はてなキーワード: 無趣味とは
日記です
過労死ラインギリギリ届かないくらいの結構ハードな仕事をしていて(全然ハードじゃないよと言う人もいると思うが自分としてはハードだ)
今日も深夜2時くらいに帰宅してボンヤリツイッターの趣味のタイムラインを見て今日もなにか揉めてるなぁと思い
2ちゃん(5ちゃん?)で趣味で好きなものが正論でボロクソに叩かれてるのを見たりしていて深夜3時
学生の頃から楽しんでたスポーツ観戦も今ではファン同士のマウントの取り合いや
あの選手のあのやり方は良くないだのチームが悪いだのファン層がどうだのなんだのの議論のほうが目につく
あんなに楽しかったのに私が楽しめないクソなファンになってしまったのか
ただ私が疲れてるだけなのか
見たくないのに癖で見てしまう私が悪い
平日忙しいから休みの日は寝ようと思うのだが入眠が下手過ぎて苦しい
休みはなんとか休もうとして無理に寝てみて入眠できず苦しんだり
じゃあ外に出ようと思ったら気分がどんよりしたり休みも全く楽しくない
このところ腹痛がひどい。明日は仕事前に病院に寄りたいのだが何時間寝れるんだろうか
職場の労働条件的には昼から出勤しても構わないのだがそれでは仕事が終わらないだろう
趣味が楽しくない
これが私のせいなのは分かっている
でも前述の通りなかなか寝ることもできない
外へ出ても疲れてどんより落ち込むばかり
正直疲れてるので申し訳ないけどそれも難しい
私は誰に謝っているんだろう
アラサー男、恋人なし、都内勤務、収入まぁ普通、仕事Web系まぁ好き、残業月20時間、友だち少ない。
趣味と言われると思いつかない。
でもまぁまぁマンガを読む。
「これ気になってたな」というマンガを思い出したらkindleで全巻買う。
Kindle Unlimited で1巻無料になっているマンガで気になるものを見つけて試し読み、面白かったら全巻買う。
この生活を1年2年続けていくと、気になるマンガもなくなってきた。
そうすると、不安になってきた。やることがない。
今日は、ぼーーーーっと天井を見てネットを見てうつらうつらして1日を過ごした。あとケンタッキーに行った。
読んだら全レスしますので、増田のめっちゃ好きなマンガを教えてくれませんか。
被ったら申し訳ないのでとりあえず以下に読んでる方向性を書きますが、百合もBLもシリアスもギャグもスポーツもコラムもなんでも読みます。
・好きなマンガ
動物のお医者さん/ポーの一族/G戦場ヘヴンズドア/放浪息子/虫と歌
平尾アウリ/きぎたつみ/缶乃
しったかブリリア/さよならフットボール/人間仮免中つづき/どるから/猫村博士の宇宙旅行/はぐれアイドル地獄変
・これだけはNG
犬が死ぬ
したいことも欲しいものもない。会いたい人もいない。
捻くれた人、暗い人のように思われるかもしれないけれど、そのような特徴すらない。と思う。
営業職でそれなりに評価されているので(必要がある場合の)対人能力は恐らく普通。学生時代は少ないながら友達もいた。
でも休日、家から出られない。したいことがなにもなくて家でスマホをいじり映画を観て過ごす。その映画もNetflixが私にすすめるさして興味もないもので、観てすぐストーリーのほとんどを忘れる。友人たちと疎遠になっていくのが怖いのに、結婚式の誘いすら断ってしまう。趣味をつくる努力をしてみたけれど熱中できない。
昔々買った服をずっと着ている。食欲もない。お酒も飲まないしたばこも吸わないしギャンブルもしない。恋愛体質でもない。安いアパートに住んで、貯金ばかり増えてなんのために生きているのか分からない、と時々思うけれど、なにか嫌なことがあるわけでも、なにか具体的に変えたいものがあるわけでもない。満足して(しまって)いる。
旅行もしない。人と一緒だとなおさら億劫。修学旅行は仮病で休んだ。卒業式の後のパーティーも成人式も行かなかった。後悔もしていない。
イベントごとは苦手、人混みも苦手で、でも知らない人と話すのは好き。でも数度会って話すとそれでもうよくなる。友人未満で自然消滅。
行けば楽しいかもしれないと思って行った旅行は思っていた通りの楽しさ具合で、早く帰りたいと思った。仕事で行った海外も知り合ったたくさんの人たちも人生観を変えてはくれず、とにかく時間だけが過ぎて、なにを得ているのか、なにを得そこねなにを失っているのか、よくわからずに漠然と不安。不安?退屈?さみしい?と、いつか思うことになる予感で不安?
労せずに得られるインプットだけで生きている自分の浅さがいやなのかと考えた。アウトプットするものがなにもない。話したいこと、言いたいことが特にない。語るべき自分がない。
でもじゃあたとえば休日にフットサルをするとして、そこでできた仲間が、その時間が、私にとって私のなにになるんだろう。ぜんぜんおもしろいと思わない。なにもそんなにはおもしろくない。
でももうすでに、自分が幾何学模様を描きたいわけではないことに気づきつつある。
一体なにが好きなんだろう。小学生の頃は父親が何気なく口にしただけの「将来の夢」を語って、中学の頃は誰のことも好きになれずつらかった。高校の記憶はほとんどない。大学は楽しかったけれど、ずっと一緒にいなくても会えば笑いあって過ごせる「友達」ができて、その関係の気軽さと、学生という身分の気軽さと、それが心地よかったのだと思う。ずっと一緒にいなくてもいい友達とはずっと会わなくてもよくなってしまった。もう学生ではいられない。
彼女いない歴=年齢で25年、友達から誘われて街コンに行った。街コンって行っても昼からやってるやつなんだけど。
合コンとか全然やったことない自分が参加したことを記念して、思ったコトを書いてみる。
・参加費は男たけえ。男9000女2000。しかも料理とドリンクしょぼすぎ。出会いの機会にだけお金払うって感じ。
・お店はすごい綺麗。男だけじゃ行かないようなダイニングバーを貸切。話しやすかった。料理はしょぼいけど。
・運営は何もしない。自己紹介シートとかも無く盛り上げもやらず席替え5分前を伝えるだけ。口コミを見てイベンター決めればよかったって思った。
・20代限定!ってやつだったからかもしれないけど、20台前半が大半を占めていたと思う。なんか年齢が高い方が参加率高いと思ってたから意外だった。
・ネットとかでみるようなブサイクとか必死な人は皆無。イケイケとかチャラついてる人もいなく、ふつーの人たち。女性はOL?が大半で男は学生っぽい人が多かった。
・30分くらい話して席替えを繰り返す感じ。ふつーに話してると時間経つの早いなって思うくらいで気まずくもならない。でも初対面の人と連続で話すって疲労感はやばい。
・終わったのが16時くらいだったから2次会とかの雰囲気なかった。夜の方がいいかも。
・趣味は何ですか?ってどこの席でも話してる。けど趣味がある人とか全然いないんだね。自分も無趣味だからホッとできた。
・連絡先は交換する時間を作ってくれるから絶対に交換できる。大変なのは一日に何人も交換するから覚えられないコト。「犬飼ってる人」みたいな記憶のみ。
女性に苦手意識を持ってたし盛り上がらなかったらどうしよう…とか思ってた。けど黙ってる人とかいないし笑ってくれたり、質問しあったりで純粋に楽しく会話できた。
LINE送って返信全然こないけど、人と会話するのって楽しいなって久々に思ったから気分はスッキリ満足。参加費は勉強代と割り切って考えられた。
なんでも自分は無趣味だから何か好きなことで楽しそうにしている人が羨ましいという。
自分は昔からいくつか好きな趣味があってそれなりに詳しかったりたくさんコレクションがあったりするので、最初は一緒に楽しめる仲間ができるといいなくらいの気持ちで勧めていた。
その人は最初のうちこそこちらが勧めた通りに初心者グッズを買ったりしてくれるんだけど、そのほとんどが長続きしない。
少し時間をおいてからこちらが「あれやってる?」みたいに聞くと「あーあれね。やっぱりちょっと合わなかったかな」とか言ってあっさり道具を売ったり捨てたりしてる。
自分としてはすごく好きなものを勧めたのに、「つまんないからやーめた」みたいにあっさり言われるとつらい。
でも無邪気にまた私の別の趣味に対して「今度教えて」みたいに言ってくる。
どうせ勧めてもまた「つまんないからやーめた」になりそうな気がして教えたくなくなってきてる。
こっちが損をすることではないんだし、あちらも趣味探しをしているのは本当なんだろうけど。
やっぱりつらい。
「 」とはどのような人種か、一つの目安として以下のものを上げたい。
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定職には付いているが職場での地位は高くなく中流から中流以下の収入
友達はほぼ居ない、もしくはゼロ、人付き合いも無し、コミュ症気味
見栄は張らず服にも金を掛けない、酒タバコもやらない場合が多い
漠然とした結婚願望はあるが具体的に何か行動を起こすわけではない
このような生活を惰性で続けた結果いつの間にか1000万近い貯金がある人
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以上です。
一般的にはつまらない人間とも言えるが、はたしてこの存在を無視し、放置していても良いのだろうか。
社会にとっては活かすべきダイヤの原石とも言える存在ではないだろうか
「 」に当てはまる人はかなりの数居ると思われるが実数は不明である。
ニートのように命名すれば、社会問題として何か対策が取られる可能性があるので名付けて欲しい。
ニートとは違い働いており、貯金もあるという点で社会として対策は取りやすいと思う。
ただ草食とも違う気がする…
というわけで
誰か良い名称付けてくれ!!
趣味のある人限定のやり方になるけど、Twitterアカウントを作って、同じ趣味の人をフォローしまくって、自分でも趣味についてどんどんツイートすると仲良くなる。
仲良くなってタメ口リプができるくらいになったら、そのうちどっか一緒に行きませんかって話になる。
アイドル趣味ならコンサート一緒に行きませんか、とかコンサートの前後で食事でも、ってなりそこから仲良くなり、普段も遊ぶようになる。
もしくは〇〇行きたい→じゃあ一緒に行きませんかとなる。
Twitterでバズってるこの民族料理のお店行ってみたい~とかそんな感じで。
もちろん住んでる場所が田舎だと実際会うのは難しいけど、東京住みなら遊べる人は見つかるはず。
そうやって自分は友達を作ったし、地方に旅行に行く時は地方の友達(フォロワー)と遊んだり、向こうが東京に来る時は遊んだり。
年齢も性別も服のテイストもなにもかもバラバラだったりするけど、趣味が同じだから楽しいよ。
無趣味の人はどうしてるんだろう……?
タイトルは結婚して数年経った私が使う、独身の友人の「結婚できるのかな…」というぼやきへのお決まりの返答だ。
だいたいめちゃくちゃに酔っ払ってる時に限ってそういう話になるのでかなり熱弁を奮ってしまい相手の酔いを覚ましてしまうので毎度反省している。
けれど、コレはかなり深い部分の本音だ。
それでもやっぱり「結婚なんかしなくてもいい」と思っている。
私は30歳を少し過ぎて結婚した。
仲のいい友人がひとり、またひとりと結婚していき少々焦りもあった。
けれどそれは「私だけ結婚できないのでは…?」という焦りではなくて
「私だけ誰からも選ばれないのでは…?」という焦りだった。
プロポーズがされたい。
誰かのたった一人に選ばれたい。
独身の私は自分の言っている「結婚したい」という願望は「プロポーズされたい」のルビが振られているのに婚約直前に気づいた。
私は、プロポーズされることで自分の承認欲求を満たしたかったのだ。
当時5年近く付き合って結婚の話も出ているのにプロポーズをしてこない彼(現夫)にちょっとイライラして、
「結婚するの?しないの?」と詰め寄った事があるが「そうだね~」と軽く流された。
別に「結婚する気がない」って言われたらその場で別れるとかそういうつもりはなかった。
ただ、「結婚する気がない人と付き合ってる」という心の準備が必要だからはっきりしてほしかった。
彼にもそう伝えたが、今思えば強がりやウソと思われていたかもしれない。
でも、結婚する気がある彼と付き合っていてプロポーズされないのと、結婚する気がない彼からプロポーズされない
のでは天と地ほどに差がある。
そもそも誰も選ぶ気がないのであれば選ばれないのも当然で、自分に否があるわけじゃない。
結局彼は誰かを選びたい人だったので、うだうだ待つのもめんどくさいからと半ば強引に入籍したのだ。
(選ぶ選ばない、という言葉を使っているがそれは私が結婚に対して「承認欲求をみたしたい」という願望が
あったためで、決して結婚は男が女を選んでするものだなんて思っていないことは付け加えておく。)
仕事や趣味で認められていたら彼に「結婚は?」詰め寄ることもなかったかもしれない。
けれど、仕事の能力も並で特別「私でなければならないこと」はなかったし、趣味はほとんど無趣味に近いし趣味の友人なんていなかった。
その点、結婚は日本では1人としかできない。彼が選ぶのはたった一人。
それが自分の中で分かった時、すごく楽になった。スッキリした。
すでに結婚は決まっていたし後悔もしていなかったけど、なんだか「な~んだ、私、誰かに認められたかったのか」と
自分の中にあったドロドロとした焦りの正体が分かって晴れやかな気持ちだった。
そこで周りを見渡してみると「結婚したい」と酒を飲み、酔っている友人たち。
軽い気持ちで聞いてみるとざっくりと「いい歳だから」「子供が欲しい」「親を安心させたい」というような理由が多いようだ。
いい歳、と言うけれど晩婚化が話題になっているし60代で初婚という話も最近割とよく聞く気がする。
そもそもいい歳、というと結婚しても専業主婦になる女性が少なくなっている現代。働き続ける女性にとって
結婚すると女性はいつ妊娠し育休に入るかずっと上司たちに気にされ続ける。
最近よく記事で読むような「結婚して子供を産んでも変わらずキャリアを積んでいます」という美談。
一応私は大手企業に属しているが組合が強く、女性社員の活躍がうたわれており組合が強いだけあって実際色んな制度も充実している。
だが、女性の管理職は少なく、その中で既婚の女性管理職はもっと少ない、
でも、結婚している人や子供を産んだ一般の女性社員は山のようにいる。
彼女たちは結婚し、子供ができれば産休・育休をとり、子供が小さければ時短勤務だ。
仕事だってそれなりにできる彼女たち。未婚の管理職と同じくらいの年数働いているのに管理職はこの中にはいない。
この現実をみてると、仕事を頑張りたい・いつか管理職になりたいという女性社員にとっては結婚は足かせなのではないかと思ってしまう。
子供だって、自分自身の覚悟があり、きちんと将来的に子供を納得させられる理由があれば未婚の母を選択して育てることは十分可能なのではないだろうか。
両親揃っていることが好ましい、そりゃ1人を人間を1人で育てるよりも誰かと分かち合った方が楽だし、子供にとっても頼れる相手が1人でも多い方が幸せだろう。
だけど、その分かち合う相手や子供が頼る相手は結婚相手じゃなくてもよいのではないだろうか。
自分の親兄弟でもいいし、信頼できる親友だっていいんじゃないかな。
血がつながってなくてはいけない理由も、同じ戸籍に入ってなければいけない理由もない。
親に花嫁姿見せたいよね、一生添い遂げるパートナーを紹介して安心して老後過ごしてもらいたいよね。
本当によく分かる。
親世代や祖父母世代は、子供が結婚するということに大変な安心感を覚えるのは自分の両親を見ていてわかった。
本当に子供から手が離れた瞬間だったんだと思う。自分以上に両親が幸せそうだった。
でもそれは、それ以外のことでカバーできると思う。
子供が本当に不幸でないことが、親にとって1番必要なことで、それには結婚は絶対条件ではない。
結婚しても不幸になるし、しなくても不幸になる。
結婚という要素の1つだけが、その人の人生の幸せ全てを左右するものではないと思う。
いまだに男女ともに「結婚して一人前」という意識が根強い社会だ。
ずっと「結婚したいと思わないの?」とか「なんで結婚しないの?」という質問を受け続けるし、そのうちそんな質問もされなくなって周囲の結婚の話題の際に気まずい空気を作り出す原因になるかもしれない。
結婚していればお互いでどうにか助け合えるかもしれないし、子供がいれば施設に入れるくらいしてくれるかもしれない。
でも1人だと、全部自分でやらなければいけない。
今ならいい、若いうちなら体調が悪ければ病院に1人で行けるし、病状もうまく説明できるだろう。
施設だって自分の希望にあった場所を探しせるし、空きがなければ他の施設も探せるだろう。
自分だけで移動できる距離・時間は限られてくるし、病状もうまく言葉が出てこないせいでうまく伝えられない。
運良く施設を見つけられても、諸々の手続きを老いた自分が1人でできるだろうか。
なにより、死んだ後だ。
誰かを頼らなざるを得ないときがくる。
でも、社会とのすり合わせも、老後も自分が納得・始末できればそれでいいんじゃないだろうか。
1人で生きていくと決めたなら早め早めに準備すればいいだけだ。
私は結婚を後悔なんてしたことありません!なんてきれいごとは絶対に言えない。週に3回は後悔してる。
お金やスケジュールが自分ひとりの判断では決められなくなったし、別にこっちは気にしてないのに「夜の飲み会は旦那さんに悪いから」という気遣いで呼ばれなくなった集まりもある。
反対に結婚していないとできないことってとっても少ない。
世の中には私も含めて物好きが多いな。
婚姻届をもって他人と家族になります。裏切りません。相手の人生にも責任を持ちます。
という内容の契約。
ひとりでも楽しく生きていける時代なのに、男女ともに結婚をしていないと一人前に扱われない。
だから言いたい。
いいんだよ、結婚なんかしなくて。
けれど、それはひとりでいたら得られる幸せを捨てることだ。
どっちの幸せを捨てるか。
前述したように、まだまだ結婚したら一人前という社会ではあるけれども、若い子たちはそうでもないんじゃないだろうか。
これから私達が生きるのは未来だ。口うるさい人たちはきっと私達より先に死ぬ。
それが選べる友人たちが少しうらやましい。
大体当てはまっていて、似たような人がいるかもとこれまでに考えたことがなかったので(考えてみればそりゃいるだろうと思うけれど)、おもしろかった。病名が付くという発想もなかったのでそれもおもしろかった。元増田の「これくらい普通でしょうか。考えすぎでしょうか。」に自分なりに答えるなら、生活に支障がないのなら普通だと思う。自分のなかの比較的普通でない部分をピックアップすると元増田の日記のようになるけれど、普通に人と話して普通に仕事をしているし、特に後悔もない。普通に生きていけている。友人関係や人生経験に「普通」最低ライン(一緒に何々できる人を友人と定義してそれが何人以上いなければ異常、とか)があると思う人のラインを聞いてみたい。個人的には友人がひとりもいなくたって普通の範囲内だと思う。
あたりは、大体かぶりそう。「~ない」の形での方が自分を表現しやすい。でもそういう人に聞きたい、興味本位なのだけど、ちなみになにが好きですか?どんなお仕事をされていますか?
私は
ビートルズのBlackbirdを聴くと、気分がとても落ち着く。
毎日のように、Spotifyのアコギプレイリストを聴いて、辛い人生をやり過ごしている。
なぜアコギの音色を聴くと落ち着くのだろうか?ミチロウが「お母さん!」と叫びながら弾くアコギでさえ、なんとなく気が落ち着いてしまう瞬間がある。
両親は俺にミュージシャンになってほしいようだった。父は子供の頃全国レベルの合唱団に所属していて、高校ではバンドもやっていたようだ。
父は、保育園児だった俺をピアノ教室に通わせ、アコギを買ってくれたが、俺は興味を示さなかった。
ピアノ教室は二ヶ月で辞め、ギターはインテリアになった。長い間換えていなかった弦は、中学の友達が割り箸をピック代わりにかき鳴らした時に切れた。
上京した俺は、アコギを買った。アパートでは練習が出来ないということに気づいたのはその後で、今ではインテリアになってしまった。
ピアノはともかく、あの時買ってもらったアコギに興味を示していれば、父親の人生をもっと楽しませられたかもしれないし、無趣味に苦しむこともなかったかもしれない。
今、俺は誰かが弾くアコギの音色に癒やされている。本当に素晴らしい楽器だ。
弾けたら楽しいだろうな。
先日も会社で皆で考えたある新しいアイデアの特許を取ろうという話が出てきて、
上の人に「頼むね」とか言われて、それが嫌で嫌でもう逃げ出したい。
何で自分がそういうことをしなきゃならないんだ。
皆でアイデアを出すのもいつのまにか取りまとめ役をさせられていて、
内心、嫌だ面倒だ何で自分が、と思ったけど断れない。
無趣味。やりたいこともない。夢もない。
就職活動とかしんどかった。
やりがいとか生きがいとか、自分に持ち合わせてないものを探しまわって無理やりでっち上げて、
まあまあ覚えはいいので仕事はそれなりにできるようになったけど
日々降りかかる仕事をこなすことだけで精一杯で、
たまに旅行に行くけどそれは現在から逃げ出したいからだってよく分かっている。
でも現状を変えることは何もしない。
昔からこんなことばっかりだった。
どうも周りからはしっかりしてると見えるらしく、
もう、足がすくんでいた。
結局サークルに別の揉め事が発生してその責任を取る形でやめたけど、心底ほっとし た。
「僕はやりたくありません」と言い切り、
担任に「出て行け!」と怒鳴られて泣きそうになりながら教室を出たこともよく覚え ている。
小さい頃から本当にそう。何かをするのが怖い。
どうしてかはなんとなくわかる。
ちょっと悪さをすると怒られた。
火をつけた線香をお尻にピッとあてるお仕置き。
されている場面を一回だけ鮮明に覚えているけど、かなりされたと思う。
それ以外にも大人になっていろいろ気がつくことがある。
自分は中学生ぐらいまで、戸棚や冷蔵庫にあるお菓子を食べるときに
必ず母ちゃんに「これ食べるよ」と言ってた。
この行為を大きくなってずっと不思議に思ってたんだけど、30の時に気がついた。
たぶん覚えてもいない頃に、勝手に食べてこっぴどく怒られたから。
それから食べる前に必ず母ちゃんに許可をもらうようになったんだ。
これも変な話だけど、幼心に大きくなったら自分は家を出ると決めてて、
小学校の2年生の時に父親に頼んで日本の地図帳と電話番号のメモ帳を買ってもらっ た。
家を出て全国を旅して生きようと思ってたから。
地図を見ながら電車で旅をし、行く先々で知り合った人たちの連絡先も書き留めない と。
今思うとけなげで微笑ましいけど、将来スマホができるとはわからなかったね。
結局18歳で家を出て、それから今までずっと一人で暮らしている。
一般に親が厳しい環境で育った子供は自発性が乏しくなると言われてて、
自分を振り返ってもまあその通りだと思う。
今でも実家に寄るのは少し気がひける。
帰るとは返したけどやっぱり気が乗らない。
どんな理由や要因があるにせよ、
親や他人のせいだというのは自分のせいじゃない風にできるから楽だけど、
それでも親や他人が自分の人生に責任を持ってくれるわけじゃない。
どんな方向だとしても、それは自分が選んだ結果だ。
そう思っている。
でもさっき、ふっと気がついた。
物心がつくぐらい、なにが良いのか悪いのかも分からないような子供が
天もひっくり返るような恐ろしい災厄なのかもしれない。
自分が興味のままにちょっと手を出した食べた走った言った、で災厄が降ってくる。
けれどなぜ災厄が降ってくるのか、その大人の道理が子どもには理解できないとした ら、
子どもなりの災厄を避けるベストな方法は「何もしない」ことかもしれない。
「何もしない」という生き方を、今も守っているのかもしれない。
その生き方で曲がりなりにもここまで生きてきた。
いいとか悪いとかとは別に、よく今までここまでやってきた。
と日曜日の昼下がりに布団の中で思った。
社会的に「正しい」大人として振る舞う上で大変重要なことは、物事へこだわるという感覚自体を無くすことだ。
「正しい」大人は何事にも一定以上の大きな情熱を持たないし、ましてそれが自身の「社会的機能」に優先することはない。「家族」は例外とも見ることができるが、これはどちらかというと社会的機能の一種と考える方が正しいだろう。「趣味のようなもの」をやっている「正しい大人」はいるが、それは拘りや情熱から来るのではなく、社会的機能を補強するものとして位置づけている人がほとんどである。
全てを社会的機能から発想する人間は、他人もそのように振る舞うべきであると考える。それが社会的機能だからである。そしてこれらは大抵の場合無自覚に行われる。それを自覚するということ自体が社会的機能にやや反するためだ。従って件の増田のように「年相応の趣味をやるべき」などという曖昧な物言いが出てくる。その真の意味は「大人が情熱や拘りから来る趣味などを持つな」という意味である。