はてなキーワード: 定時制とは
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
を馬鹿っぽく書き換えてみました。
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みんなが想像できないようなすごく低いレベルの高校に言ってました。九九すら出来ない高校生達がいることを信じられますか?
これは、障害者の学校のことでも、定時制でもなくて普通の人の通う学校の話です。
生徒の内訳は、私のようないじめが原因で登校拒否をして学力と内心が低くて、そこに来るしかなかった人が1割くらい。
8割がヤンキーギャルDQN。あとの2割は、なんでここにいるか分からない、普通のコミュ力もある子たちでした。
良くない言い方かもしれないけど、普通に見えるけど馬鹿な人もいるってことでしょうか。
すごくレベルが低いと言っても、その中での学力の開きはとても大きかったですし、上位に入っていたのかもしれません。
私も普通に馬鹿でした。英語はいまだに「これはペンです」しか言えません。
小学生まではテストではほぼ100点近くしか撮ったことがない普通の子だったのですが、中学ではそうもいきませんでした。
小学校のテストは授業をぼーっと聞いてるだけでも誰でも100点を取れるように出来てるけど、中学だとしっかりと授業を聞いて、予習や復習をしなければ高得点は取れません。
不登校の私にはこれは無理でした。小学校では不登校を繰り返していてもカバーは出来ていたけど、中学は無理でした。
こうして私は脱落しました。出席日数も足りず、レベルがすごく低い高校しか選べませんでした。
(本当は滑り止めの私立でましなところに受かったけど、金銭的に無理でした。)
コンドームが教室を飛び交うような学校で、学級崩壊していて授業はまともに受けられませんでした。
もともと高校の授業が分かるレベルじゃなかったので、小中の復習をしていました。
私はここでも不登校も繰り返していましたし、学級崩壊によってわずかな勉強時間も奪われて、どんどん馬鹿になっていきました。
今年で28になります。
馬鹿の私には何の道も残されてない気がします。何も考えられません。
察しの職歴無しのヒキニートです。
今後、私は何をすればいいのでしょうか・・・
俺もそんな高校の定時制に通ってた。
行きたくて行ったわけではなくて、おそらく学費が安かったからという理由で勝手に決められてた。地元のみんなと同じ高校に通いたかったけど、はじめての三者面談の時にその選択肢すらなくてそれがどういう意味なのか解らなかったが空気を読むフリだけはできて、その高校に通うことになった。
クラスメイトは半分ヤンキーで一度他の高校を諦めて通い直す奴とか元増田っぽい境遇の奴らも確かめたわけじゃないけど数人いたと思う。
授業内容は中学をもう一度やり直す感じで、未だに俺は微分/積分とサイン、コサインあたりは勉強したことがない。(←知らないとマズイって場面もなかったけど)
元々勉強はキライじゃなかった。知識が自分のものになるのは気持ちがいいし、学級崩壊っぽい事もあったけどそこは先生たちも手慣れたものでかわしかたがうまい先生が多かった。
話の面白い先生が多くて、ヤンキーも食いついてくる話題をサラっと出したりして。まあ、唯一音楽の先生だけはそのへんが不器用で「お前だけだよ俺の授業ちゃんと受けてくれるの」ってこぼしてたけど。とにかく、その時の先生方には今でも感謝してる。
なにしろ高卒で定時制で1年遅れて社会に出てるわけで、しかも勉強の内容は中学レベル+くらい。
でも商品知識だけはのめり込んで覚える。
のめり込んで覚えられるように、好きなもの、好きになれそうなものを売ってる店で働くことにした。
働きながら全然違う趣味、俺の場合は音楽とパソコンも広げられるだけ広げていった。
で、ある日突然「販売じゃ儲からねえ!」と思っていきなりフリーのデザイナーになった。
ネットは便利でいい、わからないことがあればなんでも調べられる。
自分に関係なくても、ちょっと気になった事があればすぐ調べる。
大河ドラマにハマってもっと知りたいと思ったらどんどん調べる。
こういうことってできるもんなのかな?→調べる。
で、今じゃディレクターです。
皆さんが想像もできないような底辺高校に通っていました。信じられますか?九九すらできない高校生達がいることを。
これは障害がある子たちの学校の話ではありません。健常者の通う学校なのです。定時制でもありません。
生徒の内訳は、私のようなイジメ被害者系登校拒否による学力と内申の低さゆえに、そこに来るしかなかった人が1割ほど。
7割がヤンキーギャルDQN。あとの2割はごく普通のコミュ力もある明るい子たちだったので、なぜここにいるのか分かりませんでした。
失礼な言い方で申し訳ないですが、普通でも馬鹿というのは存在するということでしょうか。
底辺とひとくくりにしてもその中でも学力の開きはとても大きかったですし、上位に入っていたのかもしれません。
私も漏れなく馬鹿でした。英語がいまだに「これはペンです」しか言えません。
小学生まではテストはほぼ100点近くしか取ったことが無い普通の子だったのですが、中学ではそうもいきませんでした。
小学校のテストなんて授業をボンヤリ聞いているだけで誰もが100点を取れるようにできていますよね。
でも中学ともなるとしっかりと授業を聞き、予習復習もこなさなくては高得点は取れません。
不登校の私にはこれらは不可能でした。小学校では不登校を繰り返していてもカバーできていましたが中学は無理。
こうして私は脱落しました。出席日数も足りず、上記の底辺高校しか道はなくなりました。
(本当は滑り止めの私立ではるかにマシなところが受かったのですが金銭的に無理でした。)
コンドームが教室を飛び交うような学校でした。学級崩壊していて授業はまともに受けられませんでした。
とはいえ、もともと高校の授業などしていなかったのですが。小中の復習に止まっていました。
私はここでもやはり不登校も繰り返していましたし、学級崩壊によってわずかな学ぶ時間も奪われ、馬鹿は加速していきました。
馬鹿の私には何の道も残されていない気がします。何も考えられません。
察しの通り職歴無しのヒキニートです。
今後、私は何をすればいいのでしょうか…。
(オチ無し注意)
近年中国製品に押され気味の中なんとか頑張ってる陶器産業でなりたっているド田舎に生まれる。
田舎だから学校や進路は引越しなどがなければ中学まで必然的に決まる。少子化社会もあって、1学年保育園から中学までをほぼ同じたった50人程度の中で過ごしてきた。
みんな顔馴染みで互いが互いをかなり知っていてドロドロの関係だった。
自分の場合は両親が子供にあまり投資したくない類の人間だったので、服は近所から貰ってきたお古のものだったし、クラスで流行っていた何かについて話題に乗る事もできないし、勉強ができない割りに近所にある数少ない塾にも通わせてもらえなかったから全ての時期を「可愛そうな子」「近づいてはならない人」として扱われた。
10年近くもぼっち生活で、はっきり言って虐められていて苦痛だったし、親の方も母の家系がカルト宗教で父が「それに子供を巻き込むな」と制止していたのもあって結構な頻度で喧嘩が続いていたから精神状態も荒んでいて誰とも関わりあいたいと思わなかった。
中1の頃、ネットが開通した。
それまで独力でどこに行っても手に入らなかった理工学系の書籍をamazonで購入できるようになった。
当時人工知能にあこがれて森北出版の「強化学習」を買ったり、基礎的なアルゴリズムを勉強しようと「アルゴリズムイントロダクション」「アルゴリズムデザイン」を買ったりした。
今と比べると些細な情報しかなかったものの、技術情報もネットでぼちぼち調べる事ができるようになった。
学校での成績は悪かったが、情報工学に対して自分なりに勉強するようになった。無論、終わった人として扱われる学校になんて行きたくなかったから引きこもり不登校児にになった。
それでも自分は諦めたくなかった。自分が見出した情報工学という桃源郷を手放したくなくて、「学校に行くから」「(提示された以上の成績を)取るから」としつこくPCをせがんで型落ちながらもその都度PCを手に入れた。
何度も裏切る内に親も諦め、何も言わなくなった。
高校は2つ向こうの市にある遠い定時制に進んだが、案の定DQNばかりでトイレで薬物を吸っていたり平気で授業を妨害したり先生も何も言わなかったりで絶望して1ヶ月で辞めた。
そこから5年間、何度も自分の人生は終わってるんじゃないかとか、いつ死のうか思案を巡らせながら引きこもって過ごしてきた。
生まれてから20年が過ぎた。金がない。学校にも行けない。働き口なんてない。人脈もない。何もかも終わっていると思って現在も生きている。
長年引きこもっているせいで親に精神科へと通院させられているが、とうとうそこで障害者2級の認定を受けてしまった。年金の6万5千円の内5万は生活費として親に取られている。
最近、twitterで技術系に詳しいリア充共をFollowして観察している。
寝て起きて食事をしてはてブのトップページかTwitterのタイムラインを覗いて一日を過ごしている。精神が安定してきたらプログラミングもしているがあまり芳しくない。
RubyをやっていてCとかレイヤの低いことが大してできない。
もう10月なわけで、世の中の中学3年生は受験やらなんやらで忙しそうだ。
俺もそろそろ高校のことを考えないといけない。
そもそもまともに勉強していないから都内でも限られる。頭悪いからしょうがない。
定時制はDQNの巣窟というイメージがあるのでそれだけは嫌だ。
普通科に行ったらリア充生活できるのかもしれないけど、まあまた不登校になったらオワコンなので四部制の情報科にでもする。
そんなこと書いてもどうでもいいと思うので彼女欲しい話をしようと思う。
こんなクズがぐだぐだ書いても多分誰も読まないと思うが。
そんな俺にも彼女が欲しい。
どのくらい欲しいかってジョブズが亡くなって自分の手でAppleの新製品を発表できない後悔の念ぐらい彼女欲しい。
それはともかく彼女がほしい。
中学は中1の夏休みまで行っていたが、その頃に小学校からのクラスメイトを好きになった。
ずっと好きだし、今も好きなわけで、割と身元バレる前提で増田に書いている。
今まで2年半ぐらいこの想いをずっと伝えられないでいる。
リア充になりたい。
俺は別に人間関係で不登校になったとかなんだとかいうありがちな理由で行かなくなったわけではない。
だから行こうと思えば行ける環境にあるわけだし、実際最近行きたくなってきた。
あー学校行ったら好きなあの娘と話せるんだろうなとか毎日考えながらだらだら生きてる。
3年からクラス替えでまた同じクラスになったのに行かないのはすごくもったいない。
クロックの低い年寄りにHTCのデュアルコア端末を使わせるぐらいもったいない。俺にくれ。
自分がコンテンツ価値ある人間だとは全く思ってないが、せめてこの想いを伝えてから死んだっていいのではないか。
14年生きてきたし今更死ぬわけにはいかない。せめて元を取らせろ。伝えてからじゃないと。
あーどうしたら伝えられるかなー
最近恐れていることがある。
ずっと好きだけどそのうち諦めがついたり今好きな娘よりも可愛くて優しい娘が目の前に現れたらどうするか。
もちろん今も好きだし、早く伝えたい。
だからこそ伝えなくてはならない。
別にあの娘は俺のことなんかなんとも思ってないだろうし、もし少しでも考えてくれていたら嬉しいけど多分それはない。
でも考えてくれていたらなーとか考えるとあの娘にも迷惑だしさっさと伝えて片付けたい。
今年中には伝えたいけどやっぱり早ければ早いほどいいわけで、なんとかして伝えたいがなかなか勇気が出なくて伝えられないでいる。
なんかここに書いたら少し気分晴れるかなと思ったらそうでもなかった。
追記
やっぱり学校行けと言われるのは当たり前か。
好きで行ってないわけじゃないから何かきっかけがあれば行けるんだけどなぁ…
111010 0:25追記
http://anond.hatelabo.jp/20111008133632
伝えられなかったら多分後悔するでしょうし、
想いを伝えてきもいとか言われていてもそれはまあ少なからず想定していないわけではないのでなんとかなります。
むしろ何も言われないよりはきもいから無理とか明確な理由が分かったほうがいいので。
もうフラれてもいいのでさっさと伝えたいですね。
111019 0:39追記
俺があの娘を好きになった理由
小4のときの話。
そして、先生がやってくれたんだと思うのだが、俺にクラスの人が書いたメッセージカードとかくれたりした。
学校行けよ的なそういうあれで、あんまり不登校の人いないから聞けないけどだいたい経験あるらしいので割と普通にあるみたい。
その中に今の好きな人が書いてくれていて。
あれって全員分じゃないし先生が勝手に決めたわけじゃないだろうし自分から書いてくれたんだろうなって考えてるうちに…
まずそれが違うなら俺の3年間根底から覆されるわけなんですが。
まあそれはもういい。
自分で書きたいと思って書いてくれたなんて少なくともやさしいんだなーって思うじゃん。少なくとも俺は思った。
こんなので好きになるの多分自分だけだと思うけど。リア充から見たらアホみたいに見えるんだろうな。
それを中1ですでに不登校になった9月の下旬だか10月ぐらいに引き出しから見つけてなんか泣きそうになって、
やさしいんだな、そういえばけっこうかわいかったよね…とか考えてるうちに好きになっちゃった。
なんかごめんなさい。
埼◯県立某定時制の◯年が煩い?
(´・ω・`)知らんがな
教師が悪いんだろ?
◯年が担任の先生の言う事聞かない?
(´・ω・`)知らんがな
今迄全生徒と向き合わんかったつけや無いか
友達に嫌われた死にたい?
(´・ω・`)知らんがな
自分で本人に「お前のせいだ」と言えや
「リスカした話し聞いて」
(´・ω・`)知らんがな
其れより夜中にくだらん事で電話するな
「◯◯ちゃんが虐めの的になるから、退学しないで」
(´・ω・`)知らんがな
進級時「先生はもう、他の学年の担任をするから、卒業迄次の担任を支えて学年をまとめてくれ」
(´・ω・`)知らんがな
私は生徒ですがな
「ここ、生徒と18歳未満専用なんですよ」
(´・ω・`)知らんがな
全部実話
(´・ω・`)知らんがな
小中と順調でした
高校で病気になりました
友達へりました
療養に専念しました
そしたら留年しました
友達またへりました
親が交通事故にあいました
奨学金もらうようになりました
おやっさんは看病ばかりになりました
次第にみんな疲れていきました
家庭内がぎくしゃくしました
ぼくが高校をでたら離婚することになってました
妹はひきこもりになりました
パソコンばっかりするようになっていました
ぼくは泣きました
それからぼくは決心しました
バイトばかりしました
3つかけもちしました
高校また留年しました
定時制にいくことをすすめられました
来る日も来る日もバイトしてました
定時制をでたあとも同じでした
その内いやになりました
生活に疲れました
部屋にこもってパソコンばかりしました
妹と同じ事をしてました
人と話さなくなりました
そんなことにもなれました
今日もぼくは篭っています
「不登校」という言葉は、差別用語だと考えていて、あまり使いたくないのだけど、経験者として、書いておく。
まず、「不登校支援」という名目で活動している団体と関わるのに、注意した方がいい。
名前通り、どこかの施設に入れて、徹底的に叩き直そうという団体で、暴行事件などが起こって問題が表ざたになっているから、意外と知られている。
文字通り、不登校を直すための秘訣の書かれた本を高額で売りつけたりする。SEO対策がされているため、検索してほいほい引っ掛かる。
心理学や精神科の専門家が関わっていて、一見すると、信頼の置けそうな組織。不登校の研究をしようと思っても、なかなか会えるものじゃないし、
多くのサンプル数を集めるのは、大変だ。そこで、不登校支援の名の下で、不登校児たちの生態について研究するために設立されている。
(4)自助グループ
子供が学校に行かなくて悩んでいる親たちが、自分たちの悩みを解消するために結成されるもの。あくまでも、親のためであって本人のためではない。
自助グループがさらに発展したもので、「不登校」というものに独自の哲学やら思想などを持っていて、それを広めている。
通信制や定時制の学生のための学習や高認取得の支援をする予備校。
世間では、(1)や(2)が危険ということは知られているけれど、実は、(3)、(4)、(5)もかなり危険な存在じゃないかなと考えている。
肝心の解決法なのだけれども、検索しても出てこないだろうし、恐らく、上の団体に聞いてもお決まりの答えしか用意してくれない。
十数年苦しんで、考え続けて思うのは、何かをして解決する種類の問題とは違うと思う。時間が解決するといったらいいのかな。
つまり、周りの人間にもどうにもできないし、自分で何とかしなければならないわけだが、決定的なものはないといっていい。
自分の体験を述べると、戦前の人の本を読んで、彼らの生き方は、大いに参考になった。戦前には、小学校を中退していても、立派な業績を残している人がいて、
彼らの生きた道は、まさに教科書といってもいいと思う。
あとは、不登校支援とはまったく無関係な人と幅広く付き合った方がいいと思う。
その際、根強い偏見があるから、不登校であることはカミングアウトしない方がいい。
自分で、言っておいてなんだが、経験者や当事者の意見だからといって信用しない方がいい。
なぜなら、あなたが見ている景色と、他の人の見ている景色は、同じ不登校であっても違っている。
結局、あなたのことを一番分かってあげられるのは、あなた自身なのだから。
実は
中学不登校→田舎の定時制(いわゆる問題児集める高校)→浪人→国立(旧官立レベル)ってのが友人がいるので。
高校も程度が低い定時制なので,まぁ,進学校には毛も及ばない。
高3で予備校行くまで行ったことなかったし,現役のセンター52%くらいだったらしい。
なんせ勉強始めた初期は英語の自動詞と他動詞の意味すら知らなかった。
浪人したら意外と成績あがったみたい。
もちろん,元増田の友人の東大や旧帝に比べればダメダメだと思うけどね……
てか,うちの地元だと地元国立入れれば優秀って感じだったんだけどな??。
彼は地元国立より上の国立に入ったので,学歴的には優秀に見られた。
東大じゃないと優秀じゃないという価値観とかなら,俺の意見はちょっと合わないかもしれん…。
というわけで,さすがに東大クラスだと,小中と塾に行ってないとダメかも知れないけど。
小中と塾に行ってた人の何割が東大に行けるかと考えると,
まず小中学校には「退学」や「停学」という制度自体が無い(学校教育法施行規則第26条第3項:義務教育における懲戒退学の禁止、同4項:学齢生徒への停学の禁止)だから何をしても学校は「放り出し」たりしないしできない。
高校における停学は、停学にあたる行為をした、という事実を認識させ、出席できることが当たり前のことでないことを今一度思い起こさせるための「処分」である。二度と復活が無いというものでない以上、学校は生徒を「放り出し」ているわけではないし、むしろ再び抱え込むために指導している。(ちなみに「停学」が「懲戒」として行われることは、まず無い。なぜなら正式の懲戒として停学を行うとそれは生徒の履歴として残さなくてはならないし教育委員会にも報告とかしないといけないので厄介。なので、あくまでも自主的な「謹慎」「出席停止」という形を取るのが普通。)
それから、親には養育『義務』があるけど、学校に課せられる『義務』とは『(望む者に、教育を受けられる)機会を与える義務』であって、自ら拒否する人間に無理矢理機会を与えるというのは基本的にサービス部分に過ぎない。馬を水飲み場に連れて行っても、無理矢理水を飲ませることはできない。学校は工場ではない。右から原料(児童)を入れれば左から製品(卒業生)が出てくるような装置ではないし出す義務が学校にあるわけではない。
さらに、普通に選択される多くの公立学校は教育のセーフティネットではない。小中学校に関しては退学という制度自体が無いから、極論言えば一日も通わなくても教師が出張してきたりして形だけ無理矢理「卒業」させるが、高校に関しては私立という選択肢もあるし中退者向けの私立単位制高校、フリースクールなどもある。大学へ進みたい人向けには、高認(旧大検)がありその予備校がある。現在、多くの場合通信制・定時制の高等学校がその受け皿になっているが、都市部では大抵キャパシティを超えかけているし、そもそも本来それは受け皿のための課程ではない。
個人的には、一度公教育を自ら「放り出し」た人間であっても、望めば再度公教育が受けられるように門戸を広くすべきだと考える(たとえば中学校で不登校になったのに「卒業」させられた生徒が、望めば再度公立中学校に通えるように。)が、許容量や指導上の問題、対応の難しさ(18歳以上が通学する場合喫煙を許可すべきか?、学生を狙った犯罪を企図する大人を排除できるか?、一般の大人に対して『校則』を適用することの問題、など)からほとんど実現していない。
>■無料や有料の弁護士相談を利用すれば借金が減額される糸口がみつかることがあるのでぜひ相談を
ありがとう。やってみようかな。でも親は俺が借金の存在をしってることを知らないんだわ。俺が相談に行けばいいのか
>■親父が息子に借金するのはそうとう困ってる&一家の大黒柱としてのプライドが傷ついてる可能性があるのでキツく突っ込まない方がいいかも
そうだよね。何も言わないようにする
とりあえず、バイト頑張って金を蓄えようと思う
何かあったら数万ぐらいポンと貸せるように
あと免許取ってドライバーやろうかな
配達すればするほど金貰えるやつ
もうやりたいことがあるからフリーターとか言える気分じゃないし状況じゃない
家の事情で修学旅行に行けないとか、定時制行ったとかいうヤツをたくさん見てきてたくさん同情してきた
こういう人がいる中、自分は恵まれてるんだって思ってた
でも俺も恵まれてなかったんだ
気づかなかっただけ
親が気づかないようにしてくれてたんだろうけど、今思うとありがた迷惑だわ
「怖い」と言ったら、彼女が豹変(ひょうへん)〓。交際中の大学生から現金を脅し取ったとして、警視庁少年事件課と高尾署は、恐喝の疑いで、いずれも東京都八王子市の都立定時制高1年の女子生徒(15)と友人の無職の少年(17)を逮捕した。女子生徒は大学生に「怖い」と言われたことで態度を一変させたというが、「自分は普通の女子高生。怖いと言われたくなかった」などと供述しているという。
調べでは、女子生徒は7月19日、ナンパされて付き合い始めた同市の大学2年の男子学生(21)に、「私に何をしたのかわかってんの。土下座しろ。他にも先輩が待っているんだよ」などと脅し、現金5万円を脅し取った疑い。
また、同月20日には「セクハラで訴えたら50万円になる。でも11万円でいいよ。彼氏は暴走族の総長をやっている。ばっくれたら家にヤクザが来るよ」などと脅し、現金26万円を脅し取った疑い。
女子生徒にはすでに別の交際相手がいたが、7月初旬から男子学生とも交際を開始。
しかし、女子生徒が友人の女性と「その女(友人の交際相手の浮気相手)、つぶそうぜ」と電話で話したり、男友達とバイクの話をしたりしているのを聞いた男子学生が、女子生徒に「(君は)怖い」と言うと、女子生徒は態度を豹変。
男子学生はメールや携帯で謝罪したが、女子生徒は「謝る気があるなら土下座しにこい」と因縁を付け、友人の少年とともに現金を脅し取ったという。
女子生徒は脅し取った現金31万円のうち、少年には1万円しか渡さず、残りの金で交際相手と東京ディズニーシーに行くなどして遊んでいた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081111/crm0811111234012-n1.htm
味のある事件だな。
一回読んだだけでは人物相関がわからなかった。
全日制の大学には一回行って「なんか違うんじゃね?」って思って辞めたんだろ?
もういいじゃん。充分じゃん。
今勉強したいことも特にないなら放送大学行って見つければいいじゃん。大卒・学士の資格だけまずは取ればいいじゃん。で、面白い分野とか講義を聞いてみたい教授が見つかったら、それから全日制の大学行き直せばいいじゃん。高校じゃないんだから大学なんか何回でも入り直せるだろ。
それともあれか?そういうこと言うと「まあ放送大学で資格だけっていうのも何か違うっていうか」「放送で4年、更に行き直して4年だと時間と金がかかりすぎて現実的じゃないっていうか」とか言い訳すんのか?人生の時間とか無限にあるとか勘違いしてないか?それとも
って言って欲しいだけなの?
年取ってから職辞めて全日制の普通科高校に行き直した人知ってるよ。多分あんたと同じで理由は「プライド」だけだった。
半年持たなかった。
じきにニートみたくなった。
その後どうなったんだか知らない。
おはこんばんちわ。上記のエントリを書いた17で子持ちになった増田です。思いのほかはてブ等で反響があったので、誰も気にもしていないのに17歳で子を持つに至るまでの4半生についても勝手に自分語りを始めます。前エントリで最初で最後といったくせにね。17歳以後と比べるとたいして特殊でもないDQNのつまらない話です。
親が転勤族だったこともあり小学校では転校を三回経験。その経験のせいで「人間関係をあまり重要視しない」という性格を形成するようになったんじゃないかと思いこんでいたりする。そのため自分の子供には転校をできるだけ経験させないであげたいなと思っているんだが、、、まぁ考えすぎなのかな。
やはりこれだけ転校すると今だに連絡を取るような小学校時代の友人は一人もいなかったりする。でも当時は転校に対してネガティブなイメージはなくて前の小学校で失敗した小さなことを次の小学校ではこう直そうとか考えたりしていた(大学デビューみたいなもんか)。やっぱり「人間関係をあまり重要視しない」ってのは天性のものだったのかもね。
学校の成績とかは苦労はまったくしなかったが、単に塾に通っていたからだと思う。「勉強しなくても特に苦労することはなかったなぁ」とかいっている天才とは多分頭の作りが根本から違うんだろう。
中学は都内の私立男子校に入学することになった。いわゆる御三家に落ちた人たちが集まる滑り止め校で、自分もそのパターン。
入ってから半年ぐらいは成績も中の上ぐらいなもんだったけど(試験の全順位発表する学校でした)、次第に成績は落ちていって1年の終わりぐらいには最下位グループに固定化されてたと思う。
そういえばそのころ初めて「いじめ」みたいなのも経験した。こういう進学校もどきの特徴なのかは分からないが基本的にターゲットは成績の悪いやつなんだよね。成績がそれなりだったころは仲も良かったクラスメイトが急に自分を攻撃してくるようになったのだ。といってもうしろから消しゴムを投げてくるとか漫画を持ってきているのを先生にチクられるという些細なもんだけど。
もうひとつそのクラスの特徴と言えるのかもしれないけど、自分以外の例を見ても基本的には「攻撃する奴」「攻撃される奴」の1対1というのが多かった。いわゆる同調圧力なんかはなかったように思う。だから集団シカトとかそういった類のものは発生していなかった。他の人間はそれを積極的に止めたりもせず「あーあいつらまたやってらー」ぐらいの感じで眺めていたように思う。
そして2年生になり、ますます成績は落ちていくんだけどまったく勉強はせず学校帰りにゲーセンに寄ったりしてそれが見つかって反省文みたいなことを繰り返していた。そういえばそのころ流行っていたNBAのトレーディングカードを持っていっただけで反省文だったなぁ。
「お前は腐ったミカンだよ」
担任にそう言われたのはそんな反省文を何度目かに命じられた時だったと思う。正直その時はそれが金八で使われていたというのも知らなかったけど。金八先生のファンなんだろうかあの先生は。
そんなこんなでいろいろとやさぐれて中間試験や期末試験をさぼったりするまでになって2年の終わりに留年勧告。いや、本当のところはよくわからないけど。親が呼び出されて話をしたので。そしてそれを親が断わり自主退学。
別に自分は中学留年でもいいんじゃないかなぁとも思っていたけど、まぁどっちでもいいかと思って了承。
親の都合もあり東北地方に引っ越して3年は普通の公立中学に転入。でも3年の授業は前の学校で終わらせちゃっていて、つまらなくてほとんど寝てばっかだったとおもう。試験も相変わらずさぼったり白紙提出したり。でも公立はそれでも卒業させてくれるんだから楽なもんだよね。
試験が白紙ばかりだったんで内申点で落ちるよと担任に脅されながらも一応その地域の進学校を単願で受検。落ちたら東京にいって働くかなんてことを考えていたりした。ところが進学校のくせに倍率0.99倍とかになったせいか合格。
これを機会にやり直してみるかーと思ったのは最初だけで、燃え尽き症候群的な態度は変わらず授業は寝てばっかで試験は白紙提出を繰り返していた。(そういえば燃え尽き症候群ってのは中三のときの担任にいわれたんだったっけか)
一方そのころとあるネット上のコミュニティサイトにはまっていて。誰でも知ってるようなサイトですが。で、そこの東京でのオフに足を運ぶことになる。そうすると高校落ちていたら東京に戻るはずだったという思いが再燃してくるんですよね。2年弱東北にいたせいで東京コンプレックスみたいなのを持ち出していたんだと思う。その時に会った人にそんな自分の思いを伝えていたらじゃあ東京に出てきて単位制の学校に通ったらと勧められることに。まぁ学校に行くってのは親へのポーズであってとにかく東京にでたいんだという気持ちだったんだと思う。今思い返しみてもその時のその情熱はちょっとよく分からない。
なんとか親を説得して高校を自主退学。その単位制の学校を受験するんだけど落ちました。やっぱ都立って内申点重視するのね。で、急きょ同じ学校の通信制と他の私立の夜間定時制の学校も受験して一応合格。学校あまりいきたくないという思いもあったので通信制に入学。土曜日だけスクーリングがあったんですが、校内に生徒用の喫煙所がある変な学校でした。
で、入学して2か月ぐらい働き先を探したりもせずに彼女の家に転がりこんだりしていたら、妊娠発覚。前エントリに続くという感じです。
(学年的には2年生)とか書いていた理由も分かりましたかね。小学校4つ、中学校2つ、高校2ついったというのはちょっとした自慢だったりもします。
ときかれて
「花のお江戸に御旗を立てるんです。学校にいきながら働くつもりなんです。」
といったら
「ププッ。何かスキルでもあるの?」
「いえ…。でもプログラムをこれから勉強しようと思っています!」
「あのねぇ、そんなに簡単に世の中はいかないんだよ。まずは学校でしっかり勉強しなさい」
みたいなことをいわれた。その1年半後には400万弱の年収で子供が離乳食を食べ始めていたわけなんだが。
あれから8年、まだ御旗は立っていないけど。
小さい頃、追いかけっこをすると必ず転ぶ危なっかしい弟で、それで救急車に2回もお世話になってどうしようもなくやんちゃで、でもみんなそれが好きでかわいがって、兄は落ち着いていてそれと比較されると不快な顔をしていたずらして、小学校で素行は良くなくて、中学受験で兄より偏差値は高くても次男だからあまり歓迎してくれないのがとてもつらかったと思うし、せっかく入学した中学はマンモス校で人の個性なんか関係なしに型通りにものを運ぶことを強要された教師どもが子供の未来を摘み取っていくどうしようもない学校で、中学時代にやんちゃで学校からしょっちゅう注意されて、それでもやめなくて結局受験のときに見放されて、それが原因ではなく勉強が得意でなくてできなくてしなくて遊んでばかりだったから兄とは偏差値も離れている高校にいってしまって、中学校に見放されたあたりからよくない仲間とつきあいだして、眉毛を剃るのを先頭に髪の毛を長く伸ばして汚らしい色に染め、仕舞には高校に金髪ピアスで登校、成績も最下位で2年生で進級したところで学校に行かなくなって、携帯電話は勝手に親の同意書を書いて契約して請求書をかさませ、自室に閉じこもって夜中出かけて朝帰って酒も飲みタバコも吸い、自転車を盗んだり夜中小学校に忍び込んで補導されたり、まだバイクで暴走していないものの渋谷の同じような格好をした暴力団の下部の下部の下部のそのまた下部のどうしようもない若者を集めてサークルだとか言って金をつぎ込ませて、そのうちいろいろな悪いものを引き込んで、家中の金をあさり金目のものと生活用品を誰だか知らない仲間の車を呼んで運ばせ家出して、そのうち金をどこからか借りたのか遊びほうけて、携帯電話はいつまでも使い続け、たまに帰ってきたと思うと人の肌の色をしていなくて、それでも兄はなんとか話をしてみて、やっと優しい言葉をかけられたと、そのときの弟の涙は一生忘れられないと思ったのに、家出から帰ってきて両親は高校ぐらいでないとこれから先つらいと定時制にやってみたけど、そのうち興味も失せて、携帯電話にかじりつき、契約書はDocomoが親の同意書だけで契約成立させるような金目当てのフランチャイズばっかりだからどうしようもなくて、親は弟の名前で契約できないように申し立てると今度は兄の名義で携帯電話を契約したのをDocomoから送られてきた郵便で知って、ああ、なんだろうこれちゃんと今月払ったよねと言ってあけたら知らない電話番号で契約されていたから1分ぐらい思考停止してたから母親がずっと兄が探していたパスポートの可能性を指摘したときにはもう兄の部屋からパスポートを盗んで契約したという可能性の思考は自分の中では過ぎ去っていたよとそっと言ったんだけれどそれでも考えたくはなかったよねとその兄は母親に伝えて、あーあ、なんでだろうとこれまで100回はつぶやいた自信はあるが、それ以外の家族としての兄としての自信は全くない18歳とはこの自分であるということを認識したくなくて、どうしてこんなことになったのかもう3年ぐらい考えているけど答えは出ず、父親、母親、自分、社会、学校、弟、、、といろいろなもののせいにしたけど全部答えじゃないと思ってしまったからあああああああああああああああああああああああああああああもういやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、帰りたいあの頃に帰りたい帰りたいかえりたいかえりたい帰りたいどうしてこんなに食い物にするどうしてこんなに追いつめるどうしてこんなに訳が分からないどうしてこんなに冷たいどうしてこんなにうつろうんだどうしてどうしてどうしてどうして、ああ。
http://anond.hatelabo.jp/20071113070316
大学並みにすごく遊んでると思うけどな。スポーツ好きやアウトドア派も結構多い。
千葉県では3ない運動のために、16でバイクの免許取って乗っても校則違反にならないのは、高専と通信制・定時制くらいのものだから、それを狙ってかバイク愛好家がうぁぁぁぁっと集まってくるし、バイク好き仲間が集まってツーリングに出かけたりするし。
昔は女子がめちゃくちゃ少なかったから「高専病」患者が多いって言ってたけど、今は女子の比率も上がって、科によっては半分以上いる事もあるし。
(高専病=どんな不細工でも綺麗に見えてしまうという謎の病気)
つーか、高専行って遊べない奴は、果たして大学行って遊べるかどうかすら疑問だな。
理数系が苦手、とか、オタク見ると蕁麻疹が出て思わず暴力をふるってしまう、とかじゃない限り、進路の選択肢からあえて外す必要は無い。
#そういえば、高専はオタクと一般人の対立が時々見られる。私の頃は、寮でオタク勢力は劣勢だったので、土曜夕方に寮のTVでセーラームーンなんて見られなかったそうだし、オタクな連中は結構いじめられてたらしい。
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家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、
多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
単純に早く終わるというだけでも、
ぎりぎりまで受験範囲の学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、
さらに、その結果生まれたゆとりの時間を使って、
演習などの受験対策も行なってもらえる。
孟母三遷の教え(モウボサンセンノオシエ)とは - コトバンク
高校時代は「220人中200位」の劣等生 => ハーバード大学ケネディスクール => 東大教授
私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。
全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。
私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。
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東大生の1割は貧乏家庭、教育格差に絶望はない - 本山勝寛ブログ: BOYS, BE HUNGRY!〜世界を愛する学び録
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/Puku_Pukuro/status/696873596522631168
https://twitter.com/ponkotufukurai/status/625626090904551424
https://twitter.com/BOHE_BABE/status/621645501163663360
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/twit_shirokuma/status/655008451211345921
https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/529447178368856065
夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人 - 選挙:朝日新聞デジタル
視点・論点 「貧困の連鎖を断ち切るために」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
2012年には人口全体の16.1%の人々の所得が、この122万円という貧困基準を下回っていました。
1986年にこの調査が始まってから、最悪の数字です。
18歳未満の子どもで、貧困基準以下の世帯に暮らす割合は16.3%。
これも過去最悪でした。
16%というのは、約6人に1人、40人のクラスなら6.5人です。
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【科学】米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」 ―年収300万円の家の子は、富裕層の子より大脳皮質が6%小さかった
ミニマリストが文化資本を捨て去るとき / ミニマリズムと貧困・格差・階層化の罠 - アーキペラゴを探して
ひそかに進む日本社会の「階層化」 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
Amazon.co.jp: 学力と階層 (朝日文庫): 苅谷剛彦: 本
Amazon.co.jp: 階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ: 本: 苅谷 剛彦
ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産
Amazon.co.jp: 貧困連鎖 拡大する格差とアンダークラスの出現: 橋本 健二: 本
NHK平均年収が約1780万円(サラリーマンの4倍)と報じられ問題視! ネットの声「よくまあ格差社会だ増税だと題した番組ができるよね」 | ロケットニュース24
子ども2人の教育費、平均で「年収の4割」 負担高まる:朝日新聞デジタル
年収に占める教育費、低年収世帯ほど負担重く 400万円未満では4割近くに
20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%
結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。
ビリギャルの「努力」と駅前トイレで寝泊まりするトリプルワークの女子高生の「努力」する前提すらない貧困
【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超
【海外】学費世界一(年1650万円)、大金持ちの子女が集うスイスの学校「Le Rosey」、その中身は?
東大生の家庭と一般家庭の年収をグラフで比較したら「教育はどれだけ課金したかで決まるソシャゲと同じ」ということが分かった
2007年の東京大学の学生調査によると、東京大学生の親の年収950万円以上の割合は52.3%を占めている
東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生
アジア系学生の入学制限で提訴された米名門大学 背景にある「人種枠」とは?
「ハーバード大学が増えすぎたアジア系だけ合格ラインを難しくしているのは人種差別?」海外の反応いろいろ
「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
イギリスのエリート企業は新卒採用で「上流階級テスト」を実施する
Freshman Survey Part II: An Uncommon App | News | The Harvard Crimson
Amazon.co.jp: 学歴の値段 ~集金マシーン化した米大学の真実~ (字幕版)
可哀想という感情論だけで安易に手出しできないフィリピンの強烈な格差社会 : 市況かぶ全力2階建
家計収入によって脳の構造が変化して学業成績に影響することが明らかに
江戸時代の武士の子孫、今も日本社会で優位―米大学研究 - Japan Real Time - WSJ
日本の教育制度は、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある « 東大法卒41歳ママ日記
優秀な遺伝子も打ち負かし得る貧困―知能を左右するのは環境 - WSJ.com
Vol.011 社会階層の移動を決定するのは教育なのか? - 谷本真由美(@May_Roma)の「週刊めいろま」 - BLOGOS(ブロゴス)メルマガ
はてなブックマーク - 親の年収多いほど高い学力 文科省、初の全国調査:朝日新聞デジタル
はてなブックマーク - 「東大までの人」と「東大からの人」大切なのは「出身高校」というブランド | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
AO入試に特化した予備校「AO義塾」に注目 東大推薦入試、合格者の6人に1人を輩出 : J-CASTニュース
@terrakei07 慶應義塾大学合格率83%のAO義塾へようこそ\(^o^)/ https://t.co/ylwm6zlXsW pic.twitter.com/2pcT7xoUuM— ぷくろう (@Puku_Pukuro) 2016, 2月 9
【悲報】東大初の推薦入試は合格者77名中13名がAO義塾の生徒で、早くも受験テクニックで攻略される | netgeek
【悲報】東大初の推薦入試は合格者77名中13名がAO義塾の生徒で、早くも受験テクニックで攻略される https://t.co/kGi9Hen1Jt 詳しい選抜過程はわからないけど、法学部の8人中7名が合格というのは科学オリンピックなどの実績を課していないことが大きかったのかな?— 山下ゆ (@yamashitayu) 2016, 2月 14
AO入試は学力だけでは測れない…つまりは出身中高の良し悪しや家庭・両親の文化資本で合否を決める入試.生まれと育ちが合否を大きく左右する制度って少なくとも俺はキライ。。。まだペーパー一発の方が逆転可能性があると思う— 飯田泰之 (@iida_yasuyuki) 2014, 11月 4
AOや推薦合格者の卒業後所得は低いというデータも!国公立大入試の「人物評価重視」は正しいか?
3人に1人以上が推薦AOの国公立大学医学部医学科 2015年度
「学歴」も「いい就職」も今後ますます入手困難になると思う | sociologistdiary
AO入試は学力だけでは測れない…つまりは出身中高の良し悪しや家庭・両親の文化資本で合否を決める入試.生まれと育ちが合否を大きく左右する制度
誰が医者になるのか : 医学部入試選抜システムと文化的再生産についての社会学的考察
Togetter - 「医学部入試の文化資本論 ~ 医学部の入学選考はいかにあるべきか」
オックスフォード大、公立高の才媛を拒否 ハーバード大は奨学生で歓迎
「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
約800人の子どもの中で、低所得の貧困層の家庭で生まれたにもかかわらず高い収入を得るようになったのはわずか33人で、また、貧困層に生まれて大学の学位を得たのは28人に過ぎなかったそうです。
原告の男性は家計を助けるため、中学卒業とともに町工場へ就職しました。
60歳となった現在も トラック運転手として働いています。
一方で、本来B家にいるはずが、裕福なA家の長男として育てられた男性は対照的な人生を送ります。
自宅は庭に池がある豪邸。両親が教育熱心だったこともあり、大学進学時まで家庭教師がついていました。
訴状によると、男性は1953年、産湯の後、別の母親の元に戻された。
2歳で戸籍上の父を亡くし、工場で働きながら定時制高校に通った。その後は運送会社に勤務した。
一方、男性の生みの母親に渡された新生児は大学まで進学した。
男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。
働きながら定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている。
一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。
親子関係不存在確認等請求控訴事件(東京高等裁判所判決平成22年9月6日判決)
遺伝か、環境か?「赤ちゃん取り違えの悲劇」から考える人間の能力
質の良い文化的財は、ただそこにあるだけで「全般化されたアロー効果」(ブルデュー)を発揮する。「アロー効果」とは、アメリカの計量経済学者ケネス・ジョゼフ・アローの言葉で、ブルデューはこれを以下のように解釈している。
「絵画、記念物、機械、製作物などの文化的財の全体が、そして特に、生まれた家庭の環境を構成している全ての文化的財が、ただそこに存在するだけで教育的効果を及ぼすという事実」。
単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、
文化資本(上品で正統とされる文化や教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。
またその子供も親の文化資本を相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。
彼はこれを文化的再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。
社会構造が再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学的主観主義を発展させることも目指した。
これらの研究は、自己を他者から区別する「卓越化」が構造化される過程の分析から、
「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器、美術・骨董品、蔵書等)、
「制度化された資本」(親の「学歴」、各種「教育資格」)、
「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)
の3つの客体がある。
asahi.com:フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想
労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。
国家貴族になる学生は、実は統計学的に両親の学歴資本、文化資本、経済資本、社会関係資本が高いことが挙げられる。
4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。
就業人口の4割近くを占めるはずの生産労働者は美術館の観客全体の4%でしかなかった
東大生の親の年収 950万円以上が51.8% 教育格差は中学受験から始まる? 〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)
東大の「学生生活実態調査」(12年)によると、親の世帯年収が1050万円以上という学生が38%と4割近くを占める
東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生
全国で学力がトップレベルの高校生を、親の収入で4段階に分類してみたら、親の収入が一番多い方から順に、34%、27%、22%、17%だった ちなみに、この記事の「学力トップレベル」とはトップ4%。
4年生大学における貧困層の子弟の比率は29%から28%と僅かに減っている一方、富裕層の子弟の比率は55%から66%に大きく伸びている。
マレーは、世帯所得と学歴の平均が上位5%に入る居住地域を「スーパージップ」と名付け、詳細にその特徴を分析していく。
Amazon.co.jp: 階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現: チャールズ・マレー, 橘明美: 本
ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産
Amazon.co.jp: 学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会: 本: 吉川 徹
【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超
[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]
上層の出身階層で育った子弟は、その家庭環境からして教育を受けることをはじめとして、
仕事においても努力をする意欲を強く持つのに対して、
低い階層の子弟ではそれが弱くならざるをえない。
学校外での学習時間は、低い階層の子弟ほど少ない。
「落第しない程度の成績でよい」と考えている比率は、低い階層の子弟ほど高い。
私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。
吉川徹の「学歴と格差・不平等」という本
1親が中卒の場合、子供が大卒であるのは13.9%
2親が高卒の場合、子供が大卒であるのは38.9%
3親が大卒の場合、子供が大卒であるのは66.4%
首都圏の高校では新入生の半分が学費を払えないために退学するところもあると報じていた。
asahi.com(朝日新聞社):地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に - ビジネス
足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった
同区の生活保護所帯は1万1000所帯。
これは、東京23区の生活保護所帯の1割以上、日本全体の約1%だという。
家庭の生活苦は最終的に、子どもたちの学力低下に結びつく。
有名大学付属校ライフ、トータルでおいくら? お受験ブランド校・学費比較!
慶応
16年間
1700万円
下記大学の2年生であること。
幼稚舎出身の著名人
子供を幼稚舎に通わせた著名人
幼稚舎教育の大きな特色に、「6年間担任持ち上がり制」があります。
入学から卒業までクラス替えがなく、基本的には担任も替わりません。
担任は児童一人一人の成長と発達を6年という長い目で見守り、理解していきます。
つまり児童にとっては幼稚舎の6年間、担任は1人だけ。
「幼稚舎の歌」
福澤の 大先生の
お開きなさった 慶應義塾
社会学理論・研究ノート-大昔の偉い人は何を考えたのかー : ブルデューの文化的再生産論
大学以上の高等教育機関への進学者において、
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 - shift-jis
専門・管理職としてくくられる
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
成績と父親の職業(中学2年生)
成績と家庭の年収(単位:万円)(中学2年生)
成績と母親の学歴(中学2年生)
家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい
東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。
先の調査で示した20年間に、公立高校から東大へ入学する者の割合は70%から50%に減少した。
一方、私立高校の出身者は30%から50%へと増加した。
つまり、東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者の職業構成は全く変わっていないのだ。
これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。
苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。
しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。
東京大学の学生の親の年収は、どこの大学の親の年収よりも高く
東大は
早稲田や慶応より
お金持ちが多く、
お父さんが社長とかの子供が多く
東大入学者の保護者の職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。
医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業・官公庁の管理職、および中小企業の経営者などの
「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
(450万未満が10.1%、450万以上~750万未満が18.2%、
750万以上~950万未満が15.2%、
950万以上~1050万未満が22.6%、
1050万以上~1250万未満が12.8%、
1250万以上~1550万未満が10.6%、
1550万以上が10.6%)また、
平均年収では1014万円となる。
注4)飛びぬけて年収が多い層があるため中央値はもう少し低いと思われるが、それでも
同じ年の1世帯ごとの平均年収が589万円
注5)であることを考えれば、倍近い格差がある。
【東大生≒富裕層】中高一貫私立出身が半数以上、親の年収高水準 東大の学生実態調査★2
東京大学の学生のうち、中高一貫私立校の出身者が初めて半数を超えたことが、同大が実施した
2002年の学生生活実態調査で分かった。親の平均年収は相変わらず1000万円以上の高い水準だった。
調査を担当した市川伸一教育学研究科教授は「公立高校出身の学生も大勢おり、
中高一貫私立校に行かなければ東大に入れないというわけではない。親の年収にもばらつきがある」と 概観しているが、
「(親の年収が高いことが東大入学に)何らかの形で有利に働くことはあると思う」と 分析した。
格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の..
格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の子が多いのは最近感じるようになった。
今、ボクは大学生でそこそこ入るのが難しいような大学に入れたと思ってる。これは個人的な感覚だけど。
夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19
階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ : 苅谷 剛彦 : 本 : Amazon
裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
http://anond.hatelabo.jp/20130603101503
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去年の春、高校を卒業して、1年間自動車免許を取ったあと、療養していた。
最近余裕が出てきた。おしゃれが楽しくなった。就職活動を頑張ってみようと思い始めた。
でも、今までのダメダメな過去のおかげで、なかなか積極的になれない。
このままではダメだと思い、今まで目をそむけて黒歴史扱いしていた自分の過去と向き合おうと思う。
昔から引っ込み思案でおとなしい子だった。いじめられっこ気質だったと思う。
自分から他人に話しかけられない子だった。だから友達もほとんどいなかった。
小学生のときは担任に嫌がらせを受けていた。とある授業で手紙の定型文を書くという時間のとき
自分だけいつまでたってもやり直しだった。気付けば自分ひとりだけになっていた。
ちゃんとあっているはずなのに、どうしてだろう。何回も頑張って直した。でも駄目だった。
私はパニックになった。やけになってはじめに書いたものを出してみた。OKだった。
このとき、私は嫌がらせを受けていたことを実感してショックを受けた。
音楽の授業で、リコーダーのパート決めがあった。立候補してもいないのに、なぜか勝手にソロパートを
やらされることになった。(気付いたら黒板に書いてあった)
みんなの前で吹いてみろと言われた。私は、頑張って吹いたが息が続かず、失敗した。怒られた。
何回もやらされたが、駄目だった。そうしたら、その担任は他の男子にお前がやれと命じた。
「こいつは駄目だからお前がやれ」と。(ちなみにその男子は一発で吹けた)
これまたショックだった。勝手に決めておいてそれはないだろうと。恥をかかされた気分だった。
このときの救いは、その後あまり喋ったことのない女子が
「さっきのひどかったよね。勝手に決めたくせにね。」と言ってくれたことだった。嬉しかった。
まだまだいっぱいあるのだが、きりがないのでこの辺にする。
このとき登校拒否とか自殺とかの方向にいかなかったのは、私に特技があったからだ。
私は駄目な性格だったが勉強はできた。絵や習字も得意だった。良い賞をもらったこともあって嬉しかった。誇れることがあったから自分は生きていていい存在だと思ったから、辛くても耐えられた。
親に話せなかったのは共働きの両親に心配をかけたくなかったからだ。毎日愚痴をこぼす母には
とても言えなかった。
中学に入った。今度は男子にいじめられてしまった。くせ毛を馬鹿にされ、
わざと「○○さん、こいつ○○さんのこと好きだって」と明らかに笑いのネタにされたときは
耐えられなかった。授業の時間、私の名前が書かれたとき
「○○なんてこのクラスにいたっけ?」と大声で言われた。
クラスに笑いがこもった。これは辛かった。
小学生のときとは裏腹に、私この件で一年の二学期で保健室投稿になった。登校拒否だ。
私は両親にはっきりといじめられているからいきたくない、とは言えなかった。なぜか。
でも担任から話をしたりしていたからなんとなくはわかっていたと思う。
そのときの両親は登校拒否に理解がなく、私を困った子扱いをして、何かあるたびにいやみを言われた。
「学校に行こう!」という番組を居間で見ていると、学校に行かないくせにこんな番組を見るのかと
言われたりした。家にも自分の居場所が無くなった気がした。
その頃の私の性格はかなり暗くなってしまっていたと思う。
高校のときも、2年頑張ったが途中でリタイアした。友達にはなれられてしまって、孤独に耐えられなかったからだ。私はすっかり弱くなってしまったなあと思った。1年間休学した。
このときは理由を言ったし、中学の頃もあったので、両親は優しかった。休んでいい。と言ってくれた。
嬉しかった。
それからやっぱり高卒の資格が取りたくて、定時制の高校に入学した。
人数が少なく、基本的に皆一人で過ごしていたので気楽だった。
転入クラスは、やっぱり同じようにリタイアしてしまった子ばかりだった。
ある日担任が話してくれたが、気さくに話しかけてくれたクラスメイトの男子は、
自分でお腹をカッターで傷つけまくったらしい。彼のお腹は切り傷で真っ赤らしい。
話す機会が多い女の子も前の学校で友達関係で悩み、手首を自分で切ったらしい。そういえば彼女は
いつもリストバンドをしていた。だから多分本当なんだろう。みんな大変なんだ、辛いのは私だけ
じゃないんだと知って少し気分が軽くなった。
この高校は面白かった。私は教師に対しては小学校の経験でいい印象などゼロだった。
しかしひとりの教師は違った。おじいさん先生だったが、今日は天気がいいから勉強やめて
散歩に行こうと言い出したときは驚いた。ドラマみたいだと思った。
この先生はテスト対策に、手作りプリントを作ってくれて一緒に頑張ろうと時間を作ってくれたりも
した。私はこの先生が大好きになった。尊敬もしていた。人間的に素晴らしい人だったからだ。
このまま順調に行くと思っていたが、夏になり、なんだか学校に行くのが苦痛になってしまった。
これから就職のことも考えなくてはいけないプレッシャーに押しつぶされそうになった。
面接の練習で、自分の弱さを指摘されて(高校時代の過去など)わんわんと泣き喚いてしまった。
そうしたら担任が医者を紹介してくれ、精神科医へ通うことになった。
それから薬を飲みながら頑張った。もう途中で諦めたくないからだ。
そしてとうとう卒業式を向かえることができた。退場するとき、私は開放感でいっぱいだった。
「おめでとう」
その瞬間、私はその先生にかけより、顔も隠さずぼろぼろと泣き出した。これだけ大人数の前で泣くなんて初めてだったが止まらなかった。
多分ひどい顔だったと思う。でもその先生は何も言わずにっこりと笑ってくれた。
私はありがとうございました。と一言言って逃げるように去った。
私の学生生活はかなり遠回りだったと思う。
嫌なことも多かったが、学んだことも多かった。嬉しかった出来事だってあった。
だから私はもう過去を気にするのはやめようと思う。
これを書いていたら完全に吹っ切れた。これからすこしずつ、やっていける自信がついた。
書いていたら涙がぼろぼろ出てきて目が痛い。文章めちゃめちゃだ。