らない。

差別に怯えている間は、自分に弱さや甘えが残っている証拠だ。

それを人種のせいにせず、正面から向き合えることが出来たときマジョリティに甘えているだけでは見えてこない強さと出会うことができる。

その時初めて、自分存在人種を超え、確固たる個人として自立できるのだ。

自分は当然日本人ではない。しかし、祖国人間かと言われればノーだ。

自分は今を生きる自分であり、人種国籍は今現在自分につけられているステータスしかない。

それは自分の何も決めないし、自分はそれにないも決められない。

自分に対して差別なんていうものはまったくもって無力だ。

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