はてなキーワード: 二者択一とは
根本的に増田がこの話をどう持って行って何を伝えたいのかよく分からないので、ただ言葉を返すのも不毛かなと思ってるよ。
これまでの話からしたら、増田はアニメ好きのウヨって矛盾してるよなってことを言いたかったのかな?
物事の考え方、捉え方は自由だから、そうした揺るぎない結論があるのならそれでいいんじゃないかと思う。
まあせっかくここまで話したので、一応私個人の考えを述べると
別に伝統文化も最近生まれた文化も競合するもんじゃないし、二者択一にする必要もないので、どちらも日本の文化として誇りに思ったりするウヨが居てもおかしくはないんじゃないかと。
仮に伝統文化に変革を起こして現代に合ったものにしようって流れなら、それは新旧競合するからけしからんって言うウヨさんはいるかもね。
大学無償化は貧困に陥った子供の救済を目的にしたものですので、出生率の向上の効果の有無はこの政策において重要ではありません。
そもそも主目的としていない効果が不明であることをもって、別の施策と比較するのは不条理です。
そういうご家庭は救わないというのでしょうか。
貧困で就学が困難な子供と、費用の観点から第二子の出産を悩む家庭はそれぞれまるで別の問題ですから、別々に議論されるべきですね。どちらか一方二者択一で並べられるべきものではありませんよ。
大学は各大学ともそれぞれ個性的なカリキュラム、個性的な教育内容を実施していますから、貧困を理由に選択肢を奪われる子供が増えないように、この施策を拡充しようというものですね。
もはや決定という風な言い方は避けた方がいいと思います。
高等教育の無償化の理念や意義、目的などを述べているだけで、特に決定したかのような言い回しはしていませんよ。
そもそも私は個人的には高等教育の無償化に賛成というわけでもないですし。
私は日本の若者のことを考えるのであれば、出生率が伸びることが必須と思います。このままだと大学へ行っても国の税収や保険の問題で長期的に大変な目に合うでしょう。
セーフティネットの拡充による貧困若年者の救済と、出生率の改善による経済や国力の成長は別々の議論です。あなたが批判されているのはこの両者を混ぜ合わせて二者択一にしようとしていることからです。
それぞれの施策は別々に議論されるべきものであり、一方が不要だからもう片方が必要、一方が必要だからもう片方は不要という関係にはありません。
岸氏が行ったこととはあちゅう氏のこれまでの言動はどちらも終わっているレベルではあるが、それでも同列では無い。
岸氏の行動で精神的、肉体的に被害を受けて人生がメチャクチャにされた人はいても、はあちゅう氏の発言で童貞をバカにされたからと行って死にかけた被害者はいない。
二者択一で今すぐにでもこの社会から消え去るべき方を選べと言われたら間違いなく岸氏の方が選ばれるはずである。
そして岸氏のレベルで社会から抹殺されるべき人間は他にも多くいる。多くの人が覚悟を決めて #MeToo のハッシュタグでツイートをしている。
冷静に優先度を考えれば次のターゲットはそういった人たちである。
それなのにはあちゅうにターゲットを置くのは、社会を良くする気もないクソ野郎で自分の不満をただ吐き出したいだけの自己中というしか無い。
インターネットの世界は広いとは言え熱量には限界がある。せっかくここまで大きくなった熱量のターゲットがはあちゅう程度であってはもったいない。
彼女は燃えやすいので、多少この問題が落ち着いてから燃やすことはできるだろう。それに彼女はこの程度の燃料ではびくともしない。はあちゅうを観察してきたあなた達ならわかるだろう。
いずれにせよ今この時点において何を燃やすかを考えた時にはあちゅうを選択するのは本当にセンスが感じられない。
センスがないやつらにこんな言葉は届かないとは思うが、本当の被害者たちがいるところを叩いて欲しい。本当に死にたいと思った程の被害を受けた人がいるところに視線を向けて欲しい。
そうでなければ今戦々恐々としている怯えている犯罪者達を喜ばせてしまうだけだ。
今はあちゅうを叩いている人たちは自分の過去への飛び火を避けるために他の人へ目を向けさせようとしている、そんな風に感じてしまう。
「自宅でプリンタ持ってるくせに」
ひがみかよwwビンボー人
いや?自宅にプリンタ本体を置きたがるくせにインク消耗に文句言う時点でサイコーにバカ。あらゆる製品はその利益不利益双方を受け取るものであり、
お前が言ってるのは「寒いからファンヒーター買ったけど灯油代が高い!」とか「寒いからカーボンヒーター買ったけど電気代が高い!」とか喚いてる輩と同レベル。
そりゃあカネがかかるもの買ってんだからカネがかかって当然だろ。
コンビニプリンタの300円程度の出費にすら尻込みするビンボー人には似つかわしくない代物、というわけだな。わかったか、バカ。
ひがみかよwwビンボー人
インク消耗が尋常じゃないから文句言ってんの。理解力ゼロのバカかお前は
へー、できないんだ。
へー……w
ABCと123の対応が思いのほか共感されていないが「うちの高校は3年C組まであった」と言われたら
ああ,3クラスあったんだな とならないだろうか。あとはエクセルとか
「慣れろ」はその通りなんだけど,違う表記だったらもっと慣れやすかったんじゃないだろうかという
A,B,C,...を11,12,13,...だと思ってしまうところ
アルファベットがABCで始まることは当たり前の知識であり,それに数字を対応させること,特にAに1を対応させることはしばしば行われている
この前提と,「(十進で)2桁になるやつはA~Fで表す」という漠然とした記憶が合わさると,Aを11にしてしまう
Aが11だと当然Fは16になってしまうが,「十六進だしそりゃあ16まであるだろう」という誤りだが腑に落ちる理屈づけができてしまい修正されにくい
そして,なんとかこれを克服しAは10だと刷り込んだとしても,Aが「奇数っぽい」というイメージがなかなか払拭できない
偶奇は二者択一なので,逆側を匂わす要因が少しでもあると簡単にこんがらがってしまう
結局のところ十六進数を日常的に扱うような人は理屈抜きで覚えられるだろうし,そうでない多くの人には関係のない話なのだが,なんとなく十六進の九九表(FF表)を作って覚えようとして挫折した身からするとこのようなところが嫌だった,という話です
ローマ数字を流用して10をXとし,以降はAからのアルファベット順とする
ABCDEが1ずつずれるので現行から置き換えると大混乱必至 辞書順にもなっていない
X:10の後,トランプからヒントを得てJ,Q,Kを11,12,13とし,以降はアルファベット順
辞書順になっていない
ten,eleven,twelve,thirteen,fourteen,fifteenの頭文字をとっていく
tenのTからアルファベット順 Zを使わないのが気持ち悪いが一番まともだと思う
これが普及するとポケモン勢は混乱するかもしれない
映画が好きな人って、二者択一なら結局どっちを評価してるの??
オリジナル作品やシステム的にNETFLIXのが圧勝なんだけど劇場映画のラインナップはHULUの方がいいと思うの。特に過去の名作と言われるたぐいが多い傾向を感じていて、あ、これ色々評判は聞いてるけど、一度も見たことなかったなあってな目的外の収穫が多い印象がある。例はなんでもいいけど、ヒッチコック作しかり、兵隊やくざ一連しかり、だ。
でも、比較ブログ(おトクな生活にのっぴきならない関心はあるが、映画等に一般人に勝る関心を持っていなさそうな筆者であると思われる場合が多い)とか見てると、ネットフリックス一択気味な説明が多いから映画作品主体の観点でHULU擁護する意見を持つ人やその逆が他にいたら、どんな意見か聞かせて欲しいです。
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追記
言及ありがとうございます。一件もつかないと思っていたので驚いています。自分が見ない番組を基準に評価されていたりして、視聴したい番組の傾向によって評価は人それぞれなんだなあと当たり前すぎることを感じました。今後のサービスの継続や解約の参考にしたいと思います。
このへんの話。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2
事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。
背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼる必要があります。
1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペインは王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデターを鎮圧したことで即位直後は民主化の守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王とクーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える。
閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペインは単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語やバスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府のトップがスペインに帰国し、民主化が進展します。このとき、フランコ体制下で抑圧されてきた「スペインは多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます。
(ここでいう「民族」ってのは、英語のネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペインは単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人もバスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)
民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペイン・ナショナリストはフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペインの統一、つまりスペインが単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。
Section 2
The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.
太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインがひとつのネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティが存在することが謳われています。ナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまり、ネーションはひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。
(ところで、この憲法からもわかる通り、スペインは連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語で「自治州国家体制」といいます)
この憲法にのっとってカタルーニャは自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用が弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府は公教育にカタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語の使用に助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語とスペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています。
(助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語は経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)
ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。
Section 3
C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.
C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.
C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.
そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人やカタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります。
この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育をカタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州の言語政策も、たとえば「お店のメニューにカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルにカタルーニャ語を使う義務」「企業の広報活動でカタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。
ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペインの自治州には基本的に徴税権がありません。バスク自治州とナバラ自治州には歴史的な事情(ありていに言うとスペイン継承戦争で官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャはあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャはスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金がカタルーニャから徴収され、多額の税金がカタルーニャに還元されています。
しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャに交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしています。しかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車の老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャの高速道路整備も中央政府は拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャのインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。
こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャがネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派の社会労働党)との交渉で徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。
これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペインの統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年、憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定は違憲となり、カタルーニャをネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャの学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。
ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャは自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子孫だってカタルーニャに暮らしているわけですから独立に傾きます。
2014年、カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票の実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州は非公式の投票を決行しましたが、中央政府は憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけます。ちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後のカタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています。民主主義とは。
このような国民党政府の対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合は交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事。こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。
スペイン政府はオプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。
Section 155
1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.
2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.
ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識が必要だろうと野暮を承知で解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。
そもそもなんでカタルーニャがスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!
https://anond.hatelabo.jp/20170831173534
>>世の中にはヤンキーでもいいし障碍者でもいいし癇癪を起したりパニックになったりする子どもでもいいし、そういう人物がいるわけだけど。
>>現実的なのは取り押さえたり平手打ちするというものだけど、ポリティカルコレクトネス的ではないよね。
>>まさか説得しろとか警察を呼べとか(警察呼べとやたら言う奴ってその労力と手間を全然理解してない場合が多いけど)思ってるんだろうか。
>>俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。
サーファー師匠が言ったのは、「海、似合わないね」「海、似合ってきたね」。「なまっちろいデブはふられて当然だ。きたえなきゃいかん。」とかは言っていない。
「似合わない」は場にそぐわないというだけであって、必ずしも価値自体をおとしめる言葉ではない。初対面の他人にいきなり言うのは失礼だけれども。
細マッチョが高価な山道具で身を固めていたって、「海、似合わないね」と言われ得る。
主人公は海でサーフィンを始めた後も、それを話題にネット交流を続け、ネットでのコメントに元気づけられてサーフィンの練習にはげんだ。インドアとアウトドアで二者択一とは描かれていない。
そりゃあ、波に乗れることの方がより素敵っぽい演出ではある。でもそもそも、よい波が来る海を売りたいCMなのだから、そこに目くじらを立てても仕方なくない?
体型の変化を強調するのは、スポーツものや修行ものにありがちな演出だろう。相撲や高校野球だったら逆に、がんばって食べて体重を増やす描写になる。
好きな相手や気になる相手は「恋愛対象か否か」の二者択一でしか見ることができない。
誰しも恋愛対象になる/ならないの判断はあるだろうが、一度恋愛対象になるとうまくいこうがいくまいが恋愛対象としてしか見ることができない。
うまくいった場合はいいが、うまくいかなかった場合ひどいことになる。
どんどん追いかけたくなり、しまいには嫌われる可能性が出てくる。
無論、そうはなりたくないという理性ははたらくが、そうなると今度は追いかけたいのに追いかけられない自分自身の環境に苦しくなってくる。
相手に対してニュートラルな状態で接することなどできず、自分のものにできないなら冷たくそっけなく接することでしか平静を保つことができない。