概ねどの記事でもそうだが、「この世は弱肉強食である」とか書くと「適応云々~」だの「人間社会はああだこうだ~」というマウンティングをよく見かける(本人はこれで論破した気になってるのでマウンティングということにしておく)
しかし、現今社会、アベ政治であろうがミンス政治であろうが、そこにあるのは強きものが弱きものを搾取して成立する社会であり、これを弱肉強食と言わないでなんと呼べばよいのか、低偏差値の私にはわからぬ。
そもそもの話、所得層のピラミッドを建てれば少なき富裕層が多き貧困層から回収するシステムで経済システムは出来上がっており、これ自身が既に格差社会や弱肉強食を産まんとする力学が働くだろう。
そうでないとして、これを上流から下流へ流さんとする力は明らかに弱い。なぜか。
企業の内部留保はよく批判されるが、これは言ってしまえば企業の貯金である。
これを切り崩すなり他からなんとかするとして個人に分配するとしよう。個人は消費するだろうか?
消費せず、貯蓄するのは想像に難くない。
結局、法人対個人という枠で、どっちが貯金するんですか、というのが今の働き方改革含めての日本社会の問題なのだ。
では新たな問題だが、バランスのよい(良さは解釈によるが)社会に弱肉強食は成立し得ないのか。
これは世界的な食糧問題とも直結するが、総量の少ない中でバランスを求めてもそこにあるのは全貧困という絶望だけである。
倹しい暮らしなどと綺麗事はいくらでも吐けよう。しかし我々は、我々自身が、資本主義の門弟であり、快楽主義の権化であり、自由主義の体現である。
これを否定して誰が満足しようか。しない。
満足を求めて、争う未来が待っている。
総量を増やさぬ未来に平等な、あるいはそれに近しい幸福などありえない。
では総量を増やすにはどうすればよいのか?
コレを否定するならば、たとえば一極に富を集めるなどして集積することで、見かけ上の平等を実現するのが適当であろう。
弱肉強食ってのは要するに勝った方が強いってこと 結果だけが全て 何故理解しないのかなんて言っても言葉としての意味は無い それで相手に勝てるかもしれないという点においてのみ...
弱肉強食だったら日本全体が地盤沈下して没落する展開もありジャン 何で個人や集団にだけ言うんだ