はてなキーワード: 三原則とは
というわけであくまでも損の総量の話をする。
id:otsune に名指しで絡んでいった広告マーケティングクラスタの社長がいた。
そのあとヨッピーが加勢してその後ヨッピーがいつもの様にotsuneを晒し「イキり発言をするネット古参のよくししらないおっさん」とマサカリを投げた一連の流れで誰が一番損をしたのかという話だ。
(イキり発言をするネット古参のよくしらないおっさんというマサカリは戦況が明らかになったタイミングで確認をしに言ったら何故か更新履歴もかかずに改変されて削除されていたけどそれはいかがなものか)
otsuneと言ってもPBMクラスタやインターネット中年會、老人會をはじめとするネット中毒クラスタ、アルファブロガー・インフルエンサークラスタ以外では無名である。ヨッピーも彼を知らなかったくらいらしい。
なので彼についてまずは簡単に説明するのは無駄に人生をネットで消費している村民の数少ない義務なのは私も知っている。当たり前の話だ
と言っても私が彼を認識したのはパソコン通信のとあるゲーム系電子会議室なのでわりと最近のことなのであるのはむしろ許して欲しい
彼はそこで既に「めんどくさいが筋の通った男」というテーブルトークなら誰しもが使いたい設定で認識されていた。
その後彼は何度も炎上もして居るのがその評価は変わっていない。それは何故なのか特に筋の通った男としての部分だ。
それは彼がネットウォッチャーとしての流儀を守り続けているからだよなあ。と皆が口を揃えてブコメすることだろう。
彼はネットウォッチ三原則として直接触らない、叩かない、過剰な興味を抱かないを常に実践してきてる。まったりなんて話はしらない
有名な話はTwitter監視ツールの話だ。Twitter黎明期から彼はそのツールの存在と仕組みを公にしているが、それで補足した人間を血祭りにあげたことも、その人の個人情報につながる話を匂わせたことすらないのはまさしくそのもの。
これは彼の元祖モヒカン族としての一面を知っているのであれば当たり前の様に知っている彼のハッカーとしての血がそうさせているのだろう。
彼はマサカリを投げると同時に正しいマサカリの投げ方を教えるほどマサカリについては矜持を持っているらしい。
最近は若返りに成功したのかクラッカーとハッカーの違いもわからない人がはてブを利用してる事もあるだろうからこの場合のハッカーはホワイトハッカーを指してるものだとの断りはさせて頂く。otsuneはクラッカーではなくハッカーなのである。
凄いのは彼は2度ほど自らのアイデンティティに関わる炎上をしているがその際には自分で自分をウォッチするという神の様な選択を息を吸って吐く様に選んだことだ。
ネットウォッチするもの自らも事象としてただウォッチするのだと村民は震えたものだ。
そんな彼のもう1つの一面がBF3の厄介プレイヤーとしての一面と争わないネット討論強者としての一面だ。
彼は無職と思われることが多いがそこそこ有名なIPを抱えるアニメ会社のシス管である。
特にセキュリティについての知見は彼を数年ウォッチした人であれば疑う余地が無いので割愛させていただくが彼が最も得意としているのはシス管のお仕事ではなくBF3であるそれは彼のプロフを見ても疑う余地がない
BattleField4, FreeBSD, Perl, JavaScript, tumblr starcraft2:otsune 537 PSN, Xbox, Steam: masafumiotsune 3DS:1392-3915-2089
久しぶりにプロフを見に行ったところBF4にプロフが捏造されていたのでBF3で話を続けさせて頂く。
彼のBF3の厄介プレイヤーとして有名なプレイスタイルとして「いやらしい地雷埋め」がある。
otsuneがいるぞと突っ込んでくる人を各種地雷で葬りさっていく嫌らしい戦い方を彼は得意とし味方ならほっとけるが、敵ならば非常にうざったい戦術を得意とするソルジャーとしてしられていた
頼りになると思った人は観測範囲が狭いので一度BF3をプレイしてほしい。頼りにはならない
地雷の埋め方は一度引っかかった人が警戒すると尚更引っかかるという極めていやらしいものであった。
彼のそんな一面を知りたい人はPUBGをやると良いだろう。BF4以降では味わえない世界が待っていてドン勝だ。
既に現時点ではネタバレしてて村民歴が長い人は最初から気づいてるだろうが今回も彼は地雷を2つ埋めていた。もう絶望しかない。
ヨッピーは相手の明らかな問題点をどんなに些細なものでもそこだけ切り出し一点指摘して相手をやり込める戦術で社会悪と戦う姿に好感を抱ける人気広告記事ライターなのであるが今回ヨッピーが取り上げた問題点は実はotsuneが意図的に仕掛けていた遅延性ギガ地雷なのであった。
今まで斬ってきたおっさんはヒビの入った禍津神みたいなものだったのだが今回は名も知れぬ土着神だったのも災いした。
触んなければよかったし普通は触らない。そういうものだ土着神は
ヨッピーがotsuneを知らなかったと言うのはマウンティングではなく実際知らなかったのであろうポストがあったっぽいのでそれも不幸だったのだけど彼のしている指摘はことごとく的外れでそれらに関してはotsuneは1つ1つ丁寧に指摘をしていっている。
例えば監視ツールをヨッピーはotsuneが配布または販売していると認識していたがotsuneはゴーストリプレイやプロアクションリプレイの様なビジネスをしてれば大金持ちになったのにとは村民みなが思うところで彼は自分のために作って眺めてるだけである。
ただしギガに関しては「そういう人もいますよね?」と彼のウイークポイントとしての偽装を続けたまま24時間以上を過ごしたのである。
その間にヨッピーのotsuneのイキリ発言をまとめたスクリーンショットと共に
という完全勝利宣言がされたのを皮切りにいヨッピーキッズ達は「ギガおっさん」「ギガネットナンパ師」とギガを消費しながらotsuneへ突撃をしていく。ダークファンタジーの世界観そのものだ。なんどもいうが絶望しか無い
ヨッピーもギガをテーマにファンに向けた熱いメッセージをエントリーした。
ネット老人会の皆様はまたしても id:otsune がやっているなとそれらの構造をまず疑ってかかるのですぐ地雷に気づきニヤニヤしながら眺めたりボヤかしながらのヨッピーにコードのにおいがしないとか単著もないのにとか若者用語もしらないのに人をおっさん扱いかよとか不毛なマウンティングを繰り返していた。
一通りの観衆の手元にギガ地雷が行き渡った後にotsuneはギガ地雷を爆発させた。
ギガおじさん、ギガおじさんと叫んでいた人達は爆発し、otsuneはPUBGに戻った。
眺めていたネット老人会の皆さんはまたしても id:otsune の言ってることが正しいことが証明されてしまったあの頃のはてなは楽しかったなと思い9時に消灯した。最近は夜更かしが辛い。
「おっさん認定をしていた側が若者用語を知らなかった」という地雷をotsuneがしかけて一歩も動かなかったただそれだけの話である。
アングラ系のグループチャットによるとギガビックマックの発売日を狙ったのもわざとだろうという話だ。恐ろしい。
現に「ギガが減る」はヤフーニューストップで拡散され毎秒ギガギガ不毛なワードが飛び交う地獄絵図となった。
つまり一番損をしたのは知らずに配布された地雷を手にしてしまったPRな方々ということだ。本当に絶望しかない。
更なる付記
まるで高速道路で逃げる豚だ!
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そんな疑問を持っている内は、君はソープへ行くべきではない。
これはソープに限った話ではないが、金を払って一日とかからず済むような事柄に何か特別な知見を得ようとするなら、漠然とした気持ちで行ったところで変わりはしない。
もし、脱童貞などといった程度の目的で行くようなら、そこには本質的には童貞のままの、いわゆる「素人童貞」という非生産みたいな生産が成されるだけだ。
そもそも、「童貞」などというものが概念的でしかないのだから。
2m半はありそうな女性にまるでモノのように犯されたことは以前話したが、あれで私は童貞を卒業したのではなく、“喪失”したのである。
私の友人は酔っ払っている内に人間と寝たらしいが、痕跡がない上に記憶が曖昧なため真偽は不明だ。
だが友人は「あの時オレは男になったのだ」と頑なで、事実がどうあれ彼は“童貞ではなくなった”のである。
学ぶべき教訓は、「事実のみ追い求めると、かえって本質から遠ざかる」ということだ。
まあ、『ソープへ行け』は童貞を卒業するためのものではないのだが。
答えはNOだ。
つまり、そもそも完璧な作品を作れる人間がいるか疑わしいし、作れたとしてそれを正しく知覚できるかも怪しいのだ。
「承認、是非、回す」だ。
まとめブログの影響力はネット上においてマスコミより強い影響力を持つことがある。特にサブカルチャー関連はテレビや新聞などで重点的に取り上げられることが少ない為、特定分野に関してはマスコミより強い影響力を持つことは間違いないだろう。
少し話を変えて、マスコミにせよまとめブログにせよ何らかの形で事実を婉曲して伝えることはよくある。例えば慰安婦や南京虐殺は朝日新聞による情報婉曲の例であるし、他には毎日新聞の変態記事などもこれにあたる。まとめブログの場合、元ソースが何らかのマスコミのネットニュースであることが多いため、既に引用元のニュースがマスコミによって婉曲されている可能性があるのに更にまとめブログ側が記事作者にとって都合の良い文面やtwitter、2chなどの意見を抽出し、更に歪んだ状態で配信する。
タイトルのはちま、JIN115はそういった問題行動の常習犯(他にはやらおん、ハムスター速報などが該当)である上にマスコミでもそうそうやらないであろう「twitterや海外サイトなどで拡散した真偽不明の情報をあたかも事実であるかのように伝え、間違いであれば口だけ謝罪する(ひどい場合は謝罪・訂正すら無し)」といった行動を何度も繰り返している。またそういうデマ情報は高確率で管理人の思想を後押しするもの、タイトルのブログで言えば特定のゲーム会社を必要以上に詰るものである。
・・・世界に対して日本という国の評価を下げるような蛮行を行った朝日新聞や毎日新聞と比べれば、特定の企業に対して親を殺されたかの如く批判的な記事を書いたり、デマにしても世界的にではなく、あくまで国内の一部コミュニティから評価を下げるに留まる記事を挙げるまとめブログはそれらの新聞社と比べれば可愛いものだ。しかし、特定の物を陥れようとする悪意の強さに関しては、新聞記者と悪質まとめブログ管理人、双方とも互角であると私は確信している。
朝日新聞「日本を陥れるために慰安婦や南京虐殺をでっち上げよう」
JIN115「任天堂を陥れるために(真偽不明の)情報を拡散したりネガキャンを誇張しよう」
表現こそ違えど、完全に嘘の情報を事実であるかのように伝えたり、事実かもしれないが必要以上に誇張した内容を自身の主張を通すために世間へと配信するその様はとても似ている。そして、極めて悪質だ。
この日記を見た人は、これからでもいい、悪質なまとめブログは「見ない、信じない、広めない」この三原則を徹底すべきである。twitterを利用している人はフォローを解除し、RTもしないべきである。気になったタイトルを見つけたなら、それに関連したワードを調べれば良い。情報の新鮮さが求められるまとめブログの記事であるなら、調べれば直ぐに元の情報が出るだろう。悪質なまとめブログに餌を与える必要はない。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20160323/p1
フランス文化を学ぼうとかいうくせに、一方で政治家を不倫で叩きまくる日本。
「エ・アロール(それがどうした)」というミッテラン大統領が発した名言が有名なように
フランスは大統領が不倫したところで、何のダメージにもならない。
文化というのはあらゆる側面の社会構造や価値観と関連していて、一つだけを取り入れることなどできない。
フランスでは不倫を日本のように気が狂ったように叩かない社会だ。
そういう価値観の人々がシラク三原則を受け入れ、豊かな社会を営んでる。全部セットなんだよ。
その「愛」に対する考えが基礎となって、フランスの政策や人々の行動に反映されてる。
都合のいいところだけを切り取って、自分たちの生活に取り入れても、到底不具合が生じる。
どこか片方だけ取り入れようとしても無駄。
例えば、フランスの週35時間労働も事実婚政策もすべてフランス文化特有の価値観が基礎になってる。あるいは、すべての他のシステムと関連してる。
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20160323/p1
ここに書いてあることはその通りで、シラク三原則と寺井校長スピーチは違う。
ところで、シラク三原則などフランス的価値観が日本にあうかというとそれはまた別問題だろう。
フランスの価値観は上記サイトにもある通り。女性の権利は最優先である。仕事をする権利は守られなければならない。子供も3歳から上は幼稚園というか学校(エコールマテルネル)に入るので、就業前と就業後に父親と母親が分担してお迎えすればなんとでもなる。あるいはシッター(ヌヌー)がやる(フランスでは小学生高学年くらいまで、子供一人で家にいることだけでなく外出することも法律違反なので、幼稚園~小学校の送迎が必要)。日本の幼稚園と違って、4時くらいまで面倒を見てくれるし、無料だ。面倒を見るというか授業してるけど。まあ、まずはこれが成立するために週35時間労働制だとか安くてたくさんのアフリカ移民を主体とするベビーシッター(フランス語を話せないこともまれではない)が必要になる。
しかし3歳まではそれもなく、保育園(コクシネル)は競争率が高いしお金もかかる。そのため、子供はほぼヌヌーさんに預けっぱなしである。パリの公園で平日の昼に観察しているところによると、彼女たちヌヌーさん(男女平等・差別禁止が徹底されているはずのフランスで、なぜかヌヌーさんのほとんどはアフリカ系女性だったように思う)は子供たちが遊具で遊ぶのを遠巻きに眺めつつ、みんなで集まってベンチに座ってタバコを吸ったりマックを食べてだべっている。
実際ヌヌーさんに預けるというのはどういうことなのかとフランス人に聞くと、それはやはり不安なことはある、とは言うのである。
しかしそれでも預ける。なぜか?女性が働かないなどというのは考えられないからのようだ。そちらのほうが優先だからのようである。
日本からの赴任家族では、当然ながら(?)奥さんは働いていないことが多い。それを知った時のフランス女性の不思議そうな顔つき、「ずっと家にいるの?へぇ~」という反応を見るに、これは女性の選択の自由を尊重しているように私は思えなかった。日本では子供がいる母親は働かず家で子育てをした方がよいという暗黙の圧力があるのと同じように、フランスでは子供がいても母親は外にいて働いているはずだという暗黙の圧力があるように感じたのである。私はこれは「自由」の名のもとに行われる別の因習的社会であるように感じた。
まあ、それはそれでいいのだ、不思議なことではない。世界のどこかに理想郷があるわけではないのだ。あるのはバランスであり、フランスでは子供が母親とずっと一緒にいられることよりも、母親が仕事をして自己実現を続けることを選んだところ、(因果関係は分からないが)出生率が向上したらしい。社会がどれを選ぶかの話であろう。正解と誤答があるような話ではないと思う。
ドイツ人に、ドイツはどうかと聞いたことがある。ドイツでもやはり女性の労働は権利であり、その程度は日本よりもずっと強い。しかしそれと同じくらい、子供が小さいころは母親は家にいて子供の面倒を見るべきだという社会的意識も色濃く残っているそうだ。それはまた母親の多くもそのようにしたいと思っていることでもある。また、出産後一年以内に仕事を再開しようとすると、あなたそんなことをして子供はかわいそうではないの??という周囲の目があるのだそうだ。ちなみにドイツの出生率は日本と同様に低い。
フランスは経験談だがドイツは伝聞である。出羽守ではあるが、真実を含んでいないとは思わない。日本はどの方向に向かうべきか。フランスの方向に向かうのは不可能であると思っている。