はてなキーワード: クスクスとは
「悪い人間が更正するよりも、最初から良いやつの方がよっぽど偉い」
こち亀の「最初からまじめなやつのほうが偉い」的なセリフが元ネタなんだろうか。
別に間違ってはないし、小学生でも言いそうな一般論という程度の認識だった。
ただ、この理屈をフィクションの評価にも使う人が結構いるみたいで、それが気になる。
それによって「迷惑をかけた人が反省すること」を表現する価値が無くなるわけじゃないだろう。
〈贖罪〉みたいな宗教的なテーマでさえ、この手の一般論にかかれば全部無価値にされてしまう。
この手の「一般論の暴力」みたいなもの、最近いろんな所で見てる気がする。
人生に起こる様々な問題を、抽象度を上げて誰でも言える善し悪しの問題にして片付けてしまう。
「言ってることは正しいけれど、それじゃ何も言ってないのと同じだ」と返してやりたくなる。
ちょっと話がズレるけど、「中二病」なんて言葉もかなり似た現象が起こってると思う。
何かにかぶれている時期ってすごく創造性に溢れた時間のはずなのに、
「こういう態度ってダサいよね」みたいな解像度の低い話で全部片付けられてしまう。
内容を問わず、態度だけで全てがあるあるネタにされてしまうというか。
要するに、情報を共有する時の解像度の低さを問題にしたいわけだ。
中高生の頃、人のどうでもいい言い間違いを指摘してクスクス笑ってた頃から
ろくに成長してない人多すぎるんじゃないですか。どことは言わないけど主にはてなに。
私は人に嫌われる。
小学生の頃、吹奏楽部で私以外はみな一年上、という楽器をやることになった。
最初は「○○ちゃん、○○ちゃん」と可愛がってくれた上級生たちは、ふと気がついたら私を仲間外れにし、ヒソヒソクスクスやるようになった。
中学生の頃、休みの日に街で同級生二人に会った時、一人は私に気づいて手を振ってくれたがもう一人は目をそらした。
気づいたほうの子が「ほら」と私の存在を知らせたが、こちらを見ようともしなかった。
高校生の頃、体育でペアを組んで行動することになにった女子は、露骨に私を嫌った。
同様に私を嫌っていた女子と一緒になってヒソヒソやり、体育が自習になった時(私と行動せざるを得ない状況になる)
「あたしイヤだー!」と叫んでいた。
派遣でとある会社で事務をやることになった時、そこの先輩(年下)二人にも嫌われた。
露骨に意地悪されたりはしなかったが、「こいつ要らない、こいつ嫌だ」というオーラが出ていた。
上司が気づいて別の部署に移動になったが、そこではさらに嫌われた。
リーダーはいじめこそしなかったが私をゴミみたいな目で見ていたし、目の前で露骨にヒソヒソする人たちもいた。
私をサンドバッグにしてみんなが団結していた感じだった。
家庭内では幼少時から姉に嫌われていた。
姉は私を徹底的に否定し、時には暴力も振るった。
成長してモラハラについて調べていたら、姉の行動がそのまま書いてあった。
上に挙げたのはほんの一例で、ほぼ全ての年代で万遍なく人から嫌われていた。
いつの頃からか、「自分は嫌われ者なんだな」と自覚し、中学生くらいの頃はそれでも自分から他人に話しかけたりもしたが、高校生になったらもう完全に諦め、自分から他人に接触することはやめた。
自分では気づいていない、悪いところもあるのだろう。
でも、ニコニコ笑いながらどぎついことを言ってきたり、頭に紙袋をかぶせて集団で叩いたりするような人が人気者で、何も悪いことをしていない私はなぜ嫌われるのだろう、と先日ふと思った。
背も小さいし運動も苦手だった。
よくプロレス技をかけられたり、物を壊されたりした。
イジリというやつだ。
中学生に上がると、体格にも差が出てきて、笑って済ませられないほど暴力が強くなった。
よく、人のこないような物陰につれこまれ、殴る蹴るの暴行を受けた。
トイレで顔を便器につっこまれたりした。
火の着いた爆竹を投げつけられたりした。
僕はすっかり萎縮して、家の外ではうまく話せなくなった。
そして事件は起こった。
体育のために体操服に着替えようとしていると、不良達が僕を無理にひっぱってきて、
また殴られるのかと思ったけど、いつもの方向ではなかった。
更衣室の方に向かっていた。
どういうことかと思っていたら、
女子更衣室に放り込まれた。
僕一人残して、背後で扉が閉まった。
大量の視線が僕に集中した。
誰も何も言わなかったけど、
「は?なんであんたがここにいるわけ?」
という冷たい視線に、瞬時に血の気が引いて、倒れそうだった。
僕はすぐさま女子に背を向けて、今入ってきた扉から外に出ようとした。
けど、外から不良達が扉を抑えているようで、びくともしなかった。
意地になった。
僕は全体重をかけて、全力で扉を引いた。
そしたら3センチくらいだけ、扉が開いた。
おっ、と言う声がして、すぐに向こうも全力で扉を抑えにかかって、
僕の全力は無に帰した。
息も絶え絶えに、ただ扉に手をかけていると、
スッ、と、その手のひらに誰かの手のひらが重ねられた。
彼女は不気味な目つきで僕のことを見ていた。
なんと言うか、目が座っていて、目元が笑ってないのに口元だけ笑っていた。
とにかく、不安にさせられる目だった。
彼女は言った。
「こんな所で何してるの?」
見た通りいじめられてるんですが、とは言えないまま、黙っていると、
「犯罪になるよ、こんなの」
まるで僕が加害者のような言い方だった。
僕のせいなわけで縮こまるような思いだった。
「脱いだら許してあげる」
は?と思ったら、彼女は突然、制服の上を脱ぎ始めて、ブラ姿になった。
知識として知ってはいたけれど、自分の身の回りの女の子がブラジャーをしていたのに驚いた。
お母さん以外のブラジャー見るのは初めてだなとか、女の子はみんなブラジャーするのかなとか、
頭のなかをすごい勢いで思考がぐるぐる巡った。
「ほら、脱いで」
「脱げってんだよ!」
狙いは外れて、僕の背後の扉にぶつかって、バンッ!という腹に響く大きな音を立てた。
僕は言う通りにするしかないと思って、制服の上を脱いで上半身裸になった。
「下もだよ!」
「はやくしろよ!」
気がついたら僕に向かって怒鳴っているのは3人になっていた。
怖くて腹の底が冷たくなっていた。
彼女達は少しの間、僕を眺め回した後で、
「きゃー!」という声が更衣室全体に響き渡った。
あまりのことに全身が硬直し、思考が真っ白になった。
だけど、正直、気持ち良かった。
白状すると、何の力もないはずの自分が、女子達をキャーキャー言わせているのが、嬉しかった。
半笑いで、嫌そうにしながら、その実しっかりと僕の股間に視線を向けているのが、楽しかった。
むくむくと大きくなった僕自身。
それを見て、さらに場は狂乱した。
僕を恐れるように、更衣室の隅に全員で身を寄せ合って固まりながら、
視線だけはガン見してくるのがおかしくておかしくて、笑みが浮かんだ。
そして、突然ガラッと扉が開いた。
振り返ると、体育の先生が立っていた。
騒ぎを聞きつけて、やってきたようだった。
不良達はもう居なくなっていた。
次の瞬間、視界が全て線になった。
今思えば、ぶん殴られて床に倒れたのだろうが、その時は何が起こったかわけが分からなかった。
髪の毛をひっつかまれて無理やりに立たされ、保健室に連れて行かれた。
服はすぐに返してもらえた。
ホームルームになって、担任に連れられて教室に戻った時は、緊張のあまり小便を漏らしそうだった。
教壇に立たされ、僕は弁明を迫られた。
知らない男子は敵意、攻撃、弱いものをいたぶろうという、いつもの視線だった。
僕は何も言えずにうつむいた。
体中から汗がふきだした。
涙が溢れて溢れて止まらなかった。
少し漏らした。
恥ずかしくて、測らずも悟った自分の変態さが情けなくて、悔しくて、しゃくりあげないようにするだけで、精一杯だった。
「おい、何か言えよ」
「泣いて許されるとでも思ってんの」
「ばっかじゃねーの」
と罵倒が飛んできて、死にたくなった。
もういっそ、この場で盛大に漏らしてやれば、笑いが取れるかなという考えがチラッとよぎった。
僕は、
「ご、ごっ、めっ、んな、しゃい」
と、情けない謝罪をするのが精一杯だった。
「ごめんで済むかよ」
「泣いた子もいるんだぞ」
「お前死んだほうがいいよ」
あんなに面白がっていたくせに、泣いたなんて話になっているのかと思うと、
僕の味方はこの世に一人も居ないのだと思い知った。
それから僕は、クラスメイト全員の前で、二度と女子の前で全裸にならない、などという、
真面目に聞いたらちょっと笑っちゃうような内容を誓わさせられ、
ホームルームが終わって下校する段になって、いつもの校舎裏で男子一人一人に一発殴られてから家に帰った。
初日は本当に熱が出た。
殴られすぎたせいだろうと思う。
2日目はまだ体が思うように動かなかった。
3日目は惰性で休んだ。
両親も何も言わなかった。
4日目にはこのまま学校に行かなくなって、
社会からドロップアウトするのも悪くはないかなという気になっていた。
そう思うと一気に気が楽になって、久しぶりに小説でもじっくり読んだりした。
僕が玄関を開けるなり、
「こんなことになってごめんね!」
と謝ってきた。
僕は何か、天からの光に包まれたような気がした。
救いの手が差し伸べられたと思った。
温かい光だった。
学校に来なくなってしまった僕を気にして、彼女が誤解を解いてくれたそうだった。
僕はそれを聞いて、涙を流しながら、
と繰り返し感謝した。
彼女はそんな僕を抱きしめて、落ち着くまでずっとそうしてくれていた。
ほとんど初めて話した仲だったのに。
後から聞く所によると、僕は陰ながら女子から人気があったらしい。
僕を脱がせた子達も、ちょっと僕に気があってあんなことをしてしまったらしかった。
僕の彼女も実は僕に興味があって、例の騒動の一部始終をスマホで撮影していたらしい。
それから僕を陥れた不良達が逆にホームルームで謝罪することになり、
僕を不登校にしたことから女子達から陰湿な制裁を受けて逆に不登校になってしまった。
おかげで僕はいじめられることが少なくなった。
ただ、ひとつだけ問題があるとしたら、僕の彼女はとてもSっけが強くて、
何かと僕を振り回して楽しむところがある。
今もこうして、僕達が付き合うことになったきっかけを、全世界に公開しろと迫られて文章を書いているところだ。
動画の向こうの僕が、その時どう感じていたかを、臨場感豊かに書けと言われて、もう3回も加筆修正している。
今やっとOKが出た。
大好きだよ、R.W.
君のおかげで、僕は少し男らしくなった。
今は君に守られてばかりだけど、いつか、いつか君を守れる男になるよ。
愛してる。R.S.
作家と批評家を区別する意味は分かるが、しかしそのことに大きな意義はないだろう。なぜなら、すべての表現は必ず過去の作品と繋がっていて、たとえば、ある音楽の影響で新曲という作品が生まれるか、評論という作品が生まれるかの違いでしかないからだ。
作家がゼロからオリジナルの作品を生みだす存在で、批評家は先行する何らかの対象あって成り立つ存在と考えるのは、あまりにも素朴と言える。そもそも作家だって批評家同様に、先行する作品があるから新作を作れるのだ(すべての創作は、必ず模倣から始まる)。そして批評家も「評論」という作品を生む作家であり、その評論が批評対象(作品)の価値を超える例や、また評論が新たに音楽や小説などの作品を生み出す例はいくらでもある(さらにすべての作家もその作品を通して批評家の役割を果たしているとも言える)。
批評家を厭う発言をする人は、評論という表現ジャンルに興味が無いことを表明しているにすぎない。もちろん、その価値観・その趣味自体に問題はない。しかしそのことはきちんと自覚しておくべきだろう。世の中にはくだらない評論が多いように感じるかもしれないが、それを言うなら、同じようにくだらない作品も多いのだから。
簡単にいえば、批評家と作家の違いは、料理を食べてその味に関してコメントをするか、こうすればさらに美味しくなると考えてキッチンに立つか。そういう違いだ。そこで食いしん坊は「おれは料理の感想や説明など求めていない。そんなものはいらない。とにかくもっとうまいメシを食わせろ!料理人以外はひっこんでろ!」と叫ぶし、まあその気持ちもわからなくもないが、しかしどちらも未来の料理に繋がってるのは確かだ。そして、いつもうまいものを食べて腹を満たすことばかり考えている食いしん坊は、時に「あらあら、卑しいわねえ(クスクス)」と笑われる、ということだ。つまり「くいしん坊!万歳」と声高に叫ぶのは、松岡修造のような選ばれし才人に任せておくべき、ということだ。
秋田県 上小阿仁村とかいう「医者追い出し村」の実態wwwwww
http://www.mudainodocument.com/lite/archives/54639402.html
上小阿仁村の一件がたびたび話題になっているのは、「赴任する医師が何度も変わるくらい怖いところ」という噂がひとり歩きしているから。
たいして話題にもならない私の住んでる同県自治体の話をしようと思う。
元々はこの自治体の出身で、東京の大学病院で働いていた若い医師がわざわざAターン(笑)で赴任した。
もうその人は生きていない。数年前に心不全で死んでしまったからだ。それとは別にずっと鬱病を患っていた。
不文律があるンゴwwwwwwwwwww
蔑まれることのほうが嫌ンゴwwwwwwwww
いや秋田県民にとっては
無医村という蔑みは堪えるンゴwwwwwwwww
ジレンマンゴwwwwwwwwwwwww
これは本当。
上小阿仁も私の自治体も、車で30分程度の場所に総合病院がある。大きな怪我をしたり、長期的に病気を患っている人はここへ行く。
住民的には「別に診療所なんてダサい使わないから関係ないけど~、無医村って言われるとすごくダサく見えるんじゃね?」みたいな感じ。
診療所に赴任した医師は他県出身の人が多く、時には上小阿仁と同じ頻度で変わっていた。
でも「また医者変わるんだって~」「ふーん」、もしくは変わったことを知らない人すらいる。
歯科医師はこの自治体出身ということもあり、耐えちゃったんだと思う。
第一、秋田県民は基本的に
人に頭を下げることを嫌うンゴwwwwwwwwww
「治してください」というより「治せんだろ」って感じで
医者にかかるンゴwwwwwwww
もうここの住民は最初っから公営診療所というものを馬鹿にしていている。
オラたちの診療所にわざわざ赴任する医者なんかどうせたいしたことないヤブだと思ってる。
「治せんだろ」→「どうせ診療所でなんか治せない」→「治せない医者はヤブ」
それは仕方がないンゴwwwwwwwww
なんでもいいから貰った薬を飲んでおけばとりあえず安心で、薬を出さない医師はヤブとみなす傾向がある。
同級生や周りの大人たちは、あの公営歯科医院を利用していると聞くと微妙な顔をする。
「ヤブでしょ?」「となり町の歯医者(民間経営)の方がしっかりしてるよ」
私はその歯医者以外行ったことがないので違いがわからない。その人達も一度も公営歯科を利用したことがないから実態はわからない。
でも「こんなとこに来るくらいだから絶対ヤブ医者」というレッテル貼りはずっとあった。
同級生の中で公営歯科を利用していたのは1割程度で、他の人はみんな隣町の歯科へ行っていた。
※余談だけど、実際この医者の腕はまともで、他県に出てみるともっとひどい歯医者はたくさんいた。
この歯医者は努力の人だった。家業は飲み屋だったが、勉強して国公立医大の歯学科に入学した。
もうその店はとっくの昔に畳んでいるのに、歯医者になっても周囲の大人と同級生から「飲み屋の息子」と言われる。
「飲み屋の息子」に歯医者なんて仕事できるはずもない→ヤブ という偏見もあった。
ここに住んでいる人たちは一旗揚げて帰ってきた人にやさしくない。昔のポジションで付き合いたがる。
歯医者は意外とベッドに座らされてから待っている時間が長い。医者が何らかの用で席を外したとき、歯科助手のお姉さんは私へこう尋ねた。
質問の意味がわからなかったので、素直に「わかんないです」と答えると、すごくつまらなさそうな顔をした。
多分アレは嫌なものを共有しようと話を持ちかけたんだと思う。
先生がいなくなると、歯科助手のお姉さんたち4人くらいは先生の悪口を言い始める。ハゲとか息が臭いとか。それでクスクス笑う。
権力を持った男の人が一人いると、下につく複数の女の人が徒党を組んでその男をバッシングする的なアレ。
確かに頭髪は薄かったけど、息はくさくなかった。なかなかファニーな外見だったけど気持ち悪くはなかった。
なぜなら、公営歯科で働いている助手のお姉さんたちは全員ぶっといコネで入ってきているから。
こういう田舎の自治体ではコネがないと公営の職場で働くことなんてできない。幼稚園もそう。
大体が議員から推薦状持たされて入ってくる。そんな人達をクビにしたら「俺の面子が」という話になってくる。
さらに不幸なことに、事務のお姉さんがちょっとした横領をやらかした。でもクビにできない。
などの状況が合わさり、数年後に歯科医師は鬱を発症した。
けれど仕事はちゃんとしていた。医師の都合で休院になった日はなかった。責任感の強い人だったんだと思う。
自分の生まれ育った自治体だし、何か役に立てるかもしれないと戻って来たんだろうけど、結果逃げられなくなってしまった。
家人がこの医師を他の場所で見かけたとき、元気がなく、ぐったりと肩を落としていた、と言っていた。
ずーっと長い鬱を経て、ある日ぱったり亡くなってしまった。
この歯科医院を利用していた人は悲しんだだろうけど、大体の住人は利用していないし、ヤブだと信じてているから「へー」くらいの反応だった。
ヤブと言っていた住人も、働いていた歯科助手も、医師を呼び寄せた有力者も、誰ひとりとして「あの医師が亡くなり、自分にも少しだけ非があるのかもしれない」なんて思っていない。
だって直接的に何かやったわけじゃないから。鬱になったのは医師が勝手にそうなったんだし、心不全も勝手に医師がそうなって死んだみたいな感覚。
今は診療所、歯科医院ともに常勤の医師はおらず、外部から招聘した医師が診察にあたっている。上小阿仁に赴任した医師は逃げて正解だったと思う。
hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…
彼らは、はてなの空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。
ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。
はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。
一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。
それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である。
モヒカンとはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。
超長文をダイアリーに投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークをバベルの塔のように積み上げる。
驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。
やがて、彼らの自負が、彼らの論理をはてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。
だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。
まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなたに共感しますが」と箇条書きにするのだ。
モヒカンには心情に踏み込まない。
あるコードの記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。
それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。
一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者へ共感を示している側が正義だった。
弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。
はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者ははてサが受け継いだ。
はてサはテキストサイトのごとく、自らの自意識をダイアリー上で表現していた。
どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、
はてなダイアリーにマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女のマイノリティとしての心情を理解して、
トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないかと弱者に思いを馳せていく。
従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。
はてサとは『弱者に共感する人格の一貫性』によって担保されており、もしも、はてサが言葉が滑らし弱者を蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。
こうして、はてサの敵対者は、はてサが弱者を蔑視する瞬間を狙い撃つ。
ダイアリーに自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村で表現していく。
はてな村においてはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である。
死ねばいいのに、これはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…
はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。
その徹底的な共感の姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。
だが、はてサは死んだ。
最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースやアルファルファが乱舞して、ブックマークはヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。
我々の愛したはてサは死んだのだ。
はてサの強み、驚異的なメタブ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。
文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックのブロックで終了する。
そして、はてブにTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。
"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者系弱者ツイッタラー。
それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ。
hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーでしかない。
我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。
横から想像でなんですが、元の増田が言ってる「オタクいじめ、オタク蔑視」というのは、一般的には「無視された、キモっとか言われた、ハブられた、教室の反対側からチラチラ見られクスクス笑われた、口を聞いてくれない、自分の横であてつけるように青春を謳歌された」みたいなのであって、あなたの考えるような暴力的で具体的な虐待とは異なり、多くが思春期の性的自尊心を傷つけられた体験のことを指していると思います。
要するに、「好きな娘の反応に(勝手に)傷ついたわーオレ」みたいなものだから、やり返す想像に性的なものが入るのは「元からそういうことがしたかったから」。決して「いじめられたから性的に復讐するわ」ではないです。つまり、
○【 ボクちゃんの性的妄想 → 傷ついた現実体験 → 倍にして返すよ!妄想 】
その証拠に、その手の凌辱系ファンタジーに登場するヒロインは、おおむね無垢でしっかりしていて人気者…であって、現実においてオタを積極的にいじったりいじめたりしそうなタイプの女子ではないでしょ。
大抵の虐待系の妄想ファンタジーの出自は、そういう大変身勝手なものに過ぎないので、あなたが共感できなくても当然と思います。
ただ、中にはあなたの感覚に近いものもあって、そういうのは非常にディープな、俗に言う「上級者向け」なものにはあると思いますが、そうなるともう増田さんが目にされる機会は多分あまりないでしょうし、見ても(余りに特殊過ぎて)理解が難しいかもしれませんね。
「やめてくださいよー。そんな感じじゃないですってば」
うだるような夏が一足早く来たようなむせかえる湿気の中、薄暗い喫煙所でタバコをくゆらす彼女。シトシトと降る雨の音がボクをいさめるような気がしていた。
「今は大事なときなんだ。社内でイザコザを起こさないで欲しいんだ。頼む。」
彼女がくすりと笑ったように見えた。
「違うんです。たまたま小山田さんが帰るっていうから。だったら終電まで軽く飲みませんか?って。そう言っただけなんです。」
彼女はボクが知らないと思っている。つい1週間前まで続けられた山城との数ヶ月に及ぶ不倫行為を。
山城には奥さんと生まれたばかりの子供がいる。社内で壮大な宴会を開いて祝ったのも記憶に新しい。長く一緒にプロジェクトをしていた金田はそれはそれは嬉しそうに酔っぱらっていたものだ。
ただボクだけはまったく酔えないでいた。出産当日、奥さんのもとに駆け付けるまで山城は彼女と激しいセックスをくり返していたことを知っているからだ。
おぎゃあおぎゃあと遠く聞こえる病院のトイレ個室の中で、ふたりがあつく体をぶつけ合う。そんな様子を思い浮かべただけで吐きそうになる。
社内では周知の事実であった。社員の中にはそれを面白がるものもいたが、外回りなどで社を空けることが多い営業職は何が起こっているのか分からず、その温度差がチーム内の不和にも響いた。内勤の皆が隠語でクスクスと話題にする。仕方なく山城には厳重注意をした。
山城はプロジェクトへの影響を理解してくれ、彼女との関係を終わらせてくると誓ってくれた。ただ、彼女には何も言えないでいるボクがいる。ボクとかなり年の離れた彼女は同じ生き物だとは全く思えないのだ。
彼女はのんびりとした口調で返事をする。ボクは今どんな顔をしているんだろう。
「西川とも二人で飲みに行ってたよね。綾子ちゃん、キミが西川さんカッコいいですよねーと言ってるのを教えてくれたよ。」
「それも違いますってば〜」
彼女は事の重大さを分かっていないのだろうか。プロジェクトでは小さいが、責任のある仕事を任せている。少しでもプロジェクトを円滑に進めたいと思ってくれているのとしたら彼女の行動は訳が分からない。
小山田も山城も西川も同じプロジェクトチームのメンバーだ。その中で次々と手を出していればチーム内の不和は目に見えるハズである。
彼女はこのチームをどうしたいのだろう。
「キミがチーム内でいろんな人とそういうコトになったらどうなると思う? このままキミが変わらないのであれば、チームからはずれてもらわないといけない。」
「そんな…、そんなのってヒドいです…。」
彼女が目に涙を浮かべる。やめてくれ泣かないでくれ。一体悪いのは誰なんだ。
ボクなのか。彼女なのか。それとも引っかかってしまうチームのメンバーなのか。
最近は社員も増えて新旧メンバーが入り混じりつつも、仲良くやってくれている。
誰かが仕事が終わらないと積極的に手伝ったり、分からないトコロを教えあったりしているのだ。
ボクはここの空気が好きだ。これがいつまで続くか分からない。もちろん変わりつづけることも必要だ。だけどこの変化はボクが望んだものじゃない。こんな風になりたくて会社を作ったんじゃない。
頼むから、頼むからサークルクラッシャーはやめてくれ。ボクの会社を壊さないでくれ…。
何も考えない人たちならネットの口コミ信じ込んで加害者disってる人達叩くんだろうけど
増田ではいかにも加害者擁護の作りあげた話のようなソースの無い情報なんて誰も信じないよ
1.他人をまったく信じられなくなること
2.生きていてもいいんだと思えなくなること(無価値で死んだほうがいいという思考から抜け出せなくなる)
ここまでくるといじめ生きのびて将来良き伴侶に恵まれていても「人間」としては魂が既に死んでいるのと変わらないからね
元増田は恨み骨髄まで生きていながらも過去に果たされなかった惨めな思い引きずってトラウマに苦しんでいる人々があんな奇麗事読んでやめると思ってるんだ?
小学校の頃、拗音の「ぁぃぅぇぉ」がうまく発言できない校長がいた。
具体的には「ティッシュ」が「テッシュ」になり、子供だった自分たちは校長先生の話でそういう単語が出るたびにクスクス笑ってた。
時は流れ現在、自分はコンピュータの設計関係の仕事をしているんだが、
「ディー」だと「ビー」と聞き間違いが多いためだ。
その癖で日常生活でもときどき、「D」を「デー」と発音するんだが、
「おじさん変なのーwww。『デー』じゃなくて『ディー』だよーwww」
と笑われてしまった。
「いやいや実はな・・・」と背景や理由、自分はちゃんと「ディー」という発音を知っていることなどを話そうとも思ったが、子供相手に大人げないと思い、
「えへへ、そうだねー」と笑ってごまかした。
そして思った。
ああ、校長先生もこんな気持ちだったのかなあ、訳あって「ティッシュ」を「テッシュ」と発音してたのかなあ、と。
例えば、戦中の外来語排斥の影響で、そういった音に触れずに育ったために、うまく発音できなくなったとか。
「寝たフリしてるだけだったりして(クスクス」
「いつもお昼どこで食べてるの?」
こんな言葉に心を痛めた経験のない人はオタクを自称してはいけない。
「オタク」という言葉をどんなに浄化しようと、「オタク」はやっぱり罵倒語で
「オタクキモイ」と陰口を叩かれた事がない人間に、オタク面で「オタクでも努力すれば」なんて説教されたら困るのだ。
オタクの多くは、オタク的なアニメや漫画やゲームがたまたま好きな普通の人なんかじゃ全然なくて
物心ついた頃には友達ができない事に悩んでいて、クラスメイトに興味が持てない以前に個々人の区別もつかなくて、教室は居心地が悪くて
休み時間が嫌いで、何をしたらいいかわからなくて、頭の中でお気に入りの漫画のキャラをずうっと動かしてたような、そんな子供が成長しちゃった姿なのだと思う。
先天的な障害を抱えていたのか、生育環境のせいか、本人の努力が足りなかっただけなのか、そんなのはわからないし色々なパターンがあるだろうけど
物心ついた頃には、遅くとも小学校4年までには、コミュニケーションの障害を自覚していて、一般社会が辛すぎるから、居心地のいいオタク文化に傾倒してしまったのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110519020819
忘れたい具体的な明確な失敗みたいなのって、俺はそんなにないんだけど。
たまに、過去のちょっとした失敗を1人思い出して、「あーっ」て叫びたくなってる。
恥ずかしすぎて半笑いになってる。
会社でも、山手線の中でも、おかまいなしに急に来るから困っちゃう。
あれ何なんだろうな?俺だけ?
きっとじいさんになっても、1人「あーっ」ってなるんだろう。嫌だな。
元増田の忘れたい失敗がどんなレベルかわからない。すげえ重いレベルだったらごめん。
俺は「脳」の奴が原因だと思う。
こんな事言うと、茂木とか言う人の本とかテレビとかに影響されてそうだけど、一切見てない。
これまでの人生を考えると、感覚的に脳から「失敗」についての情報を忘れないように、連絡がくるイメージを持ってる。
携帯のアラームみたいな機能が、脳には組み込まれてんじゃないかな。
それが、スヌーズ機能のように一定期間で、警鐘をならし続ける。
「あんな嫌な思い、お前またしたくないよな?」と脳から言われてる気がする。
PK外した選手だってすげえ悔しくて、次のPK外さないように練習するんだ。シンプルに考えると。
こうやって、人は成長していくんじゃないかな?
何度も脳が警鐘を鳴らしても、それを上回る欲望があったら、クスリとか常習犯になっちゃうんだろうけど。
後は、「他人の脳」に元増田の失敗が残っているかどうか。これも重要だな。
失敗を思い出したとき、一見、すげえ色んな人からクスクス見られてるような辱めにあってる、嫌な気分なんだけど。
結局「脳vs俺」みたいな「俺天下一武道会」だと思うんだ。
俺の失敗って、他人にとっては大きな存在じゃないんじゃないかな。
「他人が元増田と同じ失敗をしないための情報」として処理されているんだと思う。
そこに付随していた辱めてやろうっていう他人の感情は時と共に無くなって、ただの情報に変わって行く。
だから、元増田が思ってるほど他人にとってはたいした事ないものなんだ。
俺くらいおっさんになってくると、むしろ寂しいけどね。他人の中でただの情報になっちゃうなんて。
ニヤニヤ見ている観客なんてひとりもいない。
めんどくさくなったら、富樫先生みたいに休載しちゃえば良いんじゃない。
僕は超がつくほどの音痴だ。
中学生の頃、一人ずつ順番に前に出てドレミファみたな発声練習をさせられるんだけど
いつも僕の番でつまづいて、みんながクスクス笑っててすごく恥ずかしかった。
好きな子の前で何度も何度もやり直しさせられて惨めだった。
そいで社会人になると接待や忘年会なんかでカラオケなんかも連れて行かれたりして
「よし、まず増田おまえなんか入れろ」
みたいな流れになったりするんだけど、それが嫌でいつも1次会で逃げてた。
音楽は好きなんだ。
歌う事もほんとは好きだ。
もっと大きな声で歌いたい。
「鼻歌でも音痴なんだねwww」なんてできれば言われたくない。
昔は一つだけ願いが叶うなら「歌を上手にしたい」ってお願いするって本気で思ってた。
今はくだんないと思うけどね。
耳(インプット)に入ってくる音が、正確に聞き取れてないから音痴なの?
声?喉?声域?声量?(アウトプット)がダメだから音痴になるの?
ちょっと歌と話がずれちゃったけど、SMAPの中居さんているよね。
彼はもう20年近く歌を歌ってきて、練習も常人じゃ考えられないくらいしてると思うの。
でもあのレベルなんだよ。いや僕からしたら旨いけどね。でも言いたい事わかるでしょ?
自分が歌ってる時、音ずれてんなーとかわかってるつもり。
バックリ言うと僕は芸術関係の学校に進学したんだけど、そこで学んだことは
絵の上手なヒトと下手なヒトは見えてる情報が圧倒的に違うってこと。
同じコンクリートの電柱を描いた時に黒と白の絵の具しか使わないヒトと多彩な絵の具を用意するヒトがいる。
音楽を聞いててもちゃんと聞き取れてるつもり。
でもやっぱり違うのかな。
わかんないんだよねぇ。
あとね、最後に同じような悩み抱えてるヒト。
僕が言うのもおこがましいけど気にすんな。
いかりや長介さんが言ってた。
「ヒトには笑われていろ」
カラオケで散々今までの鬱憤を晴らすようにダミ声でクソ音痴な歌で精一杯歌ってる。
コソコソする必要ない。
「オンチが一発目いきまぁっす!!!」つって自分から歌ってる。
すっげぇきもちいい。
みんな誘ってくれる。上司も「おまえいいなぁ最高だよ」って言ってくれる。
ただし、曲のセレクトはいつも明るくて盛り上がって誰でも知ってる、しかもちょっと短い曲を選んでる。
歌唱力で売ってる歌手の曲はだめだ。
平井堅さんとかは無理だ歌いたいけどそこは己を知るってことで我慢してる。
それで悩みが消えたわけじゃないけど、とりあえずハッピーだ。
5年間ほど海外に住んでいて日本語は友達と話す分は平気なのですが
戻ってくる3ヶ月ほど前から、日本での学校生活に不安を抱いており
その間に、仲良くなった子達とずっと仲良くしたくて
そのおかげで、今ではその子達と一緒にご飯を食べたり話したり出来ています
共通の話題が少ない私を入れてくれて本当にありがたくて感謝しきれないほどです
帰るころには真っ暗で、急いで帰ろうと歩いていると後ろから隣のクラスの子が二人歩いてきて
いきなり「外国はどうだった」だの「英語ペラペラなんでしょー?」と聞いてきたので
それに答えると二人そろって無言
帰る途中、私が先頭で歩いていたのですが
ふと後ろを振り返ると二人とも物陰に隠れていて、いないフリをしていました
元々苦手なタイプだったので、どうしていいか分からずそのまま歩いて帰ろうとすると
いつのまにかすぐ後ろにいて、
「日本と比べて外国はどうだった」と聞かれてまたそれに答えると黙りの繰り返し
家と学校からの距離が近いので早足で帰ろうとすると「速いーまってよ」と声をかけられます
ゆっくり、歩幅をあわせて歩いていても私などいないように二人は話していて、たまに小声で私に聞こえないようにクスクス笑っていました
私は人見知りで、特に苦手なタイプの子が相手だと普段言い返せるようなことも言えずに泣きそうになります
その後、やっと家に着いてこれからはもう関わらないように。と思っていたのですが
時間を変えても門の前で屯っていて、私が通ると帰る準備をし、付いてきます
そして質問と無言の繰り返し
帰り道はたったの5分程度なのですが、今まで親からも甘やかされ
友人に恵まれてきたのでどうしていいかわかりません
海外にいったときも、英語を全く喋らない私を学校の皆さんは受け入れてくれて
そのおかげで今まで通ってくることができました
みんな仲良く、合わない人とはお互いに関わらないような所でした
意見がまとまらない助けてーなどとメールがきて嬉しいのに悲しくて気持ちが不安定です
転入してきた時は日本と外国の違いなどをたくさんの人から聞かれたので「日本は~」「アメリカは~」と話していました
色々調べて見た所、この比べるような言い方が気に触ったのでしょうか
私が甘いのは分かっているのですが
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。