はてなキーワード: レイシズムとは
海外で外国人が日本料理やるの、なんの問題もない、と思ってる派だけど
海外で外国人が日本料理やるのと、日本人が日本で外国料理やるのはまた微妙に違う話なのでごっちゃにするのはどうだろう。
俺はなんにせよこういうのは客が選ぶことで、国として文句を言うべきことではないと思っている。
でも、一人の客としてはやはりスシポリス的認証があったほうが安心という気持ちもある。
調理法や料理そのものに審査を付けるのは、難しいし、レイシズムの温床になりやすい。
なので、スシポリスも調理法の話じゃなくて、産地で認証を与える方式にすれば客観的に認定できて、日本への利益誘導も出来、良かったよなぁと思ってる。
レイシズムに限らず全ての差別構造の根底には、無知がある。それは「自分の所属しているグループが特別に素晴しいものだと主張」していることに他ならないから。
要するに知性がないからレイシズムを実施する。科学を表層だけさらうと「分類」が出来るような気がするから、それに従って分類をしはじめる。本当の意味での知性があるとこの世界に境界線なんてものは本質的にないことがわかるから、レイシズムを実施できなくなる。
この意味での境界線の主張は平和主義ではない。個々人を隔てる絶望的な境界線以外にこの世にそれはないという主張である。レイシストは知性が乏しいだけではない。要するにこの世界にたった一つの実存としてすっくりと立つ覚悟がないほどに幼稚なのだ。自身はなにもせぬままで、誰かと何かを共にしている幻想に縋っている。
たった一人、裸で生まれて、そしてそれをスタートに他者と生きていく覚悟のない幼稚で無知性な人間の言い換えがレイシストであるのだ。
君は国に属する人間ではない。君は君だ。君であることが最初にあり、その上部構造や共同幻想として国家は浮かんでいるだけだ。そこに自身のアイデンティティを一欠片でも依拠するのは弱者ですらなく、幼稚で知性に乏しい愚者だ。国家とは制度の総体である以上、それは制度以上の意味を持たない。そこに意味を見出そうとするのは、たとえば恋心のような下らぬ幻想である。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
https://comemo.nikkei.com/n/n54decf0a0380
っていうけどさ、そういう『かっこいい』『ダサい』ていう二分論がまさに危険だと思うんだが。
開会式の内容も主要人員に前科者やレイシストを使う事なく被災地や国内の少数民族を尊重した誠実なものになっていれば、別に古臭くてもダサくても良かったよ。
そもそも公的な団体のやる事なんてダサくて当たり前だと思うし、「ダサい事」が何かとてつもなく問題であるかのように語るのって納得がいかない。
法的に真っ当なプロセスを踏んで、相手の了承を得てって地道な作業には時間がかかるしその分「古く」なる事は当たり前だと思うし、それは別に悪い事じゃないでしょ。
肌の色や髪の色の違いや服装の貧乏臭さや話す言葉のイントネーションやそういったものが「ダサい」とされて嘲笑の元になってきたのに、
日本社会の差別的な在り方を批判するのに「ダサい」という、直球でルッキズムな言葉を使うのって一体どういう了見なんだ。
「ダサさ」を極端に嫌う社会、要はイケてて、クールで、エモくて、表層的な最先端の盛り上がりさえあればいいという社会の在り方が
人権侵害を「悪い」と言わず、何故か「ダサい」と言ってしまうのは。
フェミニストの間で使われている『ダサピンク』という言葉も、同じ理由で嫌い。
「女だからピンクが好きだと決めつけるな」「ピンクの押し付けやめろ」でいいものを、なんで敢えて『ダサピンク』というルッキズムまみれのスラングにしてしまうのか。
寧ろヒカキンのようなわざわざ気持ち悪いと云われにいくような顔をする人間やヒャダインや岡崎体育のような陰キャこどおじのように受け取る側に誹謗中傷を言わせるようなのが主流になってる ある意味炎上商法としては一流だ それらはクロちゃんと同じカテゴリにいる
違うのはSNSや匿名掲示板のような正直に思った感情を云うだけでBANをされる可能性もある 視聴者はギャラももらってない
今までは演者同士でイジリイジラレがあって イジる側が視聴者が思っている差別心(正当性の有無を問わず)を代弁することで成り立っていた
先程挙げた人物は子供に対するマーケティングを行っている 子供はウンコチンチンで笑い転げる ナチュラルレイシズムなのだ
ゆりやんやぼる塾の誰かさんに対してもそうだ 気持ち悪いと批判する人は単純に美的感覚に基づいているのであり それを笑っている人間の方が寧ろレイシストではないか?
虐めは虐められる側にも問題があると私は思う
しかし現実ではわざわざそれを思っても口に出せないことがおおい 倫理観が高ければ特にそうだ
陰キャの人間は虐められたと豪語するが 虐めっ子しか見えておらず 無関係とおぼしき人間も実際心のなかでは虐めたいと思っている可能性があるし 虐めっ子が代表となり虐めることで代弁しているかもしれない
一般社会や通行人などに対して容姿を批判するのは流石に問題だが芸能などの広告業で生計を立てている人間に対しては見る側の意思で全てが成り立っている
結局は炎上商法が可能なので批判する人間はその炎上者の思う壺だ しかしTwitterなどのSNSでBANされるのはおかしい もし誹謗中傷がどんな理由であれダメであるなら 差別を煽るインフルエンサーの規制もしなければならない
10:56
あの人の話って(ないことにされてる)デビュー作から最新作まで、何かしら通じるテーマ、また一貫性がある
てんで性悪キューピットからレベルEまで、話のオチっておんなじなのよ
例えば幽遊白書なら、人間界と妖怪の世界、二つの世界と生き方、また価値観の相違があって、その架け橋になるのが主人公たちなのよね
で、結局その二つの世界と“人々”が行き交い繋がり合うところで幕が降りる
先生白書のほうでは、元アシスタントさんが冨樫先生は、「子供たちを楽しませるために書く」って明言してた箇所がある
その子供を楽しませる、という言葉の意味を深掘りしてみると、また違った読み方が可能になる
もちろん少年漫画としてのフォーマットで、緊迫のバトルシーン、また友情・努力・勝利の理想的な少年少女像も描かれる
とはいえ、あの人の描写は大人が見てもえげつなさを感じるものが多々ある
児童心理学のほうでは、子供にとって最も恐ろしいのは、自分が世界の情報から遮断されてると感じること…なんて言われてる
あの人は子供を楽しませるために、の他に、また別の主題があるんじゃないだろうか
砂糖をまぶしたようなユートピア的なおもしろおかしい漫画でなく、現実で実際に起こってる恐ろしい事件、出来事をファンタジー世界に落とし込んで描く
彼は真に子供たちのためを思って、あえて大人でも重いテーマ、また描写を繰り返し描いてるんじゃないだろうか
最近は特に“多様性ブーム”、“LGBTブーム”だなんて言われてるけど、彼は90年代からトランスジェンダーの高校生が主人公のスポーツ漫画を書こうとしていた
レベルEでは(おそらく)インターセクシャルのキャラや、またレズビアンについて踏み込んだ一章がある
この世界があまりいいもんじゃないのも、人間関係なんてめんどくさいだけなのも、人生が惨めなのも、そんなことある一定の年を重ねれば皆分かってるよね
でもだからこそ、理想に向けて努力すること、お互いを尊重し合いながら対話を重ねることが重要視される
冨樫先生はかなり初期から文化多元主義やジェンダー論、クィアスタディーズ、先進国が途上国を搾取してゴミを押し付けること(この辺りはバーゼル条約、環境型レイシズムとか、流星街辺りの問題かな)などなど、いろんな社会問題に切り込んで来た作家だと思う
その作風はきっと、この惨めで誰も救われない世界で、子供たちがなんとか問題に立ち向かって、また世界をより良くして行くための一助になる、そんな後押しをするためのものだったのかと思う
だってこのいびつな社会を作ったのは他ならない私たち大人だもん
少年ジャンプのターゲット層は小学生から30代ぐらいの大人だって聞いた
大人として読む(また創り描く)としたら、作品内での残酷描写は避けられないだろう
またその意思を無視して読むとしたら、受け手として無礼じゃないかとも思う
12:26
蟻篇あとのヒソカ人気下落、あれって選挙篇辺りがつまらない…よりかは、蟻篇が突出してたからじゃないかな
まず蟻篇だとメルエムとコムギの本来“分かり合えない”者同士が友愛で結ばれる、またコムギのような視覚障害者が才能を発揮する…とか、大切な友達を助けるために自分の命も惜しまない、弱い者を助けるために強い者が立ち上がる、もし罪を犯したとしても更生することが出来る、どんな姿になり果てても親子の情愛は不変のもの、そういう至極まっとうだけどいざ自分でやるとなったら難しい物事、ある種の人類普遍の理想を描いちゃったからじゃないかな
その後でヒソカとイルミがキルアたちを追い掛ける話なんて読んだら、大の大人が子供相手に何してんの?って感じられても仕方ない…
それにヒソカは確かに強キャラだったけど、王様とか会長には敵わなさそうじゃん
その上会長がもう常人には理解不可能な域まで修行でイッちゃって、ヒソカより手強い狂人キャラが出て来ちゃったわけだもん
ヒソカはサイコパス診断で測れるタイプだけど、会長のはもうヤバいとこ行きまくりで誰も理解出来ないでしょ、感謝の正拳突きとかマジで意味不明じゃん…
あと、ネット上で書き込んでる人たちが大人として成長したって見方も出来るかな
中高生ぐらいで読んでたら頭が切れてヤバいことなんでもやっちゃえて、世間の枠組みから外れてもたった一人で生きてける…そんなアウトサイダーに惹かれるのは当然だろうしさ
でも今メインでハンタ追ってるのってとっくに成人済みの人たちでしょ
身も蓋もないこと言えばあれ単に人殺しだもんな
最近のヒソカへの幻滅って、別に悪いことじゃないし、今後のエピソードに期待大って印象かな
体とか心壊してんなら仕方ないけど、ただ面倒なだけなら冨樫仕事しろ
中の人と思しきアカウントが「本当に文体変えても捕捉してるなら指摘してみてほしい」と言っていたので、自分がメモしてる中からいくつか「国語力増田と同一人物だろう」と思っているものをメモ。
誤爆もあるだろうが、そこそこ捕捉精度は出てると思う。傾向としては:
国語力と論理力を云々する割に、自分は的外れな比喩を使ったり、相手が言ってないことを拡大解釈して藁人形論法をやってることが多い。本人曰く「テクニック」らしいが。もう1年ぐらいウォッチしてみようかなと思ってたけど、書く内容に全く新味がなくなってきたので、ここで記録のストックを御蔵出し。
自分よりずっと前から国語力増田の同定を楽しまれているid:Silicaさんが、上のリストで未言及の増田としてブコメで以下ご提示くださいました。「ラブコメは最も執念があった人に勝ってほしい」は、自分は判定に迷った末に外したのだけれど、じっくり読んでみると「ああ、なるほど」と思う増田確定キーワード『無明』が入っていて、お見それしました。
障害者がどこへでも行ける権利があるので鉄道会社はそれをいくらコストを払っても保証するべきみたいな話をみてると、
じゃあ、なんでお前ら「認知症は免許返納しろ」とか言ってたの?って思ってしまう。
認知症の人間にも健常者と同じく移動の権利は保証されるべきで、その権利を社会や政府が保証すべきって話になんでならないのか?
社会で認知症患者が逆走したりコンビニに突っ込んだりしないように道路システムを改善したり、するべきじゃん。
実際例の電車の件でははてなーはみんな「鉄道会社はなんとかしろ」言ってた。
これが認知症患者が相手だと、「免許を返納して世間様に迷惑をかけないようにしろ!」と個人の権利を制限しろと言う話になるのはなぜか?