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「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
上記記事の内容を大まかに説明すると、教育における「親の年収格差」に加えて、「東京と地方との格差」も大きいのではないかというものである。
主張として同意できる部分があるものの、やや違和感を覚えたので増田に記したい。
上記記事の阿部氏は、東大入学時に、阿部氏と同級生との家庭環境の違いにショックを受けたようだが、私の場合、大学より前の高校入学時点でそれを体験した。
私は、公立王国である地方某県No.1の高校から、都内の某文系国立大に入学した。受験難度的に、東大より下だが早慶よりは上の大学である。
生まれてから上京するまで、築30年以上2Kのアパートに家族4人で過ごした。当時は受け入れがたかったが、控えめに言っても貧乏な部類に入る家庭だった。
地方と言えども、県No.1の高校ともなれば、同級生の親は医者・弁護士・経営者等が多数を占める。大規模な牧場経営者などもいた。一流企業のサラリーマンは割合的に少なかったと思う。
(地方の場合、一流企業のサラリーマンは東京本社から単身赴任しており、子供は東京に残しているケースが多いのかもしれない)
親の平均年収は1000万を超えていてもおかしくない。言わば地方豪族である。不動産価格や物価が低いにも関わらず、年収は高いわけで、可処分所得は東京の一流サラリーマンより多かっただろう。
私の家庭は貧乏だったので、高校の同級生は違う世界の住人なんだと感じたものである。
阿部氏の場合、高校ではそうした格差を感じなかったのだろうか?
もし感じなかったとしたら、高校の偏差値はあまり高くなく、何年かに一人現れる神童タイプだったのだろうか。
阿部氏は釧路出身とのことだが、釧路トップの釧路湖陵高校、北海道全域で見れば、札幌光星や札幌北・南・西・東などの高校なら、おそらく親の平均年収も高いはずだ。
つまり、地方の中でも平均年収や教育関心の高い層が存在しているわけで、地方が全てダメというわけではない。結局のところ、「東京と地方との格差」というよりは、「親の年収格差」のほうが遥かに大きいのではないかと感じる。
阿部氏の言うように、地方特有の閉塞感、都会に出るのを否定される空気は確実に存在するし、県どころか、町を出るのすら反対されることも少なくない。だが、こうした傾向は、年収の高い家庭、平たく言えば合理的な思考ができる家庭においては当てはまらないことが多い。やはり、「親の年収格差」なのである。
念のため説明すると、地方の場合、東京の港区のような「年収が高い人が住むエリア」が少ない。というか、年収と住むエリアが密接にリンクしておらず、年収の高い層が片田舎に住んでいることが多々ある。東京なら、年収の高い層が港区や田園調布などに集中しているのかもしれないが、地方の場合、それぞれのエリアが東京ほどブランド化されていない。「お金持ちの住む街」、「ガラの悪い街」という区分けが、そこまで明確には存在しないのだ。
繰り返すが、エリアの格差よりも、「親の年収格差」のほうが大きいと思う。
まぁ、とはいえ、地方は受験産業が発達していないのは事実である。東京では有名なSAPIXも地方ではほぼ見当たらないし、中学受験も一般的ではない。受験してまで通うに値するような私立中学がない県も多いし、あったとしても、中学はあまり重視されていない。地方で重視されるのは高校であり、出身大学より出身高校が学歴的意味を持つことも多い。「どこ高?」とは聞かれても、「どこ大」と聞かれることは少ないだろう。
そうした意味で、阿部氏の言う「東京と地方の格差」に一定の理解はできるものの、それでもやはり、「親の年収格差」のほうがクリティカルな要因だと思う。地方で年収が高い層は、地方の衰退していく現実を直視しているし、子供を東京の一流大学に通わせることへの抵抗が少ない。地方の有力経営者の場合、いずれは子供に会社を継がせる意志があっても、まずは東京の大企業で修行してこいというパターンも多いだろう。