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はてなキーワード: 大衆音楽とは

2023-05-04

美術芸術第一印象正義なのなんでなん

美術館の絵わからない、感想で「すげー」とか言えばバカにされるから言わない、ってやつバズってたけど、最近美術館普通に作品の横に解説貼ってあるし、解説音声サービスあるし、なんなら芸能人ナレーション吹き込んでたりしてそれ自体エンタメ化していたり。作品制作意図時代背景わかったらホホーンってなるよね。それをブコメの「情報を食っている」と言われたらそうかもしれないけど、相手作品や作者)の人となりを知ることって単純に嬉しいじゃないですか。

背景何も知らずに作品単品だけで楽しめるものは素晴らしいけど(例えばクラシックも含め大衆音楽だとその傾向は高いと思う)、作品ってその背景や制作意図までコミコミのものじゃないですか?あるいは、背景知らなくても楽しめて、背景知るともっと楽しめませんか。

作家ミュージシャンインタビュー記事、読みますよね。あれと同じ)

なので美術館行ったら作品解説は読むなり聞くなりした方が面白さが上がるし、現代音楽なんかは特に作曲者解説読むと面白さが桁違いに上がるので是非読んで聞いてほしい。

何も情報入れず、生まれ持ったセンスのみで第一印象で"わかって"しまう人がすごいとか、わからない自分は駄目だとか、そういうのは無しで。

2023-04-05

anond:20230405095418

坂本龍一さんの音楽はどんどん主旋律が消えて、ノイズ環境音、アンビエントミュージック化していったから、90年代までの音楽は本人の中では演歌伝統的な作曲手法に則った、予定調和大衆音楽)のように思えただろうな

2021-01-03

anond:20210103214849

ポップは大衆音楽から売れねえなら作られない

日本の平均的音楽リテラシーが低いだけや

nujabesとかミレパとか海外に刺さる音作りしてるやつはセンス良過ぎて日本じゃ売れない

2020-10-27

anond:20201027011755

勉強してる人は娯楽小説を読んだり大衆音楽を聴いたりドラマアニメを見たりはしないのかね?

  

   

← 横だが、俺は中高時代はそういうのはほぼ皆無だった。いや、小学校高学年くらいからだ。中学受験があったから。

読む本は勉強教養になるモノばかりを求めた。むしろそういうのに飢えていた。歴史なら三国志よりホイジンガー、とか。小説なら漱石から始まってシェークスピアとか。音楽クラシックが主で、ジャズフォークが多少。

おかげで京大に現役合格さら大学院まで進学したよ。

anond:20201026003439

とりあえず北海道ではないらしい(旭川東、帯広柏葉、函館中部とか地方トップ田舎なりに東大も出すし支店経済的産業もあるからの子もいる)

こういう話は離島とかならリアリティがあるのだけど、北国とか言われると北海道出身の人間はいまいちよく分からないんだよなあ

あるいは勉強してる人は娯楽小説を読んだり大衆音楽を聴いたりドラマアニメを見たりはしないのかね?

2020-10-12

教養要求されない趣味の素晴らしさ

自分能力要求されない趣味ほど素晴らしいものはない。

聖書を諳んじられて、音楽技術を把握していて、花言葉理解できる奴だけがかるという映画のワンシーンを称賛する人間の浅ましさよ。

そうだな。

樽のディオゲネス・ラエルティオスが語ったのと同じだ。

「チンチンをシコると気持ちいぞ!これ豆な」

だ。

だが、その素晴らしさを彼自身理解できていたのかは疑問だ。

冷笑的に世界揶揄するために語った言葉を、彼のシンパ面白がって広めただけに思える。

性器に摩擦を加えると流れる電気信号が神経を介して脳の報酬系と結びついているというのは非常にありがたいことなのだぞ?

とはいえ性欲にも問題があって、単純に弄りすぎると痛くなる。

擦る場所性器から肛門に変えればいいだとか、妄想による興奮のみを楽しむにしたって同じだ。

性欲の解消は肉体を消耗していく。

なにより問題があるのは、性欲の最も素朴な解消法である異性性交を行うと妊娠という非常に悩ましい出来事がつきまとうことだ。

また、それは今や社会と混ざり合って単なる性欲の解消がひと目につかない場所で行わない限りは法的な処罰対象となりうるようになっている。

一部ポルノ単純所持違反考慮すれば、トイレに籠もっての自己手淫以外に安全と言える方法はないのやもしれぬ。

同様に簡単に解消できる欲求として睡眠と食欲がある。

睡眠は地味に厄介で、たった1日の寝すぎが一週間続く生活リズム崩壊の始まりとなる。

食欲の解消は、そこまでスピーディーな影響を及ぼすことは少ない……いや歳を取るとわずかな暴飲暴食、いつもよりたった1000kcal多い食事いつまでも胃腸で処理しきれずに数日ほど不快感が続くことだってある。

肉体的欲求の解消は教養必要とする度合いが低いのだが、肉体を媒介にするが故にオーバーランによって不快リバウンドが発生するリスクが大きい。

なんだかんだいって教養を要するのだ。

では、真に教養の要らない趣味とはなんだろう?

最も広く用いられるのは大衆音楽の類だろう。

大衆音楽は非常に素晴らしい。

鼓膜への振動がいい感じであるというただそれだけで楽しめる。

クラシックのようにその技巧への理解必要としないし、高音質であることすら求めない

宗教的な背景への理解不要であり、現代社会的な価値観で紡がれる散文詩理解するのに必要なのは単にその時代を生きてきたことぐらいだ。

内容の極めて単純な動画漫画文学の類も非常に良い。

中でも文学はただ文字が読めればいい。

漢字が難しいのなら子供向けの本を読めばいい。

児童文学を読むのが恥ずかしいというならハリーポッターについて語れる老人の数を考えてみればいい。

ハーマイオニーを知らないジジイの多くは単にアルツハイマーが進行しすぎているだけだ。

動画自分に向いた作品を選ぶことが出来れば楽しむのは難しくない。

ただ、動画表現の幅が文学よりかなり広がるため、NOT FOR ME問題が起きやすい。

向いてない動画はさっさと消して次に行くのがコツだ。

これはザッピングと呼ばれる技術テレビ放送が始まった頃に産まれ生活の知恵だ。

漫画は、本当に難しい。

ただし消費のしやすさにおいて文学動画より上なので、一度文脈を覚えてしまえばかなり人生が楽になる。

が、文脈を覚えろという時点で、今回の話題にそぐわない。

同様のものビデオゲームがある。

これも文脈理解によって遊びの幅が広がる文化なのだが、それを掴みきれない人間は単に綺麗な絵が動くだけの画面を延々とポチポチして変わりゆく絵を見るぐらいしか出来ない。

絵をザッピングする(これは先程紹介した動画ザッピングを絵に対して行うということだ)のならば、ゲームよりSNSの方がいいだろう。

これには3つの処方がある。

イラストSNSピクシブ、skeb)と呼ばれるものを使う場合は好きな作品を探すのが容易だし、クオリティが高い作品出会いやすく、同一作者の別作品にもアクセスやすい。

スクレイピングSNSタンブラーInstagram等)を使う場合は、同一作者の作品を探すのは難しくなるし、作品の質もばらつきが出るが、ザッピングという行為を楽しむのには理想的だ。

個人的おすすめなのがミニブログSNS(ツイッターマストドン)で好きな絵柄の作者を大量にフォローしてしまうことだ。これを行うことで自分だけの最高のイラスト空間が完成する。

さて、様々な低次元趣味を紹介したが、どれも一定位以上の教養必要となることが分かっていただけだろうか?

特に最後イラストザッピングなどまさにそうで、単に綺麗な絵をペラペラ見たいという未就学児童レベルの娯楽ですら効率化を目指すにはある程度知恵を絞って情報収集する必要があるし、日々自分生活を向上させる意欲を要求される。

悲しいことだ。

もしも、明日の朝、君が猛烈な頭皮神経痛に襲われ、次に目覚めたベッドの上で知能指数が下限を超えて測定不能になっていたとしたとき、君は何を楽しみに生きればいいのだろう?

食事を楽しもうにも、食べ過ぎればお腹が痛くなるという当たり前のことを理解する知性さえ失っていれば、それは満たされぬ精神的苦痛と満たされたのちの肉体的な苦痛に挟み込まれ苦悶の儀となるだろう。

ならば、何がある?

祈ることだ。

ただ、心を無心にし、無心を目指すことだけを目的に祈る。

なにもしないことを目指す。

すべてを失った人間に出来ることはそれぐらいしかない。

この世界で最も低次元の娯楽とは祈ることなのだ。

それも、神へ祈るのではなく、いわゆる禅、瞑想のたぐいだ。

無心を目指すことだけが最後に人に残された娯楽だ。

禅を高尚だと崇めるものよ、瞑想こそが格調高い儀式だと宣う者共、恥を知れ。

それは、三大欲求にさえ見捨てられた物に残された最後の娯楽、この世界底辺だ。

そこから、そのふてぶてしい脚をどけよ。

2020-01-25

音楽評論家に平手湯里奈というより、AKBを語らせるなら、おた文化スタートせずに最初からソニーAVEX さもなきゃクラシックデビューしろ

郷に入れば郷に従えとはいうが、あれは大衆音楽とおもうのはまちがいか

2019-09-12

anond:20190909224230

女性アイドル一言で言っても音楽ジャンルもコンセプトも多様である

音楽ジャンルで言うならば、王道アイドルポップもあればパンクメタルニューウェーブテクノヒップホップEDMプログレアイリッシュジャズアキバ系もあって、大衆音楽の主要なジャンルはまあまあけっこうな割合網羅されている。この界隈も本気で掘ればあなたの好みにあうアイドルはかなりの確率で見つかるはずなのである。なので、アイドルに関心が持てるかどうか、という話であれば、基本的には「掘りが足りない」という話になる。

ただ、問題は、めっちゃ掘ってお気入りのアイドルを見つけたところで、それで元増田の「好きな人」と会話が成立するかどうかである。前述の通りこの界隈もけっこう多様な世界なので、アイドルヲタ同士でも全然話が通じない、っていうことはそれなりにあるのである自分個人の話をすれば、日本語の歌に関しては99%アイドルしか聴かないが48・坂道ハロプロにはほとんど興味ない(坂道系では欅坂ちょっと聴く。今のハロプロではこぶしファクトリーちょっといかなとおもうけどライブに行くほどじゃない)みたいなことがあるのであるアイドルあんまり知らない人からすれば、48・坂道ハロプロ以外にアイドルなんているの?てなるかもしれないが。

元増田の「好きな人」が具体的にどういったアイドルヲタなのか、元増田普段どういう音楽を好むのか、どういうアイドルを聴いてみてダメだったのか、などなど重要情報が足りていないため、ドルヲタとしても有用情報提供できないのである

2018-03-30

ストーリーは死んだ」と最初に言い出したのは誰か

増田?それともデータベース消費という言葉を産み出し、視聴者キャラクターが持つ記号を消費していると主張した東浩紀

いや東を出すならメディアミックスというマーケティング説明する上で物語消費という言葉を産み出した大塚英志こそ最初人物だろうか?

いや物語を持つの文学映像作品だけではない。音楽一種言語と考えたアドルノストーリーは死んだと主張した人物だろう。アドルノは、産業が産み出した大衆音楽は全体の構造ではなく細部の記号しか注意が払われていないとのべ、音楽言語性が失われていると批判した。

ざっと思い付くのはこんな感じだが、それより以前にも言われてるのではないか

個人的には19世紀フランス文学界あたりとかでも言われてそうだと思っている。

2017-09-15

大森ヨギー対立に思うこと

これはメタルパンク対立と同じだなと思った。

古い話ではハレとケの対立という形で語られてた、あの戦いがまた!。の感。

もう少し古い話に行くと、宮廷音楽大衆音楽対立ということになるけど。

では、なぜ宮廷音楽側が「音楽魔法じゃない」と言うのだろう。

考えてみよう。

2017-08-07

教養のない人だなあ

それがたとえ大衆音楽歌詞であったとしても、文芸作品解釈には、広く共有されている価値観時代性といったコンテクストを利用する必要があるでしょうよ

それを妄想だの勝手解釈だのと断言できるほどの無教養ぶりには呆れるわ

そこにあるテクストだけですべてが判然とするのは、物語ではなくて説明文ですよ

2017-06-22

大衆音楽作家に貢ぎたがる人たち

ポップミュージックはもう大好きで掘って遡って記憶にたくさんアーカイブしてるし買った(手放した)レコードCDは千枚下らないし自分でも4ピースバンドオリジナル50曲くらいでっち上げたけど。「文化」とも言えるけどそんなに?という思いがあって。興味があって他に方法がなかったから買ったんだよ、聴く方法がたくさんあって「アレのリズムコード進行はアレ、プレイヤークオリティがアレだな歌詞はソレか、間奏にアレオマージュのフック効いてるな」みたいなことが分かるくら聞いたらもう回数もアーカイブ物理じゃいらないから。ミスチルとか桑田とか虎舞流とかにもっと貢ぐのん?ヨレヨレのユーミンお布施のん?「円盤買え」って振り分け著作権協会ドンブリ割り振りに任すのはそーゆーことよ。貢ぎたいならライブ行ってグッズ買うのが21世紀ってなんか河原歌舞伎観に行くみたいな退行だけど真実

2016-09-22

ジョン・ケージ4分33秒の次

音楽が音を鳴らすのを止めるところまで行きついたように音楽はすでに死んでる。白紙絵画小説があるのか知らないがそんなのやったら芸術死ぬ現代音楽が果敢に音楽未来を切り開いて音楽を死に追いやったところから音楽を取り戻せたのは皮肉にも大衆音楽のおかげだった。と言っても旬のアイドルスター映像作品との抱合せ延命してるに過ぎない。クラシックのような昔の作品に完全にかなわないのは自明だしもちろん4分33秒の次はない。

2015-10-29

いまさらだAKBは完全に社会悪

AKBの是非といえばすこし前によく話題になったものだが最近ほとんど聞かなくなった

長くいることで視聴者共演者スタッフもどうでもよくなったのだろう、しかしまだまだ影響力が強くアイドル界もといチャートだけを見れば音楽業界を席巻していると言っていい

女版ジャニーズというところだろう

ジャニーズも今では誰も文句を言わないが男から見たらバカな女を集めて商売していると改めて考えて見ると反吐が出る、おそらく女性から見たAKBも同じだろう

彼ら彼女らはただ商業的なものだけでのし上がってきたといっていい、音楽に魂もなければ話がうまいわけでもない。ただマーケティングがうまかっただけである

大衆音楽には決定的に重要役割があり、それはどういうリズムで生きるべきなのか、どういった気持ちの持ちようで在るべきなのか、どういった姿勢で歩けばいいのかと人に影響を与えることだ。役割ではなく責任といってもいい

まだゴールデン歌番組があった時代にはポップミュージックといえどミスチルグレイのような歌には心が宿っていた、思い返してみれば学校での指導よりもどんな本よりも心地よい旋律に載せられた歌詞こそが教育だったのだ

AKBはただの音である、90年代アメリカMTVを騒がせニルヴァーナ駆逐した悪しきポップミュージックですらない。

音楽はどんなジャンルであれ聴いていればアーティスト気持ちが少なからず入ってくるものだがAKBからは何も感じない、彼女達が大衆旋律を奏でているというのはいさらだ悲劇である

2015-02-06

アイドルポストモダン

http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648

アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います

アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。

そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。

何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。

それは、西洋哲学古典文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。

これはおそらく、人間コミュニケーション手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。

音楽を伝える手段は、口伝から楽譜レコードからCDデジタルデータへと発展してきた。

一番最初は「自分たち音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、

文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、

音楽のありようは大きく変わってきた。

音楽もまた、それがそれ自体として価値を持って存在しうる、

まりシニフィエを持たず、純粋シニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。

音楽を奏でる上で、その主体自分の顔や外見を聴衆の前に晒し

その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。

人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。

なにより、自分以上の音楽を奏でることができない。

そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。

自分たち音楽とは、自分たち表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。

いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、

何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップ意味を示している。

音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽のもの純粋さをより推し進めるものともとれる。

たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。

その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。

ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体制限はない。

あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?

ダンスミュージックディスコ、あるいはプログレハードロックメタル

これらはそのファッションスタイルと相まって存在していた音楽文化だ。

ヒップホップ音楽性には、ヒップホップファッション必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。

一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。

なぜなら自己表現として音楽存在すると仮定した場合多種多様音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチからで、

これはつまりドゥルーズの言うリゾームの話に近づいてくる。

純粋音楽表現において、多種多様音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメアイドルといった、

何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。

から、私はアイドル音楽が好きだ。

彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。

(つまり歌詞言葉どおりに彼らが考えているわけではない)

しかしながら、いや、だからこそ、その音楽純粋存在しているし、鳴っているのだ。

ともすれば、その歌詞支離滅裂意味を持たなかったとしても、

ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。

ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家表現しうる音楽手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。

今は、アニメアイドルボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋音楽表現できる時代になったのだ。

そして、リスナーとしての我々にとっても、より純粋フィクション文化として、

音楽作品に溺れることができる時代になったということも同時に意味しているというわけだ。

2015-01-19

SEKAI NO OWARIが酷いとか何とかよく話題になるけど

から中高生ウケる大衆音楽ってあんなもんだよなあ。

オタク市民権が拡大した影響でちょっとそっち系の味付けが入ったってくらいだろう。

リアル中二心と制御できない自意識と大して難しくない人生練習問題みたいなのに思い悩む若者の心にピッタリ合うのだろう。

いや、聴いたことないんだけどね。

 
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