はてなキーワード: 制圧とは
パレスチナでの戦闘が始まった時、一年前に見た記事を思い出したので読み返してきた。
パレスチナ人のサッカー選手がウクライナ戦争を受けての戦争反対を訴えるチームの行動を拒否した、という記事だ。
彼は別にロシア支持者でもない。あらゆる暴力に反対だ、と言いながら過去パレスチナ問題での同様の行動が違反だとされてきたことに苦言を呈していた。
「結局、正義と公平の問題でしかない。サッカーと政治を混ぜないルールがヨーロッパの問題でなら混ぜていいことになった」
「誠実さもなければ、公平さもない」
ハマスの襲撃とそれに対抗したイスラエルの空爆。国際社会の代表であろうG7の多くはイスラエルを支持している。
常日頃ロシアに対して「国際法を守れ」「国際秩序を脅かすな」と多くの人が言っている。
ロシアのマリウポリ制圧に対し、人道回廊が機能していないと国際社会は批判してきた。
ガザ襲撃に対し、イスラエルは「電気も食料も閉鎖し動物人間と戦い対処する」と語る。
ロシアが民間施設を攻撃し批判される。ガザの空爆はハマスが民間施設を拠点にしてるからしょうがないそうだ。
ロシアは侵略者だ。ハマスはテロリストだ。イスラエルはユダヤ人国家のため侵略的入植をしても問題ありません。
ブチャの虐殺は悲惨だ。ハマスのテロも悲惨だ。あなたたちはイスラエルのアパルトヘイト政策に目を向けてきたでしょうか?
ロシアから拒否権を剥奪しろ。ガザ地区に関する決議案はアメリカが拒否権を行使しました。
こういうの言うとロシアのプロパガンダに嵌っている、イスラムのテロリストに加担するのかとか言われるんだろうけど
今回パレスチナ支持を表明するイスラム諸国から見た国際社会って二枚舌のオンパレードなんだろうなーって
彼らにとって公平性のある結果が国連ででた試しがあるのだろうか?誠実な対応をされてきたのだろうか。
話が通じず正義も違う。国力も奪われ交渉も成立しない。そんな絶望感がテロに加担する理由にもなる。
でもそれをどうにかしなきゃいけないとか常日頃言ってるのが国際秩序を守ろうとか言ってる連中でしょ?国際法とか言うなら平等に処罰しろよ。
法や秩序とか言ってても、公平な対応もせず自国の利益を優先し誠実さも見えない。そんな秩序が機能するわけもない。
本当にかっこいい男ならおじさんを先制制圧するもんだぞ
・わりと面白いですコーエーさんありがとうございます。
・大将はステータスが重要なので無凸でも強SSRが強く、副将・与力は威名が重要なので無凸SSRより凸したSRの方が強いので武将が(今のところは)腐りにくくていい。
・SSR輩出は渋く、凸はなかなか大変。あと一部SSRが弱すぎるのはなんなんだ、毛利輝元お前のことだぞ。
・茶室はまれに強SSRが12000金、弱SSRが8000金で買えるらしいが、茶室600回回して今のところ毛利輝元が1回来ただけなので、確率0.1%くらいなのかな?なお毛利輝元はスルーしました。
・ステータス90以上の武将2名配置すると部隊にバフがかかるので、素で武勇が90あって、中程度の装備で統率or知力が90超える5凸SR本庄繁長さん強すぎでは。
・部隊運用が思ったより工夫できて飽きない。いずれリアルタイム対人も実装されるんだろうけど、期待できる。
・資材を兵糧に変える取引所とかいう謎施設の存在意義はなんなのか。ただし廃プレーヤーには必要な施設なのかもしれない。普通のプレーヤーは兵糧が余り資材が不足するので無用の施設。
・列伝イベントは事実上テキスト読むだけなのはもうちょっと工夫の余地があるのでは。位置ゲーなんだから実際の合戦の動きとかなんらか取り込めないものか。桶狭間とか川中島とか関ヶ原とか動きが重要な戦たくさんあるんだし。
・地図が見づらいのは位置ゲーとしてかなりイマイチなので改善してほしい。制圧した地域を眺めてニヤニヤしたいのに縮尺が中途半端。あと制圧した地域をテキストでも一覧できるようにしてほしい。
・攻城戦はせめて地図に表示されてるところは戦えるようにしてくれ。見えてる城は攻めれないのに参戦ボタンでどこでも攻めれるの意味分からん。直接攻めたときはバフが乗るとかのボーナスもほしいところ。
【これだけは許せない】
・開戦ボタンが邪魔すぎる。敵軍の兵種が隠れて見えないとかふざけてるのか。今すぐなんとかしろ。
数々の名勝負が繰り広げられ、またシーズン終盤の秋開催ということでチャンピオンシップにおける重要な一戦となることも多かったF1日本グランプリ鈴鹿。
これはF1の年間レース数とサスティナブルに対応するためのものだ。
思い返せば、日本のバブル期に訪れたF1ブームの頃には年間のレース開催数は16戦だった。
以前はストーブリーグの名の通り冬にレースはしないのが当たり前だったが、
現代のF1では最終レースは11月の末、そして開幕は3月の頭。
こうなると如何に効率的に世界を転戦していくか?ということも重要な問題となる。
そういったこともあって伝統の秋のグランプリは来年からは春へ。
とかく台風の影響を受けやすかった秋開催より、天候面で安定するであろう春の開催は歓迎するべきものなのかもしれない。
秋香れば、SUZUKA。
古くは、アイルトン・セナ対アラン・プロストの戦い思い馳せるとき、あの日あの時の茫然の秋風感じる世代にとって、
その伝統が終わってしまうのは少し寂しく感じるのは必然とも言える。
最後の秋SUZUKA。
地元HONDAのPUを搭載したレッドブルチームのマックス・フェルスタッペン選手は昨日の予選を圧倒的な速さでもって制圧、ポールポジションからスタートする。
また今年は車の空力面での性能の低さで苦しむことが多かったアルファタウリチームの角田裕毅選手も予選ではQ3を見事突破、9位のポジションを獲得し決勝に向けても期待が高まる。
決勝は14時にスタートを迎える。
注意 表現にはかなり気をつけていますが、念のため性虐待のフラッシュバック等がある人は読まない方がいいと思います。
いわゆる小児性愛者と言うやつで、ストライクゾーンは主に小4以下の男児。女児もナシではない。インスタに3歳の推しがいる。
近年地位向上の機運が高まりつつある「多数派性的少数者」とは違って、小児性愛者は対象との接触どころか記録物の単純所持すら加害になるので、日々の糧はもっぱら二次元頼みだ。
対象の合意を得ることは天地が逆転しても実現し得ないため、修正のギリギリを攻めたショタ同人誌やイラストを描いてくださる神々には足を向けて寝られない。
最近は児童を性的に描いた創作物の規制がさらに厳しくなり、有名なイラスト投稿サイトは使い物にならなくなってしまった(AIに紛れて本物の児ポが撒かれていた件の発覚より以前からの動きだ)。
下腹部を覆い隠す黒い長方形を見て何を感じろというのか。そのうち乳首まで隠されるんだろうか。そうなればもうお先真っ暗だ。逃げ場がない。
脱線するが、同じ同人誌でも児童を性の対象とした小説はサイト側から厳しい扱いを受けるらしい。絵なら「●学生」と所属をブラックボックスにぶちこめば躱しやすいが、小説は詳細の描写を省くとロリ・ショタものとして成立しないからだ。古い知識なので、今はもっと厳重かもしれない。
ここまで読んで、鳥肌を立てて増田の死を願う人もいるかもしれない。いや、いるだろう。それくらい世間の風当たりは厳しいし、緩和する見込みはこの先もないだろうなと感じている。
関係の成就は絶対不可能。しかも一部の犯罪者のせいで恐ろしくイメージが悪い。そのため存在自体が社会悪と言わんばかりの偏見を持たれており、カミングアウトしたところで、失うものこそあれ得るものなど何一つないため、集団で声を上げることも出来ない。我々には永遠に市民権獲得の機会は訪れない。
世間ではLGBTQ+(このQ+の馬鹿馬鹿しいことよ)の受け入れと並行して小児性愛者を排除するエクスキューズとして、同性愛は「指向」小児性愛は「嗜好」だからというフレーズが定番化している。
要は同性愛者の性的欲求は対象が多数派と違うだけで異常ではないが、小児性愛は児童を対象とする歪んだ「趣味」であり、常識から逸脱した異常なものであるという極めて恣意的な理屈だ。
数十年前は同性愛者も「そっち系の趣味」などと呼ばれ、立場によってはバレた瞬間社会的に死んでいた。好きでもない相手に「襲わないでよ」と一方的に拒絶される屈辱は、今まさに小児性愛者が受けているそれと同じだ。
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
小児性愛は有害な趣味だというのなら、その趣味を止めるにはどうすればいいのだろう。かつての同性愛者のように、矯正キャンプに参加すれば治るだろうか。一体どのような形に治るのが「正しい」のだろうか。
小児性愛は性加害をする?大嘘だ。性的「指向」に関わらずする奴はするし、性的「嗜好」に関わらずしない奴はしない。妻子がいる異性愛者でも児童に性加害することがあるらしい。
そして、加害者がどんな属性であれ、被害者が児童なら非難の矛先は必ず小児性愛者全体に向く。
ある陰謀論では、裏社会にはヤバい小児性愛者の秘密結社があることになっているらしい。もし事実なら、結社はトランプと戦うのを後回しにして、小児性愛者も平凡な人間だということをサブリミナルか何かで世間に刷りこんでいただきたいところだ。
願わくば、二次元だけでももう少し自由を許してほしい。締め付けられるばかりで気持ちを逸らすすべがなくなる辛さを知ってもらいたい。実在児童を守るための法律を定めるのは構わない。子供が護られるべき存在なのは異論ない。
ただ、認めなくていい、肯定しなくても気持ち悪がってもいいから、我々に逃げ道と息抜きを与えてほしい。
「結局表現の規制緩和しろって言いたいだけかよ死ねペド野郎!」と思われるかもしれないが、他に訴えられることがないだけである。実在する子供への虐待を認めろなんて思ってもいない。自分自身が元被害者だから、子供への性加害がいかに残酷かはよく理解している。
安全に生きるためには、ただ自分を抑えて性的なことに興味が薄い人のふりをして生きるしかない。
案の定の手合いがいらっしゃってるんですけど、隙あらば児童と性的に接触したいぜ!とか一言も書いてないんだけどな。むしろ加害性を自覚して弁えていますという話なんだけど、内心の自由すら許さない勢いなのかな。
追記2
別に児童が好きなのはパワーバランスが不均衡で制圧しやすいからじゃないです。好きだからです。可愛いからです。同性愛者が同性を好きなのは「異性に苦手意識があるから」「異性の良さを知らないから」ですか?違いますよね。それと同じです。
追記3
好きだった作品群がサイト側の要請で残念なことになったのが辛すぎて、つい書いてしまった。
追記4
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
ここに引っかかってる方が数人いるようなので。表現がまずかったです。
『無実の小児性愛者がただ存在しているだけで差別を受けるのは、誤解と偏見に基づく心証の悪さによる。』に訂正します。受け入れられるも疎外されるも、マジョリティがキモいと思うか否かが肝なんだよなぁ、と言いたかっただけでした。
ブコメの黒線の話ですが、媒体やサイトによります。ギリギリのを提供してくれる場所もまだ生きてますけど、ダメなところはダメになりましたね。前述したように最近好きな作品が非公開を食らってしまって、かなりショックを受けました。もし今後もっと厳しくなったらどうしようかと危機感を抱いてます。
追記5
※思うところあってディティールを大幅に削りました。
・被害児童の気持ちがわかるか→読みにくい文章で申し訳ないけど、もう書いてます。私は元々被害児童です。
・AIを使え、自分で書け(描け)→もうやってます。自作の非公開小説は原稿用紙に換算すると約3000枚分ありますが、自分で書くのと他人の描いたものは違うんですよ。全然違う。
そりゃもちろん戦争なんかない方がいい。
戦争といっても色々ある。ちょっと大雑把に分ければ、一つは相手が自分より弱そうと判断したら「テメエちょっと金貸せ(返す気はない)」「俺の子分になれ」といって植民地支配する侵略戦争である。
かつての大日本帝国はこれを行い、南京では大虐殺を行い、朝鮮半島では男性を徴用工として強制労働させ、女性は慰安婦という名の性奴隷として凌辱した。東南アジアなど南方でも日本軍による非人道的な支配や虐殺は行われた。このような侵略戦争に反対なのは当然だ。
一方、理不尽な侵略に抵抗するための戦いもある。現在ロシアの侵略に対して対抗しているウクライナの例だ。
ウクライナの抗戦も「戦争」といえば「戦争」である。では「戦争」だから悪なのか?
橋下徹などは一時期「ウクライナはさっさと降伏した方が良い」とか言っていた。
抗戦せず降伏していれば、確かに戦死者の数は減るかもしれない。そのかわりウクライナ語は完全に禁止され、街でウクライナ語を話そうものなら警官に警棒でブチのめされたり、ロシア兵の気分を害するとブチャのような虐殺が起こるかもしれない。
そんな状況になるよりは抗戦しよう、と考えるのは十分に理解できる。
「戦争反対」と言っている人達は、ウクライナの抗戦にも反対なのだろうか?
「戦争反対」と言っている人達によくある理論として、「戦争は政府が勝手に起こすものだから、市民はそれに従わなければ良い」とかいうものがある。では、ロシアではいまだに「特別軍事作戦」を支持する意見が7割近くあるということをどう説明するのだろうか?
戦前の日本でも大本営発表の戦勝報告に日本人の大半が大喜びしていた。国民が戦争を支持したのに、戦争を起こすのは政府が悪いのであって国民は被害者、みたいなご都合主義には違和感がある。
話を戻すと、一口に「戦争」と言っても侵略戦争もあれば防衛のための戦争もある。現実にはその中間にどちらとも言えないような戦争がグラデーションのように存在するのも事実だ。
しかし理解できないのは侵略戦争も防衛戦争の全部一括りにして「戦争」だから「反対」で「戦争反対!」といっているような人達である。
暴漢がやってきて「テメエ金よこせ」とか「テメエの顔が気に入らないから殴らせろ」という場合に、その暴漢に「暴力反対」というのはわかる。だが、たまたま付近ににいた柔道家がその暴漢を投げて寝技で制圧したのに、その柔道家に「暴力反対」というのは迷妄である。
今日本で「戦争反対!」と唱えている人達は、「戦争反対!」という呪文を唱えれば戦争は起きないという妄信にはまっているのではないだろうか?
肩が長期にわたって痛かったので整形外科に行ったら腱板断裂という診断結果だった。
診察を受けるまで気が付かなかったが腕がいつの間にか全然上がらなくなっていた。上げようとすると激しく痛む。
鎮痛薬(飲み薬・湿布)を処方してもらって、肩を動かすように言われたり、ステロイドを注射してもらったりしたが、鎮痛薬は少ししか効いていない感じで、ステロイドの効果も1日だけだった。
調べるところによると腱板断裂は自然に治らないので、当たり前だが痛みを緩和するだけの鎮痛薬では治らない。
その後何度病院に通っても「様子を見ましょう」としか言われなかった。これ以上通院しても進展がなさそうなので、通院をやめて愚直に肩を動かしたり動かさなかったり(動かさずに安静にしていた方がよかったのではないかと思う)を半年間続けると、肩の可動域が広くなり、腕が頭の上まで上がるようになっていた。それでも元々の可動域には戻りきらない(もう片方の腕のように背中をかけない)し、腕に急激に力が入ったときに痛む。なんか肩がずっとゴリゴリ鳴る。これが何の現象なのかが分からない。
それでもう一度病院に行って、治る可能性があるのか聞いたのだが、「軽症だから別に生活に困っていなければ問題ないでしょ」と言われただけだった。
確かに肩をかばうような生活をすれば全然問題はない。しかしもう筋トレは一生できない。近所のテニスコートでテニスをやっている人を見て、ラケットなんて振ったら一発で肩を痛めるだろうことが容易に想像できる。
試しに腕立て伏せをしようとしたらやはり腕を曲げ始めてすぐに肩が痛み出す。
警察官に制圧されるときに後ろ手にされるとまずい。痛いからやめてほしいと頼んでもやめてくれるわけがない。
とにかく腕を使うスポーツをせず、家電や家具などの重い物を持つことがなければ困ることはない。
https://twitter.com/sputnik_jp/status/1676102685190402050
ロシアの首都モスクワ郊外で4日早朝、ウクライナのドローン(無人機)5機によるテロ攻撃の試みが行われた。ドローンは撃墜されるなどし、けが人や建物の損傷はなかった。露国防省が発表した。
同省によると、モスクワ市南部のノーバヤ・モスクワ地域に飛来した4機が防空システムによって撃墜されたほか、電子戦装備で無力化された1機がモスクワ州のオジンツォボ市に落下した。
これまでにモスクワ市のセルゲイ・ソビャーニン市長も、モスクワ郊外でウクライナのドローン(無人機)による攻撃の試みがあったと発表していた。
これを受け、モスクワ南部に位置するブヌコボ空港は現地時間4日午前5時10分(日本時間午前11時10分)から、離発着を一時停止した。その後、同日午前8時(日本時間午後2時)には制限が解除された。その他の空港への影響はなかった。
インターネット上ではドローンを撃墜する様子を収めたとみられる動画が投稿されている。
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、今回のテロ攻撃が国際線も離発着する空港などの民間インフラがある地域を狙ったものだと指摘し、次のように述べている。
「ゼレンスキーがこのテロを西側諸国から供与されたか、資金援助を受けて手に入れた武器で行っていることを考慮すると、これは国際テロリズムだ。国際社会は米国、英国、フランスといった国連安保理の常任理事国がテロ政権を支援していると理解しなくてはならない」
モスクワ周辺ではこれまで、民間人を標的に含めたウクライナ当局のドローンによるテロ攻撃が相次いでいる。5月3日夜にウクライナ当局がクレムリン(大統領官邸)に対するドローン攻撃を試みた。軍や特殊部隊が電子戦システムで対応し、ドローンは不具合を起こしクレムリンの敷地内に落下。人的及び物的被害はなかった。
また、同月30日にはモスクワ市内の複数の集合住宅にドローンが衝突。モスクワ市のセルゲイ・ソビャーニン市長によると、少なくとも2人が負傷した。先月21日早朝にも計3機のドローンがモスクワ郊外の軍倉庫に接近したが、全て電子戦装備によって制圧された。
みんな無事で大団円、というのも悪くなかった。
正直感動したし。
でも違和感がどうしても拭えない。
というのも一期の最後、スレッタがミオリネを救うためにエアリアルで敵兵をぐちゃっと潰したあのシーン。
進めば二つ。
一期ではそれが絶対的に正しいのだとスレッタは妄信し、二期では進んで失うこともあることを知る。
そして一期の最後におけるあのトマトシーン、敵兵を殺すことでミオリネを助けたあのシーンが描いていたのは簡単に言ってしまえばトロッコ問題だ。
進めば二つ得られる。
しかしそれが正しいのだとすれば、では二人が同じ方向に進めばどうなるのか?
そうして一方だけが多くの益を得ており、それによって格差が生じ、その問題が表面化していたのが地球での暴動であり、アーシアンとスペーシアンの対立となっていた。
つまりこの作品のテーゼとしては「現実ではどちらか一方しかとることができない」という所謂トロッコ問題が存在しており、それを「進めば二つ」という教訓の誤りを指摘する形で提示するように思われた(少なくとも2期の終盤までを見る限りでは)。
けれど最後、蓋を開けてみればスレッタが大きく進んだ結果みんなが助かり、誰も死ぬことなく、三年後の元気な姿が描かれる。
その間には地球での紛争で多くの人が亡くなったであろうことがなかったことのようにして。
スレッタは自らの意思で大きく進んだ結果、二つ以上の、たくさんのものを得ることができた。
でも作品として見た場合、”ガンダム”として考えた場合、この終わり方で良かったと言えるのだろうか?
あと最後の、”一方的な力で場を制圧して解決する”という構図。
これは虐げられる地球側のことを描いた上でこの描写を意図的にしているのであれば、それこそ実に皮肉的であるのでガンダムらしい最後であるとは言えるのかもしれない。