はてなキーワード: リバタリアンとは
青←表現の自由の戦士のアンフェ。論破厨。表現に関しては超リベラル、というかリバタリアン。女性の権利となると保守回帰的な意見に賛同する。自称リベラルよりもリベラルな真のリベラルの立場から叩くのが得意。「大学時代に同じサークルの女を洗脳して過激派ウヨにした」みたいな自慢をコテハン時代にしていたらしい。
もへ←右翼のアンフェ。青のようにリベラルを気取らず、自称リベラルを叩く。共産趣味とか言ってる中高生のアニオタに人気。
白←アンチリベラルアンフェ。『アカデミックなフェミで稼ぐ女性学者のように、ツイッターフェミニズムを叩くことで稼いでいるフェミニズムの寄生者。(鍵垢より原文ママ)』というツイートを見て感心した。はてなー同様田舎育ちのインテリなので、ボンボンインテリの知らない真実を知っている。アカデミズム叩きが激しいのできっとアカデミズムより優れた意見を持っているはずだが、残念ながらその主義主張は情報商材を買わなければ読むことはできない。「コーランの論理強度が高い」と言っていたが、コーランの論理強度とは何か是非無料で教えてほしいと増田は思う。著書内に剽窃データを載せたそうな。
す←過激派ツイフェミの男版。五天王最弱。統計により真実に辿り着き、レッドピルで目覚めた人。これが令和のマスキュリズムだ❗️
黒←右翼。アンフェのイメージはあまりない。古き良きパヨク叩き。左翼の間では、ランサーズ案件と言われているが根拠は知らない。フォロワー層が若いイメージ。
ワイは人文系の若手研究者だけど、その主張は端的におかしいよ。
たとえば医学とかだと医者のいうこと聞くのが一般的だと思うのよね。時々、医者やワクチンはインチキです、〇〇を信仰すれば病は綺麗になくなります!みたいなキチガイいるけど、あれは普通にキチガイじゃん
でも人文系にはなぜか、その学問の学位すら持っていないのに、したり顔で頓珍漢なご高説垂れる輩が多いのよね。ワクチンキチガイと同レベル
事実に関してはフェミニズム研究は優れた業績を残していると思うよ。これまで男性中心の歴史観や批評によって無視されてきた女性の歴史や女性文学を発掘したり、見逃されてきた性差別の存在を明らかにしたり、そういった研究の存在を踏まえずにテキトーなこと言うのはニセ科学と同列でありえない態度だよね。
アメリカのリバタリアンの間には反ワクチンと共闘してワクチンの義務化に抵抗する人たちがいる。彼らの主張はこうだ。「政府は子供の身体に何を入れるかを強制すべきではない。それは親が自由に決めるべきことであって義務化には反対」
この主張は、医学的事実が正しかったとしても成り立つ主張だよね。これに医学的見地から反論するのは無意味で、政治信条を表明して(つまり意見を表明して)争うしかない。そして政治信条というフィールドでは、医者も素人も対等な主権者として扱われるべきだろう。それが民主主義ってやつなのだから。
これをフェミニズム研究に当てはめてみよう。「○○のような技法は性的に対象を消費するために編み出された技法である」は事実だけど、「性的消費は悪いことだ」というのは意見だ。「会議で女性比率が○割になると女性の発言力が○割アップする」は事実だけど、「会議の構成員の○割は必ず女性にすべき」というのは意見だ。
事実の領域では専門家の研究成果は尊重されるべきだ。けれど意見の領域では、専門家と素人は対等な主権者のはずだ。
フェミニストの主張が社会に影響を与えることを目標にするのなら、専門家の権威を捨てて素人と意見を交わすことを受け入れないとおかしい。もちろん事実の面では自分の専門性を尊重しろと言ってもよいが、意見の面では、自分は専門家なのだから自分の意見に従えと言っても通らないだろう。
(ちなみに、哲学や思想研究の専門性というのは、一貫した「意見」の体系を構築することにあるのだろうと思っている。人はときに矛盾した意見を言ってしまう。しかしあらゆる立場に対して一貫した意見を構築するというのはとても大変なことで、古今東西の文献を集めて様々な意見を比較検討してようやくできることだ。様々な意見のパッケージを社会に提供することが彼らの社会的存在意義なんだと思う)
「ワクチンには効果があるからワクチンの接種を義務化すべきだ」という意見ではリバタリアンを説得できない(彼らは、前段の事実が仮に正しくとも後段の強制を正当化できないと言っているので)。多くの人の生死に直結する公衆衛生の問題ですら意見が対立するのだから、いわんや表現や自由といった問題においてをや。フェミニストはまず、自分が尊重されてしかるべき領域と尊重されなくて当然の領域を切り分けてほしい。そして、後者では自分の専門性を印籠として振りかざすのをやめるべきだ。
朝のニュースでアナウンサーがニュース読みながらファ○クしてても「あらゆる」表現は自由であるべきと言うのか?
商業的合理性を理由に表現を認めるべきと主張する奴はよく見かけるが、朝ニュースファ○クは自由か?
表現の自由については、線引きが何処かにあるのは大前提、で何処に引くかという話だと思ってるんだが「あらゆる」表現の自由を目指すは人には線引きすらないんだろ?
規制なしにリアルな3DCGで子供を虐殺する動画を夕方5時に流すのも自由?
服を着ない自由も主張するの?猥褻物頒布が違法なのはは表現の自由に反するし、公然猥褻も表現の自由に反するよな。フェイクニュースは?ヘイトスピーチは?誹謗中傷は?
表現のためなら全ての公共の福祉を投げ打て、ってのが「あらゆる」表現の自由の援護なんだろ?
リバタリアン過ぎて無理。
今日はじめて映画『ぐらんぶる』のポスターを見た。多分これはかなり流行に遅れていると思う。申し訳ない
自分はフェミニストではなく、むしろどちらかといえば反フェミニストだ、しかしそこに確固たる意志があるわけではなく、宇崎ちゃんのポスター騒動の際にフェミニスト、アンチフェミニスト陣営どちらからもとびかう集団を対象とした人格否定に辟易し、そもそもの騒動を生み出したフェミニストという思想に嫌悪感を覚えた程度のものである。
私が昨日始めて映画『ぐらんぶる』のポスターを見た時、まず純粋にあったのは『驚き』だった。このご時世にこんなポスターがあって良いのかと思った。アレだけ性的搾取だと性的搾取だと騒がれているのに。
そして、一時間ほど考えたのちに、Twitterで『ぐらんぶる フェミ』で検索を行った。この時点で、私は匿名で無責任な強い言葉を投げ合うTwitterというSNSにどっぷりと浸っている。恥ずかしい限りだ。
そして当然『フェミニストはぐらんぶるのポスターには抗議しないのか』という意見があった。女性の性的搾取的なポスターにはアレだけの反応を見せたのに、『ぐらんぶる』のポスターにはなんの反応もしないのはダブルスタンダードではないのかという主張だ。
そして、少なくとも私の届く範囲では『ぐらんぶる』ポスターに関して数十人を巻き込んだ炎上はしていなかった。
それについて考えたことがあったが、このご時世SNSに投稿することは非常に危険であると判断したので、申し訳ないがここに書き込むことにする。
まず第一に、私はフェミニストが『ぐらんぶる』のポスターに対して反応を示さないことをダブルスタンダードだとは思わない。
その理由は明確で、フェミニストというものは男性の性的搾取に関して抗議する必要が基本的には無いだろうという考えがある。
フェミニストをグーグルで検索すると、トップに『1.女権拡張論者。』と出てくる。非常に明確だ。
女権拡張論者は「女性の性的搾取」について抗議するわけであって「性的搾取そのもの」に抗議する必要はない(支持を得るために「性的搾取」そのものを仮想敵にした結果、『ぐらんぶる』に反応を示さないことがダブルスタンダードになってしまった個人がいる可能性はあるが)
従って『ぐらんぶる』のポスターにフェミニストが抗議しないからと言ってダブスタなわけではないというのが今の私の考えだ。
しかし『性的搾取』に関してアレだけ騒いだあの界隈が、これに関しては少なくとも宇崎ちゃんほどの炎上していないという現状に違和感を覚えるという感情は理解できるし、私も瞬間的にはそう思った。
だが、フェミニストというのは女権拡張論者なわけだから、男性の性的搾取に関心がなくともフェミニストとしての筋は通っていると思う。少なこともこの件に対して思うことがある男性がいるのであれば自分で行動を起こす必要があるだろうと思う、私自身はこのポスターに抗議の感覚は薄いが、もしそのような活動が起きても不思議には思わない。あのポスター単体はそのくらい攻めている。
もう一つ思ったことがある。それは『フェミニズムという思想が「ジェンダー論に関しての正解を持っている」と思い込む必要はないし、「ジェンダー論に関してすべてが間違っている」と思い込む必要もない』ということだ。
フェミニズムに関してフェミニストがそれを絶対的な『正義』であると考えることは間違っていることではないだろうと思う。だが、この世界においてフェミニズムの論じる「女権拡張論」が絶対的に正しいという保証は何処にもない。その逆に、「女権拡張論」が絶対的に間違っているという保証も何処にもない。
保守主義である右翼、自由主義である左翼、さらに新自由主義で個人の自由も尊重するリバタリアン。これらの思想はそれぞれの支持者はそれを『正義』として疑っていないが、それがこの世界における『正解』である保証は何処にもなく、『間違い』である保証もない、むしろこの3つすべてが間違っている可能性も否定はできない。
フェミニズムは「理論」であり『正解』ではない。そして、フェミニズムを論ずる人間に反対する自由はある。賛成する自由もある。
だから本当はもっと議論を重ねて洗練させていかなければならない。時には反フェミニズムの人間と意見を交わす必要もあるだろう。それは反フェミニズムの人間も同じで、時にはフェミニズムの人間と意見を交わし、その中に納得の行く理由があればそれを受け入れても良い。それだけであなたがフェミニズムに屈したわけではないし、その逆もしかりだ。
今SNSで起きていることは両陣営の個人の失言をいかにもそれがフェミニズム、もしくは反フェミニズム全体の意見であるように吹聴しぶっ叩くショーである。そして意見は先鋭化していき、『極』な人間が作り出されている。
これについての改善案があるわけではないが、この現状は良くないのではないかと考えている。
最後にこの件に関して最終的に思っていることを書いて終わりにしたい
Twitterで反日云々で一時期盛り上がったようで、ひょっとしたら中には右翼が嫌がらせしているのではないかと思う人もいるかもしれない。
それで私はそのバイアスから離れた部分での評価を確かめるために英語圏のレビューを見た。
日本生まれではない彼らはアイデンティティや政治的志向として日本右派的な人は少ない(リバタリアンやアメリカ・イギリスの保守派ならいるだろうが)
・MyAnimeList 6.58/10
https://myanimelist.net/anime/40515/Nihon_Chinbotsu_2020
・AniList 65/100
https://anilist.co/anime/112357/2020/
参考までに書くとピンポンは8.63、デビルマンクライベイビーは7.89である。
https://myanimelist.net/anime/producer/1591/Science_SARU
どうも右派左派のような問題ではなく単純に質が悪いとみなされている。
はっきり言うが湯浅監督作品の中で最も評価が低いかもしれない。
正直、次作の犬王の出来が少々不安。
https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
エクストリーム東京都知事選挙2020の増田を書くため、今回の東京都知事選挙の各市区町村ごとの得票も見ていたのだが興味深い傾向を発見した。全地域で小池百合子の圧勝なのだが、落選した主要候補の得票に有意に地域差が出ている
https://www.asahi.com/senkyo/tochijisen/
いわゆる「都心3区」。宇都宮健児は比較的どの地域でも次点に付ける傾向だったのだが、典型的な左翼候補ということもあってオールドレフト的主張が嫌われ、新自由主義的傾向の強い小野に票が集まったと思われる
新宿区・渋谷区・豊島区・文京区・江東区・台東区・品川区・大田区・目黒区・世田谷区など、大きな副都心を抱え比較的家賃や地価・物価が高い一方で、都心3区と比較すると中流層が多く居住する自治体。
これらの区では宇都宮健児が2位につけているが、山本太郎よりも小野泰輔に票が集まっている。相対的に貧困層が少ないこともあって、左派の再分配指向よりも新自由主義的な傾向が強く出たのだろう。例外的に墨田区と杉並区だけは山本がわずかに勝っており後述する「ザ・中流自治体」と同じ傾向が出ている。
足立・葛飾・江戸川の城東3区のうち、足立と葛飾。多摩地区では八王子市や青梅市など都心から遠い自治体
これらの自治体では山本が小野よりも多く得票する傾向が多く、全体で見れば宇都宮・山本という左派のほうが新自由主義の小野より票を集めている。例外的に江戸川区だけは落選候補のうち山本の得票がトップであったが、若い世代が多く山本に票が集まったためと思われる。
下町と都市近郊。これらの自治体も山本が小野に勝っているが、城東3区や多摩郊外と比べると得票差は僅差である。多摩地区でも中央線沿線や都心に比較的近く、家賃が高めな自治体はこの傾向。都心16区でも杉並区と墨田区と中野区は例外的にこの傾向。杉並区は左派が強いというのは都市伝説かと思ったが、むしろこの説を補完してしまった。
有権者の社会的階層や経済的属性によって投票傾向があるのは当たり前だが、これほど地域で有意に変わるのは興味深かった。大枠では小池百合子が圧勝した選挙だが、細かいところを見ると結構違う。東京にも地方格差問題が有ることがわかる。
おそらく有権者の年収や資産状況もそのまま投票行動に反映されているであろう。年収上位数%は小野、下位数%は宇都宮・山本、中流層の大半は小池というふうに。
阪神地区では日本維新の会は自民党に代わる保守政党という位置づけであるが、小野への投票傾向から東京では新自由主義・リバタリアン向け政党と言える。あれだけ公務員叩きして福祉と行政サービスを削っていればそういう人が支持者になるのはわかる。ただし東京では新自由主義・リバタリアンの多くは小池百合子に投票したので、小野泰輔氏に供託金は戻ってこなかった。小池百合子は新自由主義でもリバタリアンでもなく、理念なき単純なポピュリストなのだが。
今回の選挙の宇都宮+山本で合計150万票で小池百合子の半分にも届かなかった。立憲民主党の支持層の多くが小池に流れたと思われるが、おそらく次の参院選挙などで東京選挙区で野党共闘が実現してもこれが基礎値となるであろう。これだと定数6のうち2議席が限界である。前回の鳥越俊太郎も134万票だったことを考えると伸びしろがあまり見られず、野党共闘の未来はあまり明るいものとは言えない。
ソースが本人のツイート一つだしゴシップサイトしか記事にしてないし真面目に捉えてるほうがおかしいんだよ
立候補者の登録を締め切ってる州もあるんだから、どう考えてもありえない
それはそうとして、カニエウェストのトランプ支持はイメージアップのために右ならえでリベラルアピールばっかしてる近年のアメリカンセレブへのアンチテーゼだったんだろうな
オバマやヒラリーがいくら正論を説いたところで実際の世界はいっこうによくならなかったという絶望と、
そんな失敗を反省せず俄然同じようなアプローチをとり続けるリベラリストへのフラストレーションが、
民主党員への当てつけとしてのトランプ支持といういささか幼稚くさい行動にカニエを走らせたのかもしれない
またセンシティブな発言をしたときに「これだから黒人は」という風にトーンポリッシングによって論点をずらされることを危惧して
表面上は共和党保守層にフレンドリーに接したほうがいいという考えもあったようで、それはまだ理解できなくもない言い分かなとは思う
カニエって誤解されがちだけど共和党支持者ではなくてアンチ民主党ってだけなんだよな
「いつまでこんな古臭い二大政党にしがみついてんだよ疑問に思わないのかよアメリカっていう国家が黒人にやさしくしてくれたことあっか?」としか考えてないリバタリアン
個人的にカニエはそういう「政治じゃ何も変わらない、変えてくれない」ってスタンスでいてほしい。そういう発言をする人もいてほしい。
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
リバタリアニズムは弱者救済を否定していない。公権力による強権的な弱者救済を否定している。
自分の意志で自分の財産を元に弱者を救済することは何も否定していないし、その行為を称賛する人や何なら賛同して寄付する人もいるだろう。
公権力による弱者救済を否定する根拠は、もちろん自己所有権の侵害(自分の意志に反して自分の財産を接収され、自分の意志に反する用途に使用される)だけど、
もう一つ、公権力による弱者救済のための規制や介入は、市場原理に任せるよりも不効率であるということも大きな理由だし、(何をもって「公正」とするかにもよるけど)リバタリアンにとっては不公正でもある。
また、"実際に"弱者の生活を良くするのは、資産を取り上げてばらまくことではなく、技術の革新である。
例えば、事故で障害をおった人々の生活を"実際に"良くするのは、車椅子や義手の機能改善やロボット技術の発展だろう。
公権力による強制的な財産移転は、資産の集積を元にした技術革新とそれによる生活の向上を阻害し、結局は弱者の生活を良くすることにはつながらない。
現代の富裕層と貧困層の格差は原始時代の格差よりも格段に大きいが、現代の貧困層は原始時代の貴族よりも良好な生活環境に有る。
弱者救済について問題とすべきは相対的な格差の解消(=富裕層から貧困層への資産移転)ではなく絶対的なレベルの改善(=技術革新、安価大量生産)ではないだろうか。
上記は無政府資本主義のようなかなりハードなリバタリアニズムの意見で書いたけど、
よりマイルドな古典的自由主義や最小国家主義では、例えば教育補助のための資産移転なども議論されている。
権力「からの」リベラル(自由)……ヨーロッパの自由主義、「小さな政府」論、リバタリアンやネオリベ
権力「による」リベラル(自由)……アメリカ民主党など、社会自由主義とも
前者は、原則として規制の反対側におるけど、後者は「ワシらが安心して『自由』に暮らせるように、権力は●●を規制すべし」と主張するんやで。一緒にするから混乱するんやわ。経済学で言えばハイエクvsケインズ。水と油の関係なんよ。
それにしても、公教育やら福祉やら税金やらについては何も言及していないのに何で新自由主義やリバタリアニズムを感じ取れるんだろう。俺は教育の機会均等も福祉の充実も累進課税も支持してるんだけど。
ひょっとして改憲とかカジノとかのあたりかな? でも自衛隊を憲法に明記して文面と実態を合わせようというのは別に自由主義に反する考え方だとは思えないし、友達どうしでカネを賭けて麻雀をするという誰にも迷惑をかけていないお遊びが違法とされる現状はリベラル派としては許しがたいけどね(ジャーナリズムの倫理とか公務員の守秘義務とかは別の問題)。
単純賭博罪と常習賭博罪を廃止し、賭博開帳図利罪を改正して無許可の賭博場のみを取り締まるようにした上で、特区では許可されるレートを引き上げるという形にすればスッキリと筋の通った立法になるはずなのに、なぜか人権侵害の悪法である単純賭博罪を温存した上でカジノ特区を作った安倍政権のやり口はクソ。
当然、本来廃止されるべき悪法である単純賭博罪を持ち出して政争の具にしている野党のやり口もクソ。友人どうしでの賭け麻雀が犯罪になるような法律は間違っているので変えるべきなのに、それが犯罪であるという前提の下で賭博行為そのものを叩くのは許しがたい(悪法もまた法なりという話ならまだ理解できるんだけど、マジで賭博を悪事だと思ってるよねあの人ら)。