はてなキーワード: ママととは
星野リゾート、「ママと息子の初めてのお泊りデート」プランを本格炎上前に速攻で無かったことに
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/65980640.html
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kabumatome.doorblog.jp/archives/65980640.html
VOXYのCM見たら確かに俺もちょっとキモイと思ったよ。でもお前らのほうがよほどキモイからな。親子でデートというだけで、もう頭の中がエロ一色で染まって、それを言葉にして書き込むのは相当キモイぞ。
ってことでお前らの恥ずかしいブコメちゃんをここに並べていく。雑にコピペしたから抜け漏れ等あるかもしらんけど、許せ。
bigapple11
“お泊まりデート”でセックスを連想しない人はほぼいないのでは?マザー◯ァッカー育成用のプランですか…?てか息子目線だとこのコピーは刺さるの?キモくない?
Shinwiki
pholxia
近親相姦をキモイ言うのはポリコレ的にどうなの 同性愛が許されるなら近親相姦も良しとすべきじゃないの
Harnoncourt
この息子がゲイならそこそこ感動的なストーリーになるんだけど、性的マイノリティのことなんか考えたこともないバブル世代のハゲノンケオヤジが立てた企画にしか見えない。
hamamuratakuo
敗戦後の日本人は原爆で大量虐殺したアメリカに感謝する「ストックホルム症候群」の患者=戦勝国には逆らえず、弱い者イジメと妥協と嘘が蔓延。日本人はAVの見過ぎで頭も壊れてしまった?(AV売女の1/3は軽度の知障)
atsuououo
sirobu
パパと娘の初めてのお泊まりデート。スタッフが娘さんにパパをドキドキさせる手管を教えます♪どこのエロゲだ
seachel
DLsiteとかで売ってるエロ同人のタイトルとエロサンプルCGの煽り文句みてえなやつやめろ
tigercaffe
Dlsiteに獣姦と母子姦と母娘姦と父娘姦をローテーションで発表している方がいるが、その方ならきっと素晴らしい二次創作へのインスピレーションを得るに違いない。っていうか企画に携わってそう。
aobyoutann
違う所があるとすれば、降霊セミナーにはハマってなかった代わりにうちの母親は気功や波動整体も大好きだったぐらいかな。
あと西洋医学は悪だ!思想にハマった時は病院行かせてもらえなくて病気拗らせた結果10年経った今でも後遺症が残ってる。最悪だ。
本人が勝手に趣味でハマる分には構わないが、自分たちにまで影響があるし控えめかつ直球に申し上げて早く死んでくれないかなと思っている。
さておき、なんでおばさんはスピリチュアルにハマるんだろう?って思ってたんだけど、多分共通しているのは「自己肯定感がボロボロ」って所だと思う。
〇〇くんママと斎藤ひとりさんの話題で盛り上がっちゃったの~なんてやってた時期もあったから、おばさんの中で一定数陥るものなのだろう。
そう言った人たちをサンプルとして集めて主な特徴はこう、
・専業主婦である (共働きの家庭も周囲に少なくなかった中、スピリチュアルママはパートすらしてない事が多かった。)
・夫がある程度出世している (社長や重役、医者家系の人だった事が多かった。うちの父もそうである。)
・子どもの能力が高い事が多い気がする (スピリチュアルママを持つ同級生は皆クラスでも上位の成績優秀だった。難関私立中学に進んだ子もいる。これは鶏と卵どっちだか分からないが……。)
何が言いたいかと言うと、家族など周囲はそれなりの成功を収めている中で、本人そのものは一切の凡人であるという点である。
「すごい人の夫」や「優秀な子のママ」ではあるのだが、本人そのものにはこれといって特徴がなく、誰か別の人間との関係の上でしかそのアイデンティティを見出せない。
こういった所から「自分も凄い人でいなければいけない、そうなりたい」という劣等感でも生じるのだろうか。少なくとも自分の周囲にはスピリチュアルママにはこういう人が多かった。
それに関しては言えばスピリチュアルは彼女たちにとってかなり都合がいい。
皆が知らないものを、自分だけが知っている (まあ、エビデンスが不確かだから知られてないだけなのだが)
皆は誤解してるかもしれないけど、私だけ真実を知ってるのよ (まあ、頭の良い人の理論に言いくるめられているだけなのだが)
そんな自分ってすごい優秀かもしれない!(まあ、まともな人から見ればバカな金づるだと思われてるだけなのだが)
という、こういう流れだよね。
彼女たちの何がかわいそうって、ちょっとやそっとのスピリチュアルじゃ満たされもしないって事だ。
だからどんどん次のものに手を出すけど、それでも心が埋まらなくてもがいてる。
だってスピリチュアルは自己肯定感を得られそうで、実はもたらす効果そのものは全く真逆だから。人からの評価はまず地に落ちるし、結局代替してるだけで最初に別にあった本当に欲しいものは手に入らないまま。
だからうちの母親も一生このままなんだと思うんだけど、凄く惨めで痛々しく、可哀相。これ以上評判が落ちる前に早く死ねるといいねと思ってる。
こういう心理状況で成り立ってるのは少し前から分かっていたので、母親の事めちゃくちゃ褒めちぎってた時期が3年ぐらいあった。そしたら脱却できるんじゃないかと期待して。
でもダメだった。どんなにいい所を探して褒めても返って来る言葉は「うるさい、〇〇さんの講演の動画を見るから話しかけるな。」だった。
こういう動画とかもそれっぽく「愛が~」とか言うけど、本人は一切実践出来てない。実際の内容より、動画を見て知者になった気分になる方が彼女にとってはよほど重要だからだ。
4月から幼稚園に入ったばかりの息子。幼稚園ではどんな様子なのか、私はとても気になっていた。
コロナ対策で、教室ではなく体育館での参観。始まる前にほかの子どもたちはウロウロと歩いている中、息子は机に頬杖をついてジーッとしていた。
視界に入る席に私が座っても、手を振るでもなく笑うでもなく頬杖着いたままじっとしている。
工作が始まってからも基本頬杖で、先生に促されてクレヨンを握ったりしていた。その間、私の方はほぼ見ず。
「もしかして体調でも悪いのでは?」と心配になるほどかったるそうにしていた。
参観が終わったらそのまま親と帰宅だったのだが、帰宅後はいつも通り楽しそうに遊んでいた。
いつも朝のバスに乗る時に「ママと一緒がいい」って何度もつぶやくので「がんばって楽しんでらっしゃい」と送り出すのだが。ふだんもあんな風にひとりぼっちで机に座ったりしているのだろうか。年少だからまだお友達と一緒に遊ぶのは難しいかもしれないけれど、お友達とも先生とも馴染めずにいるのだろうか。
そう思うと胸がキューッとする。
人に見せようと言うよりも、自分の愚痴を吐き出すために書いています。自分が理不尽なことを承知の上でこれを書いているので気にしないでください。書いてもなんも解決はしない。
後書き殴っているだけなので文章が非常に読みにくいです。読みにくいなら読まなくていいし、それを感想に書いてもらっても困るだけなのでそっとブラウザを閉じてください。
端的にまとめると、今いるジャンルが総受けばっかりで苦しいって話です。おしまい。
私の今いるジャンルは、マイナーもマイナーで人口がほぼ居ない地底のジャンルである。その中でも総受けと言う割合は多くを占めており、私がこの界隈に来た時に『これは総受け嫌いと言う事がもしかすると異端なのかもしれない』と違和感を感じたくらいのレベルで総受けしかない。一昔前の主人公総受けジャンルが某大手投稿サイトで小説ランキングを独占していた時代のまま時が止まっているみたいな感じ。周りの関係者全員棒ですか?レベルの総受けっぷりにドン引きしてそれ関連は怖すぎて触ってないレベル。
そして基本が鍵垢の活動で、フォローリクエストの際にも活動開始直後は総受けでもミュートワードにして目を瞑ればいいかと思って承認していたもののそれ以上に『なんでこっちにフォロリク送ってきた?』案件が増えてきて一時期ちょっと混乱していた。
なぜなら私の推しカプはその総受けにかすりもしないマイナーだから。
私の推しカプは、新キャラ同士のカップリング(と言う表現が1番近い)で、今の今まで生産している人がほぼ誰もいない状態だった。地底なので、生産者がほぼゼロと言うことは覚悟していたものの思った以上に無くて今まで大手ジャンルにしかハマってこなかった私は大きなカルチャーショックを受けた。これは今このジャンルの人に私の推しカプの存在を認知させる事から始まるんだなと思って俄然やる気が出たのは間違いないし、個人としてもジャンルに来て約1年、その謎の熱意で画力と文章力は大幅に向上したと思っている。結果、固定厨を増やすことに成功したし、雑食を自称するフォロワーのプロフィールに推しカプの名前を追加することも出来た。やったね。
その上で個人的にずっと思っていたのは、『なんでかすりもしない総受け推しの人間がこっちにフォローリクエストを送ってきたのか?』と言う問題であった。特段私の描いている推しカプにいいねもしてこないのに、たまのたまに描く総受けちゃん(笑)のイラストにだけいいねしてくる人。
あの、帰ってもらっていいですか?
私は私の解釈を持って人を自分の解釈で殴ることが趣味なので興味無いんだったら今すぐブロ解して貰いたいんですけど……何?謎におだてられてもあなたの総受けジャンル、描くつもりないんで…
と言うかまずその総受け、特定の相手がいますよね?無視してません?と言うかママって何?てかこんなやつばっかなのこのジャンル?普通にヤバくない?これ私の方がおかしい感じ?
あ~~~~~~~~~~推しカプ増えねーかな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
増えねーんだよな~~~~~~~~~~~~~~~
・そこら辺にある家族イラストとかで、ママと子供が楽しそうだけどパパは荷物持ったりして汗かいてる、みたいなの
→パパ一人だけ大変な思いをして当然、みたいな前提を感じていい気がしない
→そもそも困った行動を問題にするのじゃなく人物を揶揄して話題にするのがどうかと思うが、
「おじさん」という単語に揶揄の意味を乗せるのは「おばさん」を揶揄するのと同じくらい良くないと思う
→ダメでしょこれは
・「男のくせに」「男ならこうしろ」みたいなの
→これもダメでしょ
→論外
・女性なら貧乏旅行でもある程度ちゃんとした宿を取らなきゃいけないけど、男性は最悪野宿でもOKみたいなの
→これは男女どっちの差別かちょっと悩むけど、男だって野宿したら強盗とか遭いやすくて危ないよねきっと?
・女に手を上げる男は最低!みたいなの
→男にだって上げちゃいかんし、女が男に手を上げるのだってダメ
→これは自分で経験してないしよく分からない… でも男だから育てられないはず、女だから育てられるはず、という先入観は良くないよね
→よくないけど、こういうの出席する男性が増えてきたら自然とこれは無くなりそう
あと、外国の人が日本で色んな体験をしてみた、みたいなエッセイ漫画で、婚活の場で男性だけ年収を書かされる(女性は趣味とかを書く?)のは凄い差別的だって作者の人が言ってた。婚活はしたことないから知らないけど、それはそうだよな、と思った。ちなみにその作者も女性ね。
まあこうやって考えてはみたけど、やっぱり当事者じゃないと見えないことが多そうだなと思った。
「子供の世話を丸投げ」だけは全く違うので訂正しておきたい。
いや、むしろ丸投げして、「旦那が育児に協力的じゃない!」と愚痴を言えるぐらいのほうがよかったのかもなって思う。
育休はフルでとって、授乳もおむつ替えも普通にやってた。食事は早く食べ終わり、泣く子を抱っこしてた。
うちのかみさんは夜寝たら朝まで起きないタイプで、わいは物音がしたら一気に目が覚めて即座に臨戦態勢のソルジャータイプだから、夜間の授乳はほぼわいがやってた。
3時間ごとの授乳が当たり前の時期、仕事に復帰してからは昼に仕事して、夜に授乳して...はさすがにしんどかった。
家に帰ったら、子供に食事をさせ、ふろに入れて、寝かしつけ、炊事、洗濯して寝る...みたいな生活だった。
あの頃の自分は「僕が一番家事・育児をうまくできるんだ!」といきっていて、正直、かみさんはいつも殺気立ったわいをみて息苦しかっただろうね。
子供の離乳食は月齢ごとに食べさせられるもの一覧を見ながらわいが全部作った。
子供はわいが返ってくることを見計らったようにうんこしてた。俺のおむつ替えがそんなにうれしいか..そうかそうか..かわいい奴だと毎日おむつを替えていた。
かみさんいなくても自分だけでこの子を育てられるなぁって思ってた。
...でも、気づいたんだよな。そんな自分が母と同じになってるって。
そこにもう一人大人がいることによる余裕よ。
これも結構前の話になる。
「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。
そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。
内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。
あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。
ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。
兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。
その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。
あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。
オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラマシマシです。
しかし高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。
職場と学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなたが引っ越してしまいましょう。(経験則)
そんなこんなで深夜までゲームやらアニメにうつつを抜かしては、中途半端な時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。
気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。
それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元のカラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋で立ち読みしてたり。
入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。
何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由な大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。
大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。
夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。
そんなんで仲の良い友達も全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設のビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。
いや、完全に余談でした。すみません。
とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。
話を戻します。
俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。
「自分はママとパパと話すけど、ふたりは全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西の実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。
そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。
そんなこんなで気付いたら第一の父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。
そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。
一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。
仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。
多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?
中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホントに幸せだったと思う。ボンボンもボンボンで、当時Xbox360でCOD4のネット対戦してたの俺だけちゃうかレベルで。
俺も兄貴も母親も父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。
で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。
これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います。
そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから、
ベロンベロンの状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。
うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。
この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます。
しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。
酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。
それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。
そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。
第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。
小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学でダメになったのか、不思議だなぁ。
母子家庭であんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。
大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分で自分を戒めたりもして。
そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。
深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親がワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。
で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。
無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります。
うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。
思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います。特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。
とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります。
「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。
ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。
なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。
なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。
そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。
俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます。
えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。
正直ワインのときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。
「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります。
人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。
マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。
未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。
しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。
首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります。
未だに後悔しています。
あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。
母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。
兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。
でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。
「母親が自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。
救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。
ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。
なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。
ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。
凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。
首にかけているスカーフは素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。
抱き抱えた母親の身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。
「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。
兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。
もしかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。
「ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」
と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。
家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。
俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、
待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。
でも本当に現実を現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。
ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。
俺「こんなんなっちゃったな」
兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」
俺「そうだなぁ」
こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています。
ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。
確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。
翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまったことを覚えてます。
そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます。
そしてずっと病院に居るわけにもいかないから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。
三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。
母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます。
わからない、本当に今でもわかりません。
あのワインの日から、自分に何が出来たかをずっと考えています。
間違いなくサインとなっていたあの日、ちょっとでも行動を起こす勇気が自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。
このコロナ禍、仲良し数人でビデオ会議しようってたまに企画するんだけど、1人子育てママがいてヤダなって思ってる。
何が嫌かって、その子どもの独壇場になるからだ。みんながその子に構い、その子の話(親が語るのも、子本人がしゃべるのも)をずっと聞いている。ずっとその子のターン。
私はその子のシッター行為をしたい訳ではなく、仲良しの友人達の近況とかが聞きたいんだ。子育て愚痴でもいい。確保した2時間中、その子が2時間画面に写ってると、聞きたかったことも話したかったこともなにも達成できなくて辛い。
参加するしないは別にご自由にしていいんですけど、全員の時間をその子に奪わせるのはやめて欲しい。子が悪いわけではないので親の方に良識を求めたい次第。
四十路になって最初の健康診断結果が戻ってきた。分厚い封筒を開けたら、お知らせいっぱいだった。
これに加えて生理止まって3ヶ月になるので、健診当日にはかかりつけに行くようにも言われた。
30代の頃は精々「胃が荒れてますねー」程度だったのに、四十路になった途端に不健康のデパート化。まだ子どもも小さいのに、もしものことがあったら困るな。でも団信で住宅ローンがチャラになる疾病だったらまだいいか、などとりとめのないことを考えている。
みんな、睡眠時間削って激務し続けちゃだめだよ。特に育休から復帰したワーママ、頑張りすぎないこと。頑張らないと生きていけないし、夫さんも家庭のことできる余裕なかったりもすると思うけど、いのちだいじに。