はてなキーワード: 死刑廃止論とは
いやー、恐ろしいね。
死刑反対派の非寛容さ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yaserucola.com/entry/shot_dead
こんな態度で「人道的な立場」から死刑廃止を語るんだからおっそろしいよね。
「ズレてる」だの「比較すべきでない」だの「ナンセンス」だの言っておけば論破したつもりになってんだろうね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/grdgs
grdgsgrdgsのコメント2018/07/15 08:47
怖いね。
元記事の人の書いてた
https://www.yaserucola.com/entry/shot_dead
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/fu-wa
武器を持って抵抗の意思を示している犯人を警官や周囲の人々の安全のために射殺するのと、武器を持たず無抵抗な状態の人間を処刑することを比較するのは、まったくのナンセンスだよ。
「冤罪による死刑が起こりえるから死刑に反対」だったら、「現場の誤判断による射殺も起こりえるから現場で射殺すべきでない」と等しく反対すべきだろうに。
「そうだね、現場での射殺もするべきでないね。」くらい言っとけば論理の一貫性は保たれるのに、なんで死刑のほうに喰ってかかってくるのかわかんない。
現場射殺もダメっていう人道原理主義なら論理の一貫性は認めるけど、頭はお花畑だよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/tteraka
射殺は本人による犯行の蓋然性と法益侵害の重大性・緊急性が認められる時しかできないのだから比較しても何の意味もねえだろ
tterakatterakaのコメント2018/07/15 14:26
同上。その「重大性・緊急性が認められる時」を誰がどうやって判断してんのって話だろうが。
現場が緊迫した状態で「とりあえずサクッと殺しとくか」って状況のほうがよっぽど冤罪が起こりえるだろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/Zephyrosianus
正当防衛、緊急避難としての犯罪者の制圧による死亡と、刑罰としての死刑という理論構成も実態も全く別の事を「国家による殺人」だから一緒だなんてクソ雑な非論理的思考は普通の死刑廃止論者は想像もしないのでは?
ZephyrosianusZephyrosianusのコメント2018/07/15 09:50
「クソ雑な非論理的思考」とか、なんの反論にもなってないレッテル張りしておけば反論したつもりになってんのかな?
「ダメなんだからダメ。お前らはバカなんだから従っとけ。」ってか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/tanukichi087
緊急避難や正当防衛による殺人は、国家だけでなく個人にも許容されてる。それが成立は問題として、正当化理由のない死刑を同列に並べることはナンセンス。
tanukichi087tanukichi087のコメント2018/07/15 13:16
これもとりあえず「ナンセンス」って言っとけば反論になると思ってるタイプ。
緊急避難や正当防衛で殺人が認められて、国際ルールに基づいた戦争による殺人や社会秩序を維持するための死刑がなんで認められないんだよ。
せめて全部反対しとけよ。
死刑制度が日本で続いてるのは、戦後日本の司法制度に対する国民の信頼の現れだと思う。
自分や身近な人がなにかの間違いで冤罪になった場合、という死刑冤罪回避論に対しては、悪いけど一法曹がそれをいうのか…と思ってしまう。人間が人間を裁く場合、確かに間違いは起きる。ただ、そのための三審制じゃないの?とも正直思う。死刑の可能性のある裁判だけ四審にしたら?逆に、冤罪が怖いなら死刑以外も減刑するべきでは?死刑廃止論で盾にするべきなのは冤罪じゃない気がするけど…。そもそも冤罪な時点で、無期懲役だって懲役三年だってものすごく大問題なのだ。死ななければいいという話じゃない。
死刑廃止論を語るなら、冤罪ではなく、社会が人命を奪うことを許容する、人権の社会的価値に対する危機感を伝えてほしい。
私自身は死刑廃止論に反対。諸外国は廃止しているからといって、じゃぁ日本も、というほうが信用できない。
死刑に相当する罪を犯したひとの人権を守るなら、被害者の奪われた人権の重さを、どう社会は消化すればいいのだろう、と一層考えてしまう。
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もし死刑廃止論者が関が起こした強姦+一家皆殺し事件と同じ目にあってそれでも死刑廃止って訴えられるメンタルがあるならいつでも死刑廃止に乗ってやってもいいと思ってる
けど、実際は肉親一人殺されるだけで泣き入れんだろwwww
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250
はてなブックマークにおいて死刑容認派は多いようだ。(人気のコメントに付いたスターの数も多い)
https://www.bengo4.com/c_1018/n_4564/
袴田事件を知っている人は半数、死刑囚を殺す手段を知っている人も半数、なのに死刑を容認する人は8割。
はてブユーザーの中にだって、何も分からずに(世界的には少数派意見だということも知らずに)死刑制度の正当性を語っている人が少なくないのではないかと思う。
自分が誰かを死刑にすることは考えているんだろうか。「殺人を犯したとされる者を殺すよう指示を出すことになるかも知れない」ということだ。「戦争の放棄」の議論とも重なるかも知れない。この制度がある限り、過去の判例に見合う量刑でなくてはならず、「自分は死刑廃止派だから」といった個人の信条は通用しない。
これはもう聞いてみないと分からない。
死刑容認、または死刑廃止論に反対する人は、何のために死刑が必要だと言っているのだろう?
抑止力?
それなら「死刑の上」が必要なのでは?でもそういうことではないのでしょう?
ならそれも「死刑の上」が相当なのでは?
いじめにはいじめで対処するのが法?低能先生とはてブユーザーにも同じこと言える?
参考:反対派、容認派の言い分一覧
http://www.moj.go.jp/content/000053167.pdf
もしかすると、死刑容認派の大部分は「現状維持」というか「自分ら日本人は間違っていない」ということを言いたいだけで件の発言しているのでは?
戦争の放棄は現状維持と自己正当化のため、死刑廃止に反対するのも現状維持と自己正当化のため、「低能先生の義憤」を無視するのも現状維持と自己正当化のため。
EUは死刑廃止しているが、EUの死刑廃止論者は、権力に逆らいたいから、死刑廃止を支持しているのか? 君は、あほの子ではありませんか?
死刑廃止論のホッテントリはトップブコメ他多数の指摘にある通り、冤罪言い始めたら何もできないと思った
実際にはかなり難しい、曖昧な要素を含むんだろうな、と思った
仕事として毎日のように人を裁く現場に立ち会っての感想なんだろう
そうかもなーとは思う
というか、順番が逆で平和・反戦主義者だから死刑廃止に賛成なのです。
だから国家が戦争するよ、殺し合いをするよ、というのは良しとできません。
国家権力が、たとえどんな国民、市民にでも死んで良しと強制するのが了解できないのです。
これが独裁国家であるなら、死刑もあるだろうと納得できるのです。
しかし、日本は、とりあえず、民主主義国家で、ぼくも参画しているので、どこかの誰かが勝手にやることではありません。
駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。
https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja
私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプの人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。
ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。
同声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件の刑事裁判において、犯罪の事実や行為自体は争われておらず、弁護側からの反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。
より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体のアムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。
「1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後で殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカとカナダを比べても、死刑制度を廃止していない米国よりも、1962年に死刑執行を停止し、1976年に死刑制度を廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」
しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学的エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学的エビデンスを持ち合わせていない。つまり、犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。
「刑罰に犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」
本事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的なインセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコストを認識していたことがわかる。
ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂「おまいう」案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスとチベットのダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。
例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランスが2015年11月にISISによる同時多発テロの対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISISが首都とするシリア北部の都市ラッカに空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果の議論もない。
これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセインの死刑に反対したダライ・ラマ法王の声明文である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベットは中国による人権と自治の侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国と敵対などしていません。私が目指しているのは、チベットの自治を確立することです。」としている。法王は、フセインの死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。
ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑を批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題で日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会の普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。
死刑廃止を主張してるのにヒトラーやナチス幹部だけ例外として死刑にするのはダブスタ
日本だと弁護士が死刑廃止訴えるときによくある「お前の家族が惨殺されても同じこといえんの?」っていう反論と一緒
この増田がアホな部分は「これから殺される人」と「これから冤罪に遭ってしまう人」しか想定してないという部分がアホ
「既に大切な人を殺されてしまった人」が見えていないから論理なしに100%感情論で「いいから犯人をぶち殺せ」と言われると反論できなくなってしまう
そういう感情論へ「それはアナタだけかも知れず他人は違うかも知れない」と返そうとするものの、それこそ死刑廃止論へ対して同じ言葉が適用されてしまうため言葉に力が無くなってしまう
頭良さそうに書き込んでいて実は何も想定できていない書き込みなわけだ
松本智津夫らオウム真理教事件の確定死刑囚の死刑が執行された。
私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行のタイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。
司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思います。しかし現実に裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審(簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者の植松正は「無期懲役は誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合、無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判の原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定に合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官も人間ですから、世論はまちがいなく気にしています。世間を騒がせた大きな犯罪である場合、裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単に無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしまう可能性は0ではないということです。死刑という刑罰が存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑を選択してしまう例が存在するということです。
死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者や被告人の人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しかし100人の死刑囚の中には、1人の無辜の人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実の犯罪者”の被害者の応報感情や社会の要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。
では自分が痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分が痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなたに痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立の機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的に裁判官は検察官と親和性の高い人たちですし、基本的に検察の提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなたは有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣な犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。
裁判は人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪の場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪が証明できた場合、名誉は回復され、損害賠償を請求できる場合もある。しかし死刑の場合においては、それは究極の人権制約なのです。
団藤重光は以下のように論じています。
例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しかも人格的、その意味で主体的な利益であろうとも、人間が自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益の帰属する主体の存在そのものです。もちろんこのことと、前述の人間の尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益の帰属主体そのものの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります。
痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者・被告人の人権を守りましょう、被疑者の実名報道はやめましょう、無意味な身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますがいかがでしょうか。
本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者・被告人に対する、究極の人権侵害である、死刑を廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しかし死刑を廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。
痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分は自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構います。ですから、冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。
しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分が冤罪の当事者になることなど想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます。殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情は自然なものであると思います。しかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情を正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情を否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。
私は貝になりたい、の主人公の床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います。
私はその価値判断において、死刑を廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断も尊重したいと考えています。しかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたやあなたの大切な人が、冤罪で死刑になってしまうことを許容できますか、と。