はてなキーワード: ビデオゲームとは
僕がなにより絶望したのが、同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたことだ。国威発揚に都合よく利用されることは認められていることとは全く違う。
同性婚の認められていない国で虹色のドレスが登場するのと同じで、つまりは「利用価値があるうちは、使ってやる」と言われているだけだ。
表現は不当に規制され、バッシングの矢面に立たされてきたビデオゲーム文化を、こんな時だけ都合よく使われるのは(繰り返しになるが)本当に許しがたいことだ。
最後のもそうだけど、この発言に関しても、こう思う根拠が気になるんよなぁ
成熟し続けるコミュニティに入るには、ゲームではなく自分を変えるしかない。
自分の、プレイ適正・身体能力(アクションプレイ年齢や知力)・学習速度と学習意欲・精神強度、そしてなによりそのゲームを楽しめるかってポイントじゃねーの
ワガママ。
適性がない未熟なプレイヤーは、平均に近づくよう努力するべき。
その場合に配慮してくれないのがeスポーツであり、配慮する必要もない。
同じレベルのプレイヤーを探すか、上達するか、この2択しかない。
アホか?
そう感じる人間に欠陥がある。
「自分が勝てないからクソゲー」なんて、ビデオゲームだから許されがちな考えでしかない。
「今どきの成人男性で、生まれてから現在に至るまで、触ったビデオゲームが10タイトルあるかも怪しい」奴がいる。
俺のことだ。
じゃあ遊んだ数少ないタイトルを、例えば「マイクラが人生」みたくやり込んだとかもない。
とにかく得手不得手以前に、我ながら信じられないくらい、ゲーム経験が少ないのだ。
国産コンシューマゲーに限っても、ポケモン、マリカー、スマブラ、スプラ、DQ、FF、ゼルダ、信長の野望、三國志、グランツーリスモ、どう森、モンハン、MGS、ボンバーマン、桃鉄、パワプロ、ダビスタ、カービィ、スト2、KOF、リズ天、ぷよぷよ、みんゴルetc…
アーケードやPCゲー、海外ゲーやスマホゲーなどは推して知るべしである。
こうなったのは多分、諸々の事情から、一番ゲームにハマる年頃でハマるきっかけをことごとく逃したのが、根本原因だと思う。
お陰で、今やゲームといったらテキトーな微課金ソシャゲをポチるか、リングフィットで体幹鍛えるメニューをこなす程度の興味しかない。
たまたま見た実況動画とかで興味を持っても、ゲーム経験の絶対的少なさのせいで、今からやるにはどれもこれも敷居が高すぎて、楽しさよりも苦痛のほうがデカそうで尻込みしまくると。
しかもwikiどころか説明書すら読まずに済ませたいタチなので、なおさらキツそうだったり。
でもこのままだと多くの男が知ってる人生の楽しさに触れずじまいになるわけで、なんだか自分でもコメントに困るというか、微妙すぎる居心地の悪さがある。
少なくとも、男子の共通話題の一つにおいて全く蚊帳の外になることは間違いないし、他人のことなんて捨て置いたとしても「男に生まれてそんなんでいいのか?」みたいな後ろめたさを感じてしまう。
母ちゃん父ちゃん兄弟姉妹や会社の上司とセックスでコミュニケーション取ると良いと思う
ウイルス進化論なんてのもあるがすべての変異が人間にとって好ましい変異では無い
ヒトパピローマウイルス(HPV)によって引き起こされる中咽頭扁平上皮癌は予後が良好であることと関連しているが、
腫瘍のHPV感染ステータスが独立した予後因子かどうかは未だ明らかでない。
https://www.jastro.or.jp/medicalpersonnel/journal/journal-club/post-30.html
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、
性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/516-herpes-encephalitis.html
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
セックスに依存する人は人間関係を怖がる傾向が高い
調査ではオンライン・セックスや売春、人前でのセックス、複数人との同時セックスをしたことがあるかどうかを質問した。またアルコール摂取や自尊心に関する質問も行った。
この結果、セックスに依存しているとした人は、人間関係を脅威と捉え、人との付き合い方が不安定で親密になることを怖がる、あるいは避ける傾向の割合が高かった。
セックス依存ではない人たちが親密さを望ましい、あるいは価値のある関係だととらえ、また人との関係に安心感を覚え、自分のパートナーを信頼できると考えているのとは対照的だった。
13人の客、その3人目は元コンビニ店員だった。
「この前、『コンビニ戦争 ~研修員 VS マジ卍チーム~』ってのを観たんだけど……」
「ゲホッ、ゴホッ!」
全く知らない作品だったが、タイトルから漂うB級臭さに気管がやられたようだ。
しかし、その作品が何級だろうが、俺にとっても元コンビニ店員にとっても大した問題ではなかった。
「期限が過ぎた弁当とかは処分されるとかいうけどね、実際は店員が持って帰ってることも多いよ」
映画の感想もそこそこに、元コンビニ店員は自身のやっていた仕事について語りだした。
語る時の熱量からして、こっちこそが本題だったのかもしれない。
「コンビニのチキンが美味いのは、中から外から加工しまくってるからなんだよ。あれはもうチキンの形をしたナニかだね」
やっていた業務、ちょっとした裏事情、時勢の変化やらクレーマーへの対応などなど。
俺はコンビニで働いたことはなかったが、アルバイターとしては中々に興味深い。
「パッケージ詐欺が話題だけどさ、あれは一種の炎上商法なんだよ。面白がって買ってくれたら儲けもんだから」
それと同時に、この客の語ることは酷く“ありふれている”ようにも感じていた。
まあ、ありふれているのも当然といえば当然だ。
石を投げればコンビニに当たるような世界なんだから、元コンビニ店員にだって当たることもあるだろう。
それでも違和感が拭えないのは、この人の語ることはどうにも大それていたからだ。
「……と、言いますと?」
「そのまんまの意味だよ。後は縦に繋げるか、横に繋げるかの違いでしかない」
もはや「“元コンビニ店員”という肩書きを持つ個人」が語れるような範疇を越えている。
「小売という概念は、より広い意味となり。あらゆる規格はコンビニ基準になるんだ」
一体全体、この人は何の代表として、こんなことを言っているのだろうか。
13人の客、その4人目はダンサーだった。
「『閃光の舞』って知ってる? 店員さんの世代じゃないやつで、ちょっと古めの作品なんだけど」
これまで挙げられたものとは違い、その映画に関しては少しだけ知っていた。
今回は話を合わせやすそうだ。
「いや、そうじゃなくて」
……と思っていたんだが、なんだか噛み合わない。
「君はどう思う?」
「えーと、俺は」
「まあ、それもあるかもしれないけど、僕としては……」
俺が喋られる時間は一秒ほどで、それ以上は無理やり中断して自分の喋りに移行してくる。
こちらも聞き役に徹するならそうするのに、尋ねてきた上で遮ってくるから性質が悪い。
「とあるイベントの際に、催しとしてゲームダンスはしたことありますね」
「ゲームダンス~? 今はビデオゲームの話じゃなくて、ダンスの話をしているんだよ」
「いえ、ゲームダンスってのはロボットダンスの亜流みたいなやつで、ダンスゲームのことではないです」
この客は、まるで最初から最後まで話したいことを決めているようだった。
そして、それ以上も、それ以下も、それ以外も許さない。
そういったプレッシャーを常に放ち続けてくる。
この時の俺は、何かよく分からないものに踊らされ続けているようだった。
僕はビデオゲームが好きだ。
幼い頃に任天堂64とウェーブレース64を買ってもらったあの日から、僕はビデオゲームに恋をしている。
小学校でいじめられた時、勇気をくれたのはテイルズオブシンフォニアの主人公だった。
中学校でバスケ部の練習がキツくても帰宅後毎日PCでテイルズウィーバーを遊んだ。
大学生の時、アルバイトの給料で買ったゲーミングPCでコールオブデューティとバトルフィールドに熱中した。
社会人になってから多少ゲームをする時間が失われた時期もあったけど、余裕が出来てからはウォッチドックスやディアブロなどを遊んだ。
今でもそうだ。
今、僕は仕事をしていない。仕事をせず実家で毎日ファイナルファンタジー14で遊んでいる。
あの頃の楽しかった思い出を今もまだ引きずっている。
あの頃の仲間はもうとっくに、出世や結婚といった人生の次のステージに進んでいるのに、僕ひとりがまだ中学生の頃の思い出に囚われている。
高難易度コンテンツはギミックの予習とボスに与える最高ダメージを出す練習が必須。
これらをこなした8人をそろえてようやくコンテンツの"練習"へと入る。
多くの人は仲間と固定パーティを組み、毎回同じメンバーで攻略に挑む。
僕も数年前までは固定パーティを組んでいたが、いわゆる固定崩壊を経験してから、高難易度をやるなら野良だと決めた。
野良も険しい道のりであったが、ようやく1層、つまり高難易度1面をクリアした。
僕はこの時もうボロボロだった。
僕にも、その当時「今度結婚しよう」と誓い合った仲の相方がいた。
フラれたのである。
さらに追い討ちをかけるように、当時所属していたFC(ギルド)で問題を起こして自主脱退に追い込まれた。
愛も絆も全て失った僕は獣のように高難易度で戦い続けたが、それも1層で燃え尽きた。
もちろん新しいギルドを探す努力はしたが、その時はもうやっていけないとしか思えなかった。
僕は数千時間と数万円の課金を注ぎ込んだキャラクターをデリートした。
ここまで来て、僕はようやく思った。
何をこんなに必死になっているのだろう。と。
僕はビデオゲームが好きだ。
でも、こんなのは僕が望んだ遊びではない。
お金と時間をかけて、何でストレスをもらわないといけないのか。
あの頃の思い出を追いかけていたMMORPG自体が僕にとってはもう義務でしかなかった。
この感情は恋ではなく義務だったと、そう気づいたとき、FF14から離れようと決意できた。
今の僕には何もない。
FF14でしか人と関わらなかったから、それらを断ち切った僕に残ったものなんて、何もない。
現実の家族との関係は冷え込んでいる。関係を修復する気はない。
僕は大好きだったビデオゲームにここまで追い詰められた。
昨今のインターネットを見ていると、オンラインゲームがきっかけのトラブル、喧嘩、晒しなどは日常茶飯である。
それは、僕が大好きなビデオゲームからは遠く離れた別の何かである。
それでも僕は、ビデオゲームが好きで、また新しいゲームを探している。
僕は、今年30歳になるというのにまだそんな妄言を信じている。
成人式はぼっちで、周囲の人間が連れ立って飲みに行く中、親と待ち合わせて会場を出た。
私はわくわくしていた。
キモデブブサイクオタクの自分だけど、振り袖は綺麗だった(カラーリングは焼き鮭に酷似していた)。
そんな分不相応に綺麗な着物を着て、どうしても行きたい場所があった。
一生にいっぺんでいいから、このハレの日の着物でゲームセンターに行きたかった。長い袖をぶんぶんさせながら、ビートマニアのスクラッチを回したかった。
親に頼み込んでゲームセンターに寄り、ビデオゲームコーナーに向かった。
後から見ると、綺麗な焼き鮭をまとったキモいデブが必死にゲームしている様子が、他人事のようにおかしかった。
でも、それも含めていい思い出だったな。
https://wired.jp/2020/11/27/genshin-impact-gacha-backlash/
諸々のブコメ見て言いたいことが100文字のブコメで収まらなかったのでこっちで。
読みづらい点があったらお許しください。
・20代男
・以前やっていたソシャゲ…3,4年前にぷよクエ・にゃんこ大戦争(いずれも無課金)
・今やっているソシャゲ…原神のみ(10月半ばに始めて千円程度の微課金)
・ゲーム内レベル…冒険ランク30、持ちキャラ8体(0〜2凸)
・iPhone8のため、マルチは落ちるのが怖くてやったことない
まず大前提として、原神は課金ありきのゲームではない。と思う。
当該記事のブコメは【ガチャ=課金】のような描かれ方をしていた。そこに恐らく遊んだことのないブクマカ達がガチャゲー叩きをしていて、全くピントが合っていないと思った。
もっとも、悪いのは非プレイヤーの読者にそう誤認させて煽る記事である。
間違いなく言わなければいけないのは、原神でガチャはマストである。が、課金して回さないとクリアできない・楽しめないようなシステムではない。
ガチャ(祈願)に必要な、いわゆる「石」は通常の冒険のミッション達成、キャンペーンコード、配布であったりで獲得できる。
ぷよクエとかにゃんこをやっていたときの感覚で「滅多なことがないとガチャ石は配布されない」と思っていたが、原神は普通に遊んでいるとちょっとずつ溜まっていく。
課金しないと回せないような「プレミアムガチャ」 的なのも現状無く、自分のような微課金や無課金のカジュアルプレイヤーも、ちまちま集めた石で十分に楽しめる。
また、周りの友達と話していて、課金でガチャの引きが変わる様子も無い。無課金のタイミングで自分が★5引いていたり、初っ端から2万円ほど突っ込んだ友人が暫く★5引けていなかったり。
「沢山ガチャやりたければ用意あるのでどうぞ」という感じ。
課金プレイヤーが優位に進められるんだろ!みたいなブコメが散見されたが、全然そんなことはない。記事で言及されていなかったので、非プレイヤーがそういうイメージで捉えるのは仕方ないとは思うけど。
このゲームには「世界レベル」というのがあり、ミッションやストーリーを進めていくと上がるようになっている。これが上がるとそこら辺の雑魚も少しずつ強くなっていくが、得られるアイテムも豪華になっていく。
そのため、「世界ランクが上がったのに武器とかキャラが弱いままで詰んだ!課金しないと!」みたいなシチュエーションも、(進め方次第ではあるが)ほとんど無い。
キャラを強くするような装飾品は、ガチャでは引けず、地道に冒険で拾っていくしかない。ここがガチャになったら一気にキツくなるとは思う。
また、一般的なソシャゲのように、他プレイヤーとの勝負が無い。ソーシャル要素としてはマルチプレイで友人と一緒にミッションをこなすような部分。勝負ではないので「圧倒的差を見せつけられてボコボコにされる」といったこともない。と思う。(上記理由でマルチしたことない)
限定キャラ(クレー)ピックアップ最終日にワンチャン引けたらラッキーだなと思って千円だけ突っ込んだ。引けなかったけど。
自分の勘違いかもしれないが「ガチャ=課金煽り=悪」みたいな方程式をブコメから感じた。
ガチャ自体は有っていいシステムだと思っていて、全員が同じやり方でやればクリアできる従来のビデオゲームより、各々が持っているキャラ・コンディションに合わせてカスタマイズする方がプレイヤーに主導権があって、エンターテインメント性が上がったように思う。
ただ、そこで「課金しないと取れない最強キャラクター」「課金者しか進められない難易度システム」があるとevilさが出てくるし、自分も触らなくなると思う。
今の原神においてはそういった感じはなく、課金はあくまで追加コンテンツ的な立ち位置で、ゲームバランス的にも洗練されているように思う。
キャラも世界観もしっかりしすぎていて、普段ゲームなんてほとんどやらないから「これ無料って本当!?」とビックリした。
ゲーセンでバイト始めたのは学生の頃、メルブラが出たあたりだったかな。
凄い小さなゲーセンだったけど自由だった。先輩が勤務中にコンボ思いついたって突然格ゲーしだしたり、お客さんから基盤の入れ替え方教えてもらったり、よくわかんない景品屋さんから無許可のアニメ柄のライター仕入れたり、今では考えられないような職場だった。
ゲーセンも周りにまだまだ多い時代で、同じ駅周辺に8店舗ぐらいあったと思う。
店は違えど働いてるスタッフ同士も仲良くてよく一緒に遊んだ。競合店でも同じゲーセンを愛する仲間だったし、それは店長クラスでもそうだった。
3年も経ってなかったと思うけど小さなお店だったし、経営者は適当な人だったので店は潰れてしまった。
そこで僕のゲーセンバイトは終わる予定だったんだけど、ゲーセンで働くことが面白かったので就活の息抜き程度に大手で働くことにした。
最初は大手だしきっと凄い人がいっぱいいるんだろうなって思ってたんだけど、実際は全然そんなことなくて、前のお店の先輩よりスキルもあり考え方もしっかりしてる人はいなかったし、ゲーセンやゲームを愛してるなって感じる人も極僅かだった。
すぐにでも辞めようと思ったんだけど、1人ゲームを凄く愛してる人がいて、その人はもっと大きなことができるポジションに行きたいって頑張ってたので少しの間だけ手伝うことにした。
その人の努力もあり店舗を離れてそういうことができる場所に行けたんだけど、自分が辞める段になってお店を見ると、ゲームの大会や配信、古い機械のメンテなんかができる人が誰もいなくなってた。
たぶんそこで辞めて趣味と仕事は別にしてたら問題なかったんだろうなと今は思う。
けど、その時は残されるお客さんが可哀想だなと思ってしまったんだよね。
だから、できる範囲で頑張ってなんとかビデオゲームが利益出してジャンルとして切られないようにやってきた。
やっぱプレイヤーが大会で報われて喜ぶ姿や、一歩足りずに泣く姿はくるものがあったし、育てた後輩が巣立った後も他店舗や同業他社で頑張ってる報告を聞くと嬉しかった。
近くに競合店ができても相手方の店長は一緒に地区を盛り上げましょうってわざわざ挨拶しに来てくれるような人だったし、僕も昔から競合店は敵ではなく自分達では届かない部分をカバーし合う仲間だって意識でやってきたのでもっと面白くなるんだろうなって思ってた。今年の頭までは……
コロナで休業を余儀なくされて、やっと開けられるようになってもイベントは全部中止で集客に繋がることは全部駄目。
それでもいつかはと思ってたけど、許可されるのは構成比で大きなプライズばかり、お客さんはやりたがってるし手伝って上げたいけど力になれないのが悲しくて、他社で大会してるのが羨ましくて仕方ない。
長く働いてるだけあってポジションも上がってしまって他ジャンルも見ることになったし頑張るけど、それはゲームを残すために努力してるんであってそこは変わらないんだよね。
でも、現実的に考えるとランニングコストの大半を占める家賃と人件費を削るためにプライズ以外切った方がいいのはわかってて、会社的にも利益出すためにはそれが正解なんだと思う。この状況でもツイステや鬼滅で数字が出せてるのも大きい。
それでもと思ってたんだけど、下期で上司が変わっちゃって、「競合店が潰れてくれたら早いのに」って言葉を聞いた時になんか悲しくて涙が止まらなくなっちゃった。
この業界好きが好きでなくなった人から辞めていくって先輩からよく聞いてて、いまでも好きだと思いたい。
でもなんか疲れたなぁ
聖書を諳んじられて、音楽技術を把握していて、花言葉を理解できる奴だけが分かるという映画のワンシーンを称賛する人間の浅ましさよ。
そうだな。
「チンチンをシコると気持ちいぞ!これ豆な」
だ。
冷笑的に世界を揶揄するために語った言葉を、彼のシンパが面白がって広めただけに思える。
性器に摩擦を加えると流れる電気信号が神経を介して脳の報酬系と結びついているというのは非常にありがたいことなのだぞ?
擦る場所を性器から肛門に変えればいいだとか、妄想による興奮のみを楽しむにしたって同じだ。
性欲の解消は肉体を消耗していく。
なにより問題があるのは、性欲の最も素朴な解消法である異性性交を行うと妊娠という非常に悩ましい出来事がつきまとうことだ。
また、それは今や社会と混ざり合って単なる性欲の解消がひと目につかない場所で行わない限りは法的な処罰の対象となりうるようになっている。
一部ポルノの単純所持違反も考慮すれば、トイレに籠もっての自己手淫以外に安全と言える方法はないのやもしれぬ。
睡眠は地味に厄介で、たった1日の寝すぎが一週間続く生活リズムの崩壊の始まりとなる。
食欲の解消は、そこまでスピーディーな影響を及ぼすことは少ない……いや歳を取るとわずかな暴飲暴食、いつもよりたった1000kcal多い食事がいつまでも胃腸で処理しきれずに数日ほど不快感が続くことだってある。
肉体的欲求の解消は教養を必要とする度合いが低いのだが、肉体を媒介にするが故にオーバーランによって不快のリバウンドが発生するリスクが大きい。
なんだかんだいって教養を要するのだ。
最も広く用いられるのは大衆音楽の類だろう。
大衆音楽は非常に素晴らしい。
クラシックのようにその技巧への理解も必要としないし、高音質であることすら求めない。
宗教的な背景への理解は不要であり、現代社会的な価値観で紡がれる散文詩を理解するのに必要なのは単にその時代を生きてきたことぐらいだ。
児童文学を読むのが恥ずかしいというならハリーポッターについて語れる老人の数を考えてみればいい。
ハーマイオニーを知らないジジイの多くは単にアルツハイマーが進行しすぎているだけだ。
動画も自分に向いた作品を選ぶことが出来れば楽しむのは難しくない。
ただ、動画は表現の幅が文学よりかなり広がるため、NOT FOR ME問題が起きやすい。
向いてない動画はさっさと消して次に行くのがコツだ。
これはザッピングと呼ばれる技術でテレビ放送が始まった頃に産まれた生活の知恵だ。
漫画は、本当に難しい。
ただし消費のしやすさにおいて文学や動画より上なので、一度文脈を覚えてしまえばかなり人生が楽になる。
これも文脈の理解によって遊びの幅が広がる文化なのだが、それを掴みきれない人間は単に綺麗な絵が動くだけの画面を延々とポチポチして変わりゆく絵を見るぐらいしか出来ない。
絵をザッピングする(これは先程紹介した動画のザッピングを絵に対して行うということだ)のならば、ゲームよりSNSの方がいいだろう。
これには3つの処方がある。
イラスト系SNS(ピクシブ、skeb)と呼ばれるものを使う場合は好きな作品を探すのが容易だし、クオリティが高い作品に出会いやすく、同一作者の別作品にもアクセスしやすい。
スクレイピング系SNS(タンブラー、Instagram等)を使う場合は、同一作者の作品を探すのは難しくなるし、作品の質もばらつきが出るが、ザッピングという行為を楽しむのには理想的だ。
個人的におすすめなのがミニブログ系SNS(ツイッター、マストドン)で好きな絵柄の作者を大量にフォローしてしまうことだ。これを行うことで自分だけの最高のイラスト空間が完成する。
さて、様々な低次元趣味を紹介したが、どれも一定位以上の教養が必要となることが分かっていただけだろうか?
特に最後のイラストザッピングなどまさにそうで、単に綺麗な絵をペラペラ見たいという未就学児童レベルの娯楽ですら効率化を目指すにはある程度知恵を絞って情報収集する必要があるし、日々自分の生活を向上させる意欲を要求される。
悲しいことだ。
もしも、明日の朝、君が猛烈な頭皮神経痛に襲われ、次に目覚めたベッドの上で知能指数が下限を超えて測定不能になっていたとしたとき、君は何を楽しみに生きればいいのだろう?
食事を楽しもうにも、食べ過ぎればお腹が痛くなるという当たり前のことを理解する知性さえ失っていれば、それは満たされぬ精神的苦痛と満たされたのちの肉体的な苦痛に挟み込まれた苦悶の儀となるだろう。
ならば、何がある?
祈ることだ。
ただ、心を無心にし、無心を目指すことだけを目的に祈る。
なにもしないことを目指す。
それも、神へ祈るのではなく、いわゆる禅、瞑想のたぐいだ。
禅を高尚だと崇めるものよ、瞑想こそが格調高い儀式だと宣う者共、恥を知れ。
それは、三大欲求にさえ見捨てられた物に残された最後の娯楽、この世界の底辺だ。
そこから、そのふてぶてしい脚をどけよ。
宗教的配慮があるだけで普通に病気です。セックス依存性のセラピストはフツーにるし、治療も出来る
嗜癖性障害と言った方が馴染みやすいかな?『セックスしないと他人と思える』とか単純にあたおか。明らかに生活に支障出てる
愛している人とセックスというコミュケーションを取りたい、セックスに積極的なパートナーと生涯セックスを楽しみたいとは
また別の話ですな
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
セックスに依存する人は人間関係を怖がる傾向が高い
調査ではオンライン・セックスや売春、人前でのセックス、複数人との同時セックスをしたことがあるかどうかを質問した。またアルコール摂取や自尊心に関する質問も行った。
この結果、セックスに依存しているとした人は、人間関係を脅威と捉え、人との付き合い方が不安定で親密になることを怖がる、あるいは避ける傾向の割合が高かった。
セックス依存ではない人たちが親密さを望ましい、あるいは価値のある関係だととらえ、また人との関係に安心感を覚え、自分のパートナーを信頼できると考えているのとは対照的だった。
消えるというか、アーケードの超難度を前提にした電子音楽みたいな一部のトラックは音楽ジャンル的な流行り廃りがあるかもしれん。だが音楽は人類がずっと親しんできた普遍的な娯楽であり、感情を揺さぶるものであり、それをアクションと結びつけて体感的な遊戯へと昇華させるという設計は不朽と言っていいだろう。つまり音楽という長い文化とビデオゲームという文化が結びついたが最後、ビデオゲーム文化自体が消滅しない限りはもっともしぶとく残るゲームジャンルの一つが音ゲーであると推測できる。将来ゲームシステムの変遷はあるだろうが、音楽つまり音やリズムに主眼を置いた遊戯である時点で非常に強力な普遍性を帯びているように思えてならない。
そして機械的に完全なプレイができることは、人間がプレイしたときの楽しさとは関係がない。音ゲーの楽しさは、完璧にプレイする機械の存在により毀損される類のものではない。逆に言えば、マクロによる自動操作プログラムを作る技量がある者でも、(ソシャゲ風の周回プレイを強いられる音ゲーでない限り)自動操作しようとは思わないし、他者も自動操作を羨んだりはしないわけだ。自分で操作すること自体に楽しみの本質があるから。
音ゲーの楽しさはいくつかの要因によって成る。無意識的に行われるパターン認識、周辺視やリズム感によってあたりをつけてて「こう弾けばいいだろう」と推測したパターンがぴったり合った時の快感(初見時に多い)。脳の処理に運指が追いつくようになり、難所を抜けられるようになった時の、いわゆる「逆上がりできた」のようなスポーツ的達成感。繰り返しプレイすることで「身体が覚える」感覚と、それに伴って精度が向上しスコアに反映されていく喜び、それがフルコンボやオールパーフェクト等のトロフィーとして残る快感。そして最終的には、最初から最後まで失敗にめげず、あるいはノーミスで来ていることに怯まずにプレイしきる精神鍛錬の要素が入ってくる。
そういった上達の過程を楽しむことが音ゲーの遊びとしての本質なのだ。その性質上、下手な人の方が得られる快感の総量が大きく、ある程度音ゲー全般で通用するスキルを得てしまった人に対しては高難度にしていくしか快感領域の伸び代を確保する術がない。そうなると、ノーツを詰め込めるタイプの楽曲は似た傾向になりがちだというのは確かにあり、問題視するのも分からなくないが、あくまでゲームなので、楽しいと思える範囲まで遊べばいいだけだと個人的には思う。それ以外に一点憂慮するとすれば、音ゲーというのは前述のように非常にパラレルで複合的なリアルタイム認知を数分間に渡り集中的に必要とするため、脳にそれを苦手とする性質がある人にとっては非常に取り組みにくくて楽しさを感じる領域に至りづらい問題があるかもしれない。音ゲーは数あるゲームジャンルの中でもスポーツ寄りだ。競争要素が乏しいのでe-スポーツ分野には入らないだろうが、運動神経を含めた感覚的な操作が求められる点で、人を選ぶ部分があり、特定タイトルの人気や流行にあてられて致命的に向いてない人がプレイをし続けることになると怨嗟を生みかねない部分もあるかもしれない。とはいえ、どのゲームジャンルにおいても向き不向きはあるもので、ゲーム自体の問題というよりは個人の取捨選択スキルの問題だろう。
もう一つ、音ゲーと同じような特徴をもつゲームジャンルがある。それはレースゲームだ。他プレイヤーやNPCの車による物理干渉という不確定要素を排するならば、レースゲームというのは非常に音ゲーに似た「機械的に最善がトレース可能な遊戯」だ。最適なライン取り、アクセルワークというのは厳に存在する。リアルなゲームだと路面状況の変化やタイヤの摩耗などの要因もあるとはいえ、最速のAIは容易に作れてしまう。音ゲーと違う部分は、常に一定でプレイ結果と無干渉に進行していく譜面に対して、レースはコース自体は不変ながらも進入時のブレーキング地点・進入角・速度の僅かなズレが後々のライン補正すなわちリカバリー操作に大きな差異を生む点だ。ただし、それらを寸分違わず毎回再現できるならばプレイ結果は同じになる。
そうした差異はあるとは言え、大雑把に言えば音ゲー同様にパターン認識によってあたりをつけてプレイし、反復してプレイすることで腕を上達させていく、試行錯誤の過程の快感に主眼を置いたゲームジャンルであることに違いはない。とはいえこれはタイムアタックのような早く走ることを目的としたゲームモードの話であって、カジュアルなレースにはカーチェイスなどの多様なゲームモードがある。その点は音ゲーより多様性に富んでいる。しかしそれは選択肢が増えてるというだけで、純粋に進化と捉えていいだろう。音ゲーが将来多様なゲームモードを開拓していった場合も、それはゲームジャンルにとって良いことだと思われる。
ところで、薄々感じてはいたが、元増田は本当は音ゲーに対して悲観的なのではなく、単純に、音ゲープレイヤーに嫌悪感を持っているだけではないのか。自分以外の音ゲープレイヤーに軽薄さを感じており、あるいは恨みを持つに至る出来事があったのかもしれないが、ともかく自分が人を嫌悪していることを自覚したくなくてゲーム自体に諸悪の根源を求めようとしているのではないか。イキったプレイヤーを見て「それが何になるんだ?」とマウントを取れる要素を列挙して拗ねているように見えるのは自分だけだろうか。
自分は、モノ自体に善悪はないという信念に近い価値観を持っている。誤るのは常に人間のほうであり、モノが過ちを誘導しているように見えたとしても、人間はモノに惑わされない知性を備えているべきで、備えていると考えてモノは作られ、使われるべきだと考える。さもないと、人間はどんどん白痴になっていき、モノに操られるモノ以下の存在に貶められるだろう。モノが特定の性質の人間を集めていると感じ、それを良しとしないのなら、自分が好む性質に改変したモノを作る側になるしかない。この増田に対して適用するなら、増田の思う軽薄でない音ゲーを作れるのは増田だけだと思うのだ。安易にジャンルそのものを悲観して多様であるはずのプレイヤーをまるごと切り捨てんとする夢想に耽るよりは、よっぽど現実的で建設的な考え方だと思うのだが。
生理うんぬんの話はちょっと置いておくとして、「幼少期から遊びの興味の方向は男女でかなり違う」の部分について、ふと思い出したので書いてみる。
実際のところ、遊びの方向はかなり違うと思う。
でもそれは脳の違いではなく、8割くらい同調圧力の話ではなかったか?と思っている。
私は小学生の頃、男子が遊んでいたカードゲームをやりたくてやりたくて仕方なかったのだけれど、女子は全く見向きもしなかった。
時々男子に混ざって遊んだけれど、男子とばかり遊んでいると女子との交流が疎遠になってしまうし、
小学生の頃ってそういう「人とは違う事をしている人」を糾弾する時代だった。
大人(主に教師)も圧力をかけたけれど、何より子供自身が強い同調圧力を作り出している。
ある程度成長すれば他人のやりたいことを尊重する考えも出てくるけれど、小学校前半は仲間はずれは重要な問題だった。
なお学校も友達を作る事を要求するし、世間も学校という機関は協調性の場だと言う。
一人で違う事してると咎められる。学校は協調性を養う場なんだとさ。
他人と合わせる必要があり、結果として「いわゆる女の子の遊び」に流れるより他無かった。
ビデオゲームの男女比がそこまでエグくないのは、「一人で遊べるから」というより他ないと思う。
嫌々女の子の遊びを…というわけでもなく、友達との遊びである以上それなりに楽しい。
でもものすごくカードゲームはやりたくて、当時は相手もいないのにカードを買って眺めていた。
親から見たら一人でカードを眺めて孤独にほくそ笑んでいるより、友達と声を出して笑ってる時のほうが楽しんでいるし、熱中しているように見えていたと思う。
だけど私はカードゲームのほうが好きだった。
興味を持つ遊びは男女で違う、と言うけれど
ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。
業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan)
https://jp.ign.com/games/46189/feature/10
ゲームは年に1本買うか買わないかのライトゲーマーなので大半の作品はタイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつのコメントにちょっと心が動いた(太字筆者)。
簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこの作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術と技術、物語、正真正銘のパズルをシームレスに融合させています。これは私がエッシャーの作品や、キット・ウィリアムズの絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者のジェイソン・ロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。
本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。
元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独や倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。
遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。
感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストがネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。
『Gorogoa』認知のフレームを軽やかに飛び越える絵画的パズルゲーム【インディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)
https://alienwarezone.jp/post/1321
GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)
https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7
そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。
この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである。
後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。
ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパートの屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。
古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。
聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。
ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。
枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。
ふたつめの緑色の果実は、町はずれの穏やかな公園の女神像が手に持っていた。
廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟の壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。
ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。
ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつが黄色の果実となって器の中に転がり落ちた。
気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。
杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。
たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老の男性。部屋の片隅には愛用のステッキ。
蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車を初老の男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後の果実、紫色の果実を手に入れた。
果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。
──その時、突然器が砕けた。
ゴロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。
儀式は失敗したのだ!
私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。
長いあいだ車椅子の生活を余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。
何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。
聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。
ゴロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。
焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。
一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。
がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。
私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説、伝承、考古学の書物で埋め尽くされた。
時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。
その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。
ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。
研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。
そしてその畏敬の念は、やがて純粋な信仰心へと変化していった。
ゴロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。
私はそう思い詰めるようになっていった。
私は巡礼者となり、ゴロゴア信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。
体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである。
研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。
無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶がフラッシュバックした。
そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。
月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつの結論に到達しようとしていた。
この記述によれば、儀式はふたりの人間によって為されなければいけなかったように思える。
たしかに、最初の儀式は自分ひとりで行ったために失敗してしまった。
では、儀式を成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?
そうではなかった。
絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである。
儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。
思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。
その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。
時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。
それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。
私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。
昨年11月に発売され、口コミで評判が広がりジワ売れヒットになったヴァニラウェアの最新作『十三機兵防衛圏』が今年9月にようやく欧米でも発売されるらしい。
新型コロナの影響でローカライズ作業が遅れているため、まずは日本語音声のみ(字幕は英仏独伊西の5ヶ国語)で発売し、
英語吹替は修正パッチで後日配信(時期未定)という異例の対応になる予定だったのだが、
発売を2週間延期した上で修正パッチを発売日当日に配信することが先日新たに発表された。
発表に合わせて、SIEの公式ブログであるPlayStation.Blogの英語版に掲載された開発者インタビューがちょっと面白かったので、拙い翻訳だけどここに置いておく。
インタビューはセガ・オブ・アメリカの広報Ari AdvinculaさんがアトラスUSAの音声収録担当Allie Doyonさんに話を訊く内容になっている。
(現在、両社はカリフォルニア州にある同じオフィスに入居しており、龍が如くシリーズの翻訳をローカライズに定評のあるアトラスUSAに任せるなど一体化が進んでいるようだ。)
https://blog.playstation.com/2020/07/21/13-sentinels-aegis-rim-new-release-date-and-interview/
以下和訳
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『十三機兵防衛圏(海外版タイトル :13 Sentinels: Aegis Rim)』の発売日が新たに9月22日となり、
英語吹替を収録したDay1パッチと共にPS4でリリースされることになりました。
このヴァニラウェアのSFアドベンチャーはここセガ・オブ・アメリカでも評判になっており、待つだけの価値が十分にあるタイトルです。
本日はローカライゼーションチームのメンバーであるAllie Doyonさんに来ていただきました。
彼女は十三機兵防衛圏の音声収録を担当しています。アフレコ現場に長くいて、制作の裏話も沢山あるようです。
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Ari Advincula(以下AA): 十三機兵防衛圏は日本で数多くの賞を受賞しており、SF賞である星雲賞にもビデオゲームとして唯一ノミネートされています。
十三機兵防衛圏がどのような作品なのか簡単な紹介をしてもらえますか?
Allie Doyon(以下AD): もちろんです。ただ、正直に言いますと、このゲームは非常にユニークで単に概要を説明しただけではあまり意味がない作品なんです。
語ろうと思えば何時間でも語り尽くせますが、その本当の面白さは自分自身でプレイすることにあるのです。
もし、この作品を自分なりに要約しなければならないとしたら、こうなるでしょうか。「時間、宇宙、そして生命にわたる驚くほど心に響くミステリー」と。
巨大ロボットに巨大怪獣、怪しげなメン・イン・ブラックなど、それはSFへのラブレターであり、同時に愛や意思、記憶や自我といった人間らしい要素もあります。
ヴァニラウェア自慢のビジュアルスタイルで描かれた美麗な背景を差し引いたとしても、とても惹き込まれる作品です。
AA: 13人のキャラクターと13の交錯する物語がありますよね。随分と多い数ですが、プレイヤーはついていけるのでしょうか?
AD: そこが面白い所なんです。プレイしていくにつれ、徐々にプレイ可能なキャラクターのルートが解放されていきます。
それぞれの物語は互いに絡み合っており、あるキャラクターに関する真実を明らかにするためには、他のルートで明かされた情報をつなぎ合わせていくことになります。
例えば、冬坂五百里のプロローグの冒頭で、彼女は関ヶ原瑛という名の男にぶつかった拍子に生徒手帳を落としてしまいます。
彼がそれを拾い上げると、プレイヤーはその生徒手帳が彼の物語の中で重要な鍵になるということに気づくのです。
もし、プレイ中に膨大なプロットやミステリーについていけなくなってきたと感じたとしても、謎解きに集中してもらうための「究明編」と呼ばれる専用のパートが用意されています。
究明編は2つのモードに分かれており、一つは「イベントアーカイブ」といって、一度見たシーンは大体ここで見直すことができます。
もう一つの「ミステリーファイル」は今までに判明した事実をまとめたアンロック可能な用語集といった感じです。これを見れば、腰を据えてパズルのピースを埋めていくことができるでしょう。
AD: それはもう、貴重な体験でしたよ、ははは。初めは通常どおりスタジオでレコーディングをしていたのですが、すぐに新型コロナの影響で密な現場から追い出されてしまいました。
おかげで関係者全員、特にスタジオのオーナー、エンジニア、そして声優は、仕事を完遂するために自分たちで解決策を模索するしかなかったのです。
最優先事項は声優の安全確保でした。彼らの仕事は健康な肺があってのものですからね。しかし、このゲームの英語吹替を諦めようという者は誰一人としていませんでした。
軌道に乗るまで少々時間がかかりましたが、最終的にはビデオ会議方式で残りの収録を行うことになりました。
ですが、それは単に繋げて話すというような簡単なものではありません。我々はスタジオ並のクオリティーで音声を録音しなくてはならないのです。
どうやってオーディオエンジニアが音声を録音し編集するのか、どうやってディレクターの持っている台本を声優にも読めるよう画面上で共有するのか。
スタジオ並のクオリティーを実現するために、声優たちはそれぞれの自宅に簡易的な録音スタジオを構築しました。
といっても、マイクを置いたクローゼットの中という心が落ち着きそうな場所だったりするのですが。
言うまでもなく多くの技術的な困難がありましたが、みんなゴールに向かって全力を尽くしてくれましたよ。
AA: 声優との作業の中で、何か特別なエピソードはありますか?
AD: 十三機兵防衛圏のストーリーが複雑そうだと感じたら、アフレコブースに入った声優に音響監督がそれをどう説明するのかを想像してみてください。
レコーディング中に何度「wibbly-wobbly, timey-wimey(*訳注)」という言葉が出てきたか数え切れません。
このゲームにはメインキャラクターというものが無く、声優はそれぞれ自分のパートのストーリーしか見ていなかったので、終盤に全てが一つにまとまっていくのを見て興奮する人が多かったですね。
ネタバレ無しの範囲でこれは言っておきたいのですが、このゲームにはいくつか非常に難しい演技を要求する部分があり、それを誰もが見事にこなしてくれて本当に感激しました。
腕前を披露する良い機会になったと思います。皆さんがプレイして私の言った意味を理解してくれる日が待ち遠しいです。
AA: 最後にPlayStation.Blogの読者にメッセージはありますか?
AD: 皆さん、食べ物は好きですか?私は好きです。ヴァニラウェアも食べ物が好きだし、十三機兵防衛圏の比治山隆俊もです。
このゲーム以上にどこかヤキソバパンを買える場所はないかと捜したくなる衝動に駆られるものはないでしょう。
もしも何か新鮮で面白いゲームを捜しているなら、ぜひ十三機兵防衛圏を試してみてください。この業界で9年以上働いていますが、手掛けてきた中でもお気に入りの作品です。
英語吹替もスタッフ一同心血を注ぎました。私はこのゲームのキャラクターがどれも大好きで、皆さんにも同じぐらい好きになってもらえたら嬉しいです。
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訳注:BBCのドラマ『ドクター・フー』で登場した時間の性質を説明する有名なセリフらしい。以下Wikipediaより引用。
"10代目ドクター曰く時間は「グラグラしたフニャフニャしたもの」(Wibbly Wobbly Timey Wimey)であり、様々な出来事が互いに影響しあっているという。"
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9
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海外でも売れるといいなあ。