2007-06-26

うつ病20歳無職過去と向き合ってみた

去年の春、高校卒業して、1年間自動車免許を取ったあと、療養していた。

最近余裕が出てきた。おしゃれが楽しくなった。就職活動を頑張ってみようと思い始めた。

でも、今までのダメダメ過去のおかげで、なかなか積極的になれない。

このままではダメだと思い、今まで目をそむけて黒歴史扱いしていた自分の過去と向き合おうと思う。

超長文のチラシの裏です。10代の過去話です。

昔から引っ込み思案でおとなしい子だった。いじめられっこ気質だったと思う。

自分から他人に話しかけられない子だった。だから友達もほとんどいなかった。

小学生のときは担任に嫌がらせを受けていた。とある授業で手紙定型文を書くという時間のとき

自分だけいつまでたってもやり直しだった。気付けば自分ひとりだけになっていた。

ちゃんとあっているはずなのに、どうしてだろう。何回も頑張って直した。でも駄目だった。

私はパニックになった。やけになってはじめに書いたものを出してみた。OKだった。

このとき、私は嫌がらせを受けていたことを実感してショックを受けた。

音楽の授業で、リコーダーパート決めがあった。立候補してもいないのに、なぜか勝手ソロパート

やらされることになった。(気付いたら黒板に書いてあった)

みんなの前で吹いてみろと言われた。私は、頑張って吹いたが息が続かず、失敗した。怒られた。

何回もやらされたが、駄目だった。そうしたら、その担任は他の男子にお前がやれと命じた。

「こいつは駄目だからお前がやれ」と。(ちなみにその男子は一発で吹けた)

これまたショックだった。勝手に決めておいてそれはないだろうと。恥をかかされた気分だった。

このときの救いは、その後あまり喋ったことのない女子が

「さっきのひどかったよね。勝手に決めたくせにね。」と言ってくれたことだった。嬉しかった。

まだまだいっぱいあるのだが、きりがないのでこの辺にする。

このとき登校拒否とか自殺とかの方向にいかなかったのは、私に特技があったからだ。

私は駄目な性格だったが勉強はできた。絵や習字も得意だった。良い賞をもらったこともあって嬉しかった。誇れることがあったから自分は生きていていい存在だと思ったから、辛くても耐えられた。

親に話せなかったのは共働きの両親に心配をかけたくなかったからだ。毎日愚痴をこぼす母には

とても言えなかった。

中学に入った。今度は男子いじめられてしまった。くせ毛を馬鹿にされ、

わざと「○○さん、こいつ○○さんのこと好きだって」と明らかに笑いのネタにされたときは

耐えられなかった。授業の時間、私の名前が書かれたとき

「○○なんてこのクラスにいたっけ?」と大声で言われた。

クラスに笑いがこもった。これは辛かった。

小学生のときとは裏腹に、私この件で一年の二学期で保健室投稿になった。登校拒否だ。

私は両親にはっきりといじめられているからいきたくない、とは言えなかった。なぜか。

でも担任から話をしたりしていたからなんとなくはわかっていたと思う。

そのときの両親は登校拒否に理解がなく、私を困った子扱いをして、何かあるたびにいやみを言われた。

学校に行こう!」という番組を居間で見ていると、学校に行かないくせにこんな番組を見るのかと

言われたりした。家にも自分の居場所が無くなった気がした。

その頃の私の性格はかなり暗くなってしまっていたと思う。

勉強ほとんどしなかったのに、高校には入れた。

高校のときも、2年頑張ったが途中でリタイアした。友達にはなれられてしまって、孤独に耐えられなかったからだ。私はすっかり弱くなってしまったなあと思った。1年間休学した。

このときは理由を言ったし、中学の頃もあったので、両親は優しかった。休んでいい。と言ってくれた。

嬉しかった。

それからやっぱり高卒資格が取りたくて、定時制高校に入学した。

人数が少なく、基本的に皆一人で過ごしていたので気楽だった。

転入クラスは、やっぱり同じようにリタイアしてしまった子ばかりだった。

ある日担任が話してくれたが、気さくに話しかけてくれたクラスメイト男子は、

親の期待に答えようと頑張りすぎて押しつぶされてしまい、

自分でお腹をカッターで傷つけまくったらしい。彼のお腹は切り傷で真っ赤らしい。

話す機会が多い女の子も前の学校で友達関係で悩み、手首を自分で切ったらしい。そういえば彼女

いつもリストバンドをしていた。だから多分本当なんだろう。みんな大変なんだ、辛いのは私だけ

じゃないんだと知って少し気分が軽くなった。

この高校は面白かった。私は教師に対しては小学校の経験でいい印象などゼロだった。

しかしひとりの教師は違った。おじいさん先生だったが、今日天気がいいから勉強やめて

散歩に行こうと言い出したときは驚いた。ドラマみたいだと思った。

帰りにみんなジュースをおごってくれた。

この先生テスト対策に、手作りプリントを作ってくれて一緒に頑張ろうと時間を作ってくれたりも

した。私はこの先生が大好きになった。尊敬もしていた。人間的に素晴らしい人だったからだ。

それからその先生に会うたび自分から挨拶した。

このまま順調に行くと思っていたが、夏になり、なんだか学校に行くのが苦痛になってしまった。

これから就職のことも考えなくてはいけないプレッシャー押しつぶされそうになった。

面接の練習で、自分の弱さを指摘されて(高校時代の過去など)わんわんと泣き喚いてしまった。

そうしたら担任が医者を紹介してくれ、精神科医へ通うことになった。

就職はいいから、卒業だけを考えろと言った。親も賛成した。

それから薬を飲みながら頑張った。もう途中で諦めたくないからだ。

雪国の冬のバス10分、徒歩20分の登校は辛かった。

そしてとうとう卒業式を向かえることができた。退場するとき、私は開放感でいっぱいだった。

そんなとき、尊敬していた先生が一言声をかけてくれた。

「おめでとう」

その瞬間、私はその先生にかけより、顔も隠さずぼろぼろと泣き出した。これだけ大人数の前で泣くなんて初めてだったが止まらなかった。

多分ひどい顔だったと思う。でもその先生は何も言わずにっこりと笑ってくれた。

私はありがとうございました。と一言言って逃げるように去った。

私の学生生活はかなり遠回りだったと思う。

嫌なことも多かったが、学んだことも多かった。嬉しかった出来事だってあった。

だから私はもう過去を気にするのはやめようと思う。

これを書いていたら完全に吹っ切れた。これからすこしずつ、やっていける自信がついた。

書いていたら涙がぼろぼろ出てきて目が痛い。文章めちゃめちゃだ。

この場所で吐き出させてもらってよかった。ありがとう未来に向けて、頑張ります。

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