はてなキーワード: トナカイとは
1930年代に、アメリカに住むある父親が娘のために童話を描いた。
サンタが住む北国で、役立たずのトナカイであるルドルフはいつも落ち込んでた。
他の8匹のトナカイみたいに活躍できなくて、赤鼻のトナカイだとみんなにバカにされていた。
でもある日、サンタとトナカイ達がプレゼントを運んでいると、急に霧で前が見えなくなった。
このままでは前にすすめない。するとサンタは気がついた。「ルドルフ、君の赤い鼻が光ってるぞ!」
ルドルフはみんなの先頭に立って、霧の中を駆け抜けた!
そして、無事にプレゼントを届けることができた。
その日以来、ルドルフは自信を取り戻し、みんなの人気者になることができた。
この話を父親が思いついたのは、世界恐慌で貧乏暮らししてた時なんだ。
妻は病に侵され、娘にも貧しい暮らしをさせていた。
そんな時、娘を喜ばせようと描いたのが、「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」というお話なんだ。
役に立たないと思ってた者も実は役に立つ、みんな救われるんだというメッセージが入っていたんだ。
この話を他の人にも聞かせたところ、たちまち評判に。
悲しいことに途中で妻は病で亡くなってしまったけどね。
でも本が売れ、ついに赤鼻のトナカイは歌になった。
その曲も大ヒットして、父親は大金を手に入れることができたんだ。
みんなご存知の「赤鼻のトナカイ」の歌だ。
それで輸入される際に歌詞が和訳されたんだけど、文字数的に内容が省かれてしまった。
だからみんなが今知っているルドルフという名前も出てこないし、少しわかりにくい歌詞になっているんだ。
でもこれで分かったよね。
トナカイの鼻が赤く光るのは、どんな人でも、たとえ欠点だと思われた部分を持っていても、実は役に立つんだというメッセージがあったんからなんだ。
なぜトナカイの鼻が赤く光るのか、答えになっていれば嬉しい。
サハ共和国のチェルスキーとチュクチ自治管区のセリスコエ・ポセレニエ・ヴァエギという場所に行きたい。調べてもほとんど何もでてこない。観光地でもないが、どういう生活を送っているのか現地の人に聞きたい。
https://www.google.co.jp/maps/@69.0073597,159.9672608,51259m/data=!3m1!1e3
Googleマップでセリスコエ・ポセレニエ・ヴァエギを拡大してもぼんやりとしか見れないが、ロシアの衛星画像のページで見ると鮮明に確認できる。
セリスコエ・ポセレニエ・ヴァエギはどうやらトナカイの放牧をしている先住民族が住んでいるようだ。
https://anadyr-mr.ru/region/inform/vaegi.php
こんなご時世じゃなくても、きっと行くことは無いと思うが、死ぬまでに一度は行ってみたい。
ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。
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25日クリスマスの土曜日にM-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。
M-Lineはアップフロントに所属する主にハロープロジェクトのOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称。
私の参加した25日には元モーニング娘。の道重さゆみ、元Berryz工房の夏焼雅、元Juice=juiceの宮本佳林、元つばきファクトリーの小片リサが出演。
上記以外にも元℃-uteの鈴木愛理や元モーニング娘。の高橋愛や田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーがゲスト出演することもある。
ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリストも出演者も結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)
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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juiceを卒業した宮本佳林のソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。
https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI
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しかしクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別なセットリストを聞けたのは嬉しかった。
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道重さゆみのパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。
道重さゆみが思う道重さゆみの最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。
卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女のファンの皆さんの気持ちに共感する。
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今回の道重さゆみ、夏焼雅、宮本佳林、小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、
おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理)
歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林と小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。
(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)
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この4人の中で、小片リサはつばきファクトリーを諸事情で活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、
なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙な立ち位置。
表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリーと和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、
自分がつばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。
脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃんの喫煙騒動のように個人の問題として自虐で昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)
その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないかと不安だった。
最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。
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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストでjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ?道化?を演じに行ってしまい、
その調子のまま小片リサや道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)
仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回りを小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から「罰ゲーム感」が出てしまうものの
M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは
小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲームの空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。
宮本佳林の本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサと交流を重ねているものと思う。
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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったものの小片リサのデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw
クリスマスに失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。
ステージで毎週末歌い続けることで既出の動画や音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。
来年もM-Lineのコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。
パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサの場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。
ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかりやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。
そうだ、つばきファクトリー時代から彼女のパフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。
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コンサートの最後に歌われたのは「HAPPY大作戦」(モーニング娘。)だった。
「今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。
このMCはおそらく「HAPPY大作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。
そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。
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そしてこの「HAPPY大作戦」の歌詞は、目の前にある仕事も勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが
日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまうもの。
そしてこの曲は少し前にも一部でツイッターに話題に上がっていた。
秋元康がHKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子はバカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、
(見てみるとびっくりするほど薄っぺらな歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)
それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。
https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html
そしてその替え歌の歌詞がモーニング娘。の「HAPPY大作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。
HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。
改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。
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そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。
おやすみなさい。
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
同僚女性が、おしゃれから降りていて、それが無敵に見えて羨ましくもあるが、同時にあれは許されるのだろうか?と疑問に思う。
彼女は10年前の、大学生だった時に買った服を大切に着ていて、その昔懐かしい雰囲気の服が職場では浮いている。ボアのついたショートパンツ、水彩画みたいなシフォンのミニスカート、ツインニット。トナカイと雪の結晶柄のパステルブルーのセーターは彼女のお気に入りで、冬場はよく登場する。ああ、昔こんなの流行っていたな、と彼女を見るたびに時間の流れに想いを馳せてしまう。
髪の毛も伸ばしっぱなしで、高確率で寝癖がついている。化粧も、マスクをするからと辞めてしまったらしい。日焼け止めもならないと話していたので、顔は冬場でもどことなく日焼けしているし、そばかすがある。
おしゃれは金がかかる。手間もかかる。時間もかかる。「この服好きだから着たいなあ」という思考と予算とTPO、あとは「いやいや30超えたらミニスカートなんか履かないでしょ」みたいな内なる声や世間の抑圧と、折り合いをつけていく戦いである。服以外にも髪型や化粧など、付随するものにも気を配らねばならない。そこを降りた彼女は、朝はたっぷり寝れるし、被服費もかからないしと満足げである。
でも一方で、時代から取り残された亡霊みたいな姿に自分がなったらと思うと寒気がする。彼女なりの選択なので悪く言いたくはないが、そういう服装や髪型は、世間から許されるのだろうか。ダイバーシティだからと尊重すべきか、「もっとTPOにあった格好したら?」と言うべきか。判別つかないまま、一年が過ぎた。
ルドルフというらしい。
その他のトナカイの名前は、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、 コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェン。
この先頭にルドルフが立って、あの赤鼻で夜道を照らしながら移動してるって感じ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
もう私はクリスマスイブは突然どころか、
この曲が頭の中を駆け巡る、暗いよ道をキラキラの赤い鼻のトナカイよ!
これって旧ソビエト連邦の曲?
脱ハンコ社会はどうなったのよ?
あざまる水産よいちょまる~よ。
どう?ドヤ風吹かしたの感じてくれたかしら。
わっさーって。
で
新しいお洒落朱肉買ってこなくっちゃ。
そして!
指サック装備!
紙めくり力がアップの抜群の効き!
てーててててててーててーててててーてーてててててー
ってそれは蒲田行進曲!
てててててーてててててーてててててててててーてててててててててててててててー
これはトルコ行進曲!
「て」で奏でる名曲どうかしら?
てーててててーててててててー
引っかけ問題よ。
じゃーじゃん!
ててて、てててーて、て、てて、てててて、てててててててててて、
楽しんでいただけたかしら?
でもきっと雪崩が起きたら、
首にウイスキーをぶら下げたセントバーナード犬が助けに来てくれて、
わんわん!ほれウイスキー飲め!って勧めてくれるのよ。
私おつまみ無くちゃウイスキー飲めない派なので何かスモークチーズ的なものでも気を効かせて持ってきてくれても良いんだけど、
遭難しているんだし、
そんな贅沢は言えないわよね。
寝たらアカン!寝たらアカン!って関西弁でたたき起こされて雪の寒さで眠たくなってきたところをたたき起こされるのよ。
ウイスキー入れを懐に仕込んでおいて、
あのスキットル的なやつ。
セントバーナード犬の首からウイスキー樽とはまた趣が違うわよね。
あんたもう飲みすぎだよやめな!
そう小料理屋を一人で切り盛りする女将から飲み過ぎだと止められるやつ。
うるへー!自分の身体は自分がよく知ってるんでい!って言い返すけど、
自前のウイスキーを店内に持ち込みは困るって意味で言ってると思うのよ。
それが分かった途端カウンターに酔っ払って伏せていた私はハッと気が付いて、
女将さんにすまねぇ~ってくしゃくしゃの顔で言うの。
で女将さんは
分かってくれたなら良いんだよ、はい!お芋の煮っ転がし!
うーん、おつまみお芋じゃなくてなんか肉っ気のが良かったんだなーって
口が減っても言えないわ。
子どもが喜ぶおかずではないわよね。
お芋の煮っ転がしって。
そんなお芋の煮っ転がしを食べきれなかったからって、
器に入れて持たせてくれる女将さんに胸撃たれるわ。
でもこれって、
また器返しに来るとき、
一杯でもまた器返しに来たときに飲んでもらおうって女将さんの作戦なのよ。
私知ってんだ、それ。
クリスマスイブだしね。
しゃんしゃん鈴鳴らしたいじゃん!
そんなしゃんしゃんやりたい前に
うふふ。
もうこのお店にはハムタマゴサンドしかないのかしら?って不安になるわ。
サンドイッチだけに。
なーんて。
2つほどおこぼれ頂いちゃいました!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「ホッホッホ 儂でええんか?トナカイも入れるか?」