はてなキーワード: コスモポリタニズムとは
元増田です。
ぶっちゃけ、「カエサルのものはカエサルに」ができてません、てことよな。
複数言語を使用している国家は山ほどあるのに無知なのか意図的なのか言及がない→言語が障壁になるわけではないのに事実をゆがめて論を進めるのはあまり意味がないと思う。
特に金融市場の話をするのなら、国家があることが原因というよりも、経済格差というか資本集約の進み方が地域によって異なるから、という方が近いのでは→国境だけの責任にするは違う
これは、ちょっとありえないと思う。彼らの見解で1ミリでも擁護できるところがあれば教えてほしい。ブロック化と民族主義で成功した例はないと思うが。
上記より、増田は単に国粋主義を消極的に肯定している日和見主義者とお見受けしたので挑発してみたところ
自己分析、乙w
内集団での悲劇が他の集団の悲劇よりも関心が向き、感情が動かされるのは普通で、アメリカに本社を構えるフェイスブックがこれを実行したのも、フランスがアメリカと同じ西側先進国で、さらに言えば(一応)ヨーロッパ系白人国家だからだろう。
よって、フェイスブックとそれに乗った(欧米諸国の)ユーザーのアクションは恐らく内集団意識に突き動かされたものであり、世界の人々を国家という概念を超え、同じ市民である仲間ととらえるコスモポリタニズムとは対極に位置している。
なぜなら、コスモポリタニズムは国家という概念を超えたものであるから、愛国心の象徴である国旗をアイコンにかぶせるのはその本来の意味に反しているし、中東のテロに対してはスルーでフランスの事件にだけ過敏に反応するのもおかしいからである。
したがってこれらの行動が強力な内集団意識に基づいている以上、中国ほもちろん日本で同じようなことが起きても、フェイスブックはこのようなことはしなかっただろう。(というか想像できない)
ではなぜ、日本人の中に自身のアイコンをトリコロールに染める人がいるのだろうか
なにか長期間留学した経験であるとか、縁があるだとかでなければ、距離的な問題もあるし、西側先進国と言うくくりではあまりにも弱い内集団意識ではないだろうか?
自分たちに同じようなテロが起きても恐らくフェイスブックはフランスに対してのそれと同じことはしてくれないのに。
そしてさらに言うならおそらく本人たちも、同じテロが人種的内集団である中国や韓国でおきても彼らの国旗で自分のアイコンを染めることはしないのに。
つい最近無断RT禁止をTwitterで行っている人達が批判的に扱われる騒動があった。
「なんだこいつRT嫌ならツイッターすんなヴォケ」みたいなただ感情的なだけの反応が数多く、
事を遡るに10年、「無断リンク禁止問題」が大きな話題になったこともあった。
今回の騒動はこの問題といくつかの点で相似している。
まず当人に一般的なルールの自覚があること、次に当人はその上でマイルールを制定したこと、
そして周囲の人々がこれらの点を十分に理解しないまま批判していること、以上である。
まずルールの自覚に関してだが、これは当然のことなのである。一般にリンクは自由にしてもよい、
RTも自由にしてよい、ということを理解しているからこそ、注意書きが書き加えられている。
それをどう曲解したのか「無断リンクする奴とかマジ最低、無断リンクすんなボケ」という意味に
捉えて叩いている。この問題の根本は現代社会特有の理解の至らなさにあるように思えてならない。
ダミー論証という言葉をご存じか?批判とは理解の上に成りたつべきものだ。それを
理解なしに批判してしまうのがダミー論証。しばしば悪意でねじ曲げて相手が言ってもないよう
なことで非難する。2chが生み出した1つの文化と言っても過言では無い。
こうした問題を防ぐためにも、皆さんにはまず無断RTが良いのか悪いのか、そのことから意識を
離していただきたい。視野が狭いままでは水かけ論になるだけ。まず、対立構造から離陸すること。
無断RTに限ったことではないが、すぐムキになって対立争いに巻き込まれるのが我々の悪いところ。
恋人が「距離を置こう」というのは相手に無関心だからではない。関心があるからこそ一度離れよう
と提言している。しかしこと社会問題になると構成人員の何割の人間が「距離を置こう」と言える
だろうか?それが言える人間の割合が稀少な現代社会はまさにどこかで歯車を狂わせてしまったに
違いない。お互いのためにも「距離を置こう」としれっと言える人間を育成すべきだ。
近代から現代にいたる人類の歴史は、単なる合理的分業の範囲を逸脱して、ただ雇用創出のため
だけに過剰なまでに個性を尊重し価値観が多様化されてきた歴史とも言えるのだが、
その過程でコスモポリタニズム的世界観、平たく言えば全世界的な視野の広さが
失われてきたのではないか?はっきり言えば世界が平作状況に陥っている。スイスフランと円が
世界の基軸通貨と言われた時代も終焉を遂げた。ヒトという種の存続のためパラダイムを
コペルニクス的に展開すべき時期に来ている。そのためには旧来のIT技術ではダメなのである。
確かにインターネッツがあれば、色んな情報へのアクセス性は高まる。しかし限度もあることを