はてなキーワード: ピースとは
これ間違ったこと言ってないよな?🤔
集英社の人間が非公式と偽りながら東映作品を貶した事は許されないとして、ワンピース含む東映アニメーションに不満を感じている自分としてはよくぞ言ってくれたと内心思っている。
有名な話だけど東映はTVシリーズ1話の作画量に総カット数約300、平均約3000~3500枚という制限をつけている。
ソース:http://www.style.fm/as/05_column/tsujita/tsujita05.shtml
http://www.toei-anim.co.jp/sp/ee_cgmovie/interview/004.html
3000枚というのは「当たり回」の話で実際はこれを下回ることもある。
そしてこれを上回ると「やりすぎで怒られる」
長峯:(省略)スタッフ一同『ドラゴンボール超』という作品をつくる喜びを感じてくれて、最終回に向かってテンションが上がっていったようです。本来は3500から4000枚位の動画枚数でTVアニメ1本を作るのですが、最終話は倍ぐらい使ったようです。「倍ってなんだよ、すげーな」って (笑)。動画枚数は制作費オーバーに直結するので厳しく管理するものなんです。僕なんて昔、『おジャ魔女どれみ』で4000枚位使って先輩の監督に怒られて泣かされたことがあります。最近は東映アニメーションもやるときはやるようになりました。
「激しく動かないが毎週安定したクオリティ」と言えば聞こえは良いが現実は「激しい動きも無いしクオリティは平凡でスケジュール優先の子供向け玩具販促アニメ」だからな。
ドラゴンボール超といえば初期の作画崩壊+ストーリーが映画の焼き直しという二重苦でファンにも呆れられていたよね。
作画自体は未来トランクス編辺りから改善されていたのに「超=作画が酷い」という認識で止まっている人が多いあたり、それ以前に視聴切りした人が多いんだろうなぁという感じ。自業自得だけど。
「動かないならせめて綺麗な止め絵」「演出やストーリーで補間」が理想だけど…
原作通りにやっている間は良い。動く紙芝居付きドラマCDだと思えば見れるから。
でも急に入るクソみたいなアニオリはなんだ?面白いと思っているのか?原作への理解不足としか思えないストーリーの破綻、キャラの性格崩壊、設定の矛盾、原作者が知らない敵との戦い等々…
特に酷いのが劇場版。100%純粋なアニオリでネタにもならない。劇場版ワンピースだって尾田栄一郎が関わってようやくまともになっただろ?そりゃ原作関係者もクオリティが低いと言いたくなるわ。
さすがにここまで酷いアニオリは最近は無いか、アニオリでも作者が関わっているパターンで許すしか無いんだけど、アニオリ嫌悪の原因に東映作品があるって人も多いんじゃないか?あとぴえろ。
原作に追いつきそうだからとか人気だからとかで50話も100話もやるようなスタイルそのものが古い
長く続けば良いってもんじゃないだろ。終わる時に綺麗に終わらせろよ
最近は思い出補正や原作人気もあって過去作品の再アニメ化してるけどさぁ、実際どうなん?
例えば鬼滅の刃が東映制作でヒットしていたか?ハイキュー、ヒロアカ、ジョジョが続いていたか?
自分はこれらの作品に東映が関わらなくて良かったとしか思わん。トリコやワールドトリガーの二の舞ににならなくて本当に良かった。
東映版Kanon、AIR、CLANNADの評価はどうだ?なんで二作目は京アニで作り直したんだ?
バスターコールに関わった集英社の人間はこそこそ隠れて増田みたいな愚痴を言わず、はっきり公式の場で言ってやればよかったのに。お前のところが作るアニメはつまらないって。
アニメ化されて押井版はまだしも神山版にも共通するかもしれない
アップルシードの原作とOVAもそうだが、OVAはテクノロジーを脅威みたいに描きがちである
つまり、バイオロイドやガイア、タルタロスなど=間違った科学である
巨大コンピュータが登場すれば人間に反乱するし、人造人間バイオロイドもターミネーターのように反乱するし、いきすぎたテクノロジーが人間にマイナスになる、
その辺、ドミニオンでさえマイナスに書かれることはなく、ブアクはグリンピース・クローリスを奪って自分だけの地球を手に入れたが、それだけである
どこまでも人間は愚かだが、だからと言って破滅の日が来るわけでもなく、ウイルスや菌、科学物質で大気汚染された街をマスクをしたタンクポリスが、ボナパルトが駆け回るだけである
大友は左寄りだった
AKIRAは雰囲気マンガだが、テクノロジーをどこか悪しきものとして描いてる
アップルシードのガイアを含むコンピュータ群は人間を守るために、人間が創ったバイオロイドを失敗作と考え処分しようとした
ここでも人間はどこまでも守られてる
そして、人間である主人公の二人はバイオロイドを、というよりは秩序、天性の警官の職務や義務感のようなもので動き出す
シロマサ漫画の主人公は圧倒的に警察、軍、公僕、暴力装置側である
その徹底した人間賛歌と言えば聞こえはいいが、人間のエゴの側なのだ
攻殻機動隊も、そもそも義体という発想にマイナスな反応をする人が多い
人類の将来に徹底的に楽観的だ
必ず人類は科学や技術で神が与えし困難を打破し続けると考えている
しかし、攻殻機動隊を原案にした作品群は暗い、なぜここまで悲観的になるのかというぐらい暗いのだ
シロマサはそういったマンネリを打破したのに、原案にした漫画で逆にテクノロジー=悪みたいに描かれてしまう
非常に悲しい
自分は、原発事故も科学=悪ではなく、管理の杜撰さ=悪であって、前者の考えの人が非常に多いことにあらためて驚いたが、だったらガスも水道もなしで生きてみろである
もう、逆戻りはできないのだ
そのジレンマから原発や、それ以外のアプローチが考えられ、スリーマイルもあった、仕方がないことだ
しかし、金で誘致するだけして、場当たり的な対応を繰り返し、レガシーなシステムを維持してきたフクイチは、震災関係なく、どこかでこうなる運命だったのだ
最近、愛用のイヤホン紛失をきかっけに、久しぶりにイヤホンに興味がでてきて、
TRI-i4 がオールラウンドにいい感じに鳴るとか、その上位機の TRI-i3 はもっとすごいとか、
水月雨の KXXS が美音で良いとか、コスパなら CCA C12 でしょ。
なんてレビューを読んで、1個ずつ買ってみたのだけど、確かに、メーカーごとに音が違う。
同じ曲を聞いても、ドンシャリの具合が微妙に違ったり、音場の広さが変わったり、
あるイヤホンでは聞こえなかった音がはっきり聞き取れたりするのね。
イヤホンの先端のイヤーピースも、七福神商事のアレがいいとか、スパイラルドット++がどうとか、
その界隈の人はめっちゃこだわってる様子。
イヤーピースもいくつか買って聞き比べたけど、確かに装着感や強調される音の高さが違った。
言いたいことは分かるし、私も有名観光スポットで友達とかとピースして撮るみたいな記念写真は嫌いだけど、写真を撮ると見返すので記憶に残るよ。あと、一緒に行った相手が家族とか仲の良い友達だったりすると、時間が経ってから、「あの時はこんなだったんだなぁ…」と思い出すよすがになると思う。
私は写真が趣味なので、とりあえず定番の構図で撮ったあと、周囲を見回して他のアングルで良い写真が撮れないか探すことにしている。あと、フリーな旅で自分で見つけたスポットで撮るのは楽しいね。余計な人工物が写り込んだり他の観光客が入ったりしてがっかりすることも多いけど。
ただ単に定番観光スポットに行った証拠写真がほしくて撮るのはどうかと思うけど、本人たちが満足できるんなら好きにさせてあげれば?
人によって難易度も攻略法も異なっていて、クソゲーだと言う人が多いのかもしれない。
ただ、根本的に流れているものは一緒であり、色々と分かってきたことがあるので書きたい。
書いたところで、私の存在は消されるかもしれない。
人生というゲームのルール、あまりそれは明らかにされていない。
基本的には、スヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」である。
どんな手札が配られているか、それを確認する方法は古代中国で編み出されている。
算命学である。
この算命学で、基本的にはどんなタイミングでライフイベントが起こるか定義されている。
なぜかわからないが、古代中国の人はよくもまぁこんなものを発明したものだ。
あとはルールが7つ。
・徳を積み、罪を犯さないこと。
・人事を尽くして天命を待つこと(努力をし、決して怠らないこと。チャンスがあれば必ず掴み、離さないこと)。
・天命には従うこと。特に大きな啓示は何らかの形であることが多いのではないかと思っている。
・人に騙されないこと。
・他人を幸せにすること。人の悪口を言ったり他人をこき下ろしたりしないこと。
これだけ。
人生の各ステージにおいて、各人において到達すべき点があり、怠けたがために到達しない、ということがあれば、その後の人生に決定的に必要なピースを欠くこととなる。
可能性の広がっているときに、下位の目標でいいやと妥協してしまうと、その後大変なことになる。
また、天命に従わないと大変なことになる。
神様、というものがいたら、その人の人生を詰ましにかかるので注意されたし。
結局、よりよく生きるしかないのよね…
これは、本来は、マスコミ&ジャーナリストが徹底的に取材して、安倍政権・官僚組織が既に解決しているべき問題ですが、深刻かつ巧妙な仕組み・構造になっているため、現在に至るまで、ほぼ「問題として提起されることさえ無い」状態が続いています。
それでは、「隠れソフト奴隷問題」とは、そして、「隠れソフト奴隷」とは何のことでしょうか?
例えば、若い社会人女性が、学生時代に性的な暴力を受け、また、その際にスマホ画像や動画でハメ撮り画像・動画を撮られたとします(以前、スーパーフリーの様な問題がありました)。
その画像・動画をネタにして、加害者側が、被害者の女性が社会人になった後も性的に搾取し続ける、あるいは、金銭的に揺すり続けられている(性的・金銭的な搾取)様な場合、被害者女性は「奴隷に近い状態」におかれているのであり、しかも、証拠(弱み)があるために被害を申告できない状態に陥っているので、「隠れた奴隷」であると定義することができます。
更に、一応は社会人として生活することができているので、すくなくとも牢獄で鎖に繋がれているような奴隷ではない。
その様な構図であるため、この種の人々を、今回は「隠れソフト奴隷」と表現しています(本人はソフトだとは感じていないかも知れませんが)。
上記の構図の、若い女性(学生・社会人)が弱みを握られて性的・金銭的に搾取される、あるいは売春の様な仕事をさせられる、だけど、それが問題として一向に表面化してこない様な事例は、山のようにあります。
それは、被害者の女性が画像や動画で弱みを握られて、脅されて、お上(警察)に訴え出ることが出来ないからです。また、「本物の奴隷」よりは縛りが弱い(隠れソフト奴隷な)ので、被害が表沙汰になって、現在の仕事などの社会的な地位を失うよりも、隠れソフト奴隷である続けることを選択している結果であるわけです。
現在行われている、若い女性の性被害についての報道は、氷山のほんの一角でしかありません。水面下には何十万・何百万の「隠れソフト奴隷」女性がいる一方、弱みを握られているために一向に表面に揚がってこない様な事態が現在進行形で継続しているわけです。
安倍政権・官僚組織は、そのこと(問題の本質)をしっかりと認識して、根本的な対策を立てなければならない。
しかし、また、実は私は、この事(問題)だけを問題だと考えてこのことを書き始めた(タイピングし始めた)訳じゃないのです。
実は、私は、“安倍政権と官僚組織自身が隠れソフト奴隷だ”、ということを告げるために筆を執った(タイピングし始めた)わけです。
正確には、政治家と官僚組織の一部が「隠れソフト奴隷」であることは間違いありません。
この主張を耳にして(読んで)、「こいつ何言ってんの?」と感じる向きもあるでしょう。
以前、スーパーフリーの事件が社会問題化しましたが、これは早稲田大学のイベントサークルのメンバーが若い女性を集めて輪姦、直後に被害者女性が笑顔でピースをしている写真を撮って和姦だと主張していた、その様な性犯罪事件を次々に犯していたという問題です。
それで、輪姦された女性は「ソフト奴隷化」し、その後、新しい女性が輪姦のための飲み会に参加する(性被害に遭う)ようにナビゲートする役をこなしていくような仕組みになっていたわけです。それは、本人が望もうと望まざろうとやらざるを得ない。
一方、スーパーフリーのメンバーは「キングとして振る舞っていた」かというと、そんな事はありませんでした。ケツ持ちとして別の人物・組織が存在し、いわば、中間管理職的な性犯罪者・性的加害者として機能していたわけです。また、性的加害者として秘密を共有しているので足抜け出来ない。
実は、スーパーフリー問題の様な構図はかなりの程度ステレオタイプ化していて、学生社会に深く浸透していますが、(前記の若い女性の問題と同様に)ほぼ水面下で動いているので社会問題として表面化してきていません。
私の学生時代に、実際に「ソフト奴隷化」している知り合いが(男性も女性も)いましたので、学生時代における実感を基に推定すると、女子学生全体の1割以上、男子学生も1割以上が、学生中に「隠れソフト奴隷」となり、彼らが社会人になった後も問題として表面化せずにくすぶり続けていると考えられます。
そして、「男子学生が隠れソフト奴隷とはなんぞや?」とも感じませんか?
一例を挙げると、その際は創価学会(学会員)主催でしたが、渋谷円山町のクラブスペースで、あるイベントが行われていました。
しかし、そのイベントは、普通のクラブイベントとは異なる印象を与えており、また、そこでは異様な光景が現出していたわけです。
具体的には、ホール全体の中で、10人くらいの若い女性が程よい距離感で立っていたわけです。それだけなら違和感ありませんが、異様だったのは、それらの女性の前に、男たちが大挙して列をなしていたことです。
そこは確かに円山町のクラブスペースでしたが、誰も踊ってなんかいませんよ?
10人くらいの若い女性が立っていて、そのそれぞれの女性の前には、劣情丸出しの大勢の男たちが並んでいるわけです。
要は、宗教団体の力を借りて、スーパーフリーのバリエーションを摘発されない形で行っていたわけですが、この様なことは学生・社会人を対象として星の数ほど行われてきているわけです。
私が通った大学でも、似たような事をしている連中がいましたが、「ヒエラルキーの頂点に暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者がいる」という点ではどこも大小同異ではないでしょうか。
円山町のクラブイベントに話を戻すと、加害者の男性側も「ソフト奴隷化」します。
当たり前ですよね?
そういうイベントに参加して、若い女性を輪姦したという事実自体が参加者男性の弱みになるわけです。当然、参加後は脅されて、社会人になった後も、ポイントポイント、節目節目で(スーパーフリー事件で被害者女性がナビゲート役になったように)言うことを聞かなければならなくなるわけです。
表現を変えると、男子学生や男性社会人本人が「得をした」とでも感じて、鼻の下を伸ばして、ギラギラした目つきで、ヨダレを垂らして、劣情丸出しの表情と心理状態で、ある種のイベント(乱交・輪姦)に参加したところが…
実はそれは、倫理・道徳観に問題のある男性をターゲットにした罠だったのであり、そのイベントで被害者女性や美人局的女性とセックスをした後は、そのネタで脅され続け、また、ゆすられ続け、つまり、搾取され続ける「隠れソフト奴隷」としての生涯を送ることを強いられることになります。
そして、指示を出しているのは「暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者(幹部)」なわけです。
つまり、スーパーフリー事件というのは見せ物のようなもので、あの事件が済んで万事解決のような空気がなきにしもあらずですが、実際は「んなこたあない」、学生・社会人のコミュニイティで深く長く浸透し、本人は、弱みがあるだけに警察に相談することも出来ず「隠れソフト奴隷」であり続けているわけです。
無論、霞ヶ関官僚の中に「隠れソフト奴隷」がいます(ロボット化した人材と混在しています)。本人が名乗り出ないので、わからないわけです。
もちろん、地方公務員にも、企業の会社員の中にも「隠れソフト奴隷」はいます。男性の中には加害者としてワークしてしまった人材が多くいますので、脅され、職や社会的な地位を失うことを恐れて黙っているわけです(その方がマシだとの判断です)。
政治家にも「隠れソフト奴隷」がいて、彼らは、「ハニートラップにかかった政治家」と似たような状況におかれています。
安倍晋三総理、麻生太郎副総理、そして霞ヶ関官僚の諸君におかれましては、この問題を解決するために少し時間を割いていただきたい。
この日本社会における「隠れソフト奴隷」の問題は、ある意味で、「失われた三十年」と表現されるような、ここ30年間における日本社会の腐敗と没落の結果として生じた現象の一つだと考えられます。
「女性が好きな服を着れる社会にしよう」「女性を窮屈な服から解放しよう」
60年代のフェミニストたちは、それまでのモードが女性に伝統的な女らしさを強制したものであるとし、新しい女性解放や自己解放は、「強制された女らしさを排除すること」であると考えた。そこで若い女性たちは、それまでのオートクチュールが提案していた「成熟した女らしさ」に対するカウンターとして、若さを強調する「少女ルック」を採用した。
「女性が手足を出すことは奇妙な行動ではなく、自然なことで、健康的な振る舞いである」という価値観も、先達の女性たちがそれぞれの闘いの末に社会に浸透させてきたという側面がある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20190812-00138025/
ビキニと名付けられたツーピースの水着が売り出されたのが1946年。ビキニ環礁での原爆実験直後に発表されたため、このように名付けられたらしい。
フランスでは1945年に女性が投票権を獲得したが、その後20年経った1965年に、やっと女性が自分名義の銀行口座をもち、夫の許可なしに仕事ができるようになった。ピルが許可されたのが1967年。
上記は1964年に南仏サントロペでモノキニが流行っていることを報道する当時のテレビ番組だが、第二次フェミニズムの流れに乗って、60年代から1990年代前半まで、モノキニで海岸を闊歩するのは当時、「カッコいい」ことだった。