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はてなキーワード: 自体とは

2024-08-25

anond:20240825135042

「あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外なので」を書いたものですが、自分にとって読むべき記事か読まなくてもいい記事かを決めるのは私自身なので、指摘自体的外れです。

それとも増田は「あの記事は私にとって読む価値がある記事だ」と主張しているのでしょうか?それは何故ですか?

私は詭弁を含む無礼エントリなど少しも読みたくないのですが、それでも読む義務があるということでしょうか?

もちろん記事内容全体を批判しているなら精読する義務があるでしょうが、私は引用部分についてだけ(明らかな詭弁で)論外と言っているに過ぎません。

例えば極端な例として「saebouはおかしい。アメリカンニューシネマはレプティリアン達が作った。その証拠に5chで皆がそう言ってる」みたいな怪文書があったとして、私が全て精読して反論する義務があると思いますか?私宛でもないのに?この一文だけを見て「この引用部分は流石に論外」「読まなくてよかった」と思うのは妥当だと思いませんか?

(↑増田はあの引用部分から詭弁を見いだせていないのではと思ったため、増田にすら詭弁とすぐわかるであろう例を用意しました)

他人を名指しで批判したいならもう少し頭を使ってください。粗雑な批判への反論時間を取られるのが一番ウンザリします。

(最低限の読解力を持ち合わせているかも怪しい夜郎自大カスに対し、最後まで敬語を通したのだけでも褒めてほしいところです)

anond:20240825171439

何の先入観も無しに見ると信長が側に置いた黒人というポジション自体創作上美味しいと思うんだけどなあ

でも黒人奴隷が流行だのまで飛躍すると流石においおいとはなる

anond:20240825174307

読解力読解力と連呼する人ほど読解力がない現象だ。こわい。コンプレックスがあるからなのか。誰のどの主張に対して反論しているのかまず自分で整理してほしい。

・主張を自分の都合のいいように途中で変えるな。「白人中心主義であるとでっかく出てくる」から白人男性中心主義が""最初に""特徴として出てくるのはおかしい」という順序の問題にすり替わっている。

そもそも北村氏も俺も誰も「ニューシネマの最初の特徴として白人男性中心主義は挙げていない」。わかる?元記事読んだか?「白人」とかのワードが出てくるのはかなり後半だ。最初に特徴として挙げているとかは普通に嘘だ。

 ・北村氏はお前も認めた「ニューシネマは白人男性中心主義」だと言及しただけで、別に「これが一番の特徴です!」とか言っていないよね。特徴って話はどこから出てきたの?

・発端の映画レビュー自体フェミニスト立場から感想を述べる」って企画なんだから男性中心主義が「でっかく」でてくるのは当然だろ。馬鹿かよ。そりゃフラットな場でいきなりすべてをすっ飛ばして「ニューシネマの特徴は白人男性中心主義です」とか言い出したら俺もおかしいと思うよ?でも今回の企画趣旨的に男性中心主義にふれるのは自然だよね?そしてその扱いもいうほど「でっかい」か?

映画史的にはルッキズム支配されてたスターシステム崩壊して、ダスティン・ホフマンアル・パチーノデニーロみたいなちびっこでも主役張れるようになった革新的時代

・↑お前も「革新的時代」と言う割には例として挙げている俳優男性だけだよね?この点から見ても「男性中心主義」について言及するのは自然だと思うけど。

スターシステム崩壊についても北村氏は触れているよね?

・前の時代から大きく変化がないことは特徴ではない、という点も意味不明。「一番の」特徴ではないという意味であれば首肯できるけれど。

総じてお前が何に怒っているのかわからない。ニューシネマの特徴としてスターシステム崩壊を上げるのも別に否定しない。繰り返すが北村氏もスターシステム崩壊に触れている。

スターシステム崩壊差し置いて、ニューシネマの一番の特徴は白人男性中心主義であると主張した人」をまず屏風から出してくれ。

anond:20240825180709

夜職女と馬鹿にするのも滑稽

そもそも他人人生馬鹿にすること自体が滑稽

anond:20240825163218

オタク日本人自体が全体として受身でテイカーなんだよな。何もしないで白馬王子様(票や金がなくても国民のためだけに完璧政策を実現する夢のような政治家)を妄想してるだけ


セルフイメージ常識的人畜無害

都合のいい夢小説自己投影してるだけで情報鎖国してて批判に耐えられない

anond:20240825164338

今回の件が違うのはほとんどの人間ダーティハリーという作品自体には興味がないところだね

若い世代日韓融和が進んでいるようで何より

まあただ対立構造日韓から男女に変わっただけで対立自体はあるが...

anond:20240825145552

フェミニストは男にモテない女じゃなくて、むしろ社会でやっていけない女だと思うんだよな

から夜職でも肩身が狭いんだろうよ

夜職って職務は男に媚びるではあるが、職場自体は完全無欠な女社会から

青山議員総裁選に出ること自体は悪くないと思うけど

参議院総理て実際どうなん

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

ふとTOKIOの0円食堂ってなんかずっと微妙雰囲気だったなと思った。

説明に手間取ってたし、店側とTOKIO側のコミュニケーションのギクシャクした感じ。

捨てるけど食える部分の材料をただでかき集めるっていう企画設計自体がなんか合理的じゃなかったんだろうな。

anond:20240825133731

低学歴自体が悪いと言うより、反知性主義の低リテラシー群、テスラ缶とか頭にアルミ巻いてないとか言ってる人たちと会話は無理ってだけだと思う

"これがルッキズムでなくてなんなのか?見た目がどうあれ森高千里でもオバさんはオバさんだろ。" んな事言いだしたら息をするように年齢差別するキミはなんやねん、ってなるけど。

ブコメ言及されましたがブコメに入らないので増田に書きます

僕のブコメのどこら辺が"年齢差別"と言われているのか分からないのですが、僕は"55歳の女性"が"若い見た目を維持すること"や"ミニスカートを履くこと"についてブコメで何も言ってません。

若い見た目を称賛する行為自体批判してません。褒め方がおかしいと言ってます

まとめ記事タイトル

森高千里さん(55歳)「私がオバさんになっても」(2024年)→いつオバさんになるんだよ

となってますが、"いつオバさんになるんだよ"ということは少なくとも現在は"森高千里はオバさんではない"ということですよね。ブコメにも書きましたが”見た目が若い人はオバさんではない”と言ってるわけでこれをおかしいと言ってます

"オバさん"は単に中年女性を指す言葉であって、本来は見た目の醜悪さを指す言葉ではないはずです。その意味で僕は"55歳の女性"="オバさん"であり、見た目で"オバさん"かどうか変わるのはルッキズムではないかと言ってます

もちろん歌詞ニュアンス的にも"オバさん"="(若い時に比べて)見た目が悪い"という前提の話なので、単に見た目が若いという意味でオバさんではないと言ってるのはわかるのですが、

このような前提こそ年齢差別ではないかと僕は考えます



僕のブコメの"茶番"という表現について。見た目が若い人を褒める際に、「どうみても10代」とか「20代にしか見えない」とかい言葉もしばしば見られますが、僕は誇張しすぎで無理がある表現だと思います

同様に「見た目が若い55歳の女性はオバさんではない」というのも誇張しすぎで無理がある表現だと僕は思いました。そもそも元の曲(と歌詞)も好きではないですが。

これらはあくまでも僕の感性なので同意しない人も大勢いると思いますが、僕はこういう表現はくだらないし茶番だと思うのでブコメでそのように書きました。


この増田も本人に伝わるかわかりませんが一応ブコメのページブクマときます。具体的にどこら辺が年齢差別なのかコメント貰えたらいいんだけど。

anond:20240825032224

まあ炊きたてご飯には味では勝てないけど、お弁当程度には>パック。

アルファ米は水かお湯ないと食べること自体無理(しゃもじにこびりついてかわいたご飯粒のごとく口にささる)。

ただ元増田のいうとおりそんなにまずくもなくなってる(おすすめアルファわかめご飯にお湯15分。なんかしっとりしてうまい

質問ができなかった話

前提、まずは私の母の話。


母は何でもできる人だ。

小学校から名門学校に通い、大学某国立大学。はっきり聞いたことはないけれど、思い出話を総合するとずっと主席(もしくはそれに近い存在)。

専業主婦をしていたが、家事料理完璧にこなす人。

から多分、「できない人」のことが分からない人だ。


母の教育方針に、「答えを簡単に教えない」というものがあった。

人に聞いて簡単に得た知識はすぐ忘れてしまう。だから試行錯誤して自分で答えにたどり着くべきだ、と。

これ自体はまあ、その通りだと思う。

から、母に質問しても突き放される幼少期を過ごしてきた。

例えば、本を読んでいて、知らない単語が出てきたとする。

で、近くにいる母に、「これどういう意味?」と聞く。

すると母は部屋の一角を指さして「そこにあるのは何?」と質問を返す。

母が指さすのは分厚い広辞苑

これで質問タイムおしまい。私は一人、重たい広辞苑本棚から引きずり出して単語意味を調べる。

そしてたいてい、広辞苑を指さす前に一言

「え、そんなことも知らないの?」

大げさに目を真ん丸に見開いて、びっくりした顔で、おどけた風に言う。

そして数秒、そのままの顔で私を見つめる。

多分、本気半分、冗談半分だったのだと思う。

その年の子がその単語を知っていることは当然だと、母は本気で思っている。母自身がその年齢だった頃にはその単語を知っていたからだろう。自分読書好きに育てた子だから、なおさら

ただそれをそのまま言うのははばかられるからちょっとおどけて言ってみているだけ。毎度そう言うのはもはや鉄板ネタみたいな。


それが堪らなく嫌だった。

驚いた母の顔を見る度に自分の愚かさを突き付けられる気がして心底惨めになった。

今思えば、母に懇切丁寧に教えてもらいたかったのかもしれない。言い換えるなら甘えたかったのかもしれない。

つの間にか、母に何かを聞くことは避けるようになっていた。知らない単語に遭遇したら一人で広辞苑を開くようになった。


母の教育方針が良かったのか、幸運にも私も母には遠く及ばないが、ほどほどに誇れる程度の学歴を手に入れた。

同時に、他人に何かを聞くことが全くできない人間になっていた。

からないことに遭遇すると、他人に何かを聞いて解決しなければならないときになると、おどけて驚く母の顔が脳内に浮かんで何もできなかった。

結果、空気を読むことだけが上手い人間になった。

あらかじめ他人言動をとにかく観察し、脳内で何度もシミュレーションし、自分絶対に失敗しないように。そればかり考えて過ごすようになった。

おかげで失敗しないから、大人ウケは良い子供だったけど。


大学生になり、バイトを始めた。

例によって空気を読みながら仕事無難にこなしていたが、ある時かなり大きな失敗をやらかした。

詳細は省くが、原因は私がその日の業務を正しく理解していなかったことだった。そのせいでお客さんに迷惑をかけて社員さんに尻拭いをさせてしまった。

当然ながら叱られたが、その時に社員さんから言われた。

「なんで何も聞きに来なかったの?きっと分からなくて確認に来てくれると思って待ってたんだよ」

怒ってる、という感じではなかった。

かに諭すように言われた。

衝撃だった。大人質問するのは悪いことではないのかと。馬鹿にされるようなことではないのかと。

寧ろ聞きに来てほしかった、と言われて、それは許されることなのだと、自分価値観がひっくり返された。

それ以来、かなり頑張って質問をするようにした。

おかげさまであの時以上に大きな失敗はせずにバイトを終えることができた。


今年の4月社会人になった。

今は親元を離れて一人暮らししつつ、新しい環境で働いている。

当然ながら新入社員にとっては分からないことだらけ。入社式の翌日の研修では、講師から貴方たちの仕事質問することです」と口を酸っぱくして言われた。

今はとある現場に入ってあちこち駆け回る日々を送っている。

ありがたいことに同じ業務担当になった先輩がかなり優しい方なので、ご厚意に甘えさせてもらってあれこれ聞きながら業務にあたることになった。

先日、先輩から貴方は何でも聞いてくれるから仕事やすい」と言われた。

ようやく、小さいころにかかった呪いが解けてきたような気がする。

それでもやっぱり、「これ分からないな」と思った瞬間、目を丸くした母の顔が頭の片隅にちらつく。

本当の意味で、この呪いが解ける日は来るのだろうか。

弥助問題について思ったこ

 結論から言うと、"黒人侍弥助"自体は叩くべきじゃなくて、面白ければよくない?という事が言いたい。

 俺、海外の"弥助"が出てくる作品をチラッとだけど見たんだ。それで、面白いと思った。

 だって日本に置き直して考えればさ、日本鎖国していたような時代に、海外日本人の騎士イギリスで暴れまわっていて、しかもそれがエリザベス女王に仕えてたとか、そういう話だよ?

 そんなの面白いに決まってる!俺だったら絶対創作ネタにするし、実際海外人間は色々妄想したんだろう。

 海を超えた向こうの創作者の頭の中では、いろんな日本があって、そこではいろんな"弥助"が活躍する。それって、とても良い事で、楽しい事だと思うんだ。

 ここじゃない何処か、つまり海外って、アイディアの宝庫じゃない?例えばジブリだって海外イギリスとかだっけか)を元にして魔女の宅急便を描いて、私達(日本)でも、海外でもない美しい楽園を創り上げた。そしてそれは、世界中何処でも評価されたんだ。自由創作って、そういう物だと思う。

 弥助も、きっとそうなれる可能性があったと思うんだ。例えば歴史上の坂本龍馬なんかは実際には色々あって最近では教科書から省かれたけれど、創作の中の"坂本龍馬"像ってのは残り続けるだろう。力のある創作物というのは、モチーフも何も失われても力を持ち続けるから。だから、今回の事件で"黒人侍弥助"という創作がおそらく無くなってしまうのが悲しい。

 もちろん歴史学者の政治思想やら、UBIsoftがどうのとかはある。でもさあ、んなこと知ったこっちゃなくない!?いい例えが思い浮かばないんだけど、Fateジャンヌ認識かに対して色々海外から言われたとしても、うるせぇ!面白けりゃいいだろ!!!って言いたくなんない?UBIsoft歴史学者も滅びろと思うけど、既におそらく海外で固まっていたであろう"弥助"概念を使おうとしていた創作者のことを勝手に考えてしまう。まあ全部妄想だけどさあ……

結論!!!UBIsoftはクソ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2024-08-24

anond:20240824235210

炎上正義だと思ってる人、多くね?

体感だけど若い子に多い雰囲気がある。教え子も炎上をむやみに怖がってた。

今回の例では、炎上自体女性への迫害だった。

社会マイノリティプレッシャーを掛けて大人しくさせたがるのは典型的迫害

歴史上、例に事欠かない。

内容がなさすぎて漫画として成立してない読み切り書いてくる漫画家ってなに考えてるの?

なんか結構あるじゃん

絵はそこそこなんだけど内容は漫画を舐めてるを通りこして、そもそも漫画として成立しているのかが怪しいレベルの。

小学生の壁新聞4コマ未満の「オチは?何が言いたかったの?」ってなる読み切りって結構あるじゃん

アレってマジで何がしたいの?

たとえば、

起 サラリーマンがふと会社サボりたくなり

承 電車で1時間ぐらいかけて海岸に行って

転 ビール飲んで人生振り返ったらスッキリして

結 戻って上司に怒られました

みたいなレベルの奴な。

病気の人が死神に合うとか、昔好きだった恋人と街であって情緒バグるとか、そういう感じでテーマ自体もどっかで見たような感じで中身の起承転結がこのレベルっていうのがマジで読んでてキツい

マジでなに?

お前それを漫画として世の中に出してどういう評価を受けたいの?

「才能がないよね」「絵は描けてるね」「死ぬまでアシスタントかな?」以外のファンレター帰ってこないと思うんだけど、マジで何がしたくて漫画家になったんだろこういう人って。

せめてテーマだけでも超インパクトがあればワンチャンな気はするけど、起承転結ゴミな奴ほどテーマも地味なんだよなあ。

無理やり捻り出せば何かしら思いつくだろうに「俺は実力派だから出落ちはしない!」とか気取ってるのかね?

冒険なすぎだよ。

テーマ冒険ってのは……あーえっと「魔法少女になった直後ふとオナニーがしたくなってなんとなくステッキを突っ込んだたら、ステッキモードが変形して抜けなくなった」みたいなのだよ……うんごめん……難しいね

でもプロならさー頑張れよなーって思うよなー?

暇空茜の弁護士・渥美陽子、「蟹開示」へ🦀

訴訟Youtuber暇空茜は「公金不正追求」の名目で集めた1億5千万円のうち1億を溶かすも特に今のところ不正を見つけていない

当初槍玉にあげていたcolaboから特に不正が出てこないので、公金関係は諦めて資金流用しての一般人相手への訴訟を乱発して敗訴が続いている

1億円が流れていった先の弁護団の一人であるの渥美陽子2023年12月に豪勢なカニを食べる写真掲載

その際の渥美のコメントは「ぐんたいガニがあらわれた!」 https://archive.md/Lzax6

「1億もらえばいいカニも食えるわ」と批判的に話題になった

カニいじりのツイートに対し、「エルフ地方議員」という名前Twitterをやっている者が、渥美のカニ写真転載しながらこう発言した

リーガル弁護団ネット上の誹謗中傷に悩む人々に施ししとる可能性もあるやんけ!あんまりケチつけるようなら、ぐんたいガニしかけるで!」

https://pbs.twimg.com/media/GVvd2YDXMAALO8T.jpg

渥美はこのツイートカニ写真著作権侵害をされたとして、エルフに開示請求を行った

エルフは暇空に対して批判的な言動をいくつかしていた

多分それ自体では開示請求は難しいだろう

暇空は「お前もひどい発言をしているか相殺」「お前は嘘つきで発言信憑性がない」「錯誤ではなく悪意を持って事実を捻じ曲げている」と敗訴判決文で書かれており、

東京地裁ではもう暇空というだけで不利な立場にあるようだ

訴訟原告(暇空)のいる東京だけでなく被告のいる地方で起こすことも可能なため、近ごろの暇空は東京地裁を避けて地方プロパイダの書き込みピックアップして開示請求をしていたが、

悪名が轟いていなくてもそもそも訴えに無理があるため地方でも開示の段階でほとんどつまずいていた

そこで、弁護士関係書き込み弁護士名義で開示請求させ、個人情報を買い取って暇空が訴えるのに使うという作戦に出たのだろう


以前に暇空の弁護士松永成高は「草生えた」の一文だけで開示請求する通称「草開示」を30件ほど起こしたが、

必要書類が入っていなかったり、他の人のところに複数書類が重複して入っていたり事務能力がまず異常に低く開示されたという報告はないまま終わった

松永中高生のころに2回警察に捕まっており、犯行の背景が特異なことから心理学者に克明に生い立ちを論文に書かれたことがある

心理学者プライバシー侵害で訴えるも最高裁まで争って敗訴に終わっている

端的に言えば「キレやすい人」なので暇空とは関係なく松永個人が怒りに駆られるまま勝手に草開示したかと思われていたが、

蟹開示の情報を暇空が共有しており、先日の文鳥開示も暇空から発表しているので、弁護士による開示は暇空の命令だろう

松永さぁ、依頼されて草開示してたなら書類の抜けがいか重複がないかぐらいちゃん確認しろ

そんな雑な仕事っぷりで数千万円儲かるとかボロい商売だな

anond:20240824143527

身体それ自体価値でしょ

他人にとってどうとかそのレベルしか価値を語れないのは、経済学典型的誤謬だね

anond:20240824180036

画力の拙さもエロ絵界隈になると「味」として認識されちゃうんだよな。

健全絵は飽和状態からけっこう上手かろうが同程度の絵が無数にあって目を引かない。

特殊性癖絵はシチュごとだと作品自体結構少ないか草の根を分けてでも探してるような人たちの求める性癖合致さえすればブクマが集中する。

anond:20240824163845

英語圏の人らは非英語コンテンツとしてまるっと認識してるからごっちゃにしてそう感はあるね。

https://www.netflix.com/tudum/top10/tv-non-english

というか英語コンテンツを混ぜたランキングというわけではないか世界的に評価されたと言うにはちょっと遠いのかも。

地面師たち」自体は凄い良い出来だと思うけど。

anond:20240824140845

それはあくま慣用句としての使われ方であって搾り取って捨てるから連想に過ぎないのでは

大体人を物に例える事自体は珍しくないんだからモノ化が悪とは矛盾してるだろ

Z世代って嫌いな人とか居なそう

好きの反対は無関心だから人間自体に関心無さそう。

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