はてなキーワード: 経済的とは
学校出て20代半ばまで簡単な仕事をして結婚したらそのまま専業主婦という平成前期までの家庭モデルって、経済的問題以前に主婦があまりにも無能になりすぎるという点でもう成立しないよなあ。
うちの嫁も、元々は無名大卒で勉強も大してできないタイプだけど、ずっと働き続けて特にマネジャーになって部下ができてからは明確に成長したなと見てて感じる。もしさっさと仕事辞めて主婦になってたらこの成長が無かったわけで、むしろ劣化してた可能性が高いわけで、そりゃ将来仕事復帰しようと思ってもパートがせいぜいって感じだったろうなと。
能力が低いと家庭運営も難しくなるだろうし、金がないことだけでなく人生のあらゆる側面に弊害が現れてくるだろう。無理あるよね。専業主婦。
一昔前はてブでもたまに登場してた反自民のインフルエンサー、きっこ氏なのだがあるツイートが話題になっていた
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1685259121669656576
きっこ@kikko_no_blog
岸田政権は「命に関わる猛暑です!できるだけ外出はさけてください!」と呼び掛けてるけど、どうして「自宅にエアコンがあって当たり前」の設定なの?わが家はエアコンを買う余裕などなく、自宅にいたら暑さで死んでしまうので、午前中から母さんと図書館や公民館に避難して夕方まで過ごしてますよ。
コミュニティーノートでエアコンを捨てた過去のエピソードでツッコミが大量に入っていた。
あたしは好きなだけ電気を使いながら原発に反対するのは筋が通らないと思い、この20年で、エアコン、テレビ、電子レンジ、掃除機、洗濯機、電気炊飯器など、多くの家電を捨てて来た。洗濯は手洗い、掃除はホウキと雑巾、炊飯は土鍋、ノートPCはソーラー充電。だから電気代は高騰した今も月1500円ほど。
が、違和感がある。
反原発の為とはいえ、親子で家に居ることすらできないレベルの節電は常軌を逸してるように思うし、
「エアコンを買う余裕がない生活」をしてる、とある。電気代もまともにかからないのに?
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1676915711145545728
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1671500112860971010
北海道産大豆の絹ごし豆腐、消費期限が明日までのやつが半額シールで82円で、あと、ホクトの霜降ヒラタケが98円だったので、両方とも買って来て
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1662038960938569728
アイコンの感じから50代とかなのかなとか思ってたけど思ってたより若いし
幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。
というのも、田舎だと幼稚園の人間関係が中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。
そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲットに自分が選ばれた。
だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。
ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚だけがこびりついている。
ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。
高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。
推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法で受験した。
あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大に合格したり、架空の大学の合格証書(今考えると有印公文書偽造でガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。
しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。
同じ学校の人間が地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。
結局大学院進学の時にようやく地元の人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。
その恐怖のせいでM2後期のころには精神がボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。
しかし意識的か無意識か地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。
最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。
このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。
両親は経済的理由から自分を実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。
その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。
実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元の同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。
ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間だからだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。
なぜなら学校を意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設に連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分が小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。
そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも、親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象でしかない。そのほかに信じられる人間もいない。
一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。
それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからだからだ。
実際「自分がいかに卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的な外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。
逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。
もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。
PTSDなんだろうかね?
余談
子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。
正義欲だかなんだか知らないけど、世の中逆にその正義欲とやらがなさすぎる母親が多いんだよ
娘が性的虐待されたら娘の味方になるどころか娘に嫉妬して虐待する母親、娘の意向を無視して夫や交際相手と別れない母はあまりにも多い。経済的に楽だから、彼くんが大好きだから、娘が我慢すればいいから…と。児相の調査だと、性的虐待が発覚してから実に20%弱の母親が、見て見ぬ振りで離婚などの手を打たないのだそうだ
増田でも話題になったろ。娘が再婚相手の義父から性的虐待されても「どっちも愛してるまた一緒に暮らしたい」などとほざいた母親、5歳の娘が実父に性的虐待されても家のローンがあるから夫を罰さないでほしいなどとほざいた母親
兄もまた子供であるのと、娘虐げ息子溺愛の西原理恵子的毒母の多さから、お兄ちゃんも辛いのよ我慢しなさいなどと言ってしまう母親は多い。あまりにも多い
子供の頃こんな無神経なことされて傷ついた、こんな被害を受けた、優しい夫がまさかの性的虐待、親は気づいてくれなかった、親は加害者の味方をした、一生の心の傷だ、苦しい…
そんな話を見ていれば不安になるのも仕方ない
C・ロナウドに「大谷翔平知っている?」ズムサタ国本梨紗の質問が波紋
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1690619075/l50
今の日本人はかつての経済的成功による自尊心と現在の国力衰退による劣等感で板挟みの状態になってる
だから「僕たちまだすごいよね?まだ落ちぶれてないよね?みんな僕たちがすごい存在だって言ってよ!」と、海外に対して自国の価値の高さをしきりに確認しようと躍起になっている
「youは何しに日本へ」みたいな日本すごい系のテレビ番組もその一種で、「わざわざ海外から来てくれるなんて日本はまだ価値がある国なんだ」と確認したくてたまらないわけ
幼少期は他の子供より抜きん出ていたのに、成長するにつれて追い抜かされてしまいアイデンティティの危機に陥っている中学生みたいなメンタリティなんだよ今の日本は
アメリカの「俺の国のことなんて知ってて当たり前だろ?」みたいな尊大な態度も考えものだが、少なくとも日本のキョロ充みたいなみっともない精神性よりはマシ
この増田もなかなかの「素質」を持ってるように見受けられます。
あとこっち持ってくんな、というのは正解で、日本には座敷牢というとても参考になるソリューションがずっと前から最近まで続いてた。
ネットでは公務員の年収が低いのどうのと言われるが、私自身に関して言えば、特に現状に不満はない。
私は国家一般職(旧Ⅱ種)で23区内の官署に勤めている34歳だが、昨年の年収は700万円ほど。
可もなく不可もなく。
人文系の大学院を修了してすぐの25歳で就職し、28歳で結婚。
同じ年に湾岸エリアのタワーマンション(2LDK)を購入して、今に至る。
ちなみに、特に親から支援を受けているわけではない。頭金は全額貯金を崩したし、ローンは私名義で単独フルローンである。
妻も働いているが、二人ともそれほど激務というわけではない。二人とも、趣味も生活もそれなりに充実している。
マンションを購入したタイミングがよかったというのもあるが、資産は年々増えている。東証プレミアの民間大手に就職した同期と比べても、生活水準でそれほど差があるとは感じない。むしろ、仕事にはかなり恵まれたほうだと感じている。
年収はこれからも年功序列で上がり続けるし、残業すればしただけ残業代はつく。
人事院勧告により、大手企業との差は常に修正されていく。そのうち週休3日制も導入されるらしい。
仕事にはやりがいもある。なにより、国家の基本的な政策に関われるのが大いに楽しい。
民間企業の人を見ていると、たかだか年収数百万円程度の差でマウントを取ってきたりすることもあるが、所詮はどんぐりの背比べであると感じる。日本の企業は基本的に横並び主義であるし、最近は少しずつ変化してきているとはいうものの、民間の転職サイトなどを見ても、同じような学歴の人が行くような同業他社に関しては、みなだいたい1000万円くらいの水準にガラスの天井があり、その前後で多少のバラツキがある程度にすぎない。ぶっちゃけ20代から30代半ばまでのサラリーマンなら、総合商社などを除けばだいたい同じようなレンジに収まるくらいの差しかないのである。
今後数十年働くということを考えると、自分の専門性やスキルを磨ける場所に飛び込んだほうがよいという考え方はあり得るが、その「専門性」や「スキル」について、どれほどの人が本質的に考えたことがあるのだろうか。特定の狭い世界での知識や業界経験やパワポやエクセルやマクロの組み方なんかを専門性というのではさすがにないとは思うが、専門性やスキルを磨けば「楽しい」人生が送れるのだろうか?それは世界を豊かにすることに役立つのだろうか?あるいは、人類の歴史に何か新しい知見をもたらしてくれたり、国や世界に関わる普遍的な仕組みに関わることに繋がるのだろうか?
そう考えていくと、私は今の仕事を続けながら仕事に関わる研究をしつつ、趣味でもそれなりの結果を残しながら、私生活も愉しみ、経済的にも安定した生活を生涯にわたって続けていけることが保証されている今の身分に割と満足している。
公務員でよかった、という考えの人はあまり目立たないので、結果的にSNSでは不満ばかりが渦巻いているように見えることもあるが、実際のところ、大半の公務員は現状の待遇についてそれほど不満は持っていないのではないかと思う。
若手の離職率が上がっているとされているが、これまで離職者がほとんどいなかったことと比較してのことであり、民間と比べればまだまだかなり低い水準である。民間の転職ブームが少しばかり、行政職公務員にも余波を与えているに過ぎない。倍率の低下もそもそもが少子高齢化なのだから、ある程度は仕方のないことであると思う。現に、中途採用者で募集をかけると、文系事務職に関してはすごい倍率になるし、入庁してくる方々もみなさん優秀な方々である。新卒の方々のクオリティーも特段低下しているようには見受けられない。
そういうわけで、私はこれからもこの仕事を続けていきたいし、子供が生まれたら子供にも公務員を勧めることにする。
もちろん、世界に羽ばたくことも選択肢としてあっていいと思うし、民間の世界も広くて深いわけだが、ただ、私は今の仕事が好きだし、今後も国家公務員として、この国のために少しでも貢献していけたら役人冥利に尽きるな、と思うだけのことである。
毎週金曜日の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」は好きな番組で、いつも欠かさず見ている。
特に「遠距離通勤・通学」が好きで、降車駅や自宅を推理しながら見てる(因みに有名コーナーの開かずの金庫はあまり好きではない。何となくパターンが決まっているので…)。
通勤は大人なので本人が好きでやってるんだろうしな〜って思うけど、学生が片道3時間近くかけて通学してるのを見ると、偉いねぇ〜親孝行だねぇ〜〜と老婆心がニョキニョキ生えてくる。
しかし最近ふと思ってしまう。もしこの子達の経済状況や、親御様の金銭感覚が違ったらどうなっていたのかなと。
コーナーの流れとしては、
→道中で簡単に雑談をしながら、どんな学校かや遠距離通勤・通学の理由のヒントを小出しにする
→翌朝の通勤・通学に同行し、通っている学校や遠距離通勤・通学の理由を明かす
こんな感じだ。
このシーンで、遠距離通学の場合は理由の一つに必ず「金銭的に親に負担をかけさせたくないから」が出る。
それはとても素敵だし、学生時代そんな意識が皆無だった私は大いに見習わなくてはいけない。
しかし「定期代は奨学金から捻出」「駐車場代、駐輪場代も本人が払う」「途中駅で3時間アルバイトをして、終わってから遠距離通学再開」などを見ると、「駐輪場代の数千円くらい、出してあげられないのかな……」と思う時がある。
経済状況は家庭によりきりだし、大学生ならば成人しているので、「自分のお金くらい賄え」という方針も理解できる。
だが私は意地汚い人間なので、小型犬を3匹飼っているご家庭の子が駐輪場代をバイト代で賄っている回を見た際「いや、犬のトリミング代を回してあげて!てか犬3匹も飼える余裕あるやん!」と心の中で突っ込んでしまった。
「いやいや何を言う。この子達は関東近郊だからまだいいだろ。実家が地方で、どうしても東京の学校に行きたい。でも経済的に苦しいから諦めざるを得ないか、オンボロアパートで奨学金を掛け持ちしている子もいるだろう。」ともう一人の私が言う。
確かに。そう考えると実家が関東近郊にあるのは有利だし、実家で大好きな家族と暮らしながら好きなことを学べるのは恵まれてるのか……。
いやでも「少しでも運賃を削る為に、学校前のバス停に止まるバスには乗りません!チャリで25分かけて駅まで行きます!」を見ると「…………偉いな。頑張れ」という気分になる。
なんか話がごちゃごちゃしたが、そんなこんなで最近純粋な気持ちで見れなくなってしまった。
みんな通学中の熱中症には気をつけるんだよ………
そういう人らは、友人とは言えぬ薄い関係の知人とつるんだり、商業誌やWebに軽薄なポエムを垂れ流すことが多いやで
五感が正常で、経済的にはそこそこ成功しているのに、虚構の世界を生きている人はもったいないと思う
思ったのは、こうした異常に軽薄な人は地方出身者に多いってことなんだよな
地方は以前は第一産業が主力であり、いま50・60代の親の世代は見合い婚も多かったと思う
自然と向き合い、相性を諦めて自分の妻・夫に向き合い、他人ではないが血縁者でもない地域の濃い関係と向き合う中で、諦めを覚えたのかもね
そしてその価値観が子供や孫に引き継がれたんじゃねーかなって思う。諦めても、日常の生活は続けなければいけないので、
心の健康を保つために、現実ではない世界を作り出すようになったのかもな
(もちろん、文章の装飾やアピールで迷走してしまっただけで、実際はそこまで現実逃避していない・軽薄ではないという可能性もある)
「どう考えてもそれ知人ですよね?」という人を友人と呼んだり、家族に向ける言葉や感情として適切か疑問を覚える文章を発信したり、
爛れた性風俗の延長上にあるものを美化したり(港区女子など)、現実と乖離したお仕事や地域の話をしたり、
土地の文化や歴史に敬意を払わずに『◯◯は代官山っぽさがある』とか『東京の◯◯はXX県っぽさがある』と言ったりする、
虚構の世界に生きてるので、五感が正常でも意味なく無い?みたいな
どうしたらこんなに現実逃避出来るんだろうって考えたときに、発達障害や精神障害なら然もありなんと思った
あと、そういう人らは、友人とは言えぬ薄い関係の知人とつるんだり、商業誌やWebに軽薄なポエムを垂れ流すことが多い
五感が正常で、経済的にはそこそこ成功しているのに、虚構の世界を生きている人はもったいないと思う
思ったのは、こうした異常に軽薄な人は地方出身者に多いんだよな
地方は以前は第一産業が主力であり、いま50・60代の親の世代は見合い婚も多かったと思う
自然と向き合い、相性を諦めて自分の妻・夫に向き合い、他人ではないが血縁者でもない地域の濃い関係と向き合う中で、諦めを覚えたのかもね
そしてその価値観が子供や孫に引き継がれたんじゃねーかなって思う。諦めても、日常の生活は続けなければいけないので、
心の健康を保つために、現実ではない世界を作り出すようになったのかもな
(もちろん、文章の装飾やアピールで迷走してしまっただけで、実際はそこまで現実逃避していない・軽薄ではないという可能性もある)
経済的貧乏と言うほど辛い子供時代てはないが、多く望まない事を受け入れて生きている
貧乏をハングリー精神に変えられる人すごいと思うが、自分はその貧乏の中で楽しめる事を探してしまう
だから、資格とって転職とか、休みの日にダブルワークをするという気持ちが理解できない
いくら年収が上がれば満足なのか自分の中に明確な目標がないから、今の年収で楽しめる範囲で面白い事を探してしまってワンランク上のものが見れない
世代の平均年収と比べて低い事が気にならないわけでもない。だけど自己肯定感が低い期間が長すぎて鈍臭いから当たり前だと諦めてしまっている
きっとこの考え方は普通の人はしないのだろう
もっとより良い生活の為に頑張ろうとするのだろう、もっと楽しい事を見つけて楽しむ為に稼ぐんだろう
みんなすごいよ
欲しい物に対して金がかからないから、ちょっとの我慢や工夫で良いものばかり
モテたいとも思ったがなんか見栄を張るのが疲れて早々にどうでも良くなる。考えただけで疲れるから偶に風俗に行くくらいで良い
旅行もしたいとは思う事はあるけど、行く事を考えるだけで疲れる
これはそもそもの話ではあるけど
田舎でやるような堅苦しい形式ではなく出会い系や結婚相談所とかそういう気軽な形に変化してね
実際以前は出会い系や結婚相談所なんて胡散臭いとか碌な人間が居ないし怪しいって感じる人が多かったけど
今はもうSNSも含めて色んな人が自分の好きなように異性と出会えるし実際に出会ってる時代なわけ
逆に言えば現代は選択肢が増えた分、自分から動かなきゃ行けない社会になったとも言えるから
待ってれば誰かが自分を見つけてくれる、みたいな運命の人を待つタイプは結婚が難しくなった
だからマイルドヤンキーみたいな自分から積極的に動く人達は強化された一方で、受け身な人達は何も得られずに弱者男性になった
そもそも自分から動かず助けてくれる人を待つその姿勢が、結婚を阻害してる原因なんだよね