はてなキーワード: 道徳心とは
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自分は可能な限り犯罪は犯したくないです。それこそ飢えて死にそうになった時に目の前に食べ物があったらそれを盗まずにいられるか、みたいな話になってくると正直そんな事態に直面でもしたらわかりませんが、少なくとも日常生活を送っていて犯罪なんかしようとは思いません。
じゃあなんで嫌なの?って聞かれた時に、ふんわりとした「悪いことはしちゃいけない」みたいな感覚、ここで言われる道徳心でしょうか、そういうものもありますし、犯罪だから捕まるのは嫌だという実利的な側面も当然あります。法を犯す人間を法が守ってくれるのか、法に守られたいなら法を守るべきだろうなんていう保身感情もありますね。家族が悲しむ姿もよぎります。
「損得感情で犯罪を犯すかどうかを決めるとはなんて倫理観のないやつなんだ!」と言われたら、「犯罪を犯して悪いことしちゃったなーって嫌な気分になるのって「損」ですよね?つまり道徳心から犯罪を犯すのを躊躇うことは倫理観が欠如しているってことですか?変わった感性をお持ちなんですね」って思うんですよ。
犯罪を犯すということは私の道徳的価値観に反しているので、そんなことをすれば当然心に負荷がかかります。損失を与えてくるんです。そんな「損」をしたくないから犯罪は犯しません、っていったら道徳心のないやつになってしまうんでしょうか?
もちろん犯罪を躊躇う理由は前述の通り道徳心のみが理由ではありません。ありませんが、他の理由が道徳心に劣る理由だとは思いません。結局のところどの理由も突き詰めれば自分の損に繋がるから抑止力になるんです。
道徳心を理由に犯罪を躊躇うことは損をしたくないから犯罪を躊躇うことであり、それはゲームができなくなるから犯罪を躊躇うことと本質的には変わりはないんじゃないですかね。
だから自分はゲームが理由だろうが道徳心が理由だろうがそこは問題ではないと思います。問題があるとすれば(彼らがそうであるという話ではなく、犯罪を犯さない理由に何かしら問題があるケースがあるとするなら)何であれ理由が「その1つしかないこと」でしょう。
理由が複数あれば何かの理由で価値観が変わった時にも他の理由から踏み止まることができますが、1つしかなければその1つの価値観が切り替わればアウトだからです。その危うさはゲームも道徳心もなんら変わらないと思います。「しつけ」という道徳心からくるDVは客観的に見て単なる犯罪です。
このまとめに出てくる人たちが犯罪を犯さない理由はまとめられていた理由以外にも存在するのか、それともたった1つの危うい柱に支えられているのか、それはこんなわずかな発言だけでは判断できませんのでそのあたりは自分は判断しません。
ただし、犯罪を躊躇う理由に優劣をつけることはそれこそ最近流行りのポリコレには抵触しそうだなあとは思いますし、個人的にはこわちかとしか思わないです。
子供がYoutubeでヒカキンとセイキンを見つけて結構な頻度で見ていたのだが最初は特に問題はないだろうと別に禁止はしなかった。
その後いろいろとこのチャンネルに問題があるので禁止になるに至った。
我が家でこの2チャンネルを完全に禁止にしたのは、いくつか理由がある。
1 この方たちが経費でやっていることをまねしたがるようになる
→例としてUFOキャッチャーを大量の100円玉を使ってやるなど動画の再生数を稼ぎ利益を出すためにやっているような行為を家庭ではできない
2 教養のまったくない内容
→動画が果てしなくつまらない、なんで見たいと思うのか疑問に思うほどつまらない。また子供にとっては大事な教養や道徳を磨く要素がほとんどない
→うるせえ 何回きかせんねん!
→SEO界隈にいたこともあり、すぐにわかるのだが、Youtubeの動画も基本はキーワードを含む動画、かつ信頼度の高いチャンネルや再生数の多い動画が表示されるようになっている。アンパンマンのおもちゃ動画も「アンパンマン」というキーワードにヒットするために作られたものだ。検索エンジンは(まだ)基本的にはクリエイティブの質は評価できないので、再生数を稼げばそれだけで上の方に来るような仕組みになっている。
しかしヒカキンとセイキンが台風の専門家なのだろうか?内容もかなり稚拙だった。おそらくだがこの動画は台風というキーワードにヒットさせるためにだけ作られたものだ。つまり金儲けであり、その裏側でアルゴリズムの稚拙さの隙をついてほくそ笑んでいる彼らが透けて見えた。
→この2チャンネルを見ていた頃の子供は、いらいらし、情緒不安定になった。理由はわからないが心に悪影響があるように思える。辞めたらより穏やかに戻ったからかなり正しいと思う
6 こんな意識で情報発信している人の動画を見て育ったらどんな人間になるんだろう?
ここが一番懸念を感じた点だ。彼らの動画のサムネイルには必ず、ただ単に興味をひくためだけの変顔がついており、教養や道徳心を磨くような教育的配慮が全くない動画であり、キーワードにヒットさせるためだけに災害をも利用するようなマインドの人間に接し続けると、子供はどんな人間になるのか?
俺は一番ここにぞっとした
※追記
この投稿話題になってるっぽいので、一部事実誤認等が発生しているので補足しておきます。
自分の他のチャンネルへのリンクの事ね。それとハッシュタグも入れている。台風、被害 だのこれは検索に引っ掛けるためなんだよね
法律というのは「守らないといけないもの」なのか「守らなかったときに罰せられる」ものなのかどちらですか?
自分は後者寄りの考え方です。もちろん一部の例外として、自分の価値観として、前者に分類されるものもあります。
というのも、ネットで炎上する話のいくつかは、この「考え方の違い」から起きているのではないかと感じています。
例えば労働基準法。個人的には守らなくていいと思うんです。好きな人達が集まって法律の範囲外で働くことに何ら問題は無いはずです。
一方で、それを望まない人がいるのは理解できます。大手企業など従業員数が多いところでは前社員が同じマインドで働くことは無理でしょう。
そのときは法律に従って労働局に駆け込むでも裁判でもすればいいと思うんです。企業側は裁判が嫌なら法律に従えばいい。
これは「守らなくてもいいけど、守らなかったときは罰を受ける。罰を受けたくなければ法律を守る」という考え方です。
この考え方に従うと、無関係の人が横から「おまえは法律に違反しているぞ!」という注意は無意味になるんです。
もし自分に何かしら不利益があるのなら、然るべき手順で裁判でもすればいいでしょう。無関係なら黙っていてください。
こうすると「なぜ被害を受けている自分が手間をかけなければいけないのか」という人が出てきますが、法律ってそういうものなんじゃないでしょうか。
あなたの権利は法的に認められて守れているのだから、自分で主張して明らかにすればいいでしょう?
最初にお話した一部の例外、「殺人」「傷害」「誘拐」などは納得できないという気持ちもあるのですが
これは矛盾しているのではなくて、小さい頃から身についた価値観やモラル、道徳心があるためです。
軽犯罪、例えば立ち小便などはもういちいち「法律を守れ!」という方がアホらしいと思うんです。
とはいえ自分の庭に小便をされたならそれは警察に通報してあなたの被害を救済する権利は当然あります。
これっておかしいでしょうか?
もっと言えばさ、この日本に限って言えば、殺す権利を付与してもいいくらいなんじゃないかなと思う。
政治家や高所得者(経団連とかね)がこの国の舵取りをしているなら、彼らの失策と搾取で死んだ人、生まれることができなかった子供たちの分までカルマを背負うべきだと思うんだよね。天譴が下らないと割に合わないような社会構造になっている。それは資本主義の構造の問題ももちろんあるけど、この国の上位層のモラルのなさが生み出したものだ。日本の金持ちは寄付全然しないしな。世界寄付指数ワースト3位だそうだし。
日本はたいして宗教的でもないし、道徳心があるわけでもないし、戦略的なものの見方をするわけでもないので、放っておくと上位層がどんどん醜く肥え太る。アジア太平洋戦争の時なんかがまさにそれで、今もその構造は全然変わってない。政治家と官僚の驚異的な自己保身と労働者からの搾取でこの国は成り立っている。
特に道徳心のなさは凄い。児童生徒に妙な道徳教育を施しながら、まるでモラルがない。
日本の道徳心は儒教が元になっているが、その儒教をもバカにし始める始末だ。孟子が「剣で人を殺すのも、悪政で民を殺すのも、何も違いはない」って言ってたろ。あれが「道徳」だろうがよ。高所得者どもはいい加減殺人をやめろ。いいか、高所得者のクソどもは孟子の恵王の章を読め。熟読しろ。お前らは恵王だ。「なんでうちら頑張ってるのに隣の国とあんま変わんないんだろうにゃあ」とか言ってるのがお前らだよ。孟子に説教されろよ。2500年前の話だぞ。少しは進歩して見せろクソどもが。最低限、進歩しているというポーズを維持して見せるくらいのことをしろ。政治家腐りすぎだろ。飲み屋のオッサン上がりかよ。まともな知性があるフリくらいしろ。
話は戻るが、高所得者が底辺連中を殺しにかかるなら、正当防衛しても問題なくないか?
そのくらい脅しつけないと上位層どもは危機感持たないだろ。そのくらい腐り果ててるだろ。奴らのモラルはもう2500年前のものだから、ダイレクトに「人を殺したら祟りがあってお前死ぬぞ」くらい言わないと、そして実際にそれが起きないと目を覚まさないんじゃないのか?今はもううでかい戦争も内覧も起きないから、上位層どもは死の恐怖を忘れて際限なく腐っていくだけだ。お前、腐ってるだろ?恵王は少なくとも孟子に耳を貸したが、お前らはどうよ。クズども。中国史の昏君のテンプレ「妊婦の腹を裂いて、男児か女児かを確かめる遊びをした」のとほぼ変わらないことしてるからなお前ら。武烈天皇でもリスペクトしてんのか?
つーか、いい加減資本主義はもう無理だろ。マルクスが資本論で書いてた通りの展開になってもう何年経ってるんだ?ネットの発達で底辺連中にまで情報がいきわたったことで資本主義の壊滅は決定的だろ。お偉い学者さんらは何してるんですかね。資本主義はもう限界です。共産主義は人類には早すぎました。ってなってるところで何で資本主義を加速させてんだよ。今が日本史上最高の景気なんだって?お前ら牟田口かよ。現実を見ろ。新自由主義とか言ってる場合じゃないだろ。金を回せ。高所得者のモラルのなさを何とかしろ。
それが無理なら、こっちにはもう選択肢は残ってないだろ。
俺はクソ底辺で今は何とか生きてるが、これ以上殺しににかかられたらそのうち武器を手にする可能性があるだろ。これってどこに声を上げりゃいいんだ?
マジで高所得者どもは死体の上で飯を食ってることを自覚しろよ。
そして責任果たせよ。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。
「痴漢は犯罪です」というポスターは沢山あるが、これは痴漢行為を働く人間には何ら反省効果を及ぼさない事が、本などを読むとよく分かる。
彼らは道徳心に欠ける訳でも心が邪悪な訳でもやく、やめたくてもやめられない性依存症と、強烈な認知の歪みを持つからだ。
「痴漢は依存症です。病院へ行きましょう。」というポスターがもっと増えて欲しいと思う。
「セックス依存症になりました。」
https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2019/02/22/108204/
ネット上で痴漢問題や女性専用車両について交わされる議論、とくに男女で意見の割れるバトルには当事者性に欠けた不毛なものが多いと感じます。
なぜ彼らは痴漢をするのか、その原因・実態について理解が広まらず誤解が余りにも多いと思っています。
卑劣な性犯罪を無くし、不幸な人を少しでも減らすにはどうすればいいか、その為の糸口はまず「正しく知る」事だと思います。
この漫画、序盤は多くの読者が遠い世界の他人事として、あるいは被害者感情で、読めると思います。
しかし話数を追うごとに男女とも身につまされる読者が増えるのではないかと思います。
本気で自分の性の問題を解決しようと向き合い続ける人間でないと描けない内容がここにあります。
読み手によってはかなり負荷をかけてくる漫画なので、辛くて読めないという人には強く勧めません。
わたしは読んでいて負荷がかかりましたが、これを最後まで見届けなくてはいけないという使命感で読んでいます。
犯罪や人間関係のトラブル、特に性や恋愛が絡んだものは、感情抜きに語れないものが多いです。
しかし、正義とか悪とか、被害者とか加害者とか、擁護とか批判とかよりも前に、
でも広まって欲しいんだ。切なる願い。
学校でも家庭でも性に快楽を求めることは汚らわしく不健全なことであると習うのが普通かとおもいます。実際、性に快楽を求め人の道を外した大人たちを強く非難する報道が後を絶ちませんよね。
子孫繁栄のための生殖行為が必要なことは理解していますし、それに関しては保健体育の授業でも習うことです。逆に快楽に関しては、性的な物にかかわらず、長年の道徳教育の上でも、戒めるべきと習ったこと以外に記憶がありません。
子供に関しても一度生まれてしまっては元には戻りません。快楽に溺れた無責任な大人たちによりどれだけ多くの子供が犠牲になっているか?昨今の報道を見れば火を見るより明らかですよね。
避妊したからと言って妊娠しないとも限らず、実際避妊したはずなのに?という後悔の相談はこちらでも多いかと。道徳心の欠如を忘れ。
世の中には他人を思いやり真面目で誠実に生きようとする人が少なからずいる。その背後には道徳教育がある。道徳的な考えを刷り込んだのは誰かと言えば権力者である。彼らは自分のことを棚に上げ自分にとって都合の良い考えを他人に押し付ける。
成功者の中に高い道徳心をもった人間はいない。これは古今東西の成功者の振る舞いを観察すればわかる。社会で成功できるのはことば巧みに他人を騙し他人の能力を利用した人間だけである。
成功者の真似をして合理的に行動すると成功者や成功者に洗脳された奴隷から攻撃されることがある。他人から攻撃されると自分が悪いことをしたような気持ちになるがそこで感情的にならず攻撃の妥当性を冷静に考えるべきである。
相対性理論で有名なアインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」と言ったそうだが、人生の役に立たない常識などさっさと捨ててしまえば良い。