はてなキーワード: 注射とは
今でこそ男性側に問題がある不妊の話がよくされるが、20年前はとても人前で話せるものでは無かった。
結婚してからも妊娠の気配が無かったし、妻は生理不順だったので産婦人科で検査を受けた。 その先生は「もしかするとご主人に問題があるかも」と言われ、私も検査を受けたが(この時は自宅で採取したが)、結果私に問題があることが判明(精子の数が非常に少ない)、治療を受けることになった。
最初の数ヶ月は、漢方薬の投薬と男性ホルモンの注射。その後、人工授精法(AIH)になったが鮮度が大切ということで病院で精液を採取することに。
その病院では院内の小部屋(といっても空き部屋を転用した)がその場所になっていて、椅子と診察台、数冊のHな雑誌が置いてあり、自分でマスターベーションしてプラスチックの容器に入れる、こう書くと簡単に思えるが男性はそう簡単に勃つものではないのだ。(美人の看護師さんがヘルプしてくれることは絶対にないし)
ありがたいことにその部屋には夫婦で入ることが出来たので、奥さんに手伝ってもらっての採取となった。(後で聞いたところでは、ご主人一人で頑張った人や、奥さんが相当努力して採取された人もいたようです。)
その病院でAIHを何度も試みたが妊娠に至らず、別の病院を受診したが、その病院ではトイレで採取するように示指され、二度と行かなかった。
結局はその後数ヶ月して自然妊娠したが、女性の不妊治療は20年でそれなりに進歩したのに対して、男性不妊の治療方法はまだまだの感がある。
同時に精液の採取方法も20年まえとあまり変わってはいない。雑誌にDVDが増え、採取部屋がそれ専用の綺麗な部屋になった程度だろう。
病院で採取するのは、デリケートな男性にとっては勃つのも大変で、奥さんが相当努力して採取するケースがあるもの20年前と同じだろう。
ご主人が治療を受けている奥さん、男性はプレッシャ-にも弱いということを理解してほしい。 どうかご主人を「勃てて」あげてほしい。
既に別の増田が答えてくれたが、
A1.生える人は生えるとの事。
私はまだ脱毛を初めて序盤なので予想だけど多分細い毛が生えるんだろな。
永久でもまた生えてくるっていうのは。
A2.人によるけど多いと思うよ。
尻周りはわき毛とかすね毛とかに比べるとマジで深刻、ケツ穴周りだけでも生まれ変わってほしい。
ケツ毛バーガーなんて話題が出た時は真っ青になったもんだ。
たまに太い毛が伸びてて憎しみを込めて抜く。
脱毛の予定はとりあえずこのひどい腹毛をどうにかして余力があったら近日中にやりたい。
でも冬になって過度な日焼けがなくなるので鼻の下とかの脱毛するからまた今度かな。
私はホルモン注射の増田ではないけど、ホルモン注射打ちたい気持ちもわかるわ…。
来世頑張ろうな、来世はつるつるに生まれ変わるぞ。
元増田じゃないが
A1.永久脱毛と言ってもまた生えてきた、という話はたまに聞く
超痛い「針脱毛」ならば再生の可能性は低いが(それでも再生する場合もあるらしい)
また、毛深ければ毛深いほど通う回数が増えるので、毎回痛いしその分余計に金がかかる
A2.ケツ周辺の脱毛は割とやる人増えてる
理由はだいたい男が「毛深い女ってイヤだよなwwwww」などと宣うから
あとは蒸れの問題もある
A3.生える人は生える
私は生えてるんで太いのだけ地道に毛抜きで抜くが、気付くと生えてて悲しくなる
元増田って前に「毛深いからホルモン注射打ちたい」って言ってた人?
別人だったらごめん
毛深いの辛いよね
来世に期待しよう
さっきの毛深い増田だけど
ヒートカッターっていうのがあってだな、熱で毛を焼き切るから毛先が丸くなるんだよ
そのちっこいヒーター部分でちまちまやってると
「何時間かかるんじゃやってられっか!ぉりゃあああああ!」ってなるんだよね
コスパと毛ない状態の持ちでいったら、ソイエみたいな脱毛機が最強で
もちろんソイエも持ってるんだけど痛いから…。
YIOもあれで抜いてたことあるけどうしろのほうは見えないし危ないし、すねの5倍くらい痛いから…。
ホルモン注射は体調悪くなったり肌荒れしたりするらしいから、もしレーザーより安くても厳しいw
ちなみに剛毛だと終了までの回数が増えるそうだ
学校から家に帰るとオヤジに投げ飛ばされ失神し倒れていた時もあった。
俺は二人とも好きだっただけに辛かった。
多くの思い出は夫婦喧嘩ばかり。近所に住んでいたおばちゃん(母の姉)に「すぐきて~っ!」て呼びに行ったことは数えきれない。
原因は親戚関係にあった。
誰かに病気や不幸があれば「仏壇の管理が悪い」とイチャモンと付けに来る。
オヤジにではない。母さんにだ。
そんな親戚を私は今も恨んでいる。
そして母を守らなかったオヤジも恨んでいる。
母の母、ばあちゃんがボケてからというもの、良くある話が頻発。
「誰々の家ではご飯を食べさせてくれない」
「誰々が誰々の文句を言ってる」
ウチはオヤジの仕事の都合で転勤があってばあちゃんを引き取ることができなかった。
短い間ではあったが面倒を見ていた母の兄の転勤を機に病院へ入れることに。
ばあちゃんは「・・・・(母さん)と一緒に住みたい」と言ったらしい。
しかしそれはできなかった。
なぜかは分からないが母は兄弟姉妹に入院するまでそれを言わなかった。
おばちゃんにだけ伝えていた。
母は袋叩き。母対一番下の妹との取っ組み合いの喧嘩も見せつけられた。
私が小学2年の頃。40過ぎた今もはっきり情景が焼き付いている。
母の手術後もだれも見舞いにすら来ない。
回復後も同じ。
オヤジ方もそう。
おばちゃんだけが拠り所。
それを気遣ってか、親もおばちゃんも1万円くれる。
だから毎年2万円。まあ友人たちよりは少なかったが不満はなかった。
私が小学6年の時、母の癌が再発する。
後から聞いた話だが、オヤジには医者から余命2年と告げられていたらしい。
でも私もある程度悟っていた。
入退院を繰り返す。
その度に痩せていく。
私がギターが欲しいと言ったら母の同級生からギターをもらってきてくれた。
中学2年の頃、思い切って、エレキギターが欲しい、と言うと「いいよ、上手くなったもんね」。
当時は高価だったエレキギターとギターアンプを買ってもらった。
おばちゃんに「私は反対だな」と言われたとき、冗談で「何かあるのかな?最近全然反対しないんだよ」といったらおばちゃんの血相が変わった。
明らかに動揺していた。多分おばちゃんも悟っていたのだろう。
「ま、まああんたは勉強も部活も頑張ってるからじゃないの・・」とだけ言われた。
入退院を繰り返す。
入院のきっかけは呼吸困難。私はたまたま直面しなかったが、姉が2度救急車を呼んだ。
そして2,3週間で退院。
もう確定だ。母さんの体は小さくなり、顔や肩にこぶができ始めていた。
ご飯は自分で。洗濯も自分で。家の掃除は気が付いた人がやる、という暗黙のルールができていた。
たまたま友達が腎炎になり数か月入院していたので見舞いがてら学校帰りに病院に遊びに行っていたようなものだ。
それでも母は喜んだ。友人も母といろいろ話せるようになっていた。
しかしこの頃から急激に体が弱り始め、会話もやっとの状態になった。
4月に入り、急に疎遠だった親戚連中がやってくるようになる。
「ごめんね、ごめんね」と泣きながら話しかける奴ら。私にも「久しぶりね、元気だった?大きくなったね」
鳥肌が立つ。なんだこいつら。
同時に母の死期が近いことが分かった。母を見て明らかだ。そして個室へ移された。これは常識的に「最後」であることを意味する。
姉と冷静に話す。
「そうかもね・・・」
その3日後、早朝に電話が鳴る。
「来たな」
「来たね」
病院に着くと呼吸困難の発作が出ていた。
ほとんど口をきけなかった母が叫ぶ。聞いたことのない大声で叫んでいる。
そう叫びながら処置してくれている先生の白衣をぐいぐい引っ張っている。
先生も大声で「大丈夫!大丈夫だから!ちゃんとやってるからちょっと離して!注射打てないでしょ!」
ヤバかった。見ていられなかった。計器の音と叫び声だけが響き渡る病室。
小一時間ほどで状態が落ち着く。その日は日曜だったが私の部活の催しがあった。
オヤジに「落ち着いたようだから行って来るわ」と言い残し、家に行って道具を持って体育館へ。
着替えていると体育館の職員さんが大声で呼びに来る。
「親戚の人が来ているよ!急いで!」
事情を聴いたんだな。それよりも「あちゃ~来たか」という感じだった。
仲間に聞かれても「いや、そのうち分かるから」と言い残して病院へ急ぐ。
到着したとき、母さんは亡くなっていた。
タイミングよく集まった親戚中が泣いている。
この時初めてオヤジの涙も見た。
でも私は不思議と涙が出なかった。「やっと楽になれたね」という気持ちが強かった。久しぶりに見る母の安らかな顔。
人とは不思議なもので、毎日痛みに襲われ続けると表情や顔のカタチすら変わってしまうものなのだ。
手を握るとまだ温かい。
私は一言、「お疲れ!」。
周りは煽る。私を泣かせようと煽る。なぜ泣かないのか、悲しくないのか、とまで突っ込んでくる。
いい加減、ついに私がキレる。
「おめぇらに何が分かる?!うるせぇんだよ」
病室の外でも言い合いが。
オヤジと私を迎えにきた親戚だ。
「なぜ(私を)行かせた?!誰が許した!」
「俺だ!何か文句あるか!」
胸ぐら掴みあってる。
私が割って入る。
「アンタに何が分かる?俺は見ていられないから行ったんだよ!ドラマみたいな場面作られても満足するのはオマエらだけだろうが!母さんは分かってくれてんだよ!」
で、全員に
「つうか、てめえら急に兄弟ぶりやがって何様だおらぁ!」と壁パンチ一撃。看護婦さんに止められる。
中学3年のガキとはいえすでに身長は180cm、体格は大人、しかもヤンキーときた。誰も止められない。
シーンとする。
「アンタのムスコ、やっぱり立派になったよ。いい子だねぇ。育て方間違ってなかったよ。あれだけ辛い思いさせても大丈夫だったんだよ」
「お母さんね、いつも私に言ってたんだよ。教育上良くない場面を何度も見せてきた、母親らしいこと何もできなかった、一番母親が必要な時までいてやれるかな?って」
兄弟姉妹たちはぐうの音も出ないで押し黙る。私はその一言で涙腺崩壊した。
通夜には大勢の人が訪れた。クラス全員、姉のクラスも。そしてオヤジは金融機関勤めだったのでその関係者。豪勢な式になった。
遺族席でいるとひときわ号泣して要る奴がいる。あの母と同時期に入院していたアイツだ。
聞くと、私がいない時も母の病室に行き、母と話をしたことがあったらしい。
その時に「あの子をよろしくね。これ内緒でね」と毎回言われていたそうだ。そいつの退院が決まった時も車椅子で声を掛けに来てくれたという。
そいつもそんな人前で涙を流すような奴じゃない。この話を後から聞いた時の方が参った。アイツも参ったらしいが。
親戚は帰るときも「これからはちょくちょく連絡取ろうね」と言い残したが、
おばちゃんから伝え聞いた話によるとその後も親戚関係はぐちゃぐちゃだったらしい。
母と取っ組み合いの喧嘩をした妹は旦那が会社の金を横領、その穴埋めができずに旦那が夜逃げ。
家を取られまいと抵当権を外すために兄弟じゅうに借金。子供の学費の工面で借金。
もう何年も前に話なのに誰にも一銭も返していないことでいまだにモメているという。
誰でもどこの家庭でも何かしらの問題は持っている。
しかしウチの親戚連中は結構ひどいな。みんな仕事は立派なのだが。
今はおばちゃんも亡くなり、長兄も亡くなり、オヤジ方を含めみんな年老いた。
生きていても、離婚した人、精神病院に入ってしまった人、奥さんが自殺した人もいる。
某携帯キャリアの開発部門で立派にやっている人もいるし、教員も多い。みんないろいろなんだ。
親族間のつながりの希薄化が言われているが、悪いことばかりじゃない。
遠くの肉親より近くの友人。
的を得ている。
でも親族が円満な人たちがうらやましくなる時もある。
母さん、おばちゃん、俺はこの生き方でいいのかな?
事あるごとにどちらに進むべきか聞いてきたけど、言う通りにしてきたぜ?
自分なりに全力も尽くしてきた。
母さんに言われた通り「どんなことがあっても女性に手を上げてはいけない」も厳格に守ってる。もちろんムスコにも同じように伝えてる。
最近いろいろ考えるんだ。
今、心を病む寸前かも知れない。声が出にくくなってきた。震える。人と会うのが怖い時が多くなった。
でも無理矢理「これでいいのだ」と言い聞かせている。
これでいいのかな?
やりたいことはたくさんあるんだけどな。
上手く行かないことばかりでさ。
そうなったら俺一人になるな。
一人でやって行けるかな?
なあ、どうして最近出てきてくれないんだ?
間違ってるなら間違ってるって言ってくれよ。
あの頃あったはずの自信がないんだ。
人工透析を受けていて、数日置きに病院に掛かっている人なんだが。
自分の掛かっている病院にも、日本の医療制度にとにかく不満がたまっているらしく年中愚痴が日記に綴られているんだけど。
そりゃ、無理もないって判るんだよ。数日毎に不快な数時間を半永久的に過ごさなきゃいけないイライラってのは、想像に尽くしがたいってのも判る。
その人が考える限りの合理的で注意深い完璧な医療が受けられず、致命傷になっていないとは言え合理的とはいえないミスが度々ある事に憤慨しているらしい。日本のクソな医療制度、バカで倫理観の欠片もない医者、無能な看護士とか罵倒語が並べられていて、知り合いだから割り引いて読んでる自分でも多分にゲンナリする内容なのですよ。
そりゃ、医療ミスがあれば最悪自分が死ぬ可能性だってあるってのも判るよ。ただ、その医療関係者だって好き好んでミスしてる訳じゃないし、技術の上手い下手があるにしろ可能な限りベストを尽くしてくれようとしてるって、理解もしないといけないんじゃないのかな?と。あんまり書かれてないから、よく判らないけど、その人はそういう時、食って掛かって猛抗議したりしているみたい。病院で要注意人物として扱われている感じは伝わってくる。
結局、最初の話に戻るけど、無理もないってのも判りつつ、何ともいえない気分になるってだけなんだけど。まぁ、自分がそういう立場になった時、医療関係者のミスとか注射が下手だとか、そういうのをニコニコ笑って許せるか?っていうと、それはそれで自信が無かったりするんだけど。
1年前の自分は一体何をしていただろうか。
もう思い出すことさえ出来ないけれど、徹底的に非感情的なデータは1年前の自分が何をしていたかを、徹底的に非感情的に示してくれる。
調べてみて驚いたが、1年前の自分はまだこのアカウントを持っていなかったらしい。そんな時間の感覚さえ失われている。
1年前の(別アカウントからの)情報によれば、1年前のぼくは今はほとんど関わりのない人からの祝福を受けていたようだ。調べてみて初めて思い出すことである。
「○○(アカウント名)は引きずるタイプ」というリプライを僕は1年前のちょうど今頃受けているらしかった。全くそのとおりである。情けないのやら腹立たしいのやら。
また1年前の僕は嫌な夢を見ていたらしい。夢の具体的な内容は示されていない。どんな夢を見たんだろうか。そんなことさえ覚えていないし、今の自分からすれば思い出したくもない。
1年前の僕はサウザーの「こんなに……こんなにつらいのなら……愛などいらぬ!」という台詞を共感レベルで理解していたらしい。どんだけ辛かったんだお前。
そしてそのあと僕は飲みすぎたのだ。20歳を迎えたことをいいことに、もうなんの制約もなく、辺縁系が命じるままに酒を煽ったのだ。
僕はその日病院に行った。内科の先生に呆れたような顔をされながら「僕もね、学部時代先輩から浴びるように飲ませられてゲロゲロやってたから」なんて言われたことを思い出す。
注射を打たれたあと、薬をもらうため薬局の待合室で酔いがぶり返してのた打ち回った。
あのときそばにいた薬剤師さんや看護師さんたちはどんな目で僕を見ていたんだろうか。想像するだに恐ろしいと言う他ない。
僕は1年前から性癖を研究したがっているらしかった。今でもその志向はあまり変わっていないように思える。
そして「約」1年前から僕は僕の、少なくとも高校時代は心の拠り所だったと言ってもいい部活から、離れることになったように見える。
そのころはまだ「彼女」とリプライのやり取りをする程度の関係ではあったらしい。
あれから1年、自分がどういう成長をしたか、いまいち自分では測りづらい、というのが嘘偽りない正直なところだろう。
成長したところもあっただろうし、退化したところもあっただろうし、成長によって退化もすれば、退化によって成長もしているように思える……。
1年前、僕は確実に失恋のダメージに打ちひしがれ、そのダメージにかこつけて酒を煽った。
失恋のダメージ、というよりかは、僕の、その時点ではたった一人愛していた「はず」のその父親に無碍に扱われて僕は傷ついたのだと思う。
未だにそこから逃れられているのかどうかは本当に怪しい。今彼女が五感のいずれも刺激しないからこそ忘れられているだけなのかもしれない。
記憶を抹殺しなければならない。だが、それはどのような手段によってそれは可能になるのだろうか?
MIBにはスティック様の忘却装置が登場した。自分の都合のいい記憶だけ忘却できるとすれば、それはなんと幸せなことか!
現実はそれ――科学的な忘却を許さない。あたかもその記憶に分厚いカンバスを覆いかけるように――抑圧し、見えなくすることしかできないのだろう。
しかしそれこそがまさにスタンダードな忘却な方式なのである。人間一つのことに集中しているとき、その他のことはなかなか頭に入って来にくいものだ。
ところが、である。今の僕は1年前の忌まわしき記憶を覆い隠すことのできるカンバスを持ち得ているだろうか?
そう、こここそが今僕の抱える一番大きな問題なのだ。僕は科学的な忘却も、記憶を覆い隠すカンバスも持ち得てない。そんな人間は一体どうやって生きていくべきか。
答えは明白でありながらとてつもなく遠い。カンバスを手に入れるか、科学的な忘却を可能にするかのどちらかしかないのだ。
科学的な忘却? MIBのスティックを僕が開発するのは無理だ。となれば、僕に残された道はカンバスを手に入れるしかないということになる。
はて、どうやってカンバスを手に入れるか。
前回の「ペプチのこと。」に思いのほかのご好評をいただき、作者としても大変嬉しいです。ありがとう。
ただ残念なことに、あの記事を「ペプチドリーム(以下「ペプチ」)擁護」と受取る向きが予想外に多かった。
おそらく、
こういう前提知識を持った上で、ペプチの開示をぜひ読み返してほしい。と書いたのが、「ぱっと見た感じほどの大きなニュースじゃないんだよ。説明が下手なだけ。大丈夫だ問題ない」と単純に言っているように受け取られたんだと思う。
おそらく、受け取る印象が多少なりとも(ひょっとしたら大きく)変わるはず。
既存: アライアンス事業 【これまでのステージ】と明記されている。
新規: 自社創薬研究開発の推進 【これからのステージ】
ペプチの仕事を思いっきりカンタンに大雑把に言うと、この(1)(2)をめでたく生き延びたら、いよいよその化合物は(相手方がそう意思決定してくれれば)リード化合物として臨床試験に向かうことになり、ペプチには(3)の「創薬開発権利金」以降の売上計上がはじまる。
(1)契約先から指定されたターゲット蛋白などに結合する特殊ペプチドやライブラリを作って納入する、
(2)納入した特殊ペプチドを契約先と一緒に検討する(契約先がラボで試験とか動物実験とか)、
(3)契約先がその特殊ペプチドを薬として本格的に開発する(そして運が良ければ薬として承認される)、
の3段階。
※誤解のおそれのある表現があったため(3)を一部書き換えました。
(1)(2)(3)をパッケージにした契約を最初に締結してる。という点だったはずだ。
昨日、出産するのに「2人目の壁」があるってニュースでやってたけど、2人目産むの本当に無理ゲーすぎるよ。
ただでさえ、上の子の風邪とか予防注射とか健診とかで会社の有給はカツカツ、同僚の顰蹙買いまくりなところ、更に妊婦健診とか行けるかっつーの。
1人目の時は、妊婦健診で遅れた仕事は残業して取り戻せば良かったけど、今は保育園に迎えに行かなきゃいけないから残業も出来ない。
苦肉の策として、夜7時までやってる病院を探して仕事が終わってから子連れで妊婦健診に行くことにしたけど、上の子としてはお腹は空くし退屈だしで騒ごうとするのを抑えるのが本当に大変だった。
いや、ここまでは単に「大変で疲れた」だけなのでまだ全然良かった。
疲れたのは我慢すればいいだけだもんな。
本当に困ったのは、早産傾向があると診断されて、上の子抱っこ禁止、早歩き以上厳禁、と言い渡された時からだ。
ここから先は、もう「大変」どころではなくて、「物理的に無理」の世界だ。
7時半ぴったりに預けて、始業時間の8時半に会社に着くためには、どうしても途中の乗換で小走りになる必要があった。帰りも然りで、5時半に就業して6時半に迎えに行くためには途中の小走りは必須だ。
時短にする? ただでさえ会社に迷惑かけているのに? しかも当然時短にすれば給料が下がる。保育料月6万以上払ってるのにこれ以上給料下がるなんて……。
それから、抱っこや小走りが出来ない身体だと、上の子が予想外の動きをした時にとっさに止めることが出来ない。
上の子はイヤイヤ期で、ベビーカーには絶対に乗ってくれないので手をつないで歩くしかないのだけど、この歳の子なんて、そりゃもう予想外の動きしかしないと言っても過言ではない。
保育園に行く途中、手を振り払って車道に飛び出そうとすれば、走って追いかけて抱き上げて止めるしかない。
横断歩道の真ん中で「ぼくつかれたー」と座りこんでしまえば、信号が赤になる前に抱っこして歩道まで運ぶしかない。
スーパーで勝手に商品に触ろうとしたら、やはり走って追いかけて抱き上げて止めるしかない。
世間の顰蹙を買う覚悟でハーネス(いわゆる散歩紐)を付けようとも思ったけれど、残念ながらうちの子は死ぬほど嫌がってつけさせてはくれなかった。
よくネットで、ハーネス使う親や、2~3歳の子をベビーカーに乗せて電車に乗る親とかが批判されてるけど、あれ、高確率で下の子を妊娠してるんじゃないかと思う。
で、結局どうなったかと言うと、会社で倒れて病院搬送されて、今は上の子共々実家にお世話になっています。
仕事はお情けで休職扱いにしてもらってるけど、復職できるかどうかは分からない。
30代なかば。
重度の男性不妊が判明したため最初から顕微授精を行っているが、
これに気をよくした私は、二人目、三人目も
治療さえすれば授かることができると考えていた。
一人目が2才になったころ、二人目の治療を始めた。
一人目の治療のときに採卵し、顕微授精させ凍結させた杯がまだ3個あった。
1個目の移植は着床。
成功にも、出産にもなんの疑問も持たなかったが10週ごろ初期流産した。
歩いていると、ぬるっと血の塊が出てくるのがわかった。異様な感触だった。
まだ凍結杯が残っているし、
2個目の杯は、着床しなかった。
そろそろ着床しなくてもおかしくないと納得した。
3個目の杯も、着床しなかった。
このときはさすがにショックだった。
結果を告げられた瞬間、体温が上がり、
動機と赤面が抑えられなくなった事を覚えている。
採卵はその非ではないほどお金がかかる。
40万~50万かけて採卵する。
年月がたち、
年齢こそが大きな不妊の原因となっている事は明らかだ。
年齢は30代後半になっていたが、
幸いにも複数採卵ができ、
うち4つが受精卵となった。
そして移植。着床した。順調に育った。
不妊治療のクリニックから産婦人科に転院し、母子手帳ももらった。
そして、母子手帳を持って受けた最初の検診で、胎児の死亡が確認された。
二人目の子供は、おなかの中で死んでいた。
がんばったね、ありがとう、と泣きなが検診の二日後に死産した。
二度目の採卵ののち2回目となる移植は、着床しなかった。
着床しなかったことそのものについては
あきらめがついたものの、
焦りは加速した。
つまり、一度失敗すると、その周期をあわせ4ヶ月がたってしまう。
30代の終わりがせまっていた。
通算6回目の移植は、着床まではこぎつけたものの、2回目と同じく初期流産となった。
一度妊娠判定が出て、
今度こそと喜んだ直後の事だ。
下着についた大量の血を見たときは、
顔から血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
これが、つい先日の話だ。
恐ろしいのは、ここまでしてまだ
あきらめがつかないという事だ。
なんと欲深い事だろう。
今日も私は、
自分よりも長く、
ネットで探しながら
精神的にも金銭的にもきついが、
何より治療のきつさがふきとぶような喜びを、
傍らにいる子供は与えてくれる。
ただひとつ後悔があるとすれば、
それは子供を作ろうと思った30代前半のころ、
原因は私にあると考えさらに1年近くが過ぎた。
どちらのせいだという話ではなく、
あの無駄にすごした3年がなければ、
治療を3年早くすませていれば、
もう一人子供を授かることは
ここまで難しくなかったかもしれない、と思う。
女性手帳が話題となっているが、
男女二人の問題である。
若いうちにしっかり知っていて欲しいと思う。
気持ちを落ち着かせるつもりが
しかし気持ちは少し落ち着いた。
そしてもしここまで読んでくださった方がいらっしゃるなら、
このへんに触発されたので、簡単にまとめてみる。意外とよく知らない人が多いみたいだし。
http://anond.hatelabo.jp/20130505120241
http://anond.hatelabo.jp/20130504200740
不妊治療と言うと、試験管ベビーみたいな印象が強いかもしれないけど、ピンからキリまでいろいろある。
以下、分かりやすさを重視して書くので、正確な表現になってない部分があるのは容赦してくれ。
いちばん「キリ」なのがこれ。
卵子は排卵してから24時間しか生きていないので、排卵して24時間以上経ってから何回セックスしても、その月に妊娠するのは不可能。
一方精子のほうは3~4日くらい生きてるので、排卵日の前日とか前々日くらいにセックスするのが理想だ。
排卵日は、「生理開始日から2週間後くらい」とか「毎朝体温を測って、低温期から高温期に移り変わるあたり」とかで一応素人でも予測可能だけど、人によっては生理不純だったり、体温がバラバラだったりして分かりにくいことがある。
そこで、超音波とか尿検査とかで正しい排卵日を予想してもらい、いつセックスすればいいのか教えてもらうのがタイミング療法。
費用は月5000円くらい。
これは、膣に出された精子が、子宮の中に入って行けないときに使う。
原因は、精子の数がやや少ないとか元気がないとかでなることもある。
また、健康な子宮は、精子が中に入って来るのを助けるための粘液を出しているんだが、その粘液の量が少なかったり、精子と相性が悪かったりする場合もある。
名前は大仰だが、やってることは大したことない。オナニーで出した精子を、ゴミとか不純物を取り除いたあと、スポイトみたいな道具で子宮の中にピュッと入れるだけ。
費用は1回2万円程度。
これは、主に卵子のほうが子宮に入れない場合の治療だ。(精子の数が極端に少ない場合も使う)
卵子は卵巣で育って、その後卵管を通って子宮に来るわけだが、その卵管が詰まってるとか、卵管と卵巣の接続がうまくいってないとかで、卵子が子宮に入れなければ、いくら精子が頑張って子宮までたどり着いても受精不可能になる。
そこで、注射器みたいなのを卵巣に刺して卵子を吸い出して、シャーレで精子と受精させてから子宮に戻すことになる。
費用は1回30~40万円くらい。
ただし、一度に複数(多い人なら10個以上)の卵子を取り出し、受精させて冷凍保存しておくことが出来る。
その場合、2回目以降は、保存してある受精卵を解凍して子宮に入れるだけなので10万円程度で済む。
普通は卵子に精子をふりかければ自然に受精するんだが、精子に問題があって、それが出来ない場合がある。
そういう時、卵子にミクロな注射器を刺して、精子を注入することで授精させることが出来る。
費用は1回40~50万くらい。
複数の受精卵を一度に作って保存すれば、2回目からは10万円程度で済むのは体外受精と同じ。
ホルモンバランスが悪いと、卵子がうまく育たなかったり、せっかく受精してもその後すぐ流産してしまったり、ってことがある。
こうしたホルモンの治療は、上のどれかの治療を併用して行うのが普通だ。
卵子の老化はほぼ年齢と比例するが、全ての卵子が一様に老化していくわけではない。
老化が進んで駄目になってしまった卵子と、まだそこまで老化してなくて受精可能な卵子がある。
20歳だったら10個中9個が使える卵子だが、40歳になると10個中1個しか使える卵子がなかったりするわけだ。
10個中1個でも使える卵子があるのだから、数打てば当たる作戦を使えば妊娠は不可能ではない。
要するに10か月連続で、いいタイミングでセックスすれば、1回は妊娠できる……計算になるのだが、問題は、その10か月という時間である。
もともと「ギリギリ受精可能」くらいだった卵子が、その10か月の間に更に老化が進んで、受精不可能になってしまうことがある。
高齢の場合は、とにかく治療に時間をかけている余裕がないのだ。タイミング療法や人工授精をしていたら、あっという間に時間が過ぎ、使える卵子がなくなってしまう。
1度に10個の卵子を取り出してしまう。そして、そのうちうまく受精できた1個を子宮に戻せば、うまくいけばそのまま育って妊娠できる(もちろん、ダウン症などの確率は若い妊婦よりも高くなるが)。
もしあなたが若ければ、気軽に不妊クリニックを受診してみよう。
数千円の治療を2、3か月受けただけで妊娠できる可能性が高い。
もしあなたが高齢であるなら、1分1秒でも早く体外受精しよう。
その場合、うまく妊娠出来てもダウン症などの確率が普通より高いので、出生前検査をおすすめする。
高齢かつ、体外受精や出生前検査のお金がない場合、また、超高齢(42~44歳ぐらいで、使える卵子はほぼ枯渇する。どんなに数を打ってもゼロはゼロである)の場合は、潔く諦めて、夫婦2人で過ごす老後の在り方を考えよう。
付き合って半年。お互い、20代中盤。
1ヵ月以上彼女と忙しいを理由に会っていない。正しくは会いたくない。
忙しい以外の理由を色々と考えてみた。自分のための書き残し。
仕事での失敗→落ち込む→慰める→頑張る→失敗→(略 の繰り返し。
「注射失敗した」「注射する薬を間違えて先生に渡した」と言われても
最近は慰める事自体をしないようにしている。
毎日、連絡しあうのが恋人(カップル)なのかなと最近、凄く思う。
俺は恋愛経験が浅いから、毎日連絡取らなくても、必要な時・取りたい時に取れば良いと思う恋愛不適合者なんだけど彼女は違う。
何も無くても連絡くるし、返事しなかったらLINEのスタンプ貼りまくり。
①の慰め同様、最近は数時間遅らせたり見てみぬフリ。既読にしない限りはね。
エレベーター内で患者の尿道に管を入れた話をするデレカシーの無さ。有り得ない。
基本的に仕事の話はしたくないんだけど、彼女は仕事の内容や看護師が使う言葉を
「何だと思う?」とか質問形式にしてくる。めんどくさいし、止めてくれと言っても
次のデート時には忘れている。忘れるから仕事でミスするんじゃないか?
こんな事で?と書きながら思ったけど、小さいことでも気になりだすとダメだ。良いよ~とか我慢できたのも最初だけだった。
このまま自然消滅できたらなぁ。来月は忙しい以外の理由を考えないと。
ずっとおかしいと思っていること。
実技演習の授業(例えばシーツ交換とか注射とかそういうのね)の直前、
その課題っていうのが、教科書の該当項目の「丸写し」をしてくるってもの。
これがつらいんだよ。すごく時間がかかる。
教科書って端から端まで細かく説明してくれてるもんだから文字数が多いんだよ。
ひたすら無の心で書き写す作業ってわけで、苦痛で仕方ない。
そのその出来上がった丸写しレポートを何に使うかっていうと、
それで手順や注意点を確認しながら演習するの。
重要な部分はまだしも1つ1つの細かい手順なんて忘れちゃったりするじゃん。
それに効率よく進行すれば、それだけ先生が重要なことを教えられる時間ができるってわけ。
多分そういうこと。
そこで、ちょっと待ってくれと。
丸写しせずとも、その教科書を見ながら演習しちゃダメかい?と・・・・・・。
例えば自分で様々な文献を読んで、自分なりのレポートをということならわかるよ。
妊娠7週目→8週目で胎嚢のサイズ変わらず&胎芽見えずで稽留流産と診断。母体のためには早く出してしまった方がいいのかな?理由はまぁなんでもいいんだけど、3日後に“そうは”の手術を受けた。
自分はありがたいことに超健康優良児だったので点滴すら初めてというありさま。
で、全身麻酔だと思って受けていたのは正確には「鎮静を目的とする静脈麻酔」だったんだねー。ひとつりこうになった。
点滴の管に注射器で薬を入れられるのを見てたら、次の瞬間に「手術終わりましたよー」。えっ?!
なので執刀医がどんな人だったのかとか全くわからずに終了(笑)
この時点で音とかはわかるんだけど目を開ける気には全くなれず。ただ、「終わりましたよー」以降の呼び掛けには「はい」だけだけど返事できてたので、本当に「寝てる人」と同じだったのかなー。
その麻酔から目が覚める時がかなり具合が悪かった。お酒で悪酔いしてダウンするときと全く同じ感じ。吐き気がして、暑いのか冷や汗かわからないんだけど汗だくになって。そしておまけに子宮が痛い!
15分ぐらい呻きながら耐えたら治まって、ちょっと寝て、手術の2時間後ぐらいには帰れたけど。
外来の担当のお医者さんがかーなーりー態度が悪いというか、こちらを気遣った優しい言葉をかけてくれるタイプじゃなかったから、流産と診断されたときは結構精神的にアレだったんだけど、同じ調子で「まぁ、これにめげずに、また作って!」と言ってくれたので、仕事とかのタイミングがとれたらまた子作りしようっと。