はてなキーワード: テニュアとは
私はある大学で教員をしているオッサンである。とはいってもまだテニュアの職は得ていなくていわゆる任期付きだ。もう40過ぎてしまったのでいろいろ焦りはするのだけど、周りを見ていても自分みたいなのは珍しくないのも事実である。
とはいえ、昨年研究がそこそこの成果を上げて、割と注目もされていくつか新聞記事なんかにもなり、人生はじめての単著も出した。まあそれはいいんだけど、先日院生たちと雑談していたときに、出会い系で人妻をどうのみたいな話になった。大学院生が人妻とそういう関係になるのか。そういうことはダメだよと言っておいたけど、なんだかもやもやする。
てのは、自分自身、結婚してはいるんだけど、もうセクロスすることが何年もない。5年前に二人目の子供が生まれてから完全に絶えてしまった。もちろんそれは辛くて寂しいことなので、いままでいろいろできることはやってきたんだけど、妻に断られると結構落ち込むというか自分を否定されたような悲しい気持ちになり、怖くてもう誘うことも出来ないのだ。しかし40歳くらいであり肉体の方はまだ性的なものを求めている時期であり、なんだかやるせない思いを抱えながら生きている。そんな人、たくさんいるよね。私もその一人です。
で、風俗はどうしても勇気がなくて行けなくて、風俗使う勇気のない人間がどうしてそんなことを思ったのかわからないけど、出会い系を使ってみようかと思ったのだ。大学院生にできるのならどうして私に出来ないことがあろうか。そんで、業界大手のハッピーな出会い系に登録してみた。
地域と年齢で検索をすると、まあ出るわ出るわ。こんなにいるのかい。これらの人妻たちがみんな出会いを求めているかと思うと、熟女系AVの世界である。そんで、片っ端からメールを送ってみたが、まあ2割位帰ってくればいい方で、その半分はいわゆる援助交際希望であった。一回に付き1.5万とか2万とか。
顔も知らない人(当然だけど既婚女性の大半はプロフ写真を公開していない)と2万円でひとときを楽しもうなんて勇気のある人、いるんだろうか。まあいるからこういう人がたくさんいるんだろうな。でも私はそんな怖いのごめんである。なので、援助交際じゃない人を地道に探そうとしたが、まあ返事が来ない。来ても数通で絶える。辛い。
攻略法みたいなのを載せてるサイトも結構あったのだが、大体出会い系サイトへのアフィリエイトサイトだった。それでもいろいろ情報を取り入れて頑張ってみたけど無理。プロフ写真を貼り付けるのが大事とはどこも書いてあるが、わたしゃネットで検索したら新聞記事やら大学のサイトやらにいくらでも顔写真が出てくる人間である。そんな恐ろしいことできるわけがない。
でも、写真とりあえず送れと言われて、ありったけの勇気を振り絞って送ったりもしたけど、「ごめん、タイプじゃない」と一言返信が来て切れてしまったりした。もうなんか、これメンタルが削られるだけの営みじゃないのか。そんなにブサイクだろうか。一応結婚もできたし付き合ってきた人もいるんだけどな…
まあそんなこんなで奮戦して、ようやく「肉体関係なし・メール友達募集」という40代後半の人妻さんとやり取りが続くことになった。いろいろ聞くと、登録すると何もしなくても鬼のように男からのメールが届くらしい。なんか40代の若くない既婚女性を大量のオッサンが取り合いしているのだ。虚しい。これを虚しいと言わずになんと言えばいいのだろうか。
その肉体関係なしの人妻さんは、いままで色んな人にあってきたが、一回やって捨てられるか、あるいは会ったその日にブロックされたりみたいなことを繰り返されて、病んでしまったらしい。だからもう会わないんだそうだ。出会わない系サイト。それって普通のSNSでいいじゃんって思うけどね。とにかく、肉体関係はなしと書いただけで鬼のようなメールはだいぶ減るとのこと。
女性も女性で大変なんだな。でも、そんな人としか私は繋がれなかったのかと思うと元気なくなってくる。大学院生諸君はどうやってここを突破したのかとか思うけど、彼らと私がこの世界の市場価値において張り合うってことがそもそも無理なんだろうな。
で、私はそのハッピーな出会い系で3000円使ってポイントが付きて、やめることにした。ここを攻略するには、それなりに覚悟と根気と鉄のメンタルとプロフ写真の公開が必要なんだろうが、私にはそれはなかったのである。あるいは若ければそこは全部飛び越えられるかもしれないが、もう若くもないのである。二人の子供の寝顔を見ながら、変なことにならなくてお父さん本当に良かったよとつぶやきながら、今後もこの男の肉体を持て余しながら、もんもんと生きていくんだろうなと少しだけ絶望するのだ。
あ、肉体関係なしの人妻さんとはその後も出会い系サイトを離れて普通にメール続いています。お互いに会うつもりは全くなし。研究や仕事と全く関係のない話し相手は居なかったので、ちょっとそれだけは成果といえるのかなと思っている。
発表が近くなると寝ないで勉強して、土日も家族に謝りながら原稿を書いて、それはいつか誰かの役に立ち、人を幸せにすると思ってた。
いや、自己実現のためにやってたのかなあ、結局お金とか環境とか、いつか良い仕事に転職するために必死だったという理由で動いていたかなあ。
とりあえず、目の前にある楽しそうなことに手を出しては新しい世界にときめいていたような気もする。単に若かったのかもしれない。
MBOでいい評価がもらえて振り返ってみると、勉強しなくてもボーナスは貰えるし、昇進は内部の仕事をどれだけやるかにかかってるし、頑張らなくても相応のお給料は入ってくるわけだ。
もちろん期待される役割について尽力するべきではあるけれど、大変な道を選ばなくても、できることをほんの少し背伸びしてこなすだけでも、生きてはいけるんだね。
有給休暇を娯楽に費やして、無理なことはしないで、すごいことはすごい人にやってもらうようにして。
研究とやらが趣味なんじゃないかと、自分が好きだからやってると思ってたけど、でもやり遂げたときの喜びとのコストが合わなくなったように感じた。
何でもかんでもボランティアできたのは20代だったからだろう。独立したいと思っていたけど、コロナで大組織の有難さをひしひし感じたし、当然ここも辞めると思っていたが変わってしまった。
自分には十分すぎる場所での定年までの約束を意識するようになってから、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。テニュアなんてとるもんじゃないな。
ハイハイ手続きに問題ありましたね6人は復活で採用ね、でも今から解散のために法改正する準備するね、って流れだなこれ。
実質的にマイクロプラスチックを海から減らすのになんも意味のねーレジ袋有料化に絡んだのを誇らしげに語ってみたり(これ提言が間違った政策につながった後悔案件じゃんか)
復興増税提言したことあったり(直球で間違っている。減税と国債発行をアホほどやって、景気が過熱しすぎる兆候が出たら増税して冷やすのが正しい)
軍事研究ガーって言ってみたり(今アツいのは民生品の軍事転用の流れなのでなんも研究できないか、なんも戦争につながる研究を止められないバカ台詞になっちゃう)
人に向かって研究する気もないのに大学に来た教養のないやつ呼ばわりしたり(お前今大学出てどんくらいテニュアのポストがあるのかどんぐらいあきらめて企業就職したのか今の新卒とか氷河期のやつらとかの前で言ってみろこのバカ)
ちまたに嫌と言うほどあふれているアカデミアの中にいる人間のグチのひとつなんですけどね。
ますだででもなければなかなか書けないので吐き出させていただければ。
少し前のことです。
とある公募の面接に呼んでいただきまして、いろいろ聞かれたわけですよ。
そんな中の質問の一つに「このポジションの任期が終わった後、どのような展望をお描きですか?」という質問がありました。
面接における典型的な質問なのですが、私、ここで気づいてしまったのです。
「私、先の展望なんて持っていないや…」と。
その面接のときはなんか上っ面をなでたような適当なことを答えました。
(結局その公募は不採用でした。採用された方を見ると確かに私よりも業績もあるし、順当でしたので、面接の結果には文句なんてございません)
私の中で衝撃だったのが、当然考えているべき「先の展望」をそもそも自分自身が考えることをー恐らく無意識のうちにー放棄していたという事実でした。
数年後、今の研究をどのように発展させていくのか、それに必要な自身のキャリアアップはどのようなものなのか、そういった「展望」を描くことは、言うまでもなく研究キャリアを形成していくうえで、重要でしょう。
しかし、私はその展望を描くことをこの数年間していないのです。避けていた、もしくは怠っていた、といってもいいのかもしれません。
ここ数年の私は、2-3年程度の任期職を渡り歩いています。いつテニュア職に着けるかなんてわかりません(目をつぶっていますが、テニュア職に就く能力があるのかもわかりません)。
梯子は2-3段上ると途切れてしまい、その都度霧の中に手を伸ばして次の梯子を必死に掴んできました。
かつては、上り続けていれば途中で途切れない長い梯子に到達するだろうし、いずれ屋上に行きついて晴れた空を見上げることもできるのだろう、と信じていました。
ただ、上れども上れども、つかめる梯子は数段で途切れるものばかり。霧の中で次の梯子に手を掛けるのも、どんどん難しくなっていきました。
やがて私は、常に「次の梯子に手を伸ばすこと」だけを考えるようになっていったのだと思います。
どうやって次の梯子を掴むか、という目の前の物事に囚われ、梯子を上りながら何をしたいのか、屋上に立った時に次にどうしたいのか、そういった「展望」を描くことはなくなり、むしろ「展望を描くことはむなしいこと」とすら思うようになっていったのです。
ビジョンなくして成功なんてしないだろう、と感じられるでしょう。
私もそう思います。
ここ数年、博士号を取得中とか、その後のテニュアのポジションが取れなかったとかで
いかに博士課程に進んでアカポスに進むのが最低最悪かというエントリをよく見かける気がする。
確かに、若手研究者の現状は前よりも悪くなっているんじゃないかとは思う。
自分は博士号取得後に任期付きアカポスになり、無事テニュアのアカポスになった。
周囲の教員や研究者は、みな人柄もよく頭もよく、話していて面白い人ばかりだ。
これまでは研究ばかりが重要だと思っていたけど、教育へのやり甲斐も実感した。
アカデミアは、働き方も自由、PIになればこれをやれと仕事を命令されることもない。
大学事務が非効率と感じることもあるけど、お互い仕事でやってるんだから仕方ないなと思ってる。
何よりも、自分の好きな研究を自分の好きなようにできる自由がある
給与はそりゃ自慢できるほどいいわけじゃないが、卑下するほども悪くない。副業もできる。
うちはダブルインカムで配偶者も稼いでるので、家計は余裕がある。
結婚できない、という説もみかけるけど、
知り合いのアカデミアの同世代の中で結婚していないほうが珍しい。
自分が優秀だったからこういう環境にいるといいたいわけじゃない。
素晴らしい職業なのに、最近あまりも夢がないエントリばかりだなと思ったから。
自分のまわりでは、研究者としての能力が足切りレベルだったか、
競争社会には向かない性格だったか、ないしは単に人間として付き合いにくい奴がいなくなったと思う。
業績があっても付き合いにくかったら、当たり前だけど長く付き合う同僚や部下としては願い下げだろう。
でも教育者に向かない嫌味なやつは選ばれない。
目を引くような業績がたとえなくても、
同僚や共同研究者としてやっていきたいと思う楽しい人や、研究テーマに引きがある人は残ってると思う。
もちろん他にやりたいことがあってアカデミアを去った人もいると思う。
そういう人は新しい道を気持ちよく進んでほしいし、
自分ができなかったことをやってくれていると応援したい気持ちがある。
辛く悔しい思いをしたという人がいるのは間違いない。
子供が博士課程に進学したいと言ったら応援できるのか、と書いてあったとある投稿を見るまで、
アカポスは最高だなと思いながら、こういうことを書くなんて思いもしてなかった。
嫌味だと受け取られるかもしれないし。
伝えたいことは、学級の道は楽しい。向いている人には楽園だと思う。
少なくとも自分のまわりは、文理問わず任期なしの職に転換した人の方が多いです。
自分の子供の職業選択についてああだこうだ言うつもりはないが、
もし、子供が将来学者になりたいと言ったら、もちろん応援します。
今話題の人のあれ。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2019112411004
“特定短時間勤務有期雇用教職員(特任准教授)” について。「特定短時間勤務有期雇用教職員」は単に上位カテゴリで、その中に特任教授とか特任准教授とか特任研究員とかがある。
短時間だから非常勤で、特任だから任期つき。寄附講座の所属だから寄附講座の設置期間が任期になっているだろう。給料は勤務形態(たぶん週何回とか月何回とかなのではないか)によるが、まあ知れた額だ。テニュアの准教授だってあれなんだから、非常勤ならもっと低い。
ただし最近ちょくちょく話題になる「非常勤講師」とは全く違うので注意。あちらは東京大学ではやっと最近雇用契約になったという扱いだが、こちらは曲がりなりにももともと雇用契約だった。
「特任教授」「特任准教授」を常勤非常勤の別なく用いているのがあまりよくないのと、「特任」が結構かっこよく見える言葉なのがこういう人にとっては都合がいい、という問題があるかな。
サーバしょぼいぞ、については、ドメイン見てもらえればわかる通りこれ情報学環のサーバなんで。弱小大学院のサーバなんてこんなもんじゃないですかね……。
東大医学部健康総合科学科→東大SPH(東京大学公衆衛生大学院)→現在ハーバード博士課程の学生さんが
と仰っているので反省してください。まあその人は奥さんもハーバードの学生だか研究者だかだし、超優秀な人間なんでテニュアなんてすぐゲットしそうではあるが。要は家族云々ではなく単に実力の差なのでは。
研究者ですが
僕の場合、ポスドク時に結婚が決まって、あちこちに出せるだけ出した
そしてすぐに私大に移りました
ビッグラボで仕事するのも楽しいけど、任期任期に追われるのはきついよね
底辺私大でも高専でもいいので、とにかくテニュアとって10年がかりで研究できるのもいいもんだよ
まあ、できちゃったもんはしゃあないけど、子供を安易に作ったのはまずいな
国立研究所勤めだけど外部から来た複数の優秀なTLに言われて納得した言葉がある。
3つ求めると破綻する。
子供を選んだ人たちは子供が独立したあとは夫婦生活なんて今更送れる筈もないので離婚するだろうとも言っていた。
増田もそういうことだと思う。
キャリアは捨てたくないようだし、子供は生まれちゃったので奥さんと子供と一緒に生活する家庭は求めてはいけない。
出身学科の先生に結婚と離婚を繰り返す人がいて、人格破綻者だと陰口をたたかれていたが、こういう背景があるのか。
自分が事実上師事していた先生は任期付助教の時に結婚され、子供も生まれたけれど、ほどなくして奥さんの出身地近くのテニュアポジションに異動されてたな。
奥さんは豪胆な感じだったのでそんなの気にしなかったのかもしれないけれど、先生はしっかりされた方だったし、研究室を運営していた先生も常識的なアドバイスをされる方だったので、そういう結論になったのだろうと学生ながらに思ったものだった。
任期付ポジションにいるときに子どもができる人はいるけれど、それまでにそれなりの研究成果を上げておいて、子供ができたときにはテニュアトラックに異動というのが現実だと思う。子供ができるまでにテニュアトラックに異動できるだけの成果がなかった時点で、そのルートはないんじゃない?と思うけど、そんなの誰も教えてくれなかったよねとも思う。
企業を経験して大学に戻ってきた知人は、企業にいた数年のブランクの間に同世代の研究者が稼いだ実績を追い越すことはできなかったと言っていたが、増田も似たような状況だと思う。こんな優秀な人でもそう感じるほどに時間の壁は厚いのかと思ったものだった。
これを書きながら思ったが、増田の周りには任期付ポジション研究者で子どもがいる人っていないのか?
自分が学生していたころは合宿形式の研究会で先生方が与太話をされていたけれど、そういうのって最近はないのだろうか。
それとも、増田はボッチなのか?
国内の大学でテニュア職の夫のいる妻です。夫が助教時代に結婚しました。
私は子どもができた時点できっぱりと自分の仕事を辞め、育児と夫のサポートに全力を尽くしてテニュアを手に入れるまで伴走してきました。
数年ごとに国内を転々としました。大学を変わるたびに嵩む引っ越し代でお金もなかなか貯まりませんでした。
周りの子持ちの大学教員の妻(専業主婦)も似たような感じです。家計をやりくりしながら異動ごとについて回っています。子どもが少し大きくなったケースではパートなどに出ていることが多いです。
奥さんに定職がある場合は教員の夫が単身赴任でぼろぼろの官舎に住んでいるケースも結構見ました。
でもいずれにしても夫婦仲が良い場合でしか家庭は考えられません。
任期付きの仕事においてはその先があると信じ、夫を信じ、ついてきて今がありますが、任期付きの時は不安になることもよくあり、言い争いになることも少なくありませんでした。
それでも家庭が破綻しなかったのは夫が何より大事にしているのは家庭と子どもだと常に口にしてきたからです。
ご参考まで。
私(夫)28歳、妻26歳で結婚して、すぐ妊娠し、今1歳半の子供がいる。現在私は30歳。
出来ればいい大学のポジションに着きたい。それが任期付きであっても。ただし妻は何でも良いから定職(彼女のいう定職は任期の無い普通の会社員)について欲しいという。
妻は、5年後に旦那が仕事が確実に無くなり、次の仕事があるかわからない。また見つけたとしても、継続してひとつの法人に在籍しない為に、昇給がない、というのが堪らなく精神的に不安らしい。いい加減に定職につけと言うことだ。
私は元々日本で修士課程を卒業して、誰でも知っているいわゆる大企業に就職していたが、2年でやめて、海外で博士課程を始めた。2020年3月に修了予定で、仕事をどうするか(そもそも見つけられるか)が問題。
こんな不安定な道に進む場合は、結婚するべきではなかった。妻も結婚した当時は不安定な道になる事は承知していたはずだが、実際に子供が生まれ、直面すると態度が変わった。妻は、私が受ける、ある大学の任期付き助教の採用面接が失敗すればいいと思っている様子で、もはや根本的に考えが私と違ってしまった。(私はこの大学よりいい大学で助教ができるとはあまり思えないくらい、いいポジションと考えていて、ぜひ採用されたい)
自分は元々結婚には向かないと思っていたが、した事も無いのに決めつけるのは浅はかだと思い、試して見た。今言えることは、きちんと見通しをつけず、結婚を決断をした自分が浅はかであった。
遅かれ早かれ離婚する事になりそうだが、子供が不幸になる事が申し訳ない。申し訳ないと言いつつ、自分の都合を優先させるために子供を不幸にする自分が悪魔そのもの。
結婚をするべきではなかった。もっというと、子供を欲しがる女性と結婚するべきでなかった。
定職を持ち、長く住む場所が定まり、精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。
[以下追記]
このやり方でいいのかわからないんだけど、ブクマの人気コメントにお返事書かせて頂いた。
kpkpkpchang 離婚後、当然のように妻が子供を引き取る想定でいてモヤモヤする。
子供の親権を取ることに私は、そこまでこだわっていないが、事実上私が親権をとることはできないと考えられる。
離婚届には離婚後の親権を記入する欄があるが、そこで合意が得られなければ、裁判所の判断になる。
調停になった場合、やはり妻が有利。私はずっと海外にいて、妻が日本で子供の身の回りの面倒を見てきた。
そのため、私が親権または監督権を獲得するのは事実上無理だと考えられる。
養育費を払うことは(私に収入の範囲内であれば)なんの問題もなくて、できるだけ払いたいと思う。
”自由がない”、の意味がよくわからないが、可処分所得が減るという意味なら、理解しているつもりだし、納得もしている。
私が問題だと考えてるのは、子供の父親が一緒に生活していないこと。
おそらく離婚したら私は積極的に海外のポストも探すが、そうするとかなり長い期間顔をあわせる機会もない。
家事や子供の身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?
また、自分の父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活で父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?
金(養育費)だけ払えば子供にはなんの影響もないと思えないので。
yuatast 妻子供よりも自分の将来が大切だってことでしょ。分かりやすいよね。
まさに仰るとおり。説得ができない。任期のあるポストでも私にとってはとてもいい仕事なのだが、
私の感覚では、いい大学の助教の経歴があれば、自分のキャリアが続く仕事は見つかると考えているのだけれど、
妻はそういう楽観的で不確定な未来を受け入れる態度に耐えれれないということらしい。それもわかる。
どう説得すればいいのか教えてほしい。
子供が自分自身のことを不幸だと思わなければ、他人にどう思われてようが、問題ないと思う。
私自身は片親の子をみても不幸だとかそういう考えは持たないが、一般的にはどうなのだろうか。
子供がどう考えているのかは、離婚した親をもつ子供のアンケートの統計等を見ないとわからない。
妻はその業界では安定した企業の職についている。会社はその分野で国内最大手で連結の売上が500億以上。
そのため、妻が育休中のその会社をやめなくて済むように、私は東京でのし仕事を探している。
妻に詳しく認識を聞いてはいないが、子供が小学生くらいになるまではあまりフルタイムで働く気はないのか?
(妻の企業は時短がけっこう一般的で、フルタイムと時短の切り替えがある程度容易)
妻は子供と過ごす時間に対する優先度が高いように見受けられる。
問題は、私と妻が共同生活を送ることが困難になるほど不仲になってしまうという点で、
それを解決できない場合は一緒に暮らす全員がかなり不幸になる(と考えられる)。
なんとか、任期のある仕事につくことから来る妻の不安を私が取り除かなければ、一緒に生活できない。
宝くじで数億円が当たるか、私が、妻が満足する任期なしの仕事につけば、問題は解決する。
もし私が私のやりたいように進めると、私が任期なしのポジションにつくのは5年後等になると思われる。
そこまで不仲の状態で共同生活はできないので、離婚しなくても別居はするのではないかと思われる。
生物の特性上、子供を妊娠出産することができるのが女性だけというのが、現代社会においてかなりハードルが高い。
子供が欲しい女性はある時期は必ずパートナーや自分以外の何かに頼らざるを得ない。女性のキャリアの形成があまりにも難しい。
(世田谷とか笑ってしまうぐらい認可保育園が空いてない。例えば、1歳の子供を入れたい場合、待機児童が345人いる:
参照https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kodomo/003/009/d00031371.html)
認可外の保育園もあるが、個別に問い合わせてもまぁ空いていない。
保育園の申し込み書類の用意は私が主に担当している。保育園の見学は一時帰国したときに、私も3~4件は回ったが、
やはり認可保育園の方が環境がよく、そこに入れたいと思う親の気持ちは理解できる。
ただ、認可保育園を見学しても虚しいのは、入れる見込みがほぼないこと。(見込みがなくても見学していないと申し込みすらできない)
また、良い保育園がたくさんある地域は、結局他の地域から無現に子供を入れたい親が引っ越してくるので、
待機児童問題は永遠に解決しないと思われる。月14万くらい払えは、環境のいい認可外のインターナショナルスクールみたいな所に
入れられるが、私たちの家庭にその余裕がない。自民党はなんの関係もない。
確かに博士課程3年間、学振落ち続けた人間(人文系専攻。当時は合格率15%とかそんなもんだった)としては、そんだけわかりやすい実績上げててなんで??感すごいある。
彼女だけの話でもなく、受賞経験とかはないけど、ポスドクで非常勤講師やりながら、論文や本書いて、研究会主宰とかもやって、ちょっと話せば教育者としても優れてる人だなってわかるような人が、すぐテニュア決まるだろって思ってたのにずーっと決まらないまま50代突入とかしてたんで、ほんとこの世界はわからん。怖い。
研究に向いてそうな学生いても、大学院行ってみたらとか絶対言えない。
留学生はそもそも院進前提で来てる人多いんで、日本の人文系大学院は留学生だらけになってる。残念ながら当然としか言いようがない。
それにしても、史学系って、ガチ公募どれくらいあるんだろうね。
院生&非常勤講師時代はいまいちよくわかってなかったけど、教員側の立場になってあれやこれや見聞きしていると、大学院によって、植民地(若手研究者を送り込める枠がある大学)があるとことないとこあって、ついでに同じ大学院でも専攻や師匠によって、コネ回せるとこと回さない(回せない)とことある、らしい*。
コネ回すことができるとこでも、空きがなければどうしようもないので、全員に回せるわけではなく、優秀な人、貢献してくれた人からということになるわけなんだけど。
どれだけ実績があっても、(1)専門領域でのガチ公募が極端に少ない(朝日新聞の記述で、履歴書読んだ跡がそもそもなかったこともあったってあったけど、既に採用者決まってるアリバイ公募ってことだよね)(2)出身大学院または師匠がコネ回さない、が重なれば普通に詰むよね。
あとは研究会とかで自力で人脈広げて、呼んでくれる人を作るかどうかくらい?
いうて、コネで押し込めるのって学部長級以上とかだし、そのへんの人らは学務忙しくて研究会とかそんな出てくる暇なさげな気もするけど。
あとは退職する教員が後任推薦することもなきにしもあらずだからそのへん? 後任推薦NGのところも普通にあるんでなんだけど…
専門によっても違うし地域や大学によっても事情は違うと思うけど、ガチ公募をもっと増やして、とりあえず「研究業績ある」「学生の面倒がみれる」「最低限学務もこなせる」「コンプラ守れる」あたりが揃っていれば就職できるチャンスを増やすことが、優秀な研究者育てる鍵になる予感がする。
ちなみに出身地の国立大で、自分の専攻の公募出ないかなーと10年以上ガン見してましたが、一度も公募出ませんでした!!
※自分はガチ公募で勝つしかなかった。年数件くらい出る自分の専門領域とかぶる公募に20回以上応募して、面接まで行ったのが3回、4回目に呼ばれたところに決まった。ちなみに面接では研究者としての資質もそうだけど「一緒に仕事してうまく仕事回せていけるか」が見られるという印象。あとで聞いたら、実は自分より優れた業績もってる候補者もいたんだけど、そちらが面接で引っかかるところがあって、結局自分になったらしい。(久々に書いたらはてな記法の脚注の付け方がわからんくなってた…)
ポスドクを何年か経験しながら20以上の公募に出してきたけれど、どれもこれも通らない。教育歴こそ薄いが、論文数は同年代の若手のなかでも多いほうだし、それなりの受賞歴もある。その一方で、こういうのを比べてしまうのも浅ましいことだけれど、そこまでパッとするわけでもない同世代の研究者たちが、いつのまに告知されていたのかもよくわからない公募で、テニュア職にすんなりおさまっていたりするのも見てきた。もちろん、業績数や教育歴の単純な比較で採用が決まるわけでもないことは百も承知だけれど、なんだかおかしいぞという感触はどこかにあった。
家庭の事情もあって、最後のポスドクの任期が切れる9ヶ月くらい前から、アカデミアを去って一般就職する選択肢も視野に入れ、転職エージェントとやり取りをしていた。あと9ヶ月で条件の良い研究職に運良く決まればアカデミアに残るだろうし、決まらなかったらもうすっぱり足を洗おうと思っていた。
数ヶ月が過ぎたあるとき、そこそこお世話になっている先生から、これこれの先生が退職される際に後任を探しており、もしよかったら応募しませんか?という話をいただいた。応募しても確実に採用されるとは限らないが、後任の人事にあたってはこれこれの先生の意向が限りなく尊重され、これこれの先生が私の名前を直々にあげてくださったとのこと。もちろんはっきり言われはしなかったが、いわゆるデキ公募というやつだ。
アカデミアのことを諦めかけていた私にとって、こうして気にかけてくれる人がいることは素直に嬉しく誇らしかったが、同時に何とも言えない違和感を抱いた。このときは違和感の正体をつかめなかったけれども。そしてメールのやり取りのあと、先方の指定する日時にこれこれの先生のもとにうかがい、「面談」ということで1時間ほど話をした。面談の感触は良かった。これなら採用されるだろうと思った。「面接」のほうは、公募のプロセスが開始されたあとに形だけするのだということだった。
ところがこの面談が終わったあと、先程言及した違和感はさらに膨れ上がり、おそらく怒りに変わった。このデキ公募で採用されたとして、それでは、選考に応募してきた窮状にありながらもがんばっている同世代の何人もの研究者たちに対して、私は顔向けできるだろうか。公正な競争を信じ、成果を出し続けていればいつかは報われると信じながら命を切り崩すように研究を続けている仲間たちに対して、これはちょっと卑怯なのではないか。それにだいたい、私に対しても失礼だ。10年以上もまともな論文すら書いていない「研究者」の先生方が、何の権限で、寛大にも私を採用してくださると決めることができるのか。研究者としての実力を必死に高めて、世界の仕組みを少しでも深く明らかにしようとがんばっているのだから、こんなまったくメカニズムのわからないデキ公募なんかで採用されるより、実力を公正に評価してほしい。
しかしその一方、これは願ってもない話であることは確かで、この不公正を受け入れれば、テニュアのポジションでアカデミアに残ることができる。しかし私の感情は収まらない。研究者は論理的な価値観を共有し、アカデミアには実力次第で評価される公正な競争があるのだと信じていた。あるいはそう信じたかった。しかし、デキ公募に関わることで私の期待は裏切られ、こんな慣習に染まったアカデミアは、もはや私が人生を費やして貢献したい場所ではなくなってしまった。
そんなことを悶々と悩んでいたところに、折よく転職エージェントとの話がまとまり、期待以上の条件で企業への採用が決まった。私はアカデミアを去ることに決め、これこれの先生にも丁重な断りの連絡を差し上げた。
会社や企業には元から公正な競争なんか期待していなかったので、今はだいぶ気楽に仕事ができている。デキ公募に関わることでアカデミアには失望が残ったし、この失望は今後も消えることはないだろうと思う。