1年前の自分は一体何をしていただろうか。
もう思い出すことさえ出来ないけれど、徹底的に非感情的なデータは1年前の自分が何をしていたかを、徹底的に非感情的に示してくれる。
調べてみて驚いたが、1年前の自分はまだこのアカウントを持っていなかったらしい。そんな時間の感覚さえ失われている。
1年前の(別アカウントからの)情報によれば、1年前のぼくは今はほとんど関わりのない人からの祝福を受けていたようだ。調べてみて初めて思い出すことである。
「○○(アカウント名)は引きずるタイプ」というリプライを僕は1年前のちょうど今頃受けているらしかった。全くそのとおりである。情けないのやら腹立たしいのやら。
また1年前の僕は嫌な夢を見ていたらしい。夢の具体的な内容は示されていない。どんな夢を見たんだろうか。そんなことさえ覚えていないし、今の自分からすれば思い出したくもない。
1年前の僕はサウザーの「こんなに……こんなにつらいのなら……愛などいらぬ!」という台詞を共感レベルで理解していたらしい。どんだけ辛かったんだお前。
そしてそのあと僕は飲みすぎたのだ。20歳を迎えたことをいいことに、もうなんの制約もなく、辺縁系が命じるままに酒を煽ったのだ。
僕はその日病院に行った。内科の先生に呆れたような顔をされながら「僕もね、学部時代先輩から浴びるように飲ませられてゲロゲロやってたから」なんて言われたことを思い出す。
注射を打たれたあと、薬をもらうため薬局の待合室で酔いがぶり返してのた打ち回った。
あのときそばにいた薬剤師さんや看護師さんたちはどんな目で僕を見ていたんだろうか。想像するだに恐ろしいと言う他ない。
僕は1年前から性癖を研究したがっているらしかった。今でもその志向はあまり変わっていないように思える。
そして「約」1年前から僕は僕の、少なくとも高校時代は心の拠り所だったと言ってもいい部活から、離れることになったように見える。
そのころはまだ「彼女」とリプライのやり取りをする程度の関係ではあったらしい。
あれから1年、自分がどういう成長をしたか、いまいち自分では測りづらい、というのが嘘偽りない正直なところだろう。
成長したところもあっただろうし、退化したところもあっただろうし、成長によって退化もすれば、退化によって成長もしているように思える……。
1年前、僕は確実に失恋のダメージに打ちひしがれ、そのダメージにかこつけて酒を煽った。
失恋のダメージ、というよりかは、僕の、その時点ではたった一人愛していた「はず」のその父親に無碍に扱われて僕は傷ついたのだと思う。
未だにそこから逃れられているのかどうかは本当に怪しい。今彼女が五感のいずれも刺激しないからこそ忘れられているだけなのかもしれない。
記憶を抹殺しなければならない。だが、それはどのような手段によってそれは可能になるのだろうか?
MIBにはスティック様の忘却装置が登場した。自分の都合のいい記憶だけ忘却できるとすれば、それはなんと幸せなことか!
現実はそれ――科学的な忘却を許さない。あたかもその記憶に分厚いカンバスを覆いかけるように――抑圧し、見えなくすることしかできないのだろう。
しかしそれこそがまさにスタンダードな忘却な方式なのである。人間一つのことに集中しているとき、その他のことはなかなか頭に入って来にくいものだ。
ところが、である。今の僕は1年前の忌まわしき記憶を覆い隠すことのできるカンバスを持ち得ているだろうか?
そう、こここそが今僕の抱える一番大きな問題なのだ。僕は科学的な忘却も、記憶を覆い隠すカンバスも持ち得てない。そんな人間は一体どうやって生きていくべきか。
答えは明白でありながらとてつもなく遠い。カンバスを手に入れるか、科学的な忘却を可能にするかのどちらかしかないのだ。
科学的な忘却? MIBのスティックを僕が開発するのは無理だ。となれば、僕に残された道はカンバスを手に入れるしかないということになる。
はて、どうやってカンバスを手に入れるか。