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はてなキーワード: ライトノベルとは

2024-02-20

バトル漫画はバトルシーンが一番面白くない

ライトノベルもバトルシーンが一番面白くない

2024-02-19

旧作ラノベ復刊・ラノベ図書館計画への違和感

なんでも、過去の名作ラノベを復刊させたり、ラノベ図書館?を作ったりする計画が進んでいるらしい。

蓬莱学園復刊とラノベ図書館01|中津宗一郎

まず第一弾として予定されてる作品は、蓬莱学園シリーズそれから、ザンヤルマ、カイルロッドあたりも視野に入っているようだ。

いずれも現在絶版で電書化もされておらず、読み直そうと思ってもそこそこ高い中古品を漁るしかないシリーズだ。そういう作品が容易に手に取れるようになり、かつ作者に利益還元されるようになるのであれば、それは素直に喜ばしい。

特に、未完のシリーズである蓬莱学園は単なる復刊だけではなく、1巻が出たきりで中断されている「革命」の続きも上手くいけば出せるかもしれないそうなので、是非とも成功させてほしい。

ただ、この事業の立ち上げ人?だという人物発言を見ていて、少し違和感を覚えるところがあった。

twitter.com/nakatsu_s/status/1759434045719560485

ライトノベルが「独自文学ジャンル」として認められるか否か、みたいなのが関わってくるんでしょうね。売れ数とは違う価値判断基準がないと、文芸は単なる「商品」に堕してしまうので。ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります


twitter.com/nakatsu_s/status/1759434645471690948

世界のあらゆるコンテンツには、「商品」の側面と「芸術作品」の側面があって、これがバランスが取れていると、大衆文化寿命である半世紀を超え、文化として生き残っていく。ライトノベルは、やや商品(売れ部数、覇権とかのモノ言い)側面が強すぎるので、芸術的な評価を高めないと残っていかない。




辞書的な意味では当然ラノベ芸術であり文学だけど、ここで言われてるのはもっと日常的な用法としての、いわゆる「芸術」、いわゆる「文学」だと思われる。

うーん……

なんだろう。文化として残るためには芸術文学でなくてはいけないと言われると、それは本末転倒ではないかと思ってしまう。小説は「文学」ではなくてはいけないという思い込みから自由だったからこそ、ラノベは読者に支持されたのではないか

こういう姿勢で、たとえば(「芸術」「文学」に位置付けるのは極めて難しそうな)あかほりさとる作品なんかを残すべき文化に含めることができるのだろうか?

検索してみたところ、あのあかほり作品現在セイバーマリオネット外電書化されてないっぽい。ショッギョムッジョ…)

NPOとして国会議員すら巻き込んで(本人のツイートにそう書いてた)活動していくためには必要方便なのかもしれない。それでも、本当に主張すべきなのは、(いわゆる)芸術文学ではなくても文化であるし残す価値がある、ということの方だと思う。


繰り返すが、復刊・図書館計画自体はたいへん意義のあることであり、応援していきたい。それだけに、できれば価値観的にはもう少しだけニュートラル寄りに修正してほしいな、と思う。



追記

本人からブコメが付いた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749545057711008128/comment/otokinoki

文化として残していく価値はあるの?」というのは、後代にならないとわからないので、まだ50年という若いジャンルでは全部残していくしか無いのよ。



うーん…

誰にとっても、現在評価を問わず一律に「全部残していく」ことができるならもちろん理想的だが、そちらの発言(「ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります」とか「芸術的な評価を高めないと」とか)を見ていると、むしろその逆の思想のように見えて不安である、という話なんだが……

なんか余計に心配になってきた。

anond:20240218145155

角川の事業再編で生み出された富士見ファンタジア文庫

なんでこんな認識になってるのかと思ったが、wikipediaのこれの話か。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%A6%8B%E6%9B%B8%E6%88%BF

1991年角川書店吸収合併され、同社富士見事業部となる。「富士見書房」はその通称となる(社内カンパニー)。以降は、富士見ファンタジア文庫を中心とするライトノベル関係書籍とそのメディアミックス展開が売上の中心となっている

言うまでもなく、角川グループの一つとしての富士見書房はそれ以前から存在したし、富士見ファンタジア文庫1988年の創刊である

2024-02-18

うおおおお、雑なラノベ語りをしたくなったー!!!

スレイヤーズTogetterまとめみてたらしたくなってきたー!

ということでしていきます


そもそもライトノベル歴史というものを語る時に、ライトノベルというものが「オタクカルチャー交差点である」という事実に目を向けなければなりません

ライトノベルというのはとかく、他のオタクカルチャー漫画アニメゲーム鉄道ミリタリー最近だとVtuberとか)にめちゃくちゃ影響を受けやすジャンルです

これはそもそも出自出自で、

まず前提としてライトノベル前身として、「時をかける少女」や「ねらわれた学園」などのSF的なジュブナイル小説があり、

なんて素敵にジャパネスク」を書いた氷室冴子新井素子の諸作品による現代口語体を使った文体表現を使った少女小説があり、

D&D日本に来て、派生ゲームであるドラクエやらFFが売れたりしたおかげで、TRPG流行、それらのリプレイ集も人気になり、

さらアニメで「機動戦士ガンダム」が爆発的なヒットをして、それのノベライズ監督自身の描きおろし)も人気になり、

こういったものを一緒くたにまとめて扱ってたのが、角川スニーカー文庫であり、富士見ファンタジア文庫であり、角川の内紛やらで派生した電撃文庫なのである

まりレーベル説的な史観から見ると、その出自自体オタクカルチャーカオスの中からまれたのがライトノベルなのだ

で、この中で出てきた「スレイヤーズ」がなんだったかというと、これらの要素を一通り取り込んで、かつ、「TVアニメ化」して大ヒットした作品だった、というところである

上に書いた通り、ラノベレーベルというのはリプレイ集だったり、ノベライズといういわば「メインのコンテンツの傍流」としての側面があった。

なので、オリジナルコンテンツ自体は作っていたにせよ、あくまで、二次創作としての見方が強かったものであった。(ロードス島も元はTRPGリプレイ派生であるので)

ところが、そこから出た「スレイヤーズ」という作品主人公のリナの視点口語体で進行して、

ゲームファンタジーお約束茶化すようなメタ的なコメディ雰囲気を持ちつつ、

あらいずみるいアニメ的な表紙があって、

そして強敵とバトルでの少年漫画的な要素という属性全部盛りながら、それをうまく調和した作品となっていた

さらに、それがアニメ化して夕方に流れて大ヒットしていった。


まり、傍流であったものの中からオリジナル作品が生まれ、それが本流の方で大ヒットしたという意味で「スレイヤーズ」はライトノベルにおける大きな意味があったと言える

で、これが売れたおかげで、何が起こったかというとライトノベルで一攫千金できるやん!というバブルが起きて、90年代後半から00年代ライトノベルオリジナル作品群の発生につながっていくという流れになる

これは個人的見解になるが「元祖」というものを考えた時におそらく「ライトノベル表現元祖」というもの考える人は多いだろう

だが、何度も書くがライトノベルそもそもその表現手法自体も他オタクカルチャーの影響を大きく受けるのでその起源や由来があまりにも複雑化している

なので、「スレイヤーズ」というもの評価するなら「ライトノベル元祖」ではなく「ライトノベル文化が醸成していく上での(資金的にも、コンテンツ的な認知度としても)起点となった」という評価がよいかなと思う

それであったとしても、「スレイヤーズ自体ライトノベルに与えた影響はいささかも揺るがないのだから

※2024/02/19

少女小説のくだりでタイトルが間違っていたところを修正。すまんやで。

・あと富士見ファンタジアの発生の指摘があったからそこも修正。この辺り、角川のごたごたも相まって本当にござるか~?があるので助かる

2024-01-16

anond:20240114202041

現役のライトノベル作家だけど、釣りかどうかはさておいて

イラストレーターってホントに本読まないんだよね。

相当に有名な作家だったら対応も別なのかもしれないけど、基本的ほとんどのライトノベルにおいて、イラストレーターは本文を読んでない。

そもそもオタクの中で活字を読む層ってかなり少ない一部の層だけ。それはつまり、それらオタクの中から生えてくるイラストレーターも同じだということで、本一冊分活字を読めるイラストレーター自体が少ない)

じゃあどういうプロセス仕事をするのかというと、

編集がこっちにキャラ設定の一覧を書くように言ってきて、

髪型はこう、体格はこう、胸の大きさはこう、服装はこんな感じ、雰囲気はこう、という指示を全部書いていく。

そしてもちろん、というか言及エントリを書いたこいつは確実に関係者ではあると思うんだけど、既存のどのキャラに似た感じにするかの指定が入る。

その上で、編集とどのシーンに挿絵を入れるか相談をして、編集が「これこれこういうシーン」っていう風に発注をかける。

そして返ってきたイラストは、本文を読んでないから細かいニュアンスが伝わってないのでメチャクチャだったりする。

もちろん、例えばエルフ耳で発注をかけたキャラなのに人間の丸い耳をしていたら、これはもうそもそも発注と違うので直しを入れられるんだけど

(本文の描写と明らかに食い違うレベルだと、そもそも挿絵として成り立ってないので、これはしょうがない)

基本的発注内容と齟齬がなければ直しは入れられない文化特に大御所」で当たりと言われているイラストレーターほどこれは顕著になってくる。

本文を読んでないっていうのがどういう風に問題になってくるかというと、例えばだけど、日常滅多なことじゃ笑わない寡黙キャラがいたとする。

そのキャラ挿絵で、笑っている印象的なシーンを発注したとして、大口開けてゲラゲラ爆笑している挿絵だったら雰囲気的に相当おかしいよね?

でも、本文を読んでいないから平気でそういう感じのシーンに合わないイラストを提出してくるわけ。

もちろん、そういうところは編集カバーすべき領域なんだけど、編集のほうもそういう細かいニュアンス他人に伝えるには文章能力必要だし

そもそもイラストレーターに読解力がなかったらどうしようもない。

編集イラストレーターも両方高い能力が備わっていて、すり合わせができていればイメージが合っていくんだろうけど、そんなケースはごくごくわずか。

もちろんラフで提出した段階で「ここ気をつけてくださいね」って注意できればいいけど、それにも限界がある。そもそもラフが雑すぎて、口の大きさや細かな表情のニュアンスなんて読み取れなかったりする。

「不満なら作者側でNGだしてやり直させりゃいいじゃん」

って思うでしょ?

それができないんですわ。

イラストレーターには、そういう面倒なNGリテイクを回避する方法があるのよ。

それは「締め切りギリギリに提出する」ってテクニック

締め切りギリギリに出されて、表紙と口絵と挿絵、全部揃えるのに、NGラフの直しをさせてたら間に合わないよ?

そしたら原稿落ちるわけだけど、それは困るよね?

ってやり口をしてくるわけ。

それでも先に書いたように、エルフ耳が人間の耳レベルの間違いや、そもそも本文の助けになるどころか雰囲気をブチ壊しにする挿絵だったら、修正させざるをえない。

そうなった場合挿絵の点数を削っていくんだよ。いちばん重要な表紙のクオリティだけは犠牲にできないけど、挿絵犠牲にできる。

挿絵の点数を削るのは、本当に日常的に慣れてしまレベルで行われている。

これは俺が取引してきた1つの編集イラストレーターの話じゃなくて、3社で仕事したけど全部そう。

同じ作家友達でも、きちんと読んでくれて納期を守ってくれる(つまり編集側が考える、直しを入れられる時間的余裕を設定した上での適切な納期を守る)イラストレーターって、

それこそ一定以上のクオリティ仕事をしてくれる絵師の中では殆どいないのよ。出会えたら奇跡レベル

俺はみんなが神絵師なんて持て囃してる人とも仕事してきたけど、そういう人でも当たり前にそういうことをしてくる。

まりみんなクソだから編集も選ぶ余地がないわけ。

んで、ライトノベル作家納期ギリギリイラついてる編集に言われるんですわ。

「◯◯さんの考える解釈が✕✕さんと違うだけなので、それは受け入れてくださいよ」

って。

いや、俺作者だよ? 本文も読んでない納期も守らないクソイラストレーターと、作品世界をまるごと守ってる作者本人の解釈のどっちが正しいなんて、議論以前の問題だろうがと。

読んでるなら、もちろん違う解釈も最大限尊重するけど、読んでないんじゃ解釈くそもない。

もちろん編集も板挟みになってるから仕方ないんだけどさ。

ちなみにイラストレーターの都合で一ヶ月スケジュール伸びるっていうの、普通にあるからね。

そんで、作者は「大人対応」を要求されるから、それは告知できないんですわ。楽しみにまってる読者からしたら「作者が落としたんか?」って疑惑がつきまとうのを我慢しなきゃならないわけ。

まあとにかくイラストレーターっつーのはクソばっかりですわ。

さっさとAI絵師に淘汰されてほしいっていうのが正直な感想

2024-01-14

イラストの依頼でAIイラストを出されて「こんな感じで描いてくれ」と

イラストレーターなんだが、客にAIイラストを出されて「こんなテイストでお願いします」と言われた。

仮にもプロイラストレーターに対して、AIイラストの真似をしろと?

ブチ切れたんだが、反論してきやがった。

そもそもAIイラスト技術というのは、膨大なデータベースからAI学習をして、命令に沿ったイラストを出力するものだ。

それはもちろん数多の絵師たちの創作物を無断で剽窃しているわけで、それが問題なのは分かっている。

商用利用に使ったのなら権利侵害になるのはわかるが、今回はイラスト方向性を具体的に指示するために用便的に使ったわけで、金銭の授受が発生したわけでもない。そこになんの問題があるの?

しろ使い方としては正しい。

そもそもイラスト世界では具体的にキャラ名を挙げて、これに似た感じに描いてくださいというのは日常的に行われているよね?

その対象が「特定イラストレーター特定キャラクター」から大勢イラストレーターデータから出力された平均値的なイラスト」に変わっただけで、本質は何も変わらないでしょ?

(これは例えばゼロ魔タバサのようなキャラを注文する時に、参考資料として綾波レイを挙げるような行為。パクれという指示ではないが、具体的に方向性を指示する内容として、イラスト界隈ではほぼ100%行われているのは事実

(今回はライトノベル挿絵だけど、イラストレーター仕事のたびに本一冊読んでなんていられないので、本文は読まずに描いている。なので具体的なビジュアルを大まかに指示してもらわないと仕事ができない)

AI絵を真似してトレースしろっていうなら侮辱だけど、キャラクターの方向性の参考資料として渡しただけだし、むしろこっちとしてはパクリと言われるリスクが減って望ましいくらいだ。

それが侮辱に当たるんだったら、今まであなたが受け入れてきた「参考資料」も、あなたに対する侮辱に当たるんじゃないの?

ってことらしい。

ムカついたか反論してたら、

「じゃあ君は他のキャラクターを参考資料に挙げたら、それを丸パクリするつもりだったの?」

「だったらそんなイラストレーター提供する参考資料としては、なおさらAIイラストを送るのが適切だったよ」

とか捨て台詞言ってきやがった。

書いてて腹立ってきたから寝るわ。

2023-11-22

anond:20231122223816

異世界系の小説を書く実例存在します。おすすめサイトは以下の通りです:

1. **小説家になろう**¹:2004年運営を開始した老舗の小説投稿サイトで、日本最大級小説投稿サイトと言われています¹。『Re:ゼロから始める異世界生活』、『異世界居酒屋「のぶ」』、『転生したらスライムだった件』、『君の膵臓をたべたい』など、多数のライトノベル作品が、ここで人気を博したこときっかけに書籍化されています¹。

2. **カクヨム**¹:2016年正式オープンした小説投稿サイトで、出版社であるKADOKAWA運営しています¹。登録会員数は、100万人を突破していると2023年3月28日カクヨムが発表しています¹。

3. **ノベルアップ+**¹:2019年運営スタートした新興の小説投稿サイトです¹。

これらのサイトは、異世界系の小説が人気で、書籍化可能性も高いです¹²。ただし、どのサイトを選ぶかは、あなたが書きたい内容やスタイル、目指す読者層などによります¹。それぞれのサイト提供する環境ツールコミュニティ理解し、自分創作活動に最適な場所を見つけることが大切です¹。

ソース: Bing との会話 2023/11/22

(1) 2023年おすすめしたい小説投稿サイト8選 / ネット小説を書く .... https://tadeku.net/83288/.

(2) 異世界小説おすすめ人気ランキング20選【面白いファンタジー .... https://ranking.goo.ne.jp/select/2256.

(3) おすすめ小説投稿サイト27選【最新2023年版一覧】 - Web .... https://creative-story.net/novelsaito/.

(4) 小説を書くのにおすすめの「小説投稿サイト」を厳選して紹介 .... https://www.dokusyo-geek-ki.com/entry/novel_posting_site.

(5) 検索結果(累計ランキング) - カクヨム. https://kakuyomu.jp/search?genre_name=fantasy&order=popular.

(6) undefined. https://www.amazon.co.jp.

2023-11-15

なんで文学賞ってセックスしか人生語れないの?

審査員が色ボケしたジジイババアから

何かあればすぐセックス、悩めばセックス若いセックス熟女セックスセックスセックス

思春期少年かよ、そんなにセックス好きなら官能小説賞でも作ってろや。


膣に陰茎を差し込む程度のことに意味を求めすぎなんだよ。

夫婦生活カップルも、セックスしてるのは一緒に居る時間10分の1くらいにも満たないのに、なんで小説の方がセックスセックスなんだよ。

お前が感じている「面白さ」ってのは、文学としての「面白さ」じゃなくて、実は他人セックスを覗き込む「面白さ」を「文学」だと勘違いしてるだけじゃないのか。

まだライトノベルの方が文学してるよ。


若いうちから賞を手に入れて、小説家としてのキャリアを進んだ人間が身内だけで評価してるから、もう文学じゃなくてただの貴族暇つぶしなんよ。内容が光源氏で終わってるんよ。

文学賞とったら人生あがり、インタビュー受けるか旅行行くかしかやること無いから、大学生くらいで人生経験が止まっているのよな。

からセックスモラトリアム文学が終わってんのよ。俺らはとっくに大人になってんの。

肩をすくめるアトラスなんて日本じゃ賞とらんやろ?


どの芸術分野にも、強すぎるが故に行うのが「無粋」として行われるもの存在する。

お笑いで言えば下ネタ料理で言えば味の素、少し昔ならデミグラスソースなんかそうだ。

効果的で完成されたものは、芸術を画一化し進歩を止めてしまう。


ここ数年の「文学」はその無粋を行いすぎている。

第三者から見れば糞詰まんねぇ身内ネタを有難がっている。周りはとっくに飽きている。

銭湯に描かれた富士山のように、見ていて恥ずかしくなってくる。


文学賞はセックス禁止しろセックス無しでセックスを語れ。

セックス制限されている少年漫画やラノベのほうがよっぽど哲学してる。

2023-11-12

人生マジで駄目になってきた

仕事はもう全く好きじゃない。

大学学部選んだ時に漠然とあった好奇心はもう全部使い切っているのに、未だに分からないことだらけで目眩がしてくる。

会社のやってることもなんだか他所と色々違うみたいだから転職してリセットした所で良くなるとは思えん。

ただただ金と時間を交換しているだけなのに、どんどん責任は重くなっていく。

テレビゲームボムみたいな感じで「とにかく助けてください!」でどうにか出来る年齢じゃなくなってきた。

というか自分がそれをやられる側だ。

頼んできた側の勘違いで実際には簡単なことだった時、物凄いホッとする。

いざ自分がやられる川になったら、俺の時間を奪いやがってなんて気持ちが湧き上がるんじゃないかと思っていたけどそんなことはない。

もうとにかく一番怖いのはチーム全体で死にものぐるいで戦わないといけない怪物発見報告がやってくることなんだ。

昔は後ろの方でビクビクしながら最前線サポートだけしてればよかったのが、自分が突っ込んでてよく分からんまま口に手を突っ込んで一か八かトドメをさせないかとアレコレやらされる。

もう嫌だ。

趣味も完全に上手く行ってない。

もう全然楽しくねえ。

膝悪くしてからスポーツは怖いだけで全然楽しめなくなって、足に負担賭けないようにビクビクしながら筋トレだけやってる。

ゲームも全体的に飽きてきて、大作のとにかく先が見えない感じはもうかったるいし、かといってインディーズアイディア勝負ちょっと齧った所で昔やった何かと比べてすぐに飽きてしまう。

昔は存在価値の分からなかった「何だか良く分からないものに触ってあっという間に終わってしまゲーム」の価値が分かるようになってきた。

とにかくアイディアだけサクっと味わえたらもうそれでいいんだって状態なんだ。

映画ドラマも展開は一通り見飽きてるせいで集中力が落ちて話が追えない。

ていうか自分自分の思ったよりも頭が悪いらしくて難しい話をちゃんと分かろうと思ったら画面に齧りつかなきゃいけないってことを直視できない。

画面の中のテレビショーをちゃん理解するために必死に画面に食い入ってそれだけやるって人生の使い方がなんだか凄く惨めでやりたくない。

映画館に行って集中して見てたはずでも話が分かってないことが多い。

見終わってから他人感想を読んで自分全然話を勘違いしてたことに気づいたりする。

なんだか惨めだ。

私生活も荒れてきて、たまに掃除睡眠をしっかりやろうと思いつくことがあるけど、そのブームがいつの間にか去って気づくと汚い部屋で夜更かししていることが年の半分ぐらい。

体は膝以外もボロボロで、歯医者歯石取ってもらってるのにいつも口の中がネバネバしてるような感じとか、ふとしたときに嗅いだ服の匂い加齢臭みたいなのとか、そういうのもう全部辛くなってきた。

バイキングじゃ全然食べられないのに何でもない日にたくさん食べまくってしまい次の日は夜まで何も食べられずに過ごしたりするような、体のコントロールの効かなさがいろんな所に起きてる。

人間関係についてももう両親と職場ぐらいとしか関わりがない。

結婚式葬式以外でしか合わない従兄弟が今何やってるのか時折気になって、そういやアイツらはこっちよりも大分器用に生きてた気がするなと嫌になる。

人間関係健全なあり方みたいなのを身に着けられずに来たからとにかく人間と関わりたくない。

基本的自分人間関係は見下し合いなんだよ。

いい感じに見下しあえたら友達になれて、一方的にこっちが見下してたら関わりたくない相手、逆に相手から強烈に見下されていると感じたらそのときも逃げていく。

ヤンキー共の舐めてる舐めてないの価値観と同じなんだな。

人間他人自分を比べるっていうのは当たり前なんだけど、そこにおいて尊重あうっていうことが道徳的な正しさの上にしか存在してないような感覚がある。

もうなんか人生全部が辛い。

末期がんの患者モルヒネがいい感じに効いてる時の穏やかな気持ちの中で「じゃあ自分人生にどういう結論をつけていくか、頭の中だけでも整理してから終わらせたいなあ」と考えているような状態の中をもうずっとずっといつまでも生きてきた気がする。

そこから突然、なにかが変わって人生好転しだす可能性を信じてた。

世の中じゃこういうのを「人生が始まってることに気づいてない」みたいに言うらしいな。

つの間にか始まっていた人生がいつの間にか終わっているただそれだけなんだってことを納得しておけばいいっぽいのは分かってる。

まれた家とか時代とかDNAとか子供時代の過ごし方とか就職先の選び方とか人間関係とかそういうのにたらればを持ち出すのは無意味だってことも分かってる。

少なくとも生まれてきた瞬間に決まるものについてタラレバを考えるのは無駄だ。

「魂の実在を信じているのか?異世界転生するライトノベルみたいに?」って話だ。

科学を進行しているので魂や輪廻転生は信じてませんって考えてるくせに、どこかで「もしかたらこうだったかも知れない自分」を空想しているのが本当に無駄なんだ。

「生まれ変わったら今度はこういう風に生きよう」みたいなこと館上げるのは、タイムマシン意識だけを過去に飛ばせる実験がどこかで成功したのを聞いてからにすればいい。

今の時代に生まれ自分たちの意識において、過去に飛ぶとかやりなおすとかは無関係ことなんだ。

空想の中でそれをやって、空想の中で満足するだけならまだしも、そうやって作戦を練ることで人生好転する可能性を信じているならそれは科学を進行している人間として実に奇妙な状態になる。

なんたらの賭けの亜種として、もしもそんなことが起きる可能性があったならちょっとぐらいは準備しておくのもアリかもって範囲ならまあいんだろうが。

でもなんか自分含めて皆があーだこーだ考えすぎている気がしてならん。

今の自分じゃなかった可能性の今の自分考慮して何の意味があるんだろう。

「もしも3月31日生まれじゃなくて4月2日生まれだったら学年一位だって取れたかも知れない」みたいに考える時、そもそもその2日違いの生まれの間に意識は全く別物へと変容していて、今の自分とは別の魂で動く別の人間だったはずなのに。

肉体より先に魂がこの世界にあると信じるならそれでもいいが、それならもういっそ割り切って「ハズレを引いたなりになんとかやっていくループ」として今の人生を生きればいいのに。

前世記憶が引き継げたりしないルールっぽいのは明白じゃないか

異世界に行った時に備えて現代知識勉強をするために現代社会を生きるのは完全に無駄だ。

魂の実在を過剰に信じてたらればに執着して生きるってのはそういう生き方だ。

って頭で分かっているのにそういうのに縋ろうとしている自分毎日出会う。

こういう状態の時にカルト洗脳してくるんだろうな。

どうしようもなくなった人生に逆転のワンチャンスを与えてくれるなにかを信じて。

まだ宝くじでも買った方がマシだっていうのに。

こうやって自分を説得しまくってもまだまだ魂の実在を信じて脳がタラレバを考える。

だってもうこんなどうしようもない人生を今から立て直そうとするのはしんどすぎるから

本当にしんどいんだ。

2023-11-07

ライトノベルによくある奴隷契約魔法みたいなのが現実でも使えたら結婚する気になるんだけどね

からいくらでも手のひら返されて容易に財産の半分をむしり取られる契約なんかやってられんよ

2023-11-03

時代遅れ大阪万博なんてやめたらいいのに――来年90歳、筒井康隆が見る世界、そして日本昭和98年https://news.yahoo.co.jp/articles/e73eadd19071c0f48ce1a13294ea96c8d1323de8

好きな人は知ってて言ってないだけだと思うけど、筒井康隆炎上商法が得意なので新刊発売に合わせてこんなことになっている。

EXPO'70の頃は日本SF作家協会で盛り上がっていたんだよ。たしか誰か運営に関わってたような?

ライトノベルジュブナイル小説)だとか、メディアミックスだとか、日本に関してはこのおじさんあたりがスタートなんだよ。

トリスの絵だったんだよ。

忘れないでくれよ。

2023-10-30

「読者と主人公と二人のこれから感想

実在人物名前そのままにガチガチ小説にして出版してそれをクラスメイトに読まれるって

まあ現実でも無くは無いだろうけど相当珍しいだろうし、自分がやられたら最悪な気分だろうけど。

だけど細野のような恋の落ち方って結構現実味がある気がして。

って言うのもTwitter世代ではツイ廃みたいな、内心全部Twitterに書くような、ツイート数数十万みたいな子も居て

そういうのをしこたま読んでから本人と関わるって言うのは、本作の細野に通ずるところがある。

というのも自分も似たような恋愛をした事があって、自分には須藤広尾のような都合の良い友人はいなかったので、いわゆる「飛ぶ」ような形で終わってるんだけど。

そして今もそれを後悔しているのを、思わぬ形で本作に引きずり出されたなぁ。

ネット上では細野の心情や行動は現実味が無い、無理がありすぎる等と書かれているけど個人的にはめちゃくちゃ共感出来た。

ライトノベルなのである程度若い人に向けた作品だと思うけど、twitter名前変わってあんな事になり、そうじゃなくてもSNSオワコン化しつつある中で、今の若い人が同じような経験をしているのだろうか。

SNS自体はインスタとか色々あるけど大量投稿するような感じでも無いし、今時Xになんでもかんでも1日100postするような高校生が居るとも思えないが、どうなんだろう。


ネガティブな面も含めて色々感想を書いて議論したいんだけど

5chのラノベ板が過疎りすぎていて、岬レベルに売れている作家ですらスレdat落ちしている。

継続して新刊が出続けて居るので人気はあるはず、ファンは一体どこに居るんだ?

2023-10-26

anond:20231026111345

User:

勇者魔王を倒した後の元パーティーの人が主人公」のラノベを5つ挙げて。一日で

GPT:

以下は、「勇者魔王を倒した後の元パーティーの人が主人公」のテーマを持つライトノベルラノベ)のいくつかの例です。

『元勇者冒険者たち』 - 作者: 七月鏡一

魔王の後始末人』 - 作者: 蒼山サグ

『再会した元仲間たちと異世界で新たな冒険を』 - 作者: 翠緒さら

魔王討伐後の元勇者、平凡な日常満喫中』 - 作者: 天乃晴

『元仲間たちとの再会が、新たな冒険の始まりだった』 - 作者: 風凛

これらのラノベは、勇者魔王を倒した後の元仲間たちが主人公として新たな冒険日常生活を描いています

2023-10-21

ドラクエ主人公訴訟の結果を見て、小説著作権って意外と弱いなって思った。

最近、シン夏目漱石が大賞取ったライトノベルもあったよな。

なろう小説特定ゲームしか登場してないアイテムモンスター普通のものとして出てきてたりする。

登場人物地名キーワードが他の作品と被っていても問題ないんだ。

 

そういや、葬送のフリーレンで思い出したけど、異世界ウォーキングってラノベにもフリーレンって名前が出てくる。

 

名称だけならもっと自由に流用していいんだって、みんなに広めたいよ。

特にドラクエファイファン世界観がわかりやすいから使ってもらえると入りこみやすくなる。

2023-10-17

ガンダムSFじゃない」は「デマ」なのか?(追記あり

SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」

ここ数日、ラノベSFはないだのSFスペオペは違うだのSFファン性格が悪いだのといった話題がX(旧twitter)を騒がせている。

そのきっかけは、カクヨムで公開された一本のエッセイなのだが、これ自体は読む価値ゼロなので、みなさんも実際に読んで価値の無さをしっかり噛み締めてほしい。

【おまけ4】なぜラノベからSFジャンルがほぼ消えたか - 若者ライトノベル離れ 約7年で市場半減のショック(らんた) - カクヨム

ttps://kakuyomu.jp/works/16817330659071865553/episodes/16817330663869554252

さて、そんな流れの中で、日本SF史の汚点ともいうべき一つの事件が蒸し返されることになった。

ガンダムSF論争」である

79年開始の第一から現代まで連綿と続く、大人ロボットアニメガンダムシリーズ

その初代ガンダムが人気絶頂だった頃に、著名なSF関係者たちが「あれはSFではない。私がそう判断たからだ」とSF性を否定した……と伝わる事件である

中でも、「ダーティペア」「クラッシャージョウ」「神拳 李酔竜」で知られるSF作家高千穂遙氏が中心的な役割を果たしたと、一般的には認識されている。

高千穂氏はXにアカウントを持っている。そして今回、この問題について本人から語られた経緯がこちらだ。

ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427

高千穂遙

@takachihoharuka

いまだにこういう方があらわれるので、もう何度も書いてきましたが、もう1回、あのことのいきさつを書いておきますね。ある日、OUTの大徳編集長から依頼がありました。「最近SFが注目を浴びているけど、SFが何かがよくわかないという声もある。そのことについて、書いてもらえませんか」と。→

ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122162037309833

高千穂遙

@takachihoharuka

「書きますが、切り口が重要ですね。わかりやすいように、人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」「いいですね。それにしましょう」で、書いたのが、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という一文です。大徳さんは、→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122878810222800

高千穂遙

@takachihoharuka

「いいですね。わかりやすい」と言われ、掲載となりました。でも、そのあと「ガンダムSFじゃないのか」という投書がたくさん編集部にきたんですね。困った大徳さんぬえにきて「こんなふうに読まれるとは思っていなかった。どうしましょう?」と嘆かれ、「前提が飛んじゃうのは予想外でしたねえ」→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714124598462271844

高千穂遙

@takachihoharuka

という話になり、「とりあえず、富野さんと高千穂さんとの対談を載せましょう。それで誤解も解けるんじゃないんですか?」と大徳さん提案され、富野さんと対談しました。いきさつは、以上です。地球重力下での巨大ロボットに対する視点は、ハインラインの「宇宙の戦士」に対して、異を唱え、→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714125784858943681

高千穂遙

@takachihoharuka

宇宙ブルース」を書いたハリーハリスンの見解を参考にしました。パワードスーツは巨大ロボットより小さく、重量も軽いので、ハリスンは沼地という設定で、その弱点を指摘しています。巨大ロボットは大好きですが、あれは巨大ロボットが成立する前提での作品というスタンスは変わっていません。→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714126373860913585

高千穂遙

@takachihoharuka

ちなみに、当時のSF作家で、あの一文を読んだ方は、ほとんどおられません。ただひとり、平井和正さんが読まれ、「きみは、小説よりもああいった評論のほうが文章上品だね」という、返答に窮した感想いただきました。反応は、それだけです。

とのことである

これに対しXでは、

なるほど!そういうことか!誤解が解けた!といった声が多数上がっている。

ttps://twitter.com/unyanyako/status/1714134026813116780

うにゃ子

@unyanyako

高千穂さんがそう言うた、という話は聞いていて、どういうことなんかなあ、とずっと思っていたので、御本人の口からわかりやすくそれは誤解、誤った解釈とのお話が聞けてたいへんよかった。

SF定義したら、その定義はきっと完璧ものではないので、大事ななにかが漏れしまうのですよ。うむうむ。


ttps://twitter.com/yuno_sarashina/status/1714163341017673796

更科悠乃@「快傑令嬢」書籍化企画進行中!@空想科学小説作家

@yuno_sarashina

ガンダムSFじゃない」という誤解の産物フレーズがひとり歩きして、実態とはまるでかけ離れたイメージけが浸透していくいつものパターン


ttps://twitter.com/guchihaki_2021/status/1714157477510664446

曇天愚痴吐きアカウント

@guchihaki_2021

こういうことがあるから安易仮定を絡めた話をするのは憚れる

前提条件が消え、聞き手の受け取り方で次への話が間違ってしま伝言ゲームになるから

から一時ソースって大事なのよね


ttps://twitter.com/masa5046/status/1714193810727866858

masa-5046

@masa5046

なるほど、

ガンダムSFに非ず」

は、

「天は人の上人を作らず」「健全精神健全な肉体に宿る」

と同様の、前提が無くなり意味がほぼ真逆に捉えられた名言(?)なのか


ttps://twitter.com/v_mx/status/1714236647032951242

VMX

@v_mx

80年代オタ界隈を席巻した「ガンダムSFか」論争、ライトオタ小学生の私には「なんだかややこしそう(面倒そう)な話だなぁ」という印象でした。ぶっちゃけ面白ければそれでいいんちゃうの」とか💧

端緒となった文章への誤解・誤認について高千穂先生

@takachihoharuka

からの明確なご説明は有難や


ttps://twitter.com/ZEfcTDI5bXPck5Q/status/1714236234435043550

アウトレット

@ZEfcTDI5bXPck5Q

ガンダムsfじゃ無い云々の話デマだったのか、良かった



はてブでも早々に、「未だに「思い上がったサブカル連中のアニメ差別」みたいなデマ記事が書かれるのはアンフェアよね」とのコメントが付いている。

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427

しかに、まことしやかに語られてきたアニメSF対立が実は虚構のものだった、という話は、多くの人にとって安心できる結末ではある。

しかし、この話は本当に「誤解」「デマ」だったのだろうか。


検証

高千穂遥氏が「OUT」誌に掲載したガンダムSFに関する文章は、「ガンダム雑記」及びその続編というべき「SFを考える 巨大ロボットアニメを軸として」の二つがあるらしい。

検索をかけてみたところ、こちらのツイートでいずれも実物が引用されているのが見つかった。

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142346048176128

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142668690817024

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140147594913431552

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140148195281887232

今回の高千穂氏の発言の「SFが何かがよくわかないという声もある」「人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」という部分を見ると、そこで語られている文章は「SFを考える」の方を指しているようにも見える。

ただ、実際に「SFを考える」を見てみると、執筆掲載の経緯は高千穂自身OUT編集部に申し入れてということになっており、今回のツイートとは食い違う。また、その執筆動機も、そもそもガンダム雑記」でガンダムSFではないとしたのはなぜかを読者に説明するためのようだ。

高千穂氏による、ガンダムSF否定本丸は、やはり最初の「ガンダム雑記」の方にあると見るべきだろう。そのため、ここでは「ガンダム雑記」の内容を主に検証することにする。

ガンダム雑記から、今回の件に関連しそうな部分を書き起こしてみる(恣意的な切り取りを疑う人は自分で元ツイを確認してほしい)

日本サンライズ企画室の山浦さんから相談をもちかけられた。SFについて、教えてほしいというのである

 ぼくは「0テスター」以来、創英社サンライズスタジオ日本サンライズ企画スタッフに加わっていたが、その際、必ず強制するひとつ原則があった。「勇者ライディーン」「コンバトラーV」「ボルテスV」などのロボット物をけっして、ぼくの前ではSFと呼ばせなかったのだ。ロボットプロレス物という呼称も好きではなかった。あの程度の格闘ではプロレスに対する侮辱であったからだ。

ぼくの意見は、SFと銘うちながら、まったくSFではないもの最近多すぎるというこの一点に絞りこまれていた。「宇宙戦艦ヤマト」は、むろんSFではない。アニメではなかったが「ウルトラマン」もSFではなかった。五三年秋の時点でSFと断言出来た作品は唯一「未来少年コナン」だけだったのだ。

 ぼくはSFに厳密な科学的正確さを要求するものではない。ある一線からは、科学を超えていても、それを認めることができる。「スターウォーズ」は明らかに科学を逸脱しているが、にもかかわらず立派なSFなのだ。なぜなら逸脱の範囲を知り、それに応じてストーリーが組み立てられているかである


SFSFたるもっと重要なエレメンツは、SFとしての発想、SFとしての思想SFとしての理念にある。いいかえれば、これらが欠けた作品は、SFではないということだ(作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ。お忘れなく)

例えば、SFとしての発想は、「スターウォーズ」でいうならば、"A LONG TIME AGO"にある。遠い昔、はるかかなたの宇宙で繰り広げられた大冒険――この発想ひとつで、科学もつ巨大なしがらみからスターウォーズ」は抜け出たのだ。

 次にSF思想。この基本は、あらゆるもの相対的であるという一点に尽きる。その好例は善悪概念であろう。

この原則を忘れ、幼稚な善悪問答をもちこんだ「ザンボット3」は最終回SFになりそこねた。総監督富野喜幸氏のSF限界を知ったのは、このときである

 最後SF理念だが、これは表現者みずから立脚点明確化できるかということを意味している。エスパーを描くなら、エスパー立場人類立場区分しなければならない。(略)理念は両者に対立を生み、対立は続者(ママ)に対するメッセージとなる。テーマではない。メッセージなのだSFは読者の魂に、強烈なくさびを打ち込まねばならないのである



いかがだろうか。

少なくとも、もしもこのようにSF定義したなら~というような仮定の話には、全然見えない。

明らかに、当時の高千穂自身の主張として、SFとはこういうものである、こうでなければいけない、という要件が書き連ねられている文章である

ロボット物をSFと呼ばせなかったというくだりの、あまりステレオタイプなめんどくさいSF者の姿には、現代人として大いにたじろいでしまう)

さて、肝心のガンダムを「SF」としてどう見たのか、という話だが。

ぼくが怒りにまかせて喚き散らしたためでもないだろうが、設定の制作は慎重であり、よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた。

第一話の試写のあと、ぼくは「機動戦士ガンダム」をSFの傑作となりうる要素を秘めた作品と評した。三話までは、その印象は変わらなかった。

と、序盤はかなりの好感触だったのが、

しかし、五話を過ぎたあたりからガンダム」は見るのが苦痛作品になってきた。今ひとつSFになりきれないのであるセリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた。ぼくは「ガンダム」を見るのをやめた。

「ザンボット3」で感じた富野さんへの評価はまだ変化していない。ニュータイプをだすならだすで、小松左京の「継ぐのは誰か?」に匹敵するアプローチがほしいのだ。あの展開では、焦点がただただぼかされていくのみである。残念ながら、やはり「ガンダム」も偉大な失敗作だったようだ。たしかに一歩、進むことがきたにせよ……。

というところに落ち着いたようだ。

作品自体評価と入り混じって分かりにくいが、ザンボット同様としている以上、やはりガンダムも最終的には「SF」ではない、と断じているものと見ていいだろう。

結論として、「ガンダム雑記」おいて高千穂遥氏は、

  1. 自分自身が考えるSF定義を明確に主張している
  2. 自身SF定義に照らしてガンダムを非SF認定している

といえる。

意欲作として評価していたことは伝わったが、この内容をもって高千穂氏によるガンダムSF性の否定を「デマ」「誤解」のひとことで片づけるのは無理があるだろう。

念のために言っておくと、「SFを考える」の方にも、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」というような、限定付きのSF否定のような部分は特に見当たらなかった。それどころか、

という主張が展開され、「ガンダム雑記」以上に、SFと非SFの線引きを当然のものとする論調に見える。

(疑う人は引用している元ツイで実際に読んでみてほしい)

終わりに

世間ではこういうことになっているが実は~という隠された真実の発覚。これには誰しもが一定快感を覚えてしまものだと思われる。

しかし、そうした新たな情報を、自分自身検証することなく無批判に受け入れてしまえば、それこそ新たな「デマ」「誤解」の拡散に加担してしまうことにもなりかねない。

このリスクには、十分に注意を払う必要があるだろう。それがたとえ当事者言葉であっても。

追記

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/a842

少なくともSFじゃないとは言い切っていないのは間違いなさそう。SF度が自分期待値より下だったと言っているように思えます。0/1じゃなくてスペクトラム

ところがぎっちょん。「SFを考える」では、

ガンダム」は、三話まではSFでした。四話から違和感を感じはじめました。五話になるとスタッフSFマインドのなさがありありと見えてきました。全四十三話のトータルでひとつ作品として成立しているのが「ガンダム」です。三話までがSFだったからといって、「ガンダム」がSFだったとはいえません。限りなくSFに近いSFというのはないのです。線引きをするのなら、SFか、そうでないかのどちらかです。「宇宙から――」ははるかSFではなく、「ガンダム」は惜しいところでSFではないのですが、言葉にしてしまえば、どちらもSFではないわけです。

高千穂氏みずから、まさにゼロイチの基準提示しているのであった。

また、

 総監督富野さんが「ニ〇〇〇一年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「ニ〇〇〇一年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います

 その最たるものは、やはり、総監督SFマインド希薄だったということでしょう。

と、やはり「SFにすらならなかった」と断言している。

ガンダムSFじゃない」問題の中では非常に重要な部分だし、ここは最初から引用しておくべきだったね。すまない。

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/kamm

善悪概念を持ち込んだとはいえ自身SF定義に照らし」ているんだから限定付きのSF否定」と同義じゃないの?増田文章の方に矛盾を感じた

引用したツイート群を見てもらえば分かると思うけど、今回の高千穂氏の「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という言葉を、氏自身のものではないが仮にこういう定義を用いたとすると、という仮定思考実験問題だったと捉えてる人がたくさんいるのね。

これを増田は、「限定付きのSF否定」と呼んだのね。

(ひどいものになると、だからSF定義はなるべく広く曖昧にしておこうという話だったんだな、と好意的すぎる拡大解釈をしている人もいる)

でも実際の文章では全然そうでなくて、あくまでも高千穂自身が、氏自身定義によって、ガンダムSFじゃないと判断するものになっていた。という話なんだが、分かってもらえただろうか。

2023-10-16

おっさんたち、昔どうして剣と魔法もの流行たか教えて

これの30年後にはこのネタが書かれるように思われます

anond:20231015151001 おっさんたち、昔どうしてSFもの宇宙もの流行たか教えて

じゃあいま30代、そのときは60歳を超えてるであろうあなた方はどうやってこの質問に答えるのでしょうか。

ドラゴンクエストがその発火点であることは間違いないが、その手前の、ウィザードリィウルティマ起源であるし、さらに遡ったらTRPGになりますもっとも少数派だったでしょうが

ドラゴンクエストにより、家庭用ヴィデオゲームにおけるロールプレイングゲーム一般化し、その「ついでに」剣とファンタジー冒険一般化したんですよ。両者は不可分であるけど、RPGという新しいゲームを遊ぶことができるというのが強かったのです。

それまでにファンタジー世界物語は知られてはいました。でも、メインはSFだったところに「知ってるひとは知っている」というスタンスファンタジーという分野は生息していたのです。

それは書店文庫コーナーの早川書房背表紙をみてもわかる。

SFサイエンス・フィクション HM :ミステリ(昔は違った記憶があるけど思い出せない)

FT :ファンタジイ

JA日本人作家

書籍分類記号FT本棚にかぞえるほどしかありませんでした。

もちろん、グインサーガシリーズ指輪物語のように熱狂的に支持するひとがいたし、通ぶりたいひと(あるは本当に好きなひと)は「やっぱり指輪物語が~」なんていってた記憶があります

ネバーエンディング・ストーリー」や「ダーククリスタル」などヒットした映画もありました。だから世界観に潜在的知識はあったんですよね。あとはディズニーや昔話もそうですね。

ただ当時(昭和末期)まではSFが強かったのです。というのも、あらゆるジャンル不思議な要素が紛れ込むとそれはSFということになっていたんですよね。

筒井康隆星新一小松左京といったSF御三家も、ボーダー上のジャンル不特定微妙作品SFとして発表していたのです。

それは今後のRPGにも影響を与えるのです。というかオタク文化から派生してエンタメ全般)全てにわたり垣根が曖昧になっていく「なんでもあり」になっていくのです。

「なんでもあり」はパロディ二次創作も強く影響を与えているわけですが。

そして、そもそもRPGの始祖であるウィザードリィにしてもTRPGダンジョンズ&ドラゴンズ」のパロディ要素が多々あるそうです(TRPGはやってないいので)。

ファミコンにより活性化一般化したヴィデオゲームアーケードゲームPCからゲームより、家庭用のデバイスでより洗練されたゲームを、そしてより多岐のジャンルへと裾野を広げた末に飛び出てきたのがドラゴンクエストなどの剣と魔法ファンタジーさらに様々な要素を加えたファイナルファンタジーなどのRPGが一気に強いゲームジャンルになっていきます

そこで培われたフォーマットを他のメディアでも更に発展させていくわけです。

そしてひとびとは剣と魔法って宇宙モノよりもこすりがいがある!という発見します。

それがさらなる発展を生み出すのです。

ここらへんの発展先はライトノベル発が多いように思われますが、もうしわけないが観測してないところですので曖昧です。ウィザードリィドラゴンクエストノベル化が大きいような気もしますが曖昧です。ゲームには興味ありましたが派生文化には興味なかったのです。

と、ざっくりとした歴史観があるのですが。


これだと、海外でもファンタジー流行った理由がもうひとつからないんですよね。ドラゴンクエスト海外ではそんな流行らなかったそうだし。まあ、スーパーマリオブラザーズも十分ファンタジー世界観ですからそんなおかしくもないんですがね。ゼルダの伝説海外でもヒットしてますファンタジー知名度アップには貢献してそうです。でも決定打というには弱いような。

ということで

海外の流れを解説してくれる方望みます


長々とありがとうございますおもしろかったらグッドボタンチャンネル登録お願いします。

2023-10-07

半額弁当争奪戦に負けた……

コンビニで定価で購入して帰る

そういえばそういうライトノベルもあったねぇ

2023-10-06

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1710128362881245494

ライトノベル的なラブコメは良いけど、現実に何の役にも立たないと虚しくなるのよな。

分かります

やはりフィクションといえども、現実に何か良い影響を与えることを目指すべきですよね。

ダクスレを含め、昔ながらの本格的なファンタジーはそこがしっかり意識されてると思います

ttps://megalodon.jp/2023-1006-1806-36/https://anond.hatelabo.jp:443/20231006180536

ttps://peing.net/ja/q/e01ff8bc-613c-43be-ac4e-d6bbf96da139

世界社会に対する俯瞰性や対照性って意味では、本格ファンタジーほど面白いものは無いですからね。

2023-10-04

anond:20231002235321

アスミカケル2話の感想……の前に、いくつか注意点とか色々。(第1話感想にも追記しました)

【私の感想における注意点】

基本的感想フラットに思ったままを書いています

 悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。

 特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。

 赤い色を赤いと言うようなレベル稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。

 たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラット自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っていますよろしくお願いします。

②たまに何かから引用する事がありますが気にしないで下さい。

 上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。

 つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。

 そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくま自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくま個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。

 

③同様に、何かしらキャラ演出などについての評価をする事もありますが、それ自体特に作品や作者の評価ではないです。

 もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快キャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります

 世の中にヤベー人間いるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪人間しか出てこない邪悪世界作品でも面白い場合もあるかと思います

 世界最高のコントラバス世界最高の尺八奏者世界最高のDJコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります

 演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物である認識して頂ければ助かります

 合言葉は「だが。それがいい」。大事だと思います

④また、自分目線はどちらかと言えば創作目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。

 そもそも自分創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。

 あくまで読者としての視点しかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマ自分表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います

 素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています

感想本文】

 という事で、とりあえず電子週刊少年ジャンプの125pより、アスミカケル2話(Round.2 取り柄)の感想をじっくり書いていきます

最初の2p。例によって獏じいちゃん稽古相手をする主人公の二兎。即落ち2コマかよってレベルでやられる主人公コマ連続しかし、デイサービスを利用してる物忘れ気味な祖父稽古相手というのも……当人たる獏じいちゃん普通にいから良いけど、骨とか筋肉を痛めるだろうからと止めるのが一般的ではあるよなという脳内ツッコミが入る。

ただまあ現実問題、脳機能的にこそ要介護認定を受けるレベルだったとしても肉体が未だ頑強な武人だった場合、言うことを下手に聞かないと逆に暴れて怪我人が出そうなので、そういう意味ではライフワークなのであろう武術を続けさせるのは悪いとは言い切れないか問題第一話の時点で他害が出てる事なのだが、まあ恐らく正当防衛というか私人逮捕みたいな状態だったのだろうと解釈する。次。

一転、呆けた顔でデイサービスに向かう獏じいちゃんと、介護に興味を示す二兎。そして学校シーンでの前話での不良やジムの話。主人公基本的情報でも感情でも何でも抱え込むタイプなのが相変わらずである。次。

ヒロインの大牙さん現る。コロコロ表情とかが変わるので、こういう格闘技系のヒロインとしては異色ながら魅力があるのも不思議だ。逆に言うと人の印象が時々で違うリアルさがあるとも言えるか?まあひとまず、こういうヒロインでも誰でも何かしら才能を見初められる系の話はスポーツ系には割りと見られる傾向なように思う。

自分の知ってる作品で言えば「どがしかでん!」とか「タカヤ -閃武学園激闘伝-」あたりも基本、主人公ヒロインなり師範的な誰かに何かしらの才覚を見初められて別の世界に飛び込んでいく……というストーリーラインが出来てるように思う。Web小説界隈で言う「転生もの」とか「追放もの」的な言い方をするなら、「見初められもの」とでも言うのだろうか?

実際問題、「劣等生だけど実は最強」みたいな作品でもヒロイン主人公を褒めちぎったりするので、ティーンエイジャー向けの作品では異性に何かしら見初められたり惚れられたりというのは、一種モチベーションとして成立するのだろうと思わなくもない。作品の閲覧継続にも繋がるのだろう。まあ何でもよい。次。

主人公グラップラーからといって開幕グラップリング勝負を挑むヒロインって正直どうなん?(正直すぎる感想)

まあ総合格闘技で組技ありきな以上、組技それ自体抵抗は無いとしても……その、羞恥心とかですね。ちょっと変な人で済ませるな。

主人公自分コンプレックス理由に乗らないのは良いのか悪いのか……そして今回も示唆コマで終了。これが連続で来るので意外性とか意表を突く感じが本当に無い。もうここまでくると、この良くも悪くも丁寧に次のページ展開を示唆していくのは作風として以降スルーしていこう……次。

ヒロインが野望を示唆したり無駄カリスマ性を発揮しつつ、ようやく主人公が「ちょっと変」から「変な人」に認識シフトする……遅いよ! でも流されてジムまで来る主人公

こういう「主人公を引っ張っていくタイプヒロイン」というと、先程に書いた2作品以外では他に思いつくのがライトノベルの「アリソン」(時雨沢恵一/著)とか『涼宮ハルヒシリーズ』(谷川流/著)しかパッと思いつかないが、どれも初出2000代の作品ヒロイン主人公を引っ張っていく準主人公というか進行役になるのは2000~2010年代の主流なのだろうか?

作者の生まれ1983年と、その年代創作物に触れる機会が多そうなのを鑑みるに、まあこの当たりの流れを引き継いだ作品を作るのは不自然ではない。だからなのか、今回の作品火ノ丸相撲ときと違ってヒロイン描写にかなり力を入れている感じはする。

まあ、どちらにせよティーンエイジャー向けの作品主人公も同年代かつストーリーの軸も成長譚である事が多いため、こういった準主人公的な役割人物もセットでないと話が進めにくいというのもあるのかもしれない。この場合主人公の二兎は自らの精神的な弱点に向き合い、克己していく必要がある。まあ流されなくなるのに期待。

次……と言いたいところだが、一旦ここで〆。

続きはまた明日以降に記述していく。

※今後の展望……

 ひとまず今は無限に思った感想を書き連ねていくだけですが、今後は集英社運営Web漫画投稿サイトジャンプルーキー!」での編集部バッジに倣って、それぞれの話毎に「画力」「構成力」「ストーリー」「演出力」「キャラ」「オリジナリティー」といった要素や、それに加えて(その話数時点での)総合的な感想評価などを書いていければ良いなと考えています

というのも自分創作者志望なところがあり、色々な作品を細かく評価したり分析する視点を養っていこうと考えているからです。無論、養われたからといって実際に創作物を作っていかなければ実力はつかないので、あくま客観的創作を見る訓練という感じですが。

また、感想を書いている作品文字だけで評価するのも難しいところがありますし、他の創作から台詞等を引用する際にも同様に、画像原作なりから引っ張ってこれそうなら出していこうと思っています。その際は「作品名(作者名・話数や副題、ページ数)から引用」といった部分を明確にしていこうとも考えています

(引用する必然性自分文章引用部分の区別主従関係の明瞭化、引用物の出所を明示し修正等を加えない事など。著作権法に従った引用をしていきたく存じます)

他にも何かアップグレードできそうなところはしていきますが、まあ無理のない範囲でやっていこうと思います。それではまた明日以降に……!

2023-09-19

anond:20230918232245

芸術性重視はともかく、「文章表現のものの持つ可能性を追求した」なんて前提はそもそも無いぞ もちろん文章表現芸術性も基準ではあるが

そもそも純文学日本文学独自概念なので海外作品は含まれない

近代文学が発展していく中で、わかりやす大衆化していくことを拒んだ作家たちの歴史、の先に位置する作品群を純文学と呼んでいる

ただ純文学の流れの中でSFみたいなジャンル小説手法を取り込んでいったこともあって、じゃあそれは純文学なの?違うの?ってのも論争を呼んできた

結局は批評家共通認識出版レーベルによってカテゴライズされてる現状

ライトノベル」も同じように分類されてるので、その反対側にある作品群だと思えばいいよ

私小説のことって言ってる人もいるけど、純文学歴史の中でやたら私小説がもてはやされてきたってだけでそれがすべてではない

2023-09-18

純文学って結局なんなの?

文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品」みたいな定義だっけ?

だとすると俺が読んだことがある純文学は「アルジャーノンに花束を」と「虎よ虎よ」だけかなあ。

あれ?どっちも世間的にはSF小説ジャンル分けされてね?

え?じゃあ純文学ってなんだ?

そもそもサブジャンルみたいなもんなのか?

恋愛ドラマ戦争映画でサブテーマ人種差別が入ってきてるような感じ?

純喫茶は「純」=「酒の力に頼らずソフドリと飯と雰囲気だけで勝負してますよ」って意味だっけ?

じゃあ純文学も「純」=「内容に頼らずに文学性だけで勝負してますよ」じゃないとアウトなんか?

チョット調べたら「こころ」や「よだかの星」も純文学らしいね

でもどっちも「"潔癖症的な自己憐憫自己否定"vs"自己満足的な懺悔自己破壊"のタッグマッチ」がメインテーマであって、文学としての表現力はそれを盛り上げるための裏方業務って感じじゃね?

裏方凄いなーって所で盛り上がるときがあるのは分かるよ。

サマフェススピーカーの仕組みがバズるとか、競馬名実況で思い出トークが始まるとか、でもそれってやっぱりサブジャンル的な楽しみ方だと思うんだよなあ。

純粋純文学」ってやっぱ存在しないのかな。

それとも「SF」や「歴史小説」や「架空戦記」みたいに単なる舞台設定の一種なのか?

いやそもそもの考え方が違う気がしてきた。

小説って作品ジャンルを何によって定義するのかが他のコンテンツよりも自由すぎるんだな。

あとテレビゲームの「アクションアドベンチャー」とか「MMOFPSRPG」みたいな合体型のジャンル表現が発達してない。

分類する人間漠然と一番濃度の高い要素で定義してるだけなんだな。

そうなると「純文学」って言われる作品の傾向がなんか見えてきたわ。

「他にメインジャンルになれるような要素が強いものがなく、かつ純文学カラーが強い」って場合に「純文学」の棚に分類されていくってことなんじゃねえか?

あーあーあー今完全にわかってしまった……。

必要条件十分条件認識が間違っていたのか……。

文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品であることは「純文学」の必要条件しかなく、「文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品」だったら全部「純文学」になるわけじゃない。

逆に「純文学」と呼ばれている作品はすべて「文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品であるってことか。

すげー地味なオチだな。

中学生数学問題じゃね―か。

しかしアレだな、こうなると「純文学」ってジャンル区分されるってのは「それ以外の要素が特定ジャンルに含まれるには弱いね」を意味しているってことだな。

恋愛小説」や「ライトノベル」っていうジャンル区分けされるのと「純文学ジャンルに入れられるのどっちが作者的に満足が行くのだろうかってのは永遠の謎だなあ。

アルジャーノンに花束を」にしたって文章によって主人公の知能状態表現しているのは凄いんだが、それを通して描かれる差別問題、知性の絶対性に対する問題定義の方もちゃんと読み込んでやらんとアカンやろとは思うんよな。

絵画世界だと手段のもの目的になっていることは結構あると思うが、文学世界でそうなってる作品ってあんま多くなさそうなんだよな。

結局求めているのは自分が切り取りたい世界観に合わせたより適切なレンズフィルターであって、それが凄いねって褒められたとして作者的には「いやそれを通して見せたかったものの方の感想言えよ」なのかも知れねえなあ。

あーこれもどうせまた中学高校レベル現国問題なんだろうな。

受験用の詰め込み勉強しかしてねーから現実と繋がってね―んだよな―全部学歴社会が悪いよ学歴社会が―。

2023-09-08

anond:20230906124824

俺もそれはみたことあるような気がするけど、スニーカーの表紙か宣伝チラシみたいなやつでハルヒイラスト(例の指さしてるやつ)に「ライトノベル宣言!」とか書いてあるだけで本文に当たる部分とかはなかったような気がする。

単なる宣伝用の煽りみたいな。

2023-09-06

anond:20230906123632

なんかハルヒイラストライトノベル(宣言?)がどうこうと書いてあったのを見たような記憶が...?

だとしたら2005年あたりのはずだしネットが普及する以前では全然ないんだけど

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