はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
2022.7.24 一般公開シンポジウム 「フェミ科研と学問の自由」
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI
長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。
分割の境界はスライドにある番号に従うが、副題は増田の判断である。
スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。
講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしをベースに、
増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。
まず、江口聡先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。
加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセル・カルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生の記事、
なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルのタイプの言論の自由の擁護」として紹介されている。
また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、
他、法学の専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、
(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s
40:57~48:23
清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています。
研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体の他者性、自己表象と生存の戦略、可視性を巡る問題などがあります。
最近は英語圏のフェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。
主な著作に、
Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision、英語の本です、2008年、
「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィア・ポリティクスのために」、2019年、
『フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります。
清水晶子:
はい、ご紹介ありがとうございます、清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、
本日は「学問の自由とキャンセル・カルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います。
少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。
学問の自由とは
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」
学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。
政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的な権力だったりというところからの圧力を受けることなく、
さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学の経営陣あるいは多数派の社会的通念・経済的な要請などからの
不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問的良心と手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。
例えば、1998年の国際大学協会声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」という文書があるんですが、これによると
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者・教員・学生が、
倫理的規則と国際的水準に関して学術的コミュニティが定めた枠組みの中で、
そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」というふうにされています。
学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判の文脈における学問の自由の主張というのは、
ある意味まさにここに相当するもの、王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います。
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム」
残念ながら、日本でフェミニズムとかマイノリティの政治に関わる研究者にとって、
今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。
だからこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。
2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、
ここでは与党自民党のプロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体の使用に疑義が提示されたりしている。
2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学の研究者の授業というのが、
先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、
批判や抗議が大学に殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由の侵害であるというふうにして、
産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。
もちろんさらに記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、
日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。
この任命拒否については、憲法23条の保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、
2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否の違法状態の是正を求める意見書」というものを総理大臣に提出をしていると。
この意味での学問の自由の重要性というのは、本日のシンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます。
差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由の侵害」とする言説
その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、
もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います。
今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、
国家とか、強力な宗教団体、経済団体、多数派の社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、
研究者の社会的通念と研究の手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています。
力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、
研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。
ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。
すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、
これは「学問の自由の侵害」であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。
二面での闘い
結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、
私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。
けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、
抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。
学問の自由を巡っては、フェミニストには現在そういういわば両面での闘いというものが要請されている。
この現状は忘れるべきではないと思います。
実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、
ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、
こういうタイプの、マイノリティの権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由の侵害」という枠組み、
この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、
これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います。
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
2000年に除名処分を受けて破門されてるのよね
そして2001年に日本キリスト教婦人矯風会が世界女子キリスト教節制会(WWCTU)の世界大会へ参加しないことを表明して完全に関係が絶たれた
世界女子キリスト教節制会の正統な日本支部は「日本クリスチャン女性禁酒同盟(矯風会JWCTU)」であって日本キリスト教婦人矯風会ではない
つまり「矯風会」を名乗る団体が2つあるので単に「矯風会」と表記表現すると誤認する可能性があるので注意されたし
どういうことなのかと言えば、本家本元の世界女子キリスト教節制会から見れば現在の日本キリスト教婦人矯風会は異端であるということ
ただし世界女子キリスト教節制会の教義は一般的な日本人から見ると過激なので日本に合わせてローカライズしようとした日本キリスト教婦人矯風会の気持ちもわからなくはない
ちなみに源流であった世界女子キリスト教節制会自体がキリスト教の保守的な思想をもとに成立しているので「正しい結婚観」や「正しい家族観」を持っているから、この辺りのことをフェミニズムやジェンダーフリーなどを訴える日本キリスト教婦人矯風会へ問えば、Twitterなどで活動するフェミニストな人々は色んな意味で驚くと思うよ
ほぼ間違いなく日本キリスト教婦人矯風会を支持できなくなるんじゃないかな
「男らしい」「女らしい」を一律で無くそうとするからおかしくなるんだよ
らしさ、を心の拠り所にしている人もいるわけで、
その人たちまで否定するのは間違ってない?って思うんだよね
真にあるべきは個人それぞれが「らしさ」を追求できる世の中ではないの?
「男らしい」女の人がいても、
「女らしい」男の人がいてもいい
そして、同時にジェンダーフリーを押し付けることもしてはいけない、ってことが分からない人が多い印象
ジェンダーフリーに則って性同一性障害は個性だから治療する必要ない、っていう人が時々いるけど、
個性じゃないし、そもそも人格は精神によるものなんだから、それはその人の人格全否定してるに等しいんだってことが分かってない
トランスジェンダーのことは知らない。
わたしが性自認が女だ、という根拠は社会一般の女性と好みや考え方が似通ってる上に男性の考え方や好みにどうしても馴染めないから、っていうところなんだけど、
社会によって作られたイメージであったとしても、精神性が同じなら社会がどう形作られても流れ着く先は同じところなんだろうな、と思う
女子プロゴルファーの大西葵とそのキャディーがアース・モンダミンカップで起こした騒動が連日ニュースになっている。
先日の報道では女子プロゴルフ協会が喧嘩両成敗的な処分を下したが、それについての大西葵プロが公開した謝罪文は全く反省の色が見えず「私は悪くないけど変なキャディーを雇っちゃったことは反省しています」といった自己愛、自己憐憫に満ちた内容だったことでさらに炎上しているようだ。
そもそもこの騒動、YouTubeでも当時の動画が公開されているがキレて騒いでいるのはどちらかというと大西葵プロの方で、キャディーはそれをなだめているように見受けられる。もちろんこれは騒動の中のほんの一部だろうしこれだけで判断することはできないが、それでも大西葵プロに全く非がないと思う人は少ないだろう。
これだけ連日騒がれるような騒動を起こしておいて今尚、自分は悪くないといったスタンスを発信し続ける大西葵プロは特殊な人間なのだろうか。いや、そうではないと思う。
男女の格差が未だ著しい日本では日々ジェンダーフリーが叫ばれている。確かに日本女性の地位向上は重要な課題だろう。しかし格差の是正を急ぐあまり、それはときに女性に厳しく接することをも制限してしまっているのではないか。
ルックスがよく、人気もある貴重な女子プロゴルファーを失いたくない協会は、角が立たないよう所属プロの問題行動を諌めることなく喧嘩両成敗的な処分を下した。この調子だと個別の事情聴取でも彼女の行動を強く咎めるようなことはしなかったのだろう。結果として大西葵プロは「自分には問題はなかったのにキャディーのせいで処分を受けた」と本気で思い込み、前述の常軌を逸した謝罪文の公開に至ったとしても不思議ではない。
社会的にも女子プロというのは貴重な存在だ。その分野の第一線で活躍している女性がいるということはイメージアップにもつながる。それはとても良いことだ。しかしそのために男性を蔑ろにすることははたして正しいのだろうか。
今回の騒動、最初の報道はそれは酷いものだった。「キャディーが暴言を吐いて職務を放棄した」という一方的な内容である。可愛そうな女子プロと問題行動を起こした荒くれ者のキャディー。そんなイメージを植え付けるのには十分すぎる偏向報道だった。
この報道のやり方に問題があったのは明確だ。しかしながらその情報を受け取る私達も男と女という性別バイアスによってその情報を精査できていなかったのではないか。
髭モジャの熊みたいな男の横でかわいい女の子が泣いている。悪いのは男に違いない、この男がひどいことをしたに違いない。かわいそうな女の子。男を許すな。みんなで叩け。
キャディーだった「男性」はプロゴルファーの「女性」に対して強く当たったはず、というジェンダーバイアスを通してこの報道を見ていなかっただろうか。
無意識的に、「悪いのは男性で被害者は女性」という固定観念にとらわれてはいなかっただろうか。これは裏を返せば「男性が強く女性は弱い」という価値観の表れでもある。しかし実際には女性である大西葵プロが雇用主、男性キャディーは被雇用者という主従関係で、この騒動の際にその場で大西葵プロがキャディーを解雇したことからもその力関係は明白だ。
正直、すべてのマスコミにジェンダーバイアスの是正を求めるのは無理だと思う。地上波TVならともかく、スポーツ新聞や週刊誌のモラルが高まる日が来るとは思えないしそれらのコアユーザーもそんなことは求めていないだろう。
しかしいつまでも「女性だからきっとこうに違いない」「男性だからこうでなくてはならない」といったような固定観念を捨てられなければ日本では性差問題が解決する日は来ない。
過激フェミの小川たまかですら「選択的夫婦別姓」以外の問題で安倍さんを妄想や憶測でしか批判できないという現実といつになったら向き合うのか
aquatofana 七生養護学校事件で性教育をやり玉に挙げ、日本の性教育を後退させて暗黒の25年を作ったのは安倍氏が座長を務めた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」。女性と全ての性的少数者の敵よ
https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/keikaku/siryo/pdf/12-1-2.pdf
なかみこれですけど?
これが暗黒の25年って、どんだけ大げさなんだよはてなフェミ。
不勉強なやつが、知った知識だけで大げさに騒ぐって小学生のやることだろ。精神年齢が低すぎる。
そんなだから「オオカミ少年」扱いされてみんなから馬鹿にされるんだよ
https://diamond.jp/articles/-/264604?page=3
第二次安倍内閣では、表向きは女性活躍。もちろんバックラッシュのリーダーだった当時の考え方は根底で変わっていないでしょうけれど、表向きにはバックラッシュをガンガンやっているように見えなかった。そうすると対抗もできない。
いちゃもんつけるやりかたしか知らないから対策されて悔しいぐぬぬって言ってるだけじゃん。
https://www.transtructure.com/hrdata/20210525/
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h29/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html
こういう取り組みとその実績については無視するのずるくない?
「安倍のことだから裏があるに違いない」って疑い続けてたら最後までボロが出なかったわけだけど、アクアトファーナは自分の妄想以外でほかに安倍さんを具体的に批判できるの?
安心してください。1つだけは明確に安倍政権を批判できるところありますよ。
1995年に、法制審議会の民法部会が中間報告を発表し、翌1996年に同審議会が選択的夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案を答申した頃から、右派は大規模な反対運動を行い始めました。さらに、1997年に日本会議ができると、本格的に反対運動を展開しました。
2001年には日本会議に女性組織(日本女性の会)ができましたが、それは男女共同参画に反対するために作られています。同会の主な議員のメンバーが山谷えり子議員や高市早苗議員です。
家制度・天皇制・戸籍制度が脅かされることに彼らは非常に敏感です。彼らの価値観から言うと、別姓は選択だろうと何だろうと、彼らが思うところの家族・国家観にほころびが生まれるというわけです。
選択的夫婦別姓を導入する動きを今まで何度も阻止してきて、特に民主党政権時でも上程すらさせなかったのは、彼らにとってすごく誇りになっていると思います。
でも、逆に言うとこれだけなんですよ。
首相になる前はともかく、首相になってから小川たまかが具体的に安倍政権を批判できるのはこれだけ。
だからフェミニストはひたすらこの問題だけをこすり続けてきたわけだけれど。
それで過激なフェミ以外の応援が得られると思ってるのだとしたら頭おかしいってなるで。
それこそ永久に熱海の居酒屋をたたき続けてる害オタとレベル変わらん。
この一点だけで安倍たたきをずっと続けてきたから、途中からカルトみたいに思われるようになったんだよ。
ようやく統一教会という二本めの矢が手に入ったところ。
もちろん、フェミの人たちはわざとやってるわけではないかもしれないけど
結果としては、小川たまか界隈の過激フェミってやってることがカルトの存在と同じ構図になってしまっている。
①是々非々の情報を扱わず、全面的に男社会やアンチ安倍の情報だけをメンバーで共有し合い
②外部者に対して攻撃的にふるまうことを称賛し、フェミの仲間以外から孤立させ、
③承認を得られるのは同じフェミ仲間だけにすることでフェミ活動に依存させる
私は過激フェミをカルトとは言わないけど、カルトと同じ沼にはまっているのは間違いない。
取り返しがつかなくなる前にやり方変えたほうがいいんじゃないか。
でも、北原みのりといい郡司真子といい、どんどん内輪向きになっていってどんどん過激になっていって外部からの批判を受け入れなくなってしまった。
私は男性だけどフェミニストのつもりだったから、いろいろと「もっとこういう風にやっていくべきだ」ってTwitterで言い続けてきたけど
最近はこころが折れ始めてる。一部の論客が飯を食っていくための活動になってる。理想なんかとうに失われていると感じてる。
持続可能な社会を訴えてるくせに、過激フェミの活動自体が全然持続可能じゃないってお話にならないじゃん。
本当に、今のようなフェミニストの姿が、あなたの理想だったの?絶対違うよね?
いい加減一度立ち止まってこの先どうあるべきか考え直せよ。
子殺しの上で死体遺棄して母親が逮捕されるのは当然のことでは?父親にも何らかの罪をというのはわからないでもないが。乳幼児の人権を認めてないのは怖すぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721804662898478082/comment/augsUK
性教育で「性交」や「妊娠経過」の知識を得られていたら、母親に責任があるとは思うが、現在の日本では、学校で「性交」や「妊娠経過」を教えることは、文科省により禁止されている。
これは、自民党・公明党が撤廃を拒否している歯止め規定によるもの。
性教育で「性交」や「妊娠経過」の知識を得られなかった母親が死体遺棄をしてしまったのは、自民党や公明党に責任がある。
「乳幼児の人権を認めてない」のは、性教育で「性交」や「妊娠経過」を教えることを禁止している自民党や公明党であり、自民党や公明党に投票した人物の方である。
【質問】
文部科学省が推進する「生命(いのち)の安全教育」では、性交や妊娠経過について教えないなどといった「はどめ規定」があり、性に関する知識と理解が十分に得られない内容になっています。
「はどめ規定」を撤廃し、人権尊重と科学的根拠に基づく包括的性教育を推進しますか?
【自由民主党の回答】
✕(ばつ)
性教育は児童生徒の発達段階を考慮しながら、学校全体の共通理解を図り、保護者や地域の理解を得ることが必要です。不適切な性教育やジェンダーフリー教育などは行わせません。
【公明党の回答】
ー
△:中学校1年生の保健体育科の授業においては、「心身の機能の発達と心の健康」について学習する中で、思春期には生殖機能が発達し、妊娠が可能となることを理解できるようにするため、主に多くの生徒が直面する思春期の体の変化について学ぶこととしています。平成10年の学習指導要領改訂時の背景として、この内容について指導を行う場合に、生徒の発達の段階を踏まえない、いわゆる過激な性教育(性行為をイラストで示すなど)が行われており、行き過ぎた指導にはどめをかけるため、当該規定を設け、その扱いを継続しているものです。
子どもたちを性犯罪・性暴力から守るための「生命の安全教育」については、より多くの教育現場で実施されるよう推進します。
【立憲民主党の回答】
○(まる)
学校教育や社会教育で、男女ともに性暴力の加害者や被害者にならないように、性についての正しい知識を身に付けられる人権としての包括的性教育を推進し、生に対する正しい知識と理解とともに、子どもたちへの犯罪を根絶します。
【日本共産党の回答】
○(まる)
1992年改訂の学習指導要領で小学生から「性」を教える転換がはかられました。しかし、1998年改訂の学習指導要領で妊娠の過程を扱わないとする「はどめ規定」がもうけられ、2003年に都立七生養護学校での性教育に自民党都議などが介入し、自民党国会議員なども加わる性教育バッシングがおき、学校現場の性教育は委縮・後退しました。その結果、多くの子どもたちが性についての知識をもたないまま、互いの心身を傷つけてしまう多くの悩みや問題をかかえています。国連子どもの権利委員会は日本政府に「思春期の女子および男子を対象とした性と生殖に関する教育が学校の必修カリキュラムの一部として一貫して実施されることを確保すること」を勧告しています。「はどめ規定」をなくし包括的性教育をすすめることが強く求められていると考えています。
日本共産党は党綱領で「ジェンダー平等社会の実現」をかかげている政党です。人権とジェンダーの平等を大事にしながら、人間の生理や生殖や避妊についての科学的知識、性の多様性、互いを尊重しあう人間関係を築く方法、自分の心や体を傷つけるものから身を守るすべを学ぶなどの包括的な性教育の推進を提案しています。
【社会民主党の回答】
○(まる)
「性交」の説明なくして、子どもたちが性に関する知識や性暴力や性被害についてしっかりと理解できません。平等・人権の視点を入れた包括的性教育の推進が不可欠です。
【日本維新の会の回答】
○(まる)
「はどめ規定」撤廃が適切かどうかは検討を要するが、性教育については今よりも踏み込んだ対応が必要である。
【国民民主党の回答】
ー
(その他)
授業内容、性教育、生理教育等、学校生活全体を通じて、人権が尊重され、学校と地域が協力して子どもの成長に伴走する環境を創ります。
○(まる)
“性交”や妊娠経過を説明せずして、性暴力や性被害というのが何なのか、ということは子どもたちは理解できません。すでに2009年にユネスコが「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(2018年に改訂)」を出しており、ヨーロッパの国々はガイダンスを踏まえて性交や避妊方法を小学校高学年・中学校で教えています。
差別を肯定するもの、加速するもの、反するもの、そういう思想の人が作ったもの、が、実際迷惑に耐えかねて戦ってる最中の人の目に触れれば、そりゃ怒られるでしょ
これをここだけ読むなら、まあ個人的には賛成するし、反対する人でも理解はできるぜ対話しようかって人がいっぱいいると思うよ。(もちろん突っ撥ねる人もいる。人によってはそこに生活やQoLが懸かってるから)
ただ揉めてる理由の半分以上は、以下の辺りにある。無能な味方が、無駄に敵を増やしている。(これに関しては逆側もそう。それこそ言葉のチョイスがガバガバなレドマツも、無能な味方の役割をしている)
何度でもいうけど「子宮をもたされた女性がセックスしたいときだけセックスできて、産みたいときに産めて、育てたいように(国の金で)育てられ、そして働きたいように働ける世の中」だったら
ジェンダーフリーだの二次元の抑圧攻撃だのの区別なんていらないんだよ。
女子供を搾取対象、痴漢「プレイ」の対象に押し込め、性犯罪者(教職にまで多い)を野放しにしておれたちは知らんもんね!って口を拭っている社会が女性に無用な圧をかけてしまっている。
圧をかけられたら「実在女がフリーセックスも裸族もできないまま彼氏・夫にまで母親役おしつけられてぬかみそ臭くされてるのに虚像女は乳袋着てフリーセックスでレイプ目でダブルピースでハピエンかよクソ男が脳みそ沸いてるのか」って女がぶちぎれるのは当然だ。
それをいつまでもグダグダと、議員になってまで男の権威にしろ性欲(表現の自由w)にしろ、正当性がありもしない理由で押し込めようとしてるから別物だの180度違うだのとみえてるわけ。女はずっと同じこといってんだよ。実在女の受けてる抑圧・差別から目を逸らすなって。
そんで180度違う(?)どっちのジェンダー論も全く口に出さないサイレントフェミニストには、だまーーーーって非婚化と少子化で反抗されてるんだよね。そりゃだれだって性別女ってだけで人生まるごと搾取されたくないもんね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220628130013
ntnajp605 赤松自身が①ジェンダー平等→②ジェンダー平等論→③ジェンダー論て発言コロコロ変えとるのに。この増田だけ読むと「最後の③だけを最初から言った」みたいに誤解されそう
grdgs また表自カルトが歴史改竄してるのか https://bit.ly/3HV01zW「過度なジェンダー平等」なおジェンダーフリーとジェンダー平等はほぼ同義 / "過度なジェンダー論"ってのは、反女AED運動で人命を危険に晒そうとすることだな。
li1ipqb0ooi1n キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
AKIMOTO 『この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは』 これはどこで定義されてるの? これが本当だとすると「ジェンダー論」=「表現規制論」という意味で使われてるの?
quick_past 今の流れでジェンダー論といえば、それはジェンダー平等やジェンダーフリーを求める声と、それをなんとしても押し留めようとする保守の衝突なんだが、それを「行き過ぎ」とは、余計に意味が通じないけどな
Arturo_Ui ここ30年ほどかけて自民党・統一教会が「ジェンダー平等」概念にバックラッシュを続けてきたのは常識に属することだぞ? 自民党が「有害コミック規制」を何度も蒸し返してるのも、同じ流れの話だからな?
Janssen 増田は一般的なジェンダー論とも、赤松氏他自民党の使う「ジェンダー論」とも違う用語の使い方をしてないか。自民党は広く男女共同参画界隈を敵視しているのであって、そんなセクシャル限定の用法はしてないぞ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1541296486759419904
赤松 健 ⋈ 参議院議員(全国比例)候補者 on Twitter: "作家が政治に関わることを嫌うファンは多いのに一本木先生が応援に来てくれたのは、状況がかつてないほど緊迫しているから。外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kakitama/status/1541388284227907584
田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 on Twitter:"20年前にも 「行き過ぎたジェンダーフリー」批判は統一教会や安倍氏など自民”保守”派から出ていましたね。
そこから様々な政治的介入が起こった。 非常に”自民的な用語”。 女性差別撤廃条約の批准とその履行としての男女共同参画法がターゲッ…
田川は前方一致で反応して持ってきたうえに
それぞれの中身をよくチェックしていない
(悪意ではなく能力のせいだと思う)
ので代わって解説する。
まず赤松のは
「外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。
要するに表現の自由を脅かす敵として「外圧」「ジェンダー論」を挙げている。
こんにちのコンテンツ上の表現への攻撃・抑圧は大体フェミニズム系活動家が絡むためだろう。
絵の女の子の表現に対する「性犯罪を誘発する」「性差別を助長する」といった主張、
またそのエビデンスが無い代わりに学問的な権威付けで補強する動きのこと。
いわゆる反家父長制的な動きのこと。
わかるだろうか。
「ジェンダー」を掲げる人の立場と主張がそっくり入れ替わってんだよね。
20年前の保守
「行き過ぎた自由、自己決定を至上とするフシダラな性やその表現を許すことは
これ現在ではまるで同じこと左派表現規制派が言うようになってるんだよね。
現在、自分の意志で仕事する胸の大きいモデルやAV女優を攻撃・抑圧するのは
左派は根拠を聞かれて困るとクレーム攻撃とか国連御注進とか議論拒否に出る。
Janssen ああ、ようやく分かった。赤松健氏の言動だから可視化されたけど、これが自民党候補のテンプレなんだ。「(マイノリティへの)過剰な配慮で俺たちの自由が奪われている」という多数派を抑圧されている側にする魔法。 政治 自民党 ジェンダー
むしろ赤松のようなオタク野郎を敵視するフェミニストが兼務で盛んにやっていること。
sadamasato 行きすぎたジェンダー平等論とか、「行きすぎた性教育」というモットーで、支援学校の性教育を弾圧した自民党極右の方々を彷彿とさせる物言いですよね。本気で教育現場からジェンダー教育を排除する方向へ進みそう。
人気2位のこの人も田川と同じ間違いをしてて
赤松が敵とする「ジェンダー論」を20年前からのジェンフリ議論と誤解し
かつての性教育反対運動を赤松が主張してる(どこでよ??)と誤読している。
キモオタが守ろうとしてるのは絵の中に開放的な女性を描き掲示する権利であって、実在一般女性に性に開放的になれと要求はしてないし、逆に実在一般女性を性的に抑圧しよう(反ジェンダーフリー)なんて動きはなおしていない。
そこにあまり関心のない中高年はついてこれなかったり逆の意味で認識したりしているということ。
li1ipqb0ooi1n キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。
haruyato 女性が何か男性の既得権益に文句を言うと全部「フェミ」とか「ジェンダー」のカギカッコにいれてしまってるだけじゃないかね。思考停止の結果じゃなかろうか。
この3人共通の異議は
「そもそも赤松は何故ジェンダーなんて言葉を持ち出したのだ!」だろう。
やっぱり赤松は表現と関係ない話をし始めてる保守オヤジなのか?
これについては明確な答えがある。
赤松の敵たる表現規制派が「ジェンダー」という言葉を使っているからだ。
千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。 – 全国フェミニスト議員連盟
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポストNEWS
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7
はい。
代表的な表現規制派で地位と権力を持つフェミニスト議連がまさに
自らの規制アクションの根拠として「ジェンダー平等」を掲げているのだ。
フェミニスト議連が表現規制根拠を「ジェンダー平等」としているので
対抗する赤松は「行き過ぎたジェンダー平等にNO!」と言ってたのだ。
フェミニスト議連の「表現規制はジェンダー平等」という主張を丸呑みして
対抗言説として「行き過ぎたジェンダー平等にNO」という言い方をしてしまったのだ。
それこそなぜか突然男尊女卑論を唱えてるだとか、
プーチンが「これはウクライナ開放だ」という言葉遣いをしたからといって
対抗言説で「ウクライナ開放にNO!」と言ったら別の意味にとられるのと同じ。
世間に声を出してから「あ、伝わらないじゃん」「あ、別の意味にとられるじゃん」と変えるのはよくない。
「行き過ぎたジェンダー平等」は誤解が生じてまずいから…「行き過ぎたジェンダー論」!
というのも未だにわかりにくいし、フェミニスト議連の言葉を参照しすぎ。
プーチンに対しては
「こんな侵略のどこが解放だ」「こんな大虐殺のどこが限定的軍事作戦だ」と突っ込むべき。
「表現規制のなにがどうジェンダー平等に資するのだ」と突っ込むべき。
表現規制の議論に「ジェンダー」を持ち込んだのは表自戦士の赤松くんではなく表現規制派のフェミニスト議連であるのはわかったよね。
表現規制の議論にジェンダー云々の語を持ってくるのが不適切だとか不自然だとかいうなら
そのクレームは赤松ではなくフェミニスト議連に向かうことになるよね。
casm
「僕の考えた愚かなるジェンダー論」だなぁ。「あいつらは知能が低いから、こういう知能の低い主張をしてるはず」っていう組み立て。
キモオタと戦うリベラル聖戦士団を愚かな低能だと言わんばかり。表自かお前は。
AKIMOTO
『この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは』 これはどこで定義されてるの? これが本当だとすると「ジェンダー論」=「表現規制論」という意味で使われてるの? 政治 表現規制 ジェンダー
使われてるんです。上で見た通りです。
li1ipqb0ooi1n
キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
フェミニスト議連様の「ジェンダー」用法がアカデミックな定義のないレッテル貼りだとぬかすか!
その通りだね。
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。「ジェンダー論」と言われても、赤松健(と増田)が勝手に作り上げた謎概念とレッテル貼りでしかない
vtuberのへそが出てたらジェンダー平等への挑戦ってなんやねん。
それでなぜフェミニスト議連が「ジェンダー平等」言い出してたかだけど、
おそらく自分達の求める規制に法的根拠や科学的エビデンスが無いのを自覚してたため
li1ipqb0ooi1n くんが言ってる通り
アカデミックな定義に沿ってるとは到底思えない雑な言葉遣いだけど
でも社会思想って主にこういう使われ方してるし、学者からあんま反論もないよね。
vtuberの服に「性犯罪を誘発する」などと根拠ない非難をぶつけ抹殺することがどうジェンダー平等に資するのか、議論が分かれるところだし非難も多い。
でもフェミニスト議連様がそう言っているんだから素直に頭を垂れろよ。
繰り返しだが
赤松の言葉の取り扱いがガバついてるのは確か(政治家適性大丈夫?)。
だがそもそも「ジェンダー」という言葉の運用全般が歴史的にガバガバしており
この辺が定義の甘い謎概念だらけなのはむしろ左派に責任があるよね。
赤松くんが自分の相手として指す「ジェンダー〇〇」の表記揺れが激しいのは
左派や規制派による「ジェンダー〇〇」の運用方法がガバガバで恣意的だから。
Q.
A.
Q.
A.
Q.
結局「ジェンダー」ってなに?
A.
左派の頭悪くて無責任な人たちがグッチャグチャに運用してるジャーゴンだよ。
ブコメの左派の間ですら全然まとまってないのがよく読めばわかるよね。
「愛国的でないからこの表現は禁止!」とか言うやつと同じくらい頭悪いよね。
一部よくまとまってたトラバをそのまま使わせてもらいました。ありがとう。
おしまい。