はてなキーワード: 現実逃避とは
年齢も性別も何もかも、自分じゃない「視点」で世界が展開する。
あり得ない美しさ。
視たこともないそこへ。
父が亡くなってもう5年にもなるのに
それから夢に、時々父が来る。
つまり「どこの誰でもない私」ではなく
現実の私を夢でも視るようになった。
昼下がりなのか、夕方なのか、もう夜なのか判らない。
(この人たちは知らない。かれらも私を知らないかもしれない)
帰り支度をしている。
その寂しそうにしているその人物に、
一緒に帰ろうか?と声をかけた
すると俯いて佇んでいた人が泣きそうな、何とも言えない表情をして
嬉しいような、感動したかのような、目を潤ませてこちらを見た。
一緒に帰ろうか。
あ、なんで声をかけたのかわかった。この人はお父さんだ。
働き盛りの頃の記憶の中の父だ。
凄く嬉しそうだった。
そして申し訳なさそうだった。
一緒に帰ろう、お願いだから。
そういって東京の
私の独り暮らしを、
強制的に終わらせて、連れ帰ったのも父だった。
私は帰りたくなかった。
一番うれしそうで、嬉しいと言って踊ったりする父。
母が寂しがっているから、母が寂しいと言っていると
私を強引に連れ帰って、帰ろうと言ったのは父だった。
一番喜んでいたのも、父だった
お彼岸なので私の夢の中に、帰ってきたのかな。
台風が来るようだけれど
お供え物を買いに行ってこようかと思う。
落ちも何もない。
お帰りなさい。
九大の校舎で放火して自殺した奴は、文系のくせに大学教授になろうとして、当然のように失敗したバカの、当然の末路である。
大学院を出ても民間に就職先のある理系と違い、文系の場合大学院を出ても民間にほとんどそれを生かした就職はないといわれている。
それに46にもなって気づかない(というか、気づきたくなかったのかも)のは、タダのバカである。
こういうバカを増やさないために、各大学院は自校の博士・修士の就職先(しかも常勤)のポストをあらかじめ用意しておき、
その分だけしか学生を取らないとか、それぐらいしか対策はないように思われる。
文系で大学院まで行きたいというやつは、実は親が超大金持ちで、自分が働かなくても生活には困らないとか、そういうのなら別だけど、
学問が好きというよりは、ビジネスの世界の荒波にもまれたくないという、現実逃避の一つとして選択しているだけだと思うから、
そういうやつは面接なりなんなりでバンバン落としたらいい。あまり甘い夢を見させない方がいい。
ついでに言うと、法学部や経済学部はともかく、文学部に行く男もいらない。
某医科大学の医学部ばりに(逆だけど)、男性受験生の点数を低く抑えて、
今回参考に無料で読める範囲で「今日から俺はロリのヒモ!」と「とっても優しいあまえちゃん」を読んだ。日本の病理が分かる作品だった。— jiji (@traductricemtl) 2018年9月15日
年端のいかない子供に、うだつの上がらない男が母性や金銭、そして性欲発散の世話をしてもらって現実に向き合わず現実逃避するというジャンルがあるんだね。怖いのは、女の子たちの人格が完全に欠如しているところ。完全に都合の良いロボットでしかなかった。— jiji (@traductricemtl) 2018年9月15日
面白かった。ていうか佐藤くんは高校生の時に先輩とSEXしてたんだな。いいなー。いいなー。俺は引きこもり体質だからインターネットと飯さえあればいくらでも引きこもれると思うわ。たまに公園とか行ったりして。まんま佐藤くんだ。それにしても漫画版とは結構違うんだな。自殺オフ会とか佐藤くんの元同級生の女に騙されて佐藤くんと岬ちゃんがマルチ商法に引っかかったり、先輩の家が家庭崩壊したり、山崎が実家帰る時の駅のホームでのアレとか。あれ酷かったな。なんなんだあの声優志望の女は。くっそムカついたな。あと岬ちゃんがメンヘラ。頭おかしい。かわいい。俺のところにも岬ちゃん来てくれ。ドラえもんよりは現実味があるだろ?あと、あいつら幻覚剤とか使って宇宙の真理とか悟ってたけど本当にそんなことできんのかな?「超人計画」では作者の滝本竜彦も悟ってたんだよな。興味出てきた。どこに売ってるんだ。ネットで買えんのか。ああ、現実は辛いんだ。本当に悪の組織があれば楽になれるのにと俺も考えていた。悪いことは全部そいつらのせいで俺は一矢報いるために命を張るんだ。「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」に特攻隊とか結構気持ちよかったんじゃね?って書かれていたんだけど俺も高校生の頃それよく思ってた。こんなよく分からない不安や苦痛に耐えている位ならいっそのこと華々しく散りたいと。でも悪者なんてどこにもいないから困ってるんだよ。最近はインターネットで悪者にできそうな奴らが簡単に見つかるから、みんなネットでガチギレしてるんだよな。そうだよな正義の味方になりたいよな。分かるぞ。みんな間違ってない。気持ちいいもんな。政治家、会社、上司、親、教師、メディア、芸能人、日本社会、世界人類、NHK、叩き放題だもんな。現実逃避にエロゲー制作するところもいいね。俺も漫画描いてるんだ。楽しいよな。将来のための勉強とか忘れて漫画描くんだよ。俺は超絶面白い漫画を描くために生まれてきたんだと思い込むことによって救われるんだ。ああ楽しい。ああ。嗚呼、あゝ………。人生なんて無意味なので適当に夢を持って生きていくしか無い。無意味は辛いから。結婚して子どもを育てるとかが人気だ。俺にそれができるのか分からんけど。今の俺は女の子と話す機会ないからな。ああ女。結局女か。そうだよね。
嫌なことがあったりするとすぐgoogleで「死にたい」「自殺 方法」とか調べちゃう奴。
ただの現実逃避がしたい奴。
"自殺を考えてるあなたへ" 前回のアクセスが1ヶ月前、累計アクセス数が10回の奴。
自殺方法を眺めて「これは嫌だなあ」「これなら準備できそうだなあ」と考えちゃう奴。
こじらせコンプレックス女が現実逃避でやってるだけで現実のゲイのことなんか1mmも考えてねえくせにふざけたこと言ってんなよ
「腐女子」を自己卑下として使っていたのは私も同じだしそうしてひっそり生きていこうという空気があったのはわかるんだけど、「なぜBL好きは自己卑下する必要があるのか」と考えた時にゲイフォビアに繋がる理由しか思いつかなかった。だから「腐」を自称するのは辞めます #BLは腐ってない— 轟ユニバース (@todorokiuni) 2018年9月7日
BLはほかの「純粋なファン」とやらを不快にするから、特殊性癖だから、「腐女子」の妄想だから隠れるべき!って言う人たち、愛好家のなかにもうんざりするほどわんさかいるけど、それを言うときに自分が現実世界の何を貶めているのか、わかっているのだろうか #BLは腐ってない— もより (@cocorogamae) 2018年9月7日
BLは腐ってないの主軸は「同性愛表現を嗜好することを腐っていると表現するのは差別である」ということであって、二次創作の危うさとか扱いはまた別の話だと思うんですよ。
そんなのBLに限った話ではないので、ここではBLだけが自虐や他虐に晒されなければならないのかの一点が凄く重要なんですね。— Scharfrichter 蛻 (@memento_sonne) 2018年9月10日
たまたまネットサーフィンしていたらはてな匿名ダイアリーの記事を見つけて、「ほ〜こんなサービスがあるのか〜」と驚き、はてなアカウントも持っている事だしせっかくだから書いてみることにしました。
表題からもわかる通り、読み手の皆さんに有益な情報は一切書けませんので、そこはご了承いたただけるとありがたいですね。
というかそもそも読む人なんているのかな?笑
私は小学生ぐらいの頃から日記をつけるのが好きで、授業用に買ったノートの余りやスマホのメモ欄に日記をよくつけていました。
その日あった嬉しいことや悲しいこと、イラついたこと、趣味についての話、、、
自分の気持ちを文字にする事で、意外と気持ちの整理がついてすっきりしますよね。だから日記を書くのって私にとっては意外と大切だったり。
気持ちの整理のために書いているわけで、言ってしまえば私の完全なる自己満足の文章なので前述の通り有益な情報はないし、人によっては気分を害されるかもしれない。それは申し訳ないです。
ネット上に自分の気持ちを公開しようと思ったのは、ただの興味。それと、もしかしたら誰かが見てくれるかも!という自己顕示欲かなぁ。
ただ、いくら匿名ダイアリーとはいえ、どこから特定されるかもわかりませんし、誰かを傷つけて良い訳でももちろんないので、そこは。常識を持って書いていければいいなぁと思います。
突然ですけど、「いいないいな 人間っていいな」って歌、あるじゃないですか。
それを聞くと最近湧いてくるのが、人間って本当にいいのかな?という疑問。
人間はその頭の良さで色々な技術を生み出し、野生の動物と比べるとはるかに豊かな生活を送っているのは確実ですよね。
ですが、豊かな生活や頭の良さが仇となって、余計な心配事も増える。
深い知識は持っていないのでわかりませんが、社会で生きていくのがつらくて自殺する動物が人間以外にいるのか?と聞かれると、いない気がします。
私は幸い日本の一般家庭に生まれたので、親のおかげで衣食住には困らず、学費も出してもらっています。
幸せなことですよね。
でも、なぜだか私は幸せには感じない。
いや、頭では幸せで恵まれていて感謝しなければいけない環境にいることがわかっているのに、心は幸せではないし荒んでいます。
生理的欲求や安全欲求が満たされると、愛情が欲しくなったり、他者から承認されたりしたくなってしまう。
私は、なぜ自分が生きているのかわかりません。
自ら望んだわけではないのに「人間として生きる」事を強制されている気がします。
もちろん、死ぬことが良い選択肢ではないことぐらいわかるので死んだりはしませんが。
それにせっかく人として生きていかなければいけないなら、ある程度の努力はしてある程度の生活を送りたいとは思います。
ですが、何が楽しくて毎日を過ごしているのかわかりません。
突然自分の意思とは関係なく人間として生きる事を決められ、それに抗えないから仕方なく努力をする毎日。
最近そんな毎日がつまらなくて、そして憂鬱で仕方ないのです。何のために生きているのかわからないのです。
そもそも、何のために生きているのかを意識しながら生きている人なんてほぼいないのでしょうけれど、、
それでも、私はなぜ生きなければいけないのかわからない。
母親がお腹を痛めて産んでくれて、両親が大切に育ててくれた命を無駄にしてはいけない。それは痛いほどわかります。
ですが、何のために生きているのかもわからず、「死んではいけない。だから私は生きなければいけないんだ。そして生きるからには大学に進学して就職して結婚しなければいけない。そのために今から努力しなければいけない。」という「〜しなくてはいけない。」に縛られて毎日をこなしていくことに疲れてしまいました。
「なら、〜しなくてはいけない。という考え方をやめればいいのでは?」
それはごもっともです。
しかし、私は頭にこびりついたその考えを止めることができなくなっていました。
自分ができないことを、他人のせいにして逃げるのは汚いし最低な手段です。それはわかっていても、私は今までの環境が私をどうしようもないぐらい卑屈な人間に育て上げたのだと思ってしまいます。
自ら望んで妊娠して自ら望んで出産したくせに、言うことを聞かないと「お願いだからいなくなって。あんたがいるからこの家がおかしくなる。」という親。私だって好きでこんな所に生まれてきたわけじゃないのに。あなたが勝手に私のこと産んだくせに。なんでそんな事言われなくちゃいけないの。そう思って今までを過ごしてきました。
ですが、何を言われても親子です。酷い仕打ちを受けたこともありますが、大切にされているのだと感じる時もあります。何をされようが今まで十数年間育ててくれた恩があります。感謝をしなくてはいけないと頭ではわかっています。
そして何よりも、無理だとわかっていても愛されたいし認められたいのです。
だから、私は「良い大学に行けば親が認めてくれるかも」と思い、受験勉強を始めました。色々な動機があったにせよ、元をたどると確実にこの考えにたどり着きます。
逆に、良い大学に行かないでまともな就職先につけないと、我が家では居場所がありません。実際私の親は、私の今在籍している高校のことを「犯罪者予備軍と発達障害の集団」と呼びます。
それが、その環境で十数年間生きてきたことが、私の自己肯定感を大きく低下させたのだと、私はどうしてもそう思ってしまいます。
だから、「〜しなくてはいけない。」の考えから逃げ出すことはできないのです。だって、〜しないと私の価値は無くなってしまうから。
そんな毎日が嫌で、何もしたくなくなって、この先何十年も続く人生を考えたくなくて、1日を無気力のままに現実逃避して過ごしていると、その逃避中はいいものの、ふと我に帰ると「努力しなければいけないのにそれに背いてしまった」という猛烈な罪悪感に襲われます。
しかし、私はもう何もしたくない。
何もしない→つのる罪悪感→忘れるために現実逃避→さらにつのる罪悪感、、、
社会に全く貢献出来ず、そのくせ向上心も持たずにずっと現実逃避をしているだけ。
先程死なないと書きましたが、死にたいと思う時はたくさんあります。
ですが私は今のところ死にません。絶対に。
なんのために生きているのかもよくわからず、生きているのがつらいのに、死ぬのは怖いのです。これは本能です。本能には逆らえません。
私はこれからどうするべきなのでしょうか。
とりあえず、こうして馬鹿みたいに答えの出ないことを永遠と考え続けるのは返って辛くなるだけなので控えようと思います。
最早考えるのが癖なので、控えるのはなかなか難しいとは思いますが。笑
あとは、この時間にブログを書いているぐらいですから、生活リズムはただ崩れです。それも改善するべきなのは明白ですね。
自分を責めず、まずは出来るところから少しずつ始めていけば良い。
頭ではわかっています。
最後に。
せっかく親から与えられた命に対してとても失礼なことを書いてしまいました。深く反省しています。
私が生きている今日は、昨日亡くなった方がどうしても生きたかった明日です。
やはり命は大切です。そう決められているのです。それが本能です。そして生きとし生けるもののルールです。
私はそう思います。
もし私みたいに、生きるのがつらいと思っている方がこの文を読んでいたとしたら、それでも絶対に死んではいけませんよ。
なぜなら、どんなに冷酷でも残念ながらそれが決まりだからです。
でも、生きていたら少しは良いことがあるかもしれない。もちろん悪いことだってあるでしょう。でも、いつか「生きてて良かったなぁ」と思う日が来るかもしれません。
どうせ生きなければいけないのです。そう決まっているのです。絶対に死んではいけないのです。
だったら、つらいことなんか全部忘れて見ないふりをして、好きなように生きたっていいじゃないですか。
そう思ったり。思えなかったり。
中二病全開の語り口調で痛いのなんの。
見ているだけでこちらが恥ずかしくなるわ!というような文章でしたが、もし見てくださった方がいるのであれば、ありがとうございました。
(ちなみに私の中二病は永遠に治らないと思います♡馬鹿につける薬はないってな♡)
同感を求めたり同情して欲しくて書いたわけではありません。ただ、自分の気持ちを書きたくなっただけです。これが私の気持ちです。
では。
吉沢亮にハマった。
私はかなりハマり症で、一度ハマるものを見つけると周りが見えなくなりその人(物)をとことん追求する。
そしてこれをオタクという。
そしてオタクに共通することは、何かにハマった瞬間からその人(物)全てに感謝するようになるということだ。
更には輝いて見えるのだ。現実が。
例えば会社で後輩が身勝手な理由でコンプライアンスに私の事を訴えた時、吉沢亮の画像を見るだけで
「吉沢亮ありがとう。現実最高。この世に産まれてくれてありがとう。私は同じ空の下にいるのだ。私すごい。尊い。」
と思える。
コンプライアンスに訴えられ上司にその事を告げられ仕事が死ぬほどやりづらくなり怯えたウサギのようになっても、吉沢亮の画像を検索し、見るだけで、産まれてきてくれたことに対して感謝し、現実に感謝し、自分がすごいと絶賛し、尊ぶのだ。
現実逃避ともいう。
とにかく吉沢亮にハマったので、
映画を見たその日に写真集を本屋で買おうとしたが売り切れており、すぐに見たい気持ちを抑え、Amazonで予約したのだが、
と思ったのでここに記す。
この増田は何を言っているのだろうか?
そう貴方が疑問に思うのも当然だ。
私だって、長年ずっとこの気持ちを抱えながら同時に何を言っているのかと何度も問いかけた。
いつからそんな妄想に苛まれるようになったのか、その原点は既に定かではない。
振り返ると、今よりも20年近く前から「自分はオタクだからプログラマーになるべきなのだ」と思い込んでいた気がする。
20年弱、その間に様々なことがあった。
大学受験の勉強とプログラマーの勉強を両立させようとしてどっちつかずになり、最後はどちらも上手くやれない自分への苛立ちから現実逃避気味になりプログラムの勉強と称してビデオゲームにのめり込んでいた。
自分の学力で入れる大学の中からプログラマーになれるような学校を選ぼうとするも、両親はITなんてものはブラックばかりだし、お前はただゲームとネットが好きなだけの自分にプログラミングが向いていると勘違いしているだけだと説得された。正しかった。今思えば。
それでも諦めきれ無かった自分はプログラマーへの道が少しでも太く残るようにと電子系の学部に進むも、そこでやっていたのは電気工学の基礎ばかりでプログラミングなんてものに触れるのは卒業研究が始まってからだった。
卒業研究にプログラミングが関与すると知ったときは、ようやく今まで少しずつ勉強したプログラムの知識が生かされる瞬間だと興奮したが、膨れ上がった理想と現実の自分の乖離に再び打ちのめされる日々が続いた。
その頃ちょうど続けていた就職活動では、プログラマーへの道を志す気持ちと、ブラック企業への恐れがぶつかりあって、情報を集めるだけ集めて結局どこにも応募しないままに時間が過ぎた。
高めすぎた理想と現実、結局何も身に着けていなかった自分への絶望感、やる気を失い全く進んでいない卒業研究と就職活動、全てが滅茶苦茶だった。
持て余された精神エネルギーは自分への攻撃へと向かい、自己嫌悪と自己否定に全ての活力が使われていき、生活リズムも脳みそも何もかもがボロボロになり、気づいたときには2年間引きこもって、そのまま大学をやめていた。
大学を辞めた自分に残ったのは6年の空白期間、折れ曲がりながらなおも成長を続ける野心(プライド)、壊れかけた心と脳、プログラミングスクールに3ヶ月通った人間と同程度でしかない知識、そんな自分を許せない自分自身。
もうプログラムなんて見たくもなかった。
それでも「自分はオタクだからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分が心の中にずっと住み着いていた。
自分に自分を裏切らせるよう先導してきた憎むべき対象なのだから当然だ。
数年ほど引きこもり空白期間が10年前後にしながらも社会に戻ろうとした時、電気系の学校で3年生まではそこそこにマジメな学生をやっていたことはプラスとなった。
電気系の資格を取った上で面接に挑み、研究室での思い出や、プログラマーを目指してやっていた勉強のことを語りながら「心を入れ替えてこれからはがんばります」と語ると、意外とアッサリ就職は決まった。
一度メンタルを駄目にした影響か、今でも時折妙な頭痛がしたり、突然気分がどん底に下がっていくことはあるが、まあそれなりに働けている。
同年代、大学時代の同級生たちの平均と比べれば給料は安いが、実家に5万ほど入れて住まわせてもらう分には問題ない程度はもらえている。
そんな毎日を送りながら今も「自分はオタクだからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫び続ける自分が心の中にいる。
彼が言うには「自分のような人間はIT業界に行けば才能が爆発して自分にずっと自信が持てるようになっていた。フリーランスとして今よりずっと自由の多い暮らしが出来て、今よりも給料はずっと多い。嫌な上司や取引先にペコペコしなきゃいけない時でも技術力を背景に言い返すことだって出来たしだろうし、有名人としてロクロを回しながらインタビューにも答えられた」といった人生が待っていたらしい。
でも可能性だけだ。
なんなら今やってる電気設備の仕事でだって、突然才能が爆発して技術力で殴ってなんでも思い通りに出来る人生が始まるかも知れないじゃないか。
IT系に進んでいたら、あっさりブラック企業で心が壊れていたかも知れないじゃないか。(そもそも就活をしている段階で壊れていたり、既に壊れたあとだったのだから、ちょっと強い力がかかったらアッサリ砕け散っていただろう)
ベターと言えるのかすら怪しいのも分かる。
だけど最悪ではない。
それなりだ。
ハーゲンダッツを食えば美味いと思えるし、ゆゆ式を見れば楽しいと思える。
プライドをこじらせてイキるだけイキった挙げ句、周囲の人間に不満と不安を撒き散らした挙げ句自分までぶっ壊した奴の末路としては十分にハッピーエンドだ。
ソレだというのにいまでも「自分はオタクだからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分がいる。
どうにかしてくれ
はてなには「これはひどい」タグを付けることで何かマシなことをした気になってる人が多いが、単なる自慰行為でしかないのは明らかだ。「これはひどい」タグを付けることで“ほぼリスクなし”で“自動的”に優越感を味わえるという構造に危険性がある。「ネット上の発言は全世界に公開されていて、全世界から批判されうるのだから炎上は自業自得」などと言って炎上ネタに乗っかる自分を正当化する連中は多いが、彼らは自分のブコメ自体が批判されうるとはほとんど思っていないし、実際ブコメ自体が批判されることはあまりにも少ないレアなケースとなっている。
ニュースや炎上ネタを見ては「これはひどい」とコメント。「俺はこんなに賢いのに世間の連中はなんて愚かなんだ!」はてブとはそういう精神的ポルノ、俺TUEEE、慰撫でしかない。毎日こんなことをやっていると全能感に支配されるようになるだろう。「俺はすごい」「俺は賢い」「世間は馬鹿ばっかり」
タグ付けというのは情報の整理のためには有用ではあるが、物事の複雑さから目を背ける行為でもある。「これはひどい」とタグ付けされた時点でその情報は深くは掘られなくなる。「これはひどい」タグをつけている連中は問題を深く知って真面目に考えようという姿勢を持っているのではなく、お手軽にタグ付けして分類し、物事のあらゆる側面をすべて見切ったと優越感に浸って、自信満々で無敵状態で一方向に突っ走りたいだけなのだ。
そういえばはてなには他のインターネットコミュニティに比べてラノベオタクが非常に多い。ラノベといえばエンタメ小説だ。エンタメ小説といえば怠惰な現実逃避的ロマンを好む読者にとって都合のいい藁人形小説であり、その中でもラノベはさらに人間を簡略化された単純なキャラクターとして扱っているジャンルでもある。ラノベを好む人たちは物事の限界を簡単に見定め、気軽にタグ付けし、幼稚な理屈と雑な論理ですべてを見切ったと思い上がり、すぐ感情的になって爆発する、そんな習性を持ってはいないだろうか。
有無を言わさぬタグ付け、つまり「これは『これはひどい』なのだ!」という思考習慣は人間を堕落させる。たしかにその直感は外れていないことが多い。だが、タグ付けする前に考えてほしい。幼稚な物語を構築あるいは捏造してそれに甘えないでほしい。「これはひどい」というスローガンのもとに思い込みや偏見を助長させてはならない。はてブは幼稚な全能感から卒業すべきだ。