はてなキーワード: 不器用とは
私は生まれつき不器用だ。メンヘラだ。だからこそ、出来るだけ余計な憂いごとは避けたい。
だが悩みの種をみずから拾ってしまう。どうしてだろう。ミサイルみたいに相手から突っ込んでくるわけでもないのに悩みが増えてゆく。
しかもその悩みというのが、生死に関わること、仕事、学問、ならまだよいと思う。しかし私の胸を刺す悩み、悩みの王様は、結局色恋だった。いつでもそうだ。
くだらない。男なんてどうでもいいじゃないか、男女平等の時代だし、私には一人でやっていける資力も能力もきっとある。Twitter上のフェミニストによくある言で、メイクも服も一切男のためでなく自分のために美しくするのだとあった。私も倣おうか。男がいなくても私は尊いし私は素晴らしい。
ああ、でも、そうやって虚勢を張ろうとしても、私はどうしようも無く普通の弱い人間だ。とても本能には勝てない。
男が欲しい。否、あの人が欲しい。
恋なんてどうでもいいし、くだらないし、性欲のデコレーションケーキたる恋愛に耽溺する人を見下してきたけれど、それと同時に、全てを引き換えにして、あの人の腕に抱かれてみたいと思う。
絶対に叶わないけれど。
?
俺は元々表と裏は分けるし、子どもがいようがいまいがこんなもんよ
他のやつはしらん
ただまぁ、もしお前の統計でそのような結果が出ているのであれば、
ちゃんと表裏使い分けれる方が結婚できるし子ども作れるんじゃない?
本心だけさらけ出して生きていくほど不器用な生き方ないと思うしな。
加えて言えば、子どもの前で悪態つくところは絶対見せないからな。
そういう意味では出す機会が減ってこういうところで出てるのかもね。
小学校の時に公民館の「まんが世界の歴史」とかで読んでた頃をふと思い出したので書いておく。
自分にとっては、劉邦ではなく項羽の方に感情移入をして彼らの物語を読んでいた。アウトローで人間味に溢れる劉邦は、今の俺には魅力的に映るが、当時の自分にとっては遠すぎる存在だった。人間としての器の大きさで周りを巻き込む劉邦の生き方は、ある種ヤンキー的価値観でもあり、そのようなものを本能的に避けていたのだとも思う。
小学校の時の自分は今にもまして不器用で、友達も多くなかった。勉強だけはできたが、それによってむしろ周りに遠ざけられ、また自分も周りを遠ざけているところがあった。
剣の才能に恵まれ、家柄と容姿に恵まれているが、傲慢な性格で孤立していった項羽の方が自分は心情的に近いものを感じていた。私自身の見た目だとか身体能力が高いということを言っているのではない。持つものはあっても、周りから孤立していった項羽の悲しさに同情していたのだと思う。
項羽と劉邦の物語はいつ読んでも項羽の悲しい破滅で終わるのだが、まんがで描かれた項羽の美しい顔を眺めながら何度も読み返していた。
これ「宗教が悪い」って話じゃなくて、
「自分と社会の間に大きなギャップを感じると、人間は何を信じていいかわからなくなって鬱になる」んだよ。
自分が躁うつ病がひどかった時期があるからわかるんだけども…うつ傾向が出たのは
・高校途中での転校
みたいなことなので、環境と自分のギャップがデカすぎる体験をすると…人間はうつになる。
他の要因ももちろんあるけどね
ぼく成績的には
「合計すると普通ぐらい」
である一方、理科社会数学音楽は人よりできた一方、国語英語美術は本当に苦手だった。
手先が不器用なことと、正解がフワッとしてる割に膨大な処理を求められることは本当に苦手で…これが対人関係や環境変化でやり直す時すごく苦労した。
学生時代は
「がんばれば、大半のことは普通まで行けた」
でも、不況の就活やブラック企業の無茶振りに対しては頑張っても普通にさえ届かなくて、問題になった。
器用貧乏だと思ってたけど、実は逆だった
親が宗教にゴリゴリであるほど、学校と家で使う能力が変わってきて、苦手の克服のために努力する時間が増えておかしくなっていくのだと思う。
人間はメンタルであり、メンタルには周囲の評価がかなりの割合含まれる。
演じないといけない役どころ、求められてるポジションの乖離が激しいほど鬱になりやすい。
環境によって愛されたり嫌われたり、
できることとできないことが激しくて自分の能力を細かく把握できなくなると…自己喪失する
宗教2世のケースで言うと、宗教に適応すれば、他の社会に適応できなくなる危険がある。
逆に、社会と適応してる時に、家に変えると宗教への適応を求められ家族仲が崩壊することもある。
極端な例だけどね
「幸せになりきれない人」
人を疑ってかかったり、知能が低い人間にあわせすぎて全体から見ると極端な意見や対案を持っていてしまったり…不幸や悪意に適応しすぎてる人を見かけるし、自分も陥りがち
何が言いたいかと言うと、
「軽度の精神疾患は、自分と周りとのズレからスタートするから、案外誰でもかかる。」
ということ。
ある人が
と言ってた。
それに加えて、自分で自分を不幸にしてないか、何が向いてるかを見直す整理期間だと思う
動けるようになるまで動かないこと。
向いてないことをやめたり、
違う環境に旅に出たり、新しいこと始めて自分の適性や望みを再確認してみてもいいって話
まぁ…インターネットに書き込んでも、他人をうつにするほどの適応を強要してきたり、他の世界とぜんぜん違うことを求めてくるような人って読んでくれないんだけどね。
宗教にのめり込み過ぎてる親とか、酷いとSNSはおろか友達と遊ぶのも禁止してきそうだから、学校と家との乖離がすごくなりそう…
でも、うつになる程度に主体性を失いそう、周りの環境と合わないし抜け出せない人は「選ぶのは自分」という主体性があるだけは忘れちゃダメ。
ほぼ本能的に
という衝動で色々書いてみたものの…思った以上に、今やってる記事に役立つ思考の整理ができた。
「ぼく/私でいいの?」
はラブコメの定番セリフだけども「すごい人よりもちょうどいい人」だから、いいんだよね。
ぼく・私がちょうどいいなら
箸の持ち方、二十歳くらいの時一念発起して4年くらい格闘したけど直せなかった。
ネットで検索したり、図書館で本を借りて読んだ上で複数の友人や家族に見てもらったり見せてもらったりしたんだけど、どうしても中指に連動して薬指が動いて下の箸が落ちてしまうのを改善できなかった。
形までは整えられて軽いものなら操作できるんだけど、固い、重いものや複雑な動きになると薬指から箸が外れてしまう。
理学療法士が箸の持ち方を教えてくれる教室があればコーチを頼みたいくらいだ。
おそらく肘とか肩の動かし方からなんかズレててそうなるんやろなあ…
ネットでは協調運動障害なのではと言われることもあるが発達でも箸持ててる人は持ててるしな
基本的には関節の分離が出来ないところだからこそ小さい時にマスターしないと終わりという説も見たけど、そうなるとよく聞く大人にってからでも二週間でマスター出来る説とか外人でもすぐマスター出来る説と整合性がなくなるから、やり方次第ではまだうまくいくんじゃないかと思ってるんだけどね。
直そうと思えば簡単に強制できるというのが広く信じられているからこそ正しく持てていない大人はその時点で“頑なに直そうとしない人”認定されてしまうんだろうけど。
(している人が頷く)
祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。
しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。
祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行で北海道に行くことになった。
「お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。
修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。
しかしレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。
高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分の勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。
そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。
ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。
けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父は他界した。
危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。
葬儀のときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。
病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。
でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。
葬儀屋さんや親から「最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。
ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。
空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。
祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。
それなのに私は、祖父に何も返せなかった。
返せたものがあるとしたら、それは修学旅行のお土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。
祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃんは最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。
社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。
この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。
なので今は、祖母孝行に精を出している。
祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズにいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。
最近理解したけど、マッチングアプリ使うほど機会を逃してる人ってそもそも個人に興味ないんだよ。
あ、この人好きだから機会を作って会いたいな。とか思うことがないタイプ。
誘われたり、何かみんなで目的があったりして集まる人が多い。
アニメでは「親子の関係」みたいなのもテーマの一つで今流行の毒親要素も描かれている。
主人公の母親は主人公に対して優しい言葉をかける一見優しい母親で、
ヒロイン二人の父親はどちらも「子供の事なんて考えずに一方的に自分の考えを押し付ける」という、いかにもな高圧的毒親タイプ。
しかし話が進んでいくと、実は父親は物凄く不器用だったり一方的ながらも、彼らなりにヒロイン達の事を思っている一方で
主人公には優しかった筈の母親は、実は主人公の事なんて大事でも何でも無く(実の親子では無いらしい)
目的の為に「優しい母親」を演じているだけに過ぎない、という描写になった。
そして物語が進み、毒親だった筈の父親達は、ヒロインを命がけでかばったり、
かと思えばもう一方の父親はお互い知らないままヒロインと攻撃しあって、最終的にはヒロインに刺されて殺されるのに
死ぬ間際に「お前が、生きてて良かった…」みたいな事を言って
刺した事を責めないばかりか無事に生きている事を安心して死んでいくという
厳しい父親が実は子供の事を不器用に強く思っていて…という、ありがちながら古き良き父親像が描かれるのに対し
一方で母親は、主人公を相変わらず優しい言葉で洗脳し数人を犯させるという、サイコパス的な毒親に描かれて辛かった。
何がモヤモヤするかって、家庭を顧みず子供を押さえつけ支配しようとする父親」でも、実は子供の事を強く思っているのに
「ひたすら優しく前向きな言葉をかける母親」は、実は子供の事なんてなーんも考えてない冷酷な人、と描かれている事。
別に父親=悪!母親=善!というステレオタイプな親子の関係の描き方が必ずしも悪い訳では無いにしろ
それにしたって父親を良く描き母親を悪く描きすぎなんじゃね?って思った。
昨今のフェミニズムに対する反発やミソジニーを揶揄して描写している(そしてその否定も今後描かれる)
というのであれば、まだ納得いくんだけどね……今の所は正直あまり期待できない。
話の筋は面白いだけに、親子関係の描写についてはあまりにも紋切り型でモヤモヤというよりイライラする。
家父長制肯定?この辺りも最近のアンフェ事情に忖度とかしてんのかね…
まーアニメ自体が男中心の男性社会に合わせてるからかも知れないけどさ。
以下試した仕事
介護:軽度の潔癖症のため、汚物処理が精神的に辛すぎて3か月でノイローゼになった。年寄りに腕を突然噛みつかれる珍騒動にも遭遇。増田君はパソコン得意だから助かるといわれたが仕事が辛すぎたので退職した。
工場:ラインがだったが手先が不器用すぎてラインを止めまくり、「他社の工作員」というあだ名を頂戴する。先輩と上司に詰められまくりノイローゼに。音が大きすぎて無理。寝てる間に頭の中で工場の轟音がなっていて、布団の中で体がクルクル回ってる感覚に悩まされた。所長に増田君はエクセルで魔法みたいな事ができるね。と褒められた。(何って、IF文使って特異日の条件分岐を設定しただけだが……?)退職した。
警備:施設警備の受付業務をやっていたが、施設内の部長クラスの顔の名前が覚えられず、客先に詰められる。しゃべることが苦手で、会話のレスポンスが遅い・何を言ってるのかわからない・こっちが言ったことが伝わらないと客先から本社にクレームが入り、社交不安障害発症。ルーチンで作ってた書類をこっそりVBAで自動化し、先輩に共有したら「神ハッカー」と言われた。増田君はパソコンが得意だから、ここにずっと居てくれといわれたが、精神が持たず退職した。この仕事がきっかけで抗不安薬の依存症になった。
正直もう仕事できるような精神状態じゃないんだが、そろそろ仕事しないとやばい。
SESもこの間30歳で基本情報とJavaSilver持ってる人が落とされたって話聞いたから無理っぽいし、死ぬしかないのか……。
30代の一人息子。真面目でおとなしいのだが、不器用で要領が悪かった。
小学生時代、放課後の公園で何度練習しても逆上がりができず、家でどれだけ練習しても二重跳びはできなかった。中学受験では塾の仲良しグループで唯一全落ちしてしまった。
それでも進んだ区立中では楽しく過ごしていたし、高校受験では所謂名門都立高校に進んだ。しかし、大学受験では再び挫折。浪人したものの国立に落ち早慶に進んだ。国家公務員志望から法曹志望に切り替え、予備校に通い一生懸命やっていたようだが予備試験には受からず、法科大学院修了後も司法試験に受からなかった。
3回目の司法試験の際に初めて短答試験に合格し、私や夫が心配するくらい勉強して論文に挑んだが、残念ながら不合格だった。リビングの椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。
それから息子は二日ほど部屋に篭っていた。三日目の朝にリビングに降りてくると「司法試験は諦めて就職する」と言ってきた。
息子は企業の法務部で働き始めた。職場環境は良かったようで本人も楽しそうにしており、私や夫は安心していた。社会人になって以来、息子は帰宅が遅くなり、休日の土日も殆ど家を空けるようになっていたが、忙しいのかと思い気に留めていなかった。
社会人になってから3年ほど経ったある日、息子から自身が主催しているセミナーを手伝うように頼まれた。夫も休日だったため、よくわからないまま二人で会場に赴いた。すると、先に集まっていた人々から「先生のご両親ですか?」と聞かれた。そうだと答えると突然周りが慌ただしくなり、恭しく部屋に控え室に通され、ソファの上でお茶やお菓子を出された。そして、みんなから口々に息子の凄さを聞かされた。「先生のおかげで人生が変わった」、「先生のおかげで世の中の構造が見えるようになった」、「先生のおかげで人生に意味を見出せた」というように。
息子が遅れて控え室に入ると、私たちの周りに集まっていた人々は一斉に息子を囲み、また口々に挨拶と賛辞を繰り返した。息子はそれをあしらい、準備をする様に言うとみんな解散していった。息子から「今日のセミナーの終わりに会場の外で本を売るから、レジをやって購入した人に僕の両親だと言って挨拶や握手をして欲しい」と言われた。
時間になり会場に人が集まってきた。私と夫は後ろから立ち見していたが、来場数は100人ほどで若いカップル、小さな子供を連れた若い女性、私たちと同じ中年の男性、80過ぎの女性など年齢層はバラバラだった。息子が登壇すると、ある人は勢いよく拍手し、ある人は「先生!」と勢いよく叫び、ある人は立ち上がってお辞儀した。息子が話し始めると場が静まり返った。話してる内容は陰謀論だった。息子曰く、世界を支配しているのはビルダーバーグ会議で、日本はビルダーバーグ会議の意向を受けた日米合同委員会が支配している。みんなから事前に集めた悩みを発表し、その悩みの根本原因にはビルダーバーグ会議と日米合同委員会があり、自分は愛と真実によってこれらから世界を解放するのだという。
正直聞いていて呆れてしまった。息子はオカルト話と陰謀論を混ぜこぜにしたような話を披露し、来場者はそれを真面目な顔して聞く。
息子が一通り話し終えると控え室にいた女性が登壇し、「これまでの先生の指導集がいよいよ完成しました。ご希望の方は会場の外の物販コーナーにてお求めください」と言いお開きとなった。来場者はすぐに外には出ず、息子の元へ行列を作って何かを質問したり相談していた。
私と夫は控え室にいた別の男性に案内され物販コーナーに立った。先程女性が紹介した息子の指導集が並んでいたが、なんと文庫本サイズで発言と日時がまとめられただけのものが一冊25000円である。会場から出てきた人々は今度は物販コーナーに列を作り、老若男女迷うことなく購入していった。そして私と夫に握手を求め、息子を讃美した。ある年配の女性からは涙を流してお礼をされた。全てを売り尽くし、私と夫はよくわからないまま帰宅した。
息子が知らない間に教祖になっていた。
日本で働いていたころ、俺はあまりにも仕事ができなかった。仕事どころか日常生活もままならない。あまりにも人間生活が下手だったのを見かねた同僚に病院を勧められたので行ってみると「発達障害の疑いがありますね」と言われた。何度か病院に通うと診断名が付くらしかったが、通い始めてすぐ海外赴任することになったので、正確には病名が何もついていない病的に不器用な人ということになっている。
失礼だが、この国の人は皆俺みたいだった。物をすぐなくす、時間を守らない、文字は読めても文章が読めない、癇癪をおこす、人の話を聞いていない、常にそわそわしている。日本だったら鼻つまみ者な人がうじゃうじゃいる。
しかもやらかしの規模がでかい。癇癪で車を暴走させたり、うっかりミスで建築物を全壊させたりしている。一応対策はたてるがチェックする側も俺みたいなのしかいないから再発する。職場でも毎日のように怪我人や死人が出ている。
そんな感じなので発達障害もどきの俺がいても何とも思われない。治安も衛生状態もクソ悪いが、居心地はとてもいい。SNSでこの国の人を「他人のミスに寛容」と言っている人がいるが、正確には他人のミスとかどうでもいいんだと思う。自分優先の極地って感じ。おかげで毎日自由気ままに楽しくやらせてもらっている。
日本にいた頃は劣等感で毎日胃が痛かったが、ここにきてめっきり減った。食あたりで腹はしょっちゅう壊すけど。
いつかビザやらなんやらが切れてしまって日本に帰るわけだけど、この国の環境に慣れきった身ではもう二度と日本で就労できないきがする。
その理由は、いくつかある。
飲み会の場ってほんとに何を話したらいいのか分からない。当たり障りない話をしてさほど盛り上がらず、自分の不器用さにほんの少しだけ傷付く。
そもそも雑談が苦手なんだ。純粋な興味や話したい気持ちで雑談が出来たらいいけど、いつも対面すると話さないとって義務感で頑張って話すけど別に黙って飯食ってる方が全然いいんだ。
そして、自分が女子に話しかけに行く姿を客観的に見ると下心しかないように写ると思うから。実際女子と話すなんて話す内容より仲良くなりたい、彼女にしたいみたいな気持ちしかないのだ。
だから楽しそうに女子と話してる男子を見て嫉妬してでも傷つきたくなくてじっとしてる。
そのくせ男子とばっかつるんで、なのに彼女欲しくて、一生独身なのかなとか覚悟したり、それは嫌だって思ったりしてる。
要は行動はおこしてないけど夢見てるんだ。
ほんとに厄介だよね。ちなみに今年29歳になるが以前に一度だけお付き合いはしたことがある。
ほんとに彼女は欲しいんだが昔よりプライドとかが邪魔して素直になりにくい。恋愛がどんどん難しくなっている。これを書きながらもいつか報われると信じてしまっている。多分境遇的には恵まれてるし出会いも探せば転がってるのにな。なんでこんなにうごけないんだろう。
その理由は、いくつかある。
飲み会の場ってほんとに何を話したらいいのか分からない。当たり障りない話をしてさほど盛り上がらず、自分の不器用さにほんの少しだけ傷付く。
そもそも雑談が苦手なんだ。純粋な興味や話したい気持ちで雑談が出来たらいいけど、いつも対面すると話さないとって義務感で頑張って話すけど別に黙って飯食ってる方が全然いいんだ。
そして、自分が女子に話しかけに行く姿を客観的に見ると下心しかないように写ると思うから。実際女子と話すなんて話す内容より仲良くなりたい、彼女にしたいみたいな気持ちしかないのだ。
だから楽しそうに女子と話してる男子を見て嫉妬してでも傷つきたくなくてじっとしてる。
そのくせ男子とばっかつるんで、なのに彼女欲しくて、一生独身なのかなとか覚悟したり、それは嫌だって思ったりしてる。
要は行動はおこしてないけど夢見てるんだ。
ほんとに厄介だよね。ちなみに今年29歳になるが以前に一度だけお付き合いはしたことがある。
ほんとに彼女は欲しいんだが昔よりプライドとかが邪魔して素直になりにくい。恋愛がどんどん難しくなっている。これを書きながらもいつか報われると信じてしまっている。多分境遇的には恵まれてるし出会いも探せば転がってるのにな。なんでこんなにうごけないんだろう。