はてなキーワード: 左派とは
今の若い人は田原総一朗といってもピンとこないかもしれない。しかし1990年代から2000年代半にかけて、彼の司会する番組の政治的な影響力は半端なかった。彼がいなければ、1993年の政界再編も小泉政権も、その後の橋下維新なども間違いなく存在しなかった。90−00年代の政治を田原総一朗抜きで語ることはできない。
田原が番組で持ち上げた政治家は、例外なくその後に政界に大きな影響を与えている。小沢一郎、辻元清美、鳩山由紀夫、小泉純一郎、竹中平蔵、橋下徹などなど。お気に入りの人物に対して、いかにもな保守派や左派を「噛ませ犬」として(亀井静香や金子勝など見た目が悪く言葉が乱暴な人物をわざわざ選んで)登場させて、竹中平蔵たちの説得力や正当性を高める手法も非常に老獪で巧みだった。
田原が番組で推進した、小選挙区制度の官邸主導政治、官僚バッシングとさまざまな新自由主義政策は、日本の社会と経済を深刻に衰退させたと言ってよく、民主主義も深刻に後退していることは明らかである。しかし彼は反省や後悔は一切しない。小沢一郎を他人事のように批判しているかと思えば、パソナ会長として露骨に税金を食い物していることがもはや子どもにでも明白な竹中平蔵については、相変わらず番組に読んで熱心に擁護している。90−00年台の政治の当事者であったにも関わらず、当事者意識は皆無である。『朝生』も、かつては一流の学者も出演することが多かったが、今は質の悪いネット炎上芸人だらけになっている。
距離のあった安倍政権に対しては批判的だったが、菅政権になって助言役として呼ばれると、一転して好意的評価に転向している。丸山眞男の言う「無責任の体系」は、まさに田原や竹中にこそ当てはまると言えるだろう。
私はここ二十年ぐらいに共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場なものだから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、何も他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないな」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
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(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きる直前の頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちがいるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人もそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
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はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として書いた。
自民党の独り勝ちでは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした野党支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210411/k10012968761000.html
先進国はワクチン接種の優先順位が高い、暗にそんな意識を持っているようにしか感じられなくて、私はものすごく不快だ。
イギリスやアメリカはワクチン接種により感染が減っていると言うけれども人口あたりの感染者数や死者数は未だに日本よりもずっと高い。
南米あたりも日本よりも接種率は高いけれども、それでも人口あたりの死者数はめちゃくちゃ高い。
左派ならワクチン接種は人口あたりの死者数が高い地域を優先すべきだ!先進国は自重しろ!くらい言えないのだろうか。
実際、WHOはそういう批判をしている。しているけれどパンデミックの状況においてWHOの発言など暖簾に腕押し、だれも聞いていない。
本邦の左派も耳に入らないらしい。
他には差別は良くないだの言ってるんだけど、人間はもともと生来のルッキズム的な動物であって、選択してきたから恐竜に食われずに生き残れたんだよ。選択するってことはすなわち差別するってことを含んでて、それはあんたが俺をフォローせずに無視したように必ず発生する。いいんだよ、だってあんたは俺より人気者だしそんなことでいちいち傷つきはしない。万単位のフォロワーを抱えるなら当たり前のことだ。しかし差別は良くないと言うなら話は別だろう。差別しないなら万人は愚か万物と等しく自分の位置を置かなくてはならない。それが本当の差がないということであり、選択して切り捨てないということだから。
左派リベラルの多くはこの切り捨てないという発想に自己矛盾を抱えている。だからリベラルなんて方便としてしか機能しない。人間はもともと差別的で救いようがない糞便のようなものだし、それは差別しないという発想を持ってしても糞便と等しく存在しているという意味では似たようなところがある。
この人は間違いなくこれからも人を選び続けるだろうし、きついものからは目を背け続けると思う。差別しないなんてスローガンを掲げるやつはおしなべて差別的だから。
お前らは鏡を見たことがないのかといいたい。
鏡を見たくないなら俺みたいに増田で書いてればいいんだよ。
twitterで万人に向けて発言するなら、他人のことばかり見てないで、自分の発言がブーメランになってないかくらいちゃんと鏡を見て発言しろ。
https://twitter.com/t_wak/status/1380536809436815363
は他人の発言をあげつらってるだけでこの人ならではの主張というのを感じたことがない。
自分の発言に全く軸がなくて、他人の発言ばかりあげつらうだけが目的なら私のように増田でやってろ。
https://twitter.com/squaremania/status/1380401596652158981
「左派は弱者を切り捨てた」論者が「車椅子ユーザーは駅への事前連絡くらい受忍しろ」論を展開しててまああまりにも予想通りの展開に笑った(笑えない"
これも論外である。車いすユーザーが一方的に弱者であり、JRの職員は弱者ではないという視点しか持てないところがバカだと言われているのに何一つ理解してない。
この人間の過去発言を見たら同じように軸がなくて他人に対して冷笑するような発言ばかり。
わざわざツイート探すのめんどくさいからやらないが、今回の件で一番最初に騒ぎ始めたオタク連合というやつもよく冷笑的な発言をしていたと記憶している。
ところで。君らが擁護してた車いすさんの人格のゲスさが明るみになっているわけだが。
これに対して目的が正しければ手段や人格が肯定されるという方向で押し通したいようだが考えが甘すぎる。
「誰が言うかより何を言うかが大事」という話なのであればなおさらだ。
何を言うかが大事というなら「正しい主張なら、その人に限らず他の人も言える」=「いずれもっとふさわしい人が同じ発言を正しいやり方でやってくれる」=「別にこの人じゃなくてもいい」と考えるよな。
なので「今回のような嫌がらせやテロ要素がふんだんに混じったやり方の人はちょっと敬遠してもうちょっとまともな人を待とう」となってしまう。
サヨクくんが今徹底的に人気がないのはな、この敬遠の空気に対してあまりにも鈍感だからだ。
鈍感を通り越して、わざと見て見ぬふりをしたり、俺のいうことがわからんやつはバカとわざわざ敵を作る発言をしてることすら多い。
目的のためには手段を選ばないという主張ならなおさら汚くてもうまく戦えってなるはずなのに、実際は単にちゃんとした戦い方を考えるのが面倒くさいだけじゃねえか。
つまり、お前ら本当は全然やる気がない。ただのええかっこしいの何も考えてない空っぽなやつらか、やる気があるなら特急の無能だ。
1970年代にモテのために社会運動やってたモラトリアム連中の亡霊じゃねえか。意識をアップデートしろって言ってるわりにお前らの思考が1970年代で一番古いってことに気づけよ。
上の三人は、今回も結局その古臭い考え方、造反有理にも近いレベルの前時代的な考え方を引きずってる。
事実をよく確認せず、車いすの運動化に乗っかって勇み足で他人を冷笑しておいて状況がやばくなっても今さら撤回できないから意地を張って虚勢で周りの人間を攻撃するとかないわー。
それってただのうっかりさんの上に謝れない人格を暴露してるだけじゃん。
まだここで、やっちまったなーって言って沈黙したり、「主張は大事だけど車いすの人はちょっと問題だったよね」とちょっとでもいえれば他の人も耳を傾ける余地もあるがさ。
上の3人がやっているのは、自分の間違いを認めたくないから、今回みたいな冷笑しぐさをして優位に立とうとするというマウントしぐさ。
主義主張抜きにして、そういう態度とるやつが周りにいたらどう思うよ。
そういうことされたら「言ってることはわかるがお前が気に入らない」としか思わなくね?
ただただ「お前、人間として嫌な奴だな」という印象にならね?
お三方の御大層な主義主張は、「お前が嫌な人間である」という事実を覆してくれるくらい他人にとって大事なものなのか?
よく胸に手を当てて考えてみろ。
こっちからしたら上の3人は白饅頭と全く同じく「人間として性格が最悪な冷笑系のクソ野郎」としか感じられないんだわ。
この方々がどれだけ白饅頭を冷笑系と言って批判しても、「ああそうだよな。でもお前が言うな」としかならない。
お前たちは他人を批判する前に、まず自分たちの性格が最悪な点をちゃんと見つめなおせ。性格最悪なままで支持してもらおうってのは甘えすぎだわ
はてなブックマークの反応が「あなたたち大丈夫ですか?」と心配になるの多くて怖いんだけど。
はてなブックマークで「左も右も同じだよ」ってコメントしてる人多いんだけどさ。
私そう書いてるよね。
右が冷笑系であること否定してなくて、左も同じことやってるのにそのこと理解してないだろ!って記事だよねこれ。
「左も右も同じだよ」ってコメント書いてる人はなぜそういう書き方になるのか。なんでこの記事につけたすみたいなニュアンスの語りになるの。
今いろんな企業を悩まさせているパワハラやクレーマー。一連の車椅子炎上問題を通じて、企業・組織の運営リスクであるこの2つを予め排除できる手法として「左派の排除」が有効な事が分かったので、事例ベースで書き連ねる。はてサには辛い内容だが、ファクトベースの考察なので一読して欲しい。
アパホテルの社長は事あるごとに右よりの発言をSNSなどで行っており、発言の度にSNSが炎上する。しかしそれは意図的なものであり、クレーマー気質の客がアパホテルを利用して重箱の隅を楊枝でほじくるような真似をしてくるのを避けるためであるという。
その結果、会社の知名度が上がり客が増えただけでなく、クレーマー気質の客が減り、不当な悪評が立つことが無くなり、さらに客が増えるという好循環が起きている。
また、副次的効果として、会社からパワハラも減った。2000年代はパワハラもあったようだが、2010年代後半あたりからパワハラが無くなったという。確かに「アパホテル パワハラ」で検索しても、出てくるのはVorkers(転職口コミサイト)の2010年以前の記述くらいである。左派を排除したことで従業員のパワハラも無くなったという好事例である。
こちらも社長がヘイトスピーチを繰り返して左派が不買運動を起こした。
が、その結果、売上高・利益が激減したかと言うとそうでもない。2020年度上期は化粧品業界全体がコロナ禍の影響で2割前後の売上減となったが、DHCは10%の売上減にとどまっている。
左派を顧客から排除したことで商品にクレームを出す少数の層が居なくなり、商品に対する評判が高止まりしたことで、マジョリティの客層が離れることなくコロナ禍にも耐えられていることを示している。
また、こちらもパワハラの話が出てこなくなった。以前は転職会議とかでパワハラの話がちらほらあったが、社長についていけないということで退職した人が出てきた結果、社内からパワハラが消えたようである。
こちらはアパホテル、DHCと違い、球団経営側が大っぴらに左派を排除することはしていない。
しかし、左派がすり寄ってくる「韓国人選手の採用」「差別への反対姿勢提示」などの要素を日本プロ野球界はやらなくなった。
昔はいっぱいいた韓国人選手や帰化(在日)選手は居なくなったし、スタジアム内の暴力は徹底排除を試みているが、試合前に「差別反対」のアナウンスはやっていない。
その結果、スタジアムから汚い野次や暴力行為が激減。阪神ファンやなど、まだごく一部でそういう行為が残ってはいるが、もう虫の息だ。サッカーJリーグのように、ちょっと負けが込むとファンが居残りをやったり、フェンスから乗り出してマスク越しに選手達を恫喝したり、試合前後で一部のファンが暴れたりというスタジアムルールを無視して声出し応援してるなどの見苦しいシーンは見られなくなった。一方、Jリーグでは今年も既にこのような光景が徳島、仙台、横浜FC、福岡などで見られている。
日本プロ野球は左派にすり寄られる要素を興行から排除したことで平和なスタジアムの醸成、つまり「ボールパーク化」に成功し、近年のプロ野球観戦チケットのプラチナ化を進められたのである。
左派・左翼を排除することが企業統治・売上利益の拡大に有効というビジネス的なコンセンサスが得られつつある。一昔前はこういうクレーマー・パワハラは「右派・右翼」の代名詞だったが、彼らは行動を変節し、恫喝や暴力行為をヤメ、周囲を共感させ、反感は買わないようにするというコミュニケーションの進化を見せた。その結果今はクレーマー・パワハラは「左派・左翼」に目立つようになり、左派の排除がビジネス的に有効な状態になった。
DHCやアパホテルのように経営層が右寄りの発言をするのも有効だが、それが表立ってできないようであれば、例えばこんなことで左派を排除できる。
・バリアフリーに逆行する店構えにする
・採用試験や昇進試験で政治思想を試す小論文を課し、左翼思想が垣間見られる論文を出してきた人を排除(例の車椅子炎上案件はテーマとして最適だろう)
左派側も行動を変節しないと、イデオロギーの問題で何も買えない、何もできない、気づけば社会から完全に阻害されている・・・という未来が待っているだろう。
一応弱者男性に批判的な人達の中でも数少ないアレな人達だとは思うんだけど(つまりああいう人を全体だと言うつもりは無い)、
本気なのかな?と気になる。
だって明らかに論理的に別物じゃん、上方婚批判とあてがえ論は。
上方婚に偏る事を批判しつつ「自分は独身でいい」「あてがわなくていい」と言うスタンスを取る事は明らかに出来るし、つまり非あてがえ論の上方婚批判は普通に成立し得る。というか大部分はその層だろう。
これってそこまで難しい話じゃないと思うんだが、ああいう人にとっては難しいんだろうか?
失礼ながら「論理的に物事を捉えることが苦手な人なのかな?」と思ってしまう。
上方婚批判自体は、例えばアニメとか漫画の性役割固定的な描写に対して「偏見を強化する」「偏見を内面化している」といった批判だったり、
階級間格差の固定みたいな話と地続きの話で、左派的にも理解しやすいトピックだと思うんだけどな。
あてがえ論は女性側の人権を制限するような、規制論やそれ以上の強い主張である訳だけど、「批判」と「規制」の雑な同一化ってこの人達にとって本当に都合の良い操作なの?
そのまま行くと、作品に対する批判もイコール規制論だとする暴論まで許容しなくてはいけなくなって、ただのオウンゴールだと思うんだけど・・・・・そこまで考える事が出来てないんだろうか?
「批判」と「規制論」の峻別って、「規制を求めてるわけじゃない」と言いつつ批判したい左派にとっては生命線でしょ?なんでその程度の事も分かんないんだろうか?
加えて、そもそも今の日本の左派は、彼らの考える正義や公正さの為には表現の自由等の自由が犠牲になっても致し方ない、という「社会的公正>自由」のスタンスでしょ?(だから「リベラル」では無いわけだが)
それってあてがえ論の様な一方の自由を犠牲にして弱者を支援しようとするやり方に近いって事を自覚してるんだろうか?(尤も、近いだけで同一ではない、あてがえ論は左派の支持するような主張よりも明らかに過激だからね)
イラストのしわとか頬の赤みなんてものを根拠に人の自由を制限しようとする思想って、よくよく考えて見なくてもかなり過激なモノだよ?自覚ある?
上方婚は格差の拡大・再生産を促し、偏見や男性社会の価値観(収入=魅力)の内面化の結果(あるいはその再生産)ではありつつも、それ自体自由な行為でもある。
けれどもそのような自由な行動やその結果を社会問題化したり批判したりも出来る、というのが左派の根幹でしょ?
だからこそ自由なはずの表現行為にジェンダー視点で批判を入れたりも出来る訳だ。
自由で正当な行為であっても、その結果として格差の拡大・再生産を促したり、偏見や男性社会の価値観を内面化したり助長したりもする、そんな事当たり前だし、それこそが左派がこれまでしてきた批判の根拠でしょ?
自分達の批判や主張が何を意味してるのか、ちゃんと論理的に捉えていればこんなこと理解出来てて当然だと思うんだけど、なんで出来てない人が居るの?
このツイートで気付いたが、鉄道トラブルに対する対応で、政治的思想も分かるようになったんだな。
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1379404695295324167
左派の人達は、駅員に「どうなってんじゃー!ふざけるなー!!」と詰め寄り、駅員を離さない。駅員が場内アナウンスしようとすると遮る
そいえば京急沿線は左派が弱い地域だったな。ガースーのお膝元でもあるし。乗客もプロと呼ばれるには左派から脱しないといけないのか。
強者男性・弱者男性の格差を作ったのは自民党政権であって怒りの矛先が違うよね?
フェミニストは森元なんかを始め権力や強者に対してもちゃんと声を上げてるけど
君等弱者男性は自民党批判しないどころか強者に巻かれてばっかだよね。
山田太郎支持してみたり、安倍辞任にお疲れ様とか書いてみたり、左派の批判にいちいち噛み付いたり
蓋を開ければネトウヨと見間違うような自民にすり寄る発言ばかり。
肉屋を支持する豚になってる自覚持とうよ。根本の原因作ってる相手をスルーして
はてサがどうとかフェミがどうとか見当違いの八つ当たりするのいい加減辞めようよ。
目の前ばかり見てないで視野を広く持ってください。一度冷静になって考えてみて。