「悪い人間が更正するよりも、最初から良いやつの方がよっぽど偉い」
こち亀の「最初からまじめなやつのほうが偉い」的なセリフが元ネタなんだろうか。
別に間違ってはないし、小学生でも言いそうな一般論という程度の認識だった。
ただ、この理屈をフィクションの評価にも使う人が結構いるみたいで、それが気になる。
それによって「迷惑をかけた人が反省すること」を表現する価値が無くなるわけじゃないだろう。
〈贖罪〉みたいな宗教的なテーマでさえ、この手の一般論にかかれば全部無価値にされてしまう。
この手の「一般論の暴力」みたいなもの、最近いろんな所で見てる気がする。
人生に起こる様々な問題を、抽象度を上げて誰でも言える善し悪しの問題にして片付けてしまう。
「言ってることは正しいけれど、それじゃ何も言ってないのと同じだ」と返してやりたくなる。
ちょっと話がズレるけど、「中二病」なんて言葉もかなり似た現象が起こってると思う。
何かにかぶれている時期ってすごく創造性に溢れた時間のはずなのに、
「こういう態度ってダサいよね」みたいな解像度の低い話で全部片付けられてしまう。
内容を問わず、態度だけで全てがあるあるネタにされてしまうというか。
要するに、情報を共有する時の解像度の低さを問題にしたいわけだ。
中高生の頃、人のどうでもいい言い間違いを指摘してクスクス笑ってた頃から
ろくに成長してない人多すぎるんじゃないですか。どことは言わないけど主にはてなに。
それって、更生とか改心とかを持ち上げる事へのカウンターとして流行ったとかじゃないの? まあ他人のフィクション評価に興味ないからどこで流行ってるのか知らないんだが… 成長し...