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はてなキーワード: 不可能とは

2024-02-06

anond:20240206104302

俺も旨味調味料ほとんど使わないけど、色々なものに入ってしまっているので、排除する事は不可能だと思ってる。

味の素のものを使うのであれば、ごく少量であれば全く問題無いし、料理が美味しくなると思ってるけど、

東南アジア中国の一部、日本の街中華等で大量に投入されることが有って、さすがにあれは無いと思うし、

それを食べてしまうと舌が麻痺する(本当に舌が痺れる)ので、注意が必要


味の素化学調味料と誤解している人が居るので、味の素名誉のために、お知らせする。

https://www.ajinomoto.co.jp/products/anzen/keyword/aji.html

anond:20240206133734

どれだ?

出展店舗の紹介

全国から選りすぐりの8店舗が登場し、各店約3種のスイーツをご用意します。中でもイチオシ商品をご紹介します。

価格はイートイン(税10%)/テイクアウト(税8%)の順で記載しています

①Veggy Way(ベジウェイ)/北海道札幌市

ヴィーガンバターサンドたくさん苺」¥611/¥600

九州初/白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

米粉クッキー自家製ジャムを挟んだグルテンフリークッキーサンド。苺の甘酸っぱさと濃厚なバターの相性が抜群です。

②Mu(ムー)/京都府宇治市

米粉の麹ドーナツダブルチョコレート」¥508/¥498

九州初/白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

乳化剤不使用の濃厚な有機カカオ70%チョコレートコーティングした、しっとりふわふわ食感が魅力。

③十八子(オハコ)/岩手県盛岡市

有機米粉クッキーチョコサンド」¥599/¥588

九州初/白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

香り高く濃厚な有機カカオチョコとこだわりの米粉クッキー使用した、素材の良さが引き立つグルテンフリーチョコサンド

Ripple sweetsリップルスイーツ)/東京都港区

「生チョコカヌレプレーン」¥561/¥550

福岡初/白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

チョコレートにもカヌレにも絹豆腐使用し、濃厚でモチモチ食感に仕上げました。

⑤imalivechocolate(イマリブチョコレート)/三重県度会郡

「ローチョコレートラズベリー」¥1,100/¥1,080

※白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

ダークなローチョコレートの中にフリーズドライしたラズベリーを贅沢に練り込みました。

のんびり山 /長崎県諫早市

チョコグラノーラ」¥836/¥820

※白砂糖使用/卵・乳製品使用グルテンフリー100%植物性

カカオ70%有機チョコ使用し、自家栽培ドライブルーベリー入り。アイスヨーグルトとも相性ピッタリです。

菓子工房くるひ /福岡県・福岡

有機チョコ 70% ガトーショコラ」¥468/¥460

※白砂糖使用グルテンフリー

有機チョコレート使用し、生チョコに近い濃厚なグルテンフリーガトーショコラ

niki(ニキ)/佐賀県佐賀市

フロランタンショコラ」¥438/¥430

※白砂糖使用/卵・乳製品使用100%植物性

有機ココアメープルシロップ使用。「カリッ」「ザクッ」の食感をお楽しみください。

■【ちょい閲覧注意】私怨お菓子を買う【長文】

はてな匿名ダイアリーを初めて書くので、場違い言葉遣い仕様を分かってない部分があるかもしれない。

お菓子ブランドなどは特定できないように書くつもり。特定できたと報告があったら消す。

お菓子を買いに行くにしては暗い内容ばかりだし情緒不安定

インターネットによくいる露悪的な人って、ヴィーガン飯と題して肉の画像挙げるじゃん?

それと同じ理屈お菓子を買いに行く。

不買運動とは全然関係ないし一般的お菓子と比べて実際に不幸が多めに発生するわけでもないけど、

特定思想を持っている場合選択肢にも上がらない銘柄のやつ。

説明がむずいけど、要するに「理念的に食べることが不可能な人もいるものを食べると他人の不幸で旨さがブーストされる」理屈

食べられないのは王様じゃなくて一般市民とかだけど、アイスリームの童謡と一緒。

うまいもの知ることすらできないって端から見たらちょい大きめの不幸だし。

私怨(対故人)もある。説明はあまりにも長くなるからしないけど、

大好物思想上の理由で食べられない」っていうのはアンチからすると結構メシウマ

他人ネット上でも接点があるか怪しい、または認知不可能)の不幸(想像上のみ)でおやつうまい

高いやつだから元々うまいけど。

ここまで「露悪的なことしてやるぞ!!」みたいに書いてるけど実行が怖い!

なぜなら実店舗かつイベントに買いに行くつもりだから

そして同ブランド買いに来る人って「おいしくて社会に嬉しい!」みたいな思いっきり光のモチベの人が多そうだから

この内容で善人の集まりに突っ込むのこわいよ~~~!!!会話発生しないでくれ!!!

かといって自分ブランド支援しているのは本当だから売り上げに貢献したいよ~!!!

順位が出るタイプイベントからなおさら!!

せめて実店舗では黙ってお金を出すカオナシムーブをしたい……メンタル雑魚からはてブには吐くけど……

地位を利用して性交したら犯罪って、松本みたいな地位のある著名人はもう性交に誘うことが不可能ってことか?

それは実際、そうなんだよね

世の中(例えば民間企業とか)は既にそうなってる

【ちょい閲覧注意】私怨お菓子を買う【長文】

はてな匿名ダイアリーを初めて書くので、場違い言葉遣い仕様を分かってない部分があるかもしれない。

お菓子ブランドなどは特定できないように書くつもり。特定できたと報告があったら消す。

お菓子を買いに行くにしては暗い内容ばかりだし情緒不安定

インターネットによくいる露悪的な人って、ヴィーガン飯と題して肉の画像挙げるじゃん?

それと同じ理屈お菓子を買いに行く。

不買運動とは全然関係ないし一般的お菓子と比べて実際に不幸が多めに発生するわけでもないけど、

特定思想を持っている場合選択肢にも上がらない銘柄のやつ。

説明がむずいけど、要するに「理念的に食べることが不可能な人もいるものを食べると他人の不幸で旨さがブーストされる」理屈

食べられないのは王様じゃなくて一般市民とかだけど、アイスクリーム童謡と一緒。

うまいもの知ることすらできないって端から見たらちょい大きめの不幸だし。

私怨(対故人)もある。説明はあまりにも長くなるからしないけど、

大好物思想上の理由で食べられない」っていうのはアンチからすると結構メシウマ

他人ネット上でも接点があるか怪しい、または認知不可能)の不幸(想像上のみ)でおやつうまい

高いやつだから元々うまいけど。

ここまで「露悪的なことしてやるぞ!!」みたいに書いてるけど実行が怖い!

なぜなら実店舗かつイベントに買いに行くつもりだから

そして同ブランド買いに来る人って「おいしくて社会に嬉しい!」みたいな思いっきり光のモチベの人が多そうだから

この内容で善人の集まりに突っ込むのこわいよ~~~!!!会話発生しないでくれ!!!

かといって自分ブランド支援しているのは本当だから売り上げに貢献したいよ~!!!

順位が出るタイプイベントからなおさら!!

せめて実店舗では黙ってお金を出すカオナシムーブをしたい……メンタル雑魚からはてブには吐くけど……

2024-02-05

高校にだけはしっかり通った方がいい

高校まともに通わず空白だらけの履歴になったせいで就職不可能、それによって結婚恋愛も無理といった感じにどんどんなっていったので偏差値低いところでいいか高校だけはマジでしっかり通った方がいい

あっさりと人生詰むから

anond:20240205214252

働けないのに手帳の2級を取って何の意味があるんだ?

働けないなら障害年金を取らないと意味ないだろ

障害年金で2級が取れれば手帳自動的に2級になる

その逆は不可能

これ基本中の基本だろ

そもそもプロ障害者ってなんだよ

anond:20240205114651

仮にその状態の人が死にたければ、点滴などの治療拒否すればいいだけ。

もしできないほどにしゃべりや認知問題があるから拒否が認められず強制延命というのが問題なら、そもそもそういう人は意思確認できないので

安楽死推進派の本人の意思尊重安楽死不可能対象だろう。

まりそういう存在安楽死許可されても救えない。

から本人の意思確認できる状態であるかぎり、生存を延長する行為をしなければ死ぬんだからいつでも死ねるんだよ。

生きようとしてる人しか生きてないよ今でも

未だにAI絵はグレーと吹聴する頭の悪い絵師

https://note.com/sepiasandcreate/n/ne270192189d6

AI絵師著作権問題、いろいろごっちゃにしてません?-①AIモデル編-

  

日本法律では営利目的かどうかは問わず合法

モデルの中に画像存在せずAIから元の絵を取り出すのは不可能

AI個人情報保護観点から訴えることも無理筋

・LoRAの追加学習イラストレーター特定作家風の絵を描くようなもので、これをもって依拠性と言うのは難しい

既存キャラを出すのは二次創作が法的にアウトなのと同じで、これを排除するなら二次創作も駄目

  

・NAIリークさえ避け、あからさまに危険なLoRAさえ導入しなければAI絵の生成とAI絵を使った営利活動クリーンと言える

  

一年上前から何度も何度も丁寧に解説されてるのに

未だに理解しないAI嫌い絵師はいい加減吐き気を催す

AIでやってる事は人間試行錯誤して絵を描くのと同じで、単により洗練されたツールを使っているだけ

AIはいつまでも幼児駄々っ子のような我儘を繰り返すなら文明社会から出ていけ

anond:20240120190246

私が「理解のある彼くん」という立場に置かれていないにも関わらず、なぜ「理解のある彼くん」のように、他者との関係自然現象のように認識しているのか、という疑問が湧いた。

彼くんがこのような思考に至ったのは、ひとえに彼女とのディスコミュニケーションの結果である。はじめこそ彼くんは彼女コミュニケーションを取ろうとしただろうが、彼女自身が自らの意思放棄しているのだから、そこでのコミュニケーションは当然成り立たない。彼くんは、彼女自身がそうしたように、いわゆる「人間」としての関係を諦め、自然現象を操縦する係に自らを安住させたわけだ。

ようは、「コミュニケーション放棄」が人間をこのような思考に至らしめるのであろう。私は発達障害の診断を公的に受けたわけではないが、一般ADHD/ASD的傾向と呼ばれるものを(それは健常者とされる人であってもある程度持っているのかもしれないが)恐らく持っている。子供のころから、私には自分気持ちばかり考える癖があり、人の気持ちを察したりその場の雰囲気を感じ取ることが苦手なのである。こんな私が人とコミュニケーションを取らざるを得ない中で編み出した考え方が、やはり「医学化」である。私は遺伝的にこのような性格で、親にこういう教育をされて、それは改善しようもない宿命なのだ。私の脳内ではたらく物質たちが偶然そのような動きをしているがために、私はこのような考えをしてしまうのだ、というふうに結論付ける。さらに、私の「医学化」は他者にも及んだ。彼らがあのような思考をするのは、彼らがそういうふうな遺伝子を持ち、そのように脳がはたらいているからだ、と。

このように、私はすべてを自然現象として解釈することで、文化人たちが生み出した「意思責任社会」やその上で成り立つ「コミュニケーション」を完全に否定するような、「干渉不可能自然相互作用」という世界観を構築した。つまりゲームから完全に降りたということである

どちらの世界観が正しいかというのはわからない。自由意志が本当に存在するのかは疑問だが、人類は私達のすべてを医学化出来るほど発展していない。しかし、健常者と言われる人たちが生きる自由意志世界の他にも、自然現象ですべてを片付けてしまえる世界があってもいいのではないかと思う。

とはいえ、この時代日本に生きている限り、「意思責任社会から完全に逃れることは難しい。この中で生きるためには、やはり「いい塩梅」でゲームに乗っていかなければならない。だが、コミュニケーション問題を抱える人にとって、「いい塩梅」でゲームから降りることは得てして難しいことだ。また、どの程度ゲームを降りてもコミュニケーションが成立するのかという尺度も、相手次第である発達障害の有無に関わらず、この社会に生きづらさを感じる人や、コミュニケーションに苦手意識がある人などは、このようなゲーム構造や、今自分がどれほどゲームに乗っているのか、降りているのかを考えてみたりして、出来る範囲で調節してみるのもいいかもしれない。

anond:20240205145140

私今の相談所になってから3年目なんだけど、結構な頻度で結構良いと思う人とマッチングするのね。

キモすぎ妄想確定

女は断られたら"あいつはクソ男だった"という記憶改変を施すからこういう思い出し方は不可能

anond:20240205135656

中古ってバツイチという意味かと思ったんだけど、もしかして新品って処女って意味で書いてるの?

外観からどうやって処女かどうか判定してるのか教えて。ぶっちゃけ不可能では?

判定不可能なのだからプレミアもつけられないでしょ。

あるいは交際経験なしを処女仮定してるのかな。

そんなのいくらでも偽れるけど……。

発想がピュアチェリーボーイみたい。

予測可能回避不可能

最初から諦めててたのか選挙前はまったく群馬に触れず、ひたすら京都に注力してた進歩陣営が、

今日になったら群馬をひたすら持ち上げて、京都には全く触れないのあまりに分かりやすくてミント生える

とは言え自民ウヨカルト脳死であるワイにとっても群馬敗戦は痛く、正直触れられるのは好ましくない

国政自民ウヨカルト群馬敗戦を受け止めて、

韓国統一教会公明創価学会との繋がりを重点的に強化して地盤を固めて欲しい

2024-02-04

anond:20240204012435

今回の三重交通公式キャラクターとして男性運転士女性運転士の絵を用意してるよね

まずそこがおかし

この構図では、どうあがいても世の中の性別男性女性に二分されていて、それぞれの性別代表例はこれだという規範性を帯びうる

論理的かつ倫理的に考えるなら、現実存在する無限多様性包含することは不可能なので、人間表象したキャラクターは全部アウトだと主張するべき

2024-02-03

日本テレビ炎上案件の今後

1 日本テレビ小学館も変に動けなくなり余計に炎上

2 脚本家プロデューサーは携わる案件すべてにスポンサーが付かなくなりキャリア終了

3 小学館過去行為文春砲海外メディアに晒される

4 第三者委員会を立ててもだれも信用されない

5 発端となった脚本家を支持した脚本家特定され晒し行為加速

6 指示した脚本家スポンサーが付かなくなり終了

7 漫画原作テレビ実写ドラマスポンサー減少

8 アニメ化以外のメディア化は事実上不可能になる 漫画家が認めてもつるし上げられる

どこまで行くかな

サッカーが出来るのは物理的に年間二十数試合である

土曜日は52回あるがそのうち

1、2月 寒いので不可

3月 月後半の2週は降雪がなければ可  2試合

4、5月 雨でなければ可能  9試合

6月 梅雨入り熱中症対策のため1週目のみ可能  1試合

7、8、9月 最高気温30度以上のため当然禁止

1011月 可能 9試合

12月 年末の2週は不可能 2~3試合

合計で20試合強が精いっぱいであ

平日は客が来ないので赤字であろう

F1大阪グランプリってそんなに駄目なアイデアでもないような気はする

とてつのなく予算が(80億円とか?)かかるみたいだから現実性が極めて低いという話は別にして。

都市部グランプリを開催することの利点はアクセスが極めて簡便になることだ。

比較的、交通の便が良いとされている鈴鹿サーキットですら大阪都市部で開催されるグランプリには絶対に叶わないだろう。

東京から新幹線新大阪まで行けば、おそらく御堂筋線一本でたどり着けるような場所で開催するのだろうから日帰りが容易になる。

この訴求力は凄まじい。

この一点だけでも十分な魅力と言える。

あと、どういうサーキットを作れるのか?というのにも興味がある。

鈴鹿はいわずとしれた伝説的なサーキットドライバーから深く愛されているし世界中ファン評価している。

ただいかんせんオールサーキット特有の狭さというもの現代F1開催地としてはやや不適格なもとなりつつもある。

F1はその安全上の理由から、ひたすら車両が拡大化されている。

その大きな車両と、オールサーキットの道幅がミスマッチものとなりつつあるのは本当のことだ。

大阪グランプリのために新しく構想されるサーキット現代F1マッチしたオーバーテイクが随所で見られるようなものであったりしたら、それもひとつの魅力でもある。

まあ何にしても鈴鹿での複数年開催契約が決まったみたいだから直近実現することはない計画だけど、そのあとを狙うくらいの気の長さと、どこかに財源があるというのなら実現は決して不可能でもないし悪いアイデアではないと思う。

anond:20240203151652

人にはそれぞれの地獄があるからね、わかりあうのは不可能

名前を呼んではいけないあの人達。

株価操作で捕まったあの人とか、匿名掲示創設者で多数の賠償金を踏み倒して海外逃亡したあの人とか、アングラ雑誌ファイル交換ソフトでの音楽ダウンロードを推奨してたあの人とか。

 

当時は法律ではセーフでも倫理的にアウトな行為名前を売ってた人達が、20年くらい経った今、しれっと倫理観を備えた批判者、言論人の立場を手に入れて、社会に対して物申し、それを人々が絶賛してるのを見ると、本邦の人達が本当の意味倫理を備えるのは不可能なのでしょうね。

 

恐らく、某暇さんやその攻撃先であった某仁さんも、20年もしたら、少子高齢化を心から憂う言論人や、社会不公平を追求する正義の人として、民衆からありがたく思われるようになるかも知れませんね。終わってますね。

anond:20240203121016

うそう、これです。

心療内科にも行ってるし、薬ももらっている。

しかしそれで「眠れない(=中途覚醒する)」ことを医師に伝えると、薬を変えるか、別の薬を追加するかを提案された。

薬は増やしたくない旨返答すると、「今のままで…」と医師からの返答。

自分の症状や状態にあった投薬は不可能ってことなのだろうか。

anond:20240203115140

【前編】「ナンパされて車に連れ込まれそうに…」「車を盗まれ全損」 川口市が直面する「クルド人問題」に迫る

https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02030556/

【後編】「日本人がわれわれに合わせるべき」埼玉県の「クルド人問題当事者らに話を聞くと衝撃の答えが…市議は「多文化共生不可能

https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02030557/

恐らく偏った記事だろうが

こういうのに目を通して、「それでも許容できる」と思える奴がどんだけいるのかね

早朝3時の爆音とかさ

自分の家の前でやられたら、そうそうにSNS晒し上げて「追い出せ」とか言いそうだよな

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

anond:20240202142122

アイドルマスター XENOGLOSSIA」は原作ではなく原案扱いなので例として不適。

ゲームの持つインタラクティブ性やヒロインごとに異なるストーリーを2クールアニメ化するのは不可能だとプロデューサー判断して、キャラだけを借りて「舞-HiME」みたいなのを作ろうとしたのがあの作品言うなればゲーム版「アイマス」の劇中劇的な扱い)。

後にちゃんゲームキャラ設定に沿った形でアニメ制作されたが、箱◯版が発売されたばかりの時期にそういう判断するのも納得はできると思う(アニマス制作されたのはゼノグラから4年後)。

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