はてなキーワード: 枕詞とは
動画制作や配信をしている人間は誰かに文句を言われたり叩かれるために作ってるんじゃない。
誰かが作った何かを見てツッコミが入れたくなったら親しい人と話すだけにしろ。
それができないなら日記帳にでも書いてろ。
皆が感動したり楽しんでる所にズカズカ入って行って文句を言うな。私は面白くないなんて意見は心の中にしまっておけ。水を差すな。
正義でいい気分になってるのは自分だけではたからみたらただのつまらん寒いやつだよ。
腹が立つと思ったら口をつぐんで動画を閉じろ
お前らみたいなやつがコンテンツを腐らせて面白いものをつまらなくさせる。
良かれと思ってが枕詞につく行動はだいたい他人にとっては迷惑だ。
他人についての情報でその本人が知らない内容をわざわざ言いに行くな。
教えは頼まれた時でいい。
求めていないアドバイスを得意顔でつらつら横でされた時に腹が立たないか?それがお前だよ
マナーという言葉は既に「一部の人が他人を攻撃したり不能な価値観を押し付けるときの武器」になりつつある
なので「食べるときに口開けるのはマナーが悪いよ」程度でも「マナーってなんだよ」と言いがかり付ける人がたまにいる
内容そのものではなくマナーという言葉自体が持つ強制力がよくないようだ
そんな強制力はないはずなのに、マナーを守れないのはどうかしていると訴えてきたマナー講師がな〜
そんで差別という言葉はもはや「それは差別ですね」から始まる罵詈雑言の枕詞になってしまった
差別かどうかではなく、そういっておけば主張が通りやすいと錯覚して人がこぞって使っている
※差別があっても別に良いと思ってる、自分が差別されるのは嫌だが自分以外の人がいくら苦しんでも気にしない、自分さえ良ければそれでいい、差別主義のゴミクズを自認してるなら別にOK
※この文章は、「差別は良くないと思ってるし、男女問わず生きやすい社会になるべきだし、自分は普通の善人だ」と自認してる人に向けてます
普通の人、善人を自認してるような男女が、枕詞みたいに「私は/俺はフェミニストってわけじゃないけど」みたいなこと言うんだよね。
これ、かなり拙いのでやめていただきたい。
feministというのは、直訳では「性差別に反対する人」「女性にも男性と平等な権利を主張する人」という意味。
日本ではワンピースのサンジみたいな「特に女性にだけ優しい人(?)」をフェミニストと呼ぶようなおかしな誤用があるようだが、それは日本独自の誤用であって、フェミニストという言葉の中にそんな意味はない。
私はフェミニストじゃないけどという言葉の持つインパクトはかなり大きいことを認識したほうがいいと思う。
日本語で書かれたSNSもワンボタンでGoogleに英語訳できる時代。少なくとも普通の善人が気軽に使って良い言葉ではない。
私は優生思想ですとか、私は人種差別主義ですとか、私は白人主義ですとか、私は黒人差別があってもいいと思うとか、私はナチスドイツに賛成するとか、それらと同じくらい、とてつもないインパクトがある。
アウシュビッツとかユダヤ人虐殺で検索してください。はっきり言えば、「あれに賛成してる」「この出来事が目の前で起こっても気にしない」と言ってるようなものなのです。
正直言って、人間の言うことじゃない。
良識のある成人から出てくる言葉ではないというのはしっかり理解して使うべきですよ。
差別を舐めすぎです
例えば
公開アカウントで「松任谷由実は早く死んだ方がいい」とした大物学者の二世でリベラル派の学者には特に学者間では批判は集まらず、
非公開アカウントでリベラル派の学者の悪口いっていたリベラルではない学者は吊し上げられる
この辺の非対称性よな。
まぁ今後人の悪口いうときは、オープンレターによると「何もこの人に限ったことではないが」と枕詞をつければ大概セーフになりそうで良かった
松任谷由実が安倍の首相辞任を残念がったから「醜態をさらすより、早く死んだほうがいい」と言ったみたいだね。
これが相応の理由と思えるかは個々人によって違うだろうけど、リベラル派の学者の多くは、安倍の同調者は死ねって思ってるから批判されなかったのかな。以下当時の記事
「リベラル論壇のスターに。以来、安倍批判で引っ張りだことなった若手学者だ。その白井氏、首相の退陣を聞いて舞い上がってしまったのか、辞任会見を受けて「泣いちゃった。切なくて」とラジオで発言した歌手の松任谷由実に対し、「醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ」「荒井由実のまま夭折すべきだったね」とFacebookで宣(のたま)い」(https://www.dailyshincho.jp/article/2020/09160556/?all=1)
そーゆー相手の言っている意味を理解しようとせず自分の都合の良いように読み替え相手をあげつらい冷笑するところが問われているんだぞ。拗ねているガキか。みっともない。
オープンレターが党派生による吊し上げじゃないって根拠があれば挙げてみてよ
例に挙げたのは正に強者男性が弱者である女性を黙らせようとした(死ねなんてのは黙らせの極致だよね?)わけだけどリベラルからは「距離を取られ(オープンレターより)」たりはしなかったよね
ほんとだよね。常々普遍的な人権の重要性を説いているリベラルなのに、歌手に死ねと言ったり草津町長の性加害でっち上げ事件に乗って草津町を罵ったりして、しかもそれが同じリベラル界隈から糾弾されないとか見るに耐えない
蒼井優です。
ウソです。
一応さー
念のために念のためを重ねてもう一回検査してみたの。
体外診断用のやつで。
そしたらやっぱり陰性で
でもやっぱり匂いは戻ってこないのよね。
微かに戻りつつあるけど
昨日だってお風呂の石鹸の香りのシャボン玉がふわふわと手からあぶくが浮かんだときに
結構石鹸単体に直付けの鼻!で遠くに石鹸の香りがいるような感じ。
多少は増しになっているかも知れない鴨鹿。
多分理由は酸っぱい匂いが一番なんか生活において危険信号は無視出来ない横断歩道は青ではなく点滅でダッシュ赤ならまだ行ける!って意味とは逆に
この食べ物危ないんじゃね?っていにしえのディーエヌエーの刻み込まれた
木の実の皮がツルッと剥けたときの気持ちよさは太古の狩猟木の実狩り時代の思い出として刻まれているから
酸っぱいもヤバイ!って事らしいので
不思議だわ。
人体の不思議展を繰り広げたいぐらいよ。
なので
まだまだ完全に匂いを理解した!って言えないところが完全じゃないところなのよね。
まあ陰性だったのがよきよき!ってことで良かったのかしらね?
日常生活で支障がないと言えばウソか本当かは信じるかはあなた次第だけど
梅系ばかり食べていても仕方ないでしょ?
あとルービーもさすがにこの体調の異常ステータスありきで飲むのは美味しくなさそうだし、
でもだからといってここで諦めたら秋の夜長の楽しい晩酌の終わりですよ!って安西先生も名言を言ってるように
ハイボールは試してみたら
こっちの方がまだ美味しいかも知れない味わいの秋の夜長。
秋の味覚秋の祭典真っ盛りなのに
逆に言うと今しかこの機会体験することが出来ないこれ幸い検査も陰性だったから
オクトーバーやノーベンバーって歌を歌えばいいのにと思うぐらい暦の上では秋の食べ物が楽しめる真っ最中のアースウィンドアンドファイアーなのが悔しいわ。
いや暦の上では!ってなんか言い訳するけれど
暦の上では!って枕詞はもうアースウィンドアンドファイアー!って言い換えていいぐらいだと思うわ。
結局は。
違うかー?
またミルクボーイさんみたいな
なになにを探しているんだけど、
これとは違うかーを9月を探す旅に出る羽目になるとは思わなかったわ。
お弁当いったい幾ついるんだよ!って話しよね。
違うかー。
楽屋のドアにこの楽屋はだれだれさんがみたいな紙貼ってあるのよくそういうシーン見るじゃない、
あれの紙にアースウィンドアンドファイアー様って書いてあるのが貼ってあるだけでジワジワくるわよね。
そうは思わない?
でもまあ私はとりあえずの検査結果はアースウィンドアンドファイアーだったので、
みなさまもどうぞご自愛下さいませ。
うふふ。
納豆巻き食べてみたの。
納豆の味はするけど鼻から抜ける風味がやっぱり弱いみたいよまだ。
本来の美味しさを100としたら
今は100ってところかしら気持ちで補完よ!
大事なのはこれが上からの100なのか下からの100なのかってことで、
あんまりパクパク美味しく進む!って言うほどの勢いの美味さ爆発!ではないところなのよね。
絶好調とは言い難いわね。
これも風味が分からなくて、
舌の上の苦味を感じる図解のゾーンに集中したら
緑の緑茶の葉っぱの苦味の成分を舌でしか味わいが無いといったところ。
鼻から抜ける風味ってとても大切なのよねと
大切なことを当たり前のことのように言ってみたわ。
ただただ冷たくて美味しい!ってところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
初心者のため、絵を始めたばかりの人へ、まるしか描けなかった人がこんなに描けるようにetc…
この世にそんな枕詞がつく教本やらYouTubeやら講座やら大体は見まくった。見まくった上で言いたいんだが、どれも丸描いて〜からの次のハードル高すぎ。素人なめんな。
初心者マークを取得できた人と、まだ教習所にすら通ってない人では雲泥の差なわけ。ここでいう初心者は後者、まだ車のくの字しか知らなくてハンドルなんて握ったこともない。小さい頃から親の運転を見てるから運転なんて楽勝でしょwって思ったたらエンジンの掛け方、どっちがアクセルでブレーキなんてのも分からなくて途方に暮れる、そんな感じなんだよ、ガチガチの初心者で素人は。
顔はまずアタリをとって描きましょう!
縦線を三等分にします←は????????????????????????????
いきなり………急に………はい!そこ右折してください!って言われた気分………………
ガチガチ素人はね、そんな簡単に綺麗に三等分できないんですよ。
まずその三等分にするために目を養いたいんですよ。みんなどうやってパッと見て「うーん!ここらへんに線を引けば均等!」ってわかるようになったんですかって。
そうやって苦しんでる間にも講座は進むわけ。次は顎の線を引いてそこから半分の位置に線を引きます♪とか言ってさ。
またかよ???????????????また等分しなきゃいけないのか?????????三等分にもできてないのに???????????
とりあえずやる。やるよ。だってやらなきゃ進まないから。とかいって描けばなんとかなるんでしょと思いながら。でもね、なんねーんだわ。クリーチャーが生まれるわけ。ガチガチ素人が産んだ悲しきキメラ。バランスとれてなくて絵、気持ち悪…ってなるキメラがそこにはいんのよ。
みんなどうやってバランスとってんの??考えて描くのが大事ってどこにでも描いてあるけど考えるってなんだ?Don't think,feelのthinkの方?考えてもないし感じてもない気がしてきて絶望。この脳みそには何が詰まってるわけ?うんこ?
みんなはじめは素人、初心者だったはずなのに、なぜそれを忘れ、1言えば5わかるよね、みたいな教え方になってしまうのか。1のつぎに1.1を教えてくれる、そんな講座や教本やYouTubeあれば教えてください。
結局言いたいのはこれ。
自称料理研究家の馬鹿「今日は本格的なローストチキンを作りましょう!クリスマスのお料理にぴったりですね!」
俺「ほうほう!」
自称料理研究家の馬鹿「まずは肉の下拵えです!そして次に、お醤油と!みり」再生停止
馬鹿料理系YouTuber「超本格的なローストビーフのレシピ!」
俺「うまそう!」
馬鹿料理系YouTuber「まずはお肉の表面を軽く焼きます!」
馬鹿料理系YouTuber「このお肉は後でオーブンで焼くんですが、一旦この焼き汁を使ってソースを作ります!ー
俺「頼むぞ…」
馬鹿肉屋「今日はお外でBBQです!こう言うグリルがあると便利ですよ!」
俺「いいね!」
馬鹿肉屋「蓋をして分厚いお肉を蒸し焼きにするなんて、アメリカンですよね!」
俺「うんうん!」
結局、ローストチキンやローストビーフ、欧米由来の料理作るときは英語苦手なのにわざわざ英語で検索して、苦労しながら作ってる。
マジでバカの一つ覚えみたいに醤油とみりんと酒使うなや馬鹿ども。
百歩譲ってローストビーフやローストチキン、BBQに醤油やみりんを使うなら「本格的」とか「アメリカン」みたいな枕詞を使うな。法律で規制しろ。
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。