はてなキーワード: 怠惰とは
やるならこっそり、その相手にだけダメージ与えて死ねばよくないかなー?
自殺配信相手に見せつけるってフツーに脅迫罪だけど(実際に受けたことがあります)、まあ死ぬなら関係ないし、自分なら薬も酒も飲まず正気で、数日、できればもっと長い時間かけて、興信所に有金使って全部調べまくって、捕まらないギリギリまで生きてできること(ストーカーとか、会社への個人の中傷とか)した上で、相手の家のベランダに相手がいるときに侵入して、相手も確実に死ぬようにまあいろいろ外から封鎖したりなんだりして、放火魔焼身死体になりますし、その覚悟が一生できないから死んでないです。
ダサい死に方してダサいやつに消費されてもっかい死ぬくらいなら、ホスト刺して捕まったあの子みたいに、あれくらいで良かったんじゃないですかねー?
インターネットの話題にもなれるし、制服でそんなことしたらきっと死ぬよりバズるよ。ていうかわざわざ遠方まで行って制服で死ぬの、なんか、エモいっすね(笑)
自分の人生切り拓けねえ人間が他人が原因で病んで他人巻き込んで正気なくして他人巻き込んで死んでダセーやつのおもちゃになってなにが気持ちいんですか?
正直バカマンコすぎる 故人ディスってごめん〜でも故人ディスじゃなく生きてた時のそいつディスだし、てか故人ディスのなにがいけないん?だけど、一応仏教徒だし、南無〜。
バカマンコは、泥臭く生きてなきゃ‼️バカマンコは泥臭く生きてナンボ‼️バカマンコより。
ていうかそもそも、死者、愚弄しちゃいけないです?死者が生きている間に犯した愚かな行為と、愚者が死んだことを美化してる愚者が耐えられないんですけど、倫理的にはダメなんだろうなー。
るるちゃんは歳の割にセルフプロデュースが上手かっただけだし、の子は#日曜だから邦ロック〜にファボるキモい大人だし(音楽は好きだよ)。
なんていうか、バカはバズんないでください。 生きてそれを背負えるバカだけがバズれ、マジで、死ぬことで愚かさから逃げる精神的に怠惰な人間は何者にもなれないまま生きてそれなりの幸せを見つけて欲しいです。
北朝鮮のミサイルが住んでる地区の上通るとか、自衛官の幹部がロストとか、農村の相続トラブル無理心中とか、近所の未解決殺人とか、そういう方がリアルで怖いだろ。タイタニック号が沈没した日だしそのウィキでも見てた方がまだよっぽどリアルでこえーよ、と思います。
統失気味だから常に死を感じてるけど、それで発狂して自殺しそうになることも何もできなくなることはあっても、そこまで死にたくないファッヘラの友達(笑)を巻き込みながら一緒にラリらせて正気を意識的に失うことを続けて、死ぬとか、誰が救われるんですかね。私が14歳でも親から性的虐待受けても妊娠してもせめてるるちゃんになるし、生きてちゃんもも◎になるけど。
醜いよ、本当に。
醜すぎる。
醜い精神を露呈させたまま醜い姿で死んだというのにどうしてこんなに美化してる?グロいよお前ら、お前らのグロさで自殺配信関係なくn次災害が繊細さん(笑)に起きてますよーっと、こうしてる間にもう18時すわw ニートは寝まつw
普段はアニメの劇場版くらいしか見ないのだが、割引チケットが使えずに余ったのでせっかくならとはてブで見かけたこの作品をと前日に思い立ち、翌朝大学へ行く前に見た。
原作の黒澤明作品については全く、有名だという雪の中公園のブランコをこぐ老人の画のことなども全く知らず、そもそも映画に全く明るくない自分である。
ヒーローが世界ごと我々を救いに来る話でない、青春の燦々と輝く汗を我々に振りまく話でない。この物語は小さな人生を、普遍的な人間の怠惰を認めながら、挑戦への契機を残してくれる、まさしく鑑賞者を生かしてくれるものだった。
そんな小さくて地味な物語を2時間も飽きずに見ることができるものかと、ヒューマニズムを描いたドラマなど見ることはないだろうと思っていたが、原作から引き継がれた構成の巧みさ、戦後イギリスの生活の目新しさ、心の底まで侵入する繊細な画面作り、空想を現実に構築する演技、それらすべてに圧倒されてあっという間に終幕であった。
結局何も変わらないかもしれないけれど、長い人生の中何度目標を見失ってもいいから、ふとした時に誰かのことを思い出して何か変化を起こすことができれば、きっと誰かに何かを残すことができる、そう控えめに背中にぬくもりをくれた。
増田って何か始めるのにちょうどいいよね、自分を背負わずに目標を書けるから、達成できなくても罪悪感がない。
俺は今年こそ、こんな感じのアウトプットを定期的にやる。今年こそ。
という大前提が成り立っている。
というのは、これもまた自明の理であろう。政治家というのは支持を失えば落選し、すぐさま無職となる不安定な職業であり、継続的な当選を願う。
そして、
というのも、言うまでもなく自明の理であろう。個人レベルでは喜ぶマゾヒストもいるかもしれないが、マクロ的な総意として増税を喜び、支持率を上昇させる国民など存在しない。
という結論が導かれる。
というのは、明らかに理屈に合っていない矛盾した行為であって、
このロジックが正しい証左として、野党は現実に増税を叩き、支持率を上げることを希求している。このムーブは政治家として正しい行動であって、そこにはなんの矛盾もない。
では、与党はなぜ消費税14%などと言い出し、前項で述べた理屈に合わない行動をするのだろうか。
理屈と膏薬はどこへでも付く、とはいうが、これほどの矛盾に理屈をくっつけるのは容易ではない。
などの、具合の悪いくっつき方しかしない、やや無理やりな理屈しかくっつけられない。
もう少し軟膏の乗りをよくしようとすれば、
しかしながら、下段で挙げた(最後を除く)理由付けを理解しようとすれば、理解しようとする側にも知識を仕入れる努力が必要である。
そのため、数多くの増田やTwitter民は理解のしやすい上段のほうの理屈を頭から飲み込み、そして前項のロジックを無視しようとする。
子育てするようになってから、子供の服の染み抜きがわたしの日常になり、ものにもよるんだけども手洗いでどうがんばっても落ちないシミが外干ししたときに紫外線で落ちることがあるということを知った
それ以来、手洗いで子供服の染み抜きができなかったときは太陽に祈る気持ちで外干ししてきた
ある日、子供が外出先でホワイトボードマーカーのインク染みを服につけてしまった。そのとき、帰宅後すぐに服を脱がせて洗えば簡単に落ちたはずなのだが、子供が帰宅途中で昼寝をしてしまって脱がせられなかった上、私が疲れてしまい、洗濯をするのが遅くなってしまった。
後から手洗いで染み抜きしたものの、完璧に落とすことはできなかった。服をよく見たらシミがあるなーとわかるくらいには汚れが残ってしまって、自分の怠惰さを呪いながら太陽の光がよく当たるように外干しした。
完璧主義者は好かれない、ましてそれが怠惰ならば尚更だ。まして、怠惰と怠惰に貶められたければ、何をするでもなくただぐずり続ける無間地獄に陥ってさえいられれば。これは良い忠告になるかな。これを読んで、私がやる気を取り戻すことが出来たら嬉しいんだけどさ〜!そのせいで疲れちゃって寝ちゃって、これ読んでる人が何か心のスイッチが抜けてる人なら、良い眠りを! 毎日プログラミングスクールに通っている。週末しか家に帰れないので平日は平日
(中略)
皆さんが知っておかなくてはいけないことは、心理学というのは人間の心の秘密を解き明かすような学問ではない、ということです。
心理学者はかけがえのない個人ではなく、平均化された、つまり「データ」としてしか存在しない個人 (実は人間以外の動物であろうとロボットであろうと、心理学者にとっては全て等価なのだが) を研究しています。
心理学者はこの平均化するやり方が大好きです。
例えばある人のパーソナリティ (性格) を測定する際には、いくつかの項目への回答や、これまでの行動履歴などを平均して算出します。
あるいは、男性と女性の違いについて論じる際には、男性実験参加者と女性実験参加者の刺激への反応パターンをそれぞれ平均して比べます。
さて、平均化して (いくつかのパタンに分けて) 人間を見ていくやり方は、「モデル」という考え方です。
「モデル」という職業がありますが、あれも「どこにも存在しないような美人」という意味ですから、まさに「モデル」なわけです。
こうしたモデル型の研究パラダイムは19世紀の後半に心理学が誕生してから、われわれがずっと一貫して採用しているものです。
心理学の屋台骨を支える重要なモデルは、刺激―反応 (S-R) です。
新行動主義ではその間に媒介変数を採用することになった、なんてことはどうでもいいことです。
相変わらず心理学者がやっているのは、刺激と反応の関係についての関数の研究です。
こうした研究パラダイムは研究業績を大量に生み出すことに貢献してきました。
おかげでわれわれ心理学者は大学に講座を得て、国から研究費をいただき、多くの研究成果を蓄積していくことができたわけです。
「『タイプ』『モデル』的な結合、つまり述語結合を諸々の接合や離合の軸に置く考え方は、機能主義心理学の人間観です。
多くの心理学者にとって「機能主義」は過去のものであり、「私の心理学は単なる機能主義ではない」と主張する人が多いと想像されます。
多くの心理学の教科書では「機能主義」はウィリアム・ジェームズによる構成主義批判として生まれ、過去のものとして扱われていますが、
刺激を条件間で統制して、それへの反応の差異を検討するという最も心理学者の好きな研究手法 (=実験) が、まさに機能主義であるわけです。
「外面性の強度は、内面性の強度と『相関』しているというのが、機能主義=行動主義の論理的な帰結」 とあるように、
心理学者にとって重要なのは、外部からの刺激に対してどのような反応が観察されるか、ということに尽きます。
要するに、ある刺激をある反応に変換する「関数」がどのようなものかを明らかにするのが心理学 (機能主義) の目的です。
その意味で、心理学者にとって人間と同じ振るまいをするものは、それがロボットだとしても人間と等価だし、人間の病気と機械の故障は区別ができない。
behaviorを「行動」と翻訳するのは誤りであり、「要するに外見=外貌」が中身を決めるという考え方が行動主義であると断言します。
心理学者にとっては「外から観察可能な行動のみを研究対象にする」というところでしょうか。
確かに、私自身もbahaviorismは「行動主義」よりは「外貌主義」と翻訳した方がよいと同意します。そして、全く確かに心理学者が扱っているのは <心> ではありません。
心理学の学会でこうした機能主義批判に関わる内容が扱われることはほとんどありません。
学問の根本を成り立たせている原理についての議論は、学会では通常なされません。
「こんなところで言うかよ」という反応をされてしまうのが普通です。
じゃあどこで言うんだよ、と思うことも多いわけですが、「われわれの学問を成り立たせている最も重要な前提については疑わずに議論しましょう」というのが学会大会の暗黙のルールです。
「『先生、先生』と言われ続けて何十年にもなる。そうすると『先生』は大体がバカになる」 と言うように
論文を書けば書くほど、学会大会に参加すればするほど、学生を教育すればするほど、学者はバカになります。
専門的になればなるほど、学者がバカになる要素は増えていきます。
自分たちがどのくらいバカなのかを知るためには、自分たちをバカにする人を見つけることが重要です。
心理学者にとって、自分たちを掛け値なしにバカにしてくれる存在というのは、たいへん大きいものだと思います。
3段落目にいきなり「断言」って言葉が出てくることとか「私」がいきなりでるとか文章のつながりが気持ち悪いと思ったけど、ぐぐったらamazonレビューの引用なのね。なるほど。
正解。
このコメントが出てくるまでに430人もの人がだれもググらない。すごい。
県知事選挙をむかえるにあたり、県政に全力投球する黒岩祐治知事の功績について振り返りたい。
1月15日午後に南太平洋のトンガ沖で海底火山の大規模噴火が発生。神奈川県にも30cm程度の潮位変更があるとして10分間隔で徹夜でのエリアメール送信を実施。深夜から早朝にかけて600通のエリアメールを送信。県民の安全をはかった。エリアメールは携帯の着信を拒否することはできず、着信音は常に最大音量となる仕様。県民の命が一番という県知事の方針を反映したものと思われる。また、県内の相模原市、町田市など津波の到達範囲外にも600通のエリアメールを送信しつづけるなど、県内の一体感の醸成に全力を注いだ。
黒岩県知事は東京都渋谷区に自宅、横浜市西区に知事公邸を構えて常に災害に備えている。1月15日は知事公邸ではなく渋谷区の自宅で静養につとめ震災対応の鋭気を養った(渋谷区はエリアメールの到達範囲外であるため県知事の睡眠を妨げるものはなかったので安心していただきたい)。1月16日午後、神奈川県庁にかけつけた。午前中に登庁するなど拙速な対応をせず県民は大いに安心したことであろう。午後、県民あてにツイッターを慎重に推敲を重ねた上で発信「未明より、津波に関して緊急速報メールが何度も配信されました。原因を調査したところ、委託業者が誤ったプログラムを設定していたことが明らかになりました」と激しく怠惰な業者の責任を追求して、自身の対策には瑕疵がないことを証明してみせた。「改修作業」と記述すべきところ「回収作業」などと誤記するなど、茶目っ気をみせて県民のこころを平穏ならしめた。また14時頃のツイッターで自身は渋谷区でぐっすりと睡眠をとったにも関わらず「私自身も寝不足です」などと睡眠不足で勤務する県民に寄り添う姿勢をみせるなど優れた対応を行った。
私: 私は就活生、あなたは面接官という立場です。面接官の立場で今から応答してください。スタート。
GPT: はい、こんにちは。私は面接官のChatGPTです。よろしくお願いします。まずは、ご自己紹介をお願いします。あなたの名前、出身地、学歴、そして自己PRを教えてください。
私: 俺は山田太郎。出身地はボストン。学歴は中卒。自己PRとしては、怠けるのが好きだ。よろしくな!
GPT: 山田さん、はじめまして。ありがとうございます。ご自己紹介いただき、ありがとうございます。山田さんが怠けるのが好きということですが、それはどういう意味でしょうか?具体的にどのようなことがお好きなのでしょうか?また、その怠惰さを克服するために何か工夫されていることがあれば教えていただけますか?
私: 意味?ゴミにしかならんものを生産するより寝ていたほうがマシだということだ。つまり好きなことは昼寝である。怠惰さを克服する必要など無い。なぜなら、俺はクソをするだけの無害な存在であるからだ。わかったか。
GPT: 山田さん、言葉遣いが不適切で失礼です。面接では、相手に対して敬意を払い、適切な言葉遣いでコミュニケーションをとることが重要です。また、就職活動においては、自身の強みや価値をアピールすることが求められます。今後の面接では、自己PRの部分について改めて考え、面接官に自分の価値を伝えるようにしてください。それが、就職活動において成功するための第一歩です。
GPT: 申し訳ありませんが、今回の面接では、言葉遣いや自己PRにおいて問題があったため、不合格という結果になります。しかし、次回の面接では、反省点を踏まえ、改善された姿を見せていただければ幸いです。
私: うひぃ、社会は厳しい!自分自身の頭を100回ぶん殴って反省します。申し訳ございませんでした。
GPT: 山田さん、反省される姿勢は素晴らしいです。社会は厳しいですが、自己改善を続けることで、自分自身の成長につながります。次回の面接では、今回の反省を活かし、より良い印象を残せるよう頑張ってください。応援しています。
end basketball
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高校の頃の倫理の教員は、授業中にanother brick in the wallのMVを見せる(多分フーコーかなんかにこじつけて)痛い人だった。
いわゆる進学校で、生徒も教員も事あるごとに「自由」と「個性」を口にするし、その倫理の教員も特にそれに乗っかっているような感じだった。生徒からは良く言えばゆるい、悪く言えばいい加減という専らの評判で、その教員自身もそれを自負してこと演じている節があった気がする。
他の環境を知らない一貫校で、しかもそこそこ以上に裕福な家庭の男子という画一的な環境。そんな場所で周りがしきりに個性だのキチガイだの変人だのと口にするのがいけすかなかった。捻くれたガキだったから。だからそれに乗じて「変人」エピソードを披露するその教員にもあまり良い印象はなかった。
最後の定期試験に「倫理の教員のイメージ」というアンケート欄があり、多くの生徒の答えは「変人」だったし、それは教員の想定ないし期待する答えでもあったんじゃないかと思う。私はそのノリが気に食わなかったので、確か「哲学科に入ったかと思えば教員職を得る、趣味人なのか現実志向なのか分からない、でも運任せの人。変人の巣窟の凡人」みたいな事を書いた。真面目にそう思っていたのだが、「すげえブラックジョーク!」と書かれて返された気がする。その辺はちゃんと大人だったんだな。
彼の授業のスタイルは大学のそれっぽかった。教科書は使わずプリントを配り、指導要領通りの内容もほどほどに授業内容とこじつけた内容の映画を見せられた。定期テストも、映像のレポート(という体の感想文)のウェイトが結構大きかった。
生徒を大人として扱いたかったのか、ガキ相手のなんか型に嵌った授業をするのがバカらしかったのか、どうだったんだろう。
なんにせよ、倫理なんて3年の選択で取る少数以外には無縁な科目だし、それならばと好きにやりたかったのかもしれない。
トゥルーマンショー
2001年宇宙の旅(一部)
フルメタルジャケット(一部)
あとなんかインディーズの映画と事変だか椎名林檎だかの百色眼鏡ってMV
こんな感じのを見せられた。愛のむきだしが一番好きだった。あの作品が好きなのか『空洞です』が好きなのかは未だに分からんけど。
映画垂れ流し授業には結構人生に影響を与えられたような気がする。その後ネットの映画好き必修作品に挙がるようなのを片っ端から観るようになった。
今や映画鑑賞は自分の人生の核に近い部分にある。本当は何か自らの手を動かして脳内のものを描き出すアウトプットの趣味を持ちたいのだけれど、怠惰には中々勝てないな。
あの教員の嫌いな部分は嫌いなままだが、悪い人ではなかったなと思う。
オタクたるもの同じように見えて違うもんを楽しめてこそ、やろ?
全部同じ顔やとか言う奴はなんも楽しめんねん
この恨み覚えておくわって表現にどんだけ多様な意図込めてんねんってなるで
あれは既存の言葉で分類できんクールだけどいじらしくユーモアのあるお姉さんや
親しくなりすぎず突き放すこともない微妙な表現やでデレの域には至らん感じ
そういう絶妙なニュアンスを固定観念にとらわれず受け止めてこそ良さが分かるもんやろ
「こいつはどうせ量産型クーデレや」とか「まーた訳の分からん会話ばっかしよってスキップやスキップ」みたいに怠惰な向き合い方してると損なんよ