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はてなキーワード: リバタリアンとは

2021-06-07

フェミニストがゆるせない

んだけど、その他に僕が憎悪している相手リストアップして共通点を探ってみる

ウヨ

一般的バカウヨ

いわゆるネトウヨが嫌い。テキトーなこと言って自国礼賛をしているバカは生きている価値が無い。百田尚樹を愛読してるような奴。あと、歴史修正主義者や余命信者は論外。こいつらは、頭が悪いから大嫌い。

ネトウヨ自称ヲチャなど

ピラホロごっこかに興じてた、ハン板にたむろってたようなネトウヨが嫌い。あれは、あまりに恥ずかしいだろ。痛々しいオタクとか見たのと同じ嫌悪感が出てくる。

あと、自称ヲチャーとか言ってるやつら。こいつらも同じで、見てて居たたまれないオタクネタとかで偉そうなこと言うからからマジで勘弁して欲しい。銀英伝とか攻殻機動隊引用したり、身内で位階作って褒めあったりしてるの。あれを良い大人が真顔でやっているというのが、噴飯もの。とにかく存在が恥ずかしい。

ビジウヨ

もちろんビジウヨも嫌い、平民とか。ほんこんみたいなウヨ芸人はただただ見苦しい、偉そうなこと言う前に学位とれよ。

これは保守系政治家などにも言えることだけど、さんざん道徳だの愛国心だのエラソーなこと並べ立てておいて、その実、クソみたいな行為に手を染めていたりする連中が特にクソすぎる。ネットでエラソーなこといって配信していたボウズPを名乗る者が、シャブポンプで捕まったりね。今、バッジらしいけど。アホな有権者にはお似合いだ。

まあ、顔出ししてないまとめサイト運営者とかは、まだ許容できる。単なる商売だと割り切れるだけマシ。

厳罰主義者

死刑賛成論者とか、厳罰主義者が大っ嫌い。あくまで、国家刑罰を行うのは、その人を更生させて社会復帰させるため。被害者大衆が、厳罰下してスッキリしても、特に何も得るものが無い。そんな単純なことにも気づかず、自分のクソくだらねぇお気持ち国家刑罰権を扱おうって言う料簡が全く許し難い。可罰感情というのは、感情に過ぎない。

これは、いわゆる保守系応報刑信者もそうだけど、性犯罪者厳罰を求めるフェミ系もそう。国家は、お前らの厳罰オナニースッキリするためのズリネタではない。頼むから死んでくれ。

思想

ハーバーマス

ハーバーマスが大嫌い。こいつが諸悪の根源思考実験の積み重ねで論理を作ってきたリベラル系譜にとどめを刺したクソ左翼社会契約論の自然状態にせよ、ロールズ無知のヴェールにせよ、そんなもの存在しないなんてことは、百も承知。こういう架空の前提の存在否認したあげく、じゃあお前の判断基準が何かといえば「公共圏」。おいおい、ふざけんなよ。

結局、公共圏なんて吊し上げ大会しかならないし、それは学生運動で痛い程わかっているはずなのに、自分を持ち上げる学生運動を切って捨てたクソ野郎ハーバーマス。そんで、アイディンティティポリティクスへの道筋もつけた。マジで万死に値する。今の政治的対立諸悪の根源はこいつ。

バーク保守主義

単なる多数派独裁。無批判伝統を受け入れるだけのゴミ以下の思想。未開の土人カッペのジジババ、あるいは胡坐をかく無能貴族正当化するためだけのカス消滅した方がいい。

コミュニタリアン

ハーバーマスの最悪の部分とバーク保守主義のマシな部分を合体させたウンコ上ゲロ以下の何か。サンデルとかありがたがってるバカは三回ぐらい死んだ方がいい。

リバタリアン

暴力なしでなんとかできるとかいうのがおこがましい。南米司法権が及ばないカルテル支配地域とかで暮らしてほしい。管理された暴力のありがたみがわかるだろうよ。

嫌いな奴ら

このへんは、まじで許し難い。

2021-04-23

anond:20210423211450

IT系には能力主義リバタリアンも多いだろうから

「女というだけで採用」みたいなのが増えるとそのへんで対立して面白いことになりそうだな。

2021-04-15

anond:20210414223247

Communitarianism(共同体主義

Communism(共産主義

Libertarianism(リバタリアン

Liberalism(リベラル

「tarian」があるのとないのとどう違うのかようわからん

2021-04-06

anond:20210406164419

あれはあれで緊縮なだけだからな。

リバタリアンくらい突き抜けた経済極右政党が欲しいわ。

規制撤廃とかやって欲しい。

2021-04-04

やっぱりリベラルじゃなくて左派左翼って呼ばない?

リベラル男性として「弱者男性論」に賛同できない理由

https://anond.hatelabo.jp/20210403165033

 

この増田も返信の増田見れば分かるけど所謂リベラル」じゃなくてはてなでは「リバタリアン」と呼ばれるような思想の持ち主だったし、

何をリベラルと呼ぶのか混乱しすぎてる、マトモに議論できない。

じゃあこの増田のような奴は「リバタリアン」と呼ぶべきなのかって言うと、それもアメリカローカル文脈でしょ?

シャルリエブドの件なんかでも分かる通り、ヨーロッパでの「リベラル」は増田の様な自由至上主義タイプリベラルで、アメリカならリバタニアンと呼ばれてるような人種でしょ。

まり世界的には日本アメリカの様に社会主義的なリベラルを「リベラル」と呼ぶ方が少数派なんだと思うよ。

そもそもリベラル」って名前自体自由主義って意味だしね、アメリカでの呼び方の方が歪んでんの。(つまり上の増田リベラル自認の方が合ってる)

日本リベラルアメリカ絶対服従尻尾振ってる与党姿勢批判的なはずだけど、「リベラル」の定義だけはアメリカぶんぶん尻尾振ってるのおかしくない?アメリカけが世界じゃないんだよ?

個人自由を抑圧してでも自らの考える社会正義を実現しようとしたり、大きな政府を志す派閥は「リベラル」じゃなく「左派」「左翼」で良いと思うよ。

日本リベラルは「私たちはシャルリエブド」なんて言わないでしょ?)

逆に何でそれで駄目なのかが分からない、「左派」「左翼」と呼ばれるのが恥ずかしいと思ってるなら、それこそおかしいでしょ。

下の増田を読んだときは「ほーん」とスルーしてたけど、やっぱり今の「リベラル」の呼び方は混乱の元だし、歪んでると思うよ。無意味だし止めるべき。

 

リベラルはなぜ「社会自由主義であることを隠すのか

https://anond.hatelabo.jp/20210324103903

anond:20210403204900

最初からリベラリストではなくリバタリアンって名乗ってくれれば余計な時間費やさなくて済んだし

そうでなくともソーシャリストコミュニストって言葉知ってるならおれはそいつらとは違うってまえがき書けよ

読者の読解力の問題にしてるけどお前が不親切なコミュ障なだけだぞ

2021-04-03

anond:20210403165033

俺は逆に、いわゆるリベラルがよく問題視する女の「雇用差別」も「女性議員の少なさ」も「非モテ」と同じく社会解決すべき問題ではないという立場だ。

モテるモテないは個人問題であって社会的な「問題」ではないと思う。容姿とかは本人にはどうしようもないか自己責任とは言えないけど、お前がモテないのはお前の問題であって社会問題じゃないでしょ。少なくとも俺は振られ経験しかなく告られ経験なんて漫画アニメの中でしか味わったことがないけど、それを社会に訴えかけるべき「問題」とは思わない。

女を雇わないのは雇用者の自由選択の結果(だいたいは男の方が辞めにくく、コキ使えるからだろう。経営としては合理的である)。

女性議員当選しないのも個々の有権者自由意志による投票の結果(女性有権者女性候補ばかりに投票して圧倒的に有利になれば、各党こぞって女性候補を立てるだろう。現状は女性有権者ですら女性候補への投票が少ない)。

非モテ彼女ができないのと同様に社会が介入する問題じゃない。

俺はこの意味リベラル自由主義者)なのだが、「お前はリベラルじゃなくてリバタリアンだ」とよく言われる(どうやら悪口らしい)。

しかし、非モテ社会が救済する(女を宛てがう、女の意思に反して男と結婚させる)のが許されないなら、

雇われない女を社会が救済する(職を宛てがう、雇用者に女を雇うことを強制する)のも、

当選しない女性候補を救済する(議席を宛てがう、女性議員枠を作って有権者選択自由制限する)のも、

個人自由への介入だから許されまい。自由尊重しないリベラルとは何だ?

自分の都合の良い領域恋愛)は個人自由自己責任とし、都合の悪い分野(雇用選挙)は統制するご都合主義ではないか

彼女も職も議席も欲しいなら他人から選ばれるように努力しろ他人自由制限してでも宛てがえなどと訴えるな。

2021-03-24

あのへんのフェミニズム界隈をリベラル扱いしている人も多いようだが、あれは全然リベラルじゃないだろう

既存の統制の仕組みを保存しようとする「保守」と、それに代わる新たな統制の仕組みを作ろうとする「あのへんの人たち」、

そして、統制の仕組みをなくそうとする「リベラル」(リバタリアンも含めていいかも)の三者がいると捉えるのが良いんじゃないか

保守から見たら、「あのへんの人たち」も「リベラル」も、伝統やら秩序やらを破壊する敵として一緒くたに扱うし

「あのへんの人たち」にとっては、「保守」も「リベラル」も、より善き社会形成に協力しない不正義な存在だろうし

リベラル」にとっては、「保守」も「あのへんの人たち」も、個人自由を抑圧する邪魔者しかない

からみんな1対1で論争してるつもりになって、敵に対して間違ったレッテル貼りをしてる部分があるのではないか

「あのへんの人たち」、進歩的一元主義者とでも呼べるものに含まれそうだけど、

フェミニズムに関する部分については一元主義的だとしても、それ以外はそうでもないかもしれないから、乱暴な括りかもしれない

2021-03-23

anond:20210323133146

リバタリアン」は自身正義としてアファーマティブアクションが許し難い、ってとこに古典的にはラディカルフミニズムと分類されるであろう現代フェミニズム(特にTwitter)との相性の悪さがある気がするんだぜ! リバタリアニズム自身の力で成功してきた(いわゆる文化資本問題があるので正確には自身の力だけではないんだけど)階層・人とは親和的なので、結構ハマりがちかもね。

anond:20210323082630

元増田は「リバタリアン」と「リベラル」というアメリカ政治思想区分を持ったほうがいいと思う。

呉座勇一や飯田泰之は「リバタリアン」ではあるが「リベラル」とは言い難い

あと、現代ビジネス母体である週刊現代は、日刊ゲンダイよりは右で、文春・新潮よりは左の位置から北村紗衣も寄稿できるが、右左の位置づけはともかく、リベラルとは言い難い

2021-03-20

anond:20210320141730

格差問題にできるのは郷土愛とか血縁の類いだよ。そうじゃなきゃリバタリアン論理反論できない。

2021-03-19

右翼左翼というプラスティックワード

一つ一つの政策について賛成するか反対するか、それだけの話である

世の中を右翼左翼に二等分出来るはずもない

原発安全だと思うか?」これにいや、危険だと答えれば左派になる?おかしな話だ。

原発安全性は科学の話だ。何%の確率で何が起きるか計算する。その値から安全危険かを主観に基づいて判断する。そこに右も左もない。

選択夫婦別姓を支持しても、同性婚は支持しない、そんな人だっているだろう。

右か左かどちらかに当てはめて何になる。

表現に関しては超保守的で、女性の権利には革新的フェミもいれば

表現に関してはリバタリアンと言っていいほどの自由を主張しながら、少子化解消のために男尊女卑回帰しろというオタクもいる。

結局のところ、皆自分の都合に合わせて適当理念を引っ張り出しているに過ぎない。

人間のような矛盾の塊を右と左にわけられるわけがない。

与党支持者、野党支持者であることをアイデンティティとして、与(野)党の言うことを全肯定するような機械のような人間もいるが、頭がおかしくなったのだとしか思えない。

それこそ、プラスティックワードに取り憑かれて考えることができなくなった廃人なのだろう。

2021-02-12

森さんの発言はまぁ駄目だとして、辞任もまぁ当然だとして。森さんの手腕にまで疑問符を出すのは違うと思うんです。

魑魅魍魎跋扈する霞が関で 50 年以上政治家を続けているその事実は実力を雄弁に物語るでしょう。

彼に感謝をするとか彼に迎合する必要はないし彼の功績を称える必要はないけれど、彼の実力を否定する理由はないでしょう。

私はリバタリアンなので自民党世界観とは基本的に相容れないのですが、彼の政治力否定することはできません。

政治力って結局生存力と共感性なので。

2021-01-22

anond:20210122090914

考える軸の数が少ないから変な答えをだしちまうんだよ。

右翼は、家族民族範囲形態については怖がりで、悲観的・排外的になるが、金融経済テクノロジーに関しては楽観的で攻めていく。ルールに基づいた最小限の規制にとどめてパイ自体を広げようとする。

左翼は、個人社会のあり方については楽観的で様々な形態理解を示しやすいが、金融経済テクノロジーに関しては悲観的・慎重で、裁量的に干渉をして均衡化を図ることを優先する。

どっちも怖がって人々の恐怖を煽り合意を得ようとするのがポピュリスト

どっちも恐れないで知恵と理性でもって恐怖を克服していく社会へ舵取りしようとするのがリバタリアン

2021-01-16

anond:20210116095802

日本の政治家の自称する左右と実際にやってる行動がマッチする事の方が少なくて何言ってるんだこの人は?と思う事が多くてもやもやしてしてたんだ。

自分リバタリアン価値観共感する事が多いなってぼんやり考えてたけど(勉強量が少な過ぎてリバタリアン自称するほどではないが)

他者にも指標を当てはめて2軸で考えてみるって視点が全く無かったから凄く勉強になった。ありがとう

anond:20210116094609

日本の政治家は右左の視点で見ることあべこべから右翼左翼がみたいな党派性で見ること自体が混乱を招く

ノーランチャート判断するとこの人の考え方ライトウィングにもレフトウィングにも寄ってなくてポピュリズムじゃんみたいになりがち

ノーランチャートで察したかもしれんけど俺はリバタリアンからリバタリアニズム系の経済しか読んでないし日本の政治には興味も期待もない

でも少なくとも左右の1軸よりノーランの2軸で考えるのは有用だと思う

2020-12-28

続 肉を食っても(倫理的に)かまへんやんか

anond:20201228215958

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならないを削除する

 ホッブスの言う「自然状態」を考えよう。これは自分他人倫理的な制約に縛られない状態で、誰を殺そうが誰に殺されようが文句は言えないという社会である。こんな状態では暮らしていくことが出来ないので、人々は「契約」を結んでお互いを拘束し合う。人々は「契約」によって自分自由に行動する権利を一部放棄してお互いの権利尊重あい権利を守り合うための制度規則を共同で守ることにする。もちろん、このような「自然状態」と「契約」が本当にあったのか?という疑問はもっともなものなのだが、それはまた大きな話になるので、ここではとりあえず人々は何らかの「契約」をしたという立場から動物権利を考えていくことにする。

 さて、このような「契約」を結ぶためには、例えば自分権利認識したり、その権利放棄/移譲したり、約束責任持って守ったりなど、それなりの程度の能力(以下では契約能力と呼ぶ)が必要になる。大型類人猿などの研究が進み、それらがかなりの認知能力を有していることは確認されつつあるが、それでも上記のような契約能力を持っているとは言えないだろうし、ましてや牛や豚や鳥に契約能力を認める人はいないだろう。したがって、人間動物との関係はいまだ「自然状態」であり、お互いを好きに殺して食べて良い関係だということになる。もちろん、「自然状態」だからといって牛や豚や鳥が人間を襲ってくるわけではないが、それは動物たちが「契約」を尊重しているからではない。

 一方で、人間契約能力があるといっても、その大きさは各人で異なるのは確かである。私のような凡人と、高潔思慮深い偉人との間には契約能力に差があるはずであり、それでは我々が動物を好きにできるように、偉人は凡人である我々を好きにできるとも考えられる。この問題解決するために、範囲性質(range property)という概念を導入する。これは、ある最小限の契約能力を有していれば、その差は考えずに同じだけの権利が認められるという考え方である。ここでいう最小限の契約能力がどのようなものかは議論があるだろうが、リバタリアンである私としては、「"個々人が別々に存在し、自分人生自分責任で辿る"ということを認め、お互いの権利判断尊重し合う」能力としたい。この能力から、お互いの権利尊重すること、そのために自分自由の一部を放棄することなどが直接的に導かれる。また、個々人が別々に存在してお互いの権利判断尊重することから、そのような最低限の能力を有していればその差を考えずに同じだけの権利が認められるという範囲性質も満たすことができる。

 しかし先にも書いたように、最低限の契約能力(それがどのようなものであれ)を持った人間けがお互いの権利尊重し合うという主張からは、上記のような最低限の契約能力を持たない限界事例の人たち(例えば乳児、重度痴呆症、ある種の知的障害者など)の権利制限しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。この問に、私は「そのとおりである」と答えたい。

限界事例の人たちと動物たちをどのように扱うべきか

 ここでは、限界事例の人たちから将来に契約能力を有すると見込むことができる相手(例えば子供)とできない相手(例えば重度の痴呆症、ある種の知的障害者動物)とを区別する。

 将来に契約能力を有すると見込まれ相手に対しては、相手契約能力を有した将来のある時点から現在を見たときに、その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ権利制限することができる。これは別に現在日本でもおかしな話ではなく、例えば20歳になるまで飲酒喫煙禁止されているし、18歳になるまで選挙権は無い。端的に言えば、嫌がる子供を押さえつけて歯を磨くことは許されても、レイプすることは許されないということである。このため、子供についてはたとえその子供が契約能力を有する人間大人)が保護していないとしても子供本人に権利があり、契約能力を有する人間と同様の制限なしに殺したり人体実験に供したりすることは倫理的に許されない。

 一方、将来に契約能力を有すると見込めない相手については、その相手保護する契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとするのが妥当だろう。つまり、本人の同意ではなく保護者の同意によって本人の"扱い"を決めてよいということである。この"扱い"には子供とは違い、「その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ」という制限は無い。なぜなら、その判断をする将来が存在しないかである。したがってもちろん、殺して食べるという扱いでも構わないことになる。しかしながら、どんな動物も誰もが自由に殺すことができるわけではない。"被保護者"としての権利は有している以上、自由に扱ってよいのは"保護者"が居ない相手だけである。牛や豚や鳥を食べて良いと言っても、他人保護している(ペットとして飼っている)動物保護者の意見無視して食べることは出来ない。また"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務がある。もし、限界事例の人たちや動物たちが殺されそうになったなら、契約能力を有する人間福祉団体なども含む)は誰でも、以後は自分責任を持って保護すると約束して必要なら金銭的な保証なども含めて以前の保護者と合意することで、殺すことを止めることができる。(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

まとめ

倫理判断普遍可能である

遺伝差異自体差別をする理由にはならない

動物人間と同じように苦しむ

認知能力契約能力等、動物人間区別する道徳的重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない

これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける

ことを認めた上で、⑤を削除して肉食を擁護した。

 限界事例の人たちや動物から、将来契約能力を有すると見込まれ子供とそれ以外を区別した。前者はその子ども自身契約能力を有するようになった将来において権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲判断するだろうと見込める範囲)でのみ権利制限が許されるとし、後者契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとした。ただし、"被保護者"としての権利しかさないとしても保護者が自由に扱えるわけではない。"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務があり、(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

 最後に、この結論を受け入れた社会がどうなるかを現在との比較から想像してみたい。子供については、現在と変わらないことは説明した。それ以外の限界事例の人たちについては、現在広く受け入れられている「人権」よりも若干制限されることになる。しかし、実質的には扱いは変わらないだろう。現在でも彼らの扱いは最終的には保護者の意思で決められる。上記のような社会で誰も保護しようとしない限界事例の人たちが殺されたとしても、現在でも誰も保護しようとしない限界事例の人たちは死んでいるので同じである上記のような社会では限界事例の人たちが捨てられることになり問題だと言う人が多いならば、その人達積極的保護するだろうし、少なくとも福祉団体寄付をするだろう。介護疲れから無理心中が起こっているような現在に比べて、福祉団体に大きな人的・金銭支援がなされる社会は、現在よりも限界事例の人たちにとって生きやす社会と言える。


 以上、倫理的観点から肉食を擁護した。この結論について、私を差別主義者であり倫理的に許されないと批判したい方々はもちろん居るだろう。ただし、もしあなたが肉を食べているなら、私を差別主義者と批判しながら肉を食べることについて、その判断をどう倫理的に許容しているのか一度考えてみてほしい。

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